「…応答願います。こちら、火星自治共和国艦隊総司令部所属、宇宙戦闘母艦ヴィーザル。第九艦隊司令部、応答願います」
通信士が木星の衛星“エウロパ”に向けて通信を送り続けている。既に衛星“カリスト”の軌道を超え、衛星“ガニメデ”の軌道が目前に迫っているのだが、第九艦隊司令部からの返答はない。
「なぜ、返答を寄越さないんだ?」
宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”艦長ロニー=ファルコーネ大佐は、メインスクリーンを凝視していた。メインスクリーンには、“エウロパ”の一角の拡大図が映し出されている。カメラ映像ではなく、図面だった。クラトス駐留基地。第九艦隊の母港。収容可能艦艇二千隻。収容可能兵員四十万人。火星のアキレウス駐留基地を凌ぐ、世界有数の巨大な要塞である…はずなのだが、地球連邦政府中枢コンピュータには、なぜか図面だけしか残されていなかった。
「行って、目で見て確認すればいいだけのことだ」
出発前、木星圏の調査をしていたときは、安易に考えていた。地球連邦政府が発足する前から、人類がたびたび足を踏み入れている場所。映像がないのは、たまたまだ。開拓に従事している人々が集まって、木星圏は栄えているはずだ。そう思っていた。だが、木星圏外縁部から通信を発しているのに、一回も返信がない。それどころか、木星圏から通信が発せられている形跡すら見当たらないのだ。
「木星圏に人、いないのでしょうか」
不安そうな声でロニーに尋ねてきたのは、副長のラモン=デ=ラ=ゴーヤ中佐だった。ラモンが不安がるのも無理はない。静かすぎるのだ。ガニメデの軌道を通過するとき、肝心の衛星“ガニメデ”は木星の向こう側にいたので“ガニメデ”の地表の様子は分からなかったが、ここまで来るのに輸送船など人工構造物の類と全く出会っていない。人類の生活を支える超巨大資源採掘場って、こんなに静かなものなのだろうか。
「木星圏は広いからねぇ。地球圏と同じ感覚でいると、木星圏には地球圏の100万倍人が住んでいることになってしまうぞ。人の気配が感じられなくて、いわば当然だろう」
こうは答えたものの、ロニーの声に張りはない。ガリレオ衛星の位置まで来れば、木星まで至近距離といってもいい。何か人類の痕跡を感じることのできるものに出会ってもよさそうなものだ。せめて、エウロパからの返信があれば安心なのだが。
しばらく艦橋は沈黙に包まれた。すでに地球連邦政府は、完全無人で資源採掘を行う技術を確立させたのだろうか。もし、そうであれば大変だ。様々なシーケンス理論で組み立てられたシステムを解析して、有事の際にシステムを味方に出来るようプログラムを組み入れるためには、一個師団ほどの技術者を集めて何年も時間をかけなければならない。しかも遠く離れた木星圏へ連れて行くなんて、まず不可能だ。いやな空気が漂い始めた。
エウロパが視認できる距離まで近づいた頃、艦橋に通信波が届いた。慌てて通信士が通信波を同調させ、音声データをスピーカーに流した。
「……こちら、“エウロパ”のクラトス駐留基地。貴艦の位置は把握した。40分後に誘導灯をともすので、それに従って入港されたし」
音声データが途切れるや否や、艦橋は歓声に沸いた。自分たち以外の人間の声を聞いたのは、ずいぶんと久しぶりだった。自分たち以外の人間に会える希望を持てた。ロニーは通信士に指示を出した。
「突然の訪問を快く受け入れてもらい感謝すると伝えよ」
「了解」
艦橋のざわめきは止みそうにない。エウロパは月とそんなに変わらない大きさだから、月面都市のような都市がどのくらいあるのか、都市にはどんな施設があるのか、映画館やコンサートホールはあるのか、ラウンジで酒を飲みたい、などなど、長い旅路に疲れた乗組員たちは、自分たちのやりたいことを次々に語りあった。
目前のエウロパが大きくなるにつれ、乗組員たちの期待も大きくなる。
「あれ…」
ある程度細かい地形が見えるくらいにまで近づいたのだが、都市らしきものが全く見つからない。クレーターや裂け目など、自然に出来た地形ばかりだ。音声通信が入る前に漂っていた不安感が、再び首をもたげ始めた。まさか、さっきの音声通信は…
