かつて騎士の英雄と呼ばれた男は、人人を守ると誓い、そのすべてに裏切られた。
いまはデュラハンと恐れられる男は、人人を守ると誓ったが、だからそのすべてを裏切っている。


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注意書き。

不快な表現、展開の 可能性 があります。




黒い恋

 魔王の城での会合があった。大いなる光、魔に対する聖なるなにかがアクセルの街近辺に見えたという予言により、ベルディアに街の監視の命が下った日だった。

 ベルディアはその日、多くの魔族を目にした。古めかしい貴族の出で立ちの魔族を見た。

 

 それで久しぶりに会ったバニルに誘われて一杯ひっかけることにした。

 嫌な予感はしたが、相手は見通す悪魔だ。どうせ、飲みに誘った理由もそれなりにあるのだろう。おれの過去も見通しているのだろう。未来も。だからベルディアは乗った。

 しばらくウィズについてや、取るに足らない世間話、どのニホンジンが手強そうだ等等。だいぶ酔いが回ってきた所で、バニルがそう言えばと切り出した。

 

「せっかく見通す悪魔と並んで飲んでいるのだ、何か知りたいことでもあるのではないかね。なに、アクセルなどというつまらんルーキーどもの街に行く餞別だ」

「やけに親切じゃないか。ウィズはともかく、おれなんかに」

 

 ベルディアはしゃっくりをしてウィスキーを一口呷った。鎧姿で頭部が分離しているデュラハンがどうして飲めるのかとかはさておき、とにかく飲めるのだから飲んでおくが甲なのだ。

 

「そうか、ま、きさまがそう言うのなら、そうなのだろうな」 言ってバニルはあての干し肉をぱくついた。塩が効いていてうまい。

 

 ベルディアは面白くなさそうに鼻を鳴らした。見通す悪魔なのだろうから、こちらの望みも知っているだろうに。だからたまたま通りかかったウィズにセクハラした。

 

「バニルさん! 何とか言ってくださいよぉ!」

 

 バニルは必至で抗議するウィズを肴に、今回くらいは、大目に見てやれくれと心中で笑った。これからベルディアはアクセルに行く。行って、終わりの間際に現実の下の真実を取り戻す時が来たのだから。

 過去の、淀んだ昔の。

 グラスを空にして手酌する。かつてベルディアが幹部入りとなる際に見通した、彼の過去を思い出す。

 

 

 

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 剣の、杖の、祈りの、騎士の英雄からなる人類最初にして最後の砦と呼ばれたパーティと、国王軍主力が連携して魔王軍の重要拠点を包囲し、総攻撃を仕掛ける夜。

 夕刻の食事ともあって兵は暖かい戦闘糧食を口にしており、それなりに心身を休めていた。それなりに、というのはつまり、四人の英雄を擁する、国王兵士の戦意は別だ。また、それぞれが手練れぞろいなのだから勝機を逃しては恥と、確かな誇り、それに驕るなかれという自制の両立もあった。

 

 仕掛ける先はかつて人の手にあった山岳の砦。東西を流れ、南に合流する二本の川に挟まれた高地にあり、難攻不落。まだ魔王軍に対する情報が不足しており、存在そのものが半信半疑の時に、電撃戦によって落とされた要だった。

 地に沈みゆく太陽は、長い年月が経ってもどこか人の面影が残る砦を照らしている。兵の中には懐かしく思うものもいた。あの桟橋、あの物見櫓、眼下に広がる北にはたしか、ちょっとした街まで発展していたはず。砦と言うより城に近かった。それをついに奪還できるともなれば、いやおうなく気は高ぶる。

 

 月銀の鎧に身を包んだ騎士のはやがて闇夜に姿を消す砦を、剣のと並んで眺めていた。魔王軍がぽつぽつと灯りをともし、その輪郭をぼんやりと映し出させた。数か月前より下準備した今作戦をもってして、今後のそれは人の手で行われるだろう。

 

 兵糧攻めは飛行型モンスターを全て撃ち落とす事が出来なければ難しく、よって短期決戦。まずは杖のが西に流れる川をカースド・クリスタルプリズンで広範囲凍結させ、その上にアース・クリエトで地を盛って行軍可能な道を作る。剣のと祈りのが先駆けて城壁を崩し、騎士のと杖のが軍を先導して雪崩れ込む算段だ。

 

 重要拠点ゆえに魔族がいる事は間違いない。その魔族か、指揮系統上の役職を殺し、杖のが突貫の成功を天に向けた魔法でもって合図すれば、北と東の兵も呼応して進軍する。

 

