一陣の風が吹いた。
海と陸の温度の差から発生する海陸風と呼ばれる類のものだ。今は夜間であるため近くの山を伝って陸風が流れてきたところ。
ポニーテールに甚平、スカート。それから咥えていた煙草の煙が揺れるのを黙って伊勢は受け止める。
艦娘である以上体温は一定であるため四月末の暖かくなり始めた空気であっても、特に感想を抱くことはない。
「人間なら気持ちいいのかね」
我ながらつまらないことを口にしたと思い直し、持っていた野太刀に力を込めた。
「飲んだ後であれだけど、折角今日は沸いてるんだし風呂にでも入るか」
艦娘ならばドッグがある。ドッグは被弾などなくても浸かることができ、治療や艤装の修復だけでなく、艦娘の体にある汚れといったものも落としてくれる。それも怪我がなければ一瞬でだ。
そのため艦娘が風呂に入る意味など何一つないのだが、今はお湯と一緒に思考も流してしまおうと、ポケット灰皿に煙草を押し込んでから鎮守府内に戻った。
玄関口から入ると左右に伸びる廊下と正面奥に階段があり、木の床を踏みつけながら真っすぐ進み、階段に足をかけた。鎮守府は外観は洋風然としているが、その中は石の類ではなく、全て木でできている。正確には木製のような何か、だが。
建物が成り立つ上で必要な物は全てが妖精によって造られている。と言われている。そのため見た目こそ弱そうに見えても。歩いたり叩いたりすれば木と同じ音を奏でたとしても、艦娘や深海棲艦の砲弾を防げてしまうほど強固となっている。
但し戸と窓だけは一般的に使われている物と同じ強度であるため、簡単に壊れてしまうが。
何故そのような仕様になっているかは不明だが、その御蔭で室内に蝋燭ではなく電気が通わせられている。早い話、プラグといったものは鎮守府内には存在しないのだ。もっと言えば電化製品を使うよう考慮がされていない。そのため今歩いている階段やその先の廊下等全てを照らしている電球は大本である大型発電機から送られた電力によって点灯している。窓や戸の一部を削って配線を通しているわけだ。
一度配線さえ通しておけば、建築専属の妖精はそれに合わせて増えた艦娘のために調整してくれるため手間はそこまでない。因みに照明のオンオフは妖精がやってくれるため、スイッチを探す必要はない。
階段を登り終えると後ろで照明が落ち、再び左右に伸びる廊下に出る。一応は三階まであるが、そちらは見張り台代わりに一室置かれているだけのため、登る必要はない。
剣造曰く鎮守府は場所によって造りが違うらしく、この臼杵鎮守府では廊下から外を見たい場合、左右の壁端にある窓まで行かなければ見ることはできない。つまり廊下に沿って真っ直ぐ歩くならば必ず左右に部屋へ続く戸が存在というわけだ。
伊勢は止まること無く左の廊下へ進み、左手にある二番目の戸を開く。
開いた先は竹製の籠が幾つか棚に並んでいるのが真っ先に目につく。目につくからこそわかるのが先客がいるということだ。夏用の白いではなく紺色の軍服が丁寧に折りたたまれて籠の中に入れられていた。
「何だ剣造の奴今入ってるのか」
ぼやきつつ土足との境目を越えるところで衣服部分の艤装を全て解除。頭の後ろで纏められていたポニーテールも今だけは降ろされており、唯一の武装は左手に握っている野太刀だけとなった。ポケットに入っていた煙草関連の物は落ちる前に回収して空いてる籠の中の一つに投げ入れる。
伊勢は今の姿に躊躇うこと無く、洗面台の横に置かれたタオルを手に風呂場に入る。前を隠すこと無く。
「伊勢。前にも言ったが俺が入っている時は来るなと言っていただろ」
入るなりいきなり剣造と目が合い、小言から始まるが、
「今入りたい気分なんで却下だ」
カミソリよろしく鋭く切断し、風呂場の脇に置かれている棚にタオルを置く。
浴室内は広く、床は他の場所とは違いざらついた岩がむき出しとなっている。同じ材質でできているであろう浴槽も大の大人三人は入れるほどのキャパシティを持っている。脱衣所の作りも相まってちょっとした銭湯のようなものだ。
壁端に窓が一つ付いているが換気目的のためすりガラス状になっており、外から見られることはないが、窓を開ければ湯船から夜空が見えるため、気分だけは露天風呂として味わえたりもする。
欠点を上げるならばこの湯船は雨水を濾過しだだけのものである点だろうか。
「深海棲艦との戦争が終われば一人の女になる奴が、少しは恥じらいをだな」
「アンタはアタシの親か。それに剣造の前じゃ今更だ。これまで何度入ってると思ってる」
浴槽の縁の野太刀を立てかけ、桶を使って湯船から掬った。今伊勢は艤装が一つもない状態だ。そのため先程まで特別意識するほど感じなかった外気温が、一気に肌から体内に入り込んでくる。
ジメッとした熱気が肌を纏わりつくように覆い、汲んだ湯に指先から徐々につけていくと、じんわりと温かい液体が血管を拡張していくのがわかる。
心臓ではなく、手が脈打つのを感じ取りながら一思いに肩から湯をひっくり返した。普段ならば装甲で弾けてしまう物も、今は容赦なく体に沿って流れ床の岩肌を濡らしていく。
三度ほどかけ湯をし、桶を端に置いてから縁を乗り越えるようにして、湯船に右足を降ろす。何の抵抗もなく、湯船の上に立つこともなくするりと落ちていく。
遅れて左足も跨いで湯に沈み込ませ、膝上まで浸かった足の皮膚一枚先にある湯の温かさを受け止めながら湯船の中に腰を下ろした。
「あぁ~~~~~~~~気持ち良い~~~~~~~~~~」
「家の死んだ爺さんみたいなことを」
「爺でも婆でも今は好きに呼んでくれ~。こればっかりは艦娘の状態じゃ味わえないんだし~」
緩みきった声で返事をする。今はいつも以上にだらけていたいがために、精神が受け流す方に全力で傾いていた。
「間宮が髪の纏め方を教えてくれたはずだが」
「面倒だからパス~」
しょうがない奴だと口にはせず、表情だけで示してくるがサラリと受け流す。今の伊勢にその程度のことなどそよ風にも満たない。風呂の魔力に比べたら大したものではないのだ。
伊勢お気に入りのハンモックでの昼寝ですら風呂には勝てない。
できることならば毎日入りたいくらいなのだが、風呂の規模が規模で、更に実際入るのは剣造のみ。結果として数日に一回しか風呂は沸かされないのである。雨が暫く降らなければ尚の事その日にちが伸びてしまう。
天候だけはどうしようもないため、風呂を沸かす日は贅沢できる日という気持ちで毎回入浴するよう心がけていた。
程なくして先に入っていた剣造が徐ろに立ち上がり、
「先に上る。のぼせるなよ」
特に前を隠すようなこともせずに浴室から出ていった。
――人間は不便だな。
何気なしに剣造の体を思い出す。
普段は上から下まで、夏だろうと冬だろうと長袖で手袋までしている。馬鹿正直なまでにしっかりと着ているが、その下は何処もかしこも傷だらけだった。最近の傷ではない。深海棲艦と人との戦争の時についたものが殆どだが、今も古傷として体に激戦の跡を残し続けている。
切り傷や火傷の痕、縫合された後など両手では足りないくらい至る所に存在する。指も折れて変にくっついたのかやや歪んでおり、脇腹部分に至っては少しばかり抉れた状態で傷が塞がってしまっていた。
これが艦娘ならばドッグに入るだけで傷跡など残ることもなく全てが消え去るのだが、人間はそうはいかない。小さな傷から細菌が入っただけで死ぬこともあれば、重体となれば死ぬ可能性も艦娘以上にあり、明石のように腕がなくなると再生することもない。そして死ねば物言わぬ肉塊として残る。
その他機能を思い出しても完全に艦娘が上で、人間が優れているところなど殆ど無い。あるとすれば人間の女性は子供が産めるくらいだろうか。
――そういえば何で艦娘は産めないんだろうな。
何をすれば子供を孕むかは知っているが、艦娘には子を産む機能が備わっていないため、伊勢も経験はない。
子供は純粋に可愛い存在として認識はしている。多少喧しく思いもするが、それは変わらない。
「やっぱり自分の子供は可愛いものなのかね」
人里で赤ん坊をあやす母親を見て、嬉しそうにしていたのは何度か目にしていることから想像はできる。あくまで想像は。だが結局経験がないだけに現実味がなく、人間と同じ体の状態になってもそれは変わらなかった。
湯船につけていた左腕を持ち上げ、雫が垂れるのも気にせず天井の明かりを視線から遮るように持ち上げる。
「人の、体か」
ほんのりと赤くなった手を見つめながら、右手は素早く野太刀に手が伸びていた。
直後に窓ガラスが割れると同時に小さな物体が飛び込んでくる。
それが何かは調べる前に結果が浴室内を襲う。
照明の光量を数十倍まで膨れ上がらせたかのような強烈なまでの発光。俗に言う閃光手榴弾と呼ばれる物が浴室内を必要以上に照らす。
発光が終えてから割れた窓から鍵を開けて侵入しようとしてきた者がいたが、伊勢は手に取った野太刀で突き返す。
落ちた者は二階から落下することとなったが叫び声一つ上げなかったのは評価に値するが、
「貴様何故動ける!」
窓の外で待機していた他二名は銃口を向けてきながら焦った声を上げる。
「はぁ。お前達日下部のお使いか?」
闖入者の言葉には答えず、予想のつく人物の名前を出す。だがこれが答えだと言わんばかりに短機関銃をフルオートで撃ち放ってきた。が、
「艤装を身に着けてる艦娘にそんな豆鉄砲は効かないって習わなかったか?」
真っ裸のままではあるが、艤装である野太刀を持っている伊勢に効くはずもない。砲弾を受け止められる装甲がパラベラム弾で通るはずもなく、その悉くを防いでみせた。
「で、だ。人の楽しみを邪魔したんだ。死ぬ覚悟はできているな」
誰の差し金かは既に割れているようなもの。聞く必要もないとばかりに柄に手を伸ばした。
「クソ。船如きが調子に乗るなっ」
「馬鹿やめろ!」
一人の静止を振り切って、片方が手榴弾に手を伸ばした。先程投げ込まれた閃光ではなく攻撃手榴弾。爆風でダメージを与えるものだった。
これ以上風呂場を荒らされてはたまらない伊勢は、致し方なしに野太刀を抜くのをやめ、開けられた窓から外へと飛び出した。手榴弾を投げようとした一人の襟を掴んで。
「ぐっ――――ゴホッ。く、殺すか化け物め」
