継承の鋼   作:アザロフ

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「第二章 誘導性艤装装甲の本質」

 ある晴れた朝。

 九州は現在梅雨入りをしたのだと衛星テレビで言われていたが、空を見上げても疎らに雲があるだけで、乱層雲の類はどこにも見当たらない。代わりに空気は少しずつ熱を持ち、夏の影を落とし始めていた。

 まだ午前十時過ぎであるため外気温は二十二℃と、比較的過ごしやすい気温であった。

 

――艦娘であるオレにはあまり関係ないけど。人間なら一℃違えば色々違ってくるもんなのかね。

 

 艦娘の衣服には冷暖房の機能があり、常に戦闘へ支障ない状態が保たれている。木曾のように半袖であっても指先までしっかり温度管理がされているため、気温というものには無頓着だった。

 勿論艦の時に乗船していた者たちが、夏の気温と海面からの照り返しに項垂れるようにしていたのは何となく覚えているが、肉体を持った今としてはまだその実感はない。

 艤装を全て追っ払えば体験できるのだろうが、わざわざそうしてまで体験したいことではないため、セーラー服の襟を上下に揺らしながら日の下を力強く歩く。

 今日で木曾は、初陣に出た日から丁度一月が経とうとしていた。

 あれから七度の海戦を経験し、木曾の手で駆逐と軽巡合わせて十隻の敵艦を沈めている。

 誰が聞いても新人とは言えない成績を残し、実戦を経験したことのちょっとした達成感も得ている。

 間違いなく素人などではないはず、なのだが。

 

「伊勢さんちょっといいか」

 

「……あ~? なんだ新入りか。人が気持ちよく寝ようとしていたのに」

 

 一月前から何一つ変わらず、未だに新入りと呼ぶのは伊勢であった。

 火の付いていない煙草を口に咥え、木陰の差すハンモックの上で揺られている様は見ていて気持ち良さそうではあった。

 上着の白い甚平は邪魔なのか外されており、黒いインナーとスカートのみの姿は実に涼しそうである。

 

「だから新入りじゃなくて木曾だ木曾。新入りなら半月前に建造された鳳翔に言ってくれ」

 

 軽空母鳳翔。

 空母として初めて臼杵鎮守府に着任した最初の艦娘だ。

 前から提督も戦力として欲しかったらしく、珍しく口角がつり上がっていた姿は未だ鮮明に思い出せる。

 

「鳳翔はもう新入り扱いできないから無理」

 

「なんでだよ。オレの方が先なのに」

 

 こればっかりは納得がいかなかった。

 特に師として仰ぎたい伊勢に、全く見向きもされていないことがわかることが余計に木曾の気持ちを焚き付ける。

 初陣から一月だ。これまで三度伊勢に弟子にして欲しいと懇願して、全て断られている。

 本当は相手が根負けするまで粘るつもりではあったが、残念なことに伊勢は単独での出撃しかしていない。同伴したのは最初だけだった。

 そして、一ヶ月もの間追いかけていたからこそわかるのが、伊勢は基本鎮守府にいない。いても夜遅くに返ってくることが多く、朝には別の戦場へ赴くことばかりであった。

 尊敬する存在であるが故にそこまで重宝されていることに誇らしく思う反面、それだけ忙しい彼女に変わって行ってやれない、支えてあげられない自分に憤りを感じていた。

 だからこそ焦る。

 壁の高さと、自分の小ささに。

 電の戦いを見た。

 綾波の戦いを見た。

 神通の戦いを見た。

 鳳翔の戦いを見た。

 四名は。自分の後である鳳翔も含め強さをハッキリ目の前で見てしまった。

 伊勢が鳳翔をもう新入り扱いしないのは、それだけ戦えるのだと知っているからなのかは定かではない。だが、鳳翔は空母としての部分を抜いたとしても、現状の木曾より強いことは肌で感じている。

 木曾の撃沈した数とて半分近くがおこぼれでもらったようなものばかり。実力で沈めたのなど精々三隻。他はラッキーショットと言えてしまうようなものだと、撃った自分が一番わかっていた。

 砲撃や艦隊戦の訓練など毎日のようにやっている。

 初めは人型での砲撃戦と言うものに慣れず四苦八苦したものの、最近では成長してきていることは実感できてはいるが、伊勢の見せたような動きは毛ほども再現できていない。

 四名の中でなんでも綾波が一番得意なのだと提督が言っていたため、伊勢の代わりにと教えは乞うたものの、理屈ではなく感覚的な説明をされ、理解できなかった。

 電や神通も他の訓練には煩かったが、それの説明だけは本人たちも完全には理解していないのか、茶を濁すような形で進展がない。

 鳳翔には、自尊心が邪魔をして聞けなかった。

 ならばと四度目の正直で今正に始祖である伊勢に直接頭を下げに来たのだ。

 元々弟子にしてほしかったため、一石二鳥とも言えるが、今はまず力の使い方が知りたかった。

 早く知りたいからこそ体も気持ちも前のめりとなる。

 だからだろう、急くばかりで注意力を散漫にさせる。

 特に人の機微に対して。

 目の前の伊勢の不機嫌さに気付かずに。

 

「お前程度じゃまだ新入りで十分だ。わかったら余所に行け余所に」

 

「伊勢さんじゃなきゃ駄目だ。お願いだ。オレに誘導性艤装装甲の使い方を教えてやってくれ!」

 

 伊勢に向かって勢い良く頭を下げる。

 隻眼は芝生だけを映し、頭と同じく揺らぐことなく固定される。

 数秒後、ハンモックからダラリと右腕だけが垂れるのが視界に入ると同時に、伊勢からため息が漏れ出たかと思うと、声がかかった。

 

「新入り」

 

「はい!」

 

 遂に観念してくれたのかと嬉しく思い、元気よく返事をするとともに顔を上げる。

 しかし、待っていたのは拳であった。

 

「せっかくのオフを邪魔する、なっ」

 

 ハンモックに揺られた状態から放たれた裏拳が、木曾の腹部を強打する。

 下から掬い上げるように放たれたせいか、木曾の体は浮き上がり、上方二メートル。後方五メートルほど飛ばされるほどの衝撃が木曾を襲った。

 意識さえする暇などなかった。

 完全なる不意打ちは木曾の意識を刈り取るには十分な威力が有り、肉体が受けるはずのダメージを衣服に自動で誘導される。だが、捌けきれなかったのかセーラー服はボロボロになり千切れ飛ぶ下で、肋骨が数本鳴ってはいけない音を発する。

 艤装の一部である帽子は本来激しく動いたところで落ちることはないが、伊勢の殴打が強すぎたせいか、あちこちが擦り切れたように裂け、目の前を通過していくのを霞む目に捉えた。

 思考が分散し、意識が明滅する。

 しかし、高揚だけは消えない。

 痛みよりも、苦痛よりも、興奮が木曾の胸の内を占めていた。

 ただ体は限界だったのだろう。

 

――あの状態でこの威力。やっぱりあの人の弟子に……

 

 なりたい。と最後まで思考が回る前に、意識が全て消失した。

 

 

  ==========

 

 

「ふむ、なるほど。つまり順調ということか」

 

 一冊の本を手に、執務室で剣造は一人呟いていた。

 執務室内は簡素なもので、剣造の使っている机と椅子が一組ずつあり、壁には近海と日本、世界地図の三種が貼られているだけで、それ以上のものはない。

 そんな殺風景じみた部屋で読んでいるものが何かといえば、本来ならば海戦指南書や、司令官としての立ち振舞といったものになるはずなのだが、現在読んでいるものはと言うと、

――――『初心者でもわかる夏野菜の育て方』

 などと背表紙に書かれている本であった。

 真っ白な軍帽軍服を身に纏い、鋭い目つきの眼光をしているものが読むには些か場違いであり、人選間違い甚だない。が、それは本人も自覚しており、人里で本を買うときは初めて小銃の引き金を引く程度には緊張をしていた。

 何もなければ間宮辺りが読むものだと店員にも思われたのだろうが、横にいた伊勢が事実とは言え愉快そうに語りだした時は、久しぶりに全力の一本背負いでも決めてしまおうかと思ったほどである。

