アウトレットモールの一角、水着売り場の片隅に置かれた椅子の上に、残月は座り込んでいた。
「……」
かの救出作戦から二週間が経ち、最初の試合会場が南海の孤島に決定したことで、「試合前に海で遊べる」と戦車道履修者達は歓喜に沸いた。水着を持っていないという
「これとかどうよ?」
「いやちょっと派手過ぎるかも…」
「おい待て、何故ウェットスーツを手に取ろうとした」
残月の目と鼻の先では、隊員達が楽しげに水着を選んでいるが、頬杖を突き思考に耽る彼の眼には入らない。
幾ら廃校の件を勘付かせないようにする必要があるとはいえ、果たして悠長に遊んでいる暇があるのか――廃校という言葉をぼかして直接杏に尋ねた残月だったが、軽くあしらわれてしまった。
“のびのびやった方がいいでしょ? 堀切も少しは肩の力抜いたら?”
そんな彼女の言葉を参考に、残月も二点だけ買い物をした。彼の足下には、新調したマリンシューズとマリングローブの入った紙袋が置かれている――彼にとって「海で遊ぶ」とは磯遊びであり、ビーチバレーなどに興じるという考えは完全に抜け落ちていた。
しかしその程度では、彼の不安を払拭するには至らない。
――問題は山積みだ……。
優花里が持ち帰った情報を元にみほとガイが作戦立案を行なった際、ガイが奇妙なことに気付いた。レイブンソードの隊員名簿の中に一人、昨年度大会のサンダース歩兵部隊の中にも存在しなかった二年生が増えているのだという。ステファニー・イェーガー、コードネームは『クワイエット』。優花里の撮ってきた作戦会議の動画に映っていた彼女の顔も、ガイの記憶にない。
戦車道の特殊部隊は、通常編成の部隊から選抜されるものであり、何らかの‘極めて突出した特異な能力’、もしくは‘その部隊にしか不可能な任務’がない限りは、
その上、件の『クワイエット』に支給される装備は、「ボーイズ対戦車ライフル」と明記されていた。現在でこそ対戦車火器としての地位は噴進弾に譲っているものの、
また、戦車と歩兵を分断しての各個撃破が可能だった聖グロとの練習試合とは異なり、今回の試合は島の中央に広がる小規模な森となだらかな丘が戦場となる。周囲の環境の違いに隊員達が適応できるのか、その中で対戦車ライフルの攻撃に対抗できるのかも甚だ疑問だった。
それに、個人的な心配事もある。ある意味ではこちらの方が難物だった。
「結局ガイ先輩来なかったね、大佐」
「“俺はどうも夏が似合わない”そうだ。荷物持ちが一人減ったな」
「男が力仕事する前提なのどうかと思うよ…」
「あんたがこの中で特別非力なだけだろうオタコン」
隊員の中で唯一、寄港した大洗に上陸せず学園艦に留まっているガイ。
“俺にはわかるぞ、お前の心身にある問題が”
心身、文字通り心と身体。心については目に見える変化がないので判断がつかないが、身体にも問題があるとするならば、今回彼が水着選びに来なかったのは、何らかの身体的な異変を悟られまいとしているからではないか――そんな考えが浮かんだが、残月はすぐにそれを否定した。ここ最近、訓練中のガイの行動を注視してはいるが、それらしき兆候は全く見られないし、また運動能力に影響を及ぼさないような外見的変化(例えば痣や火傷など)を彼が恥じるとは到底思えないからだ。問題解決以前に、親友の抱える問題の正体すら掴めないことに、残月は歯痒さを覚えていた。
そして、もう一つ。
「これは?」
「イイ!」
「こっちは?」
「素晴らしい!」
「これとかは?」
「最高だ!!」
「もう、褒めるだけじゃなくて真面目に選んでよ!」
「うるせえ俺から見たら優花里は何着たって似合うんだよ!!」
「え、あ、あう…」
蒼莱と優花里の関係、自分がみほに対して抱く感情。幼馴染同士の二人に鑑みて自分を振り返ってみれば、それは恋愛感情というべきものだと推察できたが、残月はそれが確実だとは断定できずにいた。かの賢人学園で喜理恵と交際し、彼女と子を為すまでの仲に発展した兄隆信の、喜理恵との馴れ初めについては何一つ聞かされていない。
――兄さん…俺は、どうすればいい?