音声通信が入って40分後、エウロパの一角からヴィーザルに向けてレーザー光が発せられた。ロニーは、誘導に沿って進むようルスタム航海長に命じ、レーザーの発光源をメインスクリーンに拡大投影するようカタリナ船務長に命じた。発光源こそ、艦艇二千隻を収容できる巨大要塞クラトス駐留基地のはずだ。きっとたくさんの港湾設備が並んでいるはず…と目を凝らしてよく見たのだが、どう見ても港湾設備は10隻分くらいしかない。そのうち四隻分は既に埋められていた。一隻は間違いなくジュピトリス級の超巨大輸送艦。あとの三隻はガゼス=ギア級宇宙戦艦に見える。そう見えるのだが、どことなく違和感があった。ガゼス=ギア級は連邦軍宇宙艦隊の旗艦クラスの大型艦で、全長はゆうに700mを超える。モビルスーツ発着カタパルトが前に一つ、左右に一つずつ、後に一つ、そして二連装の主砲が二門、三連装の副砲が三門備えられた強力な戦艦だ。ところが、目前にある戦艦の全長は700mもなさそうで、主砲は確かに二門あるが副砲が見当たらない。後方にあるモビルスーツ発着カタパルトも見当たらず、代わりに大きな推進システムが取り付けられていた。
ロニーから見て、一番右に輸送艦、そこから左に戦艦が三隻並んでおり、ヴィーザルを誘導しているレーザー光は、その左隣から発せられていた。航海長のルスタムは、誘導灯に沿って難なくヴィーザルを港湾施設に着艦させた。港湾施設から巨大なチューブが伸びてきて、ヴィーザルの出入り口につなげられた。ルスタムが入港準備に追われる中、ロニーは艦長席から降りてハッチを目指した。副長のラモンは、艦の指揮をカタリナに委ねてロニーを追う。ハッチへ向かう途中で、ジーナとハムザ、そして三人の部下を従えた歩兵中隊長と合流した。
ハッチに辿り着くと、武装した歩兵が五人すでに待機していた。やがてハッチが開くと、基地側には三人の人影があった。一人は、服装からして明らかに軍人だが、残りの二人はどうも違うようだった。いずれも武装はしていない。それを確認したロニーは、待機していた歩兵五人を下がらせ、三人の真ん中にいる軍人らしき男に歩み寄った。
「突然の訪問にもかかわらず、入港を許可下さいましてありがとうございます。小官は、火星自治共和国艦隊所属の宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”艦長ロニー=ファルコーネと申します」
「第11輸送船団護衛部隊のランサム大尉です。司令官がお待ちです。どうぞこちらまで」
ロニーに敬礼で出迎えたランサム大尉は、右手を基地のほうへ差し出して中へ入るよういざなった。ランサムたちに連れられて歩いている道中、ロニーはまわりを見渡してみた。作られて長い年月が経っているようだが、手入れが行き届いているようで清潔感がある。むき出しになった送管も汚れていない。ところどころに窓があって外の様子が分かるが、どの窓を見ても岩山ばかりで味気がないのが残念だ。その代わりなのかどうか分からないが、ところどころに鉢に植えられた観葉植物が置いてあった。
しばらく歩くと、ロニーたちは一つの部屋に案内された。広めのつくりの応接ロビーで、中央に小さな庭がつくられており、草木が何本も植えられている。ところどころにソファが置かれており、その一角に二名の軍人が座っていた。ランサムはその軍人たちの元へと行き、敬礼を施して何やら語りかける。報告を聞いた軍人の一人が立ち上がると、ロニーたちの元へのっしのっしと歩いてきた。背丈はロニーよりも低いが、腹回りはロニー二人分ありそうだ。連邦軍の将官の服装をしているから、きっと司令官なのだろう。もう一人の軍人は、座っていた場所で直立姿勢を取っているようだ。というのも、あまりに影が薄いので、注意して見ないと気付かないのだ。
司令官らしき軍人は、軽蔑したような目でロニーを見上げた。
「わしが、護衛部隊司令官のアラン=マクミラン准将である。木星に何の用だ?」
「お初にお目にかかります。第七艦隊のルーデンドルフ提督より、第九艦隊司令官閣下宛の信書を預かっております。第九艦隊司令官閣下にお取次ぎ願いたいのですが」
「第九艦隊の司令官は、ここにはおらん。だから、それはわしが預かろう」