 お陰で顔なじみの店員から本と顔を複数に渡って往復され、最後には満面の笑みで送り出されてしまった。

 良かった点を上げるならば、羞恥に駆られる代償にオススメの育てる野菜を教えてくれたことである。

 春夏秋冬の本を買ったものの、どれを育てたらよいかなどまだ検討中だったために、大いに助かった。帰りに必要な物を買い揃えられたのも、嬉しい誤算である。

 但し、嬉しい誤算があれば悪い誤算も重なりやすく、今朝方車に乗ると異音にハンドルのふらつきが見られ、今明石に点検をしてもらっている最中だ。

 ただでさえ、道路には所々に穴が空いており、アスファルトが剥がれているところも珍しくなく、大小様々な石も転がっている。

 どうしても通行の邪魔になるものは早々に除けたものの、艦娘が増えるに連れて買い物も増えていることを鑑みれば、そろそろ本格的に道路整備も考えなくてはと思案はしていた。

 しかし今剣造にとって重要なのは植えた野菜であるため、考える段階で止まっているのが現状だった。

 

――茄子には先週追肥としたが、今日明日にでも胡瓜にも追肥しておくか。

 

 本とにらめっこをしながら鎮守府内に作った畑の状態を想像し、頷く。

 そもそも何故畑仕事など初めたかといえば、木曾が原因だ。

 木曾を外へ案内がてら連れ出した時に、家庭菜園でもするのかという発言に、それもありかと選択肢に入れたのが始まり。その後検討し、間宮に「お野菜ができたら頑張って調理しますね」等と言われ検討が決定へと変わり、実行へ移された。

 初めは畑の形にするだけで苦労をし、形ができあがるのには日をかけたものだが、まだ海軍が海自であった時の訓練生時代を思い出し、諦めずに鍬(くわ)を振るった。

 続けていると存外楽しくなり、誰にも言われないが、収穫を一番楽しみにしているのが自分だろうというのがわかる。

 何度も本を読んで確認しているのが既に自分らしくない。

 戦場ですらこれほどそわそわしたことなどないだろう。

 ――そうだ。戦場では落ち着きのないものから死んでいく。家庭菜園とはいえこれも一つの戦場。指揮官たる自分がどっしりと構えていなければ部下達(やさい)が育つはずもなし。

 剣造の中での落とし所を見つけ、本を閉じてから顔をあげる。

 机においてあった湯呑みを取り、一口煽る。

 中には緑茶が入っており、温くならないよう入れておいた氷は全て溶けていたが、まだ十分冷えているのが口内、食道、胃へと順に伝わっていく。

 一息吐き、腰掛けている黒い革の椅子に深く身を預けていると、ノックもなしにドアノブが音を立てて回された。

 

「提督いるか!」

 

 入ってきたのは菜園をやるきっかけとなった艦娘、木曾であった。

 片目を眼帯で隠し、開いている方の目をこちらへ向けてき、いることを確認すると、薄い絨毯の引かれた床を力強く踏みつけながら距離を詰めてくる。

 そして目の前まで来ると、机を思いっ切り叩きつけ、顔を乗り出してきた。

 

「なぁ提督お願いだ」

 

「願いは良いがまず俺はお前の上官だ。海軍式の作法までやれとは言わんがせめてノックくらいしろ。最低限の礼儀だ」

 

「わかった今度から気をつける」

 

 まるで伊勢のような、取り敢えず口にしているだけのような気もする物言いに少しばかり気を散らすも、木曾の剣幕も気になるため敢えて口にせず先を続けさせた。

 

「でだ。提督からも伊勢さんに言ってくれないか。正直こういうものはちゃんと自分から言うべきだと思うんだが、もうそう悠長に待ってられないっ」

 

「まずは主語を言え。でないと何もわからん」

 

 勢いだけで言葉を並べられたところでてんでわからず、まずは正確な情報を入手すべく、肝の部分を話すよう促す。

 

「何って誘導性艤装装甲だよ。あれの修行を伊勢さんに付いてくれるよう提督からも推してくれないか」

 

 そこまで言われ内容には得心がいった。

 今日午前中に伊勢から大破されたという報告は受けている。現在一四時前ということはドッグから直接ここへ乗り込んだということが伺える。

 そんな状態だからこそ、上官として、指揮官として言えることがあった。

 

「つまりお前の面倒を見るように言えば良いのだな?」

 

「ああ。頼む」

 

「残念だが断る」

 

「何故!」

 

 拒絶の言葉により一層顔の険が濃くなった。

 説明もないのだから当然といえば当然か、と声に出さずに一人納得した。

 そして切るどころか、抉るような言の葉を口にする。

 

「早い話が、伊勢がお前を認めていないからだ」

 

「――――っっっ」

 

 本人が一番わかっているであろう事実を、わざと投げかける。

 剣造の予測では木曾はこれで逆上するほど馬鹿ではないはずだからだ。むしろ他者に言われることで自分を客観視するタイプの人間なのだと思っている。

 そしてそれは的中したのか、歯を食いしばるようにして心のままに言いたいことを押しとどめているようにも見えた。

 

「伊勢に関しては俺にはどうしようもできん。無理にやらせることはできるが、あいつは自分が乗らないとかなり雑になるからな」

 

 普段から雑なくせにとは付け加えず、喉元から頭へと送り返す。必要な言葉はそれではないからだ。

 

「それよりも、だ。俺は電達にお前の面倒を見るよう伝えていたのだが、教えてもらっていないのか? 無論装甲を含めてだ」

 

 気になっていたのはこれだ。

 電はまだそれ程装甲を上手く扱えないそうだが、川内型軽巡洋艦二番艦、神通。それから特型二番艦、駆逐艦綾波。この二人は伊勢からもそれなりに扱えるという知らせは受けている。

 当然剣造自身も扱えている様は見せてもらったが、確かに砲弾を無傷のまま受け止めるという装甲を扱えていなければできない芸当をやってのけていた。

 同じ艦隊を組むのならコミュニケーションも含め、彼女らに任せたほうが士気向上にも繋がると思い計画したのだが……

 

「教えてはくれていたんだが、いまいち要領を得なくて」

 

「何故それを早く言わん」

 

「覚えられないオレが悪いと思って、何度も粘ったんだけど無理だったから」

 

 どうも失敗だったようだ。

 この件は木曾に否はない。

 あるのは大丈夫だと傲った指揮官である自分だ。

 

「そうだったのか。気付かなくてすまなかった。ちょっと待っていてくれ……通信妖精」

 

 何もない空間へ呼びかける。

 口にして一秒ほど間を開けた後、音もなく現れた。それも剣造の右肩に。

 妖精は一人一人小さく、艦娘や鎮守府に引かれるように出現する。担当する科目が個々で違うのか、複数の種類の存在を確認している。

 そして今肩口に乗っているのは背中に箱物を抱えた、その名の通り通信を行う妖精、通信妖精だ。

 ただ人間の扱う通信設備にはコンタクトが取れず、あくまで登録されている艦娘にのみ可能であった。

 

「明石に繋いでくれ」

 

 連絡先を伝えると、妖精は海軍式の腕を縦に構えるように敬礼をやってから、箱から伸びる筒状のものを耳に当てること数秒。目的の人物と繋がったのか耳に当てていた筒をこちらへと向けてきた。

 

「何提督。悪いけど車の修理はまだ時間がかかるよ」

 

 妖精の持つ筒からはスピーカーのように明石の声が漏れてくる。音に濁りはなく、まるで目の前で会話しているかのようにクリアであった。

 右耳に向けられてはいるが左の耳も同じ音量で聞こえてくる辺り、艦娘以上に謎の存在だなと改めて思うも、気にかけたところで何ができるわけでもないため、明石との会話に集中した。

 

「いや、車は後日で構わん。代わりに別件を頼みたい」

 

「別件?」

 

 確認するように問い返す明石に、目の前にいないが頷きながら応える。

 

「ああ。ちょっと木曾に誘導性艤装装甲を教えてやって欲しい」

 

「別に良いけれど綾波達に習うんじゃなかったの?」

 

「それは後で本人から直接聞いてくれ」

 

 ここで説明をしても良かったが、直接本人から聞いたほうが早いと思い、段取りを優先した。

 他にも予定があったのか、やや間を開けてから返答が帰ってきた。

 

