嵯峨野は紅葉の盛りを迎えます。山椒、紅葉、楓、櫨はぜ、クロモジ、漆、ブナ、
ななかまど、マンサク、鬘等々。色もさまざま。空は空、夕暮れ茜。白すじ雲。赤茜。
深緑 緑 黄緑 緋 赤 朱 紅 深紅 薄黄 黄 黄土 橙 薄紫 茶 薄墨。
化野の脇に得も言われぬ深紅と緋色のこの世のものとは思われない
真っ赤な紅葉がみえます。深紅は高く緋色は低く化野への道しるべに
二つ並んで見送られているようです。
山には鹿、猿、猪。鳩 烏 雉 雀 郭公の声。夜は梟。鈴虫 松虫。夕餉の香り。
むかご、山芋、椎茸 ごぼう 百合根 蓮根 銀杏 しめじ。
川の鮎、オイカワ。池の鯉、鮒、石伏、タニシ、モロコ、ナマズ等々。
紅葉狩りは嵯峨野です。毎日公家や殿上人が訪れます。今のように人はほとんど
住んでいません。山裾ぎりぎりまで牛車で行きます。後はゆっくり裾歩き。
紅葉葉を焼いたり酒盛りもしたみたいです。天皇の御幸もありました。
その北の山すそ清滝からの小川の脇に老いたる源氏の庵はあります。
周りは畑と山側は灌木の林。東は開けていて都の町が望めます。
暖かい日差しに今日は秋好む中宮が訪れてきました。青糸毛車が雲隠庵に近づいて
いきます。中宮ともなると牛童、車副え20人ほどの大行列です。
雲隠庵から読経が聞こえてきます。張りのあるいい声です。
「自我得佛來 所経諸劫数 無量百千萬 億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生
令入於佛道 爾來無量劫 為度衆生故 方便現涅槃 而實不滅度 常住此説法
我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 廣供養舎利
咸皆懐戀慕 而生渇仰心 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見佛 不自惜身命」
雲隠庵に惟光が伝えます。
「梅壺の中宮様がお見えでございます」
源氏は読経をやめて空をにらみ、
「秋好む中宮様のお見えか?」
お市の方は大急ぎで源氏を立たせ寝の間に導き練生絹の直綴に着替えさせます。
「おいち、いつもすまぬのう。ところでそなたは春と秋、どちらが好みじゃ?」
「春好みでございます」
しわがれた声で源氏は思わず顔をそむけます。
源氏が上敷きに座ったところに梅壺中宮(秋好む中宮)が現れます。
素晴らしい香りが漂います。
「ふむ、梅壺じゃな」
「秋日和、紅葉の賀にございます。おとうさま」
「おお、秋好む中宮姫。よう来された。よい香りじゃ」
「黒沈香くろじんこうにございます」
葡萄えび染めの御小袿こうちき、檜扇を手に中宮が入っ
てきます。絹上敷きににじり寄りながら深々とお辞儀をします。
「父上お久しゅうございます」
「おお、めっきり母御のような声になったのう」
「薫の君をお預かりしてもう5年になりまする」
「紫上が死んだときじゃったから」
「そう、もう九歳におなりです。お父様が夕霧様の時のように
非常に厳しくお育てになされるようでしたので」
「そうじゃ。わしの子はみんな厳しく育てるのじゃ」
「ところが子のない冷泉と私はこの上なく薫の君がかわいくてかわいくて」
「散々甘やかして育てたのじゃろう」
「ええ、ええ、もうすっかり甘やかにお育ていたしました」
「そんなことじゃろうと思っとった」
「でもご心配いりません。薫殿は父上と違っていたって真面目。おなごには
目もくれず学問ばかりなさっておられます。近頃は法華経にもいたく興味
を示されて」
「それは異なこと?」
「しかしお父様は母上の遺言を守るのが非常に大変そうであられましたよ」
「ああそうじゃ。お前があまりに年ごとに美しゅうなるのが悪いのじゃ
齋宮の時はこんなにちっちゃかったのになあ」
老いたる源氏はこのくらいと膝のあたりに手をかざします。
「そんなに小さくはありませんよ。伊勢のお勤めが終わって京に母ともど
ってきた時には、もう母は病に苦しんでおられました」
「やっとの思いで六条の御息所は帰ってこられたこの美しい姫君を連れて」
「よほど思いつめて源氏の君、お父様にどうしても会いたいとの一念で」
「それがこの遺言じゃった。六条の邸をわしにお譲りになる、その代わりに
姫の後見人になること、それともう一つ、絶対に姫には手を出さないこと」
「何度も念を押して母は安らかに亡くなりました」
「そのとおりにしたじゃないか?」
「もう御病気ですね美人に言い寄られてしまうのは?」
「いやいや、美人ばかりとは限らんのじゃ。縁したものは捨ててはならぬ
一生かけて面倒を見るそれが勤めじゃ因果の縁えにしというもんじゃ」
「だれにもまねのできないお父様の唯一の取り柄ですね」
「そう言うな。唯一ということはなかろう?」
微笑みながら中宮は老いたる源氏を困らせます。
「だけどほんとはお父様の養女にしていただいて心の底から
感謝いたしております」
「そうそう、そう言えばさらに美しさが増すというものよ」
老いたる源氏はやっと一息ついて膳に手を出そうとします。
そこに松茸のいい香りがします。
「いい匂いじゃなあ」