 大量の兵が渡河できるほどの厚みを持った氷層を流動する川を媒介に創りだし、かつ踏み込んでも氷が顔を見せない程の土砂も乗せなければならない。杖の英雄と呼ばれるほどの力を持つアークウィザードがいてこその強襲作戦だった。

 

『この砦さえ奪い返す事ができたなら、魔王軍に対する反撃の大きな足掛かりになる』 と剣のが言った。

『然り。されど内部構造は魔王軍の改築により以前とは異なるはず』 と騎士のが答える。 『われらが乗り込んだ際は、乱戦になろうなぁ』

『油断するなと、おまえは言いたい訳だ。心配するな。祈りのは、おれの命に代えても守る。それこそ死なせりゃあ前衛職としてクソの役にも立たねえアホだ』

『そうではござらん。きこうの腕は知っている。ただ……』

 

『ただ?』

 

 騎士のは最近、じぶんと杖のが話している時の、剣のの冷ややかな視線が気になっていた。また、剣のと杖のの棘の生えた問答が最近多い事を無意識的に想起した。想起して、心中でかぶりを振る。だから、なんだというだ。だから嫌な予感がするなどと剣のに告げるのは、騎士道に反する。

 

『……ただ、そのなんだ。きこうのその口の悪さはなんとかならんか』

『またそれか、所詮おれは、おまえや杖のみたいに名のある家柄でもなければ、親の顔も知らん。こうやって生きてきた』 自嘲気味に笑って続けた。 『あいや失礼つかまつる、カビたりとは言えそれはわたしのパンでござる、何故きこうはそれを承知で奪いなさる。なんて言ってられん。それは、おれのだ。殺すぞ。でないとたぶん野垂れ死んでいた』

 

 騎士のはそっと、闇夜に塗らめく河川に視線をやる剣のの瞳を盗み見た、そこには生まれという隔絶に対しての凍てついた炎があるように感じた。諦めと、憎しみが混ざり合った両極端の熱が。

 

『それがしの生まれもさして上等ではござらん。遍歴騎士とはまだ聞こえはいいが、三男坊ゆえに兄上のような馬を貰えずに拗ね、騎士道の他なにも持たず家を飛び出して奔放しておっただけ』

『騎士道、ね』

『単なる自制の戒めで、特別なものでは……高潔、誠実、信念、そういった類の物ゆえ』

『ふうん、そうなのか。でも、それでも騎士の家なんだろう。おれは、おまえと杖のがやるような品のある会話ができん』 剣のは言ってその場に胡坐をかいた。

 

『……それがしは言葉遣いで仲間を選んだ覚えも、選ばれた覚えもござらん』

『余裕があるな、羨ましいよ。それ』

『きこうらしくない。分水嶺を前に緊張の内にあるのか』

『いや……うん? そうかもな』 言って剣のは立ち上がり、尻に付いた土を払いながら背を向けて歩き出した。 『ま、ホント言うと、らしくないから黙ってたんだけど、嫌な予感がしてさ。お互い気を付けようぜって言いに来てやったんだよ』

 

 うむ、とだけ騎士のは返した。

 しばらくして、騎士のの背後に急な気配が現れた。振り返ると祈りのが申し訳なさそうに立っている。とても大一番を前にしているとは思えぬほどゆったりとした口調で言った。

 

『ごめんなさい。驚かそうとアザー・シングスで石に化けていたのですが、剣のがやって来たので出るに出れず……』

『いや、いいさ。聞かれて困る話でもなかった。剣のには黙っておこう。きこうは……』 と騎士のは、剣のが両極端の熱の瞳をやっていた川を眺めて呟いた。

『わたしが? なにか』

『いや、気を付けられよ。突入時は多勢に無勢ゆえに』

 

 祈りのは微笑して言った。

 

『わたしはこれでも祈りの英雄と呼ばれる。アークプリ―ストですよ』 あまり肉の付いていない体躯で腰のメイスを持ってしごいてみせる。 『前衛職とまでは言いませんが、近接戦闘の心得はあります。それに身体強化の呪文を受けた先陣が守ってくださるでしょう。それよりも、杖のの護衛をしっかりお願いしますね』

『そうか、そうだな』

 

 二人は集合地点に向かう。杖のは目をつむり、これから行使する上級魔法の為の精神統一。剣のは破城用のハンマーを素振りしていた。

 月明かりは無いが、杖を両手に祈る杖のの姿は美しかった。

 没落した貴族の出、という事はかつて駆け出しの頃の酒の席で、杖のと騎士ので抜け出した時に聞いたことがあった。魔王軍との戦いの活躍が広まりだすと、ある時むかしの馴染みらしい名門貴族が杖のを引き抜こうとした事があった。家のプロパガンダにでもするつもりだろう。剣のが貴族に食って掛かって一悶着あったのを思い出す。その後で祈りのにこっぴどく叱られていた。

