火星自治共和国ナディア=レスコ主席との通信会談を終えると、トオルは兜と仮面を被ってロニー=ファルコーネに戻り、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の司令官室をあとにした。ロニーは艦橋へと向かった。数人の士官や兵士とあいさつを交わしたのち、ロニーは艦橋の扉を開けた。“ヴィーザル”の艦橋は広い。もともと艦隊旗艦用として建造されているから、操艦エリアとは別に司令部エリアがある。単艦行動のため司令部エリアは閉鎖され、使われているのは操艦エリアだけなのだが、その操艦エリアも広い。艦長以下“ヴィーザル”の幹部が座る席がずらっと並んでいるのだが、今は空白が目立った。
「ルスタム航海長、みなどこへ行ったのだ」
ロニーは、座席に座っている数名の一人、短く刈り上げた黒髪の壮年将校に尋ねた。
ルスタムは立ち上がりロニーに敬礼を施した。
「補給物資搬入作業に出ております」
「補給物資の搬入?誰が決めたんだ」
「ラモン副長殿であります」
「そうか」
ロニーは艦長席に座った。
「スーリヤ市長と話がしたいので、回線をつなげ」
「はっ」
船務長のカタリナと情報長のハムザがいないので、ルスタム航海長が自ら市庁舎とコンタクトを取る。しばらくすると、メインスクリーンに見覚えのある顔が映し出された。その人物にロニーは敬礼を施した。
「補給物資のご供出に感謝します」
「寄港したフネに対する当然の行為です。どうか、お気になさらないよう」
スーリヤ市長の表情は明るい。溜めこんでいたものを掃き出せたからだろうか。ロニーは敬礼の手を降ろした。
「つきましては、代金のお支払いをしたいので、速やかに請求書を提出して頂きたいのですが」
このロニーの申し出に、スーリヤは驚いた。
「そんな、滅相もない。軍への協力は当然の義務です」
「貴殿のエリアは、我が火星自治共和国の統治範囲ではありません。たとえ統治範囲であっても、代金を支払うのは当然のことです。当方が預かっている補給物資リストの突合せをしたいので、速やかに請求書を起こして下さい」
「ご厚情、誠にありがとうございます。すぐに作成、提出に伺います」
スーリヤは深々と頭を下げ、回線を切った。回線が切れたことを確認すると、ロニーはルスタムに、他に何か変わったことがないかを尋ねた。すると、木星系から進発したと思われる熱源が、内惑星系を目指して高速で進んでいるという。ルスタムは、回線が切れて何も映っていないメインスクリーンに、星図を映し出した。
「スピードから類推すると、熱核クローム航法で進行しています。熱源は四つ。一つは、その巨大さから“ジュピトリス”級長巨大輸送船、残りの三つは護衛する宇宙戦艦だろうと思われます」
「行き先は地球圏か…」
「速度と針路から算出すると、そうなります」
かつての大英帝国が世界の覇王として君臨できたのは、世界各地から物資をかき集めることができる輸送ルートすなわち海運を掌握していたからだ。海運を掌握するものが王になる。そのため、イギリスは海運を守るため海軍力の増強に労を惜しまなかった。だが、それでも転機は訪れる。海運王イギリスの象徴とも言える巨大戦艦“プリンス=オブ=ウェールズ”が日本の手によって撃沈されたことは、イギリスが海運王から転落するきっかけとなった。正規空母による航空力でインド洋と太平洋を押さえた日本によって、アジアにおけるイギリスの影響力は皆無に等しくなった。だが、日本に栄華は訪れない。海運掌握のための海軍力の増強という理屈を、日本は理解していなかった。相手国に勝つ。ただそれだけの理由で海軍力を増強させたので、海軍と海運を日本は連動させなかった。米国潜水艦に莫大な数の日本の商船が撃沈されたことは、あまり知られていない事実だ。結局、海運掌握の大切さをよく知っているアメリカに、日本は敗北した。今の地球連邦は、果たして日本か、それともアメリカか。星々の海を掌握していることで成り立っている地球連邦政府の栄華は、いつまで続くのだろうか。
「木星船団は地球連邦政府の象徴とも言うべき存在だ。あらゆる情報を収集するように」
「了解しました」
「他に変わったことは」
「ありません」
「なら、しばらく睡眠をとるので、この場を任せる」
こう言うと、ロニーは艦橋から姿を消した。
補給物資の搬入作業により、“ヴィーザル”の出港は、入港してから四日後になった。