「んーっと、じゃあ一四四〇(ひとよんよんまる)に作戦会議室に来るよう伝えといて」

 

「わかった。こちらから車の修理を頼んでおいてすまない」

 

「良いよ別に。その代わりに私達は色々嗜好品を融通してもらっているんだし」

 

 通信が切れたのだろう。妖精が持ち上げていた筒を箱の横に引っ掛け、再び敬礼をすると跳躍。音もなくその場から消え失せた。

 

「聞いていた通りだ。時間に遅れるなよ」

 

「ところで何で明石さんなんだ? あの人戦闘艦じゃないだろ」

 

 最もな意見に、率直に答える。

 

「簡単だ。伊勢から最初に学んだのが明石と間宮だからだ。そして電達に教えたのも主にあの二人だ。不服か?」

 

「全く! というかなんで今まで黙ってたんだよ――――っとこうはしちゃおれない。会議室に行かなきゃな。ありがとうよ提督」

 

 振り返る木曾にまだ時間はあるぞと止めようとするも、勢い良く扉を開け放ち、全速力で退室していった。

 遠くで木製の床を踏みつける音だけを残す彼女を睨むように半眼になりつつ呟く。

 

「扉くらい閉めていけ……」

 

 

  ==========

 

 

 臼杵鎮守府は現在二階構造となっている。

 現在というのは、その鎮守府で艦娘が増えるとその分勝手に増築が行われるためだ。

 木曾もその辺り詳しいことは知らないが、少なくとも鳳翔が建造された際に部屋が一つ増築されたのを見ているため、そういうものなのだと一つ納得した。

 そして今はというと、提督のいた執務室と同じ一階にある作戦会議室。提督がブリーフィングルームと呼んでいる室内の椅子に腰を下ろしていた。中には木製の長テーブルが六ツ二列並んで置かれており、一テーブル辺り二脚椅子が設置されている。

 椅子は背もたれがない安作りの椅子のため、あまり座り心地はよろしくない。が、元々長時間使用することがないことから木曾も他の艦娘からも特に不満の声は上がっていない。

 この部屋自体はこれまで何度も利用しているため、特に真新しい物は特にない。

 普段は訓練前や訓練後の陣形や行動の確認。作戦前ならば綿密な流れを話したりもするが、敵戦力はその時その時で変化するため数時間前の情報は当てにできない。故に発見した場合即海戦へと臨むことが大半である。

 

「お待たせ。ごめんなさい、ちょっと片付けに手間取っちゃった」

 

 謝罪を口にしながら片引き戸を開けて明石が入ってきた。

 

「オレが早く着すぎたせいだ。気にしなくていい」

 

 壁掛け時計は一四時三七分を指している。予定時刻は一四時四〇分のためまだ遅れてなどいないのだが、明石の人の良さを感じる。

 

「それで誘導性艤装装甲の使い方を教わりたいんだって?」

 

 右側の前列に木曾が腰掛けていたからか、中央挟んで左側に明石は腰を据える。

 腰まである髪をなびかせ、セーラー服の青いスカートから伸びる長い足を組む姿は大人っぽく、小柄である木曾は少しばかり羨ましく思った。

 

「ああ。他の人じゃちゃんと理解できなかったからできればわかりやすくなるよう頼む」

 

「わかりやすくねぇ。因みに綾波とかはどう教えてたの? あの子達はそれこそ私と間宮が面倒見て教えてあげたんだけど」

 

「どうって……」

 

 思わず口ごもる。

 これは彼女らの名誉のために言わないほうが良いのではと、若干の後ろめたさに襲われ、二の句が告げれないでいると、やはりと言うべきか明石から先を促される。

 

「どこからどうまで知ってるかの確認も含めてるから全部話しちゃって」

 

 僅かに逡巡し、半ば諦めるように頷いてから詰まった先を口にする。

 

「あーっと、綿あめのようなものだと」

 

 木曾が口にした瞬間、ハッキリとわかるくらいに眉を寄せ、怪訝そうな顔をされてしまった。

 

「体の周りに綿あめみたいなものがあって、それを動かして強弱を操作する。場合によっては千切ったりつなげたり――――」

 

「ごめんわかった。私が一から教えてあげるからもう無理して言わなくてもいいわ」

 

 木曾の中でもしかしたら明石もそう教えていたのではと不安があったものの、どうやら違うようでこめかみに手を置きながら、そうかあの子も感覚派だもんなぁなどとぼやいている。

 今のは綾波が教えてくれたときの言葉なのだが神通も似たようなもので、砲雷撃戦の練習時は理路整然としながらも苛烈な指導をしているだけにギャップが酷く余計についていけなかった。

 

「よし、それじゃあ気を取り直していこうか。まず基礎中の基礎。誘導性艤装装甲(インダクティブアーマー)。次から装甲(アーマー)って言うけど、これが常に私達の周辺を守っているのは知ってる?」

 

「そりゃあ艦娘なら誰でも知ってるだろ。被弾したりしたら衣服とかの艤装に誘導するんだから」

 

 当たり前のことを聞かれ、当たり前のように返す。

 だが、今はその当たり前が通用しない。いや、当たり前だと思っていたことが実は間違いであることを突きつけられる。

 

「残念だけど不正解。そもそもの話、誘導っていうのが間違いなの。それって人間が勝手につけた名称だし、私達も肉体が怪我しにくいからそう思っちゃうけど本質は違うの」

 

 一つタメを置き、明石が本当の力の正体を明かす。

 

「本来の力はね、反発なの。誘導ではなくて反発」

 

「反発?」

 

「そう。そうね、例えば今私が木曾に体当たりをしようとしたらどうする?」

 

 唐突に質問を投げかけられ、思考を巡らす。

 一瞬避けるなどと言いそうになったが、今自分が椅子に腰掛けていることを思い出し、それを前提で考えた。

 

「……突き飛ばす」

 

「だよね。それで今の私のところを砲弾に置き換えて、木曾が突き飛ばしたところを装甲に変えたら想像しやすいかな。装甲がどういうものかを」

 

 明石の言葉に木曾は自分の両の手を見ながら思考を張り巡らす。

 彼女が何を言わんとするのかを自分なりに噛み砕きながら、一つ結論が浮かび上がった。違うのではと思う気持ちは弱く、何故か確信に近い形で答えが固まった。

 それは、

 

「拒絶、か?」

 

「正っ解」

 

 自分にとって嫌なことを拒み、否定し、突き放すこと。

 

「そう、装甲の本質は反発であり、拒絶なの。肉体は勿論だけど艤装とかに被害がいっても重要なところって何故か壊れないでしょ? それを私達が本能的に嫌がっているからね」

 

 今までのが何だったのかというほど、木曾の中ですんなりと受け入れられていく。

 拒絶……拒絶……と内心で言葉を染み渡らせるように重ね、両手を開いては閉じを繰り返す。

 じわりと内側から何かが滲み出そうになる。

 最初は酷く小さなものが、両の手が閉じられるたびに鼓動を大きくするかのように一つ、また一つと溢れ、心の枷を壊してしまいそうだ。

 今この感覚を試さなければ、自分がおかしくなってしまうのではと思えるほどの高揚感が全身から吹き出る。

 気がつけば口角が釣り上がり、全身を血液が高速で回り始めたのか、建造されて初めて肉体的な熱さというものを感じ取った。

 

――はは、何だよこれ。伊勢さんの戦闘を見た時以上に熱くなってるよ。

 

 抑えが利かなくなり初め、しまいには武者震いまでもしだし、興奮は当分冷めそうにない。

 

「早速試してみる?」

 

「――――良いのか!?」

 

「ここで放っておいたら、あなた何するかわかったものじゃない顔、してるし」

 

 自分で思っている以上に表情は喜びと興奮を表していたようで、明石は苦笑いを浮かべていた。

 だが木曾としては願ってもみない誘いであるため、断る理由など毛ほどもなかった。

 

「それじゃあ外行きましょうか。来て直ぐで悪いんだけどここだとテーブル片付けないといけないし」

 

