瞼にぼやけた光が射し込んで、初めは柔らかで温かい白は冷たく蝕む雪に代わる。
誰だよ戸ォ開いたまんまにしたの。寒いと文句を言うべく目を開くと幼子がひとりいた。
白で埋め尽くされた世界に取り残されたようにその少女は黒く穢れている。
力尽きたのか行き場なんて無かったのか、はたまた己の命さえどうでもよかったのか、わずかにも動かない。
ああ、と思う。あれ私か。
なにこれ自問自答タイムかな。
体は言う事聞かないけれど心は別にあるんだね。
不思議な初感覚に気持ちがフワフワする。こう……初心に返るってーの? 死にかけであの時の走馬灯が一からちゃんと流れだしてるのだろう。そう思うことにする。
まぁ記憶喪失というか拾われる直前の記憶なんて吹っ飛んでるし、
このまんま過去映像垂れ流すの? え、奈落との戦いどこいった。
覚醒みたいなのがあって凄いことになってたよね?
あっちじゃなくてこっちの私が置いてかれそうなんですけど。
そんなことは御構い無しに針は進む。黒を覆い尽くさんばかりの雪が積もった頃、眩いほどに大き過ぎる光が現れた。
ああ、と思う。白に呑まれた黒は煤まみれの白だったのかもしれない。だってあれほど輝かしく照らしているんだもの。幸せそうに寄り添っていたから、私は酷く優しい心地になった。
輪郭線の溶けた銀髪が
あいつも私も似ていた。見つけてくれるまで彷徨い歩く屍だった。松陽が繋いでくれた命だった。
光に導かれるようにして灯は集う。その中に捻くれで真っ直ぐな仏頂面とか、優しく真面目なストレートとか、見覚えのある色をした奴らがいた。
そうやって松下村塾を包む光は大きくなっていく。私もまた一際輝く光になって。
なんだ、ひとりぼっちじゃなかったじゃん。
ひとり死に絶えていくはずだった命は松陽に拾われて、いつのまにか仲間と共にいた。どっかの誰かさんと同じで素直じゃないし口にしてやる気はないけれど。
みんな並んで歩いていくその後ろ姿は楽しげで、見守る私も笑顔になる。
しかしそう長くは続かなかった。
周りよりか背の高かった自分がみんなと少しずつ背丈が並び始めた頃。
何かに急かされて焦れるように私は一歩、また一歩と先を行く。後ろを振り返る事もせず、彼らよりもずっと先を走っていく。
追いかけてくる彼らに一瞥もしないまま、ずっと。
そしてまたひとりになった。
ああうん、これ自業自得かな。ぽんっと手のひらを叩き納得する。
だって自分勝手で周りを振り回すのは私の生き様だし。興味がなければ放置するの繰り返し。変えようと思わない自分はやっぱりどこかがおかしいのかもしれない。うん、やっぱりそう。
私が選んだ道は松陽の教えに遠ざかっていくだけ。そりゃなりたい者に近づいてはいたけれど、それは褒められた道じゃない。
己の心を、渇きを癒すなにかが欲しかった。
ふらりふらりと旅をしては興味がないくせに首突っ込んでどうでもいいものを救ってばかりだ。
これじゃない、私が求めていたのは───
血と戦い。
ぞくっと興奮が背筋を這った。体中を駆けずり回る甘美な陶酔に頭の奥が歓声に沸く。
浸透する悪魔の囁きは笑っちゃうぐらいしっくりきて。
厄介事、面白事をそれに置き換えて型にはめ直す。
かちりとピースがはまったのは気のせいではない。
それが正解。幸福で彩られたはずの青写真は色褪せ朽ちていく。悲しいほどに自分は普通とはかけ離れた人間だった。
……いや、人間じゃないか。
意識の外に広がる地獄絵図。
蹴散らされた跡はぐちゃくちゃで、どれが頭だか腕だか足だかわからない。顔なんてどろどろに溶けたシチューみたいだ。うわぁグロテスク。
なんて他人事のように考えるのもしょうがない。何故なら私は獣を操る方法を知らないからだ。
理性の弾け飛んだ猛獣は獲物を狩り尽くすまで止まらない。
今もほら。最後の一羽に手をかける。
天からのかかと蹴り。ドゴォッ! と地面を抉るもひらりと躱され、朧は奇妙な姿勢を取った。
あれは見覚えがある。書物で読んだり旅先で出会った事のある戦い方。たしか古武術と言ったか。
鍛えられた掌から放たれる衝撃をモロにくらい体は宙を飛ぶ。
無防備な状態に追い打ちをかけるべく跳んだ朧は気味が悪いものを見たというふうに歪んだ表情。
そりゃそうだ、なんせ私の顔には狂喜に心酔する笑顔が張り付いているのだから。目はかっ