途中手を放し芝生の上に落とした男は、引っ張られる際に喉が圧迫されたからか呼吸を整えつつも裸の伊勢を睨みつけていた。訓練の賜物か、最低限の受け身を取っていたようで落下ダメージは殆どないようだ。
「それが遺言でいいか?」
冷めた目で見下ろしていた伊勢は首根っこを掴み持ち上げ、足に男の尻を乗せるようにして、一気に上空へ放り投げた。
控え目にやったつもりではあるが思いの外力がこもっていたようで、月が隠れていることから見にくくはあるが、凡そ上空四〇メートルまで上昇している。
全艤装を展開。伊勢は追いかけるように跳躍した。
「おっと行き過ぎるところだった」
投げた男を通り過ぎるところでつかみ取るが、勢いが残っていたために更に上昇。五〇メートル上空辺りまで跳んでいた。
「ここで質問だ。アタシとアンタで総重量三五〇キロ位になるわけだけど、このままアンタを下にして落ちたらどうなると思う」
背後で首根っこを掴んでいるからか、満足に振り返ることもできていないが、その目は明らかに怯えている。だが、自由落下は待つこともなく、自然の法則の従って容赦なく落下し始めた。
「――――ひっ助け」
「死ね」
落下の恐怖から喉が引き攣ったようだが、伊勢は吐き捨てるように言い切った。
日下部誠からの横入れはこれで二度目。
一度目は二月程前。関係ない輩だからとそのまま帰してやったが、再度やってくるならば殺すと宣言もしておいた。そのため今回は一人だけ必ず始末すると決めている。
見せしめのために。
人類を守るために重要な人物である提督への危害を加える行為は、正当な理由がない限り軍でも硬く禁じられているが、このままエスカレートしていけばいつ剣造に被害が行くかわからないための防衛措置だ。
だと言うのに、
「伊勢!」
落下まで半分を切ったところで声がかかった。剣造から。
皆まで言われたわけではないが、声色で何を言わんとしているかは察せるため、組んでいた状態から解放。落下寸前にもう一度軽く上に投げた。
「うちの提督に感謝するこった」
恐怖で直ぐに対応できなかったのか、受け身も取れずに醜い声を上げて背中から落ちる。
「で、提督殿はどうするつもりだ」
二階の自室から飛び出して来たのだろう、剣造はいつもの軍服ではなく迷彩柄のシャツとジャージの格好で警戒しながら歩み寄って来くる。右手にはハンドガンを握ったまま。なお鎮守府内は土足であるため口はちゃんと履いている。
「どうもしない。そのまま送り返せ」
「お優しいことで」
「但し」
一度言葉を区切り、侵入を図ろうとしていた者達へ目配せをし、出てくるように促す。
「教えてもらうことはそれ相応に多いが」
「それはそのまま送り返すってことにならないだろうに」
「む? それもそうか」
伊勢の苦笑いに馬鹿正直に答える辺りに抱えていた殺意が消され、更なる苦笑いが顔に出てしまう。毒気が抜かれるとは正にこの事かと思いつつ。
「こちらも武装解除をする。抵抗はしないでくれ。できれば深海棲艦以外と争いはしたくない。そう屋根に隠れている者もだ」
侵入者全員出てくるよう促す。すると七名、伊勢の側で倒れていた者もよろよろよ情けなく歩み寄ると総勢八名が集合し近くまでやってきた。侵入するためか全身真っ黒の格好で。顔も塗料で黒く塗られている徹底ぶりで。
そして他の艦娘も気付いたのだろう。ぞろぞろと全員揃って出てくる。
「結局誰もやらなかったのか」
「止められたらそりゃあアタシでもやめるさ。あぁそれから剣造のカバーはナイスだった」
「オレ達の提督だからな」
木曾から放り投げられた煙草を受け取り一服。侵入者から目が集まるのも気にすること無く堂々と紫煙を吐き出す。だがそのおかげか、敵愾心が薄れたのか一斉に銃器を足下に置いていく。
「機密上言えないこともあるだろう。できる範囲で構わないから教えてくれ。目的はなんだ?」
仲間の顔色を伺うように左右に目を走らせると、その中の一人が一歩前に出る。
「私がこの部隊を率いている者だ。恥を承知で頼む。この場は見逃してもらえないだろうか」
木曾の気配が変わった。剣造もどうするか悩んでいるのかまだ口を開く気配はない。致し方無しに伊勢が返すことに。
「ふーーっ……それは新しい洒落か?」
「そのつもりはない。ただ一つ言えるとすれば、命令した者はこれ以上襲撃させることができないということくらいだ」
「何故だ?」
「四式擬装艦――――っとすまない。君ら艦娘達を殺すことは確かに問題だがもみ消せなくはない。だがそれでも相応なリスクはつくものだ」
「それだけ聞けたら十分だ。そのまま帰ってもらって構わない」
「おい剣造」
「安心しろ。大凡検討はついた」
「少将殿。貴方の心の広さに感謝する」
隊長らしき男が行くぞと短く言い放ち、置いていた銃器を素早く拾い歩き去っていく。が、一人だけ残っており、剣造に一気に近寄ってきた。
「それ以上近づくな」
木曾は言われる前に剣造の前に立ちふさがり、伊勢は鞘に収めたまま近寄ろうとした男に突きつけた。敵意は感じられないため恐らく大丈夫だろうが、秘書艦(ごえい)である以上最低限の仕事はしなくてはならない。
男は一瞬気圧された表情を見せるが、次の瞬間には引き締められ、真っ直ぐと剣造の目を見て言い放った。
「お久しぶりです池上剣造少将。陸戦隊以来ですね、覚えておられますか?」
「む、すまない」
「あぁそうでした、今迷彩塗料つけているのを忘れていました。私は榛原神戸(はいばらかんど)です。貴方に命を救われた」
「はいばらかんど……」
剣造はやや思い出す素振りを見せる。恐らくまだ艦娘が出現する前のことをほじくり返すように。
そして思い出したのか、眉間によっていた皺がなくなり目が見開かれる。
「うむ。榛原神戸か。俺が提督になる前の、最後の戦場を共にした者か。元気そうで何よりだ」
「はいおかげさまで。そして今回のご無礼申し訳ありませんでした」
「いや、仕方ない。最近は陸軍の扱いが悪くなっていると聞く。それを利用して練られた計画なのだろ?」
「その通りです! さすが少将、相変わらず洞察力が凄い」
「買い被るな。本当に優れているなら参謀本部にいるはずだ」
「ですが私が助けられたのは事実で――――」
「榛原時間だ」
「あ、もう行かなければ……池上少将。再びお会い出来て光栄でした。武運長久お祈り申し上げます」
「ありがとう。貴君らのためにも一日でも早く平和な海を取り戻してみせる」
陸軍所属である榛原という男は剣造に合わせてか、海軍式の敬礼をしてから駆け足でその場を後にした。
後に残されるは臼杵鎮守府の面々だけ。静まり返った鎮守府裏に声を上げずに、艦娘と剣造とで視線がぶつかる。
やや離れた位置にある山の木が風に揺られて鳴き声を上げた。
再び静まり返った時、剣造は何度目かの口を開く。
「今日は遅い。寝るぞ」
言外に察しろと言わんばかりに打ち切り、全員で鎮守府内に戻った。
「ふ、はっ」
「っと今のは危ない」
一度体勢を整えたいのか、明石は距離をとった。
「かなり上達し、私も本気でやらないと結構危ない感じになってきたね」
「地上だから、だろ?」
明石が煽てて来るが、木曾はそのままに受け取らずに返す。
「まぁね。まだ戦闘中に縮地はできないんだよね?」
「最近コツは掴め始めて入るんだが、それを連続してとなると時間が経つ毎に怪しいな。先日伊勢さんに付き合ってもらったが、一度移動と防御のバランスが崩れると立て直しが利かない」
「となると攻撃するなら一撃必殺的な状態なんだ」
「そうなるな」
手の平に目を落とし、握りしめる。
装甲の扱い方は徐々に上手くなっていっている自信はあった。縮地による移動も半年前初めて使えるようになった時に比べたら格段に早くなっている。一度に引き出せる量が増えたからだと伊勢に褒められもした。
だが未だに電や明石のような戦い方はできない。
綾波や鳳翔よりは十分装甲が扱えるようにはなっているが、下を見ていても成長などできるはずもなく、目指す存在が高すぎるために地道に成長することがもどかしくあった。
成長ができていないわけではないのだが、中々に都合よくは行かないものである。
「明石さん」
「私もやることあるからこれが最後ね」
「次は本気で頼む」
「わかってる」
距離を取った明石との間は六メートル。
艦娘の身体能力だけでも一息で距離を詰めることができる間合い。
慎重に距離感を測りつつ、右腕を顎先に。左手は拳を作らず力を抜いた状態で左肩ごとやや前に出しておく。最近の木曾の肉弾戦時の構えだ。
伊勢のようにどのような状態からでも反応できるならば必要ないのだろうが、木曾にはまだ反射神経と思考が釣り合っていないため、あらゆる攻撃を受け流すための術として実戦で培った経験の基、辿り着いた構えがこれだった。
対して明石は腰を落とし、右拳を横腹付近に置き、左腕はダラリと垂れ下がっている。左腕が下がっているのは完全武装した時にそこにワイヤーが来るため。なのもあるが、明石の反応速度ならば腰から上の攻撃は全て上に向かって払いのけられる。そうすると相手の腹部ががら空きになるため、好きに右拳を叩き込める。そういう構えなのは自分の体がよく知っていた。
――つっても本気は今日が初めてか。じゃあこれまでの比じゃないってことだな。
地上では縮地は基本的に使わない。海と反応が違うことと、地面に幾つも掘り返したような跡が残り、手入れをしている間宮にツンドラのように冷たい笑顔で怒られるからだ。
完全に縮地で行こうとしていたため、盛り上がった熱気を沈めるために細く息を吐く。思考はドライに、心はホットに。
上等とばかりに敢えて一度構えを崩して、膂力だけによる跳躍で一気に距離を詰める。
離れすぎていることは百も承知である。完全に反応されることも。
問題はここからだ。
木曾の放った右足による飛び蹴りは明石の胸部に目掛けて突き進む。が、明石の左腕が斜めに掬い上げるように振るわれた。当然ながら装甲を利用しての受け流しだ。当たれば反れるどころか空中で独楽のように回ってしまう可能性すらあるが、木曾もそのことを考慮して既に足首周辺に装甲を展開させていた。
ぶつかる装甲と装甲。
真正面から当たるように方向を調整しておいたため、より強い力を使った方が弾き飛ばすことになるが、結果は、
――負けた!?