 部屋の広さ上、確かに動き回るのならば壁端までテーブルを寄せなければスペースの確保は難しく、席を立つ明石の後ろを追いかけるように木曾も腰を上げた。

 外に出ると日の強さが増しているが、艦娘のため気にすることもなく芝生の上を闊歩する。

 臼杵鎮守府は造船所後に造られているため、敷地は無駄に広い。

 縦一〇〇メートル、横五〇〇メートルもあり、鎮守府の建物自体は敷地の東よりにあるため、裏手が大きく開けている。

 上から見るならばマミヤや工廠が縦に並んで敷地の真東にあり、西に少し離れて鎮守府が存在し、次に倉庫、菜園と続いている。

 その菜園近くまで歩み、明石が屈伸を始めた。

 

「いや~本当にごめんね。電さん達に教えた時は五〇分ぐらいかかったからあそこに呼んじゃった」

 

「そんなになのか?」

 

「そんなになの。間宮と二人で教えてたんだけれど、結構苦労したわぁ」

 

 乾いた笑いを浮かべている顔は当時のことを思い出してか、妙に疲れている。

 それこそ木曾はものの数分で終わったため、想像はしにくいが、かなりの苦労を要したようだ。

 

「多分あなたとは相性良いんだと思うわ」

 

「相性?」

 

「そ。相性というか理屈タイプか感覚タイプかになるのかな。私も間宮も伊勢に習う時は……というか力を使ってる時の姿を見せてもらって私達なりに解釈したものをあなた達に説明してるから」

 

「いやちょっと待て。明石さん達は見ただけで覚えたのか!?」

 

 信じられない言葉に、屈伸でしゃがんだ状態からバネのように立ち上がった。

 自分は初陣の時だけとはいえ何一つ理解できず、同じように動こうとして再現など何一つできなかった。

 砲弾も一度わざと受けてただ被弾して神通にしこたま怒られただけで終わっている。

 それを見ただけで覚えたなど信じられなかった。

 

「見ただけっていうのは語弊があるけどね。反発は伊勢が教えてくれたことだし。それに何度も何度も見せてもらって、身をもって体験してやっとだったから」

 

「何度も……」

 

「当時はまだあの子もあそこまで忙しくなかったから結構教えてくれたのよ」

 

 教えてもらっていない自分へのフォローなのか、当時のことを交えながら語ってくれた。

 

「あの時はこの辺りだけを出撃してたから、伊勢が直ぐに終わらせちゃうのよ」

 

「ということは伊勢さんは最初っからああなのか?」

 

「あんな強さね。おまけにあの子最初っから航空戦艦の状態で建造されてるの。私達もあの時は知らなかったけれど改造状態で建造されるなんて事例、今のところどこにも聞かないし、存在がイレギュラーね」

 

 やや呆れた、それでいて頼もしそうに語られる姿に嬉しさと、ほんの少しの願望が交じる。いつか自分もそうなりたいと。

 

「さて、それじゃあ実技いきましょうか」

 

 軽い準備体操も終わり、明石と正面から向き合う。

 

「やることは簡単。さっきの拒絶を忘れずに、それでいて意識して私の手を殴ってみて」

 

「拳の先だけで良いのか?」

 

「うん。一点に集中できた方が後々使いやすくなるからね。で、先の話になるかもしれないけれど、慣れていったら私が動くからそれに合わせてちゃんと反応できるようにする。更に進めたら今度は防御。ここからが本番ね」

 

「防御が本番なのか?」

 

 伊勢の戦闘を見ていると攻撃と、恐らく移動にもその力を使用しているはずだが、等と疑問を持ってしまったが、次の一言で吹き飛ぶ。

 

「こと戦場において防御を疎かにしたら、死んじゃうよ」

 

 当然のことだった。

 艦娘は主戦場は海だ。故に障壁となるものなどどこにもない。回避するか被弾するかの二択だ。

 そして戦闘をするならば近接戦にしろ砲撃戦にしろ敵に近寄る。近寄れば被弾率は必然上昇する。

 浮かれているのは確かだが、基本中の基本を忘れるのは一戦場に立つものとして恥べき行為と自らを叱咤する。

 

「そうだった。ありがとう明石さん」

 

「気持ちはわかるから。あー後伊勢がやったと思うけど高速移動。あれ便宜上縮地って呼んでるんだけれども、縮地は高等技術だから当分先になると思っといて。戦闘中に使うなら尚更難易度跳ね上がるから」

 

 やはりそうなのかと、二つの意味で納得し頷く。

 まずは防御が完璧にできるよう目指すべきなのだと意気込み、両拳を顎先へと持ち上げる。所謂ファイティングポーズと言われる構えだ。

 明石もいつでも来いと言わんばかりに左手を胸の前に掲げ、受ける態勢をとった。

 彼女とて舐めているわけではなく、初心者にはそれで十分だと思っているからの行動なのだろうが、木曾としては早く両手を使わせてやるという思いのもと、拳を繰り出した。

 

「――――しっ」

 

 繰り出した左拳に拒絶を乗せる。

手ではなく、手の先に熱を感じ取りながら放ったジャブは、明石の手の平に触れる前で何かに衝突したかのように止まる。

 

「言い忘れてたけど、装甲は体ないし艤装から最大十センチ先まで展開できるから」

 

 確かに自分の腕が伸び切る前に止まっているのを見て、距離を調整し再度左拳を繰り出す。

 

「そうそうそんな感じ。初めてにしてはやるじゃん」

 

 まだ力を全て込めていないが、それでも軽くいなされると多少なりとも苛立ちを感じる辺り、自分が好戦的であることを再認識しながら連続でジャブを繰り出す。

 いい感じ等と言っている明石を驚かすために、左で執拗なまでに叩き込む。

 三分ほど続けたところでもう良いだろうと、最後に二発ジャブを放ってから右拳を強く握りしめ、右ストレートを開放した。

 一撃で明石の腕を吹き飛ばす思いで突き出した右拳は、明石の腕を弾く。どころかガッチリと掴まれ、ほくそ笑まれていた。

 

「甘いね木曾。残念だけれどバレバレ。右に気を取られすぎて左の装甲を緩めすぎ。そんなんじゃあ装甲を使えなくても何か来るってわかっちゃうよ」

 

 何も言い返せず奥歯を噛む。

 

「さ、続けようか。何事も反復反復」

 

 手を開放され、手首を回しておかしな感じがしないか確認しながら頷き、顎先へと拳を戻す。

 それから二時間はただひたすらに明石の左掌めがけて両拳を放ち続ける。

 幾ら外からの暑さに強い艦娘といえど一部の代謝は存在するため、汗はかく。

 額に浮かび上がった汗が目に入り、初めて木曾は自分がそれ程までに集中していたことに気付いた。

 

「結構時間も経っちゃったか。わりといい感じだし、精神的にも疲れてるだろうからこの辺で止めとこうか。明日近海の偵察、あるでしょ?」

 

 言われて疲労というものを自覚した。

 艦娘は艤装装着時、肉体的疲労は存在しない。だが精神的疲労はあるため限界はある。

 精神の回復には休息に食事と睡眠が必要不可欠だが、これほど欲求として捉えたのは艦娘になってから初めてであった。

 今までにない感覚に内心驚きつつも、ちょっとした達成感に浸る。

 

「そうだ。今日は防御の練習をしてなかった。最後に一回だけでもしとこうか。一度経験しておけばひょんな時に役に立つだろうし」

 

「防御の時はどうしたら良いんだ?」

 

「防御も攻撃も基本は一緒。衝撃を与える場所か受ける場所の違いなだけ。全体的に守っても良いのだけど、それだと装甲が薄くなっちゃうからね。特に軽巡である木曾は」

 

 最後の言葉に眉をひそめる。

 

「軽巡だと何か不都合があるのか」

 

「まぁ単純に装甲って艦のクラスで使える総量が違うっぽいのよ。戦艦程多く、駆逐艦ほど少ない。ただメリットとデメリットはあって、艤装さえ展開してたら装甲が使えなくなるなんてことはないんだけれど、装甲の総量が多い戦艦は再使用までに時間が掛かるの」

 

 それでも呼吸一回分くらいの間だけれどと、解説は続く。

 

「逆に駆逐艦は使用を止めた直後に再使用可能なの。軽巡ならそれより少し遅くらいかな? 綾波や神通を見ている限り恐らくだけど」

 

