私の朝は早い。
松陽の生活リズムに合わせていたらいつのまにか規則的かつ健康的な日々を送っていたのだ。銀時は自由気ままに寝ては起きるを繰り返していたが、見兼ねた私が毎朝起こしてあげている。いい加減あいつは私に感謝していいと思う。
目が覚めて着替えを済ませる。桶に水を入れてパシャパシャ顔を洗うと、銀時を叩き起こして3人分の朝餉を作りに台所へ向かった。
何作ろうかね。残ってる食材は何があったっけ。シャキッとした頭で考えて、居間の襖を開けたら。
「うおっ、びっくりしたー……」
「んだよ」
「いやさ、ウチにいたの忘れてた」
「残念な頭の出来だな」
「どうでもいいことはすぐ忘れてくれるんだよ」
高杉は不機嫌そうに私を見る。仕方ないじゃん、お前の存在が丸々すっぽ抜けてたんだもの。
そういえば昨日帰ると笑顔で松陽が迎えてくれたな。桂もいたけどあまり遅くなってもいけないと松陽の誘いを断って、暗くなった夜道を歩いて行った。
高杉が持っていた大きな荷物の中身はお泊り道具ーーというか実家から持ってきた最低限の荷物らしいーーで、もう未練は全くない様子。
みんなでお鍋をつついた後はすぐに眠ってしまった私。うん、忘れてもしょうがないね!
あれ、コイツ結局はどこで寝てたんだろ。首を傾げたが答えはそこにあった。くるっと丸められた毛布が隅っこに落ちている。
「お前ここで寝たの?」
「……ダメだったか」
「んにゃ、そんなことはないよ。けどもしウチにいるんだったら、自分の部屋ぐらいないとなーって」
台所への戸を開き、調理するために材料を取り出す。あ、一人分増やしとかないと。にしても銀時来るの遅いな。米炊くの手伝えよ……ああ、そうだった。一週間手伝いしなくていいって約束したんだったけ。迂闊にした取引を早速後悔した。結構な労働なんだよな……。
作業をしていると後ろから視線を感じた。
「何だよ」
「いや……。………量多くねェか」
「そう? いつも通りだけど」
一食の量が多いから1日の米の消費量はハンパじゃない。大半は私の胃袋に入るから文句も言っていられないのだが。
どことなくぼんやりしている高杉は、手早く米を炊く準備をする私の姿を眺め、そうかと呟いたきり神妙な顔になっている。え、そんなに驚く量?
暇してんなら手伝ってと、まあ素直に聞かないだろうなーと思いながら口にすると、高杉は案外頷いて台所に立つ。
あれこれ指示を出しながら奇妙な感じを覚える。悪い意味じゃないけど、こう……全く懐かなかった野良猫が急に手のひら返しですり寄ってきた感じ? いいけどさ、どうしたの? 血迷ったの? って感じ。高杉が野良猫なんて微塵も思いたくはないが。
つか高杉がここにいるのに違和感。これほどまでに台所で竃に火吹き竹を使う姿が似合わない人もいないだろうね。
そう思うと今度は笑いそうになる。肩が震え、高杉が怪訝そうに見てきた。
「すげェ笑えるんだけどっ……」
「もう手伝わねェ」
「えー悪かったってごめんねー」
「………」
そうこうしているうちに松陽が起きてきた。二人で朝餉を作っている光景に微笑みを浮かべ、穏やかな声で挨拶をした。
「おはようございます。どうしたんですか、朝から笑顔で」
「おはよー。なんかさ、笑えない? 高杉が台所にいるとこ」
一通りの作業は終え、水を沸かしお茶を注ぐ。湯呑みは四つだ。
「今日も銀時と勝負するんだよね。私が立会人になってやろうか」
「いいですね。そうしてあげてください」
断られそうだったのであえて松陽のいる場で言うと、高杉は中途半端に開いた口をぱくぱくさせる。ふはは、先手を取ってやったぜ。絶対嫌だとか言われると思った。
だって興味があるんだよ。色々吹っ切れたようだしなんだかいい勝負が見られそうだ。それに高杉の今後を左右する大事な機会を目の前で鑑賞したい。勝ったら認めてやるつもりなので是非とも彼には頑張ってもらいたいね。
ずずっとお茶を啜ると立ち上がって二度寝しているであろう銀時の布団を剥ぎに行く。
居間を抜け数歩歩いたところで思い至ったことがあったから、逆戻りして言ってやる。