木曾の打ち負けである。
想定していたのはここで弾き飛ばし、体勢を崩させた状態で恐らく放たれるであろう右拳とのぶつかり合いだったのだが、逆にこちらの体勢が崩されることとなった。
内心舌打ちをするも完全に反らされたわけでもない。だが固めた右拳が動く瞬間をハッキリ見え、咄嗟に左足を明石の右腕に向かって繰り出す。
丁度アッパーを繰り出そうとしていただけに隙間のあった上腕に当たり、明石の動きが一瞬止まる。その合間を使って明石を踏み台に横っ飛びする。
――い、今のは危なかった。何もしなかったら今頃肋骨数本いってたぞ。
体勢を整えつつ被弾予測地点を左手で擦っていると、今度は明石が動いた。
一足で近寄ってくると同時に右前蹴り。
慌てて擦っていた手で弾きにいくが読まれていたのか、僅かに反らせただけで弾き飛ばすことはなかった。
しかも足は反らせたが、慌てていただけに次の反応が遅れてしまった。
前蹴りで出した分の足を使って一歩大きく近寄ってきた明石に胸ぐらを掴まれ、引き倒されそうになる。一瞬手を振りほどくために装甲を全力展開しようかとも思ったが、それだと追撃でやられると直感し、引き倒されながら明石の頭部に向かって蹴りを入れた。
体勢も悪く、防御にも装甲を回していたために大したダメージにはならなかったが、手を離させることには辛くも成功した。
装甲で防いだことにより落下ダメージも軽減され、痛みは息を無理やり吐き出された程度ですんだ。
呼吸のし辛さなど放置し、殆ど反射で立ち上がり最初の構えを取る。
一息だけ吸い込めたのは僥倖だった。
だが僥倖とは何度もあるものではない。
明石から突き出され右拳は腹部を目指すが、左腕に展開した装甲で、防御に回されているであろう装甲をぶち抜き骨を折るつもりで叩き落としにいく。
しかしそうはならなかった。
振り下ろしたはずの腕は逆に弾かれ、折れてしまっていたからだ。
――何を、された?
視線を走らせると、明石は右拳を途中で止めており、木曾の左腕を折ったのは明石の振り上げた左手だった。
――フェイントかっ。
気付いても後の祭り。
半身に近い構えを取っていた木曾は、左腕が激しく吹き飛ばされたことにより、今完全に明石に正面を見せている状態だ。
危険な臭い。重体は真逃れそうもない重い一撃を感じ取った木曾は闇雲ではあるが蹴りを放つものの、それよりも先に明石の右拳が腹部に突き刺さるのが先だった。
「――――う、ごはぁっ」
腹部に深々と突き刺さった拳が臓器を破裂させたのを認知するもどうしようもできず、後方数メートルまで転がされた。
「ごふっごほっ」
臓器が潰れたことで食道を伝って、口から血が溢れ出た。
黒っぽい色であるため、喀血ではなく吐血。これまで何度か経験しているが、慣れることはない痛みと症状だ。
血の味には飽きてきてはいるが。
「木曾大丈夫……じゃないよね。ドッグまで運んだほうがいい?」
加減されている時は歩けるだけの状態だったため強がって一人でいっていたのだが、今日は背骨までいっているのか、動かせる気がしなかった。そのためここは大人しく静かに首を立てに振るうことに。
ただ一つ不満点を言うならば、
――なんでこの持ち方なんだ。
お姫様抱っこで抱えられていることだ。
「そんな目してもしょうがないじゃない。これが一番持ちやすいんだから」
虚ろながらも精一杯のジト目をするが聞き入れて貰えそうもなく、明石は上機嫌に歩いて行く。
いつかこの借りは返す。
逆恨みながらも木曾は密かに胸に誓うのだった。
明石にやられた次の日、木曾は路上を歩いていた。
しかしただ歩いているわけではない。その手には一輪車。所謂ネコが持たれており、その籠の中には土一杯にこんもりと盛られていた。
「木曾ちゃんこっちなのです」
待っていたのか、電が呼んでいるのが聞こえてきた。
「早いな。結構持ってきてたのに」
「この辺りが終われば殆どの凸凹もなくなって道として使いやすくなりますし、当然です」
同じく待っていた綾波が終りが見えていることにテンションが上っているようで、張り切っていた。
現在木曾達は臼杵市内の道路を舗装している。舗装と言ってもアスファルトによる整地ではなく、砲弾で剥がれてしまったアスファルトに土を持ってきて埋め立てている程度にすぎない。それでも車が真っ直ぐに走るには十分なほど綺麗になっていた。
このようなことが始まったのは神通を亡くしたのが原因だ。
当時綾波も電も意気消沈しており、戦場に出られないわけではないが、活力と言うものが何も感じられなかった。人型をしているだけで兵器の一つの装置に近い状態でただ生きていただけだった。おまけに戦場や訓練以外は部屋にこもっており、出てくることはない。
そんな二人に役割を与えたのが提督である。
ガタガタに歪んでしまっている道路を平にしろという命令。
命令故に二人は逆らうことなくやり始めた。もっさりとした動きでシャベルを振るう。
そんな二人を手伝うように代わる代わる鎮守府の面々が、指示されるでもなく進んでやり、今日ここまで来た。
二人が神通のことを乗り越えた時は今でも覚えている。
神通を亡くして一月後のこと。その日は丁度木曾が手伝っていたのだが、土を運びすぎて手持ち無沙汰になっていた。埋め立ての作業をやっても良かったのだが、そこまでは手伝うなと提督に言われていたため、致し方無しに珍しくシガリロに火をつけた。
臼杵は海と山に挟まれているため、何処にいても両方の空気を感じられる。その時も海風によって潮の香りとシガリロが混ざり、静かな香りを木曾は感じていた。
そんな時、不意に電から声がかかる。
「木曾ちゃん。私達は何処に行くのでしょう」
「どういう意味だ?」
背を向けられているため表情は見えない。声色で判断しようにもどのような気持ちを込めて言われたのか、陽炎のような声に図りかね、訝るが反応はない。だが同じように綾波が続く。
「私達のいる意味って何でしょう」
「そりゃあ深海棲艦を倒すためだろ」
綾波の言葉は消え入りそうではあるが内容はわかりやすく即答する。模範解答と言えなくもないが、艦娘である以上これ以外言葉は思いつかず、言い直すこともせずに反応を待つ。
たっぷり三十秒は待っただろうか。いつの間にかシャベルの動きが止まり、こちらに背を向けていた二人は、同時首だけで振り返り口を開く。凍えるような声とともに。
「「では、神通は何処にいったのでしょう」」
「――――――――――――っ」
思わず喉が引きつる。唾液を嚥下させるも上手く喉を通らず、引っかかるようにして食道へと降りていった。おまけに咥えていたシガリロを落としたのに気付くこと無く、半眼で見てくる二人の視線に言葉を詰まらせる。いくら脳内を検索しても小綺麗な戯言しか出てこず、のらりくらりと回避する都合のいい逃げ口上も引っかからない。
だから、
「何処にも行かない。正真正銘遺体は消えたんだ。跡形もなく」
そのままを伝える。
隠すことなく。
思ったままを口に。
どう二人に届くかなんてわからない。でも乗り越えなきゃいけないだけに、真っ直ぐに向き合ってほしくて伝えたのだ。が、
「そう」
返ってきた言葉は素っ気なく、そしてとても冷たかった。氷のように。
そんな二人の態度に怯んでいたかと思うと、今度はむかっ腹が立った。
自分への冷たい態度に?
否。
神通のことを未だに引きずっていることに?