 

 やがて杖のがゆっくりと瞳を開ける。祈りのが剣のと少数の精鋭に身体能力強化の魔法をかける。

 奪還作戦が決行された。

 

 英雄のなせる技か、呪文らしい呪文もなく魔法で造られた簡易的な橋を先陣が駆ける。剣のがありったけの膂力でハンマーを振ると石壁が吹き飛んだ。二度三度それを繰り返し、後続の道を作って突入した。同時に砦が騒がしくなり、ドラだか笛だかが鳴りだした。

 騎士のと杖の、兵も後に続く。

 城壁から弓がまばらに射られるが、まだ統制が執られていないようで、さしたる脅威ではなかった。

 

 砦の中はやはり、造りが人のままではマズいので魔王軍によってある程度の改築がされており、かつての見取り図のまま動くことは無理そうだ。

 なんとなしに中央にあるはずの訓練広場に繋がる通路を進み、ふと広場に面する二階テラスを見やると、剣のと祈りのが、魔族と思しき敵と戦っているのが見えた。他の先陣隊は、広場を抜けた先にある正門へ向かおうとしているが、武装したトロールやミノタウルスに足止めを食らっていた。

 

 騎士のは率いた兵に広場へ加勢に向かうように言い、杖のと共にテラスへ向かった。邪魔する敵を蹴散らしながら。

 

『きこうらは正門へ向かえ! ここはそれがしが引き受ける』

 

 身の軽いソードマスターの方が突破は容易く、回復できる祈りのは多くの兵に必要だろうとの判断だ。剣のと祈りのもそれをわかっているのか、じりじりと後退し、安全圏まで下がるとテラスを駆けおりた。そのすれ違いざまに、剣のは騎士のの耳元で囁いた。

 

『おそらく心臓以外に意味は無い』

 

 騎士のに、その言葉の真意を問いただす暇はなかった。眼前の魔族は人型で、装いは時代遅れの貴族のそれであり、およそ戦うに相応しいとは言い難い。しかしながら、隙が無い。半身を向けた前傾姿勢、純白の刺突剣をまっすぐに騎士のの眉間を狙っており、空いている手は腰の裏。まばたきの瞬間を待っているようで恐ろしかった。

 

 しかし時間が無い。階下は乱戦の様子。杖のが半球状にじぶん達を氷で覆い、魔族の退路と敵の奇襲を防ぐ。それは転じてこちらの退路も塞ぐ背水の陣であったが、もとより騎士のもそのつもりだった。左手の盾を構えながら突進する。魔族も兎が跳ねるように体躯を爆ぜさせる。あっという間に魔族との距離が縮まり、しなやかに伸ばされた魔族の全身は、驚くべきことに騎士のの盾を貫通した。その数瞬前に騎士のは思考する。剣のと一戦交わっていながら、魔族に血の跡はない。剣のがかすり傷一つ負わせることが出来ない訳がない。それによく見ると衣類はところどころ裂けている。

 

 つまりこの魔族は再生するのでは? その事実を掴んだ事を悟られぬように、剣のは騎士のにしか聞こえないように囁いたのだ。

 

 騎士のは腹部を突く振りをした姿勢で楯を振り払った。楯を裂きながら、僅かに魔族の刺突剣が逸れる。騎士のは余計な重りになる剣を手放し、堅いガントレットに覆われた右拳を最速で魔族の胸に叩きこんだ。肋骨を折った音が、鎧を通じてわかる。そのまま喘ぐ魔族を流れるように押し倒し、腰裏に備えていた短剣を心の臓腑めがけて突き刺した。先ほど砕いたはずの肋骨の感覚があったので、剣のの読みは正しかった。この魔族は超高速再生能力を持っていたのだ。

 確かな手ごたえを感じている。物理的に殺したという感覚ではなく、魂のような、無形の生命を断ったという確信。ふっと何かが魔族の身体から抜け出るような。

 

 念のため短剣を引き抜いて頭蓋にも一刺し、引き抜く。傷は再生しなかった。

 杖のに目配せする。杖のは氷の壁を解除させて、ファイヤーボールを夜空目がけて放つ。魔族の殺害を知らせる合図だ。

 

