簡素な部屋だ。
それが今いる一室に通された伊勢の率直な感想だった。
部屋の広さは三畳程度。左右に長椅子と、その中央に同程度の長さのテーブルが一つある。
ただそれだけだった。
壁にも、壁際にも何も置かれておらず、むき出しのコンクリートが見えるだけ。
おまけに現在腰を下ろしている椅子の感触は、ただ平らに切っただけの木にも劣るのではと思えるほど。
はっきり言えば最悪だった。
おかげで頻りに足を組み換えながら、火のついていない煙草を口元で上下に揺らしてしまう。
「大分の海軍を纏める施設だってのに相変わらず寂れてるな」
ここは禁煙らしく、手持ち無沙汰も相まって隣の男へ声をかけた。
「そう言うな。反攻作戦が始まってまだ三年。どこの海軍施設もこんなものだ。お前たちが来る前だとこの程度じゃなかったからな」
隣の男、池上剣造は事も無げに言い切る。
対深海棲艦用拠点、大分海軍施設所属。旧名、第一三鎮守府。現行名、臼杵鎮守府を預かる男。そして自分を。深海棲艦用に地球によって創られた艦娘を纏める存在だ。
そんな提督殿のありがたいお言葉に、苦虫を潰す代わりに咥えていた煙草を噛んでしまい、フィルターが無いため煙草の中身が口内へと転げ落ちてきた。
「うわ最悪」
思わず渋面する。
煙草は好きだが葉を食べる趣味はないため、これは不快でしかなかった。
取り敢えず咥えていた煙草は携帯灰皿に捨て、唾でも吐きに行こうと立ち上がりかけたところで目の前に一枚の布が差し出される。
「もうじき来るだろうからこれに吐き出しておけ」
白い軍服と同じでシワ一つないそれはハンカチだった。
広げてみると白い生地の真ん中に錨のマークが入っている。
「自衛官時代の物だ」
剣造の趣味なのだろうかと一瞬思ったがどうやら支給品だったようだ。本人が良いと言っているのだからと遠慮なしに煙草の葉を吐き出してから返す。
「悪い」
「お前の面倒を見るのはいつものことだ」
これまた何でもないかのように言い放ち、伊勢の唾液がついたハンカチをポケットに仕舞った。
この裏表のない性格は今に始まったことではないため、一々突っかかる理由もなく流すことに。何より面倒をかけているのは自覚があるだけに尚更である。
「む、来たな」
剣造の言う通り、扉一つ挟んだ向こう側に一人気配を感じ取る。ここに用がある者など限られているため、まず間違いはないだろう。
呼吸でも整えるかのような間が空き、遅れてノックが二つ鳴らさせる。
「
少し開けられた扉から声がし、一人の男が入室してきた。
帽子を手に抱えたまま敬礼し、向かいの席へと移動し、もう一度敬礼してから腰を下ろした。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
「あー全くだ」
おべっかを使っただけの言葉に苛立ち本音を漏らす。
勿論不機嫌になる理由はそれ以外にもある。待たされたのは事実だが、何より伊勢はこの男が嫌いなのだ。
見た目はごく普通で、特別おかしなところはない。ただ目つきがジトッとしており、時折剣造に対して敵意のある目を向けるのが酷く気に入らない。
しかし今日は何が嬉しいのか、口角が僅かに動いている。
「伊勢。すまないな。うちのが」
「いえ、気にしておりません」
「チッ」
わざと聞こえるように舌打ちをし、ソファーの背もたれに肘を乗せてから首ごと回して視線をそらす。
この男は海軍省の所属。これまで臼杵鎮守府が行ってきたことから判定し、給料を支払う額を決める者だ。本来軍人の給料は前線に出たり離島勤務等、特別なことがない限り変わることがない。だが提督は例外だ。提督はその配下にある艦娘の数で基本給が決まり、戦果で更に加算されていく方式となっている。遠征が加われば尚更。
そして今日は月に一度、これまで送ったレポートを含めた報告をするため。そして、先日死んでしまった神通の正式な手続きをしに来たのだ。
「まずは臼杵鎮守府としての評価ですが、これは問題ありません。軍務もしっかり行っており、一昨日の大分防衛戦でも緊急ながら一番の戦果を上げております。これはどこも文句がないでしょう」
普通に聞くならば何も問題のない。仲間が褒めてもらえて悪い気はしないのだが、普段褒めることなど一切しないこの男に言われると、伊勢は無性に腹が立った。
ハッキリと断じるならば不愉快である。
何を思って今日はそのような態度でいるのか、理解してしまっただけに尚更。
「その際一隻艦を失ったのは手痛いですが、まぁ敵の数を鑑みればむしろ上等でしょう」
一隻。
そう。確かにこの男は神通のことを人としてではなく、一隻と片付けている。
正式な書類などではそのように扱われるのは慣れているし、誰にどう言われたところで何も気にしないが、この男にだけは。同じ鎮守府に所属していた者の死に対し、薄っすらと笑みを浮かべているようなやつに言われると怒りが溢れ出そうになる。
自然と鋭い目つきとともに怒気を放ったからか、日下部は引き攣った笑みを浮かべたまま冷や汗を流しており、剣造からは目で諭された。
正直なところ伊勢としてはこの男をこの場で殺しても何の問題も無いのだが、剣造に確実に面倒事がやってくるため、できるだけ冷静にいられるよう心がけた。
「そ、それから各艦の評価ですがこちらの資料を見ながらお聞き下さい」
紙束の端を紐で纏められた書類が剣造に渡される。
表紙には臼杵鎮守府戦術評価と書かれていた。
軽く目次が書かれていたが一瞥もくれずに次のページをめくる。
そこからは建造順に艦娘のデータが文章と表で記されていた。
「まずは駆逐艦電ですが――――」
毎月毎月評価議論をしたところで突然変わるでもなし、日下部は同じことをただ機械のように並べていく。
そう、誘導性艤装装甲を使いこなせるようになった電だが何も評価は変わらない。
何故ならば装甲の力を上が半信半疑で信じていないから。そして剣造曰く恐れているからというのが強いそうだ。もし全艦娘が使いこなせた時、自分達の存在を脅かすのではと思っているのだとか。
これ自体は剣造が知り合いから聞いたことであるため完全な確証はないが、日下部含めそれらしい反応は時折されることから、あながち間違いではないのだろう。
その結果装甲の力が発覚して数年経つものの、臼杵鎮守府でしか扱える者がいないまま今に至っている。
伊勢としてはくだらないと一蹴し、大本営にいる大淀へ直接伝えても良かったのだが、残念ながら剣造に止められているためまだ実行には移していない。報告するだけならば剣造自身でも簡単に行えるそうだが、何でもその後が色々面倒なことになることからやりたくてもやれないのが現状なのだとか。
「以上が今回の評価です。異論は有りますか?」
「いや。順当だ。では失礼する」
途中から完全に意識の外へ追いやっていたからか、いつの間にか日下部の発表会が終了しており、剣造が立とうとしていた。それに合わせて伊勢も重量の都合で床に置いていた刀に手をかけ、いざ立ち上がろうとすると声がかかる。
他でもない日下部誠だ。
「それにしても、また貴方の部隊から死者が出ましたね。あぁ、この場合は一つ兵器を駄目にしたと言うべきでしたか」
明らかな侮蔑を込めた言い方に、伊勢は目が鋭くなる。
「何が言いたいんだ」
「おや知りませんでしたか? 少将がかつてどのように呼ばれていたか」
聞いてもいないことを次々と、まるで酔っぱらいのように舌が回り始める。
「池上剣造少将はまだ四式擬装艦。つまり艦娘が出現する前から。それこそこの戦の始まりからずっと戦場にいましたが生き残ってきました」
この意味がわかりますか?