「つまり良いところ悪いところを自覚し、使いこなせれば伊勢さんのようになれるのか」

 

「可能性は大いにあるわ。戦い方は違ってくるでしょうけど」

 

 道のりはかなり長く険しいようだが、可能性が見えてきただけ十分だった。

 この一ヶ月奔走し、ただ憧れているだけで近づくことなど到底できなかったことを考えれば、大きな前進だった。

 

「それじゃあお腹に行くから気をつけてね」

 

「腕じゃ駄目なのか?」

 

「悪くはないけどもう散々殴ってある程度感覚は掴んだでしょ? 他のところでも使えなくちゃ意味ないからその練習も兼ねてね」

 

 確かに腕だけ使えたところでとっさの判断で受けられるとは限らない。そのことを考慮すれば必須とさえ言える。

 

「じゃあちょっと強めにやるから本当に気合い入れといて」

 

 二度目に忠告に意識を防御のみへとシフトする。

 今日散々殴って明石の力量が自分の遥上を行っているのは嫌というほど学んだ。そんな彼女が強めと言っているのだ。半端な状態ではそれこそ今朝の出来事を繰り返すこととなる。

 それだけは回避したいと両拳に力を込め、踏ん張るようにしてから腹部に意識を集中させる。

 こちらの準備ができたことを察したのだろう、明石は右手を脇腹横に構え、短く息を吐いてから突き上げるように拳を放つ。

 

「――――ぅおぐっ!」

 

 覚悟はしていた。

 警戒も。

 それでもこの威力は完全なる想定外であり、現状の限界でもあった。

 抉られるように腹部へ突き刺さった拳は、木曾の装甲を突き破り、まだ扱えきれていない分の装甲が逃したのだろう。衣服が裂け、千切れ飛ぶ。

 

「ご、ごめん。強くしすぎちゃった!?」

 

 今回は伊勢のときと違い吹き飛ばされはしなかったが、なまじ意識があるだけに腹部の痛みは今のほうが激しく感じる。

 慌てて膝をついている木曾の腹部を擦り、状態を聞いてくる明石に力なく笑いかけながら、この一ヶ月何度目かさえ忘れた自分の弱さを認識した。

 

「大丈夫? あ、そうだドッグに行こうドッグっ」

 

 受けた側より慌てている明石が、見た目年上なのに可愛いな、等と思っている自分がおかしく、小さく笑ってしまう。

 おかげで無駄な力が抜けたのか膝に力を込めると、思ったよりもすんなり立ち上がれた。

 腹部の痛みは収まる気配はないが。

 

「大丈夫だ。ドッグは自分で行くよ。今日はありがとう明石さん。勉強になった」

 

「そ、そう? なら良いんだけど。辛かったら無理しないでね?」

 

「無理だったら立てないさ」

 

 強がって笑い、腹部を押さえながらドッグへと向かう。

 結局最後まで心配そうに明石は着いてきたが邪険に扱うことはしない。むしろこれほど強い人がいることに感謝しながら、傷を治すためドッグにある青い液体の中へと沈んだ。

 意識が消える直前に、心の中でもう一度明石に礼を述べてから、自らの全てを木曾は手放した。

 

 

  ==========

 

 

 近海の偵察は沖合二〇〇〇〇〇メートル先まで行われる。ただ範囲は扇状に広がってはおらず、近くにどれだけ鎮守府があるかで変わってくる。

 二〇〇七年現在、日本が保有している鎮守府は一〇〇〇を超えているが、稼働している場所は七〇〇前後。非稼働の理由は単純に鎮守府を直接襲われたか、何らかの理由で提督が死去したため、施設のみ残っているからだ。

 同じような理由で臼杵鎮守府より東より。直線距離で約八キロ離れた地点にかつて在った泊ヶ内(とまりがうち))鎮守府は廃墟だけ残し無人の地域となっている。

 そこが一番近い別の鎮守府であったため、なくなったことにより警備範囲が拡大しているらしいが、泊ヶ内の話は木曾が建造される一年も前の話であるため、無い状態が当たり前の木曾としては半ば聞き流す程度の情報だった。

 問題は今、どれだけの範囲を偵察、防衛するかだ。

 現状北部は艦娘の数が増えつつあるため、警戒水準は低めとなっている。だが、南部の佐伯(さいき)市周辺は大分県の中で深海棲艦が特に多く集まる地点の一つであり、特別警戒海域。つまり周辺の鎮守府も偵察や防衛の補助を率先して行う海域となっている。

 面倒と思う反面、初陣の時から海戦の経験が積みやすいのを考えると、良いことでも在った。

 

「鳳翔ちゃん。何か見つかりました?」

 

 複縦陣で緩やかに波を切りながら低速で進んでいた先頭の電が、最後尾にいる鳳翔へ何度目かの確認をする。

 

「いえ、現在佐伯湾沖を飛行していますが、深海棲艦は今のところ見えないそうです」

 

 近海の偵察は日の間隔としては三日置きに行われており、今日もその日であった。

 必ず敵艦と遭遇するというわけではないが、常に鉢合うつもりで木曾は偵察任務を行ってはいるが、本日は少しばかり気持ちが萎えそうになっている。

 

「この雨ですからね。見落としもあるかもです。燃料に気を付けつつ、念入りに探してもらえますか?」

 

 電の指示に頷いてから鳳翔は顔に張り付く髪の毛を除け、艦載機に注意を向ける。

 木曾も鳳翔も建造されてから雨の日に出撃。どころか雨の日を経験したことがないことから、予想以上の視界の悪さに困惑していた。

 普段ならばパッと見で気付ける漂流物でさえ素通りしたり、逆に気付けても敵潜水艦なのではと一人警戒したりと勝手の違いに四苦八苦していた。

 唯一幸いのことは風は弱く、波もそれ程高くはないことだ。

 やっと梅雨らしい季節に普段ならば多少は喜んだであろうが、だが残念なことに今は任務中。喜びよりも不快指数の方が高くなっているのは否めない。

 

――装甲がもっと上手く使えたらずぶ濡れになることもないもんかな?

 

 上から下までぐっしょりと濡れている木曾は自らの身体を見下ろす。

 凡そ濡れていないところなど存在しない衣服に身体は、肉体的にはそうでもないが、精神的に重く感じられ、張り付く感覚は気持ちが悪かった。

 今直ぐにでも脱ぎ去りたい気持ちにはなるが、任務の最中であるため、堪えながら目の前の電の背中を追う。

 複縦陣は先頭の左に電、右に綾波と並び、真ん中に神通と木曾がいる。最後尾には鳳翔が一人いるというのが最近一番使われている陣形であった。

 今現在は津久見湾を航行中だが、敵影を捉えることは叶わず、全方位目配せしながら進んでいた。

 大分はリアス式海岸が多く、元々漁業が盛んに行われていたことから、防波堤のたぐいが幾つも存在している。かつて深海棲艦による襲撃によって半壊どころか全壊している場所も珍しくはないが、その影響で海中を根城としている深海棲艦がより隠れやすくなっているのがネックだ。

 深海棲艦側は洋上艦であっても平然と海中に潜れるため、目の前にいきなり現れることもあるそうだ。

 それによって壊滅した部隊も存在すると提督に言われているため、遠近どちらにも気をつけないといけない。

 潜水艦や一部の艦でない限り海中から直接攻撃してくることはないのが救いか。

 周辺警戒をしつつ海岸線に沿って航行していた木曾達は津久見(つくみ)湾を超え、佐伯湾へと侵入する。

 本日三度目の艦載機を鳳翔が飛ばし、折り返し地点である大入島(おおにゅうじま)へと先行。その後沖合へと飛行するよう指示を出していた。

 

「全艦定時報告」

 

 直後、電の掛け声により一〇分置きに行われる電への報告を順次告げた。

 

「綾波生存しています。敵艦はどこにも見当たりません」

 

「神通はここに。同じく敵艦は捕捉できていません」

 

「木曾だ。どこにも異常はない。敵影は依然見当たらない」

 

「こちら鳳翔、故障箇所はありません。未だ艦影見えず」

 

