地球連邦政府の火星統治機構は、ネト将軍のクーデターによって崩壊した。各都市間の連絡網は寸断されているため、他の都市の様子が全く分からない状態となっている。トオルがいるネメシス=シティも同様で、トオルの場合は市内であっても把握できていない場所があった。
「高校に居座っている第1185連隊の動きはどうなっている」
「依然、動きありません」
トオルは苛立っていた。火星全体を統括する地球連邦軍は第三総軍だが、これもネト中将のクーデターによって機能が停止した。先日のフェルミ元帥とのやりとりによってトオルが第三総軍総司令官代理大将に内定し、統合参謀本部から届いた辞令にサインして正式に任命されたのだが、与えられた権限に対して擁する兵力は極めて小さい。ネメシスに駐留していた第217師団の兵力は師団長だったネト中将が大部分を率いて出て行ってしまったため、ネメシス市警の人員を糾合させても、せいぜい中佐よくて大佐レベルの兵力しか残されていない。従って、ネト将軍から分派したウィン大佐の第1185連隊の兵力がどうしても必要なのだが、ウィン大佐はトオルの呼びかけを黙殺したままなのである。
「うーん、やはり戦略を変更しなきゃダメか…」
「もともと、どういうご予定だったんですか」
腕組みをしてため息をつくトオルに、ラモンが問いかけた。通信センターの司令官席に座るトオルは、いたずら小僧のような笑顔を作ってラモンを見遣った。
「なぁに、たいしたことではないよ。ウィン大佐の兵力を糾合し、持てる全ての兵力を以てヘルメス=シティを叩く。ただそれだけ」
「何とも雑な作戦ですねぇ。こっちの兵力は大半が警察なんですから、いくらウィン連隊が加わったとしても、77旅団と真正面からぶつかったら、大敗北間違いなしですよ」
「誰も正面決戦するなんて言っていないんだけどなぁ」
「からめ手を使うつもりならば、大兵力は必要ないと思います。ということは、もともとウィン連隊の来援なんて期待していないんでしょ」
ラモンの指摘を受けてトオルは、恥ずかしそうに笑った。
「まぁね。ここまで来たら、私が何か行動を起こさない限りウィン大佐は帰順して来ないだろうね。無駄を承知で呼びかけは続けるけど」
「その行動とは?」
「カイヨー少将を潰す」
一瞬だけだがトオルの目がギラッと光ったように見えて、ラモンは思わず唾を飲み込んだ。5倍以上の兵力差がある相手を叩き潰すなんて、トオルでなければ鼻で笑い飛ばすところだ。一体どうするつもりなんだろう。
「ところで、ラモン大尉。参謀本部から連絡が入ったら、フェルミ元帥と話がしたいから時間を作ってくれと頼んでくれないか」
「えっ、あの元帥閣下と話をするのですか」
「緊張で胃に穴があく…なんてことにはならないさ。元帥だって私たちと同じ人間だ。宇宙人や神なんかではない」
「閣下みたいに、簡単に割り切って物事を考えられる人間は少ないと思います」
「私のことを仙人か何かみたいに持ち上げてくれても、何も出ないよ」
「それは残念です。ル・モンドのランチぐらいは期待したんですけどね」
「そうだな。ひと段落したら、みんなでメシを食べようか」
「それを聞いたら、みんな喜びますよ。それでは参謀本部へ連絡を取ってみます」
敬礼を施し身を翻して立ち去るラモンの後姿を見たトオルは、食事に誘うべき人間を思い浮かべた。その数を数えているうちに、軽はずみなことを言って思わぬ出費がかさむことになることが分かり、トオルは大きくため息をついた。
統合参謀総長は地球連邦軍の制服組のトップなので、言うまでもなく激務である。スケジュールは過密なので、総軍の総司令官や宇宙艦隊司令長官が会見を申し入れても、実現できるのは一週間後ということもザラである。それなのに、トオルの申し入れは翌日には実現した。フェルミ元帥とトオルの会見は通信センターで行われ、ラモンやハムザをはじめとした保安隊の幹部や、センターの職員、そしてトオルの被保護者であるジーナもいる。
「貴官からの申し入れの多さには驚くばかりです」
「勤勉な人間ほど上の者への申し入れが多くなるのは、世の理です。小官の勤勉さを褒めて頂き光栄の極みであります」
少しは立場を考えろと皮肉を言ったつもりが皮肉で返され、画面上のフェルミの表情が少しばかり引きつったように見え、トオルは少し可笑しくなった。
「つきましては、元帥閣下にお願いがございます」
「願いとは」
「小官の第三総軍総司令官代理大将の叙任式を、ここネメシスで敢行したいので、それにホログラムでのご主席を賜りたいのです」
通信センターはざわついた。連邦議会の承認が必要な元帥や上級大将への就任であっても議会で就任演説を行う程度であり、それ以下の将官人事は統合参謀本部で辞令を受け取るくらいである。全く聞き慣れない言葉を聞いて、フェルミも言葉を失った。その間隙を突くかのように、トオルは矢継ぎ早に言葉を並べた。
「この叙任式は、今やバラバラになった火星に駐留している連邦軍を掌握するために、絶対に必要な儀式です。地球連邦政府が火星を掌握しているのだということを万民に知らしめる絶好の機会なので、閣下だけでなく第一、第二総軍の総司令官に宇宙艦隊司令長官、大将位におられる方々、そして中将位の方々も可能な限り出席下さりたいと思っております。二週間後には敢行したいので、ご出席できる日時についてご返答を頂けないでしょうか」
「う…ん」
あまりに唐突な要求にフェルミは考え込んだ。前代未聞のことではあるが、莫大な費用が発生するといった、参謀本部や政府が何らかの不利益を被ることは考えられない。しいて言えば、トオルだけが特別扱いされることで、民衆が政府ではなくトオルを支持するようなことになる可能性があることだが、今の火星の混乱ぶりを考えると民衆が特定個人を英雄視する可能性は、クーデターを敢行したネト将軍にはあっても、政府の威光を借りるトオルにはないだろう。それどころか、元帥から特別視されることによって、トオルは他の将官たちから、嫉妬から来る反感を買って孤立するかもしれない。ならば、
「分かりました。私に直接言ってこられるということは、お急ぎなのでしょう。スケジュールを確認して一時間後には返答致します」
「ご配慮に感謝します。早速、準備にかかりたいと思います」
トオルが敬礼する。それに答礼すると、フェルミは通信回線を切った。
フェルミの姿が画面から消えると、通信センターは大きくざわめいた。ホログラムとはいえ軍の最高幹部が一斉に揃うなんて前代未聞のことだ。これはとんでもないことになると誰もが思った。ラモンもその一人だった。
「閣下。こんなこと、いつからお考えだったのですか」
「昨日、大尉と話をしていたときさ」
「は?昨日ですか。つい最近じゃないですか。こんな大それたことを…」
「からめ手が必要だって言ったのは、大尉じゃないか」
「ということは、叙任式は閣下がお考えのからめ手なのですか」
「まっ、その一部だね。だいたい私は、入学式とか卒業式とかいうものは嫌いなんだ。燕尾服を着て胸に花を挿して…そんなものが私に似合うと思うか?」
「嫌いも何も、閣下がお決めになったことです。当日は、派手に着飾って下さい」