と言いたげにわざと間を開けてくる。それが尚更伊勢の気分を害すると知ってか知らずか。
「少将は当時はまだ一尉。今で言う大尉ですね。部下もそれないりにいて、真面目だったことから上官にも気に入られていましたよ。それはもう。でも少将のいた部隊は少将を残して壊滅。まぁ海上自衛隊そのものが全滅したのでそれは致し方ないでしょう。ですが警備隊として再編成されてからは更に悲惨なものです。何度部隊編成されました?」
「陸戦隊のも含めれば五十四回だ」
「おや、覚えておいででしたか」
即答した剣造に対し、おどけるように言う日下部は反吐が出そうなくらい最低の笑みを浮かべていた。
自然と右手に握った刀に力がこもる。
余程興に乗っているのだろう。怒気が、触れたものを全て切り裂く刃のような殺気へと変化していった伊勢に気付くこと無く、弁舌が続く。
「まぁ中には戦闘もなく再編されたものもありましたが、その大半は戦闘により多くの仲間が死んだ。そう。少将と同じ部隊に配属された者の九割以上が死んでしまっているんですよ。その結果呼ばれたのが死にが――――」
日下部が言い終えるより前に伊勢は動いた。
手前にあったテーブルを蹴り上げてどかし、左手で刀の柄を握りしめた。蹴り上げた足をそのまま前に踏み込み、鞘は装甲を使って弾き飛ばして刀を抜き身へと変えた。
後は斬るだけ。
横薙ぎに首を狙った斬撃は日下部の首を、
「なんで止める」
刎ねずに終わった。
もしそのまま振り切っていたら割り込んだ剣造の腕に当たってしまうからだ。
艦娘にとって提督とは一番に守るべき存在。それを傷付ける行為など例え伊勢であっても憚れる。
「これでも数少ない同期でな」
「こんなに馬鹿にされているのにか?」
「それでも、だ」
「チッ。わかったよ」
「…………ぁ? …………ぇ?」
自分に何が起こったのか理解していないのだろう。日下部は放心していた。
「このことは上に報告してもらって構わない。悪いが事後処理を頼む。伊勢。行くぞ」
出ていく剣造の後ろを追いかけるように納刀してから伊勢は背を向けた。が、思い出したかのように足を止めて未だ何が起きたのか理解していない日下部に目を向ける。
「あぁ、ついでだから二つ教えてやる。一つ。あいつを妬んだところで評価は変わらない。時代があいつを欲している以上絶対な。そして二つ。剣造が生き残ったのは実力だ。アタシの行動に反応できる人間なんてそうはいない。基本的な実力もそうだが、一番は死線をくぐり抜けた奴との絶対的な差だ」
出ていこうと正面に向き直ったが、もう一つ言いたいことを思い出し、背を向けたまま告げる。
「ここからはサービスだ。お前の言う四式擬装艦の前で提督を馬鹿にしないことだ。この先も生きていたければ」
それ以上は用がないため、今度こそその場から離れていった。
廊下に出ると剣造が他の軍人に何か話しかけられているが、馬鹿正直に話しているのだろう。軍人がこちらを見てから苦笑を浮かべ、敬礼してから先程まで伊勢達のいた室内へと入っていった。
「悪いな」
「気にする必要はない」
「それでもアタシがするんだ」
「お前がか?」
意外なことを言った覚えはないが、剣造は怪訝そうにこちらの顔を覗き込んでくる。剣造にしてはかなり珍しい行為で、思わずどもってしまう。
「そ、そりゃあまぁ。世話になっているのは変わらないんだし。それに給金に響かれちゃアタシ達も困るし良いことなんて無いじゃん」
「心配するな。お前達に迷惑がかからないようちゃんと貯蓄はしてある。多少響いたところで問題はない。とは言ってもその金もお前達が稼いだものか……」
急に足を止め、悩むこと数秒。
「出たとこ勝負するしかないか」
「はぁ~。戦術だと絡めてやったりする癖にこの手のは馬鹿正直とかバランス悪いったらありゃしない」
「そんなにか?」
「そんなにだ。まぁアタシらはそんなに気にしないから、とっととやること済ませて帰りたいんだけど」
そうだなと一つ頷き、歩を進めた。
剣造の歩調に合わせて伊勢は隣を歩く。
目指すところは経理部だ。
一番面倒なイベントが終わったため、歩調は軽い。一つ残念なことを上げるならば経理部のある建物が一つ隣であるため、少々歩かなくてはならない点か。
ぼやく代わりに煙草でも吸おうと手を伸ばしたが止める。現在いる大分海軍施設は元々大分自衛隊
特にこの海軍施設は市民からの報告や不満の受け皿になっていることから、もしもを考えて厳しく取り締まられている。
「そう長くはならん」
「わかってる。癖だ癖」
見ずに音で察したのだろう、諭してくるがぶっきらぼうに返す。
当初いた建屋を出てから一分ほど歩くと、最終目的地である経理部のいるとこへたどり着く。他と代わり映えのしないコンクリート壁の中へ入り、一番手前の扉をくぐる。
「すまないがこちらの処理を頼む」
カウンター越しに近くにいた経理部の者へ剣造が話しかけると、慌てて立ち上がった。
「あ、池上提督! えっと、失礼しました。こちらですね、しょっ少々お待ち下さい」
声を上げた女性は遅れて敬礼をしてから、差し出された臼杵鎮守府戦術評価の最後のページと巾着を持って奥へと消えていく。
待つこと数分。女性はお盆を手に戻ってきた。銀色の上には最初に差し出した書類と厚みの増した巾着。そして見かけない黒い長方形の物体が乗っていた。
「金額をお確かめ下さい」
「いや、信頼しているものがやっているのだ。その必要はない」
厚さに似合う重量の巾着を伊勢が受け取り、書類は剣造が手にする。最後に残されるは長方形の物体である。
女性はもじもじとながらも剣造とその物体とを視線が往復しており、非常に気になった。
「何なんだこれ?」
助け舟ではないが、自分の欲求のためにも伊勢が口にすると、待ってましたと言わんばかりに女性の顔が華やぐ。
「ええ、そちらは最近作られました携帯電話でして、スマートフォンと言うんです」
「へぇ~最近はこんなのがあるんだな」
液晶画面と番号が付いているようなタイプならば伊勢も何度か見たことがあったが、ボタンらしいボタンが殆どついていない、画面だけの携帯電話は初めてであった。深海棲艦との争いが始まってからこの手の産業はどうしても遅れてしまい、軍事産業ばかりが発展するのが常なのだが、どうやら違うらしい。
「電波が今まで不安定で、距離があるとどうしても携帯電話が使えない提督が多かったのですが、補強された電波ですと現状の基地局からでも届かせることができるそうです。その代わり受信端末も専用のものに変えないといけないため、必要な立地にいる提督には軍から無償で渡すよう言われています」
前言撤回。
やはり今も昔も軍に関わることが優先されているようだ。
ただ通信機が補強されるのは日常生活でも有益であることは伊勢もわかっているため、敢えて口には出さなかった。
「い、今まで池上提督は携帯電話が使えない区域にいらっしゃいましたが、こちらをお使いになりませんか? よ、宜しければ私のば――――」
「折角の厚意だがすまない。現状
「そう、です、か……差し出がましいことを申し訳ありません……」
あからさまに落ち込む様に、思わず伊勢の顔が引きつる。
「おい剣造」
「いえ良いんです伊勢さん」
「でもさぁ」
「池上提督が不要とおっしゃっていますから……」
目元に薄っすら涙を溜めているさまは、些か居心地が悪かった。
一人怪訝そうに何を話しているのか理解していない者へ蹴りを入れたい気分になるが、ここはぐっと堪えることに。
――教育目的だからやれないことはないんだけど、この人が嫌がるだろうしなぁ。
軍関係の者に余り好意的に思っていない伊勢だが、目の前の女性にだけは不思議と気遣いをしてしまう。
すごすごと携帯電話が乗ったお盆を下げる女性に多少の申し訳無さを覚えつつも、今日一番の目的を忘れないために話を切り出した。
「ところで例の件だけど」
「例の、とは
「ああ。先日伊勢達が初めて見た個体のことだ」
「それでしたら――――」
それはある種、想定通りの言葉が述べられた。
「見かけた部隊は存在しない、か」
「そうりゃあそうだろう。あれだけ異様な新姫だし他で見つかっていたら大騒ぎになってたろうさ」
「実物を見てない側としては何とも言えんな」
新姫。姫クラスで新しく見つかった個体に言われる呼称だが、先日神通を殺した深海棲艦は間違いなく姫クラスの存在であり、取り分け異常な存在でもあった。明石の言葉を信じるならば、その新姫は港湾棲姫の中から表れ、そして港湾棲姫を吸収したそうだ。
「にわかにも信じ難い」
「だけど確かにアタシが見たのは港湾棲姫と同じ腕をした別個体だったけど? しかも頭部周辺は離島棲姫のもので気味悪いったらありゃしない」
「殊更に、だな」
自分の発言かこちらの発言への反応かわからない言葉を漏らしながら剣造は煙草に火をつけた。既に吸っていた伊勢は流れ行く景色に向けて紫煙を吐き出す。
海軍施設でやるべきことを終えた二人は現在帰投している最中だった。
剣造が走らせているジープは山の中を走っていることから深海棲艦に襲われる心配も無く、近くに住んでいるであろう民間人と時折すれ違いながら進んでいく。
「一番危惧していることは、お前ですら取り逃がしてしまうほどの相手だということだな」
「悪かったな」
「責めている訳ではない。お前が一回で仕留められなかった敵だ。世界中に報せるべきことだがまず間違いなく途中でもみ消されるだろう。どう手を打ったものか」
剣造はため息代わりと言いたげに煙を吐き出し、思案する。
「それこそ大淀に伝えたらどうだ?」
「恐らく意味はないだろう。日下部も俺を毛嫌いはしているが馬鹿じゃない。通すべき情報は上げるだろうが、問題は提督側だ。提督の中には元民間人もいる。下手に情報を流せば恐らく出撃させなくなるような者も出てくるだろう。戦場を知らない民間人の耳に入れば更に騒ぎが大きくなる。そうさせないためにもある程度噂が広まるまでは情報を隠す。軍とはそういうものだ」
「融通が利かないのは今も昔も本当に変わらないねぇ」
剣造は眉を寄せつつ、否定できないなと漏らした。
できないことを議論する気はサラサラない伊勢は座席に体を預け、煙を肺へと送り込む。チリチリの先が燃える音が心地良く、耳を傾けていると剣造が切り出してきた。
