「アッハッハッハ」
「んははっ」
「ぐははははは!」
哄笑が夜の国に響き渡る。三者三様の高笑いは、悪魔か地獄の鬼がやって来たと勘違いするほどに禍々しい。
夜兎の本能を忠実に受け継ぐ三人の闘いは、他を凌駕する次元に突入していた。
阿伏兎と云業は彼らのケンカに割り込む隙がないと判断し、遠くに避難している。無理やり間に入ろうものなら、命が吹き飛ぶのは確実だった。誰も自らミンチになりたくはない。そう言い聞かせている。
「上の爺さん連中によォ。鳳仙の旦那との商談に行ったら国が滅んだって言えば、どうなるだろうなぁ」
「そりゃあオメー……しくじった俺たちゃトカゲの尻尾切りよろしく消されるだろうよ。使えねェ駒はいらねーんだから」
「だよなぁ」
二人はそんなことを言い合いながら、よっこらせと屋根瓦に腰掛けた。もはや自分達が対処できる領域ではなくなったので、のんびり観戦することにしたのだ。
「あの乱入者、思ったより若けェぞ」
「てこたぁ不法入国者のガキ世代か。団長が気に入って第七師団に入れるって言い出したらどうしよう」
「いーや。あれは殺したがってる面だ。そうはならんさ。……引き抜きとなったら今度は幕府中央暗部とも対立するし、ならん、だろう。多分」
阿伏兎が言い淀み、云業も微妙な顔を浮かべている。面倒なことになったな、という感じだった。あの団長が珍しくついてくると言った時点で怪しんではいたが、こうなるなんて。
そこから見渡せる景色は圧巻の一言だ。朱に染まった街並みを高みから見下ろせば、夜を照らす赤提灯が無数の輝きを放ち、さながら地獄の業火にも見える。
となると、天上の戦いによる被害に戸惑い逃げ惑う人間たちは、罪人といったところか。そして己の欲望に突き動かされる獣たちは獄卒とも言える。
「こんな地獄にゃ、蜘蛛の糸さえ垂れてこないもんかね」
阿伏兎が空を仰ぐ。
極楽浄土を拒むようにパイプ管が無数に重なるだけだった。
「私はこの瞬間のために生きていた!」
雪子は叫んだ。神威の蹴りが頭を直撃し、吹き飛ばされて壁に激突した末の咆哮だった。
ガラガラと崩れ落ちる破片が血塗れの頭に落下する。じくじくと痛みを主張する傷を無視して雪子は立ち上がった。上手く力の入らない片方の肩も腹の出血も、すべてどうでもよかった。
早く戦いに戻りたい。早くあの化け物たちと殺し合いがしたい。早く、早く。そう急いてしまって、周りのことなどまるで目に入らなかった。
「ひっ、ぃ、いやああああ!」
「うわああああ! な、なんだよお前!」
壁を貫通して転がった先は御座敷だった。遊女と客が遊んでいたところに突然外から人が飛んできたので、彼らは動揺し悲鳴を上げている。
しかし雪子は外野に微塵も関心がなかった。叫び声も耳には届いていない。
すぐに駆け出し、自分が激突した穴から外に出ると、更に上へと跳躍した。
「おい誰か人を呼んでくれ! オレンジ髪の奴に殺された犠牲者がッ」
「上から瓦礫が降ってきて危険だ! みんな外に出るな! 建物の下に隠れるんだ!!」
激化する夜兎同士の戦いの影響を受けて、人間たちは戦々恐々としていた。軒下に身を隠し、恐る恐る天を見上げ、怯えている。
それすらもやはり雪子は認識していなかった。早々に屋根にたどり着くと、全力疾走して戦闘に舞い戻るのである。
「よくも蹴飛ばしてくれたなてめェ」
「避けられない方が悪いんだよ。それに、そっちの方が良かったでしょ?」
目線を合わせれば神威にそう問われ、雪子はくっと口角を上げた。
ああ、本当にこの男の思考回路は私とよく合う。
この戦いにおいては、攻撃を躱すよりも食らう方が望ましい。それは自分が避けられないほど相手が強いことの証明になる。敵わないかもしれない相手と本気で戦うことの、なんと甘美なことか。
「ああ、最高だよ!」
雪子が高らかに返事をした。ギラギラと血走った瞳が、運命の相手を映し出す。
神威もまた笑っていた。心の底から楽しそうに、その頬を返り血に染めて、いつまでも。
この戦いに臨む前、雪子はなるべく傷を負わないことを目標にしていた。自分を大切に思ってくれる彼らとの約束を守りたかったからだ。
しかし鳳仙と神威の戦闘に乱入し、神威と目が合ったあの瞬間。
『───』
『───』
大事にしたい約束も、不安にさせたくないという責任感も、あれだけ時間をかけて集めた情報も、全部が泡沫に消えた。
