機動戦士ローガンダム   作:J・バウアー

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去竜篇
エピローグ


 ネト中将の敗戦宣言により、火星治安維持対策委員会の解散及び火星解放軍の武装解除が始まった。ネト中将の統制が行き届いていたため、クーデター軍の抵抗によりウラノス=シティが市街戦で壊滅するような事態は避けられ、火星自治共和国軍第二任務部隊によるウラノス=シティ占領は順調に進み、三日を待たずして完了した。

 占領が進むにつれ、クーデター軍に参加した将兵の逮捕及び復員、逮捕した戦争犯罪人の捜査及び起訴、クーデター軍解散に伴う新たな統治機構の確立などを手掛ける軍政庁の設置が急務となった。当初、火星自治共和国の最高意思決定機関である枢密院は、軍政庁の最高責任者である軍政長官に、クーデター軍との戦いを主導した火星自治共和国軍第二任務部隊の司令長官であるロニー中将を指名した。ところが、

「これから平時へと移行していくことを考えると、第二任務部隊の軍人で最高位にいるアーミル大将がふさわしいと考えます」

とロニーが固辞したため、改めて枢密院で人選を進めることになった。その代わりといって枢密院は、ロニーに対し新たな軍政長官が着任するまでの間は軍政長官の代行をするよう、強く要請した。さすがにこの要請を断ることはできず、ロニーはやむなく代行就任を承諾した。そのロニーが、軍政庁として接収した旧火星総督府に入ってからまもなく、彼にとって極めて不愉快な人物を引見しなければならなくなった。地球連邦軍第三総軍総司令官アウグスト=ドゥセック上級大将。ネト中将のクーデターで失脚し、官舎で軟禁されていた人物である。ちなみにハッタ火星総督は、ネト中将の証言によると軟禁中に持病が悪化して死亡したとのこと。

 ネト中将に代わり総督執務室のデスクに腰かけているロニーは、机を挟んで目前にいるドゥセック上級大将を見やった。プロフィールによると年齢は42歳、身長176cm。やややせ形で、金髪をきちんと整髪料で整えており、上級大将の軍服をきれいに着こなしている。顔立ちは世間並よりもやや悪い。長い軟禁生活のせいで、やつれているように見えるが、目元だけは憤然としていた。

「上級大将である私を呼びつけるとは、一体貴様、何様のつもりだ?」

 怒気のこもった鋭い声を上げて、ドゥセックはロニーを睨みつけた。他者を気遣うことなど無縁の生活を送ってきた人間が持つ尊大な態度は、ドゥセックの生い立ちが大きく影響している。彼は、これまで百年以上に亘って多くの政治家、官僚、高級軍人を輩出してきた名門の生まれである。父親は軍機省の官房長から転出した外郭団体の理事長、母親は当選11回の現役上院議員。兄は最高裁事務総局の次長、姉は大学病院の教授である。上級大将以上は、軍上層部で構成される参議官会議の推薦と連邦議会の承認を受けなければ叙任されない。アウグスト=ドゥセックが40歳そこそこで上級大将にまで昇進できたのは、能力ではなく両親の力によるものだとの噂が、あちこちで囁かれている。アロワの尊大さは、自身の能力に裏打ちされたものなので、まだ可愛げがあるが、ドゥセックの尊大さは、生い立ちというただの偶然に裏打ちされたものなので、ロニーは凄まじい嫌悪感に襲われた。

「私は、地球連邦政府軍機長官及び地球連邦軍統合参謀総長が、連名で発した命令書を預かる身である。姿勢を正して敬礼を施せ」

 ロニーが「軍機長官」「統合参謀総長」の単語を発したので、ドゥセックはこれまでのふてくされた表情を打ち消して、直立不動の姿勢を取った。肩書で人を判断する安直な人間なんて、世界中に掃いて捨てるほどいる。目の前にいる人間がその典型であることにロニーは落胆を感じつつも席から立ち上がり、机の右手に置いてある命令書を手に取って内容を読み上げ始めた。