お市も惟光も源氏も中宮もみんな鼻をくんくんとさせています。
「今日は一つだけ父上に聞きたいことがございます」
中宮は松茸の切り身にたっぷりと酢を染ませて源氏の口に運びます。
「(もぐもぐ)ひとつだけ?」
「ええ、ひとつだけ」
「・・・・・」
「母とはどういう付き合いだったのでしょうか?」
「何も聞いておらんのか?」
「いとしいお方というばかりで、どこがいいのかどうしてそうなったのかは
一度も聞いたことがございません」
「若き頃、六条の御息所は我ら若者のあこがれの的じゃった。東宮亡き後
つまり、ほんとは皇后になられたお方。今の六条院の秋の邸宅はすべて
御息所のお屋敷やった。そこに当時の若者は競って集いあった。楽曲、
歌詠み、舟遊び。ついにそこで御息所はこのわしに目を止められたのよ」
「源氏殿の若き頃は玉のようないい男。そう申しておりました」
「ところがわしは一番年下で妻の葵上もお前は知ってか藤壺も五歳上。
御息所は何と七つ上。何かと引け目もあったようじゃ。一番の実力者で
教養豊か誇りも高かったから、恨まれたら逃げようがない」
「野々宮で?」
「そう、夕顔と葵上の怪死はどうも御息所の怨霊のようじゃった。
そう告白なされた。いとおしいお方じゃったよ」
「愛しておられた?」
「もちろん。世が世であれば結ばれていたやもしれぬ」
老いたる源氏はおよよと涙を流します。
中宮はにじり寄って源氏の涙をぬぐいます。
「母は私たちが伊勢に下るいきさつをよく話してくれました。
葵祭の車争いはほんとに悔しかったのでしょうね。
これは最後まで何度も聞きました」
「あの行列には私も加わった」
「その貴方見たさに私の母はお忍びで早くから一条大路の
一番いいところに目立たぬよう車を止めていました」
「とても蒸し暑い日じゃったのをよく覚えている」
「そこに何も知らぬきらびやかな網代の御紋車が割り込んで来
ました。左大臣だと分かります。乗っているのは葵上様。十数
人の側副そばぞえが御息所の側副と小競り合いになりました」
「大路でもめていたのは後から聞いた」
「あなたのせいでついに母の車の榻しじを壊されてしまいます」
「口惜しかったろうな。六条の御息所とわかりさえすれば恋敵を
追い返すことができたのに、すまないことをした」
「母の怒りは頂点に達し、それからは毎日芥子を焚いて
恨みの加持祈祷を続けたそうです。死ぬまであの時は口惜し
かったと申しておりました」
「その執念深さは母譲りじゃ」
「はあ?」
「そう申しておった冷泉が」
「どういうことでしょうか?」
「秋好む中宮は今薫の君にぞっこんじゃと」
「まあ、それほど入れ込んではおりませんよ母上のようには」
大きな笑い声が庵の外まで響いてきます。
嵯峨野は種々の紅葉や楓に色冴えて赤茜やヤンマが
飛び交っています。松茸はとうに食べ終えて
夕日が西に傾きます。
「子たちは皆仲良くしておるか?」
「ええ、先日も明石の中宮様のところへお邪魔いたしました。
匂宮と姉の一の宮様、ちょうど夕霧様もお見えでその姫君と
薫が遊んでおりました」
「おお、いまいくつになる?」
「一の宮様七歳、匂宮様と夕霧の姫君が六歳、薫は五歳です」
「ほう、もう紫上が亡くなってそんなになるのか」
「全くもう目が離せません。とにかく匂宮様がやんちゃすぎます。
わがままで独占欲が強くてすぐ泣くし、ふてくされるし大変です」
「誰に似たのかのう?」
「薫は全く逆でおとなしくなんとなく品があって控えめで一つ下の
せいかでしゃばりません」
「おやばかじゃ」
「匂宮はやんちゃですが薫は貴公子です。いい香りがして女の子のよう
まるで昔の光源氏とかいうお方にそっくりですよ」
「おやばかじゃ。そんなわけはないじゃろう」
源氏はむきになります。薫の話になるとなぜか源氏は不機嫌になるので
、夕霧様の時もそうだったと女房達にも聞いているので、あまり気には
しませんが、久しぶりの父との会話、母のことも聞いたので中宮は薫の
ことをしゃべり続けます。
「この間こういうことがありましたよ。雛遊びの時に薫様があまりにおもてになり
ますので匂宮様が腹を立てて姫雛をみんな放り投げました。みんな慌てて取り繕い
ましたが、匂宮さまはたいそう焼きもち焼きでらっしゃいます」
「孫とはいえそこはわしと全く似ておらんな」
「横笛も歌合せも和琴も薫様にはとても及びませぬが独楽、竹馬、蹴鞠はめっぽう
匂宮様はお上手でいらっしゃいます。そういうわけでやんちゃな宮様がいつも薫
様を意識して時には大きな焼きもちを焼かれるようです」
「薫のほうがわしに似ている?」
「ほほほ、すぐに姫にもてようとされるのは孫の匂宮様もおじいさま譲り、薫様の
まめで几帳面なところは源氏のお父様譲り。二人合わせて源氏の君?」
『薫がなんでわしに似ようわけはあるまいに』
と老いたる源氏は思いつつ、
「おなごを独り占めにしようとするのは全くわしの病癖じゃ」
「情熱的であられますよ匂宮様は」
「まめでなければ意味がない」
「それはおそらく夕霧様や薫様」
「融通きかぬ堅物じゃ」
老いたる源氏は薫様の話になるとなぜか不機嫌になられます。
そのことを秋好む中宮は子よりも孫かとお思いのようでした。