否否。
神通のことに向き合うことを避けていることにだ。
神通は死んだ。それは変わりようのない事実。そして再び神通が建造されたとしてもそれは木曾達の知っている神通ではない。
だからこそ受け止めなければいけない。
「二人共いい加減にしろよ」
地面を乱暴に踏みつけながら歩き、電と綾波の胸ぐらを掴む。二人が持っていたシャベルが地面に落ちるがお構いなしに。
身長差から見下ろすことになるが、二人の目には生気を感じられないがお構いなしに続ける。
「そんなに二人は神通さんを殺したいのか」
「っ言うに事欠いて何を」
先に反応したのは綾波だった。
力のなかった瞳には怒りが宿っており、久方ぶりに生気を感じられる目をしていた。胸ぐらを掴んでいる手を折らんとせんばかりに握ってくるが、気のせいとばかりに木曾は無視をする。
「なのです。言って良いことと悪いことが」
「良いから聞け!」
叫び声を上げ、二人を無理矢理に黙らせた。
今伝えなきゃ、いつか二人が死者に引きずり込まれるような気がして、もうこれ以上亡くしたくないからこそ思いを言葉にして届ける。
「オレなんかより二人の方が神通さんと一緒にいただろ。思い出だって一杯あるはずだ。でも前に進まなきゃその思い出だって殺すことになるんだぞ。唯一残ってる神通さんがいた証拠さえも消してしまう気かよ」
「木曾、ちゃん……」
「あぁオレだって悔しいよ。何もできなくて、敵を止めるどころか見ることもできない。情けないったらありゃしない。あの時神通さんは隣りにいて、恐らく奴は俺の後ろを素通りしたんだ……でも。いや、だからこそ、生き残ったからこそ、アイツを沈めるだけの力をオレは欲しいんだ。敵を討つために」
「木曾……」
「だから止まらない。神通さんがいたことを。オレの中に生きている神通さんとの思い出までも殺させはしない。そのためにオレは前に進むんだ。歯を食いしばってでも。二人はどうなんだ」
「わた、し、は」
木曾の剣幕に押されてか、悲しみで固まっていた二人の表情は揺れ動き、言葉と一緒に自分の心を探すように左右を見回す。
体は震え始め、最後には下唇を噛んでうつむいた。
表情は隠れてしまい木曾からは見えることはない。だけども胸ぐらをつかんでいた手を、二人は壊れそうなほど弱々しく触れる。
「殺したく、ない」
「私も、神通のこと忘れたくない。でももう神通は」
「ああ、いない。だけどオレ達はこうしてまだ生きている。生きているなら神通さんの分も生きて、そして神通さんを殺したやつを一発ぶん殴らないとな」
掴んでいた手が濡れだしたのに気付き、ゆっくりと手を放す。
「乱暴なことしてすまなかった」
「ごめんさない木曾」
「ううん。ありがとう。木曾ちゃん」
見た目通りに泣く二人を、木曾は何も言わず傍で見守り続けた。
そんな二人が今や、
「完了、なのです!」
「やーりまーしたー。これで任務完了ですね、電さん」
「はい。間宮ちゃんにお願いしてお菓子をご馳走してもらうのです」
以前まであった暗い影などもう何処にもない。
完全になくなったわけではないのだろうが、それでもこうしてまた明るくなれたのだから、変に蒸し返す必要はないだろう。
「木曾ちゃんも一緒にどうですか?」
「そう、だな。たまには良いかもな」
「それでは早く片付けて鎮守府に帰るのです」
「おいそんなに引っ張るなよ」
手を取られ、引っ張っていく姿は先輩でありながら妹のような感じがし、自然と笑みが溢れる。
こんな日がずっと続けば良いと本気で思っていた。
どこまでも続けば良いと。
しかし、終わりはやってきた。災いと共に。
どんよりとした雲が空を隠す。
今日は全国的に曇り空で、一部雨が振るのだとニュースで言われていた。昨日電達と道路の整地をしていた時は見事に晴れていただけに、スッキリしない天気である。
鈍色のカーテンを睨みつけても何が変わるでもなし、昼食を取りにマミヤまで向かった。
扉を開ける前に調理中のものか、既にいい香りが外まで漂っており、自然と唾液が分泌され始める。
「間宮さん、昼飯頼む」
開口一番に注文を上げつつ中に視線を向けると、珍しく全員揃っていた。
「遅かったじゃないか木曾」
「伊勢さん。あんた今日は遠征の日じゃなかったか?」
昨日の話では朝方にはいつものように遠出をしているはずの伊勢が、何故かテーブルに着いており、返答よりも先に疑問を口にしていた。
「深夜に舞鶴から報せが届いてな。予定より深海棲艦が早く動いたが、何とか迎撃できたそうだ」
「へぇ、じゃあ今日はオフなのか。なら」
「構わないよ。後で相手してやる」
伊勢が言い切ったことに小さくガッツポーズを決めてから席に着く。と言っても全員いるとテーブルで囲むことはできないため、四人がけのテーブルで二組に別れて座ることになる。手前の席は電と綾波が腰掛けているだけで、向かいの二席空いていたがそちらはスルーすることに。恐らく今食事の準備をしている間宮と鳳翔のために空けているはずだからだ。
奥のテーブルは左奥に提督がおり、隣に伊勢。提督の前は明石が座っており、木曾はその隣に空いている席に腰を下ろすことに。
もう出来上がる寸前なのか、液体の焼ける音と共に香りが爆発したかのようにマミヤの中に広がる。遅れて絡めるような音がし、数度小規模な匂いを吐き出してから緩やかに音が消えていく。
しかし香りは充満してしまっているため、逃げることはない。
この香ばしい、フルーティなソースの匂いは、無いはずの空腹感を覚えるには十分だった。
「鳳翔、お皿の準備は」
「こちらに」
「ありがとう」
奥で調理が終わったのか、皿と皿が擦れる音。盛り付けに菜箸を使っているのか、箸と箸のぶつかる軽快な音。お盆に乗せるやや重い音。
幾つもの音を奏でてから香りの現況を手に、二人は奥からやってきた。
「お待ちどう様です」
「マヨネーズや紅しょうの必要な方はご自分でお願いします」
テキパキとテーブルに載せられていくそれは、できたてであることを主張するように湯気を放ち、鼻腔をくすぐる。
焼きそばの上に乗っている半熟の目玉焼きも、早く潰してくれと踊っていた。
「焼きそばか。久しぶりだな」
「ですがタダの焼きそばじゃないんですよ。これは日田焼きそばですから」
「何か違うのです?」
「それは食べてからのお楽しみ」
電の問にいたずらっぽく間宮は返し、本人も着席した。
全員揃ったのを確認してから手を合わせ、提督が音頭を取った。
「いただきます」
「「「「「「「いただきます」」」」」」」
「うっま」
いきなりがっつく伊勢さんが真っ先に目につく。
気持ちのいい食べっぷりは否が応でも期待が高まるというもの。目玉焼きを潰そうと箸を伸ばすが、味わうために敢えて麺だけを先に口に入れた。
箸で持ち上げる際に既に違和感があったが、口内でそれが何かを知る。
「麺の一部がパリパリしてるのか」
「はい。わざと少し焦がすよう焼くのが日田焼きそばの特徴です」
「焼きそばなのに歯ごたえがあって面白いな」
再度麺を啜る。柔らかい部分が大半を占める中、特徴的な麺が咀嚼に歯向かうようにその食感を、音を、明確に伝えてくる。
目玉焼きを割って黄身を絡めると、濃い味がまろやかとなり、口当たりも優しくなる。マヨネーズをかければお互いに引き立てながら喉の奥へと流れていく。
少し口内が油っぽくなれば紅しょうがを口にし、水を飲んでリセット。再び箸を取る。
美味しさからか一同黙々に食し、気付けば皿は空となっていた。
食後の礼をしてから、初めて木曾は一息付けた。
想像以上の美味しさが今も脳に残っている。
「いや本当に美味かった」
「うむ。初めてだがこれはまた食べたいものだな」
「綾波もまた食べてみたいです」
「好評なようで何よりです」
全員からの好印象に間宮も満更ではないようで、いつも以上に笑みを浮かべながら食器を片付けていく。
「お前達。午後はどうする」
鳳翔が食後のお茶を配り、それ啜りながら提督が全員に目を向ける。
特に何かを含んでいるような言い方でもなく、純粋に把握するための問いかけに、木曾は真っ先に答えた。
「オレは伊勢さんと修行だ」
「そろそろ縮地に慣れたろうし、今日から海でやるぞ、木曾」
「臨むところ」
伊勢の誘いにカッと体が熱くなる。自然と闘争心が湧き上がるが、せっかく出されたお茶を一口も飲んでいないため、挑戦的な笑みを向けてくる伊勢に眼力だけで反応する。
「私は釣りにでも行こうかな。整備するものも今日はないし。木曾も取られちゃったしね」
「大物宜しく」
「期待しないで待ってて」
「あ、今日は私もついて行っても良いですか?」
「電さんも? それじゃあもう一竿用意しなきゃね」
明石が振り返り、釣り竿を振る動作をしながら電とアイコンタクトを取る。電は電で両手を胸元まで上げて頑張る意思表示を見せていた。
「間宮さん。お時間は」
「ごめんなさい。今日は荒れた芝生を整えなければいけないんです」
間宮の何気ない一言に木曾はギクリと動くが止まる。
芝生の件は十中八九、木曾と明石の訓練が招いた結果なだけに冷や汗が出そうになる。
「気にしなくても大丈夫ですよ、お二人とも。ただ実力的にもう陸より海の方が適している気がします」
「やっぱりそう思うか~。じゃあ今度からは海で、だね」
反論するでもなく素直に頷く。実力が付いてきたからこその指摘だ。嬉しくはあっても不機嫌になることは何一つ無い。
「それでは私は艦載機の訓練をします」
「あ、でしたら綾波もお手伝いします」
「TS(トライアルスカイ)で、ですか?」
TSは鳳翔の艦載機運用訓練のために作られた明丸印の名称だ。画面で自分の艦載機を操作できるもので、提督と明石しか使えるものはいないはずだが、いつの間に使えるようになったのかと疑問に思うが、直ぐに否定された。
「いえ、私に爆撃機を飛ばして欲しいんです」
「え、でもそれは……」
「構わん。やってやれ」