 六度目の報告に耳を傾けるも、各々同じ言葉を返すだけで代わり映えなどしない。

 雨天の訓練さえしていない木曾としては敵と鉢合わせない方が良いとさえ言えたのだが、それでも昨日の明石との経験を少しでも活かせれたらと思う気持ちはあった。

 

「深海棲艦、見つかりませんね」

 

 普段は一番口の開く頻度の多い綾波が、今日やっと定時報告以外で言葉を口にした。

 

「ですね。嫌な空気です。こういう妙に静かな海の時は決まって敵艦と巡り合うので油断はできませんが」

 

「なのです」

 

 精神的に感じる重みは雨の影響かと思ったが、言われて気が付く。確かに海から感じる気配は普段の静けさとは大きく差があった。

 普段が壁のない空間に生命を感じられる開放感ならば、今は周囲を囲まれ、生命が鳴りを潜めてしまうほどの重圧感で支配されている。

 雨に混じって汗が湧き出る。

 神通の言う通り今日は必ず会敵するだろう。

 そのことに興奮と恐れ、二つ緊張が木曾の中で生まれた。

 大入島を回り込んでいる最中にも拳を握り、気持ちの整理をしていると、背後から声が駆け抜ける。

 

「北北西、一三〇〇〇メートル先、敵艦補足! 緩やかではありますがこちらへ進行中です」

 

 敵を報せる鳳翔の声だった。

 部隊全体の空気が、先程まで六割程度で止まっていた緊張という名の風船は、一気に九割まで膨れ上がる。

 

「数、一三」

 

「艦種は」

 

 神通が素早く問うも、鳳翔は首を横に振るった。

 

「雨のため視界が悪く見えないそうです。一つわかったことは姫らしき艦種は存在しないことです。それ以上は全滅覚悟で接近するならばあるいは」

 

「では敵艦隊の動向を探りつつ、周辺に他敵部隊がいないか警戒させて下さい」

 

 電の指示に返事をしてから鳳翔は艦載機の妖精たちへ伝達していく。その前で木曾は改めて弾薬の備蓄と装填状態を確認した。

 

――砲弾装填、よし。魚雷装填、よし。機銃装填、よし。弾薬はまだ未使用だから問題ない。重油も大して減ってはいない。

 

 戦の準備がしっかりできていることを木曾が報告すると、遅れて全員の声が上がる。

 全ての報せを聞き届けてから電は徐々に速度を緩め、佐伯市と大入島に挟まれる地点で完全に停止した。

 そして今まで首だけを向けていたのを体ごと振り向き、全員の顔を順に見ていき、最後に鳳翔で止まった。

 

「艦隊の並びはどのようになっているかわかりますか」

 

「少々お待ちを…………輪形陣のようです」

 

「艦載機は」

 

「特に見られないそうです。発艦した様子もないと」

 

 そこまで言われてわかることは、まず敵艦隊に空母がいないであろうことだ。場数の少ない木曾でもそれくらいは予測がつく。

 ならば問題は敵の艦種だ。

 残念なことに初陣の時とは違い今は絶大な戦闘力を保有する伊勢がいない。そしてそれを再現できる者も。

 上位種である姫がいないのならば一番の脅威は戦艦となる。

 砲撃の威力が一番高く、昨日やっと装甲が使えるようになった木曾はまだ砲弾を拒絶できるかもわからないため、迂闊な行動はできそうにない。ましてや近接戦などそこまでの接近を許すほど深海棲艦とて馬鹿ではない。

 

――縮地ができたら苦労はないんだが、昨日今日でできるわけないよな。

 

 高等技術と言われたものを即座にモノにできるほど才能がないのは、本人が一番理解していた。

 しかしそれは木曾に限った話ではない。

 この艦隊内で縮地ができる者など一人とていない。

 故に装甲はあくまで防御に使われ、砲雷撃戦が主な戦い方となる。

 

――伊勢さんの戦い方を知ってると、砲雷を行うほうが可笑しく思えちまうな。

 

 内心ほくそ笑む。

 砲雷撃戦を行う姿こそ本来艦娘としては正しいと言えるのだが、伊勢とのあまりの違いに笑いが表面化しないよう心がけつつ小さく驚きもした。

 昨日までならば間違いなく悔しさが先行したであろう思考に、笑いがこみ上げたという事実に。

 それが今感じていた恐怖を拭うには十分な感情の動きだった。

 まるで木曾の覚悟が決まるのを待っていたかのように、思考に耽っていた電が号令を飛ばす。

 

「全艦複縦陣のまま進行。敵艦を捕捉直前に取り舵をしつつ円を描くように航行。視界に入ったら砲撃開始するのでいつでも撃てるように」

 

「「「「はい!」」」」

 

「鳳翔ちゃんは敵との距離が七〇〇〇メートルになったら爆撃機を飛ばして下さい。爆撃機が到着したら偵察機も全機降下。陽動兼艦種の識別をお願いします」

 

「わかりました。ご期待に添えるよう鋭意努力します」

 

「全艦抜錨っ」

 

 電の掛け声とともに、停止していた全艦娘が再び動き出す。

 大入島を迂回し、一直線に敵艦隊へ進行する。

 佐伯の鎮守府へ連絡など取りはしない。

 取ったところで普段から演習など行っていない別鎮守府が割り込んだところで、邪魔にしかならないからだ。

 そして自分達の提督へ連絡しないのは練度向上のため。

 常に通信県内で海戦があるとは限らないための提督による方策だ。

 無論頼るなとは言われていないため、いつでも通信を行って良いのだが、旗艦である電がしない以上誰もやる理由はなかった。

 空気感でわかるが不安がないわけではない。

 敵の艦種が正確にはわかっていないのだから当然だ。

 それでも士気は決して低くはない。

 各々がやるべきことを理解しているからだろう。

 

「距離七〇〇〇。爆撃機、発艦します」

 

 互いに距離を寄せていたからだろう。予想よりも早く鳳翔が弓を番えた。

 鈍色の空へと放たれた二つの矢は雨を切り裂きながら突き進み、空中で弾けるように別れるとプロペラの飛行機へと変化した。

 九九式爆撃機だ。

 全部で二六の艦載機は大空へと飛び立っていく。

 搭乗している妖精がこちらへ敬礼してきたのに目だけを合わせ、離れていく尾翼を追いかけるように進み続ける。

 それから爆撃敢行までに一分とかからなかった。

 多くの機銃に晒されたことから半分が落とされたそうだが、一隻撃沈。二隻中破の一隻小破の報せは、否応なしに心が沸き立つ。

 負けるものかと。

 更に偵察にも成功し、全艦種を特定できたそうだ。

 

「駆逐艦イ級六隻。軽巡洋艦ホ級三隻。重巡洋艦リ級二隻。戦艦タ級一隻。中央にいるのが戦艦だそうです」

 

 駆逐艦を一隻轟沈。中破に追いやったのは駆逐艦と重巡洋艦。小破は駆逐艦の報告に全体の士気が高揚しているのを肌にひしひしと感じる。

 最早雨の煩わしさなどどこにもない。

 北の空に任務を全うした艦載機が見えるのと同時に、敵艦らしき影が視界に映る。

 予め決めていた通りに敵艦隊を中央に置きながら左旋回を行いながら補足する。

 向こうもこちらの位置を把握しているようで、全速力で距離を詰めに来ているのがわかった。

 

「全艦砲撃準備ができた方から撃って下さい!」

 

 電の号令とともに鳳翔以外の艦娘の砲から火と轟音が漏れ出た。

 合わせるかのように敵艦の砲からも煙が上がり、遅れて音が届く。

 第一射目は互いに目測を見余り、あらぬ場所へ着水してしまった。

 間髪入れず第二、第三と次々に放ち距離を調整する。

 敵艦も三〇〇〇メートル付近から旋回を始め、急速に縮まった距離はじわりじわりと渦を描くように詰め寄る動きとなる。

 

「もう一度爆撃機を飛ばしますか?」

 

 生還し、矢に戻った艦載機を抱えながら鳳翔が指示を仰ぐが、電は待ったをかける。

 

「まだもう少し待って下さい。後五――――」

 

「一隻轟沈確認」

 

「四隻沈めたら再度お願いします」

 

