「あいつの嫌いなモンってなんだ」
それはジメジメとした梅雨のある日、銀時が呟いた言葉だった。雨戸で閉められた外は昼間だというのに曇天が垂れ込め雷鳴がピシャリと轟く。ザアアと激しい雨が降っていて、雪子が洗濯物を存分に干せないとぷりぷりしていたのを思い出す。
そんな悪天候では誰も外に出たがらず、居間でくつろいでいた。桂は教本をパタンと閉じると尋ねる。
「あいつとは雪子のことか?」
「それ以外に誰がいるっつーんだよ」
「……どうして急に」
いや、理由はすぐに思い当たる。どうせいつも振り回されてばかりだからやり返したいとかそんなだろう。同じ結論に至った高杉は大きなため息を吐いた。
「やめておけ。倍にして返されるのがオチだ」
「えっ何心配してんのキモ」
「バカ言うな。とばっちりがこっちに来るんだよ」
だいたい雪子がターゲットにするのは銀時か高杉で、理不尽な連帯責任を取らされたことはたくさんある。嫌な経験ゆえに彼が慎重になるのも仕方のないことだった。
ちなみに密かにお気に入りらしい桂にはさほど嫌がらせはしない。自分本位な女である。
「じゃ、なに? このままアイツのいいように使われるって? 俺ァごめんだね」
パシリというか下僕のような扱いを受けたことのある銀時の執念は凄く、一度くらいは発散させてやるべきか……と桂は思う。
無論弱味を握るなど武士としては恥ずべき行為と認識するが、雪子の態度が大きいのもよくない。子どもの頃にお灸を据えておくことも大事な教育では。そんな考えがあったため協力する羽目になった。
高杉もくだらねェと一蹴していたが雪子の苦手なものには興味があるらしい。なんだかんだでその計画に乗ってしまった。
「はい、それではこれより雪子の弱味を見つけ隊を結成しまーす。班長は俺、副班長はヅラ、班員兼パシリは高杉な」
「おい」
がしりと肩を掴まれて銀時は眉根を寄せる。
「なんだよ」
「班員……は、まぁいい。それよりもパシリってなんだ」
「うわオメー知らねェの? 隠されし役目を持った秘められた人員だよ。お前そういうの好きそうじゃん? だから譲ってやったのに何その態度? ないわー」
「丸め込まれるか! だいたい、パシリにそんな意味があるか。どんだけ隠されてんだよ」
「まったく貴様らは……立場を争ってどうする。揉めるのは良くない。こうなったら班長は俺で」
「なんでオメーが出てくんだよ。ここは班長を決めるリーダーを決めよう」
「では班長を決めるリーダーを決める班長を話し合うべきだ」
「なら班長を決めるリーダーを決める班長を決めるリーダーが班長でリーダー……アレ? わかんなくなってきた」
「一生やってろバカどもが」
ここで時間を使ってもしょうがない。高杉の提案で全員が班長となりなんとか会議は始まった。しかしある程度意見を出し尽くしたところで話し合いは停滞する。
予想はしていたが、雪子は基本的になんでも受け入れるタイプだった。
「定番の虫……は大丈夫だったな。普通に触れるし、つかわざわざ俺達が集めたくないし」
「この前ゴキ……奴が出た時も、先生に汚らわしいものを見せたくないからと一撃で潰していたからな」
「まぁ先生がいないときは俺達に押し付けるが」
以前も塾のクソガキが見ろよ! と意気揚々とおぞましい外形の虫を見せつけたことがあったが、雪子は淡々として言い放った。
うん。で?
同様に蛙やヘビも臆することなく触っていた。大量の虫を前にしてどうなるかは気になるが、自分達が集めなければならないことを考慮すると意見を下げざるを得ない。
「なら霊の類はどうだろうか。そういったものも女子は怯えるものだろう?」
「雪子が俺に仕掛けてきたとっておきの話、聞く?」
「……いいや。やめておこう……」
銀時がお化けを苦手とするのは知っているし、その原因を作り出したのは雪子と聞いていたが聞き出したところで嫌な予感しかしないので、桂は大人しく撤廃した。というか銀時の表情が完全に死んでいる。本当に何があった。
「だいたいの人にも我を突き通すか猫被るかして生きてるしな……寺子屋の女の先生とかは嫌ってたけど、遠くに引っ越しちまってもう会えるかわかんねーし」
あれ? もう手詰まりなんじゃね?