視界の隅に映り込んだ影は、肩を竦め、意味深な笑みを浮かべて消えていく。…どうやらヒントは貰えそうにないらしい。生前からの妙に悪戯っぽい兄の気質に、残月は辟易した。
その時、残月は自身の背後に、記憶にある何か空虚なものが接近するのを感じ取った。咄嗟にそれをむずと掴み、背負い投げの要領で投げ飛ばす。
「ぬおっ!?」
彼の前方に投げ出されたのは、手足の長い悪人面の男。それはかつて、残月に
「…戯れが過ぎるぞ、田村さん」
「ハハハハハ…流石はボスの弟子、ブランクがあるとは思えんな」
田村徳人、コードネームは『ザ・フィアー』。ブービートラップの取り扱いとボウガンによる無音殺法を得意とする他、自らの発する生物電流による準静電界を電気的に中性にすることで完全に気配を消すという特異な能力を持つ男である。喜理恵をして「目の前に立っていても幻かと思う程に存在感がなくなる」と言わしめる彼の力は、かつてのコブラ部隊でも
賢人学園崩壊後は大学には通わず、社会人チームとして戦車道を続けている彼が、何故さほど見どころがあるとも思えぬ大洗にやってきたのか。それは残月が聞くまでもなく、徳人の方から教えられた。
「お前が今年の大会に出ることはボスから聞いた。今日は久しぶりに集まって、それを肴に呑もうという訳だ。ジ・エンドは生憎病院だがな」
立ち上がった徳人が残月の後方を指す。振り向けばそこには、黒いニット帽を被りマスクを付けた大柄な男と、右頬に火傷の痕が残る色黒の男が立っていた。それぞれ『ザ・ペイン』こと江草駿央、『ザ・フューリー』こと平井政和。今朝喜理恵が出かける準備をしていたが、仲間との会合ならそれも頷ける。自分が大洗に引っ越す以前には、彼らはよく井下邸を訪れていたらしいことは残月も知るところだ。
「しばらくは仕事もない。長ければ一週間はここに留まるつもりだ」
「何か相談事があれば遠慮なく言って欲しい。私達が力になろう」
「…わかった」
強力な戦術アドバイザーの登場は心強かったが、しかしそれで残月個人の問題が解決することはない。
反復するばかりの思考。自分しか知らない、他人と共有できない問題である筈なのに、自分一人の力ではどうすることもできずにいる。残月はこのジレンマに苛立ち、そして一方で驚き呆れていた。プラズマ・スネークと呼ばれる以前から様々な問題に直面しそれを解決してきた自分が、よもやこのような状況で手詰まりになっているとは全く笑い種だ。隆信も草葉の陰で――というより恐らくすぐ近くで――笑っていることだろう。
極小さな嘆息と共に、何の気なしに向けた視線の先のみほは、何も買わずに売り場を出ようとしていた。
晶が昼寝から目を覚ました時、彼はおんぶ紐で喜理恵に背負われていた。
大洗の小さな食堂で昼食を摂った後、メープルシロップのたっぷりかかった大きなパンケーキを平らげる、というご機嫌な夢を見ていた晶は、周りを見て、自分が今アウトレットのはずれにいるとわかった。
「かーたん、まだどっかいくの?」
「…もう起きたのね。ええ、まだ少しかかるわ」
「ふーん…」
「降りる?」
「いー」
「そう、わかった」
「……」
そして、喜理恵はその度に封筒に入った手紙を持っていく。これも最近始まったことで、手紙は大抵出かける前日か二日前の夜に届いたものだ。今も彼女は右手に持った手紙の内容に目を通し、左手のスマートフォンで何やら文字を打ち込んでいる。それぞれを交互に見る彼女の手元を、晶は覗き込んだ。
――…は…の…を…した。…よめない。
当然ながら幾ら早熟とはいえ、まだ二歳の晶に漢字が読める筈もなく、彼はすぐにその解読を諦めたのだった。
「待たせました、ボス」
しばらくすると、喜理恵の前に三人の男がやってきた。晶は朧げな記憶を何とか辿り、彼らが母の友人であることを思い出す。それぞれ『
「ジ・エンドは入院しています。病状が悪化しているようです」
