お家に帰ろう   作:睡眠人間

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ここからシリアス編に入ります。
ほのぼの編の空気は仕事放棄しました。


崩れ去る日常
始まった悪夢


世は攘夷戦争時代。天人襲来によって幕府は開国する道を選び、反発する民衆との溝は深まるばかりであった。

年を経るごとに反乱の気運は高まり、同時に攘夷浪士達が住処とする集落は治安を荒らされ、生きる自由を奪われる。

ここにもまた、搾取され疲弊し、途絶えかけた町があった。

そこに一人の女が現れる。彼女は好戦的な笑顔を隠そうともせず言った。

 

───ここら辺にこわーい荒くれども達が出てくるって聞いたんだけど、何か知ってる?

 

つか、私なんだけどね。

 

 

何度も旅行に行ってきて、危険な事はしないとその身でもって証明してきた。そしてついに一人旅に出てもいいよと許可を賜ったのである。その時の驚喜っぷりは筆舌に尽くしがたい。

 

今まで大人しかったから諦めたと思った?

残念! 好機が巡ってくる、いや引き摺り出すまで静観していただけだ。

今まで大人しくしてた分暴れてやろう。厄介事や面白事を好む性格は変わっちゃいない。むしろ平穏な生活に浸っていた分、拗れてる気がする。

いつだったか松陽に窘められた記憶はあるが、そちらに迷惑はかけないと思うんで見逃していただきたい。

当然、強くなるのに足を止めてはいなかった。それ以上に楽しみたいなーって気持ちが強いだけだ。

 

そんなわけで悪い噂を聞いてはそちらに向かい、喧嘩をする旅に出てばかりいた。これ旅っていうのかな? ま、いいか。

相手がうら若い乙女であるからか、野郎どももすぐに挑発に乗ってくれる。で、倒した後に上着を剥いで背中を確認するという行為を繰り返したことから、男の背中に執着を見せるバカ強え女がいるとか、そんな根も葉もない風評が広がっていた。誰だよそんな嘘広めたの。

 

どれだけ虐げられてきたのか、涙する村人達からうんざりするほどのお礼を言われた。何を持ってっても構わないと告げられ、遠慮なく数日分の食料やら生活用品やらを頂戴する。

そうやって次の目的地へ行って暴れ、現地の人々から金を巻き上げっ……いただくを繰り返して、私の旅は成り立っていた。

 

前、お土産を届けに家に帰ったとき、松陽からどうやってこれだけの金を準備したのか、と質問されたことがあった。

勿論正直に答えたら拳骨の刑に加え、言い過ぎかもしれんが軟禁だってあり得る。そんなことされちゃたまったもんじゃない。

行く先々で仕事させてもらってるよー、なんてテキトーに口にすれば、逆の心配をされたけど。

茶屋の看板娘とかさ、若い女の子が一人でする仕事って普通の事もあるもんだよね?

 

 

数ヶ月前の記憶を引っ張り出していると、目の前を歩く老人がぴたりと止まった。

 

「ここじゃよ、その攘夷浪士がねぐらとしているのは」

「ふぅん、汚ねェ場所だな。身も心も腐りきったブタ野郎にはお似合いだけど」

 

廃墟にも等しい家屋を指差し、場所を教えてくれた町長のお爺さんは顔の皺を深めて心配そうな表情を浮かべた。

 

「ほんとに大丈夫かい? 町の男達でさえ敵わなかったんだよ。君みたいにいたいけな少女が……」

「だいじょぶだいじょぶ。どーせザコだろーし」

 

最後までハラハラしていたが、自分も巻き込まれて怪我をするのはごめんだと来た道を辿っていく。その姿を見送ることもせず、下品な笑い声の漏れる立て付けの悪い戸を蹴り破った。

 

中の野郎どもに仕掛ける前に、漂う酒気に顔を顰めて鼻をつまんだ。

 

「いやだくっさぁい! 何ここォ、汚らしいおっさんどもがうじゃうじゃいるじゃん」

 

信じられないとばかりに瞠目し、床に転がる酒瓶を蹴っ飛ばす。顔面めがけて飛んでったそれを掴むと、野郎はゆらりと立ち上がった。

 