『聞けい! 魔王軍のものどもよ!』 騎士のは眼下の敵に見えるように魔族を抱えて宣言する。 『おまえたちの、この砦の魔族は死んだ! わたしが殺したのだ!』

 

 本当は首を切断し、頭部を掲げて戦意を喪失させたかったが、そんな暇は無かった。一刻も早くこの場を制圧し、正門に向かった先陣を支援しなくては。

 階下の広場で戦闘していた敵も味方もこちらを見上げる。絶望と希望が入り混じった視線を感じる。ばしゃりと騎士のの半身が熱く濡れた。見やると杖のの首がぱっくりと赤く裂けている。杖のの血で濡れたのだと理解すると、では誰がやったのだと思考を推移させ、抱えていた魔族を突き飛ばす、もう少し遅ければ致命だったろう。鎧の隙間から出血する横腹に手をあてがった。

 

 杖のの華奢な体躯が、ふらりと頭から広場に落ちて、首から血を噴き出しながら、痙攣している。

 

 魔族は騎士のを強敵と認め、これ以上戦おうとはしなかった。少しでも負ける要素があり、相手は手負いなので後は部下に任せるという方針を取って、刺突剣を収めて叫んだ。

 

『さきの剣の遣い手、それを呪文なく強力に支援した補助魔法と瞬間凍結魔法、的確な戦術と死を恐れぬ勇猛からして、ちかごろ、魔王軍が手を焼く人類最初にして最後の砦とお見受けする。その杖の英雄は死んだ! 残るは三人、われらが砦の中のネズミ! わが同胞よ、いざその首を取り、魔王さまへ献上せん時が来た!』

 

 作戦は失敗した。魔族は英雄とは戦わずに兵だけを狙って殺すだろう。それに統率が取れたままの砦を攻め落とすのは不可能に近い。

 撤退だ! と叫んで、騎士のはテラスを飛び下りた。衝撃を四肢に分散する着地術を体得しているとはいえ、重い鎧のせいで左腕の骨は砕けた。震える手で杖のの死体を仰向けにする。ひょっとしたら、まだ間に合うのではという妄執で。

 しかし陥没した頭蓋で歪な頭部と、でろりと出た左目を確認しただけだった。それでも遺体だけはと騎士のは担ぐ。いや――

 

 ――杖のの右目が僅かに動いて周囲を探る。そして死後硬直故に握ったままの杖で、呪文も無くライトニングを天に放った。撤退の合図だ。杖のの生涯最後の呪文は、虚しくも敗北を告げるものになった。

 

 広場の兵は戦意を失いつつも健闘し、なんとか侵入口まで後退。正門へ向かった先陣は広場で戦っていた敵部隊と、正門の内側を守る部隊の挟み撃ちの形となるも、行き帰りの内部構造を把握した祈りのが通路型に結界を張った事により離脱。北と東から攻めていた王国軍の被害は、語るべくもない。

 王国軍は敗走した。

 王都に着くなり、いやその道すがら騎士のは拘束されていた。庇う剣のと祈りのの要望は通らなかった。

 

 功を焦った騎士のが止めを刺すのも忘れ、気絶しただけの魔族を抱えて大将首を取った気になったせいで、杖の英雄は死に、北と東の兵は進軍し、手ひどい被害を被った。その責を問われる為。

 

 

 

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『おまえの、その、反抗的な目はなんだ!』

 

 男は薄汚い獄の中で査問官に怒鳴り付けられ、警棒で横腹を殴打され、堪らず呻いた。呻いて微かに、ちがう、とだけかろうじて零した。天井に吊られた両手の手かせの鎖がじゃらりと鳴った。その手の指先は全て赤黒く、まだ針が抜けていない指が数本あった。

 

『違わん。証拠も、取り調べも、判決も』 何より民衆が、とは省略して査問官が続けた。 『おまえの責任だと理解し、納得している。していないのはおまえだけだ』

 

 違う、と男が答えると査問官は再び殴打する。

 

『嘆かわしいな』 獄の隅で腰掛けていた別の査問官が憂鬱に言った。 『その見苦しい反抗的な態度。とてもではないが、剣の、杖の、祈りの、騎士の英雄と呼ばれるほどに魔王軍を損耗させ、人類最初にして最後の砦と称えられた四人の一員とは思えん。いやだからこそ、功を焦り、短絡的な行動に出たのかも知らん』

 

『違う、それがしは死亡を確認したのだ! 間違いはない! 剣のと祈りのを呼んでくれ!』 男は力を振り絞って叫んだ。叫ぶが、鳩尾を突かれてえづく。

『ではどういう事だと? うん?』 査問官は警棒で男の顎を軽くたたいて言った。 『ではなぜ杖の英雄は、おまえが殺したはずの魔族に殺され、わが軍は誤った進軍をしたのだ。おまえが騎士の英雄たる高潔さを持っているとしたら、仮にだが持っているとして、答えてみろ』