「いらっしゃらないとは、どういうことでしょうか」
このようにロニーが真剣な口調で尋ねたことに対してか、マクミランは腹を抱えて笑いだした。明らかに、人を小馬鹿にした態度だった。
「これだから、火星の田舎者は困る。まぁ、地球に住んでいても政府の枢要にいなければ、知らないことだけどな。こんな僻地に、第九艦隊司令官閣下がいらっしゃる訳がない。少し考えれば分かることだろうに。ランサムよ、そうは思わないか」
「はっ」
返事はしたが、ランサム大尉はマクミランを向いていない。本気で同調しているのか否か、分からない態度だった。ランサムの内心なんぞに興味のないマクミランは、俯いているロニーの姿を見て、落ち込んでいるものと勝手に解釈した。
「かわいそうな田舎者に教えてやろう。第九艦隊司令官閣下は、地球にいらっしゃる。はるばる木星まで、つらい思いをしながら歯を食いしばってきたんだろ。ご苦労さん。方向が逆だったな。あまりにも哀れだから、司令官閣下の代わりに、その信書はわしが預かってやろう。覚えていたら、閣下に渡してやる。まぁ、明日には忘れているだろうがな」
マクミランは哄笑した。マクミランの態度にラモンたちの瞳は殺気に満ち溢れていたが、ただ一人ロニーだけは違うようだった。仮面の下の表情はうかがい知れないが、明らかに声色は殺気と程遠かった。
「まさか軍の中枢にいらっしゃる方とはつゆ知らず、とんだご無礼を申し訳ありません。もちろん、閣下にいらぬご苦労をかけようなんて厚かましいことは全く考えておりませんので、信書の件は、もし、万一、閣下のご記憶の片隅に残っていたらで当然構いません。何かあったとしても、それは全て無知であった小官の責任であります。しかも、田舎者の小官にご教授まで下さるとは、さすが連邦政府の中枢にいらっしゃられるだけあって、火星にいる方々とは一味も二味も違いますね。中枢の方とお話ができるなんて、めったにあることではありません。もし閣下にお時間があるのでしたら、ぜひともいろいろなお話をお聞かせ願いたいのですが」
「ふん。タダでモノを教えてもらおうなんて、ムシが良すぎるぞ」
「申し訳ございません。エリートの方々みたいに気が回らないものですから」
ロニーは上着のポケットに手を突っ込むと、何かを取り出してマクミランに献上した。渡されたものをチラッと見たマクミランは、下品な笑いを浮かべてロニーを見遣った。
「エリートになりたかったら、こうした気遣いを忘れないことだ」
「はっ。閣下のお話は、大変勉強になります。ぜひとも閣下のような立派な軍人になりたいと思います。統合参謀本部のことなど、教えを頂戴することはできないものでしょうか」
「しかたがない奴だな。そこまでいうなら、ちょっとこっちへ来い」
マクミランはロニーを手招きして別室へといざなった。その様子を、ラモンたちは唖然として見送った。
マクミランとロニーが笑いながら別室から出てきたのは、二時間以上経ってからだった。マクミランはロニーの肩を叩いた。
「だから言っただろう。エンテザーム閣下は気が短いのだから、回りくどい説明はいらないって」
「そうですよね。もっと早く閣下のお話を聞いていれば、あんな目に遭わずに済んだのですが」
申し訳なさそうな声でロニーは答えた。そんなロニーにマクミランは目を細めた。
「そういうもんだ。まぁ、これからはいろいろアドバイスしてやるから、気兼ねなく連絡して来いよ」
「ありがとうございます。それでは例の件、宜しくお願い致します」
「まぁいいが、そんなにあいつらのことが気になるか?」
「せっかく木星圏に来たのですから、ぜひ見ておきたいです。こんな機会、めったにありませんから」
「まぁ、何事も勉強だからな。さっさと用事を済ませて来い。今日はこっちでメシを食わせてやるから」
「ありがとうございます。丁度、いい赤ワインがありますから、あとで持って参ります」
「そうか。それは楽しみだ。それじゃ、またあとでな」
「はっ」
ロニーはマクミランに敬礼すると、ラモンたちに振り返った。
「待たせたな。“ヴィーザル”に戻るぞ」
「はっ」
