瀬戸の艦娘   作:輪音

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蘇芳

 

 

 

 

ささいな切っ掛けが始まりだった。

明石がたまたま訪れた、岡山県は笠岡諸島の真鍋島。

若き母親と赤ん坊を助けたことに、それは由来する。

 

乳幼児の死亡率は高い。

妊産婦の死亡率も高い。

感染症は完全に防げていないし、ちょっとしたことで幼子たちは容易に黄泉の世界へ入る。

母親たちも、子を産んで程なく死ぬことが多かった。

それを、艦娘と呼ばれる存在の一名が一命を救ったのだ。

いるのにいないことになっている存在。生きた幽霊。

地域によってはそんな扱いをされるツクリモノたち。

それが艦娘。

戦争の英雄。

忘れ去られゆくべきモノたち。

その筈であった。

それが呆気なくひっくり返る。

他ならぬ、母親たちによって。

女性が一旦腹をくくると強い。

ましてや、母はとても強靭だ。

思いきったことをするのはいつも女性。

女性が時代の改革者になってゆくのだ。

 

明石を求める声は多く、笠岡市は見て見ぬふりをすることで彼女の行為を黙認した。

医師免許を有する、腕利きの医療従事者。

提督たちや鎮守府関係者を治療してきた。

ならば、その腕を求めるのも道理だろう。

子を持つ母たちは、葉書や手紙や電報や電話など駆使して子供たちを診てもらおうと心底より希求する。

 

子供を大切にするのは、本来国家の役目。

将来の、国力の要になる存在なのだから。

明石や彼女を手伝う艦娘たちを公認は出来ないが、せめて負担は減らそう。

そう、心から願った者たちがいた。

まともな感性を持つ公務員がいた。

熱意のある医療従事者も存在する。

やがてその思いは幼児や母親の死亡率を格段に下げる要因となってゆくが、それはまた別の話。

 

 

真鍋島や獄門島の近くにある六門島(ろくもんとう)。

艦娘の半数以上を占める駆逐艦たちが、建設中の艦娘屋敷裏手にある洗い場近くでせっせと布切れを染めている。

それは蘇芳(すおう)と呼ばれる、黒みがかった赤色をしていた。

明石が診察した子供たちへ厄除けに与える品だ。

戦争中にこれを頭に巻いた決死の『蘇芳艦隊』が作戦後全員無事に帰投したことから、縁起物として今も身に付けている艦娘は少なくない。

赤は魔除け厄除けの力を持つ色として、古来よりしばしば用いられている。

迷信として馬鹿にする外部者がいないでもないが、それは時として歴史的真実を当てていることもある。

安易に否定するのもよろしくない。

それは視野を狭める行為だからだ。

 

前述の母子を助けた時のこと。

明石が腕に結んでいた蘇芳色の布。

それを赤ちゃんが強く握り締め手放さなかったので、彼女は何気なくそれをその子にあげた。

それは善意からの行為で、特別な意味を有するものではなかった。

その赤ちゃんが診察後怪我なく病気なくすくすく育っていることを知った母親たちは、その布切れをたいそう欲しがった。

いわゆる縁起担ぎの一環だったろう。

成人前に死ぬ子が普通に多い社会だ。

母親のみならず、父親もそれを望む。

妻の無事と子の成長を願うのは、夫として父として当たり前のことだ。

結果。

六門島の東側にある、人工島の扇島(みしま)には現在多くの子連れが訪れるようになった。

政府や県市や警察官などの制止もなんのその、子の安全を願う人々が助け求めて押し寄せる。

 

最初に折れたのは笠岡市だった。

近隣の地方自治体から懇願されたのも大きい。

次に折れたのは、岡山県である。

周囲の各県からの問い合わせが殺到した故に。

政府はなかなかどうして折れぬ。

地方はどうでもいいと考える役人がいる故に。

 

 

 

原材料と手間賃を足したくらいの値段で、この蘇芳色の布切れは売れとる。

生産が追っつかん程じゃ。

朝もはようから染色しているせいか、ワシの手は既に赤く染まってきとる。

人様の血みたいなんじゃが、人の血じゃともっとどす黒い色になるらしい。

儲かるのはええことじゃが、大淀さんの試算によるとそげえに資産が増える訳でもねえそうな。

薄利多売か。

難しいのう。

物干し竿には赤い布切れがたなびいとる。

じゃれつく駆逐艦の子たちと共に作業しながら、母子が安心して暮らせる世の中を願う。

ちらっちらっと、巡洋艦系の子や空母系の子や戦艦系の子などがこっちを見ちょる。

なんか変かのう?

ちゃんとゆうてくれなんだら、なんもわかりゃあせんがのう。

言わずともわかるなんて、ありゃあ大嘘じゃ。

そげなん、わかる訳ねえが。

背伸びをして休憩に入った。

扇島の方を見ると、ようけ船がとまっとる。

出来上がった布を運ぶ艦娘。

歓声が上がった。

今日も明石さんは、診療所でてんてこ舞いじゃろうな。

夕張さんとかが手伝っとるらしい。

後で、蜜柑でも持ってっちゃろう。

でも、なんでワシが明石さんと話をしとったらいつの間にか間宮さんや大淀さんや吹雪ちゃんや北上さんが傍におるんじゃろうなあ。

明石さんも不思議がっとったし。

まあ、ええか。

新一も今度診てもらおうかのう。

しかし、なんで大和さんたちは輿(こし)に新一を乗せとるんじゃ?

もしかして、まじないなんかな?

明石さんがなんか知っとるかもしれんけえ、今度聞いてみるか。

 

 

 


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