 神通の一四センチ単装砲が見事軽巡洋艦に被弾。海中へと没するのを目にする。

 目まぐるしく、とまでは行かないものの、敵艦も照準が定まり始めたのか着水地点のズレが殆どなくなってきた。

 相対する距離も既に二〇〇〇メートルを切っており、一瞬目を離せばその間に被弾するかもしれない。それほど砲煙が見えてからの差はなかった。

 だがそれは敵艦にも言えることで、日頃の訓練の成果もあってか、木曾を含め全員が一隻ずつ沈めてみせた。

 

「魚雷命中です!」

 

 綾波の歓喜と反比例するかのように更に二隻、重巡洋艦と駆逐艦が海中へ没するのが確認できた。

 

「鳳翔ちゃんっ」

 

「皆さん、もう一度お願いします!」

 

 放たれた矢は再び艦載機へと姿を変え、全一二機は敵艦隊へと飛び立った。

 直後、遂に味方への被弾が確認された。

 

「神通さんっ」

 

 木曾の目の前で砲弾が炸裂するのを目にし、焦りから手が緩まる。

 

「――――大丈夫。皆さん砲撃で注意を反らして下さい!」

 

 しかし神通に被害は見られず、手の止まりかけていた自分を叱咤するように叫んだ。

 更に綾波に被弾するも、気にしすぎないよう歯を食いしばって堪え、砲撃を再開する。

 

「更に三隻撃ち――――いえ、敵戦艦健在です!」

 

 空への警戒が薄れたのか爆撃機はすんなりと機銃を掻い潜り、爆装を投下した。残っていた重巡洋艦に軽巡洋艦一隻を見事撃沈せしめた。

 だが、もう一隻爆撃が被弾したはずの戦艦は無傷のまま洋上に健在している。

 

「そんな馬鹿な」

 

「いえ、前に伊勢ちゃんが言ってました。中には装甲を自覚して使えるものがいると」

 

 今回始めて目にしましたが、などと電が呟く。

 

――敵も、使える?

 

 自分たちが特別と思っていたつもりはなかった。それでも木曾はショックを受けている自分に気付き、脳内に在った砲撃用のトリガーに指をかけたまま、静止してしまった。

 そのことにいち早く気付いたのは、

 

「木曾。まだ敵は健在ですよ!」

 

 日頃から鬼のように訓練を行っている、かつて第二次世界大戦時、華の二水戦の旗艦として活躍した神通だった。

 神通は背後にいる自分の砲撃音が止まっていることを叱るように、撃てる限り撃てと激励を飛ばしてきた。

 艦娘では先輩といえ、同じ軽巡洋艦が身体を張っているのに負けてはおれず、砲撃を再開する。

 更に駆逐艦を一隻沈め、残りは駆逐艦に軽巡洋艦。そして戦艦が各一隻ずつ残すのみだった。しかも軽巡洋艦は小破。駆逐艦に至っては中破の状態で航行もやや怪しかった。

 それでもまだ無傷の戦艦がいることに油断などできるはずもない。

 木曾達の止まることのない砲撃は、敵艦隊を蹂躙するかの如く降り注ぐ。

 緩やかに渦を描いていた両艦隊の距離は、遂に一〇〇〇メートルを切る。

 この距離まで来ると外すことの方が少なく、装甲を上手く扱える木曾達に分があった。

 それを知らしめるかのように残っていた駆逐艦を木曾の砲撃が、軽巡洋艦を神通の雷撃が命中し、戦艦を残して全て沈めてみせた。

 

「――――きゃぁっ」

 

 刹那、鳳翔の悲鳴が耳に届く。

 戦艦の主砲が着弾したのだろう、装甲である程度防げているようだが、着物の端々が千切れてしまっているのが横目に見える。

 こちらもお返しとばかりに打ち返し命中させるも、あまり効果はないようで、平然と撃ち返してきた。

 

「どうするんだよこれ」

 

 思わず木曾は愚痴をこぼす。

 接近さえできればまだ可能性はあるが、装甲による防御の練習はほぼやっていない。

 今日も神通が前で壁になっているからこそ砲撃に集中できたが、攻撃と防御を意識しながらの接近など無謀にも良いところだ。

 装甲の操作がこの中で一番上手いと言われている綾波でも難しいだろう。その証拠にこれまで飛び出したことなどないのだから。

 

「電さん。私に任せてもらっても良いですか」

 

「綾波ちゃん?」

 

 やったことはないが、それでも今までやらなかっただけで、今やるのならば話は別だ。とでも言うように綾波は電に許可を乞う。

 

「もしかしてアレをやるつもりですか」

 

――アレ?

 

 同じ艦隊として訓練を始めて一月。

 知らないことの方が少ないのではと木曾は思っていたが、どうもそれは自惚れであったようだ。

 綾波にはまだ隠し玉を持っているようで、振り返らず、言葉だけでやり取りを交わす。

 

「神通ちゃんも覚悟は」

 

「できています。それよりも電さん達の方が」

 

「大丈夫です。私より木曾ちゃんと鳳翔ちゃんの方が優秀ですから」

 

 砲撃を続けるだけで半ば放置されている木曾と鳳翔の名前が上がり、気が反れそうになるのを我慢する。

 

「では」

 

「はい。注意はこちらで引きつけます。お二人も気を付けて、なのです」

 

 置いてけぼりを食らう中方針が決まったようで、電が首だけを木曾達に向け、覚悟を決めた瞳を見せてくる。

 

「木曾ちゃん、鳳翔ちゃん。今から反転します。今から私達三名で単縦陣を組んで戦艦タ級の注意をこちらに向けます」

 

 詳しく説明をしなければ動けない。などと口にしたいが、電の目がそれを許さなかった。

 この時だけは私達を信じてほしいとでも言うかのような、力強い瞳を前に、木曾は頷いてみせた。

 

「何か手があるんだろ? ならその賭けに乗るよ」

 

「私も、皆さんを信じます」

 

 自分達の返事に満足が言ったのか、笑顔でありがとう、と残しカウントを開始する。カウント終了後、電が反転する軌跡をなぞるように木曾と鳳翔は続く。

 二手に分かれた直後は綾波達へ集中していた砲撃だが、散発的に返す二人よりも大量に放つ木曾達の方が鬱陶しく思われたのか、顔を歪めて打ち返してきた。

 加えて艦載機も飛び立ち、鳳翔がわざと目の前を飛翔させることで見事なまでに陽動は成功している。

 成功はしているが、それでも危険は変わりない。

 更に距離を詰めていた木曾達は既に七〇〇メートルの位置まで迫り、全速力の航行と砲弾による海面の揺れと被弾で、相手の照準を振れさせる意外生存する方法はなかった。既に一度被弾している鳳翔は特に危なく。耐えられても後一度が限界であることがわかるだけに、間髪など入れることなく温存していた雷撃も遠慮なく放ち続ける。

 幾つも被弾しているはずの戦艦は未だ健在。

 全てを防ぎ切るのは不可能なのかダメージが見て取れるも小破にさえまだ遠い。

 沈まない敵がこれほどまでに恐ろしいとは思いもせず、身震いしそうな心身に鞭を打つように砲雷を続ける。

 最早綾波と神通に気を掛ける余裕など存在しなかった。

 ただ早く終わらせるためにとがむしゃらに続ける最中、不意に背筋に寒気が走った。

 

――これ、はっ。

 

 考える暇さえない。

 気付いた時には海を蹴り、身を乗り出していた。

 電の前に。

 

「木曾ちゃん!」

 

 直後全身を揺さぶる砲撃の着弾と、それに負けないほどの電の叫びが耳に届く。

 心臓が激しく鼓動しているのが嫌というほど伝わってくる。

 目の前で咄嗟に交差していた両腕を慎重に、ゆっくりと見下ろし驚愕した。

 

「大丈夫ですか木曾ちゃんっ」

 

「――――問題ない。それより」

 

 衣服の一部が擦れただけで、傷一つない体。

 今まで成功したことのない装甲による防御。しかも戦艦の主砲に耐えられたことに驚き、思わず止まりそうになる足を叩く。

 自分の体など後回しだった。

 戦艦タ級は今の一撃で一隻撃沈できたと思っていたのだろう。

 直撃した木曾が平然と立っていることに目を見開き、慌てて第二射を続けようとするがもう遅かった。

 