「実際のところはどうだ」
「何が?」
「新姫は倒せそうなのか」
そのことかと伊勢は肺に溜め込んだものを風に流し、短くなった煙草を灰皿に捨て、新しく火をつけた。もう一度煙を深く吸い込み、車外へ追い出すように強く吐き出す。
「アタシが駄目なら人類は終わりだね」
「ああ。だから次に会ったら」
「仕留めるさ。必ず」
二人同時に外へ紫煙を吐き出す。
伊勢としては今まで通り何も変わらない。与えられた任務をこなし、そして鉢合えば沈めるだけ。
むしろ気がかりなのは他にあった。
「あいつらは大人しくしてるかね」
「明石と間宮に頼んであるが、実際のところどうだろうな」
「木曾とか今にも飛び出しそうだったからドッグにぶち込んでおいたけど、そろそろ修復も終わる頃か」
神通の死は間違いなく臼杵鎮守府の面々に傷をつけた。
消えない心の傷を。
それに慣れるまでどれだけかかるかは伊勢にもわからない。ただ乗り越えることは確定している。自分達が艦娘であるが故に、必ず。
そのため乗り越えるまでの間明石と間宮だけでは手が足りない可能性もあるため。おまけとばかりに剣造からも指示が出ていることから、伊勢も多少は相手をしてやらなければならない。
酒と煙草と肴以外でヤキモキするようなことが最近増えたことにため息をこぼしつつ、どう教育してやろうかとなぁなぁながらも考える伊勢であった。
特に何かを考えるでもなく、紫煙を揺らしながらただひたすらに伊勢は拳を放ち続ける。
教わったのは一年以上前だろうか。明石や間宮に装甲の修行を付ける際、加減が苦手だった伊勢の拘束用にと剣造から教わったのがボクシングスタイルだった。普段戦場では構えらしい構えを取らない伊勢としては、意識しながら何かをするということは思いの外難しく、予想以上の効果があった。
そのおかげか、最近はファイティングポーズを取れば自然と加減ができるようになっている。
――肩肘張ってやるとか性に合わないから当たり前か。
煙草を咥えたまま口の端から煙を吐き出し、ジャブを繰り出す。
「ほらほら、もう疲れたか」
「まだ、まだっ」
日差しは明るく、今直ぐにでも近くにあるハンモックに寝そべるならば即座に夢の中へ行けそうな陽気の下、最近日課となり始めている行為を続ける。
眼の前にいる木曾は歯を食いしばりながらジャブを弾き、時には回避してとを繰り返しながら懸命に耐え続けていた。
五ヶ月前ならば考えられなかったが、今現在は伊勢の拳をしっかり見て判断できるまでには成長を見せていた。初めこそは面倒臭さが勝っていた訓練だが、最近では割と楽しんでいることを自覚している。
明石や間宮の時は完全に暇つぶしの方が強かったが、どうやら木曾だと違うらしい。
何がどう差があるのかは伊勢自身もわからないが、楽しめるならそれに越したことはないと、拳をマシンガンよろしくとばかりに突き出す。
訓練を始めて三〇分くらい経った頃だろうか、木曾の精神的疲労が目に見えてわかる程になったことからフィニッシュへと入ることに。
気配で気付いたのか、疲労の濃かった片目には再び強い意志がこもっていた。
上等とばかりに伊勢は右ストレートを放つ。
初めての訓練の時はこれで両腕完全骨折まで行き、おまけとばかりに鼻骨まで折れていた。が、今は違った。
しっかりと装甲によって受け流していた。
少し前から確実にいなせるまでに木曾が成長していたからだ。
故に伊勢はその先を用意するようになった。
木曾もそのことがわかっているからだろう。まばたきすることなく、次を待っていた。
その期待に応えんばかりに右腕を引っ込めつつ、右足を振り上げる。
高速で放ったハイキックは弧を描き、木曾の側頭部を捉える。直前で木曾の腕によって阻まれるが、そんなことはお構いなしに伊勢は右足を振り抜いた。
「がぁっ」
何とか耐えようとした木曾だが威力を殺しきれず、鎮守府に激突してしまった。
「一瞬の判断がまだ遅いぞ~」
「いつっ……すまない」
途中吸い終えてなくなった煙草を新しく取り出し火をつけてから、まだ鎮守府に背を預けている木曾へ手を伸ばす。
「まぁでも、最近の中じゃ及第点かね」
木曾が掴むのを待って、一気に立ち上がらせる。
上から下までザッと見るが帽子も落ちることはなく、白いセーラー服も一部欠損している程度。肉体的には多少の打撲はあるようだが、小破になるかどうかといったところだった。
「でもまだまだだよ。だって伊勢さん。あんた加減が苦手とか言いながらキッチリ手加減しているだろ?」
「そりゃあしてないと木曾死んでるし」
「だよ、な……」
自分の未熟さに憂いているのか、先ほどまであった意志を感じさせる目には心の傷が見え隠れしていた。
木曾は間違いなく成長はしている。だが本人はもどかしいのだろう。
現在海上で戦闘訓練として装甲を活用した模擬戦をしている電と明石を、眩しそうに見つめていた。縮地を使い遠近を行き来しぶつかり合う様は、伊勢としてはまだ未熟ながらも十分な戦力になれるほどである。
残念ながら木曾にはまだあの域に達するにはまだ遠く、いつ届くかは伊勢にもわからない。
故に慰めなどかけるつもりはなく、折角加減していることに気付いたのだから、その報奨代わりではないが、ちょっとした座学をしてあげることにした。
「ところで木曾。あんたeliteと会ったことあるかい」
「エリート? それなら提督がそうなんだから会ったことはあるだろ」
「あーそうじゃなくて深海棲艦のeliteのこと」
「言われてみればまだないな。Flagshipも」
それは好都合とばかりに伊勢は先を続ける。
「実物を見たらわかることだけどeliteなら赤い、flagshipなら黄色のオーラみたいなのがある。その辺は資料に載っていたと思うけど」
タバコを吹かすついでに間を開けると、木曾が頷いていた。
「で、あいつらって通常の奴らより全体的に性能が上がってるんだけど、厄介なことが幾つかある。砲弾の威力が上がっているのもそうだけど、砲弾の弾速も上昇している」
「らしいな。弾速の上昇値は個体差があるけど、平均で1,3倍だとか」
「なんだ知ってたのか」
「資料に載ってるからな」
――へぇそんなところまで載っているのか。
深海棲艦の資料が各鎮守府にあることは知っているが、それを伊勢は見たことがなく、細かいところまで記されていることにやや感心する。が、自分から話を振っただけに知っている情報だけ口にしたままでは癪に障るため、ならばと情報を追加した。
「ならelite、flagshipと段階を踏む毎に装甲を使いこなせる個体が増えることは?」
「……初耳なんだがそれ」
「やっぱりか。まぁ所詮お役所で作られたやつだしその辺省かれたんだろうけど、これは事実だ」
これまで何十度となく戦ってきたからこそわかるが、flagshipともなれば殆どの個体が装甲を使った戦いというものをしてくる。それは肉弾戦をしてくるというわけではなく、装甲を使っての攻撃のいなし方というのを理解して扱うのだ。
そのため砲弾の直撃を受けることがグッと減っている。
伊勢も近接戦だけでなく砲撃も行うことがあるだけに、遠距離で倒せない敵というものは面倒臭いこと甚だしい。集団戦が基本なだけに尚更。
「そんな重要なことな何で書かないんだ」
「いや多分書いてるんじゃないか? 誘導性艤装装甲自体は元々人間が戦っていた時からあるんだし」
「もしかして装甲強度の方に……」
資料の内容を思い出しているのだろう。思考に合わせて動いた瞳に何かが映っている印象はなく、歯噛みすると同時に目の色が変わった。
「くそ、なんだってそんな馬鹿らしいことをっ」
「同感。ただ悪い話だけじゃつまらないし面白い話を一つ」
自分で言っておきながら胸糞の悪い方へ行きそうになったため、紫煙とともに空気へ溶かし、新しい煙を作り出す。
「深海棲艦は幾つか段階があるけど、艦娘にも違いがある」
「ああ。戦闘経験積むと急に成長するタイミングがあるやつか」
「それもだけど、深海棲艦と同じで艦娘も成長に合わせて弾速とか上がるってやつ」
「は? え? 上がる、のか?」
「なんだ知らなかったのか。アタシ達は第二次世界大戦時の艦艇を基にできてるけど成長だってある。それは経験とかだけじゃなくて純粋に装備にも影響するっぽいんだよ」
「するっぽいって一気に胡散臭くなったな……」
怒っていたかと思えば目を輝かせ、更にはジト目に変わり、ハッキリ見せてくる喜怒哀楽にほくそ笑む。
「だけど深海棲艦にも差があるんだしあってもおかしくはないだろ?」
艦娘は人間と深海棲艦の中間のような存在。完全な異形としているわけではないが、それでも人間としての個はまだ持てていない。艤装を全て取っ払えば確かに人間と同じ状態にはなるが、いつでも艤装展開できることを考えたら一時的なものと割り切るのが妥当だろう。
そのことを理解しているからか、木曾はそれもそうかと頷き納得していた。
「今特定の鎮守府で実験を行ってるらしいから、その内正式な資料ができあがるかもしれないな」
話したいことも話したため、伊勢は欠伸を一つしながら特等席であるハンモックへと向かう。
折角の休日を一日中訓練に使うことだけはしたくないため、惰眠の世界へと足を踏み込む。
ただ寝入る前に思い出したことがあり煙草の火を消しながら、口元に手を当て一人考え事をしている木曾に視線を投げる。
「そろそろあんたにも移動用としての縮地なら教えても良いだろうから、後でアタシから剣造に言っとくわ」
「本当か!?」
これが一番のサプライズだったのか食い入るような目で見てくるが、残念ながらもう睡眠モードに入った伊勢としてはこれ以上相手にする気は無く、
「ああ。という訳でおやすみぃ」
揺れるハンモックと同じように意識もゆらゆらと曖昧になっていき、潮風に攫われるように意識は夢という名の大海原へと溶けていった。
「大分冷えるな」
剣造は軍手を外し、冷えた手に息を当てる。
艦娘達は戦闘に支障を出さないためか常に適温に保たれているが、普通の人である剣造にはそのような便利な機能は存在しない。十一月の後半ともなれば九州であっても嫌でも気温は低くなり、日中でやっと十度を越える程度。潮風が吹き抜ける鎮守府であれば体感温度は更に低いものとなる。