ラモンたちの敬礼に答礼したロニーは、マクミランに再度敬礼をしてから応接ロビーから退出した。ロニーは“ヴィーザル”に戻るまで無言だった。護衛役の歩兵中隊長とその部下たちを下がらせ、ロニーはラモンとジーナそしてハムザを連れて艦長室へと入った。入るなり、ラモンがロニーに詰め寄った。
「先ほどの閣下の姿には、涙が出そうになりました。あんな下品で粗野な奴に媚を売るなんて。ついこの前まで、閣下はあのブタよりもはるかに偉い地球連邦軍大将だったではありませんか」
「ラモン中佐、そんなに目くじら立てないでくれよ」
「立てずにはいられませんよ。そうだろ、ハムザ」
「まぁ。そうかもしれませんが…」
煮え切らない態度のハムザに、ラモンの表情は不審に彩られた。
「お前は、閣下のあの姿を見て何とも思わなかったのか」
「だって、あれは演技なんでしょ」
「なに、そうなのか?」
ラモンは、きょとんとなってロニーのほうを振り返った。ロニーは両手を広げてため息をついた。
「大した実力がないくせに自尊心と虚栄心に満ち溢れている奴は、たいてい地位の高い奴にべったりとへばりついているので、いろんな話を知っているものだ。自尊心さえくすぐってやれば、最高機密だろうと何だろうと偉そうな態度で簡単にぺらぺらとしゃべってくれる。おかげで、木星圏のことについていろんなことが分かったよ」
ロニーがマクミランから得た情報によると、公には第九艦隊は木星の衛星“エウロパ”にいることになっており、当初は大規模な母港を建設する計画もあった。木星圏への植民計画もあった。だが、木星圏に届く太陽光はあまりに微弱なためコロニーを建設しても一般人が住むには適しておらず、こうした計画は暗黙裡に廃案となった。だが、公には計画は実行されたものにして、官僚たちは計画を実行するための予算を毎年計上した。この予算は官僚たちの埋蔵金になり、表に出すことのできない費用に使われるようになった。第九艦隊も、公式には4個分艦隊、大小艦艇700隻で構成されていることになっている。だが、資源採掘現場以外に人がいない以上、大軍を置く必要が全くない。なので実際は、高速戦艦3隻で成り立つ戦隊が5つあるだけで、任務は木星船団の護衛ただ一つである。“エウロパ”のクラトス駐留基地は、木星船団の停泊地としてしか利用されていないので、木星船団がいないときは無人になる。
「…木星圏へは、何度も来れば来るほど孤独感、地球への郷愁があふれてくるらしい。マクミランがあんな性格になったのは、何度も木星圏へ来たことも影響しているのかもしれないな」
「……」
一同は押し黙った。クラトス駐留基地に観葉植物がたくさん置いてあるのは、地球の土や草木への狂わんばかりの希求によるものなのだろう。木星圏ですらそうなのだから、それより遠い場所への植民計画は、俎上にすら載せられることはなかった。
「木星圏に大した兵力は存在しなかった。万一、連邦政府と火星自治共和政府が戦争状態になったとしても、火星が地球と木星に挟撃されるということはない。これが分かっただけでも大収穫だ」
「遠路はるばる来た甲斐があったというわけですな。恐れ入りました」
ラモンは軽くロニーに頭を下げた。その様子をロニーは満足げに眺めた。
「だが、せっかくここまで来たのだから、調べておきたいことがある」
「それは?」
「木星の資源採掘現場さ」
ロニーは、そのためにマクミランと採掘現場へ行く約束を取り付けたのだという。
「マクミランは資源採掘に従事している人たちのことを『木星人』と呼んでいた。私たちを馬鹿にしていた言い方よりも、更にあざけるような言い方で。まるで、汚物でも触るかのように。それがちょっと引っかかってね。そのために、これから大事な赤ワインを引っさげて、尊大なブタに媚を売ってくるのさ。嫌でたまらんけどね」
「トオルさん、頑張ってね」
応援することしかできない自分に、ジーナは歯痒かった。そんなジーナの思いに気付いたのかどうか分からないが、ロニーはジーナの頭を撫でた。
「今日はこっちに帰ってくるかどうか分からない。しっかり食べて、しっかり寝ておくのだぞ。いざというとき、頼りにしているのだから」
「はい」
ジーナは微笑んだ。まさか、そんな遠くない未来に大変なことが起きるなんて、この時ジーナは思いもしなかった。