「第三総軍総司令官アウグスト=ドゥセック上級大将

 第三総軍総司令官の任を解く

 統合参謀本部付を命じる………」

「な………」

「速やかに地球へ向かうようにとのことです。外に車を待たせておりますので、今すぐアキレウス基地へいらして下さい」

「今すぐにだと…、ふざけるな。俺はフェルミ元帥に次ぐ軍のナンバー2だ。俺の都合を無視した要請など、聞く耳を持たぬ」

「閣下のご都合など、この際全く関係ありません!!」

 ロニーは言い切った。有無を言わさないロニーの迫力にドゥセックは言葉を失った。そんなドゥセックを、ロニーは冷然と凝視した。

「統合参謀本部は閣下に対し、今回のクーデターを防止できなかった責任があると考えています。近々に軍法会議が開かれますので、相応のご覚悟をなさいませ」

「……そ、そんな、バカな…。そんなこと、議会が許すはずが…」

「ちなみにドゥセック上院議員は、弾劾裁判の被告となっており、現在職務停止中です。そして、閣下の上級大将位の剥奪が、議会に上程されているとのこと」

「…………」

 入室してきたときの威勢は一体どこへ行ったのか、ドゥセックの体は小刻みに震え、表情は青ざめていた。そんなドゥセックなんかに興味がないと言いたげに、ロニーは左手で受話器をつかむと、内線で衛兵を呼び出した。入室してきた衛兵にロニーは命じた。

「ドゥセック閣下を拘束せよ。そしてアキレウスへと連行するのだ」

 ロニーに敬礼を施した衛兵は、無造作にドゥセックの肩を掴むと、強引にロニーの元からドゥセックを連れ出した。ドゥセックの姿が扉の向こうへと消え去るのを確認すると、ロニーはイスに腰掛けて深くため息をついた。

「ネト中将は、とても潔い方だった。それに比べて……」

 きっと、ネト中将は死罪となる。だがドゥセックは、せいぜい短期の有期刑。何とかしようと行動した人物よりも、何もしない人物のほうが、罪が軽いのか?やりきれなさがあふれだし、ロニーは思わず拳を机に叩きつけた。

 

 ウラノス占領からおよそ二週間後、ようやくロニーは自分の時間を作ることができた。ラモンとカタリナを自室に呼んだところ、ジーナ、ハムザ、そしてアロワもくっついて来た。

「閣下の素顔を見るのって、いったいどれだけぶりですかねぇ」

 ハムザがしみじみとロニーことトオルの顔を見た。このメンバーのとき、ロニーはトオルの素顔をさらしている。トオルは苦笑いしてハムザを眺めた。

「やることが多かったからね。でも、それもあともう少しだ。そうだろ、カタリナ秘書官殿」

「そうですね。占領マニュアルさえ出来てしまえば、現場が回り始めます」

 ロニーの軍政長官代行就任とともに、カタリナは軍政長官代行付秘書官へと異動した。ハムザは情報分析を担う軍政庁第二部一課勤務となっている。階級は少佐から降格の大尉。これはハムザ自身が、ロニーに強く申し出た結果によるものだった。

「少佐のままだと課長補佐として部下を率いなければなりません。戦時ならともかく、まだ二十歳そこそこの若造の私が、平時に年上の部下を使いこなすことなんて、とてもできません。何卒ご慈悲で私を降格にして下さい」

と涙ながらに訴えるものだから、部下を持たない課付の主査にしてもらったというわけだ。それ以外は、所属と階級に変更はない。

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”第二代艦長であるラモン大佐が、トオルに尋ねた。

「占領政策が終了するのは、いつごろの見込みなのですか?」

「そうだなぁ」

 現在、軍政長官を管轄する事後処理委員会のメンバーが集結中だ。委員は全部で9名。委員に枢密顧問官は含まれていない。軍政長官の決定を委員会が了承し、枢密院が承認して法的拘束力が発生する仕組みだ。民主的プロセスを考えるとこういう仕組みになるのだが、事後処理委員会の委員から見ると、軍政長官代行のロニーは部下になるが、枢密顧問官のロニーは上司になる。ロニーが軍政長官就任を固辞したのは、こうした矛盾を回避することも理由だが、これは二番目の理由だった。