「おうおうお嬢ちゃん、たった一人で何の用だ。まさか俺達を攘夷浪士と知らずに乗り込んできたわけじゃあるめぇよなァ」

「攘夷浪士っつか人生を浪費してるだけだろーが。すっごいねー、家畜小屋に自ら住まい昼間っから酒を浴びるなんて真似、私にはとってもできないや。ほんとにすごいわー」

 

やだこれ、食料も地面に置いてるのかよ。食べかけらしい握り飯を踏んづける。いやね、ご飯に罪はないんだけどね。野郎に食われ穢れてしまったと思うと許せなくて。

 

「んだとクソアマ!」

「その余裕な態度を崩してやろうか!」

 

酒は飲んでも飲まれちゃいないらしい。存外しっかりした手つきで刀を握ると、下卑た視線で四肢を舐め尽くすようにじっくり見る。けっ、気持ち悪りぃ。

 

「最近ご無沙汰なもんで……一発相手してくれよ!」

 

構えると一人が斬りかかってくる。冷静に動きを観察し躱すと頭をグーで殴った。脳が揺さぶられ、ふらふらっと後退するのと入れ替わるように、今度は二人。

 

「なに、3P? R指定つくんでやめてもらっていいですか」

 

軽口を叩きながらこれも避ける。防戦一方の私に、高みの見物をするリーダー格の野郎は嗤う。クルミ程度もない脳みそでこれからどうしてくれようか、なんて考えているのだろう。

 

「さっきまでの気概はどうしたァ?」

 

相手は徒手でしかも女だ。この程度で勝てると決め込み、野郎共は円形に私を囲む。その手には何も握られちゃいない。この二人で終いだと高を括っているのか。腹立つな。

動く度にはらりと舞う着物の裾。覗く白い足にひゅうと悪趣味な口笛。見世物じゃねぇんだぞコラ。ぎろりと鋭い目で睨み、背中に手を回すとくくりつけられていた短刀を抜く。

 

「無駄に傷つけるのはよしてたんだけどさ」

 

囁き、にこりと笑う。距離を詰めて、まず一人。上から叩っ斬る乱暴な軌道をあえて躱さず刃で受け止める。力で押し切れると確信した野郎の顔は、だんだん青くなっていった。

ぴくりとも動かないのだ。細い腕にどれだけの力があるのか、想像もつかないらしい。そこでようやく知ることになる。自分達がいったい何を相手にしているかを。

刃を流すと躊躇いなく喉元を掻っ切る。刃渡りが短いから飛び込むしかなく、野郎の血を浴びてしまう。気持ち悪いと顔を歪め、そいつの長刀を奪った。

防戦からの突然の猛攻。円形が歪に壊れ、野郎どもに動揺が走る。

すぐそばにいた二人目の土手っ腹に刀を突き刺した。崩れ落ちる体を踏み台に飛んで、混乱に見舞われる野郎どもに天誅を下す。なんてね。

加減を誤って死人が出ようと、所詮悪党が天に召されるだけだ。世の平和には必要な犠牲ってことで。

 

いつもの事なんだけど、戦いをしていると気分が高揚してくる。敵を斬ってんのに。どんな人が相手でも、人殺しは人殺しだ。後悔や罪悪感とか負の感情に苛まれるのが普通なんだろう。

しかし私が抱いた感情は、愉しいという、到底常人には理解されない気持ち。殺す行為に対してではない。命を賭けたやり取りに、愉悦を感じるのだ。そんな自分がどうしても悲しかった。

 

やっぱり私は人間として欠落してるんだろうなぁ。

 

もはや習慣となった、背中を見る行動。成果もなくふと自分は何をしてるんだろうって思う。幾度となく探してきたが、ほんとは自分の正体なんてただの人殺しだとわかりきってるのに。その事実だけで私という人間を語るに足りる。

 

痛みに呻く声、真っ赤な血で染まる床と肉塊、噎せ返るような地獄に、ぎりと奥歯を噛み締める。

涙は出てこなかった。

 

 

息のある者は自由に動けないだろうが拘束し、その辺に放置した。記憶に沿って町の入り口へ向かうと、先程先導してくれた老人が立っていた。

血に濡れた格好を一目見て、驚愕と怖れに目を開く。まさか、と声にならない呟きを落とした。

……もしかしたら前みたいに拒否されるかもしれない。ここは町だが、田舎の集落だと変な言い伝えが残っているからだ。たった一人の少女が倒してきたとは信じがたいもので、怪物だ、この村を滅ぼしに来た鬼だと騒ぐのだ。