ラモンが言い終わるや否や、間髪入れずにジーナが口を挟んできた。
「それじゃ、トオルさんの軍装が必要ですね。叙任式の軍装となれば小物も沢山用意しなきゃいけませんね」
「ジーナ、何でお前がそんなに張り切るんだ?」
「だって、偉い男の人の礼服って、かっこいいもの。学校の友達と考えたいんだけど、いいかな?」
キラキラした目で頼まれ、トオルはジーナに圧倒されてしまった。そんな目で頼まれたら、答えは一つしかないではないか。
「分かった。ただ、連邦軍の軍装コードだけは絶対守ってくれよ」
「ありがとう、トオルさん。じゃ、行ってくるね」
そう告げると、ジーナは駆け足で通信センターから出て行った。
「いいなぁ。俺もジーナからあんな目で見つめられてみたいなぁ」
頭を掻きながらハムザがぼやいた。ハムザはトオルよりも歳がジーナと近い。美少女の域にいるジーナのことを異性として関心を持つのは、ごく自然なことだろう。だが、トオルはハムザとは考えが違うようだ。
「そうか。父親の晴れ舞台を喜んでいる娘みたいなものだろ。いずれにしろ、服装のことなんて頭の片隅にもなかったから、その心配をしないで済むのはありがたいことだ。あと、心配事を一つ減らしたいのだが。ラモン大尉」
トオルに名前を呼ばれ、ラモンはぎくっとした。嫌な予感がするとともに、その予感が的中する羽目にあった。トオルはこう指示した。
「叙任式会場の設営全般を指揮して欲しい。条件は、五千人以上を収容できること、大規模スクリーンがあること、太陽系全域に放映できる放送設備を整えること、もちろん遠方からホログラムで出席するお歴々のための設備も」
「かしこまりました。私の下に人を入れてくれますか」
「当然だろ。すでに行政長官の内諾を得て、行政府から人を派遣してもらえることになっている。そのメンバーとともに、明日には計画を立案してくれ」
無茶を言う人だなと思うと同時に、ラモンはトオルの手回しのよさに驚きを通り越してあきれてしまった。この人に付いて行くだけでも大変だ。こうなったら腹をくくるしかない。
「ならば、私が行政府に赴いたほうが早いですね。どちらに伺えばよろしいですか」
「行政長官の秘書に聞けばいい。行政府の受付で名前を言えば、すぐに執り成してもらえる」
「了解いたしました」
敬礼を施すと、ラモンも通信センターから姿を消した。ラモンに答礼したトオルは、すぐに視線をハムザに移した。トオルに注目されてハムザも嫌な予感がすると同時に、その予感は的中してしまった。ハムザへトオルはこう指示した。
「フェルミ元帥から第三総軍総司令官のコードを頂いている。それを使って火星の監視衛星を使い、火星全域の軍の動向を掴んで欲しい」
「一介の少尉ですよ、私は。下士官数名を使ったところで、そんな大仕事できませんよ」
「だと思うから、総司令官代理の権限で貴官を情報参謀少佐に任じる。これが辞令だ」
そう言うとトオルは司令官席の引き出しから辞令を取り出し、ハムザに差し出した。ハムザもラモン同様、トオルの手回しのよさに驚きを通り越してあきれてしまった。この人の頭の中はどうなってるんだ。それにしても、カタリナ大尉の姿が見えない。
「小官が少佐ですか。ラモン大尉やカタリナ大尉を差し置いて昇進なんて、気が引けます」
「何も気に病むことはない。カタリナはすでに法務官中佐となって行政府に行って貰っている。ラモン大尉も、私の副官として、それなりに昇進してもらう予定だ。大将から命令を受ける人物が尉官では、私が困る」
トオルにこう言われ、もはや逃げ道は完全に封じられた。トオルについていくと決めた限り、こうなったら腹をくくるしかない。
「了解いたしました。辞令、謹んでお受け致します。この通信センターを利用して構わないですか」
「もちろんだ。君がこの通信センターの責任者だ」
「ありがとうございます。では、早速取り掛かります」
ハムザは敬礼を施すと、司令官席の二段下にある情報参謀席に座り、端末の操作を始めた。それら一連の動作を確認すると、トオルは警邏隊の隊長になっているかつての市警本部長に視線を移した。
「私は所要があるので席を空ける。この場を任せたい」
「了解致しました、閣下」
エンテザームやフェルミとのやりとりを目の当たりにして、市警本部長以下市警の幹部も、トオルを上官として認めたようであった。
トオルが立てた目算は、こうであった。叙任式で軍の最高幹部を列席させ、その面前で第77旅団のカイヨー旅団長及び旅団幹部をトオルに復命させるべくネメシスに来るよう命じる。その際、代理人を立てることは許さない。本人が来ない場合は連邦軍に対する反逆の意思ありということで処刑すると宣言する。大勢の軍最高幹部が、トオルの命令が連邦軍としての正式な命令であることの証人になるので、どんな逃げ口上も通用しない。そうなると、カイヨー少将の取る手は二つに限られる。おとなしくトオルの軍門に下って仕えるか、トオルの命令を拒否して断固戦うか、である。トオルの命令を拒絶してカイヨーがトオルと戦うことになったとしても叙任式まで二週間あるので、トオルとしてはヘルメス=シティに工作員なり突入部隊なりを潜入させることができる。これまでクーデターに同調するなり反対するなり態度を鮮明にしてこなかったことから、カイヨーは自ら先陣を切って戦うタイプではないので、トオルと戦うことになっても前線での戦いは部下に任せ自らは旅団司令部から動かないのは、ほぼ間違いない。ローガンダムを囮にして主力部隊をひきつけ、手薄になった旅団司令部に部隊を突入させ、カイヨー以下幹部を一網打尽にする。捕らえたカイヨーを処刑すればトオルの命令に実行力が伴うことが証明されるので、ウィン大佐の部隊みたいに動向を決めかねている軍組織は、トオルの呼びかけに応じるようになるだろう。そして戦力を結集できれば、統合参謀本部が望んでいるキュクロプス基地の占領も不可能ではなくなる、というものであった。ただ、これを現実化させるためには、絶対に必要なものがある。それが、火星に居住する民衆からの支持である。いくらトオルが作戦を立案して実行できたとしても、遠く離れた地球からの来援が期待できない以上、資金を含めた経済面や兵站確保などの労働供給面から、経済界を含めた民衆の支持がなければトオルが描いた絵図は全て空想に止まってしまう。現在の連邦政府及び連邦軍が民衆から支持されているのか。それを調査、判断することが急務だった。そのためトオルは、カタリナを法務官中佐に昇進させて行政府に派遣し、急ピッチで報告書作成を行わせたのである。
トオルがフェルミ元帥から叙任式決行の許可を受けた翌々日に、カタリナから報告書を受け取った。自分の執務室でその内容を見て、トオルは愕然となった。
「2%…だと…」
ついこの間まで短期間ながらも会社勤めをし、受け取る給料で生活していくことが難しいことを肌身で知ったトオルは、連邦政府に対する民衆の支持が低いだろうということは予想していたが、連邦政府への支持率がここまで低いとは想定していなかった。それとともに、ネト将軍がクーデターに踏み切った理由も理解できた。これだけ支持率が低ければ、連邦政府に反感を抱く人々からの一定の支持が期待できる。また、自らの立てたプランが裏付けのないただの物語に過ぎないことが分かって、呆然となった。