 

『確かに、殺した。心の臓腑を突き。それで杖のに進軍の合図を送るよう示したのだ』

『仮におまえの言う通り、超高速再生能力を持つ魔族が相手だったとしよう。それでなぜ心の臓腑が弱点だとわかったのだ。まるで戦う前から知っていたような戦術を取ったのはなぜだ』

『それは……』

 と、男は口ごもって自問した。解はある。剣のに、そう聞いたから。剣のの推察が間違っていたのだろうか。それとも……それとも……

『……剣のに、心臓以外は意味がないと聞いた』

 

 男は激しく殴られる。

 

『剣の英雄が謀ったと言いたいか! 正門を内より開ける為、死地に切り込んでいった! おまえを信じて!』

『違うッ! そうは言ってござらん』 口内の血を飛ばしながら、男は叫んだ。 『心臓はたしかにあの魔族唯一の急所』

『言って、おるではないか! 第一! 殺した殺したと言うがしかし、広場より見上げた兵の話によれば、かの魔族には傷一つ血の一滴も流していなかったそうではないか!』

『それは、再生能力が』

 

『死からも再生したと?』 と、座っている査問官が言った。

 

 男は口をつぐんだ。心臓を刺した後に頭部を刺したが、その傷は再生しなかったからだ。つまり死ねば、再生能力は失われるという事だ。

 

『なぜ黙る!』 査問官は尚も男を殴った。

 

『もういい、今日はこれくらいにしよう』

 

 壁際の椅子に座っていた査問官が、男の身体を流れ落ちる血を侮蔑的に眺めてそう言った。

 二人の査問官は牢を出て、事務室に戻るまでの間に短い会話をした。生き残った兵は、死んだ兵の家族は、それに関わりの無い大衆は、今回の犠牲の責任者を望んでいる。大多数は無意識的に、と。あの砦を、今度こそ奪還できるはずという期待の大きさの反動は大きい、と。杖の英雄を死なせた、通常の戦犯以上の責任がある、と。

 

 投獄から何日経ったのか、あるいは何週間か、何ヶ月か。男にはわからない。わからないが、とにかく連日の尋問で疲れていた。朝の時もあれば夜の時もある。丸一日空くときもあれば、数分後の時もある。とにかく、疲れた。腐っても魔族とやり合う身体能力は持っている、逃げ出そうと思えば逃げ出せた。だがそれは罪を認めるようなものだ。

 何度も何度も同じ問いをされ、何度も何度も同じ答えを言うが、何度も何度も同じ否定が返ってくる。そのうち男も何が真実なのかわからなくなってきた。自己が危うい。

 

 ある夜、剣のがこっそりと面会にやって来た。剣のは、やせ細り、生傷だらけの、毛むくじゃらの騎士の体躯を見て静かに言った。

 

『もう、あんなやつらに付き合う必要は無い。逃げちまおうぜ、ここから』

 

 男は堅い石の上でうずくまったまま、かすれた声で言った。

 

『今まで、どこに、どうして、今』

『探したが、わからなかった。それに祈りのが、面会に行けば逆に立場を悪くするだけだって。口裏を合わせようとしていると思われるかもって』

『わからん』

『何が』

 

 男は疲れた。疲れていたので、騎士道は、どこか、どこでもいいここではないほかのどこかにやった。顔だけを格子の向こうの剣のに向ける。闇の中で、眼球だけが粘ついた光を反射している。

 

『逃げれば、罪を認める事になる』

『捕まらなきゃ問題ない。おれを相手に出来る兵なんぞ、おらんよ。世はそう思うだろうが。またあの魔族をブチ殺』

『本当に、本当に、本当にそれがしを逃がすつもりなのか? 牢から出して、適当なところで置いていくのであるまいな!?』

『落ち着けって、声がでかいよ。おれがそんな』

 

『本当に、本当に、心臓以外は無意味だったのか!? 心臓以外は』

『静かに、しろ。あんな状況で嘘は言わん』

『脳もか! 頭部も無意味だったのだろうな!』

 

 おい、誰と話している! と守衛の声が遠くから聞こえてきた。

 

『頭も! 駄目だったのか! なあ!』

『……そうか、わかったよ』

 

 剣のは去り際にぽつりと零した。

 