躊躇いがちな反応をする鳳翔に、提督が背中を押す。
「爆撃機の命中精度向上と装甲をより上手く使う訓練だ。問題はない」
「……わかりました。では綾波さんよろしくお願いします」
「綾波こそお世話になります」
一同やることが決まり、丁度お茶も呑み干したことで一斉に立ち上がる。
さぁ、これから楽しい修行の始まりだ。
そう意気込んで笑みを浮かべた木曾の表情を剥ぎ取るような声が耳の奥に届いた。
「こちら坂ノ市鎮守府の艦娘だ。臼杵鎮守府の艦娘に告げる。そちらに深海棲艦の大艦隊が――――」
突如として切れる通信。
見回すと他の者にも聞こえていたようで、ほんの少し前まであった緩やかな空気は一瞬で霞の如く消え失せた。
更に、それだけでは終わらなかった。
「臼杵鎮守府の池上提督、応答されたし」
通信妖精が現れ、提督への通信を開く。
「臼杵鎮守府所属の池上だ。何があった」
「失礼しました。こちら宇佐第二鎮守府所属の吉田照彦(よしだてるひこ)少佐であります。現在千近くの深海棲艦が宇佐方面に向かっているとの情報が入りました。そのためそちらが保有している航空戦艦伊勢の助力を願いのですが」
「こちらにも現在深海棲艦が向かってきている情報が入った。そちらにいつ回せるかは後ほど伝える」
「朗報期待しております」
「聞いての通りだ。全員補給をい――――」
もう終わりかと思った矢先、更なる通信が臼杵鎮守府に舞い込んだ。
「さ、佐伯第一鎮守府の者です。いぃ今、うちの娘達が相手している物の数が、二〇〇を超えているそうです。だ、第二の物は先程全滅してしまったと……どうか応援を」
震える声。
今まで相手にしたことのない数なのだろう。そして元民間人故か、通信越しに動揺がありありと伝わってくる。
いや、同じ地域に存在する佐伯第二鎮守府を失ったのも大きいか。戦力としては提督が軍人だったためか、第二の方が上をいっていた。それがやられたならば動揺するなというのが無理な話だろう。
「直ぐに向かわせる。鳳翔、臼杵沖に向かって偵察機を飛ばせ」
「了解っ」
一度指示を出してからマミヤの中で沈黙が落ちる。聞こえるのは遠くで艦載機が飛んで行く音と、壁掛け時計の規則正しいリズムだけ。
艦娘は提督の指示がないのに動くわけにもいかず、口を固く閉じた提督の声を聞き逃すまいと、耳を傾け続ける。
二十秒はしただろうか。鳳翔も戻り、全員の視線が提督に集まった頃、重い沈黙を破り声を張りあげた。
「伊勢、お前は宇佐に行け。明石、お前は佐伯だ。残りの者でここに来る奴らをやる」
「残りの者というと私もですか」
普段滅多に見ることのない真剣な表情をした間宮がそこにはいた。
間宮の戦闘能力は明石と同程度なのだと伊勢から聞いている故、それは頼もしい限りであったが、提督は首を横に振った。
「いや、お前は残れ。不意を突かれる可能性もある。ここが狙われない保証もない以上戦力をゼロにするのは危険だ。おまけに何処が苦戦するかも不明。自由に動かせる戦力は必要だ」
「そういうことでしたら」
「但しいつでも出られる準備はしておけ」
「了解」
一度言葉を区切り、全体を見回す。顔つきを確かめるように。
その後目を閉じ、息を吸う音を立ててから、一気に目をかっぴらく。
「全員傾注! 今回三面作戦となる。以前経験した別府沖海戦よりも厳しい戦いとなるだろう。特にここを狙う敵の数は現在不明だ。だがやられる訳にはいかない。全員、覚悟は良いか!」
「「「「「「はい!」」」」」」
「全員装備、補給を済ませ次第出撃! ただこれだけは言っておく。死ぬな」
「「「「「「了解!」」」」」」
「ようはアタシがさっさと全部やれば良いだけだ」
「伊勢も無理はするな」
「……どうしたらしくない」
「いやすまん。頼むぞ伊勢」
「あいよ」
二人のやり取りを見て、何かが離れていくような感覚に木曾は襲われた。硬く結ばれた紐がするりと自然に解けていくような錯覚に。
それが何なのかを探ろうとするが、そんな暇もなく、駆け足で補給と倉庫へ向かった。
「目の前にすると中々の光景ですね……」
驚きよりも呆れの割合が多い声が綾波から上がる。
「オレも伊勢さんに着いていった時に見てなかったら呆然としてたかもな」
臼杵湾から沖に向かっている最中に、偵察機として送り出していた艦載機が敵情報を掴んだことから不透明だった正面の敵の数がはっきりした。
その数凡そ六〇〇隻。
中にはeliteやflagshipも混じっているようで、厳しい戦いになるのは必至だった。
「私はちょっと怯んでしまっています」
「私も少し不安なのです」
鳳翔に続き電までもが弱気な発言に思わずツッコミを入れる。
「おいおい電さん。あんたがこの隊で一番強いんだからビビるほどでもないだろ」
少なくとも今の電の強さは明石に近い段階まで上がっている。明石とて成長しているのは、何十度となく手合わせをしている木曾だからこそわかっていることだが、その明石が電相手だと加減ができないと言っていたのだ。
木曾はあくまで陸での本気としかまだ打ち合いさえさせてもらっていない。更に言えば今の電は改となっている。去年の九月に改造されて以降、その差は歴然としている。
なのに自分が臆すること無く立っているのに、それ以上に強い電が怖じ気ずつ理由がわからなかった。
「そうは言っても木曾ちゃんと違ってこの規模の敵艦隊は見たことがないです」
「あーそういうことか」
わざと言っているのではと疑ってもいたが、どうやら本当に尻込みしているようだ。これまで実際に戦った最大の敵艦隊は二〇〇。それが三倍にもなれば多少は尻込みもするかと理解はしないが落とし所としては飲み込んだ。
――一〇〇〇を越える艦隊。二桁の姫。中々に経験できるものじゃない、か。
あの日を境に、木曾の戦場の捉え方は変わった。
戦場において強さは絶対だが、格上相手でも技術で乗り切れることもあるということだ。生存を諦めなければ恐怖は残っても、腰が引けるのではなく背中を押されるようになった。
死にたくなければ動けと。
そしてそれは仲間を助ける意味でも背を押してくれる。
「大丈夫だ電さん。あんたは強い。なんだったらオレが一人でやってこようか?」
「それは駄目なのです!」
「馬鹿を言うな」
「いや、電さんはともかく提督は冗談だとわかるだろ……」
通信越しに提督が止めに来た。それが本気であることが雰囲気的に察せるため、思わずこめかみに手をやる。続いて謝罪まで返ってくる有様に、逆におかしくなって薄く笑ってしまったほどだ。
「で、どうするんだ? 作戦通りに行くにも深海棲艦のやつら、動く気配がないぞ」
「ですね~。砲塔を向ける素振りもありません」
「上空まで偵察機を送っても迎撃してこないのは不気味ですね」
「引き離そうにもこれでは誘いに乗るかどうか……」
全員からの観測結果に暫しの沈黙が落ちる。
木曾達が深海棲艦を視界に捉えてから既に五分が経過している。最初は綾波と鳳翔が陽動となり、突破力のある電が分断。少数の部隊となっているところを木曾が叩いていくという算段だったのだが、海上を静止したままピクリともしない深海棲艦に、罠があるのではと警戒し、距離を開けたまま錨を下ろす羽目となった。
敵とて馬鹿ではないためがむしゃらに戦ってきてなどいない。中にはいないこともないが、基本は旗艦が存在し、しっかりと統率の取れた行動してくる。
沖で何もせずにいることは確かにあるが、視界に入っているのに何もやって来ないことは今まで聞いたことがなかった。
ならば何故?
疑問が出てくるが答えはでず、今はただ提督の指示を待つばかり。
「ごめん。こっち姫が二人もいるからちょっと時間かかるかも。応援は厳しいかな」
待っている間に明石からの通信が届く。
どうやら佐伯沖にいる二〇〇の艦隊の中に姫が二隻存在しているようで、簡単には終わらせてくれないそうだ。
「flagshipも幾つか見えるし、今日は大盤振る舞いだね」
今回は明らかに異常だ。
かつて鎮守府が存在したところならばいざ知らず、泊地しかなかった大分にこれ程の深海棲艦がやって来たことはこれまでにない。
眼の前にいる異様な艦隊と異常なまでの艦隊群。二つにどのような関係性があるのか知るよしもないが、ただ決まっていることは、
「悩んでも仕方ない。全員仕掛けるぞ」
敵は消すだけということだ。
「但しまずは魚雷二射で牽制。一射目命中時に重なるよう砲撃も開始。その際電は自分の砲雷の速度を計算に入れるように。その後敵が反応すれば予定通りに作戦を遂行。もしなければ追って報せる」
「「「「了解」」」」
「全員微速前進」
提督の指示の下重い錨を上げ、木曾達は穏やかに波をかき分けながら前へと進む。
観察のために単横陣になっていることから陣形変更の必要性はない。
「魚雷発射」
号令に合わせて準備していた魚雷を一斉に解き放つ。
海に溶け込むように消えた酸素魚雷は軌跡も殆ど残さず、真っ直ぐに敵艦隊へと目指す。視界ギリギリの距離からの雷撃であるため、大凡時間にして二分半後に着弾する計算となる。
遅れて放つ電の魚雷も後と追うようにして海中を矢のように突き進んでいく。
その間に砲弾を砲塔へ装填。距離、風の流れ、湿度、気温、波の動き。幾つもの砲弾がブレる要素を計算に入れ、その上に経験を乗せて角度を調整する。船体から伸びたアームを小刻みに動かし、イメージが重なる場所を探り当てる。
波も風も穏やか。空を覆う鈍色の絨毯が重い雰囲気を作ってしまっているが、そこへ砲撃音までもを重ねる。重い雰囲気の中に重い爆音を狂乱の宴の挨拶として、海戦の幕開けとなった。
「反応は」
遠くでぶつかる砲雷は、火を上げて敵前衛の一部を飲み込む。
しかし、
「何も、ありません……」
深海棲艦は微動だにしなかった。
遅れて着弾した二射目の魚雷が命中してもそれは変わらず。
当たったのだ、確実に。
数隻の深海棲艦が沈んだのも見えたにも関わらず、視線を向ける艦は一つもない。