雪子の魂が叫んでいた。この男はとんでもなく強い。自分はこの男に殺される。お前は死ぬ。さっさと子どもを作れと遺伝子が判断していた。
同時に、この男が運命の相手だと本能が告げていた。番うべきだと叫んでいた。
飼い慣らしたはずの夜兎の本能が、心臓を突き破る勢いで主張してくる。
そして雪子はそれに抗わなかった。魂が求めるままに、闘争本能に飲まれていったのである。
「宇宙にはまだこんな奴がいたのか。しらなかったよ、もっと宇宙旅行しとくべきだった」
「それはこっちの台詞だよ。地球にもいたんだね、俺と同じ奴が……さ!」
神威との戦いに没入しながらも、雪子は過去の記憶を思い返していた。
彼女は今まで色んな強敵と戦ってきた。種族を問わず、心が望むまま好奇心に従ってきた。それらの中でも指折りの強者たちを思い出す。
虚との戦闘は、大事な人を護るための苦しい戦いだった。かの存在は生物として圧倒的で、独りでは到底太刀打ちできない相手だった。絶望さえした。
星海坊主と戦った。楽しかった。心地の良い高揚感に包まれた。自由奔放に、かつ冷静沈着にどちらが強いかを一方的に競った。最後はしょうもない幕切れだったが……。
「ふっ!」
「はッ」
しかし、神威はそのどれもと種類が違った。
この男を相手している間は、愉楽が無限に溢れて止まらない。意識が冴え渡り、心も常に上を向く。最高のラインが更新され続ける万能感に脳味噌が支配されている。
それを感じているのは雪子だけではない。神威もまた、自身がメキメキと成長しているのを感じていた。
だから二人は止まらない。命ある限り、鼓動を刻む限り、拳を握り締め、大地を蹴るのである。
立ち止まることを互いが許さなかった。
そして立ち止まるという選択肢は、互いの胸には存在しなかった。
「まさに蹂躙、だな」
神威と雪子の攻防を見ていた阿伏兎が呟く。
二人の戦い方はある意味で破滅的だった。どちらも周りへの被害を考えないので甚大な影響が出ている。
神威は戦いの最中でも邪魔だと感じた人間をついでのように殺していくし、雪子も屋根瓦を平気で壊して投擲している。どちらも気軽に相手を投げ飛ばすので、あちらこちらの建物に二人が激突した穴が空いていた。
逃げ惑う人間たちと戦い続ける夜兎たち。それはこの国を食い尽くす天人の構造にも似ている。
どうやっても止められないし、終わる気配もない。どうしたものか。
「あっ」
半ば諦めの胸中でいたが、ある時に阿伏兎は突発的に声を上げた。
二人だけの戦いに酔う彼らのもとへ、夜王の影が差していた。暴力的な圧が解き放たれる。
「これ以上わしの吉原を壊そうというのであれば───この夜王、真の姿を見せようぞ」
前にもあった構図だ。互いに夢中になっている二人に、鳳仙が一撃を与えていた時と同じ。
しかも今度の攻撃は威力が桁違いだ。致命傷になり得る。いよいよ我が身を捧げて団長をお助けする場面か、と観客席の二人が慌てて立ち上がった。
直撃を確信した鳳仙の笑みが深まり、叫ぶ。
「潰えろッ」
だが、阿伏兎と云業が駆け寄るより早く。
鳳仙の振り下ろした拳が二人を叩き潰すより早く。
「!」
神威の拳が鳳仙の顔を殴り抜き、雪子の蹴りが胴体を振り払っていた。二人分の攻撃を直に食らった屈強な肉体が、衝撃を受け止めきれず遊屋の壁にぶち当たった。
巻き上がる粉塵の奥で鳳仙が忌々しげに顔を歪める。ゆらり、と巨体を起き上がらせ、不届き者たちへ一歩一歩近づいていく。
神威と雪子は言葉を交わすことなくその場に降り立った。カツ、と屋根瓦を踏んだ音が響く。
先に口を開いたのは神威だった。
「真の姿? 馬鹿馬鹿しい。昔のあんたはもういない。今目の前にいるのは、大事な玩具に囚われて本能さえ干からびたただの老人だ」
最初の鳳仙との戦い、そして雪子が乱入してからの激戦を経て、神威の呆れは確信に至っている。
吉原に長く閉じこもったせいで、鳳仙は種族として致命的なまでに渇いてしまった。そしてそれを癒す手段も血と戦いではなくなっている。
もはや夜兎としての矜持すら彼の中には残っていないと判断していた。
興醒めだった。失望した。
「あんたは殺すにも値しない」
神威は恐ろしく冷たい目をしていた。
隣に立ち並ぶ雪子も、先ほどまでの興奮が消えた面持ちで言葉を発する。
「鳳仙。昔のあなたには飢えがあった。もっと強く、猛々しかった。だがとっくに全盛期を通り過ぎた。……お前の時代はもう終わったんだよ」
まさに夜兎として全盛期を迎えている神威と戦ったから、雪子にはよくわかる。