『あのクソ魔族のドタマは、初太刀で落としたよ。二の太刀で分割した』

『なぜ査問官にそう言ってくれんのだ!』

『言ったぜ、ちゃんとな』

 

 それだけ言うと、姿を消した。

 

 

 

『真実が、知りたい』

『われわれもだ』

『祈りのは、あの時、剣のと二人で魔族と戦っていたはずだ。祈りのは、なんと言っているんだ』

『知る必要があるか?』

 

『真実が、知りたい』

『わかった。翌日、もう一度、われわれが真実を問う。おまえが真実を語れば、われわれも全ての情報を公開する。われわれの望む、真実を語れば、の話だが』 

 

 翌日、男はヒールを受けた。清潔な衣類に着替え、目隠しをされたまま別室に移された。そこでもう幾度目かわからぬほどの問いに、男は初めての答えを言った。騎士道は、もう、どこにやったか憶えてないから。

 

『それがしは、功を焦るあまり止めを刺すのも忘れ、気絶しただけの魔族を抱えて大将首を取った気になったせいで、杖の英雄は死に、北と東の兵は進軍し、手ひどい被害を被った』

『了解した。ではお二方、立会人のサインを』 と査問官の声。

『騎士の、まさかあなたは本当に……わたしは、でも』 と祈りのの戸惑った声。 『これは、本心なのですか、言わされているのでは!? わたしには到底信じられません。抗議します』

『しょうがないだろ、言っちまったもんは。どーしてもって訳で立会人になったおれらには、サインする責任がある』 と無感動な剣のの声。

 

 立会人? 男は混乱した。

 

『ではお二方の名において、先の告白を真実なるものとします。ご協力、ありがとうございます』

『待て! 待ってくれ! 今のは違う!』 男は暴れたが、椅子に拘束されている。拘束具のレザーが鈍く音を立てた。骨と皮ばかりの四肢に食い込む。

『申し訳ないが、お二方には退室願います』

 

『騎士の!』 と祈りのが声を張った。 『諦めないでください! 何かが、おかしい! わたしはあなたを信じている!』

 

 男が再び獄に連れていかれる間に、査問官は言った。

 

『祈りの英雄は、あの戦闘で魔族に超高速再生能力があると推察できる材料はなかった、と証言した』

『ばかな、それでは剣のとの……』

『なぜおまえが剣の英雄の証言を知っているのか、あるいはカマかけなのかはどうでもいい。済んだ事だ』

『済んだ? ふざけるな、何も終わっていないではないか!』

 

『そう言うだろうと思ったよ』

 

 牢の前には大きな姿鏡があった。そこには見慣れない、ひどくみすぼらしい老人が映っている。老人? 髪には白い物が多く混ざり、頬はこけ、目はくぼんでおり、 ――男の心臓の鼓動が速まった、嘘だ、こんな、これが―― 唖然としている口から覗く歯は黄色く、欠けている。

 

『あ、だ、れ……な』

『よく見ろ、おまえだ』 査問官は男の衣類をナイフで切り裂き、下着まで剥ぎ取ってみせた。

 

 かつて騎士の英雄と謳われた頃の肉体の面影は無い。枝のように細い四肢、浮き出たあばら、栄養不足からなる膨らんだ腹、ヒールを受けたものの尋問による大量の傷跡、湾曲した骨格、伸びきって丸くなった爪。陰毛から小さな虫が飛び出した。

 

 男は黙って、されるがままに牢に入った。しばらくして、ようやくじぶんが涙を流していた事に気付いた。

 なにかが、おかしい。そのはずだ。

 その心の奥底にある最後の支えは、直視した現実に塗りつぶされた。真実は現実に敗北したのだ。

 

 後日、査問官は、諦めたかと問うた。

 男は、諦めた、と答えた。

 

 

 

 一週間もしない間に、残った二人の英雄の署名付き取り調べ書を根拠に、王の名の下に処刑が執り行われた。

 じゃらりじゃらりと手かせ足かせの鎖を鳴らしながら、処刑台に向かう。大衆に唾を吐かれ、石を投げられながら。

 

 処刑立会人が言った。

 

『何か、最後に言う事はあるか』

 

 男は黙って首を振った。もとより、喋らせない為に顎を砕かれているので、言いたくても言えない。

 

『本当に、何もないのか。祈りと剣の英雄、あの敗戦を生き残った兵、杖の英雄や、帰る事のなかった兵に対して、何も! 何も思う事はないと!』

 

 民衆が怒りに燃えている。男に敵意と、憎悪を向けている。それを一身に受け、処刑台の上から見下ろす。かつて男は魔王軍から人人を守ると誓ったが、今では人人が男を魔王軍のように扱っている。

 何故だ。覚えのない罪を認めても尚、許さぬと言うのか。男がまず受けた感情は、意外にも呆気に取られるというものだった。

 

『真に軽蔑するに値う男だ、半年ものあいだ罪を認めようともせず、このふてぶてしさ』

 

 半年? それほどの長い間、耐え難い苦痛を耐えても、これらはじぶんを憎んでいるのか。永遠に? 許さないとでも?