木曾はあまりな光景に薄い寒気が走る。ついでに潮風に混じって僅かに不快な臭いも感じ取るが、鼻先をこすって飛ばす。
「で、どうする」
マイナスな思考をおクビも出さずに指示を仰ぐ。意見具申はしない。
今回ばかりは勝手が違いすぎて迂闊な行動ができない故、トップダウン型を厳守としているためだ。
「電と木曾は近接戦。二人でヒット&アウェイを繰り返しながら確実に数を減らしていけ。距離を取った際の砲撃は許可するが撃ちすぎるな。しかし互いに距離を空けすぎないよう気を付けておけ。綾波と鳳翔はニキロ地点で待機。散発的に加勢をしながら敵全体の動きに注意しろ。何かあれば即座に全体に伝え、カバーするんだ。いいな」
本日三度目の了承を伝え、全員と顔を見合わせて頷く。
覚悟を確認するように。
背中を預ける仲間に応えるように。
「木曾ちゃん」
「おぅ」
旗艦でありこの隊最大戦力である電に合わせ、海を蹴った。
砲弾さながらに突き進む二人の艦娘は幾つもの波を残し、跳ぶ。
握られた拳は獰猛な肉食獣の牙や爪そのもの。狩るべき対象が視界に存在し、涎のように海水を撒き散らしながらひたすらに前進する。
「何で何もしないのか知らないが」
「沈ませてもらうのです」
後一歩で敵艦隊にぶつかる寸前、砲撃を行う。
踊る硝煙を突き破り、砲弾が直撃した左隣の敵艦目掛けて拳を振るった。
動くことのない敵艦は毛先ほどの反応も見せず、無表情のまま拳に打ち抜かれ、沈んでいく。一隻隣を沈めていた電も抵抗されること無く、無抵抗な深海棲艦を殴ったことに沈痛な面持ちで距離を取った。
「電さん」
「大丈夫、なのです。これも任務ですから」
電が時折敵を沈めることに躊躇いを覚えているのは知っている。直接言われたわけではないが、沈めた深海棲艦を悲しげに見つめているのを何度か見かけたからだ。優しい性格上戦争には不向きなのだろうが、艦娘として戦場(ここ)にいる以上逃げ場はない。
そんな自分と向き合いちゃんと前を見ている彼女に、一々口にするのは無粋なことだろうと振り払い、頷いた。
「わかった。次行くぞ」
「木曾ちゃんも遅れないように」
「遅れそうなら喰らいつくだけだ」
口角を釣り上げ、挑戦的に電を見る。
電もそれに応えるように笑みを浮かべ、同時に跳び出した。
それから何度同じ行動を繰り返しただろう。
六〇〇はいた艦隊は標的艦さながらに何もせず突っ立っているだけのため、弄することも労することも無く、ただただ殴っては沈め殴っては沈めと繰り返され、今では一〇〇を切っていた。
海戦が始まって既に三〇分が経過しているが、依然敵の動きは欠片もなく、数だけが減っていくだけだった。
もう少し早く片付けられないこともなかったが、いつ何が起こるかもわからないだけに、慎重になって戦闘していた結果である。
伊勢も二十分ほど前に戦闘を始めたようで、そろそろケリが付く時間だろうと前の経験から予想する。
明石の方は姫が装甲をある程度使えていたようで、早くても後十分はかかるとのこと。おまけに佐伯方面は雨が振り始めたようで、
「酷い湿気だな」
木曾の鼻先に雨が降る前特有の臭いが流れてくる。
「もうすぐここも雨になるんでしょうか」
「明石ちゃんが降られ始めたと言っていたので多分」
「この辺りも風が強くなってきましたし、嵐になるかもしれませんね」
雨が降れば日中であっても視界が悪くなる。砲撃や艦載機運用にも影響があり、そして装甲も例外ではない。波の動きが変われば自然と縮地のタイミングがズレ、予定した場所にも行けなくなってくるため、まだ未熟な木曾では死活問題となる。
「波も高くなってきてますし、木曾ちゃん」
「ああ。提督、速攻方をつけに行っても良いか?」
「その数ならば良いだろう。綾波と鳳翔も加勢に入れ。一気に終わらせろ」
今日初めての意見を述べるが、提督も同じことを考えていたのか即座に肯定される。
二回ほどヒット&アウェイをした頃に二人と合流し、再び横並びで敵艦隊と向き合う。
「何気にオレ達全員で近接戦って初めてだな」
「言われてみれば確かに。私は艦載機がメインですし」
「綾波も砲雷の援護が多いですね」
「じゃあ今日を記念日にしましょう」
「何のだよ」
電の突拍子のない言い分に思わずツッコミを入れてしまう。脈絡がなさすぎて笑ってしまうほどに。
「ん~皆仲良し日、なんてどうですか」
「センスゼロだな」
バッサリと切り捨てる。
流石に恥ずかしすぎて口にするのも憚られるような記念日は全く持って御免被りたい。
「え~そうですか。綾波ちゃんや鳳翔ちゃんはどうですか?」
「綾波もそれはどうかなって」
「私もちょっと恥ずかしいですね」
「皆意地悪なのです……」
「ま、まぁまぁ記念日の名前は帰ってから決めましょう」
「だな。目の前の仕事を片付けてからだ」
木曾は顔の前で右拳を左掌に打ち付け、戦闘続行の意思表示をする。
電は不満そうに頬を膨らませながらも構えを取り、綾波と鳳翔も苦笑を浮かべながら後に続く。
一名不服そうだが、それでも全体の士気は高く、今ならば伊勢さんともいい線いくのではないか、などと思いながら一歩前に足を出した。
その瞬間、世界は壊れた。
池上剣造はただジッと座っていた。
飾りっ気のない執務室。その割に豪奢な机と椅子はアンバランスであり、数年使用しているがここ最近になってやっと慣れてきたほどだ。
机と椅子は軍部の支給品であるため、現場にずっといた剣造には全く縁のなかった代物だけに、一時期ストレスを感じるほどに柔らかく体を受け止めてくれる。
ただ今はそんなこと微塵も気にすることもなく、その双眸は何も捉えず、ただ思考を張り巡らせるのみ。机に置かれた温かったはずのお茶は冷めきっているが、中身は少したりとも減ってはいない。
「提督、今日はどうされました?」
側でお盆を抱えたまま立っているのは、唯一臼杵鎮守府に残っている戦力、間宮。普段ならば帰ってくる者達のために料理の仕込みに入っているはずが、今はこうして残っている。
「どうも胸騒ぎがしてな」
「胸騒ぎ、ですか」
余程自分の顔つきが険しいのか不安げに顔を覗き込んでくるが、それに反応してやれるほど余裕はなかった。消えること無く残っている通信妖精を一瞥するも飛んでくる情報は特にない。
電達は敵の動きがないため今し方最後となるであろう指示を出した。明石は苦戦はしているも現状被弾はない。伊勢に至っては何も音沙汰がないが直に殲滅できるであろう。
報告することが無いのだから飛んでくるものなどない。
順調であるが故に必要性がない。
なのに、
――なんだこの感じは。自分が戦場に出ているときならいざ知らず、何故今このような。
拭い去ることのできない不安。
一番怪しいのは無論電達が相手をしている艦隊だが、何もせずにやられ続けている理由がわからない。罠の可能性があるにしてもただ悪戯に戦力を削ぐ理由が見つからない。坂ノ市鎮守府を沈めたのは、彼の艦隊を囮にして動く別働隊がいるのではと疑心暗鬼にもなるが、結局は何も見えない。
陸で深海棲艦と戦っていた時。あの時ですら敵には旗艦がいて、仲間意識もあり、仲間がやられると激高するような個体もいたほどだ。
ならば今回はたまたまなのか。
そのように楽観視しかけて、途端寒気がゾワリと撫でるような背中を走った。
「伊勢に繋げ、早く!」
反射の域で通信妖精に叫んだ。
心臓が早鐘を打ち、勘違いであってくれと心が叫び続けていた。
通信が繋がるのに二秒と要らない。なのにその間が最果てを目指すが如く遠くに感じられ、気持ちだけが逸る。
「どうした剣造。こっちはま――――」
「後どれくらいだ」
「何だ急に」
「どれくらいだ」
「――――もう後三分もあれば終わる」
余裕がなく、深く伝えられもしないが伊勢は汲み取ってくれたようで、端的に伝えてくる。
「ならばそこはもう良い。電達の下へ向え」
「最速が良いか?」
「ああ。宇佐には俺から言っておく」
まだ嫌な予感がするだけのもの。これが気のせいで済むのならば、多少臼杵鎮守府の名前を汚すだけだ。だが、もし本当に予感が的中すれば、最悪な状態となる。
「提督、どうなされたんですか」
宇佐への連絡も終え、自分の動きが止まったのを待ってからだろう、間宮が不安そうに見てくる。これまでこのような姿を見せたこと無いのだから当然といえば当然だが、今は彼女の気遣いに気にかけてやる余裕はない。
「まだ確定ではないためわからん」
「でも放って置いて良いものではないと」
「その通りだ。最近目撃情報はなかったが、遂にここに現れるかもしれん」
「ま、まさか……」
間宮がカタカタと震え、怯えるように胸元へ手をやる。
経験はないが話は聞いているし、実際失ったモノもあるためか、自分の不安が伝染したかのような状態となってしまった。
だがこうなると、全員を帰還させるために間宮にも手伝ってもらわなければならず、出撃の指示を出そうとした瞬間、通信が届く。
「て、提督……」
「木曾か。何があった!」
「や、奴が……」
歯噛みする。
皆まで言わなくとも、今電達の前に何がいるかは容易に想像ができた。
不安は、現実のものとなってしまったのだ。
「融合棲姫が……現れた」
その瞬間、世界は壊れた。
少し前まで戦場としてあった場所は、ただの地獄として作り変えられたのだ。
距離にして数百メートルも離れていない場所に奴はいた。
木曾達が相手をしていた深海棲艦を笑うように食べ散らかしながら沈めていく獣が一匹。
当時は姿など見れもしなかった。
だが、この感覚だけは。贓物を全て凍りつかせるような寒気と、あの時は気付かなかった。しかし記憶には刻まれてしまった腐敗臭。
神通を殺した深海棲艦。融合棲姫。
恐らく実際に臭いがあるわけではないのだろう。木曾の心象的にそのような臭いとして感じ取っただけ。それでも不愉快極まりないのは変わらない。