「そうだ、大事なこと言うの忘れてた」
「……何だよ」
「ソレ片付けときな。あとで掃除も手伝え」
輪っかになった毛布を指差して命令を下し襖を閉めた。その奥で、
「腹立つなアイツ」
「我が家の実権ほぼ握ってますからね……。本当に逞しく育ってくれました」
こんな会話がされていたとは知らなかった。
スパァン‼︎ と勢いよく戸を開けた。コイツを起こすのは本日2回目。ポカポカと暖かな日差しが部屋の中に充満し、なんとも寝心地の良さそうな空間であった。直射日光じゃないし、長く居たら私もウトウトしてしまいそうだ。
丸まった布団のてっぺんから真っ白な髪がはみ出していた。それ以外はなにも見えないので変な生き物みたい。
「起きろ銀時」
布団を掴み引き剥がすと畳の上に転がる銀時。これで目が覚めたと思いきや、ゴロゴロゴロゴロ回り、今度は敷布団にくるまり出した。そうしてまで寝たいとか……起こしたくなる。というか絶対ェ起こす。
白い大きなダンゴムシの殻に手をかけると僅かな抵抗を感じた。是が非でも動かないつもり? 力じゃ敵わないくせに……
ふんっと腕を上げ、無様に落ちた銀時は魚が死んだような目で私を睨む。起こされ方が最悪だったからか2割増しで目つきが酷い。でもね、そんな顔されるとさらに嫌がらせしたくなっちゃう。
「おはよう。最高な朝だね」
「どこが最高だよ……」
「毎朝起こしに来てくれる可愛い女の子がいる。ほら、その通りじゃない?」
にっこり笑顔で言うと、神様ーもっとお淑やかで優しい女の子をくださーい、なんてふざけた事をぬかしやがるから枕で叩いた。
「あでっ」
「起きろっつーの。でないと布団干せないし」
「あー、天気いいなァ……。干したらあったけェよな」
「そうだよ。ついでにきっと寝心地も良いよ」
ならしょうがねェやとたっぷり時間をとって起き上がる。相変わらず……いや寝起きでフワフワを通り越して爆発している頭をぽりぽり搔く。
「あ、そうそう。銀時、間違っても派手に役人に手ェ出したりしないよな?」
銀時はピタリと動きを止め、静かな目で何故と問うてくる。
「何やろうとしてんのか知らないけど、松陽に迷惑をかけるのはやめよう。もしお前がやらかしたら此処には居れなくなるんだよ」
「なら放っておくのか? 本当に役人が動くんなら……」
「だから平和に終わらせるの」
ニヤリと口角を上げる。
松陽もこの寺子屋を取り巻く悪い噂を知っている。いずれ潰されることになることを承知の上で、あえてこれまで手を出さなかった。松陽が役人と問題を起こせば、噂の真偽はどうあれ強制的に去らなければならないから。
「地味に仕掛けようと思う。高杉と桂も巻き込んで」
「……ホントにそれで解決すんのか?」
「なんとかなるだろ」
「んでそんなに自信あんだよ」
銀時は居間へと向かっていくと、高杉に会ったようで騒がしくなる。自然と顔が綻んだ自分。
あーあ、私も随分と甘くなったもんだな。昔は嫌だったのに、今ではすっかりあの賑やかさを気に入っている。
ずっとにんまりしてるのも気持ち悪いのでさっさと布団を干すことにする。私と松陽の分、あと予備の布団もやっとこうかね。
背は足りなかったが、無駄にある腕力を使って布団を干してしまうと、きらりと輝く太陽を見上げた。
この町は今までで一番住み心地がいい。まあ次に越したところが悪い所とは限らないので言い切れないが、離れがたいのも確かだ。つーか引越しの準備が面倒だから、なるべく此処にいたい。松陽の手間を増やしたくないし。
あとまぁ、農家の人がくれる食料がありがたいので。いただいたご飯の恩は忘れません。
「さて、どーすっかねェ……」
ーーー
お嬢様学校と呼ばれる寺子屋をサボり、私は道場にいた。松陽の許可はもぎ取ったので大丈夫。最近は行かないことのほうが多かったからこのまま自然消滅してくれると嬉しいです。もう舞も琴もうんざりだ。
真上に手を伸ばした私の視界には道場着を着た二人が映る。ほんの少しだけ眉と目の間が狭まった銀時と違い、高杉の表情には緊張と闘志が見て取れる。まあそうだな、負けたらどっか行けって約束だったしね。高杉にとっちゃまさに負けられない戦いなんだろう。