 死んでいたはず男の心に、向けられた侮辱と憎悪が色濃く染み込んだ。

 

『杖の英雄の事など牢の石壁の傷程度にしか思っておらぬようだが、われらは決して、稀代のアークウィザードを忘れぬ。こんにちの処刑を持ってして、杖の英雄も浮かばれるだろう』

 

 おまえに杖のの何がわかる! そう叫んでやりたかった。頭蓋は陥没し、左目は押し出され、脊髄に達するほど首を裂かれ、致命の身でありながら、撤退の合図を送ってくれた、おれの背で事切れた彼女の事を片時も忘れた事など、無い! しかし粉粉になった下顎では獣の如き唸り声しか出ない。

 

『もはや人の言葉も忘れたか。その骨の髄まで保身に満ち、薄汚れた体躯と精神は見るに堪えず、漏れる呻きは聞くに堪えぬ!』

 

 男は今さらになって暴れるが、執行人に取り押さえられ、断頭台に首を押し付けられて拘束された。顔をあげ、敵意を向ける大衆の顔をねめつける。

 剣の、祈りのはどこだ。かつての仲間の最後すら見届けようとはしないのか。もはやおまえらもこれらと同じく、おれを憎んでいるのか。

 

 ギロチンが落ちてきて首筋に冷たい物が走ったと思えば、落下し、久しく忘れていた人のぬくもりの感覚の後に男の生は、怨嗟の中で閉じた。

 

 

 

 すとんと落ちた男の頭部が地に落ちるより速く、一人の影が飛び出し、それを片手で抱きかかえた。同時にもう片方の腕に握った剣で断頭台を切り裂き、剣を収めて亡骸も抱える。ふわりと一陣の風が吹き、目深に被っていたフードがめくれ、闖入者の正体が露わになる。

 

『剣の英雄どの! いきなり何をなさるのです!?』

 

 執行人は驚き、大衆はどよめいた。剣の英雄は堂堂と答える。

 

『責を負った騎士の英雄は死んだ。その遺体はおれが引き受ける。文句は剣で聞くがゆえに剣で問え!』

 

 衛兵は腰に下げた剣の柄までは握ったが、相手は剣の英雄、その先は動かない。

 手筈ではここで祈りのがリザレクションを離れた場所から唱えて()()させるはずだった。しかしこの作戦はなぜか王国側に予測されており、祈りのは別の場所で軟禁されていたのだ。

 

 いつまで経ってもリザレクションは飛んで来ない。しだいに衛兵が集まりだしてきたので、剣のは騎士のの、虱やフケで異臭のする脂ぎった長い髪を結わえて口に咥え、病的に軽い亡骸を肩に担いで、峰打ちで衛兵をなぎ倒しながら処刑場を離脱した。

 衛兵は無理に追ってこようとはしなかった。剣の英雄相手とあっては無理もないが。

 

 剣のはそのまま王都を出て、飲まず食わずで走り続けた。三日三晩走って走って、走り続けて、強大なモンスターを掻い潜り、人が到底訪れないような僻地に騎士のを埋葬した。墓石の代わりにみずからの剣を突き立てて。

 

 

 数年後、()()()()()()()()()()が、ほどなくして剣のは一人で件の魔族に挑み、帰らぬ人となった。

 そうして男の騎士道は、どこでもいいここではないほかのどこかに置かれたままとなった。

 

 

 

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 ルーキーばかりのアクセルの街の観察程度だったんだけどなー。

 アクアに浄化されたベルディアは、確かな感覚を覚える。物理的に殺されたという感覚ではなく、魂のような、無形の生命を断たれたという確信。ふっと何かが身体から抜け出るような。

 

 魔王の城での会合の時に、珍しくバニルが知りたいことはないかと聞いてきた理由がわかった。冥途の土産という訳だ。

 

「おお べるでぃあ よ! しんでしまうとは なにごとだ!」と、どこからともなくバニルが語りかけてきた。

 

 最後に話す相手がこいつなのが、悲しい。せめてウィズと話したかった。

 