「仕方ない。四人揃っただけでも十分よ。今度は地獄の底まで一緒…」
久しぶりに会った知り合いに挨拶しようとした晶だったが、喜理恵の声を聞いて気が変わった。普段とほぼ同じ、感情の変化に富んでいるとは言えない彼女の声が、その時ばかりは厭に底冷えしたものに思えたからである。晶は首を竦め、なるべく周りを見ないように顔を喜理恵の後頚部に押し付けた。
「――伝えることは二つ」
視界が闇に覆われると、四人の会話だけが耳に入ってくる。
「一つ目。ソコロフから連絡が入ったわ。既にプラウダで情報を嗅ぎ回っている者がいると」
「連中も意外に聡いですね」
「ヴォルギンはそのことを?」
「いいえ、まだ知らない。下手に警戒すれば逆に勘付かれる。…一応だけれど、聖グロはどう?」
「動きはありません。ゼロも文科省に目を付けられてはいないようです」
「そう、流石というべきかしらね。…二つ目。あの事故から今回の一件まで、何者かが手引きしている疑いが強くなったわ」
「何だと…!?」
「その情報はどこから?」
「マッドナーからよ。彼が言うには、既に
「
「心配するな。今も昔もお飾りのゼロとアンツィオに逃げたマッドナー、二人を選んだボスの人選に間違いはない」
「…とにかく、引き続き情報を集めて。これは戦車道界だけではない、その背後にある政界の闇を暴く闘いであることを今一度肝に銘じなさい」
話の内容は全く理解できなかったが、晶は自分の母親、そしてその友人達が、何か途轍もなく巨大な存在と人知れず対峙しているように感じた。言い知れぬ恐怖が、幼い彼の心を蝕む。
三人の気配がなくなった後も、晶はしばらく顔を上げることができずにいた。
「ヴァンプ、新入り達の様子は?」
「皆筋がいい。もう実戦投入しても問題ないレベルだ」
黒森峰学園内の倉庫。この日の訓練を終えた戦車道履修者達が各々寮に帰っていった後、聡史は同期の一人を伴い一番最後に倉庫を後にしていた。長い黒髪と病的に白い肌、峭刻な容貌、腰周りに多数のナイフを吊り下げた彼の姿は、黒森峰の歩兵としては異様と言わざるを得ない。
「…一回戦は知波単が相手だからな」
「彼らには丁度いい噛ませ犬だろう? オセロット」
「フッ、違いない」
彼の名は
更に彼は、歩兵部隊内で非公式に組織された、訓練中の部隊を抜き打ちで襲撃し対応力のチェックを行なう仮想演習訓練部隊『デッドセル』にも配属されていたのだが――
「――だが、士気は去年より下がっている」
「…だろうな」
あまりにも的確な指摘が、聡史の胸に、それこそ晋吾の持つボウイナイフのように突き刺さる。
デッドセルは既に解散している。元々がガイによる西住流家元への反抗――彼なりの西住流の改革の一端として作られた部隊であったデッドセルは、創設者にして中心人物のガイが転校した(させられた)ことによる求心力の低下で、所属していた三年生の卒業、大会決勝戦で負傷した歩兵『フォーチュン』こと
その時、聡史のスマートフォンに一通のメールが届いた。
「メール…?」
「全体連絡ではないな。誰からだ?」
「知らないアドレスだ…」
差出人不明のそのメールの件名には、次のように書かれていた。
――『真実を知りたくはないか?』…だと?
今回もまたかなり遅れましたが、年をまたがずに済んだだけよしとしましょう(おい
自宅のPCが容量不足からか激重なので大学のPCで執筆しているのも更新遅延の原因の一つ…だと思いたい。
時系列上ではOVA水着回、サンダース戦前になります。ニコ生でアニメ本編は見ましたがOVAは未視聴なので、ここは後で編集入るかもです。
ここでクワイエット(前回登場)、コブラ部隊の面々(ジ・エンドを除く)、ヴァンプが登場。残月の考察、ボスとの会話やオセロットに届いたメールなど、伏線をドカドカ盛り込んでいく欲張り回であります。早く回収したい。
頑張れビツケンヌ、負けるなビツケンヌ!君の戦いはこれからだ!!