そもそもほかの人間に頼ってしまっている時点で負けを認めているようなものだ。いつのまにか彼らの中で、いかにして雪子が苦手にしているものを探し出すかが重要になっていた。
それも雪子が泣き出すぐらい本気で苦手なものがいい、とはとある班長の本音だ。
いつも飄々として余裕のある笑みばかり浮かべている彼女の年相応な怯えだって見てみたいではないか。
ひとまず第一回の会議は結論が出ないまま終了となった。しかし彼らは諦めない。すぐに第二回の日程が組まれつつあることは誰しもが感じていた。
そして第五回目の会議は雪子を尾行しながら行われている。底をつきそうな食料を調達しに出かけた雪子は、朝から姿の見えないパシリ三人に帰って来たら絶対こき使うと誓った。
そうとは知らずにコソコソ追いかける三人は、見晴らしのいい河川敷を歩く影から離れて尾行している。
「あれ? 雪子ってあんな髪型してたっけ」
銀時が指摘すると、桂はなに? と身を乗り出した。そしてきっちり結われた艶やかな髪に、そういうことか……とこの前の奇行に納得した。
「何がそういうことって?」
「いや、こっちの話だ。あいつも女子だしな」
「は?」
「というか銀時、お前そんなところによく気づいたな。言われるまでまったく気づかなかった」
「あっ。べべべ別に違げーから! そういうアレじゃねーから!」
「お前………」
高杉がすっと表情を消したようだが、銀時が全力で首を振るので元に戻る。よくわからずに不可解そうな顔をした桂は、やがて項垂れた。
「いくら思いつかないからって……ああ、どうして俺は協力するなんて言ってしまったのか」
「もう後悔したって遅いぞ。ヅラも立派な共犯だ。せいぜい雪子に尾行したことがバレねェよう怯えて暮らすこった」
「謀ったな貴様!」
「なぁ。あれァ……」
高杉の声に二人はばっと視線をそちらに向ける。遠くでゴマ粒のように小さな雪子と対峙するゴマ粒集団がいた。頭部が肌色で棒状のものを持っている。
「あいつらまだ狙ってんのか……」
呆れた呟きは誰のものだったか。
はっきりわかるのは、その時の三人の気持ちは珍しく一緒だったということ。
会話が聞き取れ、かつ雪子に見つからない限界まで近づくと三人は耳を澄ませた。
「またお前らなの? いい加減相手にもならないし飽きたんだけど。付き纏うのやめてくれる? それとも私が好きなの? ん?」
「んなわけねェだろうが! 雪子、今日という今日こそはぎゃふんと言わせてやる!」
「ふぅん……じゃあ、ぎゃふん」
「今言う!? しかもめちゃくちゃいい笑顔で言いやがって! そういうところがムカつくんだよ!」
地団駄を踏んだ堀田が木刀を構えると取り巻き達もそれに倣う。雪子は肩を回して筋肉をほぐすと挑発的に笑んだ。子ども達の小競り合いの結果は言うまでなく。
「じゃーな、クソガキ」
ひらひらと手を振って雪子は去る。
その後ろ姿を忌々しげに睨む堀田は至る所に殴られた跡があった。容赦なくサンドバッグにされるのはいつものことで、チクショウと悪態を吐くのもいつものことだ。
「くそ……いつまでも自分が勝てると思ってんじゃねェぞ」
取り巻きも帰ってぽつりと一人歩く堀田の肩を、何者かが叩いた。振り向くとニヤケ顔をした銀時がいたため堀田は顔を歪める。
「離せ! 一体なんの用だ」
「ププ、痛そうだねェ堀川くん。どうしたのかなァ、後悔させてやるとか言っといて着々と連敗記録伸ばしていってるけど?」
「誰が堀川だ! 堀田だ、いい加減覚えろ!」
噛み付くように言い返した。彼らの仲は決して良いとは言えないが、たまに会話することがあった。
銀時の後ろから高杉と桂も姿を現し、一層しかめっ面をする。
「貴様……よくも我が妹との婚姻を……」
「いいや、ここは喜ぶべきだぞ堀田。考えてもみろ、こんな男の嫁にされては誰も幸せになれないだろう」
「おい」