「まる二日、艦長に手籠めにされていたハムザさん。少しは元気を取り戻したか?」
補給物資を積んだパレットを縦横無尽に運びまわっている複数のリフトに指示を飛ばしているラモン副長が、ふらふら歩いているハムザに声をかけた。軍服はヨレヨレ、寝起きのまま来たようだ。
「頭がまだボーっとしているので、体を動かしに来ました。何か手伝えること、ありませんか?」
ハムザは右目をこすった。あくびが出そうになったので、慌てて手で口を覆う。ラモンはうんざりした表情でハムザを眺めた。
「特殊任務後の将校様に、手伝ってもらうようなことはないよ。偉そうにロビーでコーヒーでも飲んでな」
「そんなことしてたら、スナイ少佐あたりに睨まれてしまいますよ。助けると思って何か仕事を下さいよ」
「めんどくさい奴だな。それだったら帳面やるから、入荷予定品目と現物が合っているか調べてきな」
「うっわーっ。紙に字を書くなんて前時代的だなぁ」
「文句があるなら、ロビーでコーヒーでも飲んでな」
「分かりましたよぅ」
ラモンから差し出された紙の束を受け取ると、ハムザはしぶしぶ倉庫へと向かった。宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”のモビルスーツ最大積載量は70機、哨戒艇10隻と聞いているが、現在モビルスーツは30機、哨戒艇は揚陸艦“フリスト”含め3隻しか積載していない。それは、長期航海に備えた食糧等の保管のために、膨大なスペースを空けておく必要があるからだ。火星を出発した時点で十分な物資を積み込んでいたが、これで少々寄り道をしたところで、不足が生じるようなことはないだろう。
棚札と帳面の照らし合わせをしていると、自分と同じくらいこの場に似つかわしくない人物に出くわした。うわさをすればの機動大隊長スナイ少佐だ。
「大隊長ともあろうお方が、わざわざ帳面合わせに現場に来られるとは、ご苦労様です」
「特殊任務後にも関わらず、現場に出てこられる情報長殿には及ばんよ」
こう言ってニヤリと笑うスナイを見て、このおっさんは何でこうイヤミばっかり言うんだろうと、ハムザは自分のことを棚に上げて心の中で毒づいた。
「こういう現場仕事は若い人間に任せて、ロビーのソファでふんぞり返ってコーヒーでも飲んでいたらいかがですか」
「副長殿がわき目も振らずに働いているのに、遊んでなんかいられないだろ」
「…おっしゃるとおりですね。これは失礼しました」
やっぱりこんなこと言うか。特殊任務後を言い訳にしてゆっくりしていたら、何を言われるか分かったものじゃない。自分の思っていたことは間違っていなかったと、ハムザは胸を撫で下ろした。
「それでは、自分はあちらの区画の品物確認に行きますので、失礼します」
「…あっ、ああ」
敬礼してさっと立ち去るハムザを、スナイは残念そうに見送った。艦長と親しそうなので、どんな人物なのか聞いてみたかったのだが、次の機会に期待するしかなさそうだった。
補給物資の搬入と請求書の照合作業、ヴィーザルの各種装置の点検や出港準備などに忙殺されているうちに、あっという間に1日が経過した。ロニー艦長が自室から艦橋に姿を現した。艦橋には既に、副長、船務長、補給長、情報長、通信長、航海長、観測長、機関長、戦術長、砲雷長、機動大隊長、歩兵中隊長が揃っていた。
「“ヴィーザル”出港する。各員、準備は整っているか」
艦長席に座ったロニーが告げた。それにラモン副長が答える。
「準備は整いました。いつでも発進できます」
「よし。では、スーリヤ市長への回線をつなげ」
「はっ」
通信長が答えると、まもなくメインスクリーンにスーリヤ市長の姿が現れた。ロニーは立ち上がると敬礼を施した。
「貴殿のご厚意に感謝します。これからも息災でおられることを祈ります」
「こちらこそ。大したおもてなしもできず、申し訳ございません。閣下の旅路のご無事をお祈り致します」
「ありがとうございます。それでは、またお会いできることを楽しみに」
こうロニーは告げると、市長との回線を切った。
「ミノフスキークラフト起動」
「ミノフスキークラフト起動開始!」
艦長の命令を機関長が唱和すると、微弱な振動に艦内は包まれた。
「一番ドック指令センターへ、ゲートの解放と誘導を要請」
「指令センター。本艦は離陸態勢に入ったので、ゲートの解放と誘導を願います」