「神通、今です!」

 

 綾波の掛け声とともに、まるでリレーのバトンでも受け取るように後ろへかざしていた綾波の右腕目掛け、神通が腰を据えて放つ。

 全力の拳を。

 一直線に距離を詰めていた二人は神通という発射台を使い、互いの装甲をぶつけ合い、綾波を打ち出した。

 縮地は高等技術のため難しい。

 ならば二つに分ければいいだけだ。

 口にすれば簡単だが二人の呼吸が合わなければ間違いなく破損は真逃れない所業。それを見事成功させ、本来ならばあり得ない速度で肉薄し、

 

「これで――――」

 

 綾波は突き出した右腕を戦艦の腹部へ叩き込む。も、防がれてしまった。

 戦艦が振り返ったことにより木曾からは横顔しか見えないが、奇襲を防げたことに小さく笑ったように見えた。一瞬だけ。

 だが、それも直後に硬直する。

 綾波の攻撃がまだ終わっていなかったために。

 

「――――っ終わりです!」

 

 左手に持ち替えておいた一二,七センチ連装砲を戦艦の胸部に密着させ、綾波は問答無用に撃ち放った。

 誘導性艤装装甲は体及び艤装から十センチ先までしか展開できない。

 逆を言えば十センチ先までならば例え砲弾であっても恩恵は受けられる。

 ゼロ距離ならば結果は推して知るべし。

 完全なる不意をついた装甲を乗せた砲撃に、戦艦タ級は防ぐことも艤装に反らし切ることもできずに砲弾は胸部に突き刺さり、背部に抜けきる瞬間炸裂。胸に風穴の空いたタ級は傷口を中心に亀裂が全身へと回り、最後には崩れながら液体となり海中へと消えていった。

 

「やーりまーしたー」

 

 一番厄介な戦艦を沈めた者とは思えない、海上を飛び跳ねつつ上げる緩い勝利宣言に、緊張に緊張を重ねていた木曾は思わず脱力し、膝をつく。

 

「だ、大丈夫ですか木曾ちゃん!」

 

 大丈夫と言う気力も失われ、手を振るって応える。

 緊張により火照っていた体を雨が冷ましてくれているのを感じ取りながら、無事勝利できたことに、木曾は安堵の息を漏らした。

 強くなるための道のりが、まだまだ長いと思い知りながら。

 それでも今だけは、勝利の余韻に浸ることを自分に許した。

 

 

  ==========

 

 

 伊勢は乱暴に座り込み、ポケットより紙巻煙草を取り出し、片手で揺すって幾つか飛び出たものの中の一つを咥えて引き抜く。

 風がやや強めに吹くことから、擦ったジッポライターの火が揺れないよう、体と左手で多いながら火が移るのを待つ。

 四秒ほどしてやっと燃え移った煙草を一つ吸い込み、大きく吐き出す。

 そこまで来てやっと心が落ち着けた気がし、鋭かった目つきも和らぎ、背中のものに身を預けた。

 現在伊勢がいるのは洋上。秋田県沖よりも日本海と言ってしまったほうが早い位置にいた。当然そのような場所に島や岩礁地帯などなく、ならば何に背中を預けているかというと、駆逐艦イ級だった。

 敵艦は動くこともなく、ただジッとしているのは別段手懐けたわけではない。

 証拠に頭部には深々と野太刀が突き刺さっており、今にも死にそうなだけである。

 これまで全ての深海棲艦を統計して数百万と屠ってきた伊勢はどうやったら的確に敵を殺せるかを理解している。どうやったらまだ死なないかも。

 この駆逐艦も後一センチ弱切り込めば死ぬことは承知した上で、休憩代わりに利用していた。

 誘導性艤装装甲を使いこなしている伊勢ならば、海上で寝転ぶことも可能なのだが、今日は座りたい気分のため、背もたれ代わりに利用させてもらっている。特別背もたれとして気持ちのよいものではないが無いよりはマシなため、一つの妥協として時折使っている。

 もう一度煙草を吹かし、仰け反るように駆逐艦に身を預けた。

 昨夜鎮守府を出る前は雲がかかっていたようで星も見えず、真っ暗な海上を移動したが、日付変わって昼前現在、視界の端に僅かに雨雲らしきものが見えるだけで、快晴と言って差し支えないほど晴れ渡っていた。

 戦闘中に雲がかかったりもしたが、上空の風も強いのか、気付けば何処かへ消えていっている。

 

――この辺りはもうこんなもんでいいのかね。

 

 揺れる波に身を任せながら、気の抜けた状態で紫煙を吹き出す。

 今日は急を要したため休息が満足に取れていない影響か、些かやる気がいつも以上に出なかった。戦闘自体は集中して行うため気の緩みなどないのだが、戦闘後帰るのが億劫に感じられるのは久方ぶりで、どうしようか悩んでいた。

 

――このまま北の幸でも食いに行くか?

 

 やる気を出す一環としてそんなことを思っていると、下から臓器を鷲掴みされたかのような寒気に襲われ、座った状態からバック宙返りをして距離を取る。離れ際に野太刀を抜き取るのを忘れずに。

 

――なんだ、何がいる。

 

 消え行く駆逐艦など目もくれず、神経を過敏にしながら目視でも確認しようと目配せするも、姿は見えず寒気だけは依然続いていた。

 寒気を感じるなど伊勢としては初体験だが気にかける余裕もなく、気配がどこから来ているのか特定を急いでいると、不意に背中が軽くなった。

 

――逃げられた?

 

 いや違うと即座に否定する。

 

「見逃されたのか」

 

 完全にそうだとは言えないが、伊勢はそのように捉えた。

 

「アタシが寒気するほどの敵か。姿は見れなかったけど剣造には耳に入れておかないといけないな」

 

 誰に言うでもない独り言を無意識に呟き、そこで口元に煙草がないことに気付く。

 周囲を見回すと、先程までいたであろう地点にゆらゆらと浮かぶ吸い殻を見つけ、そのまま放置しようかとも思ったが、依然剣造に物凄い剣幕で怒られたことを思い出し、ため息混じりに拾いに行く。

 携帯灰皿に仕舞ってから、一度気を取り直すため再度煙草に火をつけてから伊勢は帰路についた。

 ゆっくり帰ったことで一四時を二〇分ほど過ぎた頃、臼杵鎮守府へ帰投した。

 事の顛末を剣造に話すと、他の者には黙っていることと、今後同じ気配を感じたらそいつの処理を優先するようにと言われる。

 自分ですら危険だと思える相手に他の誰か。それこそ別の鎮守府で対応したところで艦娘の数が減るだけであるため、妥当な判断と軽く頷いて伊勢は執務室を後にした。

 精神疲労回復をするため、たまには甘いものでも食べようかと間宮のとこへ行こうと玄関口を開けたところで、雨の中電達が帰ってきたのが目に留まる。

 一部衣服が擦り切れ、鳳翔に至っては被弾したのが一目で分かるほど艤装が損傷していた。だが、全身ずぶ濡れの彼女らの顔に敗戦の色はなく、むしろ凱旋しているのだ言いたげに誇らしげな表情を浮かべていた。

 

「お疲れ」

 

「あ、伊勢ちゃんお疲れ様なのです。もうそちらは終わったんですね」

 

「当然。アタシを誰だと思ってるの?」

 

 普段ならば苦笑いを浮かべる物言いに、電が笑顔でそれもそうですね。などと言ってくるため、どうも調子が狂う。

 初の寒気といい今日は珍しいことが続く日のようだ。

 何故ならば、

 

「木曾」

 

「――――ぇ、ぁ、おっオレ……か?」

 

「アンタ以外に木曾がどこにいる。一週間後、オフだからいつものところに来な。相手してやるから」

 

 成長したとはいえ、自ら誘うなど熱でもあるのではないかと自分のことを疑うくらいにはおかしな日だった。

 木曾が何か頭を下げ礼を言ったような気もするが聞き流し、雨を装甲で弾きながら伊勢はマミヤへと向かった。

 甘いものなどいつ以来だろうと、何気なしに思い出しながら。

 

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