天空の暗闇から源氏と柏木が現れます。
「なんちゅうやっちゃ薫は?いらいらする」
「まま、そこがまた奴のいいところで」
「結局女を死なせてしもうた。わるいやっちゃ
こういうやつが一番悪い」
柏木は黙って聞いています。
「それに引き換え孫のほうは調子もんの尻軽で
能天気や。自分も周りもそう認めておりゃあそれが
一番幸せかもな。なまじっか真面目ぶると自分も
みんなも傷つく。中途半端が一番いかん薫のように」
どうも地上では匂宮が中の君を京へ呼ぼうとしているようです。
中の君の後見はやはり薫の君ですから親ぶって構わずにはいられません。
「この春は たれにか見せん 亡き人の
かたみに摘める 峰の早蕨さわらび」
誰もいなくなった宇治の山荘はやはり一日でも早く京へ移られる
べきだと思われます。
2月にいよいよお引っ越しとなりました。
匂う宮は今か今かと待ちわびておいでです。
二条の院の立派な御殿にお車が到着いたしました。
匂宮はお車のところにご自身で歩み寄られて
中の君を抱きかかえおろして差し上げになりました。
これには世間の人々も驚かれ、匂う宮はこのお方に
よほどご熱心だということが知れ渡りました。
薫の君は一方ではそれを喜びながらも内心、
馬鹿なことをしたものだと複雑な気持ちでおられます。
このころ夕霧の右大臣(薫の兄)は匂宮が次期東宮候補なので
自分の六の君を差し上げるご予定です。
そこに早々と中の君をお連れされたので面白くありません。
なんとかせねばと企んでいます。
そうはいっても匂宮は中の君を溺愛されているようですが、
薫の君との仲ですから。気は許せません。
よそよそしい二人を見かけて匂宮は、
「なんと、御簾の外にお座りとは。薫の君は前々からちょっと
怪しいほどお世話をされておられる方ですよ。もっと親しく
御簾の中へ。どうぞどうぞ昔語りでもなさってください」
と言いながらも、
「そうはいってもあんまり気を許されるのもどうかな。
あちらに全く下心がないとも限りませんからね。ふふふふ」
と言われながら参内されて行きました。
今更よそよそしくはできません。
中の君は複雑な気持ちになられます。
その頃帝は女二宮を薫の君にとお思いでした。そうなると、
夕霧の右大臣も六の君を匂宮へ早く嫁がせようとせかされます。
六の君が正室となるともう中の君べったりとはいきません。
薫の君も宮様をお貰いになると、ご後見としてこちらを見捨てる
ことはないにしても、そちらが中心になるでしょう。
それ見たことかと、姉君が最も恐れていたことが起きそうな
不安に陥る中の君でした。それを薄々感じている薫の君は、
かえすがえすも大君の言うことを聞いて中の君と結婚して
おけばよかったのにと今更ながら後悔します。
そして実際夕霧右大臣の六の君がお輿入れになりました。
例によって匂宮はまんざらでもありません。
夕霧邸の監視は厳しくなかなか抜け出せません。
一人ぼっちの中の君は何とかして宇治にこっそり帰ってしまおうか
とお思いになって薫の君にお手紙を出されました。
「昔のよしみで今も変わらぬあなた様のご厚意、
誠にありがとうございます。もしよろしければ
直々にお会いして御礼申し上げたく存じます」
薫の君は胸躍らせて何度も何度も繰り返し
中の君からのお手紙を読まれて、
「お手紙拝見いたしました。昔のよしみなどと
水臭いことはおっしゃらずに。詳しいことは
万事参上いたしました上で。あなかしこ」
と生真面目にお返事なさいました。
さて次の日の夕方、いつもよりは念入りに身づくろい
をされて薫の君は中の君を訪れになりました。
中の君はすぐに御簾の中へお招きになります。
「これはこれは」
その喜びを顔には出さず薫の君は静かに中には入られます。
中の君は一番奥に控えておられます。
「先日は父宮の法要でずいぶんお世話になりました。
心から感謝いたしております」
深々と礼をなさいますが声が小さく聞こえません。
「は?よく聞こえませぬが、もっと前へお出ましを」
薫の君は胸の高まりを抑えきれません。
「何とかして宇治に帰れぬものでしょうか?」
か細い声で中の君は何度もお頼みになります。
「そればかりは私の一存では出来かねます。
匂宮に相談されて許可が出れば段取りは
すべて私がしきらせてはいただきますが」
「ただごく内内に人目につかぬよう。なにも
匂宮のお許しなど大げさなことは・・・」
同じ言葉を薫の君は中の君の耳元でゆっくりと
やさしく囁ささやきながら半身はするりと
中の君寄り添い横になられてしまいました。
薫の君は妊婦のしるしの腹帯に気が付いて、
それが痛々しかったばっかりに、すんでのところで
思いとどまりになられました。
かたずをのんで見つめていた天空の源氏は、
「何と間抜けな男だ薫は」
柏木も渋々うなづいています。
翌日、久しぶりに突然匂宮がお見えになりました。
中の君は昨日そんなことがあったのでお召し物は
すべてお着換えになっておられます。
心の内も開き直っていつになく匂宮にお甘えになります。
匂宮も御無沙汰を申し訳なく思っています。
ところが薫の君の移り香がたいそう深くしみついています。
「ななな、何としたこと?この移り香は?これはこれは情けない」
中の君は申し開きもできずに泣くばかり。
相手が薫の君なので口惜しいやらおかしいやら、
口ではさんざん言いますが匂宮の心は複雑です。
「みなれぬる 中の衣と たのみしを
かばかりにてや かけ離れなむ」
と中の君が泣きながら詠むと、匂宮はえも言われず
いとおしくなってそっとやさしく中の君をお抱きしめ
になるのでした。
天空の源氏が呟つぶやきました。
「あほや、こいつも」
それからほどなく。中の君は薫の君に話します。
「このたび、わたくしには実は異母妹がいてこちらを
頼ろうとして見せに来ました。ちらと見に似ています」
「だれに?」
「大君に」
「えっ?」
薫の君の顔色はいつもの賢人ぶった貴公子から
総崩れにおなりでした。それほどまでに、と
中の君はお思いになり。
「わかりました。こちらに引き取るようにいたしますので、
そのうちにお目にかかることになるでしょう」
薫の君はもう上の空です。それからは宇治のお堂の建築に精を出され、
女二宮のお輿入れも適当になされ、やっと生まれたばかりの匂宮の
若君もそれなりに大切にお見舞いなさいます。
そしてついに春の盛りを過ぎたころ。
宇治に御堂の様子を見に行かれたその帰り山荘で女車に出くわします。
「あれは?」
「前の常陸宮様の姫君で初瀬の御帰りです。行きにもここへお泊りに
なりました」
「ほう。早く中にお入れなさい。こちらは奥に隠して」
薫の君は影からこっそりと姫をご覧になります。
じっと見とれて涙をおこぼしになりました。
「よくぞ生きていらっしゃった。ほんとによくぞ・・・。
浅からぬ前世からの約束と伝えてほしいのだが?」
「まあ、いつの間にそんなお約束が?ではそうお伝え
いたしましょう」
尼君は笑いながら奥へと入っていかれました。