酷い時なんかは追い出そうと村人総出で襲いかかって来た時あったからね。怖いよねーほんとに。

 

「ああ、娘さんや。その血染めの姿はあまり見たいものではない。……町の者が気を失ってしまうよ」

 

しかしこの人は優しいお爺さんだった。私が何をしてきたのかを悟り、この状態で町に入ればどうなるかを察した。その上で遠回りで自宅へと案内してくれた。

そりゃほいほいと年老いたとはいえ男の家に行くのはどうかと、そういう観念が緩いのかと叱咤されそうだが、この人は信用を置ける。てかお爺さんだからね。枯れてるって。現役かもわからんけど。

心の底からの善人なんだろうなって思った。だってこの姿を見て、明確に怖いと思った上で手を差し伸べたから。

 

町の人に見つからないようにして、お爺さんの家へお邪魔した。

 

「あらお爺さんや。どうしたの」

「お婆さんや。この子を何も言わずに歓迎してはくれんかの」

 

どうも、歓迎してくれませんかね。

至る所が血塗れの中々ショッキングな姿にお婆さんは卒倒した。介抱しながらお爺さんは体を綺麗にしたらと勧めた。その後は町人に、攘夷浪士は何者かによって成敗されたと触れ回るつもりだって。

 

別室で、水を張った桶に手拭いを浸し、体を拭く。乾き始めだったから若干苦戦しながらも血を落とす。ゴシゴシと入念に擦るうち、心に浮かんでくるのはみんなの事。

 

松陽は何て言うのかな。娘のように大切に育て、嫁に出したくないとか、そんな照れる事を笑って口にしてしまうぐらい、家族同然に思ってくれる先生。

あの三バカだって、くだらない事で喧嘩もするけど大切な存在だ。はっきり伝えた事はないけど、この関係を失いたくないと互いが思っていることは何となく理解していた。

松下村塾の平穏な日々。その輪から外れ、ついでに道理からも外れた私を知ってどうするんだろう。何を思うんだろう。

怒る? 嘆く? それとも──

パシャン、勢いよく桶に手を突っ込む。じわりと赤が滲んだ。

 

この事態を望んだのは他でもない私だ、なら後悔するな。止まるな。

そうしないと奪ってきた命を冒涜する事と何ら変わらない。私はもう戻れないのだ。

 

「面白そうだからって首突っ込んだのが間違いだったのかなぁ」

 

じゃあ私が今まで助けた人々の苦しみは? あのままずっと耐え続けろと? 

悪を斬るのは正義か。はたまた正しさとは何なのか。

答えなんて出ないような、無限に続くこの感情を捨てるには、知らない事が多過ぎる。

 

 

体にべっとりついた血を落とし、贅沢にも髪をじゃぶじゃぶ洗って居間に行くとすっかり回復したお婆さんが、気絶してごめんなさいね、と謝ってきた。夫婦揃っていい人だね。

 

「そうだわ、銭湯に行ってきたらどうかしら。さっぱりしますよ」

 

じゃあお言葉に甘えようかな。お金はあったし、銭湯で湯船に浸かる。

町長のお爺さんの行動は早く、既に町に平和が戻ったことは知られていた。その証拠に私はスムーズにお風呂に入ることができたし、お風呂に入りに来たお客さんの顔は朗らかで心底嬉しそうだった。

気持ちがいくらか軽くなった。

 

たっぷりの時間を使って癒される。さて、そろそろこの町から出ないとね。さすがに人目のあるところで短刀の手入れはできないし。

外に出ればとっぷり日は暮れていて、出発するには心許ない時間帯だ。けれど敢行すべく荷物を背負い込み、最後にお爺さんの家へ向かった。

 

温かみのある家屋を見つめ、胸の内に広がる感謝の念を込めて無言で頭を下げた。とても心に沁みた優しさに、しばらく荒れていた気持ちが凪ぎ始め、私を穏やかな心地にさせる。

家に帰って、この事を伝えようと決めた。松陽達にはどんな反応をされるか想像つかないけれど、向き合うべきだと覚悟したから。

そのきっかけをくれた老夫婦に、ありがとうって示したかったんだ。

 