すでに指令センターと通信回線を開いていた通信長が、艦長の命令を伝えた。程なくして誘導灯がずらっと点灯され、徐々に巨大なゲートが開き始めた。それを確認したロニー艦長は三つ目の命令を下した。
「抜錨。“ヴィーザル”発進」
「抜錨!“ヴィーザル”発進します」
航海長は唱和すると同時にボタンを押す。ガチンと金属がはじける音が複数箇所で発生し、港湾施設とヴィーザルをつなげていた数本の鎖のジョイントが外れる。前部に一本、左右側面に各二本、後部に二本、計七本のジョイントが外れたのを確認した航海長は、舵を押し、そして上げた。港湾施設内でヴィーザルは浮かび上がり、そして微速前進。すでに巨大なハッチは開放され、その先には星々の海が広がっていた。
宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、徐々にスピードを上げる。1分もしないうちに“ヴィーザル”は星々の海の中にいた。エリアベータコロニー群1バンチ“ランパス”との距離が十分に開いたことを確認したロニーは命令を下した。
「これより、熱核クローム航法へと移る。機関科以外の乗員はベルトを着用。衝撃に備えよ」
「熱核クロームエンジン、作動開始。臨界まで5分。各員、直ちに安全姿勢をとれ」
機関長が艦内放送で命令を伝達した。はるか後方にあるメインエンジン二基のうなり声が艦橋にまで響いてきた。このうなり声は、加速が完了する二時間後まで続く。各所から、安全姿勢がとれた報告が艦橋に届く。あっという間に5分が経過した。エンジンが臨界点に達する。全員が安全姿勢を取ったことを確認したロニー艦長は、観測長に指令を下した。
「これより木星へ向けて熱核クローム航法を開始する。航路データ最終確認」
「航路データ、問題なし」
観測長の返答に頷くと、続けて航海長へ命令を下す。
「熱核クローム航法、始め!」
「針路クリア。ミノフスキークラフト停止。エンジンリミッター解除。熱核クロームエンジン、噴射します」
航海長は、舵の中央にあるタッチパネルを操ったのちに、舵を思いっきり押し込んだ。宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、急加速を始める。加速による強烈なGが、全ての乗員に平等に圧しかかってきた。本来であれば、六時間以上かけて徐々に加速をかけ徐々に慣性飛行に移していくのだが、思わぬ寄り道をしてしまったため、少しでも遅れを取り戻そうとロニーは急加速をかけることを決めた。さらに、慣性飛行速度の1割増の速さで進むことにしたのだが、それでも予定より10日以上到着が遅れる見込みだ。
「寄り道をしたツケか。それでも収穫はあったから、よしとするか…」
エンジンの轟音が、ロニーのつぶやきをかき消してしまったため、誰の耳にも入ることはなかった。
アステロイドベルトと木星軌道の距離は、とてつもなく長い。そのうえ、木星は静止しておらず公転をしている。そのため、綿密な軌道計算をした上で航路を確定させておかないと、宇宙で迷子になりかねない。そのため、航海長や観測長の仕事は、出発後より出発前のほうが大変だというのが、宇宙の船乗りの常識だった。加速を徐々に落としてベルトの着用が解禁されると、ロニー艦長はルスタム航海長の肩を叩いてねぎらった。
「ご苦労さん。少し早めだが、交代要員に替わってもらうように」
「ありがとうございます」
二時間以上、全神経を傾けて操艦を続けていたルスタムの精神疲労は、尋常ではなかった。航海科の士官を呼び出し、操艦を替わってもらうべく立ち上がったルスタムの足元は、ふらついて頼りないものだった。それでも、退出の際には艦長への敬礼を忘れなかった。ルスタムに答礼し前方を見やったロニー艦長に、通信長が報告した。
「火星より通信文が入りました」
「内容は」
「『S』それだけです」
「そうか…」
ロニーはラモンに視線を移した。
「ラモン副長。しばらくこの場を任せたい」
「了解しました」
立ち上がったロニーに、ラモンが敬礼した。ロニーは、カタリナ船務長に声をかけた。
「現在遂行中の業務を代替要員に引き継いで、艦長室へ出頭するように」
「かしこまりました」
立ち上がったカタリナは敬礼して、立ち去るロニーを見送った。
艦長室を訪れたカタリナは、扉のそばにあるインターフォンで来訪した旨を告げた。普段であればすぐに扉が開くのだが、今日は違った。しばらく間が空いてから扉が開いた。
「カタリナ=トスカネリ、参りました」