海上自衛隊の時からこの手のものには慣れているが、あくまで慣れているだけであって問題がないわけではない。
早くストーブに当たりたい気持ちにはなるが、まだ土の手入れが終わっていないため作業は継続する。
夏野菜は一部駄目にしたが、今回はかなりよい感じに育っているため妥協はできない。先日収穫したほうれん草は高評価だったのも後を押し、一度気合を入れて黙々と作業に移る。
もう時期収穫できるのは小松菜とじゃが芋。炒め物や煮物、鍋にも使えることから間宮にも期待されており、余計に失敗はできない。
「提督、お疲れ様です」
余程集中していたのか、顔を上げると間宮が笑顔をこちらに向けていた。
「宜しければこちらをお使いになられますか?」
差し出されたものは一見タオルに見えるが、湯気が立っている辺り蒸しているのだろう。せっかくの厚意を無下にするわけにもいかず、一旦作業を取りやめ軍手を外し受け取った。
「すまないな」
「いえいえ。このような寒空の下ですから……やはり私がやったほうが良いでは?」
「いや。何から何までお前達に頼っていては俺も気が引ける。このくらいはさせてくれ」
蒸しタオルを顔に当て、じんわりと温もりを浸透させてから拭き、手も同じ要領で温める。悴んで収縮していた血管が開いていくことから、多少痒みを感じるが無視してタオルを間宮に返す。
「はい。こちらはお茶です。少し熱いかもしれないので気を付けて下さい」
「重ね重ねすまないな。助かる」
水筒の蓋に入れられたお茶を右手で受け取り一口含む。
確かに冷え切った体には少々熱かったが、慣れて来た頃には丁度良い温度となっており、一気に煽る。
「もう少しで収穫できそうですね」
「うむ。かなり順調に育っているな」
二杯目を注いでもらい、飲みながら菜園を眺める。
菜園の広さは約六十平方メートル。多少住み分けをしていることからそれ程広いものではないが、今年始めたばかりと考えればこんなものだろう。
識別用に簡単な看板を立てていることから、何処に何があるのかはひと目で分かるようにしてある。潮風で育たないのではと心配していたが杞憂に終わり、現在はすくすくと成長を見せており、満足のいく状態である。
――神通にも食べさせてやりたかったな……。
五ヶ月前に失った存在を思い出し、自然と視線が落ちる。
これまで幾人もの仲間を亡くした。上官も部下も皆等しく死んでいった。それは決して慣れることはなく、つい今し方まで隣で笑っていた者の顔が吹き飛ぶ様も、涙で濡れた顔のまま胴が引き裂かれる者も、まだ脳裏に焼き付くように残っている。
そして神通の最後の言葉もまだ簡単に脳内で再生できるほど強く刻まれていた。
割り切れたならば楽だろうに、こうして全て背負ってしまっている。
――伊勢ならば不器用だと笑うか。
そう思ったが即座に否定する。
――あいつならば不器用だと言った後に酒を呑んで忘れろ。とでも言いそうだな。
人付き合いにおいて自分と同じくらい不器用な伊勢が、そう気の利いたことは言わないが、根が優しいのは約三年の付き合いでよくわかっている。
加えて、
「提督。もし不都合がなければ熱燗でもご用意いたしましょうか」
共にてくれる今の仲間は皆が皆、自分事を気遣ってくれる。
いつの間にかキツく握りしめていた左手を、間宮がそっと両手で握りしめていた。
両の手から伝わる温もりが嬉しくて、やや歪な微笑を浮かべる。
「すまない……いや、ありがとう。だが今はお茶で十分だ。楽しみは夜に取って置かなければな」
「ふふ、わかりました。それに合うおつまみ、用意しておきますね」
「頼む」
これで休憩は終わりと告げるように水筒の蓋を間宮へと渡し、外しておいた軍手を再度ハメてから作業に取り掛かろうとすると、間宮が思い出したように会話を投げかけてきた。
「そういえば昨夜伊勢が言っていましたが、縮地の件は宜しかったのですか?」
「そのことか。問題ない。電の件以降些か慎重になりすぎていたくらいだ。戦闘は無理でも移動用くらいは覚えておいて損はないだろう。逃げる必要があった場合でも活用できるということはそれだけ生存性を高める」
「わかりました。では今日の午後から私と明石と電さんで訓練しておきますね」
「やり方は三人に任せる。ただ訓練風景は一部始終見るからやる時は声をかけてくれ」
「了解致しました。あ、お昼は鍋焼きうどんにしますので遅れないようにして下さいね」
中々に胃を刺激する言葉を残し、間宮はその場を後にした。
別腹ができたのか、まだ空腹を感じるには早いが胃の部分に寂しさを覚え、振り切るように両頬を叩く。折角タオルで拭き取った土汚れがまたついてしまったが気持ちの切り替えができたため、そのまま土いじりを再開する。
あたるべき場所は菜園だけでなく、花壇もあるのだからと冷たい風に負けぬよう自分を激励しながら作業を続けた。
伊勢の進言から二週間あまりがすぎた頃、木曾は明石の前で一歩前に踏み込んだ。
足の艤装裏に誘導性艤装装甲を意識して瞬間的に多く展開。高波が発生するより前に体は前に押し出されるようにして突き進む。航行とは違った風切り音が耳を通り抜けていくが気にかける余裕など木曾にはなかった。
「はい失敗。予定ポイントから七メートルもズレてるね」
通信越しに明石からダメ出しが届く。
マンツーマンで教えてくれている明石の言う通り、着水予定地点には左右に一つずつウキが設置されているが、現在は右側に二つ見えている。ウキは余裕を持って三メートルの幅を設けていたにも関わらず、その間にすら通れていない辺りかなり見当違いな方向へ跳んでしまったようだ。
正直なところ縮地の訓練開始時には直ぐにできるだろうと軽い気持ちでいたが、今は大いに辛酸を舐めさせられている。
縮地の移動は一瞬で装甲の使う量、方向、角度を決めて扱うものだ。使う量が多ければ予定ポイントより奥へ。少なければ当然手前に着水してしまう。足のどの位置でどれだけ装甲をどの角度に放つかで水平に行くか上に跳ぶか。そして左右にも影響してくる。特に上下を失敗すると悲惨であり、海面に足先を取られてそのまま顔から海に突っ込む羽目となる。
――あれは結構痛かったな……。
実際に経験した木曾はわかるが縮地の移動速度と重量、更には縮地に装甲を割いていることから防御の装甲が薄くなり、体に痛みが残るほどの衝撃を受けたことがこれまで数回あった。
縮地は縮地であり移動用も戦闘用もないのだが、何故分けているのかを身をもって体験した。電が覚えたての頃に失敗したという話も納得がいき、おまけに戦闘に活用している組がどれだけ巧みに装甲を使用しているのかが理解できる。
戦闘中は特に適切な量を理解して使わなければ、防御面が疎かになると一発の砲弾で轟沈さえあり得る。艦娘は無意識で装甲が扱えるようになっているが、あくまでそれは余剰があるからこそ可能だ。全てを移動に回せば当然再使用までの間は完全に無防備の状態となる。
――とは言ってもオレはまだ装甲の全部を操作できていないらしいから、その心配はあんまりないけど。その分電さんに明石さんがどれだけハイレベルなことをしているのか嫌というほどわかってしまうな。まぁあの二人も伊勢さんからしたらまだ未熟扱いだし、それだけ伊勢さんが化け物じみて来るわけだが、我ながらすごい人に弟子入りしたな。
一瞬だけ苦笑いを浮かべ、直後には眉に深いシワを作った。
――化け物、か。五ヶ月前に見たあの新姫。アイツは文字通り化け物じみた強さだった。もしまた目の前に表れたら……。
自分に何ができるか思い浮かべても何も出てこず、ただ恐怖で足がすくんでいた記憶だけが掘り返される。神通の仇だというのに、やられた後はあった血の気は既に冷え込んでしまっている。今は実力の差を前に尻込みさえしそうなほどだ。
幸か不幸か、あの時以降出現した情報は一切無く、いつもの海がそこにはあった。
「今何考えてるか当ててあげようか?」
考え事に夢中になっていたのか、いつの間にか目の前までやってきていた明石は不敵な笑みを浮かべている。
「神通のこと、また考えていたでしょ」
不敵な笑みは慈愛の笑みへと変わる。
「あれはどうしようもなかったし、自分を責める必要もない。実力不足で悩んでいるのなら尚更ね」
優しい声色で明石が抱き寄せてくるのを木曾は拒めずにそのまま受け入れた。
敵わないなと僅かに苦笑を漏らし、明石の温もりと油の香りに、刻まれた恐怖にかさぶたができていくのを感じた。
両の手は柔らかいながらも離さないとでも言いたげな抱き方が、より一層木曾を安心させる。
そう。あの日失ったはずの明石の右腕はもとに戻っている。死んでさえいなければドッグでなくした手足、臓器であろうとも元通りにできるのが艦娘だ。但し沈んだ、死んだ艦娘はどう足掻いでも帰ってくることはない。
縮地はそれを回避するための訓練の一つだ。故に仲間を、提督を安心させるためにも一日でも早く使いこなせるようにならなくてはいけない。かと言って焦って事故を起こしたりしては目も当てられないため、明石の胸元で一度深呼吸をし、やんわりと離れた。
「心配かけさせたようで悪い」
「心配するのは当然。木曾は私の弟子でもあるんだから」
「そう、だな。じゃあこれからも頼む」
下手に取り繕うこと無く、心のままに言葉を吐き出す。
自分がどれだけ恵まれた環境にいるかを確認し、訓練を再開した。
それから二時間。途中休憩を挟みつつやっているものの、成功する兆しはまだない。気持ちの切り替えができたからと言っていきなりできるものではないのは承知しているが、自分の不器用さにやや呆れる。
だがどうやら明石にはできない原因がわかったようで、難しい顔をしながらも問いてきた。
「ん~これまで見ていて思ったんだけど、もしかして縮地の時に親指を意識してない?」
「親指って、足のか?」
「そう、足の。多分なんだけども何かそんな感じがするのよね。ほら、私達って基が艦艇だけど暮らすのは陸でしょ? しかも木曾の場合装甲の訓練は陸がメインだし、その影響で親指に意識がいってるんじゃないかなって」
言われて使用時の感覚を思い出すが、確かに親指で蹴るようにやっていた。だがそれが失敗する理由までは思いつかない。
何が違うというのだろうか?