「火星解放軍の復員、戦後復興計画の策定と実行、軍事裁判の開始から判決……。こうした占領政策のロードマップを網羅した占領マニュアルが始動して、早くて三年だろうね」

「…なるほど、まだ先は長いですね」

「なぁに。きっと長くは感じないはずだ。それだけ戦後処理というのは大変なのだよ」

「何事もそうですな。火事は起こすのは簡単だが、消火活動は大変だ」

「そうそう。火事は一人でも起こせるけど、消火活動には多くの人手が要る」

「と、いうことは軍政庁に応援が来るのですか?」

「来てもらわないと困るだろう」

 地球連邦政府に介入の口実を与えることなくクーデターを鎮圧するという公約をロニーは守ったのだから、軍政庁職員の増員は当然とロニーは枢密院に迫り、人員と予算全てにおいて満額の回答を得たのだった。

「これからは、武器を持たない戦いになる。うんざりするが、軍政長官が赴任してくるまでの辛抱だ。命の危険がないだけマシとするかな」

「そんなに面倒なのですか?事後処理委員会の委員たちというのは」

「まぁ、その中にルーデンドルフ提督直属の部下が二人いるからね。きっと私たちのことを面白く思っていないはずだ」

 彼らからすると、古くからアリップに関わり、軍事面でルーデンドルフに次ぐ重鎮であるとそれぞれ自認していたのに、いきなり枢密顧問官兼第二任務部隊司令長官としてルーデンドルフ提督に次ぐ座についたロニーや、その一派のことを面白いと思うはずがない。妨害はないだろうが、無理難題くらいは押し付けてくるであろうことが十分に予想された。だが…

「火星自治共和国には、今のところめぼしい強硬派というものが存在しない。これだけはありがたいね」

「ふぅん。穏やかな奴ばっかりか。よかったな」

 ぶっきらぼうにアロワが同調した。関心なさそうなアロワに対し、トオルは熱弁を振るった。

「そうなんだよ。クーデター軍すなわち火星自治対策委員会と火星自治共和国は、権利回復推進同盟すなわちアリップから別れて出来たのだが、強硬派が火星自治対策委員会に集まり、穏健派が火星自治共和国に集まった。だから、火星自治共和国には強硬派が少ない反面、優柔不断で決定が遅い」

「穏健派と強硬派。俺たちはさしずめ、草食動物といったとこか。草食動物が肉食動物に勝ったのか」

「…極端だが、まんざら外れという訳でもないな」

 アロワの奴、うまいこと言うなとトオルは思った。

「肉食動物よりも草食動物の方が数も多いし」

「その話はもういいとして、どうして軍政長官にならなかったのだ?」

 アロワは話の流れを変えた。アリップの内紛なんぞに興味がないようだ。

 もう少しその辺りのことを話したかったトオルは、苦笑を浮かべて頭をかいた。

「アキレウス基地でラモン艦長が言っていただろ。私は中枢に警戒されているって」

 アルセイス会戦の真の英雄ロニー=ファルコーネ枢密顧問官が、優秀な人間を集めて火星自治共和国から自立してしまうのではないか。この疑惑が、共和国内部で囁かれている。内乱が続く限り、ロニーの戦争指導力は必要不可欠なので、トオルの身は安全だった。だが、その内乱はついに終結してしまった。

「内乱が終了したら、私はお払い箱だ。生きていようが死んでいようが、共和国にとっては、どうでもいいことになる」

「………」

「自立が噂される危険因子は処断する。政府の人間であれば、誰もがそう思うだろう。だから、あれからすぐに手を打ったのだ」

「その手とは?」

 真面目な顔をしてアロワがトオルに尋ねた。ラモンたちは皆ニヤニヤしていたのだが、そのことにアロワは気付かない。トオルも真面目な顔をしてアロワに答えた。

「火星自治共和国は、いずれ政府を代表して公使を地球に派遣することになる。その高等弁務官に就任させてもらえないかと、レスコ主席とパク外務卿に働きかけていたのだ。それがようやく認められた。新たな軍政長官が赴任して来次第、私は地球へと向かう」