「あぁ。ご苦労さん」
至近距離にロニーがいる。ロニーは29歳、カタリナは27歳。色事にあまり縁がないカタリナでも、年頃の男女二人きりの状況にドキッとした。ロニーから男の香りが漂っているのは気のせいか。艦長室には浴室もベッドもある。このまま中に連れ込まれるのだろうか。だが、カタリナの妄想は数秒で打ち砕かれた。
「これから司令官室へ向かう。君には秘書官として私と一緒に枢密院本会議に出席してもらうので、そのつもりで」
「…す、枢密院!?」
カタリナの目の前が真っ白になりそうになった。火星自治共和国はまだ成立して間もなく、さらにクーデター軍と交戦中ということもあって、まだ議会も内閣も発足していない。政治は七人の枢密顧問官が司っており、ロニーはそのうちの一人だ。共和国最高幹部が集う枢密院本会議に出席させられるなんて、寝耳に水もいいところだった。
「何も準備しなくてよろしいのでしょうか」
「必要なデータは、全て司令官室のコンピュータにインプットしてある。本会議が始まるまでに内容を確認してくれればいい」
軽い調子でロニーは言うが、カタリナにとってはおおごとだ。
「少しでも早く内容を確認したいのですが、よろしいですか」
「あ、あぁ」
カタリナのあまりの剣幕にロニーはたじろいだ。カタリナに引きずられながら司令官室に向かい、急き立てられながら司令官室のロックを解除。すると、ロニーより先にカタリナは入室し、急いで司令官室のコンピュータを立ち上げた。画面を睨みつけるように見つめるカタリナに、ロニーはおそるおそる声をかけた。
「開始30分前になったら連絡が入ってくるはずだから、そんなに慌てなくても大丈夫だと思うよ。それに、たった7人のちょっとした会議だし」
「ちょっと、黙っててもらえませんか」
「……ごめん。突然こんなこと頼んで悪かった」
「……」
仕事なのだから、突拍子もないことが起きるのは仕方のないことだ。そんなこと、新人でもないカタリナは十分すぎるほど分かっている。でもカタリナは、ロニーに対して気の利いたことを言ってあげる気持ちになれなかった。何故こんなに苛々しているのだろう。さっき、変な期待をしてしまったからか。まぁ、そんなことより、これから起きるとんでもない事態に対応できるよう、資料に目を通してロニーを完璧に補佐することが先決だ。
一方、カタリナに気圧されてしまったロニーは、司令官室に設置されている簡易キッチンでお湯を沸かしていた。コーヒーを飲みたくなったからだが、カップを2つ用意したのは贖罪の気持ちからだろうか。
カタリナが資料全てに目を通し終えてから程なく、火星から枢密院本会議開催の予告が入った。部屋をやや暗くして、壁一面に設置されている巨大なスクリーンに、会場が映し出される。しばらくすると、会場に次々と秘書を連れた枢密顧問官たちが入室してきた。
ナディア=レスコ 主席。事務全般統括。
エリアス=ナイツェル 副主席。財務卿。農商務・厚生労働事務取扱。
アンドレア=セラフィン 内務卿。法務事務取扱。
パク=テウォン 外務卿。逓信事務取扱。
ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ 軍務卿。火星自治共和国軍総司令官。
オイエ=ムバ 工部卿。文教事務取扱。
ロニー=ファルコーネ 無任所。
以上の七名が、火星枢密顧問官である。議場に出席できず通信での出席は、木星への旅路の途上であるロニーの他、クーデター軍との戦闘において陣頭指揮を執るルーデンドルフと、事務取扱が多く現場に出っ放しのナイツェルがいる。主席のナディアが席に着いたところで、枢密院本会議が始まった。
はじめは、ナイツェル財務卿からの財務報告だった。火星総督府からの財務移行と予算の執行状況が説明される。専門用語が多くロニーには詳細が分からなかったが、だいたいのことは理解できた。すなわち、
「カネがない」
ということだ。当然だ。カネが十分にあるのであれば、クーデターなんか発生するはずがない。みんな貧乏でどうしようもなくなったから、違法行為に出ざるを得なくなったのだ。それでも、
「地球連邦政府に融資を願い出ないか」
という声が上がらないところに、枢密顧問官たちの気概が感じられた。クーデター軍に対抗するため軍事予算と、将来の国家基盤整備のために農商務予算に比重をおき、枢密顧問官たちの給与9割を凍結し、幹部公務員の給与と緊急を要さない国土開発費を削減して対応することで、一応の合意を得た。