「えっとね。親指に力を入れることは構わないんだけども、それってそこばかりに装甲が行きやすくなっちゃうの。それの何が悪いかって言うと細かい調整がしやすくなる分、バランスを崩しやすくなっちゃう訳。今の木曾は謂わば足の親指だけで走ろうとしてる感じ」
実際に思い浮かべてみるが、確かにアンバランスで走りにくそうではあった。
「じゃあどうやったらいいんだ?」
「足の裏全体を使うの。足の裏全部で海を蹴っちゃえば、まぁ柔軟性は落ちちゃうけどある程度は好きに移動できるようにはなるかな」
「そんな方法があるなら初めから教えてくれてたら良かったのに」
教えてもらっている身ながら憎まれ口を叩くが、明石は乾いた笑いを浮かべた。
「あははごめんごめん。最初の頃は私も足の裏でやってたんだけど、最近はずっと必要な箇所だけに装甲使ってたから忘れてた」
まったくとぼやきながらも早速試そうと、まずは装甲を使わずに海面を何度か蹴る。普段航行する時は足の裏で支えるようにしているため、イメージ自体は容易い。後はそれに装甲を重ね合わせるだけ。
「やってみる」
「じゃあウキをセットするから待ってて」
端末を使い明石はウキを操作し、距離を調整する。
明石の作ったウキは訓練にも使えるが、夜間になると警備モードとなり通過した深海棲艦を報せる警報機ともなる。
そんな便利グッズとの距離感を測りつつ蹴る感覚を足に覚えさせ、深呼吸をした。
「こんなものかな。うん、いつでも良いよ」
一度目を閉じ、視覚をリセット。再度開いて距離を計算しなおし、変わっていないことを確認してから右足を前に踏み出した。
足の裏全体で蹴る。
そのことを忘れないよう意識して踏み出した後に残されたのは高波だけ。高速で風を切り、潮の香りを鼻腔に感じながらも三〇メートルは離れていた地点へ着水。周囲を見渡す。
「良いじゃない良いじゃない。距離はちょっと足りなかったけど左右の間隔はバッチリ」
距離として約三,二メートル程足りなかったものの、確かに立っている場所はほぼ中央であった。これほどまでに成功した試しがないため、嬉しさから身震いする。
「明石さん。もう一回。もう一回やらせてくれ」
「そう来ると思ってもう準備済みだよ。しかも今度は三回連続」
望んだこと以上のことをしてくれたことに手早く感謝を述べてから、先程の感触を忘れぬ内に、距離感を測ってから一気に飛び出した。
これまでも何度か連続の縮地はしているが、一歩目以上に難しく、成功したことがない。だが、今回は違った。
「で、できた……」
ただ真っ直ぐに進んだだけの行為だが、これまでの失敗を鑑みれば、木曾にとって大きな成長であった。
この嬉しさを。感動を早く伝えたくて縮地を使って明石のもとまで跳んでいく。
「ちょっと木曾ストップ!」
浮かれていたからか、明石の静止に反応が遅れ、やっと止まれた時は彼女の目の前だった。そしてすぐに知る。止められた理由を。
「ぶへっ……きーそー?」
「す、すまん明石さん。オレ浮かれすぎてたようで」
着水時にブレーキとして装甲を前に向かって扱うのだが、跳び出す時に後方に高波が発生するのと同じで、当然前方に同じ現象が起きる。跳び出す時に比べれば大人しく、おまけに周囲に散らしながら着水する方法もあるが、この時まだ木曾は知らなかったために、明石はずぶ濡れ状態となってしまった。
「まぁ今回は折角成功したんだし許してあげる。でも今度は着地の練習もしなきゃだね」
「わ、悪い」
「だからいいって。それでまだ続ける?」
明石の問いに迷うことなく肯定。
それから一時間、休むことなく訓練を続けた。この後更なるサプライズが待っていることも知らずに。
どこまでも続く青い海。
数年前までは特定の海上にはゴミが散乱していたり、油が浮いていたりととても褒められた状態ではなかったが、深海棲艦が表れて以降人が海上どころか海に近づくことさえなくなった。加えて一部の提督や艦娘の働きもあってかどこも綺麗な海が広がっている。
快晴と言える空の下で、伊勢は静かに目を瞑り煙草を吹かす。
流れていく風は紫煙だけでなく、ポニーテールやスカートも揺らすが穏やかなものだ。
人の身ならば季節が季節。間違いなく冷え込む程の気温ではあるが、生憎と艦娘は正常な戦闘が行えるためにか、常に周辺気温が一定に保たれているため風の冷たさをダイレクトに感じることはない。
――こう何もないと平和そうなんだけど。
大海原のど真ん中にいながら敵影が見えない時、たまにではあるが深海棲艦との戦争が夢幻なのではと思うことがある。ならば艦娘である自分はといえばそれこそ創作物をベースにした夢の登場人物に他ならない。
人間がどういう存在かも知っている。
全ての艤装を外したこともある。
故に目が覚めたら布団の中にいて、自分の親しい人に起こされる毎日がそこにある。くだらない言葉を交わしながらそのごく当たり前にありそうなことをやっているのでは。
そんな非現実的な思考を煙草の火とともに消した。
「木曾。ちょっと遅いんじゃないか?」
「いやさすがにまだ縮地覚えたばっかだし、伊勢さんについていくことなんてできないって」
「こんなに加減して移動してるのに?」
心底疑問を口にする。
普段一人で移動する時の伊勢は音速を越えている。そうでなければ頻繁に遠征などに出ていけない。だが今日向かうのは広島方面。距離も近く木曾もいることからのんびり時速三〇〇キロ程で跳んでいたのだが、どうやら早すぎるらしい。
「因みに今のを走るので例えるならどんな感じなんだ?」
「ん~そうだな……ジョギング以下ってところか」
「つまり走ってるとさえ言い難い速度だと」
「そんなところ」
本気の縮地はまだ見せたことがなかったからか、木曾は乾いた笑いを浮かべている。それでも明石達の全力よりは控え目なのだから、そこまでの反応をされる理由はないはずだが。とまで考えて思考を放棄した。
一々考えてもしょうがない。正確には面倒臭いためだ。
「広島までもう少し何だから頑張れ頑張れ」
吹き抜ける風のような軽い励ましをしてから煙草に火をつけた。
現在地は愛媛県の伊予灘付近。
今回の遠征は広島ではあるが、実際には愛媛県の松山市沖で深海棲艦と戦うこととなる。
深海棲艦はどの艦種であっても海中を移動できるのだが、目的地近くまで行くと必ずと言っていいほど海上に姿を現す。また一度偵察で見かけてもその日に襲ってこない集団も時折存在する。今回が正にそのパターンであり、他の遠征とブッキングしていたことから日にちをズラしていたが、未だに襲いに来ることはないそうだ。
広島は呉鎮守府の影響で襲われやすい場所の一つで、今回は一〇〇〇規模の艦隊がやってくるとのこと。木曾が以前どのようなことをやっているのか、どのように戦っているのか気になるのだと言っていたことから、今回この遠征に連れ出した。成長具合から離れて見ている分には問題ないだろうと判断したためだ。
最近の深海棲艦の活発化からもそろそろ自分一人では対処できないことが多くなる。そのことを見越しての見学でもある。
――ま、大半は剣造からの指示だけど。
満更でもない内心を余所に、緩慢に紫煙を吐き出す。
「で、言われたことはちゃんと覚えてる?」
「ああ。周辺の警戒は怠らず、いつでも装甲は使えるようにしておく。戦闘中は近寄らない。自分が狙われることがあるなら一度海域を離れて伊勢さんが終わらせるまで待つ。だよな」
「それなんだけど、正直臨機応変に対処すればいいから」
「つまり死なないようにいるならどう動いても良いってことか?」
「端的に言えばそう。だけど敵を引きつけるような余計なことはしないように。アタシが戦いにくくなる」
木曾は短くわかったと応え、緊張しているのか重い息を吐き出していた。
今はもう縮地は使っていない。現場が近いため通常の航行で進んでいる。
そして敵集団の気配が流れてきている。
木曾もこの鉛のような空気に気がついていることにほくそ笑み、まだしていなかった艦装をすませた。一八〇キロ相等の重量が瞬間的に体にのしかかってくるが物ともせずに、水平線を睥睨する。
「あれ、が。あれ全部が深海棲艦、なのか……?」
信じられない物を見たかのような物言いに伊勢はサラッと言い放つ。
「ああそうだ。あれ全部、アタシ達艦娘が倒すべき敵である深海棲艦だ」
青い海、青い空。それらの境界を割るかのように黒い線が引かれている。深海棲艦によってだ。
望遠機能を使いザッと艦種を確認していると、数自体は多くないが赤のみならず黄色のオーラを纏っている存在が目に映る。
「ったくまたか。木曾気を付けておくように。今回姫クラスはいないけどflagshipがそこそこいるから今のアンタじゃまだ狙われるとヤバイ」
「っ……了解。邪魔しない程度にいさせてもらう」
想定していた以上なのか、唾を飲み込む音が聞こえた。だが気後れはしていないのが伝わり、口角を緩ませる。
「それじゃあ行ってくるから。装甲(アーマー)を使った本当の戦い方ってのを見せて上やる」
短くなっていた煙草を新しく替え、軽くなっていた口を真一文字に引き締める。木曾に水飛沫をかけないよう小さく前に跳び、それを助走代わりに二歩目で大きく踏み出した。
位置取りとして今正に広島に向けて進軍をしている敵集団の後方を強襲する形となるが、数が数だからだろう。即座に自分の存在に気付いたものが仲間に報せ、砲塔が回される。その間もぐんぐん距離を詰める。
敵の一射目が始まる頃には一六〇〇メートルまで接近していた。そのため第一射は大きく外れた位置に着水する。
伊勢の異常なまでの速度に反応してか、二射目には艦隊の後方にいる大半が旋回し、水平に砲を構えて放つ。
飛翔してくる三桁の砲弾。
最短で五〇〇メートルという距離。
音速を越える物体を前に伊勢は更に一歩前に踏み出した。
「数が足りないんだよねぇ」
幾ら音速が出ていようと伊勢には関係なかった。
伊勢の動体視力は音速の飛翔体を捉え、そして対処できるだけの技量が存在するために。
一直線にやってきた最初の砲弾を首を反らすだけで躱し、二から八までが見当違いの場所に落ちる。九から一三に対し左手に持っていた野太刀に装甲を展開。左右にいなす。
これを数度繰り返し、第二射を切り抜ける頃に一度自分も一斉射し牽制と水柱によって視界を奪う。主砲の反動でやや減速が入るが気にせず親指で鯉口を切り、装甲を使って前方に真っ直ぐ、野太刀を勢い良くはじき出した。