「これは、まずい。カイヨーは潰せても、その先の見通しが立たない。どこかの段階で必ず民衆からのサボタージュを受け、戦略が頓挫してしまう。カイヨーを潰せたところで、火星の統治機構を正常なものにできなければ、全く意味がない」
トオルは頭を抱えた。自分ひとりなら、尻尾を巻いて逃げ出してしまえばいいが、今の自分には守りたい人々が少なからずいる。だが、もはや歯車は動き出しており、引き返すことはできない。こうなったら、少しずつ守りたい人々を自分から遠ざけていって、最後は自分ひとりで全ての責任を引っかぶるしかないな、とトオルは腹をくくることにした。
そんな中、執務室の端末に一人の通信士官の姿が現れた。
「閣下、お休みのところ失礼します。一台の装甲車が、閣下との面会を求めております。いかが致しましょうか」
「ん?軍関係者との面会の予定はないと思うのだが。だが、なぜハムザ少佐ではなく貴官が直接私に連絡を寄越すのだ?」
「申し訳ありません。ただ、緊急を要するということと、装甲車に乗っておられる方が、ただの士官の方ではないからです」
「何をもったいぶっているんだ。誰が来たのだ?」
画面上の通信士官は、唾を飲み込み一呼吸置いて、トオルの問いかけに答えた。
「第七艦隊司令官ルーデンドルフ中将閣下です。いかが致しましょうか?」
「な、何だと!?」
トオルは目を剥いた。
地球連邦軍は、地上軍を中心とした地球及び地球の周回軌道、サイド1,2,7を守備範囲とする第一総軍総司令部、サイド3,4,5,6と月面を守備範囲とする第ニ総軍総司令部、火星を守備範囲とする第三総軍総司令部、そしてルナⅡを拠点にする宇宙艦隊司令部の四つに細分化できる。宇宙艦隊は九つの艦隊で構成される。北米大陸のボストンを母港とする第一艦隊、豪州大陸のダーウィンを母港とする第二艦隊、ルナⅡを母港とする第三艦隊、サイド3の10バンチコロニー“ロシナンテ”を母港とする第四艦隊、月面都市“フォン=ブラウン”を母港とする第五艦隊、月面都市“グラナダ”を母港とする第六艦隊、火星の衛星“ダイモス”を母港とする第七艦隊、火星のアキレウス基地を母港としている第八艦隊、木星の衛星“エウロパ”を母港とする第九艦隊である。ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ中将が乗艦する宇宙戦艦“フォルセティ”を旗艦とする第七艦隊は、それぞれ五~七つの戦隊を抱える四つの分艦隊、大小合わせて一千隻余りの艦艇、五百機余りのモビルスーツで構成されている。ネト将軍に抑えられている第八艦隊と合わせると、攻撃能力にかけては第三総軍の総戦力に匹敵する。そんな大戦力を指揮下に収める司令官が、単身といっていいほどの少人数しか連れずにやって来るなんて、驚き以外の何ものでもなかった。目視及びシステムでの本人確認が完了していることを確認すると、トオルは速やかに最上級の応接室に通すよう通信士に指示するとともに、ハムザに連絡を取り、ラモンとカタリナに全ての仕事を止め速やかに保安司令部へ来るよう指示を出した。クローゼットの姿見を見て頭髪と襟を正すと、トオル自身も応接室へと向かう。
トオルが応接室に入って10分もしないうちに、二人の部下を従えたルーデンドルフ中将が姿を現した。
「…迫力のあるおっさんだなぁ」
とトオルが思うのも無理はない。ルーデンドルフ中将は、士官学校出のエリートではなく、寡兵からのたたき上げで現在の地位を手に入れた苦労人なのである。長い歩兵時代で銃火器の腕を上げたルーデンドルフは、その腕を買われて駆逐艦の砲撃手となる。これが船乗りとしてのスタートで、以後ずっと船の上で軍隊生活を送ることになる。砲撃手として、駆逐艦の艦長として、重巡洋艦の艦長として、駆逐艦隊の司令として、戦隊参謀として、戦隊司令官として、分艦隊司令官として、数々の宇宙海賊や海賊艦隊を討ち取り、手にした勲章の数は両手では数え切れない。駆逐艦隊司令の時、自身が率いる戦力の3倍近くの大海賊と死闘を演じていたのだが、敵の砲撃が艦橋を直撃。副長と参謀が戦死、自身も左足を吹き飛ばされたのだが、大怪我をものともせず機関室から指揮を継続し、大海賊を撃退したのは、今では伝説となっている。そのルーデンドルフを敬礼で以って出迎えたトオルに対し、ルーデンドルフはしわだらけの顔を笑顔にして答礼した。
「タカハシ大将閣下。事前の連絡もなく、また急な来訪にもかかわらず、こうして応対の時間を作ってくださったことに感謝する。史上最年少で大将となられた閣下には、是非ともお会いしたいと思っていた」
「勇将であられるルーデンドルフ提督から、そのような言葉を頂き恐悦です」
トオルは、ルーデンドルフに席を促す。今では軍の階級は上だが、ルーデンドルフの経歴に敬意を表するトオルに好感を持ったのか、ルーデンドルフは笑顔を崩さずソファに腰掛けた。ルーデンドルフの着席を確認してからトオルも着席し、姿勢を正した。
「ところで、ご用件をお伺いしたいのですが」
トオルが何の前置きもせず単刀直入に問いかけてきたことに、ルーデンドルフは豪快に笑声を上げた。
「直球勝負か。いやあ、何とも話が早い。こちらとしても腹の探り合いをしている余裕はない。ならば、用件を言おうか」
ルーデンドルフは笑顔を収め、身を乗り出すと鋭い眼光でトオルを見据えた。
「我が陣営に閣下も加わっていただきたい。待遇は大佐。新造戦艦“ヴィーザル”の艦長。いかがかな」
「……」
トオルは、渾身の直球を投げて逆転満塁サヨナラホームランを打たれた気分になった。誘いをかけるのに好待遇ではなく四つも下の階級を提示するなんて、もしこれがルーデンドルフでなければ足蹴にするところだ。トオルを馬鹿にしたいのであれば、わざわざ高官中の高官であるルーデンドルフが来るはずがない。これには何か訳があるはずだが、答えを誘導する手段が全くない。トオルは負けを認めて観念するしかなかった。
「連邦軍第三総軍総司令官代理大将の私が大佐に降格ですか。しかも、我が陣営ということは、正規の連邦軍ではありませんね。見た目は四階級降下ですが、実質はそれ以上と言えそうだ。そもそも提督の陣営とは一体何なのですか。全てご説明して頂かなければ、何も答えようがありません」
「閣下のおっしゃることはもっともだ。どこから話せばいいか…」
ルーデンドルフは腕組みをした。
「閣下が非常事態対処法を執行されてしまって、我々は大変困っている。閣下を亡き者にしたいくらいだが、そうすると連邦政府は我々を絶対に疑い今後の交渉が破綻してしまう。本当に厄介だ」
穏やかではない言葉を並べた割には、ルーデンドルフの表情はやわらかい。トオルとしてはどう答えればいいか判断がつかないので、無言を貫いている。やがてルーデンドルフが次の言葉を紡いだ。