 

ふっと柔らかな微笑みを浮かべて、踵を返す。足を一歩進めたその刹那。

 

「ああああああああッッ」

 

真後ろの、ついさっきまで見つめていた家から悲鳴が上がった。ドクンッと心臓が跳ねて、わけもわからず駆けつけようとする。

しかし悪夢は始まったばかりであると痛感した。

 

「いやっ、誰かァ! 助けて‼︎」

「走って逃げろおおお!」

「俺達は解放されたんじゃなかったのか⁉︎」

「うわああん! おかあさん、死なないでぇ‼︎」

 

町中から恐怖の叫びが聞こえ、飛び出そうとする足を懸命に止めた。

何が起きている⁉︎ 視線を巡らせると、徒士組の格好をした者共が、町人に襲いかかっていた。

荷物を投げてすぐに短刀に手を伸ばす。目の前で死なれちゃ困る、せっかく幸せな日常が戻ったのに!

 

胸元を貫かれ血を流し、痛みに悶えるお母さんに、しがみついて泣き叫ぶ子ども。その背中を狙う黒服の男に短刀を投げた。

ぐるりと眼球がこちらを向き、ゾッとするほどの闇深い瞳が射抜く。かなりの速さで刺さらんとする短刀を弾かれ、私は無茶にも飛び込んだ。

錫杖からきらりと輝く刀身が一瞬見え、慌てて手をついて方向転換、子どもを抱き寄せて地面を転がった。

 

見れば一瞬前まで私がいたところに仕込み刀が刺さっている。その正確さに戦慄し、今までにない強敵が現れたのだと実感した。

 

猛撃を食らう前に子どもの肩を掴んで言い聞かせる。

 

「ここから逃げて。決して振り返るんじゃないよ」

「で、でもっ! お母さんが!」

「大丈夫。あとで連れていくから」

 

希望はある。こいつを倒してあのお母さんを医者に診てもらえば、あるいは……。安心させるように笑って、子どもの背中を押した。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらも必死に走る背中を一瞥し、敵と対峙する。

 

くそ、短刀飛んでった。焦って冷静な判断も出来ちゃいない。だいたいこの状況で医者も無事だとは思えないし、そもそも倒せる算段もつかない。お爺さんとお婆さんの安否が気になる。あの子はちゃんと逃げ切れてる?

 

今も誰かの命が途絶えようとしていた。混乱と恐怖が町を支配して、阿鼻叫喚地獄の真っ只中にいるような錯覚さえ覚える。

落ち着け、冷静になれ。全てを救うなんて不可能なんだから、せめてあのお母さんだけでも……。

 

じゃあ他の人達はどうでもいいの?

 

拳を強く握る。過ぎった本音に答える声はなく、ただ私の心を踏み荒す。

堪え切れない思いは、敵にぶつけるしかない。

 

「お前達は何者だ。どうしてこの町を襲う」

 

男は黙っていた。じっと冷たい目で私を見据え、ついに口を開いたと思ったら。

 

「貴様を迎えに来た」

 

迎えに、だと……? 意味がわからず眉を顰める。

男はそれ以上話す事はないとばかりに、刀を構えてこちらへ走り出した。武器はなく、素手で勝てるかもわからない。

ひとまず一定の距離を保って回避する事に専念する。その間に地面に転がった短刀を回収した。しかしこれがあっても刃長の差で負けることだって十分あり得る。

 

ならば、と隙をついて軸足を払い刀を掴む手を狙う。男も反応してくるりと掌を回転させ、接近する顔めがけて振り払った。

予想よりも速い。わかっちゃいたけど、相当な手練れだ。

 

ぎりぎりの間合いで躱し、頼りない短刀で防御に集中する。キンッと何度も刃がぶつかり火花を散らす。一瞬で刃を流す敵にどうしようもない違和感を感じた。

鍔迫り合いを避けている? もっと言えば、力のぶつけ合いになるのが嫌なのか?