深海棲艦はここに至って伊勢を最大の敵と認識したのか全艦が敵意を向けたが、既に遅かった。
減速した分を取り戻すように尚の事加速。音の壁を突き破りながらも射出した野太刀を右手で掴み取ると、最前列にいた重巡洋艦三隻をすれ違いざまに薙ぎ払った。
ここからは蹂躙の始まりである。
着水から一呼吸の間を開けてから伊勢は左へと跳躍する。
艤装一八〇キロ。
野太刀六〇キロ。
本人の体重を合わせて総重量三〇〇キロ近い塊が時速五〇〇キロで衝突する。
衝突した相手は、無論深海棲艦だ。
ラムアタックなどという生易しいものではなく、艤装はひしゃげ、五体も引き裂かれながらその後方にいたモノを複数巻き込んで消えていった。
更に水平に跳躍。
敵の間をすり抜けるように進み、すれ違いざまに太刀と鞘に展開した装甲で切り払っていく。
伊勢は野太刀を使って斬ることはない。斬っているように見えてその実、刃の前面に展開されている装甲によって押しつぶしながら分断しているのが正解であるが、やられている側からしたらどちらも大した差はないだろう。
「は、甘いね」
針の糸を通すような射撃を戦艦タ級のflagshipがやってくるが、伊勢には関係ない。飛行甲板に装甲を展開。表面をなぞるように滑らせ、自分の後方にいたやつへと受け流す。
上手く行かないことに歯噛みするのを見届けてから、タ級の左右にいたモノへ砲撃をして海へと帰した。
縮地、斬る。
縮地、殴る。
縮地、蹴る。
いつも通りのことをいつものように繰り返す。
海戦が始まって二〇分くらい経った頃だろうか。もう一度跳び、水平に飛び蹴りを放ってから鞘を海面に叩きつけ、装甲を使って強引に軌道修正。蹴りからの直角に飛ぶという変則移動からの太刀を振り下ろし、両断してから納刀しつつ一度距離を取った。
「大体沈めたかな」
目に映るのは三隻のflagship。
戦艦タ級一隻。
正規空母ヲ級二隻。
他にも空母はいたのだが、陣形内に入られていたことから満足に艦載機を飛ばすこともできずに沈んでいったのが大半。今は数もなく、伊勢との距離もあり、更にはflagshipであることから技量も高いため艦載機がわんさかと空中に展開している。
他の艦娘ならば間違いなく苦戦する相手であるだろうが、伊勢には物足りないと言える程の差がある。故にちょっとした催しを思いついた。
「木曾、ちゃんと見てるかー」
「あ、ああ。ところでそいつらは倒さないのか?」
「これからちょっとした暇つぶしするからよーく見とくように」
初期に比べ位置は全体的に動いており、伊勢と残存棲艦との距離は三二〇メートル。伊勢と木曾は七〇〇メートル。この三つの地点は今ほぼ直線に並んでいる。
そうなるよう調整したのだから当然ではあるが重要なのはそこではない。
「暇つぶしって何を」
「ま、見てなって」
やりたいことは二つあった。一つは空母側に。もう一つは戦艦側に対して行うものを見せたかったが、どうやら空母側が先になるようだ。
「ったく人が折角余興をしようっていうのにブンブン鬱陶しいね」
タ級が放ってくる砲弾は軽く受け流しつつ、空からやって来る艦載機に向けて伊勢は全砲門最大仰角で撃ち放つ。
重い衝撃が体に来るが物ともせずに今度はバック宙をしながら第二、第三と鉄の塊を吐き出す。しかし空中にいる敵艦載機には精々二機程撃墜できた程度で、その殆どが健在である。
「何やってんだよ。主砲が艦載機に当たるわけ無いだろ! 伊勢さんも艦載機か機銃で応戦しないと」
「そんなのアタシが持ってきてるとでも?」
「待て待て待て。持ってきてないのか!?」
「主砲と野太刀以外持って戦場に立ったことなんてないよ」
余程意外だったのか二の句が止まり、代わりにうめき声の様な声にならない声が漏れている。
「だから見てなって。そんなに時間はかからないから」
再度主砲を、今度はタ級の足下へ放ち牽制。キープしておいた距離を壊し、それでいて木曾へ意識が向かないよう小刻みに動き始める。だが実際は敵を中央に固め、自らがその周囲を動いているだけなのだが、固定目標がないからか、敵艦は気づいた様子はない。
――狙い通り。時間的にもそろそろか。
ちらりと上空に目をやってから敵艦との距離を保ちつつ、再度直線になる位置へと戻る。距離もキッチリ三二〇メートルを維持して。
「木曾。装甲が使えるやつの倒し方だけど、アンタはどうやる?」
「装甲? ……装甲が使えるやつの防御を上回る威力で殴るとか」
「まぁそれが一番手っ取り早いね。アタシもそうだし。ただもう一つやり方がある。今そこにいるflagshipだろうと砲撃だけで倒すことができる。それを今からアタシが証明してやるから瞬きには気を付けときな~」
煩わしい艦載機の攻撃を装甲で受け流しつつ、装填した砲弾を二隻のヲ級へ撃ち放つ。だがどちらも苦い顔をしながらもしっかりと反らし被弾することはない。二撃目も同じく。弾かれ当たることはない。どころかタ級から砲弾のお返しがやって来るほどだ。
「伊勢さん!」
「木曾。これが砲弾で倒すやり方だ」
三度目に伊勢の放った砲弾は二隻のヲ級に向かって突き進む。しかし敵もしっかり見えているのか反応し、受け流そうと腕を伸ばした。直後、爆発音が響く。
「え、ど、何処だ。どこからの砲撃だっ」
木曾が慌てて周囲を確認しているのだろう。見なくてもわかってしまうほどの動揺が通信越しに聞こえてくる。それを聞きながら伊勢は静かに笑い告げた。
「名付けて呉落とし、なんてね。ま、今のは他の誰でもない、アタシの放った砲撃だ」
「いやでも砲撃音なんて……」
「そりゃそうさ。アタシが着弾まで時間がかかるように撃ったんだから」
「じゃあまさか艦載機に向けて撃ったのは」
「初めからこれが狙いだったって訳。結果は言わずもがな」
伊勢が上空へ放った砲弾は、起動計算からヲ級直上落下するよう位置調整が行われていた。無論容易ではないし本来は艦隊戦の時にやるべき行動ではあるが、砲撃だけでも倒せるのだと見せるには丁度良かったため、今回は無理やり成功させた。
「砲撃だけでも、倒せる……」
沈みゆくヲ級を見ながら木曾が感嘆のため息を漏らしている。
「そういうこと。装甲は確かに便利だが穴が無いわけじゃない。そしてflagshipともなれば木曾、アンタより装甲を使える奴らだ。それでもこのザマさ」
「力に溺れるなってことか」
「端的に言えばそうなるね。明石さんに習ったとは思うけど装甲は万能じゃない。やるには限度ってものがある」
紫煙を吹かすついでに間を置く。
「んでだ、これから見せるのはその限度ってわけじゃないけど、艦娘が鍛えればここまでできるって物を実演する。さっきより更に見る時間ないから気を付けときな~」
自分以外全て沈められ、怒ったら良いのか恐れたら良いのかわからないのか、タ級の頬がヒクヒクと動いている。それでも戦う意志はあるようで、しっかり主砲の照準は伊勢。でなく倒せる可能性のある木曾へと向いていた。
木曾も自分が主砲が向けられていることに気付いたのか、背中に圧を感じられた。
「何するんだよ今度は」
意識はタ級に向けつつも気になったのか問いてくるが、伊勢はそっけなく。それでいて事実だけを突き返す。
「ん~? 砲弾掴む」
伊勢が言い終えた正にその瞬間、戦艦タ級は砲塔から炎と共に鉄の塊を吐き出す。
鉄塊は空気を押し広げながら真っ直ぐに突き進む。メインターゲットである木曾に向かって。だが、
「あ、れ。来ない?」
タ級の放った砲弾は三二〇メートル先へ行くことはない。
「だから言ったろ? 砲弾を掴むって」
親指と人差し指に挟まれ左右に振られる鉄の塊。恐らくこれまで何人もの艦娘を沈めてきたであろう物を事も無げに伊勢は見切り、掴み、そして放り投げる用に捨てた。
「確か前に言ってた記憶があるけど。木曾、アンタはアタシのように強くなりたいんだったっけ。これが今アタシがいる場所だ」
「…………っ」
言葉を詰まらせている木曾とは別に、そんなはずはないとばかりにタ級は再度砲撃を行ってくるが同じように掴み取ってみせ、逆に掴んだ砲弾を装甲を使って投げ返した。
短く、それでいて鋭く空気を切り裂く音を残し、突き進む。しかし多少焦りは見せているもののさすがはflagshipと褒めるべきか、投げた砲弾は装甲で受け流されダメージは皆無。再度砲撃の体勢に移るが、これ以上遊ぶつもりはないため納刀している野太刀をそのままタ級に投げつける。装甲で投げたことから高速に飛翔する野太刀に向かって伊勢は縮地で追いつき、柄頭を蹴ってそのままタ級の胸部に突き立てた。
砲撃体勢でいたタ級は野太刀を防ごうとはしていたようだが、伊勢の蹴りで腕ごと穿たれ、視線が胸部に降りる以外の行動はしない。
そこへ伊勢はかかと落としで柄を打ち、胸部から上だけを装甲で両断。回転しながら空中を舞い降りてくる野太刀をつかみ取り、木曾のいる場所まで戻った。
「で、どうよ今の心境は」
「はは……言葉も出ねぇよ」
木曾が乾いた笑いを漏らす。
無理もない。普通の艦娘ならば既に距離を取るところを、遠さを感じさせないだけまだマシとさえ言えた。
それどころか、
「でも、どれだけ時間がかかるかはわからないが、いつかそこまでたどり着いてみせる」
目に揺らぎは見えるものの芯は折れていない。負けるものかと懸命に自分を誇示しているのは意外な光景でさえあった。
「は、言うじゃないか」
くつくつと愉快に肩を揺らす。
てっきり怖気づいているとばかりに思っていただけに、伊勢自身一本取られた気分になる。そして一つ楽しみができたことも。
「その意気込みに応えなきゃいけないか。ってなわけでこれからもう一件行くけど着いてくる?」
「まだあるのか」
「当然。こっちはメインだけど、広島は立地として徳島方面から回り込んでくる個体もいるから、そっちも見ておかないとならないからね」
とは言うものの、そちらに敵影を見かけた情報はまだないため、哨戒がてら行く程度のこと。特別危険な戦場は今し方潰したことによりなくなっている。
「ほら縮地の練習だ。遅れるな~」
「ちょっと待ってくれよ伊勢さん」
木曾ならばいつか戦場を共に行けるのではという期待感が、少なからず伊勢の心を高揚させた。