見た目は異質そのもの。聞いていた情報とはやや違ったが、概ねそのままだった。離島棲姫の頭部。腕は港湾棲姫。変わったのは胴体から脚部にかけては軽巡棲姫。そして背後にある砲塔といったところか。
怒りがあった。仇を取りたいと思う気持ちが。
しかし体は動こうとはしない。
動くように命令を出す脳も信号を止めてしまっている。
木曾自身、伊勢と戦場を共にしてから恐れに耐性ができ、成長したと思ったが、真の恐怖は逃してはくれなかった。そしてそれは他の者にも言えたこと。
誰一人動くことはなく、提督に通信を入れてからただただ体を震わせ、味方であるはずのモノを蹂躙していく融合棲姫を見つめるのみ。
「――――ぃ。ぉい、お前達聞こえないの! 電、綾波、木曾、鳳翔。誰でも良い返事をしろ!」
「っ何だ提督」
突然の怒鳴り声に、止まっていた時間が動き出す感覚に襲われながらも返答する。戦場で立っているだけなど、先程まで沈めていた深海棲艦と同じ。
自分に死にたいのかと叱咤し、恐怖を押さえ込むため握りこぶしを作る。
「何だではない。即刻退避しろ。今すぐだ!」
「でも神通さんの仇が」
「自分の実力を見誤るな! 明石が殺されかけたことを忘れたか」
思わず息を呑む。
あの時の記憶が鮮明に思い出される。
感じた恐怖。神通の引き裂かれた胴体。そして腕一本、肘から先を持っていかれた明石の姿を。
「既に伊勢を向かわせている。それまで何とかして逃げ切るんだ。明石は間に合わないが今間宮を向かわせている。何としても生き延びて帰ってこい。いいな!」
「りょ、了解」
全員が聞いていたことを確認するために顔を見回す。
電や鳳翔は怯えた表情を浮かべているが、一人綾波だけが歯を食いしばり、悔しさを隠そうともしなかった。それが退避命令に対してなのか、恐怖に動けなかったからか、はたまたその両方か。木曾には図れないが、ただ今は行かせるわけにもいかず手を取って敵に背を向けるよう促す。
「わかって、います」
絞り出すように吐き出された言葉は、同じく木曾の握った手にも反映される。痛みはあったが綾波の気持ちを考えれば安いものと無視をし、全員縮地を使ってその場を後にした。
背後が気になり木曾が振り返ると、幾つかいたflagshipの中の一隻。戦艦ル級が融合棲姫に溶け込むようにして消えていっていた。
――なん、だ、あれは。
喉が引きつる。
明石が港湾棲姫を取り込んでいたと言っていたのは覚えている。だがそれをハッキリ目にしたのは今日が初めてだ。
これまで恐怖を覚えたことはある。寒気で先程とて動けなかったくらいには。だが、純粋に言葉として怖いと思ったのは今が初めてだった。
殺されるのでもなく、沈められるのでもなく、同化される。
凡そ真っ当な死に方ではないそれに恐れが肺を圧迫するように押しつぶしてくる。
更に木曾を試すように、融合棲姫は視線をぶつけてきた。
「全速で逃げろ!」
最早反射で叫び声を上げ、掴んでいた綾波の手が離れる。
わざと離したわけではない。掴んだままだと二人が縮地で移動する距離を調整しないといけないため、無駄が多いからだ。しかしそのような悠長なことも言っていられない状況になったために離した。が、次の瞬間には、隣りにいたはずの綾波は消えていた。サイドテールの端を視界に残して。
「綾波ちゃん!」
先に気付いたのは電だった。
「あなたが。あなたがっ」
一人反転し、こちらへ向かってくる融合棲姫目掛けて突き進んでいく綾波。魚雷と放ち、連装砲からも火を吹かす。
「戻れ綾波さん!」
足を止め叫ぶが耳に届かないのか、砲撃を繰り返しながら真っ直ぐに仇へと進む。
三度目の砲撃を終えた時、今まで見向きもしなかった融合棲姫の顔が目につく。ニタリと笑みを浮かべた顔が。
「綾波さん!」
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
木曾の呼びかけなど最初から無いもののように、目と鼻の先まで近寄った融合棲姫目掛けて怒声を上げながら拳を繰り出す。
打ち合いになっても勝てる見込みはないだろう。融合棲姫は誘導性艤装装甲を自在に操れると。明石曰く伊勢並の使い手だと言っていたからだ。
それを見せつけるように、綾波の拳を容易に躱し、両足をその爪で切断した。
「え、消え、た?」
鳳翔には見えていなかったのか、何が起きたのか理解していない。
恐らく普段から伊勢と修行していたからか、木曾には融合棲姫の動きが見える。見えてしまっている。
「止めろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
故に叫んだ。
両足を失った綾波が水切りして転がっていくところまで近寄り、装甲を纏った腕を振り下ろす姿を。
断末魔などなかった。
胸部と腹部を押しつぶし、打ち抜かれた綾波はただの一言も無く、この世から消え失せた。
「そん、な。綾波ちゃん。綾波ちゃん!」
名を呼ぶが返事をする者はおらず、融合棲姫の攻撃でできた水柱の落ちていく音が笑い声のように耳へ届く。
おまけとばかりに背中を向けていた融合棲姫は、上体を反らしながら首を回し、背後にいる木曾達を挑戦的に見てくる。
「何があった!」
通信越しに聞こえる提督の声。それに縋り付くように木曾は返事をする。
「綾波さんが、死んだ」
向こうで机を叩いたのか、ドンッと重い音に遅れ、何かが割れる音までも届いた。
「何としても逃げ延びろ。これは命令だ」
命令という言葉が、木曾の心を軽くした。
綾波の死に引かれ背を向ける後ろめたさも、僅かにある仇討ちの思いも、命令だからと置いていけるからだ。
鳳翔も同じなのか、頬を濡らしながらも再度逃げるように背を向けようとしていた。が、
「――――なぃ。許さない。絶対に許さない!」
電だけは違った。
普段子供のようにコロコロとした表情を見せる彼女の顔は怒りに染まり、
「電戻れ」
状況を察したのか提督が静止するも一人跳び出した。
こちらの動きを観察していた融合棲姫は待ってましたと言わんばかりに電の動きに応え、電の振るった拳に握手だとでも言いたげに拳を合わせた。
ぶつかり合う二人。
波が高くなり始めた海でありながらも連続で縮地を使いながらの戦闘は、伊勢の姿を連想させられる。移動だけならまだしも、全力戦闘を行いながらなど調整が難しく、今の木曾には不可能とさえ言えた。更にこの出鱈目なまでに強い融合棲姫相手に打ち合うなど到底できようはずもない。
「凄い……」
思わず言葉が漏れる。
電は押し切れてはいないが、それでも融合棲姫相手に一歩も引かず、互角に打ち合っていた。
敵も予想外だったのか、笑みは陰りを見せており、余裕はなさそうに伺える。
「これ、行けるんじゃないか?」
希望が見え始めた気がした。
電が倒す必要性はない。伊勢が来るまで保てばいいからだ。そしてそれが可能なのではと思える戦況に、木曾の心には光が指した気がした。
「馬鹿者。忘れたのか。そいつは伊勢から逃れたほどの奴なのだぞ」
しかし絶望は、望みが絶たれているから絶望なのだ。
電の砲撃音によって夢から覚めた気分にさせられる。
砲撃を煙幕代わりに放ち、電が右拳を繰り出すのが見て取れる。
必殺のタイミングだった。
少なくとも相手が木曾ならば確実にやられる速度での連続攻撃。だが、相手が悪かった。
「駄目だ電さん!」
叫んだ時には遅かった。何もかもが。
苦悶に歪んでいたはずの融合棲姫の表情が、再び粘性を帯びた笑みへと変わる。そしてその顔に叩き込まれるはずだった電の腕が、マジックのように消え失せた。
「あ、れ?」
誰が口にしたか、疑問がこぼれ落ちる。
優勢ではなかった。
不利な状態でもなかった。
だが結果は電の腹部に両腕が突き刺さる形でケリが付いてしまっていたのだ。
ゴプリと電の口から真っ赤な液体が湧き出るようにこぼれ落ちる。
海面を赤く染め、腹部で支えられていることから宙ぶらりんのまま、しとどにスカートを、靴下を、口を赤く染め上げていく。
そして神通の時を繰り返すかの如く、電は腹部から上下に引き裂かれた。
体が震える。恐れと怒りが綯い交ぜとなって、どこまでが怒りで、どこまでが恐怖なのかも認識できないまま、木曾は跳び出した。
「があああああああああああ!!」
言葉では最早表現できず、ただ口から叫び声だけを漏らし、拳を突き出す。
敵う敵わないなど既に思考の外。考える余裕すら奪われた木曾の全力の拳は、
「がふっ」
ハエを振り払うような素振りで弾き飛ばされてしまった。しかも艤装の悉くが破損し、右腕に至っては完全に砕けてしまっている。
そんな木曾を前に、融合棲姫は上半身だけとなった電を逃すまいと体内に取り込んでいく。
あぁ、何と無力なのだろうか。
知らず涙がこぼれ落ちる。艤装の一部である眼帯も壊れ、下にあった目からも尾を引いて海に溶けていく。
木曾の涙に誘われてか、雨も降り始めた。
波もしだいに高くなり、電を取り込んだ融合棲姫はやっと木曾を見てくるが、今の木曾に戦う意志などない。絶対的なまでの差に反撃する心さえ折られてしまった。
砲塔を向けられても避けるとも防ぐともせず、飛び出してくる物をおぼろげながら認識し、遂に終わりが来るのだと悟った。
通信越しに何か言われているような気がするが、誰が何を言っているのか、脳が処理するのを拒絶しているようで、言葉として認識できず無意味に垂れ流されている。
動いていた融合棲姫の砲塔は、照準が定まったのか動きを止め、電の時とは打って変わってどうでも良さそうな顔で最後の引き金を絞った。
重い戦艦クラスの砲撃音を連想させられる響き。防がなければ間違いなく一撃で轟沈してしまう。そんな一撃が木曾に、
「何だ木曾。また昼寝か?」
当たることはなかった。
「あ……いせ、さん」
何も聞こえないと。何も口にできないと思っていた木曾を動かしたのは、臼杵鎮守府最強の艦娘である航空戦艦伊勢だった。
冷たかった涙は温かいものへと変わる。木曾の心の動きに合わせて。