「どこまで閣下が情報を集約されているか知らないが、当方では第三総軍の三分の一が閣下の麾下に付くと予想している。もしそうなれば、閣下の第三総軍、ネト将軍のクーデター軍、そして当方の三勢力で三つ巴の戦いを繰り広げることになる。もし内乱が長引けば、地球からの来援で閣下の勢力が増し、第三総軍の手でクーデターは鎮圧され連邦政府による直轄統治が復活し、以前にも増した苛烈な施政が行われ民衆の生活が厳しくなるのは、ほぼ間違いないだろう。だが、内乱が長引く可能性は低いと判断している」
ルーデンドルフの見立てを聞いて、トオルはドキッとした。自分の見立てと、ほとんど同じだったからだ。トオルに手を引いてもらいたいのだろうが、それにしては条件がひどすぎる。まだまだ話の核心には程遠い。トオルはルーデンドルフの次の言葉を待った。
「ところで、閣下はアリップと言う組織を知っておられるか」
「アリップですか」
しばらくトオルは考え込んだが、そう遠くない過去にその言葉を聞いたことがあることをすぐに思い出した。カドモス=シティでカドモス研のマキノ博士と夕飯を食べに行く際、アリップの青年が演説をしていた。
「よくは知りません。政治結社か何かですか?」
「政治結社か。まぁ、そうとも言えるな。政治活動をしていることは事実だ。だが、政治結社は、アリップが持つ多数の側面の一つに過ぎない。アリップの始まりは、火星緑化計画に携わってきた役人や労働者などの生活互助組織であったと聞いている。生活物資を調達、やりとりをする傍ら、苛酷な労働環境改善のために、表では政治活動や文化活動などを行い、裏では連邦政府と自治権獲得に向けた様々なネゴシエーションを行うようになった。組織はひそかに拡大を続け、様々な活動を行ってきた結果、上は総督府の局長クラス、下は場末の飲み屋のオヤジ参加するようになり、企業など組織での参加も増えてきた」
「それでは、連邦軍の将兵にもアリップに所属するものがいるということですか」
トオルの疑問にルーデンドルフは意地の悪い笑顔を作った。
「フッ。ワシやここにいる二人は当然として、ワシの見立てでは、火星にいる連邦軍の八割がたはアリップの構成員だ。それだけアリップは火星に浸透している」
「…そんなに。全然気付きませんでした」
「閣下は火星に来られて間もないんだったな。気付かなくて当然だ。ある人間が特定の宗教を信仰していたとしても、儀式に参加したり経典について語ったりしない限り他人には分からない。我々の活動は儀式を伴わない宗教のようなものだから、政治部門のように他者へ語りかけをしなければ分からないのは当然だ」
「提督のような方まで参加されているのですから、アリップは火星に影響力がある組織なのでしょうが、それでも半信半疑です。なんせ、アリップの影響力を感じさせる事件を目の当たりにしていないのですから」
「何をおっしゃる。すでに目の当たりにしているではないか」
「えっ」
トオルには、ルーデンドルフの言っている意味が分からなかった。すぐにルーデンドルフが答えを出さなかったので、これまでに火星で起きた事件を思い出してみた。トオルが火星に赴任する前は、政治的なデモやストライキが頻発していたようだが、比較的小規模で物理的な損害や逮捕者は発生していないようだし、トオルが火星に来てからはそういったことも耳にしていない。総督府や軍の人事にしても法令にしても、特に目立ったことはなかったと思う。ローガンダムに関する事件のことか?まさか…
トオルが考えを巡らしていると、ルーデンドルフが徐々に重い口を開け始めた。
「…組織が拡大すると、様々な派閥が発生して合従連衡、衝突対決が起きる。アリップでも現状のまま連邦政府との交渉を続けて待遇改善を訴えていこうとする穏健派と、遅々として進まない交渉に見切りをつけて連邦からの独立を訴える急進派の二つに大きく分かれた。穏健派と急進派は互いに話し合いを続け、穏便に事態を進めてきたのだが、急進派が連邦首相官邸の極秘情報を掴んでから態度を一変させた」
「極秘情報とは?」
「それはまだ言えないな。閣下がウチに来てくれたら、いずれ話そう。極秘情報のことは置いといて、すでに計画を練っていたんだろうな。急進派は穏健派との決別を宣言し、軍を率いて鮮やかな手際で総督府を占拠してしまった…」
語るルーデンドルフの沈痛な顔に対し、トオルは驚きで目を丸くした。
「ネト将軍のクーデター…ネト中将はアリップの人だったのですか」
「議長を支える五人の幹部がいるが、ネトさんはそのうちの一人だった。人当たりがよくて人望があり、我々からすると穏やかな優しい人だったのだが、連邦政府のことを憎んでいるようだった。何故かは知らないが。ネトさんがクーデターを成功させてしまったことで、連邦政府は慌てて我々にコンタクトをとってきた。連邦による火星の直接統治を諦め、連邦の枠内での自治を認めるから、穏健派の手で急進派を打倒して欲しいとね。念願の自治が認められて、我々は狂喜したよ。かつての仲間を討たなければならない悲しみも大きいが、それを押し殺すことができるくらい、アリップにとって自治権付与は念願中の念願だったのだ。そのために急いで準備に入ったのだが、数日経ってから連邦政府はいきなり手のひらを返してきた。直接統治の目途が立ったので、自治権のことは撤回するとね。その連絡を受けて、我々は言葉で表現できないくらい落胆した。それとともに、何故そんなことになったのか、我々は総力を上げて原因追及を始めた。その中で浮上してきたのが、閣下の非常事態対処法執行だ。ホントに厄介なことをしてくれた」
ルーデンドルフはトオルを恨めしそうに見た。それにしても、とトオルは思う。自分が動きやすくするためにはどうすればいいか、記憶を辿って様々な法律を吟味し、思いついた手を打ったに過ぎないのに、その判断がこんなに世界を振り回すことになるとは全く想像していなかった。大勢の人間が長い時間と労力をかけて作り上げようとしていたものが、どこの馬の骨か分からない得体の知れない一人の人間によって簡単に壊されたのだ。ルーデンドルフがトオルを殺したいと言ったのは、あながち冗談ではないのだろう。法律というものは、使いようによってはモビルスーツの大軍よりも恐ろしい武器になるのだということを、トオルは痛いほど身にしみた。
「なるほど。それでは提督は、あなた方の苦労を台無しにした私に、文句を言いに来られたのですか」
「謝ってもらう必要はない。閣下が手を引いてさえくれれば、連邦政府は梯子を外されて我々を頼るしか手がなくなる。それに、まだ30にも届かない一介の若い中佐が、武勲も人脈も頼らず非常に短い期間でフェルミさんを相手に大将の位を勝ち取ったことに、非常に興味を持っている。是非とも我が陣営に加わってもらえないか」
トオルは考え込んだ。いまいち実感が伴わないが、軍の高官であるルーデンドルフがわざわざ足を運んでトオルに嘘を言うとも思えない。トオルを騙して非常事態対処法を撤回させたところで、ブルーム行政長官はともかく内務省や統合参謀本部に手を回してトオルの代わりに非常事態対処法の執行者となって火星統治の絵図を描くのは困難だ。だが、実際に目で見て触れてみないことには…