「な、何で地球に?」

「だから、火星に居続けると危険だからだよ。このまま火星に居座り続けたら、権力闘争に巻き込まれた挙句、暗殺されるか、罪をでっち上げられて罪人として処刑されるかの二者択一になる。それならいっそ、地球へ行った方が安全だ」

「地球だって危険なんだろ。もともと仮面を被っているのは、地球連邦政府から身を守るための変装だって聞いたぞ」

「火星自治共和国に参加した当初は、そうだった。だが、今となっては状況が異なる」

 火星自治共和国の成立承認後に地球連邦軍第三総軍総司令官代理タカハシ=トオル大将が生きていて困るのは、火星の内乱が終結するまでの間だ。火星自治共和国が内乱を治めて火星統治を不動のものとしてしまった後だと、連邦政府及び連邦軍に介入の余地がなくなるので、地球連邦軍第三総軍総司令官代理が生きていたとしても大した問題にならない。

「…火星自治共和国には、元連邦の高官がゴロゴロいる。私もその一人に過ぎなくなるって訳さ」と、トオル。

「そういう訳で私は、高等弁務官付秘書官の辞令が下りる予定なの」とカタリナ。

「私は高等弁務官事務所の国防駐在官に異動となる」とラモン。

「俺は軍籍を離脱し、高等弁務官事務所の技官に就職予定」とハムザ。

「私も軍を辞めて、地球の高校に編入するの」とジーナ。

 次々と地球行きの話が飛び出すので、アロワは面食らった。

「何だとぉ。そんな話、俺は何も聞いていない!」

「だって、アロワ。あんた火星で土地を買い占めて農耕王になるんでしょ」

 ジーナは舌を出してニヤリと笑った。からかわれたアロワは尖った声を上げた。

「やかましい。俺に農地を買い占める金なんてない」

「あんた自分のこと、太陽系を総べる皇帝とか言ってなかった?」

「それ、次言ったら殺す」

 アロワが身を乗り出してジーナに凄んできたので、ジーナは降参の素振りをした。

「ごめん。もう言わないから。そういうと思って、アロワにも提案があるのでしょ、トオルさん」

「まぁな。アロワが気に入るかどうか分からんが…」

「皇帝だったら、真っ平御免だからな」

 木星時代はアロワにとって黒歴史となったようだ。こいつの性格はそう簡単には変わらないはずだと睨んでいたトオルは、いい意味で予想を裏切られて少し嬉しかった。

「アロワ。お前、アナハイム=エレクトロニクスに籍を置いて、大学へ通わないか?」

「アナハイム?月のグラナダに本社がある、あのアナハイムか?」

「そうだ」

「お前らみんな地球なのに、俺だけ月か?腑に落ちないな」

「いずれ月が赴任先になるかもしれないが、大学は地球だ。アロワ、お前の知識は一方に偏りすぎている。もっと満遍なく知識を蓄えたほうがいい。どうだ?」

 アロワは木星からの脱走者だ。火星自治共和国の庇護があるだけでなく、太陽系最大の企業体であるアナハイム=エレクトロニクス=コンツェルンに籍を置けば、いくら地球連邦政府とはいえアロワには手を出しにくいはずだ。退職したとはいえ未だに影響力を残しているナイツェル副主席が、アナハイムへ働きかけてくれることをトオルに約束してくれていた。トオルはアロワの答えを待った。

 アロワはイスにふんぞり返ってトオルを見据えた。

「ロニーがそこまで言うのなら、期待に応えてやってもいいぞ」

「そんな生意気な態度を取るのだったら、今すぐ木星へ帰ってもいいんだぞ。ノーマルスーツとバーニアをプレゼントしてやるから、孤独な宇宙遊泳の旅に出たらどうだ」

「出た。またそれだ。お前には進歩というものがないのか」

「まぁな。どうも私は、ニュータイプというものには、なれそうにないよ」

「ニュータイプ…ねぇ……」

 アロワはつぶやいた。ジオン=ズム=ダイクンが残していった言葉、ニュータイプ。言葉だけで、確固たる定義は残されていない。多くの人がその中身を憶測したが、万人を納得させる定義を確立させた人はいない。ただ、一つだけ確かなことがある。いつぞや飯炊き女に言ったことがある。