桂の言葉に、確かにと堀田は一応納得したように見せた。しかし彼らは知らない。堀田の妹が実は高杉に惚れていたことなど。一目惚れに過ぎないが、それでも婚姻を破棄されたとあって泣いていたことを。
そんな裏事情があったと知らぬ少年三人は、それよりもと話を繰り出す。
「今回に限ってだけ、協力しねェか?」
「はあ?」
「雪子が嫌がることを探してんだ」
話を聞き終えた堀田は、とても興味を示したにも関わらず了承はしなかった。
「俺は俺の力であやつを苦しめると決めた。貴様らに手を借りるなど絶対にありえない。わかったら二度と俺の前に現れるな」
そして堀田も河川敷を歩いていった。
つるんとした頭部を見つめながら、銀時は不思議そうに首を傾げる。
「なんで断るのかね。あんな感じじゃ、まるで気になる女子に絡むいじめっ子みたいだぜ」
「………まさかな」
「ん? どうした高杉」
「いや。………そろそろ帰るぞ。午後から雨が降るらしい」
湯呑みを片手に松陽が言っていたのだ。
雪子は赤い傘を持っていたし、大丈夫だろう。もとより素直に迎えに行こうかなんて言い出すやつらじゃなかった。
「そうだな。じゃ、けーるか」
結論から言うと、全く大丈夫ではなかった。
横から叩きつけるような大雨に雪子は辟易としている。思う存分食料を調達し大八車に乗せて帰ってきたはいいものの、雨が降りそうで避難したら雨が降ってきた。なんてことだ。
「うわー、最悪」
台風でも近づいてきているのか。普段と比べ物にならない大降りの雨で、こんな日に出かけてしまったことを後悔する。
不幸中の幸い、人に忘れられたような寂しい寺に雨宿りできた。しかし頼りない木造建築だ。雨漏りはするしカビ臭いし、虫は湧いている。
食料に被害が出ないようにしっかり見張りつつ、果たして今日中に帰れるか不安になってきた。
「うおっ」
そのうちゴロゴロピシャリと雷鳴が響いた。
今日中に帰ることは諦めた雪子は、どうやって一晩過ごすかを考え出す。
蝋燭もないのだし、すでに薄暗いこの状態で手一杯だ。これ以上視界が暗くなれば寝てやろうか。この前本で読んだ知識を役立ててやろうか。
動く気を無くした雪子は、そういえば家に食料ないけど松陽は腹を空かせていないだろうかと、そこだけが気になった。
「おやおや、これでは雪子は今日中に帰ってこられないかもしれませんね」
「えっ」
松下村塾で、雨戸に体当たりするようなどしゃ降りの雨に、松陽はそう予測する。事実雪子も帰る気を無くしていた。
慌てたのは銀時達だ。
彼女が帰ってこないと困る。
「晩飯も朝飯もないじゃん!」
台所はもぬけの殻。ご近所さんにお裾分けをもらえないだろうか、と真剣に思う。
「あら、迎えに行ってあげないんですか?」
「えー……だってこの天気だぜ?」
「雪子、一人で寂しがっているかもしれませんよ」
「あいつが? はは、絶対にないだろ」
「どうでしょう、雪子はそういうことを口にする子ではありませんから」
とはいえ松陽もそこまで心配していなかった。
本から得た知識と旅に出た経験から雪子は逞しく成長している。一日どころか数日野宿してもしぶとく生きるだろう。
こちらも食料も漬物とかがあるのだし凌げる。まぁ食べ盛りの子ども達は耐えられないだろうが。
「今は夕方にもなっていませんし、まだ間に合いますよ」
「先生は行ってあげないんですか?」
桂の質問に松陽は眉を下げて微笑む。
「行きたいのは山々なんですが、ウチの屋根の瓦が吹き飛ばされて雨漏りが……修理するには大人の私がするしかないでしょう」
確かにそう言われてしまえば何も言えなくなる。
悪天候に違いはないが、まだギリギリ間に合いそうな時間帯だ。それでも微妙な顔をする彼らに、なんでもお見通しな松陽はさらに付け加えた。
「そうそう、雪子って実は雷が苦手なんですよ。知らなかったでしょう?」
「何?」