「ここで結論を出すのは難しいですね。せめて、あなたがたの他の幹部の皆さんにお会いして、それに新造戦艦とやらを見せてもらわないことには」
「分かった。今から丸一日、お付き合いいただけるか?」
「ええっ」
これにはトオルも目を剥いた。そこまで手を回していたとは。来るか来ないか分からない人間相手に、幹部たちや他の職員に時間を作るよう既に働きかけていたのだ。ルーデンドルフたちの本気具合にトオルは圧倒された。
「わっ分かりました。今からスケジュール調整しますので、しばらく時間を頂けますか。それと、何人か連れて行きたいのですが」
「随行する人は三人以内でお願いする」
「では、しばらく失礼致します」
トオルは立ち上がってルーデンドルフに敬礼を施すと、足早に応接室をあとにした。
ルーデンドルフのいる応接室を出たあと、ラモンに連絡を取り、手短に事情を説明して来訪したルーデンドルフの応対を依頼し、すぐさまカタリナ、ハムザ、ジーナに自らの執務室へ来るよう指示を出した。同じ建物にいるハムザはすぐに現れたが、別の場所にいるカタリナとジーナが来るまで、しばらく待たなければならなかった。
「閣下も本物の大物になったみたいですね。ルーデンドルフ提督のような高官が会いに来るなんて。馳せ参じに来る前の下見ですか」
デスクの椅子に腰掛けているトオルのそばにパイプ椅子を置き、そこに腰掛けているハムザは、まだ事情を知らされていない。これまであまりにもトントン拍子で事が進んできたのだから、ハムザがこのように楽観視してしまうのは仕方がないとトオルは思う。
「下見と言えば、下見かな。私たちはルーデンドルフ提督のことを知っているが、提督のほうは私のことを知らないのだから」
「では、提督の案内をするのですか。ここの」
「うーん。それはないな。ここには大軍が配備されているわけではないし、見ても仕方がないだろう」
「ローガンダムがあるでしょ。ブルーム行政長官もあれを見て感激したと聞きましたが」
このようにハムザが食い下がってくるので、トオルはどう答えればいいか困った。事情は、せめてカタリナが来てから話そうと思っていたのだが、匂わせることくらいはせざるを得ないようだった。
「ガンダムを見て感激するのは一般の人たちくらいさ。軍人だったら、ガンダムなんてモビルスーツの一つとしか見ないから、逆に格納庫にモビルスーツが一機しかないことに不安を感じるだろう。弱みを握られることにつながりかねないのだから、だった敢えてこちらの手を全てさらすことはない。せいぜい提督には、勝手に想像を膨らましてもらって、我々を高く買ってもらおうじゃないか」
「閣下もあくどくなってきましたね。分かりました。もし何か聞かれたとしても、適当にはぐらかすことにします」
トオルは、自分たちが提督たちに買われることになると言ったつもりだったのだが、ハムザはルーデンドルフを心服させるためだと誤解したようだ。誤解を解くのはカタリナが来てからでいい。そう思ったトオルはこの話題を打ち切り、ハムザが集めた情報のことに話題を移した。
「クーデターの後、目立った動きは見つかっていないんだろ」
「総司令官のコードって凄いですね。火星上空の監視衛星全てにアクセスできるから、狙った場所の動きはどんな些細なことでも分かります。ウラノスのクーデター軍以外、動きは全くありません」
「クーデター軍は何をしているんだ」
「都市内での配置換えだけです。こういう動きをしているのですが」
ハムザはこう言うと、上着の内ポケットから携帯端末を取り出し、手早く操作したのち立ち上がってトオルに端末を見せた。
「どう思われますか。籠城戦に備えた動きと見ているのですが」
しばらく画面を見たトオルは、このハムザの見立ては正しいと思った。一部の気になる点を除いては。モビルスーツ五体と二個大隊程度の戦力が一箇所に集められているのは、どういう訳だ。どこかを制圧しに行くつもりなのか。嫌な予感がするが、トオルは気付かない振りをすることにした。
「おそらくそうだろうな。ネト将軍は、他の地域からの呼応を待っているのだろう。それまではしっかり拠点を守ることに専念するつもりなんだろうな」
「だが、将軍の思惑通りに進んでいませんね。静観を決め込んでいる指揮官が多いのは、何故なのでしょうか」
ハムザの問いかけを受けたトオルは、腕組みをした。
「人間は保守的な生き物だからな。切羽詰らない限り、現状を変えようとはしない。もし第三総軍が崩壊したままだったら、他に頼るものがないのでネト将軍に呼応したかもしれない。だが、第三総軍の替わりに連邦軍の代理人が現れた。その代理人は、実績のある実力者ではなく、どこの誰かも分からない新参者だった。実績も経験もある軍の実力者であれば、変化を嫌う保守的な指揮官たちがこぞって集まってきただろう。実績も経験もある軍の実力者がクーデター軍の首魁で、どこの誰かも分からない新参者が連邦軍の代理人。どっちをとるか迷って当然さ」
「なるほど。もしルーデンドルフ提督が閣下の下についたら、一気に事が進みそうですね」
「ん、ああ。もしそうなら、他の指揮官たちも態度を決めるかもしれないね」
「どうしたのですか。何だかさっきから、煮え切らない言葉ばかりですね。エンテザーム中将をやりこめた閣下とは別人に見えますけど」
ハムザが不思議そうな目でトオルを見つめる。トオルは何とかしてルーデンドルフのことから話題をそらしたいのだが、一大事件なのでどうしてもそっちに話が移ってしまう。もう観念してしゃべらざるを得ないのだろうか。トオルが困惑しているところで、都合よく端末から呼び出し音が鳴り響いた。端末のモニターに見覚えのある顔が浮かび上がる。
「カタリナ=トスカネリです。ジーナも来ています。中に入ってもよろしいでしょうか」
「いいところで来た。すぐに入りたまえ」
カタリナとハムザ、そしてジーナは平等に扱いたいトオルは、先にハムザに全てを話さずに済んだことに胸をなでおろした。だが、胸をなでおろしたのも束の間、別の難題が降りかかってきた。私服姿で現れたジーナは、ぷんぷん怒っていた。
「せっかく、トオルさんの服のデザイン、いいところまできてたのに。何で邪魔するの」
「ごめん。どうしても話しておきたい大事な話があったから。ホントにごめん」
「どうせ、難しい話なんでしょ。それなら、ラモンさんやカタリナさんに話せばいいじゃない。私が聞いても分かんないんだから」
「う…、でもジーナにも聞いてほしいんだよ」
ジーナの剣幕にトオルはたじたじになっている。そんなトオルの姿を見て、ハムザがカタリナにささやきかけた。
「ずいぶんとジーナも普通の女の子らしくなりましたよね。あのトオルさんが気後れしていますよ」
「そう?本質は全然変わっていないと思うけど」
「そういえば、制服姿でローガンダムのコクピットから出てきたジーナのこと、すぐに気付きましたよね。僕は分からなかったけど」
「あんたが鈍いだけでしょ」
「ひどいなぁ。でも、そこまでストレートに言われると腹が立たないのは、どういう訳なんでしょうね」
「そんなの自分で考えなさい」
このように言ってカタリナは会話をシャットダウンさせた。ハムザは肩をすくめてみせたあと、カタリナ同様直立してトオルと正対する。その様子に気付いたトオルは、居並ぶ三人に話し始めた。