「俺はニュータイプではない」

 火星に来て、その思いはより一層強くなった。もう、宇宙空間には戻りたくない。地に足をつけたい。その思いが日に日に増していった。

 アロワは、神妙な面持ちで姿勢を正し、トオルに向き合った。

「さっきは茶化して悪かった。地球の大学へ行かせて欲しい」

 このように言って、アロワは頭を下げた。こんな謙虚なアロワを初めて見たトオルは、一瞬驚きのあまり声を失いそうになったが、正気を取り戻して笑顔を作った。

「………分かった。だが、ひとつ条件がある。地道に勉強しろ。いくら私でも、裏口入学のツテは持っていないからな」

「ま、マジか…」

 落ち込むアロワの姿を見て、周りのみんなが笑い出した。

 

 アロワがトオルの部屋から退出したので、ジーナはアロワのあとを追いかけた。

「アロワ、ちょっと待って」

 ジーナの呼びかけにアロワは振り向きもせず、歩みを止めない。ジーナは駆け足でアロワの後姿に追いつき、アロワの肩を掴んだ。

「…何の用だ」

 ようやくアロワは立ち止まり、面倒くさそうにジーナの方を振り返った。ジーナはアロワの肩から手を離し、アロワに頭を下げた。

「あのときは、どうもありがとう」

「は?何のことだ?」

 アロワはきょとんとして、ジーナをじっと見つめた。美男子のアロワに見つめられて、ジーナは心なしか動揺した。

「あ…えっと、あのとき。助けてくれたでしょ。敵のガンダムから、私を」

「……あぁ、あれか?何で礼なんか言うのだ。意味が分からん」

「だって、あの時、あんたが私を助けてくれなければ、私、レオナに負けてた…」

「はぁ?お前、何を言っているんだ?あれは、お前の勝ちだろうが」

「………??」

 ジーナが不思議そうな顔をして黙ってしまったから、アロワは言葉を続けた。

「お前は何だ?ミジンコか?」

「はあ?あんた私をバカにしているの?」

 ジーナがこう言って、眉間にしわを寄せて詰め寄ってきたので、アロワは面倒くさそうに頭を振ってため息をついた。

「お前がミジンコとか一匹で草原をさ迷うイノシシとかなら、あの戦いはお前の負けだ。でもお前は違うだろ。お前には俺がいて、お前が俺をその気にさせた。だから、お前の勝ちだ」

「………でも、レオナには誰もいなかった」

「だーっ。分からん奴だな、お前は!」

 アロワは右拳で壁を叩いた。

「あのガラクタ人形は、ガラクタのくせに自惚れていた。あんなのを助ける奴なんか、どこにもおらん。だが、お前は違う。お前は………、ま、、まあ、あんなガラクタとは天と地ほども違う。何せ、お前は………、俺の大事な………」

「……大事な、何?」

 ジーナは腰を屈めてアロワを見上げた。ジーナが無邪気にじっと見つめてくるので、アロワはたまらず視線を天井に逸らした。

「………くっ、お、お前なんか…俺の、俺の……飯炊き女だ!」

「な、なにおう!!」

 ジーナは右拳で軽くアロワの腹を小突いた……つもりだった。アロワは苦悶の表情を作った。

「ぐはぁっ!!こ、この…、怪力ゴリラがぁぁぁ……」

「だーれーがーっ、怪力ゴリラですって!!」

 低い声を上げてジーナはアロワにさらに詰め寄った。たまらずアロワは両手を広げて降参のポーズをとった。

「暴力反対、パワハラ反対!!」

「ちょっと小突いただけでしょ。だいたい、あんた、貧弱すぎるのよ。もう少し鍛えたほうがいいわよ」

「そうだな、ジーナ。お前の言うとおりだ。じゃないと、こっちの身がもたん…」

「!………」

 初めて名前を言われ、ジーナは雷に打たれたような衝撃を受けた。普段とは違うアロワの柔らかな瞳に吸い込まれ、周りが見えなくなっていく。詰め寄ったせいでアロワの顔が目と鼻の先にある。心音が跳ね上がり、体中が一気に熱くなっていくのが分かった。アロワが放つ香りがジーナの鼻腔を甘くくすぐり、麻薬となってジーナの思考を徐々に痺れさせる。そのせいか、自分が瞳を閉じたことにも気付かない。アロワに強く抱きしめられたあとのことは、もう何も分からなかった。