鳳仙の中にはそれらがない。老衰し、あとは死を待つだけの枯れ木のように感じられた。
それくらい夜兎の本能が枯れるというのは、"生"を引き剥がされるのと同義だった。
たった今運命の相手と激突したことで、より落差を感じるようになっていたのである。
「───……」
「!」
だが、若造二人にこれだけ舐めた口を利かれて、夜王の怒りは天まで届く。
鳳仙のまとう雰囲気が数段階重苦しくなった。殺意と憤怒がドス黒くなって解き放たれる。並の人間であれば失神するほどの威圧感だ。
しかし直接それらを間近で浴びた二人は、とっても嬉しそうに笑うのである。ようやく夜王の本気が見れるのかと、戦いたくてウズウズするのだ。
どこまでいっても闘争本能に魅入られた同族共だった。
「よかろう。……渇き、飢えたケモノが牙を失ったかどうか、その身でとくと味わえ!!」
鳳仙が唸り、握り拳を作る。喜色満面の神威と雪子が迎撃の構えをとった。全員が最大限の殺意をその身に宿していく。
この一瞬で全てが決まる。そんな予感に阿伏兎は緊張した。
そしてその瞬間はすぐに訪れた。
「、」
鳳仙の一撃を受ける寸前、二人の笑顔がフッと消える。四つの眼が捉えたのは、夜王の器に僅かに残る絞り滓、あまりに弱々しい火種だった。
その意味を理解して、彼らが鳳仙を狙う理由がついに消えた。
神威が攻撃の矛先を変える。雪子に向けて鋭い手刀を繰り出した。同時に雪子も蹴りを繰り出そうとし、しかし神威の一手を躱すべく上半身をひねる。
直撃を避けたが───運悪くナイフの如き鋭さの指先が、雪子の胸元をビッと裂いた。
「あ」
雪子が気の抜けた声を上げるが、時すでに遅し。
ざっくり横一線に切られた筋肉スーツから、豊かな乳房が生まれたままの姿でポロリしたのである。
「!」
「え!?」
「女ぁ!?」
ギョッと男たちが目を開く。男だと思っていた奴の胸元からおっぱいが飛び出してきたので、心の底から驚いた。
予想外の事態に神威の反応が遅れる。至近距離で突然飛び出したおっぱいに気を取られ、身体が硬直し思考の隙間も生まれない。腕を伸ばし切った体勢のまま、慣性に従って身体が引っ張られた。
「わぷっ」
そのまま顔から雪子のおっぱいに突っ込んだ。温かくて柔らかいものに包まれたのは一瞬で、
「エロガキ」
女の声に戻った雪子が一言吐き捨てると、神威はすぐに物凄い力で遠くに投げ飛ばされる。
瓦屋根に全身を打ち付けながら転がり、ようやく回転が止まったのは背中が壁に激突してからだった。頭が下側にあって、両足がブランと上に伸びている。カエルがひっくり返ったみたいな姿勢だった。ようやく目を開けた神威の視界は上下逆さである。
屋根の端に立つ雪子は剥き出しになった胸元を片手で隠していた。そしてもう片方の手でカツラをむしり取る。乱暴に頭をブンブン回せば地毛が風に揺れた。
神威の目線に気づき、素の声を張り上げる。
「仕切り直しだ! おっぱい丸出しじゃ戦いづれェわ。あとでな、神威」
それだけ言って屋根から飛び降り、闇に姿を消してしまう。引き止める余裕もなかった。実にあっさりした別れだった。
鳳仙はそれらを見届けると、何も言わずにはだけていた着物を正し遊屋に戻っていく。
夜王の座を賭けた戦いは呆気なく幕切れを迎えたのである。
「あいつ、女の人だったんだ」
ひっくり返ったまま神威が言う。阿伏兎と云業が慌てた様子で駆け寄ってくるのを見ながら、疑問を口に出した。
「俺の名前、どこで知ったんだろ」
こちらは名乗っていないのに。相手の名前も知らないのに。彼女に名前を呼ばれた。名指しで「あとで」と言われた。
つまり戦いはまだ終わっていないということだ。
胸がざわつく。好奇心が疼く。加害心が湧き上がっていく。早く殺し合いたいという本能と……これは、安堵? どうして。運命の相手が男ではなく女だったから?
「ま、いっか!」
上機嫌になって、神威はよっと身を起こして笑顔を浮かべる。
鳳仙と戦うのを期待してここまで来たが、それよりももっと良い獲物に出逢えた。
仕切り直しか。今度はちゃんと女の人の姿で来るだろうか。本当の君に出逢えるだろうか。
待ち遠しいな。早く来ないかな。もっと君のことがしりたい。そんなメルヘンチックなことを考えながら、血塗れの腕をペロリと舐めた。
ついに100話目を迎えました。特別回とかは特にありません。
引き続き拙作を楽しんでいただけると嬉しいです。