「第七艦隊司令官のルーデンドルフ提督が、内密でいらしていることは、既に聞いていると思う…」
トオルは三人に、これから自分がやろうとしていたこと、アリップについて、ルーデンドルフ来訪の目的を、包み隠さず全て話した。
「…私がやろうとしていたことを成功させるためには、二つの条件が絶対に必要だ。第一に、できるだけ早く態度を決めかねている他の部隊を掌握すること。そして第二に、連邦軍の来援が来るまでクーデター軍と民衆の妨害を排除できること。いくらかは他の部隊を掌握できるかもしれないが、連邦政府の支持率が極端に低いことを考えると、最低でも五個師団は押さえないと、第二の条件を満たしつつキュクロプス基地を占領することはできない。しかも、民衆の妨害への対処を誤ると、我々は民衆の敵になって、行き場を失うことになりかねない。端的に言えば、私の策は実現不可能に近いというわけだ。せめて政府の支持率が30%あれば、民衆の妨害を考慮から外してクーデター軍にだけ専念できるから、実現可能だったんだけどね」
「…そんなことになっていたのですか」
カタリナは嘆息した。
「私の報告書が閣下に負担をかけることになってしまっていたなんて…」
「何を言う。私は君にとても感謝しているんだ」
トオルは優しい声でカタリナに語りかけた。
「変に気を遣われて数字をごまかされてしまったら、私は判断を誤って自分の策を強行していたはずだ。そうなる前に引き返すことができた。ありがとう。今ならまだ間に合う。ルーデンドルフ提督の来訪は、私にとっても渡りに船だ。だが、ここで下手に出てしまっては我々の立場を悪くするだけなので、極力我々の現況は話さないで欲しい。あちらが勝手に想像を巡らすのは自由なのだから」
「了解致しました。本来だと私たちの立場では全てを把握することはできないのですから、何も知らないことに致します」
「ありがとう。それとジーナ、せっかく腕を振るってくれているのに、こんなことになってすまない」
トオルは座ったまま、ジーナに頭を下げた。もうジーナは怒っていなかった。
「気にしないで。叙任式を進めてしまったらトオルさんが危なくなるんでしょ。そんな叙任式だったら、やらないほうがいいわ。私だってトオルさんのことが心配なんだから」
「ごめんな。そして、ありがとう。なら、私に付いてきてくれるか」
「もちろんです。新造戦艦とやらが気になりますしね」
答えたのはハムザだった。自分の話に納得してくれたことに満足したトオルは立ち上がった。
「なら、これからルーデンドルフ提督の元へと向かおうか」
「はっ」
三人の敬礼に、トオルは答礼した。
トオルとカタリナ、ハムザ、ジーナの四人は、ルーデンドルフが乗ってきた装甲車に乗り込んだ。人質なのか、ルーデンドルフは随行してきた一名をネメシスに残すことにしたので、装甲車に乗り込んだのはトオルたち四人とルーデンドルフ、そしてルーデンドルフの随行員一名の計六名である。六人も乗ったら装甲車はぎゅうぎゅう詰めである。ルーデンドルフの随行員がハンドルを握り、一時間ほど装甲車を走らせると、そこに小さな哨戒艇があった。
「こんな小さなフネで来られたら気付きようがないな…」
ハムザは心の中で嘆息した。今では、ミノフスキークラフトの発達により小さな哨戒艇であっても大気圏離脱は可能だ。小さいといっても装甲車一台くらいは楽に収容できる。装甲車はそのまま哨戒艇に乗り込み、六名は哨戒艇の客人になった。六名は現れた艇長の指示に従って座席に座り、シートベルトを締める。程なく哨戒艇は浮上を始め、火星の大気圏から離脱した。大気圏を離脱してシートベルトを外すことが艇長から許されると、ルーデンドルフは一同に告げた。
「このまま、衛星“ダイモス”へ向かう。そこに我々の代表と幹部がいるので、ぜひ話を聞いてもらいたい」
「第七艦隊司令部ですか。一度は行ってみたいと思っていました」
トオルが真顔でこんな受け答えをするものだから、ルーデンドルフは肩をすくめた。
「岩しかない、つまらん場所だよ。休暇になったら皆、火星へと降りている」
「ですが、第七艦隊の母港となっているくらいですから、設備の面からするとアリップの本拠地として最適な気がしますけど」
「いや。本拠地は火星にある。民衆の息が届かない場所にいると浮世離れして、われわれの存在価値がなくなってしまう。カドモス=シティにあるのだが、行ったことあるかね」
「はい。この子ジーナは、そこにあるカドモス研にいたのです」
「なんと。この子は強化人間だったのか。全然そうは見えないが」
ルーデンドルフは驚きの表情でジーナを眺めた。百戦錬磨の闘将に注目されてジーナは当惑してしまった。それに気付いたトオルは、ルーデンドルフに話題を振った。
「では、幹部の皆さんは私のために宇宙へと上がって下さったのですね。恐縮です」
「いやいや、あなたにはそれだけの価値がある。それに是非、我々の新造戦艦を見てもらいたい。君たちが保有しているローガンダムを乗せるには、最適のフネだ」
うわ。そんなことまで把握していたのか。トオルはアリップの情報力に驚いた。
「ガンダムを乗せるのに最適ということは、ペガサス級のようなフネなのですか」
「まぁ、似ているといえば似てるな。でも、大きさは比較にならん。なんせ単独で木星まで往復できる」
「えっ。そしたらジュピトリス級巨大輸送船くらいの大きさなのですか」
「そんなに大きかったら、戦闘艦の役目を果たさんだろ。ドゴス=ギア級を少し大きくしたくらいだ」
そんな巨大な最新鋭戦闘艦を得体の知れない若造に任せようとするなんて、アリップの懐の深さにもトオルは驚いた。でも、単なる好意でこんなことを考えるだろうか。そんなトオルの内心を見透かしてかどうか分からないが、ルーデンドルフはトオルに笑いかけた。
「まぁ、全ては代表と話をしてみてからだ。それまでは、ちょっとした宇宙旅行を楽しむがいい」
火星の衛星ダイモスは、もともと小惑星独特のいびつな形をしていたが、第七艦隊司令部として大幅に手が加えられ、今では原形をとどめていない。一千隻余りを収容できる空間がダイモスの表面に積み重ねて建造されているので、いびつな小惑星というよりはいびつなスペースコロニーと言ったほうが適当だ。そんな人工天体の一角にトオルたちを乗せた哨戒艇は入港した。哨戒艇の扉が開かれ外を見やると、タラップの下に五名の出迎えが待っていた。二名は独特の服装から衛兵というのが分かる。一名はスーツに身を包んだ栗色のストレートヘアが目を引く50代くらいの女性。一名は、黒縁メガネが印象的な30代くらいの男性で、先程の女性の秘書のようだ。そしてもう一名は、ルーデンドルフ提督同様連邦軍の制服を着ている軍人だった。こっちはトオルも名前を知っている。それとともに、驚きを隠さずにはいられなかった。
「あそこにおられるのは、ニジンスキー中将ではありませんか。第八艦隊司令官の」
確か、第八艦隊はアキレウス駐留基地でネト将軍に抑えられていたはずだ。それなのに何故司令官がこんなところにいるのだ?