 

もはや自他共に認める怪力だが、初見じゃまずわからない。では何故知っているのか。……いや、考えるのはよそう。

 

まずはこいつを仕留めてからだ。

 

刀を振るう男に意識がのめり込む。耳を劈く悲鳴は遠のき、ふつふつと興奮が心を浸蝕していった。

この時の私の頭にあるのは殺す事だけ。刺し違えても構わないほど、獣じみた強い殺意。それは防御を疎かにし、刀ではなく肉体での殺し合いを求める。

 

避け切れずに皮膚を切り裂かれ、鮮血が散った。痛みに身体が鈍り、二撃、三撃と刃が振り抜かれた。ようやく攻めが成功し、わずかに気の緩んだその体にありったけの拳を叩き込む。肉を潰すような感触がして、男は吹っ飛んでいった。

トドメを刺すべく起き上がりかけた男に何度も鋭い蹴りを食らわせる。骨を砕き、臓器が破裂し、動かなくなった人間だったモノ。

 

「はっ……はっ……」

 

夢中になっていた。我に返って、浅い呼吸を整える。目の前の肉塊に吐き気が喉元までせり上がってきて、口元を押さえた。自分がやった事なのに。

かろうじて嘔吐を防ぎ周りを見ると、あのお母さんが酷い顔して後退りしていた。その胸元は真っ赤に染まり、最後の力を掻き集めて私から逃げようとする。

……ああ、惨殺した私が怖いわけね。結構ショック。

表情を取り繕おうとも上手く笑えない。あれほど作り笑顔が上手だったのに。まあ人殺したのに笑顔ってのもおかしい話だけどね。

短刀を収め、ゆっくりと近づく。

 

「大丈夫ですか」

「ひぃッ! こ、来ないで‼︎」

 

距離を縮めながら、ひたすら罵倒を浴びせられた。拒絶の言葉なんていくらでも聞き流せる。それよりも彼女が死んだら子どもが……そこで足を止めた。

 

その子どもはどこへ行った。

この静けさは一体なんだ。

 

最悪の現実に、目の前の希望を絶えさせまいと走った。足がもたつき転んでしまい、それでも諦めずに叫ぶ。

 

「逃げろッ‼︎」

 

しかし、それを彼女が聞くことはなかった。

後ろから現れた敵が刀を払って、首から上を飛ばした。死にたくないと醜くも生に縋った必死の顔がすぐそばに転がった。

ぴくぴくと痙攣する身体を踏んづけ、白髪の男が錫杖をしゃらんと鳴らす。

 

目は憎悪に染まり顔に傷を負ったその男は、無様な私を冷たい目で見下ろした。

 

「彷徨い行き場を失くした雛よ。羽ばたけもしないその翼を抱え、何を救おうというのだ」

 

ぞろぞろと集まる徒士組の格好をした者達。その足音以外に、夜の静寂を損なう音は無かった。

絶望に嘆く慟哭も、刀が肉を裂く音も、逃げ惑う人々の叫びも。

あの子どもは殺されたのか。優しかった老夫婦は最期を静かに迎える事もできなかったのか。

見渡す限りの血溜まりと死体。せめて彼らの亡骸を目にしなかったのが救いだった。

 

「……救う? バカな事言うなよ。私がそんな善人に見えんの?」

 

震える手でなんとか短刀を掴み、立ち上がる。

手遅れな事ぐらいわかっていた。私がやっと一人を殺した頃には、全てが終わっていたんだろう。

 

「私はただの人殺しだよ」

 

凍った表情をなんとか動かして、無理やり口角を上げた。

敵に斬られた傷口が熱を持つ。それでも動けないほどじゃない。私はまだ終わってない。

皮肉な事に人が死んだから己の命を守るのに全神経を注げる。数人道連れにしてやると意気込み、挑発的な瞳で敵を捉えた。視界が広まり思考がクリアになる。

 

そして気づいてしまった。

ある敵の腕に刻まれた鳥を形作る紋章。それが私が長年探し続けて来たものだと。

 

「何故それをお前達が……。では、私は……」

 

掠れた声は弱々しく、力の抜けた手から刀がこぼれ落ちる。頭を穿つように鋭い刺激が駆け抜けた。

 

「貴様を迎えに来た。虚……いや、吉田松陽を救いたければ、我々奈落の元へ舞い戻ってくるがいい」

 

ぽつんと闇を照らした月が、巨大な雲に覆われて光を失った。




これまで結構調子のってたんでお灸でも据えてやろうかと思ったら、特大のお灸にぶち込む形になってしまいました。
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