 

 アロワとジーナが立ち去ったあと、しばらくしてラモンとハムザも退出していったので、最後まで残ったのは、部屋の主であるトオルと、トオルの秘書官であるカタリナの二人だけだった。しばらく上司と部下の会話を続けていた二人だったが、次第に話題は、引っ越し先となる地球のことへと移っていった。

「カタリナ、地球を離れて、どれくらいになる?」

「そうですね。任官して2年ほど、統合参謀本部にいました。それから火星の217師団へ転勤しましたから、5年は経ったと思います」

「そうか。地球にいる間、どこか旅行に行ったことはある?」

「いいえ。私は典型的なインドア派ですから。休みの日は、本を読むか、ドラマを見るか、外に出るとしたら、買い物に出るか、たまにジョギングするかですね」

「2年ほどしかいなければ、そんなもんだろうね。私も統合参謀本部に勤務していたことがあったが、君よりも短かった。結局、家か職場の近所しか足を運ばなかったな」

「それでしたら、次はいい機会ですね。思い残すことがないように、あちこち見て回られたらいいのではありませんか」

「そうだな。だが、自由気ままな旅行ができるのは、遠い未来のことになりそうだ」

 こう言ってトオルが遠い目をしたから、カタリナは一瞬不思議に思ったが、すぐに意味を理解した。第二任務部隊司令長官から地球駐留火星自治共和国高等弁務官へ異動になると同時に火星自治共和国枢密顧問官から退任するとはいえ、高等弁務官も火星自治共和国政府の高官であることに変わりはない。トオルに万一危害を加えられるようなことがあれば、地球連邦政府と火星自治共和国政府の間に緊張が走ることになりかねない。仕事中であろうと休暇中であろうと、トオルのそばには必ずSPがつくことになる。人目を気にせず自由気ままに過ごすことは、トオルが政府の高官を辞めない限り、叶うことのない夢幻に過ぎないのだ。

 トオルは再び視線をカタリナに向けた。

「どうせ、旅に出ることなんて、当面できないだろうね。高等弁務官になっても、やらなければいけない困難な仕事が待ち受けている。それをこなすのに精一杯だろうさ」

「困難って?閣下には、外交を助言するスタッフが大勢用意されるのでしょ?」

 パク外務卿は、トオルつまりロニーの高等弁務官就任に合わせ、強力な弁務官アドバイザーを用意した。トオルですらメディアを通して名前を知っている国際法の教授から若手の官僚に至るまで、十数名にも及ぶ顧問団が結成されたのだ。どうせパク外務卿の息がかかっているのだろうが、それでも外交経験のないトオルにとっては、ありがたいことだった。

「当面の交渉相手である地球連邦政府内務省を相手にするのであれば、彼らの存在はありがたい。きっと大部分を、彼らに任せることになるだろう。私が決めている仕事は、それとは別だ」

「内務省以外に、交渉する相手が連邦政府にあるとは思えないのですが」

「実はね、あるのだよ」

 トオルは、にやりと笑った。

「内務省という名称に違和感がないかい?地球連邦政府は世界唯一の統治機関だと、みんなが思い込まされている。もし本当に世界唯一の統治機関であるのであれば、治安警察や州政府を統括する省庁名は、総務省なり国務省と名乗るのが当然ではないか?」

「……確かに、そうですね」

「連邦政府は巧みに隠しているのだが、太陽系には地球連邦政府に属さず独立を保っている国家が存在している。そして、それらの国家と交渉する組織が地球連邦政府にあるのだよ」

「えっ、そうなのですか?」

 カタリナは驚きを隠せなかった。士官学校を卒業するまで、割と真面目に勉学に取り組んできた自負があるのだが、それなのに未だ地球連邦政府の管理に下ることなく、連邦政府と対等に肩を並べる国家があるなんて、全く知らなかった。