「クーデターのとき、ニジンスキー君が乗艦する旗艦とともに第八艦隊の半数以上が、演習のため宇宙に上がっていたのだ。今アキレウスにいるのは、駆逐艦以下の補助艦艇ばかりなので、そんなに大した脅威にはならない」
ルーデンドルフはトオルと並んでタラップを降り始めた。トオルはルーデンドルフの口調の中に何か特別な感情が中に封じ込められている気がしてならなかった。
「ネト将軍は、第八艦隊が留守にしている隙を突いた訳ですか。そんなに抜け目のない人には思えませんでしたが」
「ネト将軍の周りには、優秀な人間が大勢いる。演習に関する情報収集なんて朝飯前だろう」
ルーデンドルフが語り終えたと同時に、哨戒艇の客人たちはタラップを降りきった。全員そろっていることを確認すると、ルーデンドルフは面前にいる女性に敬礼を施した。
「タカハシ大将閣下をお連れしました」
「お役目ご苦労様です」
女性はルーデンドルフと握手を交わすと、トオルの方に向き直った。
「ようこそ、お越しくださいました。アリップの代表を務めておりますナディア=レスコです。道中、ルーデンドルフ提督がお話したと思いますが、是非閣下にお任せしたいフネがありますので、そこでお話しましょう」
トオルはナディアに促されて、駐車してあるリムジンに乗り込んだ。リムジンの乗客は、ナディアとトオル、そしてナディアの秘書らしき男性とルーデンドルフの四人。他の人々は別の車に乗り込んだ。リムジンが発車して間もなく、トオルの真向かいに座ったナディアが優しい眼差しでトオルを眺めた。
「事前に何もお伝えしていない中、私たちの招きに応じて下さりありがとうございます。なにぶん急を要するものですから」
「提督も急ぎだとおっしゃっておられたのですが、何故そこまで慌てているのですか」
クーデターの早期鎮圧を図りたい統合参謀本部ですら、ここまで切羽詰った感はないから、ナディアたちの慌てようがトオルは不思議で仕方がなかった。ナディアは一つため息をついた。
「ところで、閣下は火星の現状をどうお考えですか」
思いもよらないこのナディアの突然の質問に、トオルは戸惑った。だが、確信はあった。自分の気持ちを素直に言っても、彼女たちを不快にさせないだろうということだけは。
「そうですね。ネト将軍のクーデターが始まる前までは軍籍から離れ、普通の会社員をしていたのですが、現状が良いものであるとは決して思えませんね」
利益を出せる人間になれたと胸を張ることはできないが、社会に貢献しているという自負に見合った報酬を得られているとは思えないくらい、生活は苦しかった。大した仕事をしていない軍人時代の方がはるかに報酬が高いなんて、社会の理不尽さを感じずにはいられない。その軍人よりも、財テクで資産を増やした連中の方が財を成している。そしてその子孫達は、親を含めた先祖の資産を使って大した汗をかくことなく、この世の春を謳歌している。「あの子、貧乏人の子に生まれてかわいそう」無邪気に財界人の子供がつぶやいたこの言葉が、耳にこびりついて離れない。いつからか政治家は、自分の権利と要望しか言わない庶民との交流を避けるようになり、見せ掛けだけの社会の大義を語る身近な財界人とばかり付き合うようになった。財界人たちがつぶやく。私たちを優遇すれば、従業員も潤うよ、と。身近にいる財界人100人皆同じことを言うから、政治家はそれが正しいものだと錯覚する。そして、財界人を優遇する代わりに民衆から搾取をするようになる。いずれは民衆にも恩恵が届くと思い込んで。恩恵を受けた財界人は、顔が見えない従業員よりも顔が見える自分の家族や、自分を支えるスポンサー、社内で自らを支える一部の幹部にしか、自らが受けた恩恵を与えないのに。財界人からの恩恵から外れた大勢の民衆は、いくらメディアが好景気を訴えても実感が沸くことなく、生活に疲れていく。
「会社員をして様々な人に出会いましたが、ほとんどの人が勤勉で、ごくまれにそうでない人がいても何らかの理由がありました。政府や財界は、そうした人たちの利益を吸い上げるだけで、何もしていないとしか思えません。政府のイヌであった私が言えたことではありませんが」
「やはりあなたは、ネト将軍がおっしゃっていた通りの方だ…」
こうつぶやくと、ナディアは意を決した表情でトオルを見据えた。
「隠していても仕方がないので本音を申し上げますが、閣下がなされようとする叙任式が決行されてしまうと、穏健派の我々は息の根を完全に止められてしまいます。どうにか止めてもらいたいのですが、私たちの仲間になっていただくこと以外、閣下に提供できる交換条件がありません。条件は提督が示したと思いますが」
「叙任式にそんな力があるとは思えないのですが」
「閣下はご自分を過小評価しすぎです。フェルミ元帥以下全ての上級大将、大将が列席する中で発する閣下の言葉には、強烈な拘束力が生じます。もし閣下がご自分の元に火星に駐留する連邦軍の全軍に結集するよう命令を発したら、ここにいるルーデンドルフ提督も全軍を率いて参上せざるを得なくなります。そうすれば、我々の手元に軍事力の一切が失われ、いくら主張をしようと連邦政府は耳を貸さなくなるでしょう」
「私からすると、あなたがたの方が私を過大評価しすぎている気がします。火星での連邦政府の支持率が極端に低いことを考えると、私の戦略がスムーズに進むとは到底思えません」
「そうなのです。それが問題なのです」
ナディアの声に熱がこもり出した。
「閣下が連邦政府の意向に沿って火星の鎮圧に乗り出したら、民衆との衝突は避けられなくなります。もし、そんなことになれば火星は、政権軍と民衆の義勇軍そして急進派が血で血を洗う内戦に明け暮れて国土を荒廃させた、かつてのある国の二の舞になってしまいます。そうなったら、誰も勝利者となりえません。それだけは絶対に避けなければならないのです。どうか、手を引いてもらえませんか」
「叙任式があなた方にとって不都合なことは分かりましたが、もし私が手を引いたとして、あなた方は一体何をしようとしているのですか」
「そうですね。それが肝心ですよね」
ナディアは、呼吸を整えた。そして語り出そうとしたそのとき、運転手が皆に告げた。
「まもなく、563番ドッグです」
リムジンは通路を抜け、広い空間に出た。とてつもなく広い空間に、一隻の巨大な白い宇宙戦艦が鎮座していた。大きすぎて全体のフォルムはよく分からない。だが、これだけは言えた。
「きれいだ…」
思わずトオルはつぶやいた。
超弩級宇宙戦闘母艦ヴィーザル。全長617m。モビルスーツ最大搭載量は70機。前方に三本、後方にニ本のモビルスーツ発射カタパルト、主砲は前方に二門、後方に一門が機能的に配置され、艦の中央にはペガサス級を思わせる独特の艦橋がそびえ立っている。機銃座も多数設置されて防空体制も万全を期している。どう見ても大艦隊の総旗艦に相応しい。これが、トオルが見たフネだった。トオルたちを乗せた複数の車両は、下部ハッチからヴィーザルに乗り込み、モビルスーツ格納庫で停車した。フネの中心部にある格納庫は、前方と後方の発射カタパルトと連結されているため長細い。70機分のモビルスーツハンガーラックはがらんとしており、ジェグナ2機だけしか搭載されていなかった。
トオルたちは降車すると、そばにある30人は乗れる大きなエレベータに乗り込んだ。20階に相当する位置でエレベータは停止。そこで降りて通路をしばらく進み、会議室の一室に入室した。めいめい適当な場所に着席すると、トオルはナディアに質問を投げた。
「先程の続きですが、私たちは、あなたたちがこれから何をしようとしているのか知りません。ぜひご説明をいただきたいのですが」
「これは、まだ内密の話です。ここにいる方は皆、口外しないことを宣誓してもらいます」
ナディアの真剣な口調に、この場にいる皆が姿勢を正した。着席している一人一人をぐるっと見渡すと、ナディアは語り始めた。