「ですが、そんな素振りは見たこともないです」
「そうでしょうねぇ、賑やかな君達がいるから怖くないんだと思います。けれど今頃………」
雷が鳴るたびにびくっと体を震わせる雪子を想像し、顔を見合わせて三人はようやく動き出した。傘が三色並び、大雨に降られながら進んでいく背中を温かな微笑みを浮かべて見送る。
「さて。帰ってきた子達のために用意しなくちゃね」
まずは玄関に手ぬぐいを置くことから始めようか。
おおよその道のりはわかっていたので、足元を濡らしながら三人は寺に向かった。そこにはやはり雪子がいて、どうしてと目を丸くしている。
高杉は傘をパタンとたたみ、淡々と言う。
「迎えに来た」
「迎えに………そう」
短く言葉を切ると、早口にまくしたてた。
「でもわざわざ来る必要なかったよね。お前らも雨に降られてるし、びしょびしょじゃん。こんだけの食料も濡れるだろうから持って帰れそうにないし。つかほんとになんで来たの?」
雨が降り出す前から雨宿りをしていた雪子と違い、大雨の中歩いて来た三人は髪も着物も濡れてしまっている。
まさか雪子が平気そうな顔で待っているとは知らず、騙された! と三人は心を一つにした。ついでに言い方が気に食わなかったので、銀時はつっけんどんな態度をとる。
「べっつに? どっかの誰かさんが一人じゃ寂しいと思って?」
「ああ、どこぞの天パか」
「ちっげーよ!」
ケラケラ笑うと、少しずつ雨音が遠のいていくような気がした。
「で? これどうするんだよ」
「いいところに気づいた高杉くん。せっかくもらったのに、置いていくなんてもったいないよね」
「うーむ。雨が降り止めばなぁ……」
つーか、と雪子はすうっと目を細める。
「それで、どう。私の嫌いなもの、わかった?」
ぎくっと三人の肩が揺れた。
いつ気づいた、と目線で問われて雪子は呆れたようにため息を吐く。
「あのねぇ、もうちょっと尾行とか気を使ったらどう? バレバレなんだけど」
「それでも俺達を泳がせていたのはどうして……」
「だってお前らが必死になってるところ見たら滑稽で。全員班長って個性的だよな」
「そこまでバレてるし!」
濡れてしっとりした髪をくしゃりとして、怖っ! と銀時は叫んだ。恐ろしい。どこまで見透かされているのかわからないのが怖い。いつだって面白いからと手のひらで転がすこの女の将来が怖い。
「てめーほんっとにいい性格してるぜ」
「え? 優しくてこれ以上なく素晴らしいって? ありがとう銀時」
「もう難聴が始まったんですか? んー?」
言い方にイラっとしたので軽く叩いた。
その後もあれこれ話していると、次第に雨音が小さくなっていき、ついには。
「晴れた……」
からっとした青色が空を包んで暗雲が遠くに押しやられていた。気持ちのいい風が吹き渡り、夏の香りを運んでいる。
よかった、このままだと着物も乾きそうだと安心する桂に、雪子は意地悪な笑みを浮かべた。
「ますます来た意味がなかったね」
「そうでもないぞ?」
はて? と眉を上げたが、次の言葉に面食らった。
「お前がいないと、いただきますも言えないとわかった。やっぱり雪子はウチにいてくれないとな」
このバカどもは手に負えん。
桂が続けると、ああん? と青筋を立てた銀時と高杉が追いかけた。思わず足を止めた雪子を置いて、三人は水溜りをぱしゃんと跳ねながら帰り道を歩く。
「何言っちゃってんの? 雪子が全ての元凶ってぐらい俺達振り回してんじゃん。最悪なんだけど」
「今回ばかりはこのバカに同意だな。余計なちょっかいしか出していないだろう」
「そうだな。だが、それを加味してもちょうどいいバランスで回っていないか? 俺達」
『回ってねーよ!』
彼らは否定するのに必死で、まったく聞こえていなかっただろう。一番後ろにいる雪子が顔を手で覆って呟いていたのを。
「もうやだ……ほんとに弱い」