続いて、パク外務卿から地球連邦政府を中心に火星自治共和国外の状況説明があった。表面上の外交交渉については一通りだけで、大部分は連邦政府の実情や、各地で活動を続ける活動家グループについての報告だった。この報告の内容は濃厚だった。他国の行事に参列してただ飲み食いするのが外交ではない。他国が今本当にやりたいこと、本音を探るのが外交官の役目だ。いわゆる諜報活動だが、まだ政府として活動を始めて間もないのに、こんなに広大な独自の情報網をよくもまあ築いたものだとロニーは感心する。他人の情報網を利用すると、どうしても情報網を築いた本人のフィルターがかかってしまって、自分たちが本当に欲しい情報が手に入らない。火星自治共和国に参加する前のロニーは、独自の情報を手に入れるためのヒトもカネもないので地球連邦政府に寄りかかるしかなく、そこに自分の限界を感じていたのだ。
次はセラフィン内務卿による法整備に関する説明だった。現在、クーデター軍との戦争中ということもあり、治安警察は軍の指揮統率下に置かれている。従ってセラフィン内務卿の今の仕事は、成立して間もない火星自治共和国の憲法ともいうべき基本法の草案作りである。文言について枢密顧問官の間で激論が交わされたが結論は出ず、次回に持ち越しとなった。
セラフィン内務卿の次が、ロニーの番だった。遠方への航海途上ということで今回の枢密院本会議を欠席するつもりだったのに、この議題を上げるようナディアに言われたため、わざわざ出席することになったのだ。すなわち、
「アステロイド=ベルトを火星自治共和国の統治下において、アルファからデルタまでの四箇所に鎮守府を設置する」
というのが、ロニーからの提案だった。以前、ナディアに説明したことをロニーが述べたのちに、パク外務卿から質問が上がった。
「地球連邦政府の木星航路封鎖が目的なら、火星軌道上で行ってもいいのではないか」
なるほど正論だ。とロニーは思った。火星軌道上に火星本星のほか三箇所に鎮守府を設置すれば、同様の効果は得られる。だが、
「木星航路の封鎖を火星軌道上で行うことと、アステロイド=ベルトで行うことについて、比較検討した結果を申し上げます」
ロニーは、カタリナにスライド画面を開くように促した。パネルの概要は以下の通り。
兵力分散:火星軌道上であろうと生じる。最低でも太陽を挟んで反対側にも拠点を置かなければ、航路封鎖は困難。距離が短い分、アステロイド=ベルトで実施するよりも早く兵力の再結集ができるが、それでも短期間では再結集できず、会戦が起きても終結までに参戦できる可能性は低い。
鎮守府設置:アステロイド=ベルトの場合、既存の施設が利用できるので、巨額な予算は必要ない。さらに、地球連邦政府はアステロイド=ベルトに関心を持っていないので、工事に取り掛かっても察知される可能性は低い。火星軌道上の場合は、拠点を新設しなければならないので、巨額な予算が必要なばかりか、地球連邦政府に知られる可能性が高く、不信を招く原因になる。
封鎖に対する連邦政府の対応:火星軌道上で封鎖を実施した場合、火星軌道までは通常の核パルスエンジン艦艇で航行できるので、軍を派遣して実力で封鎖を解除させることが可能。アステロイド=ベルトで実施した場合、熱核クローム航法で飛べる艦艇は限られており、アステロイド=ベルトまで大軍を派遣することはできない。従って、連邦軍が火星自治共和国を完全に屈服させる以外、航路封鎖を解除することができない。
「こうしたことから、火星軌道上で実施するよりも、アステロイド=ベルトで実施するほうが、メリットが大きいと考えます」
「なるほど。一理ありますな」
ロニーの説明に同意したのは、ナイツェル副主席だった。
「我々が地球連邦政府から自立する上でも、木星航路の掌握は必要な国策です。ロニー顧問官の意見に反対の方はおられますか」
ナイツェルの問いかけに対し、挙手するものはいなかった。
「ロニー顧問官の提案に賛成の方、挙手を願います」
議長のレスコ主席が参加者に問いかけた。議長のレスコ以下、枢密顧問官全員が挙手をした。レスコ主席は一同を見渡した。
「全員の賛同を得られましたので、ロニー顧問官の提案は可決されました。ロニー顧問官は速やかに実行計画書の作成に着手して下さい」
「かしこまりました……」
ロニーは立ち上がって、深々と頭を下げた。