「ネト将軍のクーデターを鎮圧したのち、私たちは火星総督府の解散と火星自治共和国の成立を宣言し、同時に連邦議会で火星自治共和国基本法が上程され、可決成立する運びとなっています。あくまで地球連邦政府の枠内における自治ですから、地球連邦憲章や連邦政府の法律、統治機構や経済システムによる制約は残りますが、それらは最低限のレベルにまで引き下げられ、火星独自の統治機構による行政を敷いたり、議会を開いて法律を制定したり、火星独自の裁判機構による司法判決を出したりできるようになります。総督府の解散に伴い、総督府の負債を清算します。負債の大部分を占めるのが火星開発にかかった費用なのですが、地球連邦政府の統治機構内ということで法外な利息がかけられていたのを過去にさかのぼって算定し直して金額を確定させ、連邦政府にも負担を引き受けてもらって支払金額を大幅に圧縮します。これによって、火星居住者の税負担は大幅に改善されるはずです。統治機構についてですが、立法は普通選挙による議会を設置して執行し、司法は当面連邦の模倣をする予定ですが、行政については当面、七人の枢密顧問官で構成される枢密院で執り行うことになります。枢密院の下に内閣を設置して実務を担わせます。その枢密顧問官に、タカハシ大将、あなたにも就いて頂きたいのです」
「えっ」
トオルは驚いた。大将から大幅に格下げされて大佐だと言われたのに、今度は国家の統治機構の最高位を提示するとは、意味が全く分からない。返答に窮してしまい、トオルは黙り込んでしまった。トオルの狼狽ぶりに気付いたルーデンドルフがナディアにアイコンタクトで発言の許しをもらうと、トオルを見据えた。
「閣下の能力をわしらが高く評価していて、その能力に見合った働きを期待しているのは本当だ。だが、今の第三総軍総司令官代理のまま、わしらの陣営に加わってもらうことはできない。それはお分かりかな」
「はい。それは分かります」
連邦政府から見れば、火星自治共和国は連邦政府本流から外れた下部機構だ。トオルが217師団作戦参謀中佐のままであれば全く問題なかったが、いまや第三総軍総司令官代理兼ネメシス臨時行政府保安司令官大将。その使命は、連邦政府の名代として火星の動乱を治めてこれまでの火星総督府による統治を復活させること。連邦政府本流の火星総督府を否定して火星自治共和国に参画するのは、これまでトオルの拠り所になっていた非常事態対処法からも外れることになるので、それこそ連邦政府に背くことになる。もし、現在の役職を保持したままトオルが火星自治共和国に参加すれば、統合参謀本部次長のエンテザーム中将が喜んでトオルの違法行為を指弾してくるのが容易に想像でき、トオルはげんなりした。
「連邦軍に義理があるわけではないですから、いつだって辞めていいと思っています。今せっせと働いているのは、私の周りにいる人たちを助けたいからであって、それ以上でもそれ以下でもありません」
「やはり閣下は、ご自分を過小評価しすぎだ。簡単に辞められると本気で思っているのかね」
「それは、どういうことですか」
真顔でトオルがこのように尋ねてきたので、ルーデンドルフは思わず笑い出した。
「閣下は世情に関しては大変敏感で、相当な作戦立案能力を持っておられるが、ことご自分に関してはひどく疎いな。軍に限らず政府の高官のほとんどが、退職したのちに政府系の関係団体に下っている事実を、閣下は知っておられるだろう」
「もちろんです。大した仕事もせずに高給をむさぼって、仲間贔屓もひどいものです」
「それ、本気で言っておられるのか。それだったら勘違いもはなはだしい。まぁ、十把一絡げで天下りをさせている政府が悪いんじゃが。政府の高官といえば、政府の重要機密を知っている連中じゃ。もし、政府転覆を企てる連中がそういう高官を篭絡してしまったらどうなる。政府が危険にさらされ、下手をすれば崩壊して人間社会全体が大混乱に陥ってしまうかもしれない。そうならないためにも、退職した高官を政府側に縛り付けて一定期間身動きさせなくしておく必要があるのじゃ。もし、政府側の指示に従わない退職者が出たら、政府は何をすると思われる?」
「……」
トオルはまた黙り込んだ。嫌な予感だけはするが、具体的に何をしてくるのか、今まで考えたことがなかったので思い浮かばない。同席しているカタリナとジーナも同様だった。トオル側の人間が何も言わないので、ルーデンドルフが答えを出した。
「まぁ、思い浮かばなくても仕方ないな。地球と火星は遠い。軍を派遣して実力で治安回復させることは困難だが、ただ一人を人知れず殺すことはできるということじゃ。閣下がもし我々の側についてくれたとしたら、閣下の明日は保証されなくなるだろう」
「……そんなこと、絶対にさせない」
立ち上がってこう叫んだのはジーナだった。一転の曇りもない決意に満ちた瞳を見て、ルーデンドルフは和やかな笑顔を湛えた。
「閣下を守りたいのは、我々も同じじゃ。そう、いきり立たなくても良い。もし、閣下を高官待遇で迎えたら、どんなに素性を隠してもすぐに正体が判明して、連邦政府は暗殺者を派遣してくるだろう。だが、一介の大佐であれば目立ちにくい。しかも、軍艦の艦長として地面から遠く離れると、なお暗殺者を派遣しにくい。艦長就任と大佐への格下げは、閣下の生命を守るため。枢密顧問官への就任要請は、火星に住む人たちの暮らしと自治共和国の発展に貢献してもらうため。分かってもらえただろうか」
「……しばらく考えさせてもらえませんでしょうか。そちらもお急ぎでしょうから、そんなに時間を取らせません」
トオルの要望を、ナディアたちは受け入れた。
地上に残してきた幹部とも打ち合わせしたいというトオルの要望をナディアたちは受け入れ、トオルとカタリナ、ジーナの三人は大きなモニターがあるブリーフィングルームを案内してもらった。ゆうに100人は収容できそうな広い部屋なので、たった三人だけだと物寂しい。そんな部屋にあるモニターだから、不相応に大きすぎた。その巨大なモニターにラモンとハムザがでかでかと映し出されたものだから、これがカタリナとジーナだったら幾分ましなのにとトオルはため息をつきつつ、モニターの二人に事情を説明した。
「これはまた、とんでもないことになりましたな」
カタリナの手で画像を縮小してもらったラモンが唸った。並んでモニターに映っているハムザは腕組みをしたままだ。そしてボソリとつぶやくように言った。
「提督の申し出を受けなければ、庶民を弾圧する悪の帝王の道まっしぐらでしょ。ひょっとしたら歴史に名を残すことになるのでは。ただし、悪名ですけどね。それよりは、申し出を受け入れて裏で暗躍するフィクサーになったほうがましだと思いますが」
「…やっぱり、そう思うか」
「やっぱりっておっしゃるということは、閣下のお気持ちは決まっているということでしょ。だったら、思った通りに動かれたらいいと思います」
ピシャリと言うハムザの言葉を受けたトオルは、頭をかいてこの場にいる二人とモニターに映る二人を見渡した。
「前から言っているけど、私たち五人は一蓮托生だと思っている。特に今回の申し入れを受けるかどうかで、これからの運命は大きく変わる。そんな大事な節目を私が勝手に決めることに躊躇してしまっているんだ。みんな、どう思う?」
「ハムザの言うとおりだと思います。このまま連邦軍と心中しても、いいことなさそうですから」
このラモンの意見に、カタリナもジーナも首肯した。これで向かうべき道は決まった。すると、モニターに映るハムザがニヤッと笑った。
「そうなると、閣下は身を隠さなければならないわけですね。本名を隠して偽名を名乗るだけでなく、整形して顔を変え、指紋や目の光彩とか体の改造をしないといけませんね」
「しかも、タカハシ=トオルさんは、死ぬか行方不明にならないと」
「ええええっ」
ラモンにも畳みかけられたトオルは悲鳴を上げた。
「体をいじくるのは、いやだ」
「正体を隠さないと、連邦政府から刺客を放たれてしまいますよ。そんなに死にたいのですか」
「死ぬのは、もっといやだ」
「あれもいや、これもいやって、閣下は子供ですか?」
ため息交じりにラモンはトオルを諭した。だが、トオルはふくれっ面を作ったままだ。
「だって、いやなものはいやだもん」
「そうなると、あの手しかありませんね」
ラモンは、ジーナに視線を移した。
「今、ジーナはファッションデザインに興味があるんだったよな」
「裁縫部のみんなと、いろんなデザイン描いているけど…」
「喜べジーナ。叙任式の軍装はボツになったけど、別の仕事ができたぞ」
「???」
不思議がるジーナ。対するトオルは、ますます不安な表情になっていった。
太陽系の歴史は、大きな転換点を迎えようとしていた。