同じ鎮守府。同じ提督の下にいた仲間はいた。仲間としても意識はしていた。でもどこか距離があった。相手からも、そして自分からも。明石や間宮でさえ僅かに隔てりを感じている。剣造だけが唯一壁というものを感じさせないだけに、一番居心地の良い存在であり、剣造のいる場所が伊勢にとっての安らぎですらあった。
――ああそうか、なんてことはない。アタシは寂しさってのを感じてたわけか。
もうすぐ艦娘として生まれて四年が経とうとしている今になって、自分が自分を理解していなかったことに気付く。どれだけ力が使えようと、誰よりも強かろうと、精神面は並だったようだと自嘲気味に笑う。
「どうしたんだ?」
「いや何でもない。それよりここに何もなければそのまま帰るぞ」
急に笑ったからか、最近感覚が鋭くなりつつある木曾に気付かれ、煙草と一緒に吹き流す。
だが唐突ではあるが目に入った存在はそのまま流すわけには行かなかった。
「なぁ、あれってもしかして」
「深海棲艦だな。それも姫だけの艦隊だ」
海を割り、表れたのは各種姫だけで構成された艦隊。
その数六〇。
これまで伊勢が経験してきた中でも最上級クラスの敵編成が今、目の前に存在した。
更に、
「伊勢さんあそこ」
こちらを敵視している姫艦隊とは別に、小規模ではあるが別働隊が広島方面へ進行しているのがいる。幸いなのは別働隊は少数であり、一隻eliteが混ざっているものの、広島鎮守府のものならば十分対応できる範疇である。そのため放置することにしたのだが、
「オレが行って来る。伊勢さんはそいつらを」
「正気?」
「お荷物だけでいたくないからな」
姫艦隊は既に艦載機を飛ばし、攻撃態勢に入っていた。
悩んでいる暇は殆ど無い。
何よりこの数の姫相手に、それもそれなりに練度を積んでいるのが気配でわかる姫相手に、木曾を庇いながらでは些か面倒ではあった。
「勝手におっ死ぬんじゃないよ」
故に出撃の許可を出す。
「さっさと片付けてこっちも手伝うぜ」
「言うじゃないか。ケツは守ってるからサクッとやってきな」
お互いが不敵に笑い、見送る。木曾は戦闘状態でないことから縮地で水平線へと消えた敵艦隊へと向かった。
その瞬間、伊勢の中にふとした喪失感に襲われる。
それが何なのかは考えるまでもなく明白だった。
――剣造はいつもこんな気分でアタシ達を送り出してるわけか。はっ、アタシには無理だね。
ここまで心配に思うことが初めてなだけに中々に新鮮ではあったが、神通のようなことはもう二度と経験させたくはない。
木曾が離れたことを確認してから開戦だとばかりに野太刀を空へと弾き飛ばす。但し今回は煙草は無しだ。
「いつまでコソコソ隠れてるん、だっ」
野太刀を右手で掴み取ると、鞘を腰紐に通し、空いた左拳で海面を全力で殴った。
装甲を纏った拳は海面を押し潰すように直径三〇メートルのクレーターを作り上げる。突然できた窪みの奥には先程まで見かけなかった潜水艦の姿と、放たれていた魚雷が反れていくのが見える。
「姫は後回し。アンタ達から先に潰す」
足下にあった海水が消えたことにより自由落下を始めた伊勢は、津波のように戻ってくる激流の中へと身を投じる。
本来洋上艦型の艦娘ならば、海中に落ちた時点で艦装を解かない限り浮上は絶対にできない。しかし伊勢は違う。誘導性艤装装甲の本質は反発。そのため全方位に装甲を予め展開しておけば位置の固定はできる。但し一度出した装甲に別の役割を与えること。つまり装甲の強度は出したまま調整はできず、一度引っ込めなければならない。しかも装甲の二重展開というものはできないため、必然的に装甲を解除して再展開しなければ移動さえままならない。伊勢程の技量ならば海水に入り込まれる前に再使用は十分可能だが、少なからず装甲の展開距離が短くなる。短くなれば空気は減っていく。如何に艦娘であろうとも呼吸は絶対的に必要不可欠な行動であるため、それだけは避けなければならない。
潜水艦は元々艤装自体に呼吸のためのシステムが組み込まれているため問題ないが、洋上艦はそうはいかない。
そのため伊勢が出した結論は。
「精々百ってところかね? んじゃま、さっさと片付けるか」
唯一装甲を回していない野太刀に展開、海中内を跳ねるように進んで行く。
海上に比べたらかなりの速度減衰となるが、それでも潜水艦どころか魚雷の移動より遥かに早いため、何の問題もなかった。問題があるとすれば水中であることからの視界の悪さと、防御のための装甲が使えない点であるため、伊勢であっても油断はできない状態、
「まずは一匹」
なのだが、伊勢は装甲を使い高速に移動し、一番近くにいた潜水艦を両断せしめた。
「次」
鋭く右へ移動。照準を合わせようとしていたのか、あたふたとしているところを野太刀で下から上に向かって切り払い、足の下へ潜り込もうとしていたものにまで垂直に下降し両断した。
この辺りは諸島からも離れていることから水深が四〇メートル前後あることから、上下左右どこからでも敵に攻めてこられる可能性があるため、注意は必要だ。
敵がもう少し強ければの話だが。
どうやら姫達も味方がいるからか、迂闊に海中に攻撃してくる気配はない。ソナーを時折撃っているが、居場所の特定ができないのだろう、伊勢が浮上するまでの間遂に爆雷が降ってくることはなかった。
「こんなもんか。張り合いがないね」
それどころか姫六〇隻を相手にしても装甲の技量が最高で明石レベルであったために、特に苦労することなく殲滅してしまった。
――やっぱ現状じゃ
全力でぶつかり合える相手がいないことに小さな寂しさを覚え、最近気配さえ感じない存在を思い出すも気持ちを切り替え、艦装したまま木曾の下へ向かう。
距離としては然程離れておらず、縮地で移動していたことも有り、一〇秒後には水平線の向こうには姿が見て取れた。まだ戦闘中のようで、経験のために幾らか減速して向かおうか思案していると、きな臭い気配に気付けば音速で洋上を突き進んでいた。
――マズいっ。
木曾と敵艦であるリ級のeliteが向き合っているところを、丁度真横から見ることになっているため、木曾が被弾した瞬間が見えてしまった。
自分を師として教えを請いに来た艦娘。
脳裏に映る血だらけの木曾。
腕の中で腹部に穴を開け、か細い声を上げる片目の少女。
そんな最悪な仮想未来が伊勢の体を突き動かす。
ほんの数十秒前にあった退屈な考えなど全てが景色と一緒に遥後方へと消えていった。
全身の血液が沸騰するように熱を持ち、毛という毛が逆立つのを感じる。怒髪天の意味をこの時伊勢は初めて理解し、実感した。
縮地のギアが撃鉄さながらに激しく打ち鳴らして上昇する。音速の二倍まで。
衣服や髪が速度に煽られ激しく揺れ動く。
普段縮地時は全方位に装甲を展開し風の影響を消しているが、今はそんなことにさえ回す余裕はない。
今伊勢の中にあるのは十分の一秒でも早く、木曾の下へ行くことにだけ意識が向いていたために。
――――ニタリと粘性のある笑顔でリ級が膝をついている木曾へ照準を合わせた。
左手に持っていた野太刀を握りつぶす勢いで強く握りしめる。
――――諦めたのか、見えていた木曾の片目が閉じられる。
奥歯を噛み、一歩強く踏み込む。
――――リ級の砲塔が火を吹いたのが双眼へと刻まれる。
呼吸を一つ入れ、飛行甲板を前に差し出した。
細い息が漏れ出る。
沸き立つ一つの感情を押し留めつつ、平静を保つためにもと煙草に火をつけた。
心を落ち着けるようにと今度は煙と一緒に息を吐き出し、極めて普段通りを意識して語りかける。
「戦場で居眠りとは余裕だな木曾。さすがのアタシでもそれはまだ経験ないわ」
一秒、二秒と間が空く。
自分が生きていることに不安なのか、妙な時間を挟んで上がった声は、
「本……物?」
随分と間の抜けるような単語だった。
だがそれが伊勢の気持ちを少しばかり落ち着かせ、背後にいる木曾へとやっと顔を向けることができた。
「本物かってまた随分な物言いだね。アタシみたいな伊勢が他にいるか?」
冗談っぽく取り繕い、吸い始めたばかりの煙草を口先で上下に揺らす。
その仕草に安堵したからか、木曾は笑みを浮かべたかと思うと今度は落ち込んでみせた。何で落ち込んでいるかを聞くのは野暮だろうと口には出さず、敢えて軽い、いつも自分が言っている口調を意識して出す。
「にしても派手にやられたね、アンタ。こりゃ帰ってから鍛え直しだ」
我ながらそれっぽくできたのではと自画自賛しつつ、木曾の怪我をザッと確認し、押し込んでいた感情が溢れそうになる。
「あーそうそう。また寝るのは勘弁してくれよ。もうそんな暇ないだろうから」
傷は表面だけでなく内蔵にまで及んでいるのがパッと見ただけでもわかる深さ。幸い出血は少ないようで失血死だけは回避できそうだが、それでもこれ以上帰る時間が遅くなれば命に関わるのは言うまでもない。
「アンタか? 木曾とこんなに遊んでくれた奴は。こいつはなんだかんだでアタシのお気に入りでさ」
故に遊んでいる暇など無く、
「だから轟沈させられたら困るんだよねぇ」
引き攣った笑みのままじわじわと距離を取ろうとするリ級を眼光だけで殺すほどの殺気を飛ばし、
「つーわけでさ、お前が代わりに沈めよ」
飛ばした殺気に追いつくように体を前へと滑らした。
逃げる時間など与えるつもりはない。
距離にして六〇メートル。
その程度の幅など、伊勢にとって間合いでしかないがため、リ級の胴体は伊勢の一方的な宣言の下、左右にズレた。
風圧で先が消し飛んだ煙草にも、鞘を抜いてる途中から斬ってしまったことにも気付くこと無く、冷めた目つきで沈んでいくリ級を見下す。
完全に落ちた静寂が、伊勢の高ぶっていた気持ちを緩やかに鎮めていく。
艦装も解除。野太刀も収め、煙草を一息吸い込もうとして葉が口内に入り混んでいることに気付き、渋面を作りつつもリ級が沈んだ辺りに唾と一緒に吐き出す。
ため息を一度こぼしてから木曾の下へ航行しつつ、気を取り直しポケットから煙草を取り出して、火をつけた。全て右手だけで行ういつも通りの工程に満足がいったのか、纏っていた熱気が霧散していったのがわかる。
――我ながら何であんなに怒ったかね。
落ち着いただけに先程の間での自分の想定外な感情の振れ幅に困惑し、木曾の顔を見て即座に理解した。
失いたくない。
ただ単純なまでの理由だった。
剣造の視点として考えた場合の時とは雲泥の差。完全なまでに個人的な思いがそこにはあった。