「ではーー始めッ」
二人は一斉に竹刀で打ち合う。近づき、叩く、弾く、振るう、避ける、離れる。ちょっぴり銀時が優勢なのも、松陽がそっと見守っているのも変わらない。ただいつもと違うのは、立会人が私なこと。あとは桂がおにぎりを握ってるのもか。あいつ特待生だったよね、サボっていいんか。昼餉作ってくれんのは助かるけど。
門下生のガキどもは囲うようにして試合の行く末を目に焼き付けていた。高杉が静かな気合を吐く。銀時も剣先が揺らぐことはない。どちらにも迷いはなかった。
決着はつくのか、また銀時が勝つのか……高杉が負けたら、所詮はその程度ってことだ。情けをかけようとは微塵も思わないし、あいつにとっても屈辱だろう。
激しくなる攻防は終わりを迎えた。力強い突きが銀時の肩を打ったのだ。見張っていた私でさえ速くて捉えることはできなかった。真正面にいた銀時が、竹刀の先端を捉えていたかは怪しい。つまり正真正銘の高杉の勝ちである。
「一本……」
告げる声は、ガキどもの歓声で掻き消された。
「すっげー! あの銀時に勝っちゃうなんて!」
「次雪子ねーちゃんと戦ってみろよ!!」
「やったな! よく頑張ったよお前!」
一気にヒーロー扱いされる高杉は、なっと言葉を詰まらせた。
「なれなれしくすんじゃねェ! 俺とお前らは同門か!?」
「アラ、そうだったんですか? てっきりもうウチに入ったと思ってました。だって誰より熱心に毎日稽古に……いや道場破りにきてたから」
ニコニコ笑顔の松陽のお陰で、高杉はガキどもの輪に打ち解けていた。いじられる耐性がないのかちと顔が赤い。これは好機とばかりに私も口を開こうとするが、銀時がビシッと指差しする。
「何アットホームな雰囲気に包まれてんだ! そいつ道場破り! 道場破られてんの! 俺の
「どこでそんな言葉覚えてんだよ。つーか銀時、負けたんだから認めな? みっともない」
「そうだぞ。武士たるもの、恥は受け止めなければならぬ」
「うるせェェェ!! 桂もしれっと混じってんじゃねーよ! オメーの手、米粒ついてるんだけど! 俺になすりつけようとすんじゃねェ!!」
笑い声で溢れる道場内で、高杉は周りを見渡す。ふっと口元を綻ばせると高杉も笑った。お前誰? と言いたくなるぐらい普通の子供のように。
「はぁー、高杉が勝ったし、一緒に住むことになるのかー」
「おや。そんな事を決めていたんですね」
「松陽は気にしないと思って」
「ええ。私も嬉しいですから」
そうでしょうね、声色が弾んでるもんね。まあ昨日ウチに泊まった時点で察していたんだろう。
しみじみと喜びを噛みしめる高杉に近づき、にっこり笑う。
「お疲れー、すごかったねー見直しちゃったー」
「棒読みすんな。嘘だろ」
「まっさかー。信じてくれないとかひっどーい」
私は大袈裟に悲しんでみせ、次の瞬間にはころっとした顔になる。
「けどま、よろしくね。下僕2号君」
「勝手に決めんな。オメーには一人で十分だろ」
「それ俺のこと? 1号俺なの?」
「ウチで何もしないで暮らそうなんて甘いよ。どっかの馬鹿天パよりも使えないとか笑い者だからな?」
「確実に俺のこと言ってんだろーが」
「使われんのは癪だが、腐れ天パよりも劣るのは気に入らねェ」
「無視してんじゃねーぞコラァ!」
笑顔が絶えず、みんなが幸せそうで。暖かな松下村塾が私の居場所だった。バカやってるこいつらもそうだし、拾ってくれた松陽も。
私は松下村塾が大事なんだ。
だから、壊すやつらは許さない。
ーーー
「すみません、
空が赤みがかる前の頃合い、奉行所の門前に並ぶ四人の童に役人たちは目を剥いた。銀髪の銀時のおかげで私たちが何者かわかったらしい。
「童ども、そこで何をしている。 松下村塾とやらを無くすのは決定事項だ。貴様らが今更喚いたところでもう遅い」
「それは何故決定されたのですか? 正当な理由を言っていただかないと納得できません」
「理由だと?