何時ぞやの出来事をなぞるように伊勢は木曾の前に立ちふさがり、助けてくれたのだ。その身を呈して。
ただ一つ。いや二つ違う点を上げるならば、
「伊勢、さん? ちっ血が」
一つは伊勢の頭部から血が溢れていることだ。
これまで伊勢が傷ついた姿など見たことがなかっただけに。無敵だと思っていた伊勢が傷を負ったという事実に尋常でない動揺が走る。先程の安心感で胸が一杯になっただけに、尚の事その事実が胸を抉る。
「ふん、アンタに比べたら可愛いものだろ」
何でないと言いたげに言い切るが、それだけではない。
「た、太刀だって先が」
そして二つ目の違う点。それは野太刀が半ばから折れてしまっていることだ。
いつそのようになったのか。宇佐でそうなったのではと淡い期待を思い浮かべるも、
「どうもあの融合棲姫(ゲテモノ)の砲弾は、何か絡繰があるっぽいねこれは」
今折れたのだと。自分を庇った影響で折れたのだと察してしまい、自分の心に亀裂が走る瞬間を認識してしまう。
「は、気にする必要はないよ。壊れたなら明石さんにまた直して貰えばいい。それよりも」
それを縫いとめるように伊勢が木曾の頭を一度撫でて、少しばかり距離を取る。
「木曾、それから鳳翔。お前達はこのまま鎮守府まで先に帰ってな。迎えも来たことだし」
迎えとは何のことだと思考が回るより前に、一人の艦娘が戦場に降り立つ。
「鳳翔! 木曾! 二人共大丈夫ですか」
給糧艦間宮である。普段戦場に来ることのない彼女がこの場にいる。今がどれだけ崖っぷちに立っているか、まざまざと教えられた気分になる。
本音を言えば残りたいと言いたかった。言いたいが、残ればどうなるかわかるだけに、伊勢が撫でてくれた頭部に触れ、それを心の支えに背を向けた。
「伊勢、後は」
「間宮さん。ツマミの準備宜しく」
癖なのかわざとなのか、雨を装甲で弾きつつ煙草に火をつけながらおどけてみせる。
「っとそうだ。木曾」
「何だ――――っ」
呼ばれて振り返ると何かを投げられた事に気付き慌てて受け取る。
「無くても良いのか?」
木曾の左手に持たれたそれは、折れた野太刀と鞘だった。折れたとはいえリーチがあるのは変わらないのだから必要なのではと問い返すも拒絶される。
「そんなの邪魔でしか無い」
「…………じゃあさっさと取りに来ないとオレが貰っちまうぞ」
「そいつは早く取りに帰らないといけないな」
歯を食いしばって言った冗談を、おどけて反応してくれた伊勢に涙が出そうになる。出撃前に感じたあの感覚が何を意味していたか知ってしまったが故に、尚の事目元に涙が溜まってくるのが止められそうにない。
しかし泣き顔など見せたくないため、無理矢理に笑顔を作ってみせる。
口角がピクピクと震え、端から見たら無様としか良いようのない顔をしているだろうが、これが今の木曾の限界だった。
「っとそうそう。そいつに銘があるんだ。剣造につけられたんだけど、無骨なアイツらしい名前だけど結構気に入ってたんだわ」
「なんて言うんだ」
声が震えるが伊勢は気にすることも、小馬鹿にするでもなく無く続ける。
「そいつは《鋼》って銘なんだ。覚えておいて損はないぞ」
「確かに提督らしい名前の付け方だ」
「だろ?」
なんてことはない言葉が喉から幾つも幾つも出ようとする。だが、伊勢が来てから動く気配のない融合棲姫がいつまでそうなのかは誰も保証はできない。
だから。だからこそもうこれ以上この場に残ることはできないのだ。
「そんな、伊勢さんも一緒に」
距離を取ろうとする木曾と間宮に抵抗するように、鳳翔が震えた体を押さえ込んで懸命に意義を申し立てる。鳳翔も気付いているのだ、伊勢さんがどのような状態でいるのかを。だが、
「鳳翔。勘違いしないで下さいね。私達は伊勢の邪魔をしないように離れるの。私達がいたのでは逆に危険だから余計なものを省いているだけなの」
間宮によってあっさり言いくるめられてしまう。
「悪いね鳳翔。アタシはまだ旗を降ろすわけにはいかないからさ」
追撃とばかりにやってきた伊勢の覚悟に、数秒言葉を探しているのか口を数度開けては閉め、開けては閉めを繰り返し、項垂れながら無言で後に続いた。
最悪な結末を想像しながら、木曾達は鎮守府へと帰っていく。
たった一人の艦娘に全てを押し付けて。
「やっと行ったか」
クラクラする頭を抱えて背後にあった気配が消えたのを確認し、改めて敵と相対する。
「よう融合棲姫。これで会うのは二度目。気配だけなら三度目になるか。そろそろここいらで決着つけようか」
ハッキリ言って体調は最悪だった。
頭部は割れ、血が止まる気配はない。
野太刀だけでなく、木曾に迫った砲弾を切った際の衝撃で右手の指も一部折れてしまっている。
ただの砲弾でそのようになるはずもなく、何か原因があるはずだと考えるも、簡単に思いつくはずもなく、あっさり諦めた。
――アタシの柄じゃないね。
必要なのは今が戦えるかどうかだ。そして感九割、分析一割で長期戦は不可能と判断している。完全な状態ならばここで終わらせられたが、頭部をやられたのがマズかった。感覚で装甲を使ってはいても、脳がやられたらそれだけ使用が難しくなるのだと体験して初めて知る。
現状運良く装甲を引き出せても七割が精々だと感が囁く。
それでも間宮よりはまだ強く、そして敵とは相打ちが限界だとも。
以前は伊勢が戦場に着いた時に逃げの一手で背を向けられたために取り逃がしたが、今は好機と思っているのか、それとも今ならば倒せる実力が付いたという自信からか、ニヤついた笑みが顔に貼り付けている。
ため息の吐きたくなる気持ちになるが、一つ良いことを思い出した。
一年近く前のことだ。マミヤで呑んでいた時に木曾の才能はどうかという話をしていた。あの時に剣造達に面倒臭いと言ったが、何が面倒臭いのかわからなかった。だが、今やっと気付く。
「アタシより強くなる、か。安心しな木曾。少なくともアンタはアタシ並に強くなるよ」
成長が遅くて面倒臭いなどではなく、自分が相手をした時に、面倒臭いと思えるほど強くなるからなのだと今更ながらわかった。
自分が言ったことなのに、真の意味を理解するまで時間がかかりすぎて、自嘲気味に乾いた笑いが出る。
「あー剣造聞こえるか」
早速伝えようと通信を開くが反応がない。
「剣造?」
何かがおかしい。剣造、もしくは通信妖精に何かあったかと思い、他にも繋げてみる。
「間宮さん、鳳翔。木曾」
誰に通信を試みても届いた気配はなく、雨に消されたのではと錯覚しそうなほどに異常な状態だった。
「何で突っ立ってるだけかと思ったがアンタのせいか?」
断定はできないが少なくとも関係はあるだろうと、ため息と一緒に紫煙を吐き出す。
――そういやここに来る前に木曾に通信を飛ばしたけど反応なかったものな。てっきり修羅場だから反応できてなかったのだとばかり思ってたがそういうことか。
可能性の一つとして教えてやりたいのは山々だが、如何せん手段が絶たれた以上、諦めるしか無い。
伝えたかった言葉は飲み込み、大人しく自分にのみ語りかける。
「このままじゃ拉致開かないし、そろそろ始めようかね」
ボロ布となった甚平の部分を虚数へと消し、黒いインナーを露わにする。ついでに砲塔も消し、冷めた目でファイティングポーズを取る。
普段構えなどしない伊勢だが、度重なる木曾との訓練で癖となってしまっていた。
無論加減などない。
全身全霊をかけてこいつはここで沈める。
例えその後で自分がどうなっていようとも。
誰の観客もいない中、最後の闘いが始まった。
木曾達が鎮守府に戻ると、雨は嵐と変化していた。
強い風が吹き荒れ、肌を刺すように雨が降り注ぐ。
「お前達無事か!」
そんな悪天候の下提督は外でジッと待っていたのか、全身ずぶ濡れのまま帰ってきた木曾達の下まで駆け寄ってくる。
「何とか木曾と鳳翔だけは。電さんと綾波は私が着いた頃にはもう……」
「そう、か。だが伊勢が間に合ったようで何よりだ。三人共ゆっくり休んでくれ。後のことは伊勢に聞く」
提督の言葉に体がビクッと反応する。
二人を目の前で失ったことも心苦しく、何かできたのではと思えるだけに申し訳無さで溢れそうになるが、それ以上に。
「提督。恐らく伊勢は……」
「どうした?」
「伊勢さんは帰ってこない」
木曾は握っていた野太刀を提督に突き出す。これが証拠とばかりに。
さしもの提督も今回ばかりは完全に想定外だったのか、目を見開き、体を強張らせている。
二の句が出ないのか、出さないようにか、奥歯をグッと噛み締めて海を眺める。
「提督、すまない」「提督、申し訳ありません」
自然と謝罪の言葉が漏れ出る。
鳳翔も同じ気持ちだったのか、言葉が重なり、三人の視線がぶつかる。
「いい。良いんだ。お前達が気にすることはない」
自分も辛いはずなのに、提督は優しく木曾と鳳翔を抱き寄せる。
今まで聞いたことのない柔らかい声音に、涙の堰が壊れてしまいそうになるが、懸命にこらえた。一番心を痛めているのは提督のはずなのに、その人が泣いてすらいないのだ。自分がこれ以上泣くわけにもいかず、堪えるために提督の衣服にしがみつく。
鳳翔は堪えきれなかったようで、嵐の中でも泣き声が聞こえるほどに泣き叫んでいた。
見た目が大人びているだけに、その差が木曾の心を締め付ける。
だからこそ覚悟が決まった。
「提督」
伊勢に託された野太刀を硬く握りしめ、一度訂正を入れてから再度呼びかける。
「いや、剣造。オレは強くなる。もっと。もっと。誰にも負けないくらいに」
そう。もう甘えてなどいられない。
自らの足だけで前に進む時が来たのだと、自らを鼓舞する。
「そして必ず、この鎮守府を最強にしてみせる。絶対だ」
返事など必要ない。
これは覚悟であり、宣言なのだから。
後は有言実行とするだけ。
確固たる意思を御旗に、木曾は自分の足だけで立てるように踏ん張り、前を見る。
昨日ではなく、今日でもなく、明日を生き抜くために。