遅れて少し前にリ級に勢いで言い放った言葉も思い出される。お気に入りなのだと。確かに自分はそう言ったことを記憶からほじくり返される。それも鮮明に。
途端気恥ずかしさに頬が震えるがグッと奥歯を噛み締めてから、木曾にバレぬよう斜め上に紫煙を乱暴に吐き出し、まだ座り込んでいた木曾の帽子のなくなった頭をガシガシと乱暴に撫でる。
「それじゃあ今日のピクニックはお終いだ。鎮守府に帰るぞ木曾」
照れ隠しの行為だが木曾は気付いてないのか、ゆっくりとながらも自らの足で立ち上がり、後ろに続いた。
「乾杯!」
季節が季節だけにか日の落ちる速度は早く、無事呉襲撃に向かっていた深海棲艦の全てを撃破し、帰投した頃には日が沈みかけていた。
但し、現在はその時刻から二時間近く過ぎていることを壁掛け時計が知らせてくれる。
「乾杯はいいけど伊勢さん。あんたそれ何杯目だ?」
「ん~? 説教か木曾ぉ」
「十杯目。妙に浮かれちゃってて何か今日はピッチが早いのよ」
苦笑を浮かべつつも教えてくれたのは、しっとりとした雰囲気で呑んでいる明石だった。彼女はいつも通りジャックダニエルのロックを、舌の上で楽しませるように含んでいた。
そんな明石の左隣に座るのが半年前からの木曾の定位置である。
「木曾。たまにはこっち来てビール飲まない?」
「なぁ。艦娘って酒呑んでも確か酔わないよな」
「だねぇ。ただあれは雰囲気に酔っているというか何というか。今日は妙に絡み酒なの。まぁ適当に流しとけばいいよ。起き抜けであれの相手は辛いだろうし」
ドッグから出たばかりの木曾を気遣ってか、伊勢の下へ向かおうか悩んでいた木曾の腰を下ろさせる。
結局リ級に受けた傷は、大破しかけの中破といった具合で、暫く入渠する羽目となっていた。一人でやるとか、伊勢を助けに行くとか逸ってはいたが、一番は実力不足。そのことを十分なほどに教えられた一日だった。
力がないのなら鍛えればいい。などと単純に考えられたら良かったが、あそこまで完膚なきまでにやられると悔しさを抑えることはできそうにない。
時間が経って思い出し、考えることができるだけ余計に。
ただこのままで良いと思いもしない。
故に振り払うように注いでいたジャックダニエルのロックを、流し込むように一気飲みした。
「ちょっと木曾」
「おー良い呑みっぷり。なんだなんだアタシと呑み比べしたいってか?」
「そうだよ。伊勢さん。オレはいつかあんたを越えてやる。絶対だ」
断言するように言い放った。
木曾自信もそれがどれだけ果てしなく分厚い壁で、乗り越えられる山であるのかさえ不明だが、それでも言わずにはおれなかった。
マズいことを口にしたのか明石の顔は引き攣っていたが、当の本人である伊勢は愉快そうにニマニマと笑みを浮かべている。
「言うじゃないか。その言い方、呑み比べの意味じゃないんだろ?」
伊勢は残っていたビールを呑み干し、カウンターにジョッキを叩きつける。
「馬鹿にするつもりは一切ないよ。待っていて上げるからいつでも来るんだね」
明石が安堵のため息を吐く傍ら、表情こそは緩んでいるものの言葉自体には重みがあり、伊勢が本音で言ってくれた気がして胸が熱くなる。
師として仰ぎ、今日どれだけ強いのかを見せつけられた人が待っているというのだ。そんな発破をかけられたならば重い気持ちなど容易に吹き飛び、高揚するなというのが無理な話だろう。
「間宮さん。フライドポテト大盛りで!」
マミヤの奥で調理していた間宮に向かって注文を飛ばす。明日からしっかり動けるようにするために、精神面の管理として食による満足感を得るため多めに頼むことに。
しかしどうやら今は手が離せないようで、返事の代わりに向かいのカウンターに立っていた鳳翔に手伝うよう声がかかる。
奥へ鳳翔が消えると入れ替わるようにマミヤの入り口が開き、提督が入ってきた。
「失礼する」
無骨な、いつもどおりの言葉を口にして脱帽し、定位置である伊勢の右隣に腰を降ろす。
順番としては入り口から提督、伊勢、明石、木曾の順にカウンターに並んでいる。これが数ヶ月前からあるマミヤでの定位置だ。
電や綾波も過去に誘ったことはあるのだが、どうも酒や煙草に忌避感があるようで避けられてしまったため、この手の席に同席することはない。
「はい伊勢、こちらお作り。提督もお疲れ様です」
先程まで奥にいた間宮が戻ってき、伊勢の頼んだ鯵のお作りとビール。ではなく湯気が揺れるお茶を出していた。
「うちの中、寒くありませんか?」
「問題ない」
提督は二口程お茶を啜るとポケットから煙草とライターを取り出した。
安物のライター。それも火力を調整していないからかやや火が移るのに時間がかかっており、ジリジリと先の焼ける音が木曾の耳まで届く。煙草を加えたまま一度大きく息を吸い、緩やかに息と一緒に煙を吐き出した。
そういえばとまだ自分が今日吸っていないことを思い出し、揚げ物をしていた鳳翔に頼む。木曾は基本外で吸うことをせずマミヤの中だけで煙らせるため、必要なものの一式を預けている。
「もう残り一本なので新しいのも出しておきますね」
「調理中に悪いな鳳翔」
短く謝辞を述べ、受け取る。
手にしたのは以前明石に進められたゴールドシールシガリロ。一度吸って以来この味と香りがいたく気に入り、それ以来ずっと吸い続けている銘柄だ。
口に咥え、シルバーのジッポライターで火をつけた。
このシルバーのジッポライターは、明石がスペアとして持っていた物で、同じ酒と煙草を愛するものとしての友好な印という建前でくれた品だ。それ以降は愛用品として使わせてもらっており、木曾も気に入っている。
煙は肺に入れず、スッと口の中に含んでから吐き出す。
艦娘の肉体上肺に入れても問題はないのだが、一番は香りを楽しみたいため、空気に溶け込ますようにするのが木曾の楽しみ方である。
伊勢のように戦場で楽しめるのならやりたいのだが、まだまだ実力不足故に実践はできていない。
これは弟子にしてもらう前からずっと考えていたことだ。
木曾が初陣の時に言われた言葉『戦場で煙草も吸えないやつは死ぬ』の意味。それをずっと探し続けた。ただの戯言だと流すことは簡単だったが、木曾は大真面目に考え、自分なりの答えを探り当てた。その結論が、戦場に立っても煙草の味をわかるくらい平静を保てということなのではないかということだ。
伊勢本人に聞いてはいないため本当の意味は知りえないが、少なくとも伊勢は今日の一〇〇〇もの深海棲艦と戦いながらでも吸い続けていた。流石に最後まで吸い続けていたわけではないが、それでも周囲を冷静に観察し、合間を縫って何度か新しい煙草に火をつける、そんな芸当をやってのけていた。時折味わう素振りを見せながら。
そのことから自分の考えが当たらずとも遠からずであることを確信しつつ、あの高みへ登る通過点に戦場で煙草を吸えるようになる。が、木曾の中には追加された。
「お待ちどう様。味付けは塩だけで宜しかったですよね」
「ああ。ありがとさん」
カウンター越しに鳳翔が皿を差し出してくるのを受け取る。
普段は酒もつまみも煙草も少々なのだが、今日あった出来事が出来事だけに全ての量が増えそうな気もしつつ、揚げたてのポテトを口内に放り込んだ。
少し強めの塩味と細長く切られたじゃが芋の食感と味は、強い酒を呑んでいる木曾には丁度良く、箸もグラスも進んだ。
「あーあ。こっちもこっちでなんか今日はヒートアップしちゃってるな」
テンションが高めの伊勢と木曾に挟まれた明石がぼやくが、素知らぬ顔で飲食を続けていると、何となしに伊勢の方が気になり目を向けた。特に理由もなかったため、木曾自身なんで自分は伊勢を見ているんだと言う気持ちになりながらも取り敢えず見ると、どうやらライターのオイルがなくなったようで、何度もフリントを回しているが火が灯る気配はなかった。
「剣造ぉ、火くれ」
そのため隣の提督に火を求めるのは当然の帰結だった。提督もまたかという顔をしながらもポケットに直しておいたライターを取り出す素振りを見せるが、
「火ならそこにあるだろ」
伊勢がそれを静止し、咥えていた煙草で提督の口元を指していた。
――………………………………………………………………は?
提督は現在進行系で煙草を吸っている。
そこから連想されることに一度首を振る。
二度首を振る。
唐突のことに自分の見間違い、もしくは邪推の類ではないかと疑いをかけていたが、こともあっさりと、
「この物臭め」
提督が小さくボヤいてから互いの煙草の先をつけあった。
俗に言うシガーキス、と言うものである。
少なくともマミヤで夜を過ごし始めて半年、見たことのない二人の行動に、口に運んでいた全ての行動が止まる。
丁度厨房から出てきた間宮もあらあらと口に手を当て、明石に至っては口笛を吹いていた。
それで理解した。
長い付き合いであるはずの二人の間でも見たことがない。もしくは滅多に見ることがない珍しい行動なのだと。
「悪いね」
「オイルの管理はしておけと言っただろうに」
動揺する木曾を置いて当人達は何でもないかのように紫煙を揺らし始める。
「えっと、提督と伊勢さんはそういう仲なんですか?」
気になったのか鳳翔が恐る恐るながらも質問を投げかけた。
木曾は内心ナイスと褒めつつ、耳に神経を集中させた。
「そういう仲って?」
「その、噂で他の鎮守府ですと提督と付き合っている艦娘がいると聞いたもので、もしかして二人がそうなのかと……」
「アタシと剣造が?」
一番場を凍らせた二人。お互いが見つめ合ったかと思うとこちらを向いて同時に口を開く。
「ないな」「ないね」
完全なる否定。
「伊勢と恋仲か。全く想像できんな」
「同じく。こいつがそういう玉かね」
罵り合いではなく、お互いがお互いを把握しているからこそ出る事実の
どこか引っかかる部分があるような気もしつつ、何もないと言っている二人にこれ以上聞いても藪蛇になりそうな気がし、大人しくポテトを口の中いっぱいにして堪えることに。
「何だ?」
伊勢の行動でマミヤの中が妙な空気になったのだが、当人は気付く様子もなく、常時上機嫌に酒をかっくらい続けた。
木曾が沈みかけたシーンの木曽視点がpixivにあります。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8220401
タイトルは「TypeーAnother」
もしよろしければそちらもどうぞ。