「ウィズはいま、きさまが浄化された事よりも、おやつ食べたいなあ、という方に気をやっている」

「だろうな。しかしおまえが今さらなんだ。あんな駆け出しに負けたおれを笑いに来たのか。おれは地獄に行くのに忙しい」

「そうかな」

 

 水にインクを流したように、風景が彩られる。夏のような青空の下、緑が覆い茂り、大きな畑に面したこじんまりとした家。懐かしい、たいした騎士の家系でもないので、片手間に農業をやっていた。ベルディアはそんな実家をぼんやり眺める。不可思議な事に遠いようで近い、ほんの少し歩けばすぐのようで、永遠に辿りつけない気もする。杖のと剣のが庭先でお茶をやっており、こちらに気付いて呼んでいる。

 

 対極の方向に不穏な雰囲気を感じて振り返ってみれば、かつて投獄されていた牢に祈りのが幽閉されていた。狭く陽の光も碌に入ってこない冷たい獄で、しきりに謝罪の言葉を口にしている。

 

「ここから出してくれ、助けてくれ、騎士の。わたしが悪かった、わたしがすべて、白状するからどうか」

「祈りの……きこうがそちらに居るという事は、そうか、きこうがそうなのか」

「許してくれ、悪かった。わしがあの時、アザー・シングで潜伏し、魔族をリザレクションで蘇らせたのだ。すまない、わたしは剣のを、どうしても……」

 

 そうか、と呟いて、ベルディアは牢に向かって歩き出した。

 

「せっかくの両手の花が枯れてしまうぞ?」 とバニル。平静を装って続ける。 「おまえには、向こうへ行く権利がある」

「だが、そちらに行く権利もある」

「祈りの英雄はおまえを陥れ、剣の英雄を娶ろうとした。たったそれだけの、薄汚い人間の為に身を落とす必要は無い。そんな事は一度で十分だろうに」

「いや、それがしは取り戻しつつある。かつて捨てたそれは、文字通り現世においての、どこでもいいここではないほかのどこか、つまりはここにあったのだ。裏切られたりとはいえ、かつての盟友が助けを求めておる。なればそれがしが向かうは必然。そうすることで、それはそれがしの手中に収まるというもの。諦観と増悪により失くしてしまったそれ即ち騎士道は」

 

 バニルは見た。ベルディアが牢に向かって歩く度、漆黒の鎧は月銀に変わり、かつての騎士の英雄の姿になってゆくのを。そして騎士の英雄の跡がまさしくそれになっているのを体感した。触れがたい純度を誇った高潔なる騎士の道。

 あまりのギャップに思わず苦笑する。

 

「およそウィズにくだらんセクハラをしていた男とは思えん。魔族としてではなく、人間として地の獄に堕ちれば、戻る望みはまず無い。祈りのと同じ苦痛が待っている」

「そうか、だがゆく。おのれが狂気に飲まれぬ術であったが、彼女には悪い事をした。よろしく言っておいてくれ」

「うむ。ま、それとは別として、おまえが騎士の英雄であるように、わがはいもまた地獄の公爵と呼ばれる大悪魔。地獄に聖なるものを入れる訳にも、祈りのを連れてゆかれるのも困る」

 

 騎士の英雄は凄まじい突風に膝を付き、剣を地面に突き立てて耐えた。

 

「悪く思うな。え? ひょっ……としてぇ、魔王より強いんじゃね? を自称しているわがはいに、人類最初にして最後の砦の総員でかかるならともかく、一人では到底かなうまい」

 

 騎士の英雄はそれでも雄たけびを挙げ、血を滾らせて牢へ駆けた。しかしふわりと身体が浮き、杖のと剣のが待つ側へと突き飛ばされる。

 

「許せとは言わん。これはわがはいの我儘である。なにせ悪魔なのだから、こういう自己中も当然する。さらば」

 

 騎士の英雄の言葉は、悪魔には届かなかった。届かなかったが、騎士の英雄は小さく笑っていた。

 

 

 

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 その習わしがいつから始まったのかはわからない。知る者も行う者もごく僅か。だが後世に名を残した騎士はみなそうしたという。

 歴史に残る王国軍大敗の砦を目指し、王都の大罪独獄へ押し入り、かつて処刑台のあった広場へ行き、そこから三日三晩走り続けた場所に突き立ててある名も無き剣に参り、アクセル近辺にある廃城へ至り、そしておのれが生まれた地へ戻る。

 

 誰が定めたわけなのか、騎士の道を辿る風習がある。

 大抵は獄を目にする手段が限られ過ぎているのでそこで脱落する。

 




誰にでもできるデュラハンの作り方 完


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