「未だに独立を保っている国家って、一体何なのですか?」

 たまらずカタリナはトオルに問いかけた。期待通りにカタリナが食いついてきたので、トオルは少し間を置いて、答えを言った。

「………宗教都市国家さ。そして、それらと交渉を行う地球連邦政府の組織は、外務局と言う」

 もともと、国際宇宙開発機構が地球連邦政府の前身である。宇宙での居住空間の創出、食糧及びエネルギーの供給といった世俗まみれの地球連邦政府にとって、宗教は扱いづらいものだった。宗教それぞれが長い歴史をもっており、独自の教義がある。それらも全て連邦政府という単一の組織に取り込むことは不可能だった。そこで、信者からの寄付金で運営される宗教国家に限り、独立を維持できることを地球連邦政府は認めたのだった。

 そして、宗教国家が独立を維持しているということを人々に感付かれないように、宗教国家と交渉する組織は省ではなく庁の下の局とした。但し、外務局長の席次は各省の長官と同等で首相直属である。ジオン公国の独立を目指すデギン公王は、外務局を独立の突破口とするため、ジオン=ズム=ダイクンが提唱したニュータイプ登場説に宗教色を施して教導隊を設立したが、文化技術省と軍部の後押しを受けたギレン=ザビの強硬策を前にして教導隊は親衛隊へと変質してしまい、デギンの策は潰えてしまった。

 トオルは、言葉を続けた。

「連邦政府の高官であったパク外務卿ですら、外務局については知らないことが多いとのことだった。まずは、外務局がどこにあるのか探し出す。そして、拠点と人員について調査する。それから、キーマンが誰かを割り出す。割り出したあと、そのキーマンの性格、嗜好、仕事の運び方、交友関係を調べ上げ、どのように交渉を進めていくべきか十分に策を練り上げる。それと同時に、そのキーマンと接触するにはどうすればいいか、検討に検討を重ねる。失敗したときの挽回方法を何通りも用意する。そして、全てが揃い次第実行に移す。あぁ、考えただけで吐き気がする。クーデター軍との戦いのほうが、気が楽だったなぁ」

 火星自治共和国の交渉相手が地球連邦政府の内務省から外務局に変わったとき、火星は真の独立を果たす。トオルはそう思っている。ただ、地球連邦政府が設立されて以来、外務局の交渉相手は一つも増えていない。あのデギン=ソド=ザビですら成功しなかった、恐ろしく困難な道だ。だが、困難だからと言って諦め、安易な道を選ぶと破滅が待っている。まかりなりにも政治指導者の端くれとなったからには、指導者が安易に走ってはならないのだ。

 字面こそ弱気だが、トオルの表情は生き生きしているとカタリナは感じた。これでこそ、タカハシ=トオル。私が好きになった人。肩書きこそ凄くなったが、知り合った時の地球連邦軍第217師団作戦参謀中佐の頃から何も変わっていない。私に何が出来るかわからないが、これからもずっと支えていきたい。カタリナが決意を新たにしているところを、トオルに話しかけられた。

「……ところで、カタリナ。今日の夜、空いているかな?ナイツェルさんに教えてもらった店が、クーデター軍の籠城戦にもめげずに営業を続けていたんだ。よかったら、一緒にメシでも食べないか?」

 トオルからの誘いを断る理由を、カタリナは持っていなかった。

 

 ウラノス軍政庁の長官執務室で、トオルは資料に目を通していた。

 その時、内線が入り秘書官がやって来た旨が伝えられたので、視線を資料から扉へと移す。ほどなく扉をノックする音が響いてきたので、中へ入るよう促した。

「失礼します。書類にサインをして下さいますよう、お願いします」

 手渡された書類を受け取り、サッと目を通す。内容はすでに聞かされていたので、トオルは万年筆を手に取ると、迷うことなく指定の場所に自らの職名と氏名を記入した。

「まさか、私がこのような役目を背負うことになるとはなぁ」

 サインをした書類を手渡し、その退出を確認すると、再び資料へと視線を戻した。内容は「第三期宇宙開発10ヶ年計画とその概要」であった。

 

(完)




翌日には、あとがきを投稿する予定です。
ガンダム世界について、私の考えを述べたいと思っています。
よければ読んでやって下さい。
そして読後の感想も頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。
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