おう……三人の殺気がすごいことになってる。何もするなと命令しておいたから良かったものの、なければ飛びかかりそうな勢いだ。けどま、気持ちはわかる。私も腹が立つ。
「ちなみにその情報は一体どこで? まさか人伝なわけがありませんよね。根も葉もない噂を信じるなんてお役所仕事だと言われてしまいますから。別に私はそう思ってはいませんが」
冷静に言うと押し黙る役人ども。
おいおい、ほっ……誰だっけあのハゲ頭。スゲェ老け顔で将来ハゲそうな顔してたやつ。えーと、ほっ……、ほりかわ? まあいいや、堀川の言葉は本当で、噂を吹き込んだ程度でコイツらは動くらしいな。
呆れたモンだ。確かに、奴隷の受け取り先だと疑われても仕方ない。
「どうしましたか? 黙ったままでは肯定するのと変わりませんよ」
「た、高杉家の御嫡男であられる晋助様を誑かしたのは事実であろう!」
「……だそうですけど。実際は?」
「俺は自分の意思で松下村塾にいる。外野にとやかく言われる筋合いはねェ」
高杉の援護射撃でますます不利になった彼らに、桂は提案した。
「ここはひとつ、松下村塾に来てみては? 貴方がたの目で確かめてくだされば、真偽は明らかとなるでしょう」
「ちょうどいま授業参観をしてるんです。町人の暮らしを直に見れる良い機会ですし。ね?」
と、渋る役人どもを連れて行く。
着いた松下村塾では、男女問わず元気な子供たちが授業を受けていた。教室の後方にはその保護者が優しい顔して見守っている。
「はいはーい、松陽先生! 次あたし当ててー!」
「ずるいぞ! オレが先だ!」
親が見に来ているからか騒がしい。なんだか微笑ましいね。その光景は予想と違ったのか言葉を失う役人どもを嘲笑ってやりたくなった。これのどこがくだらん寺子屋だって?
「現状はご覧になりました通りです。それでもまだ、潰す理由がありますか?」
挙げれるもんなら挙げてみやがれ。
証人はたくさんいる。役人どもは安易に手は出せまい。あいつらは松下村塾への攻撃の動機を失ったのだ。逆に潰しにかかれば町民の反感を買う羽目になる。それに松下村塾に通う生徒の中には奴隷にされかかった子もいるから、その保護者の冷たい視線がすごかった。
結果、役人どもはそそくさと帰った。作戦成功、引っ越しする心配もないというわけだ。やったね!
「雪子、ありがとうございました。これでようやくあられもない噂も無くなるでしょう」
「ううん、好きにやっただけだから」
実は銀時とか高杉とかが殴り込みに行くんじゃなかろうかって思ってたんだけど。
言えば図星だったようで二人とも口を閉ざした。うん、お前たち馬鹿。ほんとに馬鹿。
すっかり陽は暮れた。暖かなご飯を食べながら、ふとなんでかこの場にいる桂に目を向ける。
「あれ、桂も巻き込んじゃったけど、よかったの? もう手遅れだけどさ」
「ああ。丁度くだらんゆとり教育にはうんざりしていたからな。それに俺が
「ふぅん。それってコレ?」
ニヤリと笑い行儀悪く箸で高杉を指した。嫌そうな顔をしたのは桂と高杉。なんだ、素直じゃないやつ。
「おかしな事を言うな。俺は先生の元でなら武士とは何たるかを学べると思った。だから松下村塾に通う。……いいですか?」
「ええ、勿論。とっくに私は君も仲間だと思ってましたが」
「先生……!」
感動に打ち震える桂の隙をつき、皿に盛られた魚を掠め取った銀時。の隙をついて肉を奪った高杉。の隙を見て白米を食べる私。
一連の行動に松陽は面白そうに笑った。
なんてことない平和な日常だ。ただ、それが変わらずあることがなによりも嬉しかった。
失いたくなかった。
これでひと段落つきました。
物語の転機が訪れるまで、それぞれの話をちょこちょこ投稿していきたいと思います。