「………っ!」
錫杖が心臓を貫き死が脳内を過る。
しかし獣の鋭い牙をもぐには足りない。刺さったままの杖など眼中にもくれず神速の蹴りが首元をへし折った。
地に墜ちる。両脚で着地をするも四本足の半分は動かない。ゆらりゆらりと両腕は糸で操られる人形のような不安定さでぶら下がったままだ。
身体中に刃物が刺さり、己と屠った奈落の血のせいで元の着物の色なんてわかりゃしなかった。
とっくに死んでてもおかしくないのに、心臓は生を実感し喜んでいる。激しく高鳴る鼓動、駆け巡る血流がいやにわかって、じわじわと犯していくのは禁忌とも言える、命を貪る行為への歓喜。
そしてついに羽を千切りこの地へ引き摺り下ろす。
ぷらんと妙ちきりんな方向に曲がった首から上。
「貴さ──────」
ぶち
ぶしゃ、 ばきり
ごき、ぐちゅッ
ぶちぶちっ
朧の叫びが遠くで聞こえた。
ぐわんぐわんと頭の中で残響して次第に意識も落ちてゆく。
白に場違いに佇む女のメッキは剥がれ落ちそのものの色───どす黒い闇に戻る。
──────
息を吸って、吐く。
吸った空気が腹ん中に向かってって膨らます。
そしてすぅーと吐き出して、もう一度。
何度か繰り返すうちに肌を撫でる冷たい空気と、カビの臭いを認識する。聞こえるのはカタカタと瓦が泣く音と風が森を揺るがす呻き。ゴウゴウと鳴っては木々を震わせていた。
ああ、と思う。知らない匂いだ。
勢いよく半身を起き上がらせた。
その拍子に鼻を攻撃してきた臭いに結構本気で凹みそうになる。何日お風呂入ってないんだ……つーか血塗れで、ってあれ。
「ん?」
布団を蹴っ飛ばすとぼわっとホコリが舞う。けほけほ噎せながら露わになる全身を見下ろした。
包帯ぐるぐる巻きの上にまったく知らない黒い着物が着せられている。触ってみて感触を確かめると小さな痛みを感じるだけで血は滲まなかった。傷口が塞がっている。
立ち上がって布団の上に立つ。若干ふらつきはするが平気みたい。頬っぺたをぐにぐにしながら、明瞭になっていく視界にするりと心の声はこぼれた。
「……どこだ、ここ」
チュチュッとネズミが壁の端っこをちろちろ動き回る。
そう大きくもない木造家屋。しかも劣化して開いた穴から光が漏れていた。
この布団はさっきまで汚れてなかったし清潔なものと信じたいが、床は塵だのホコリだので不衛生極まりない。
あっ隅っこにムカデいる……。そんな上がり
幸い見覚えのある黒くなった履物が見つかったので、裸足よりかマシと念じながら玄関の戸を開けた。
森だった。うん、森。ちょくちょく名を知っているような木が生えている普通の森。
仰いだ空は曇天で、雨の一つでも降ってきそうだ。強風のせいで瓦屋根が頼りなさげにカタカタする。風がびゅうびゅう叩きつけられて、いつかこの小屋吹っ飛ぶんじゃないのかなーなんて思う。
「いやほんとにどこ……」
記憶を遡れ。たしか……そう、昼間は攘夷浪士と夜は奈落と戦ったんだ。
んで松陽とバカどもどっち救いたい? って聞かれた後に覚醒みたいなビックリ展開になって、奈落を片っ端から肉塊にして、そして……
あ、朧殺してから気力尽きて倒れたんだっけ。
いやーあれは史上最悪の殺し方だったと思う。ぶちぶちいってたし。たぶんあれ皮膚と骨をだな……やっぱやめとこう。さすがに食欲失くすし。
でも物凄く痛かったんじゃない? 敵だし同情してやんないけどさ。
それにしたって走馬灯はリアルだった。これ死ぬんじゃね? って4割ぐらいは思ってたし。
さて、過去のことは置いといて。
あの地獄から獣を連れ出しここまで手当てしてくれたバケモノがいる。
贅言を費やすならばもっと綺麗な所が良かったが、見ず知らずの私をそこまでしてくれたんだ。感謝すべきだろう。
で、問題はそこから。
具体的には言わないが全身を包帯で巻かれているということは、つまり……その分裸を見られているわけで。
女だったらまぁしょうがないと諦めるが、男だったら殺す未来が待っている。どちらにしたって命の恩人に変わりはないけれど。
さっきの異臭は部屋そのものの臭いと、鼻の奥にこびりついた血の匂いだった。
森の匂いを吸ってだいぶ落ち着いてきたがしばらくは取れてくれそうにない。
何人、何十人斬ったんだろ。
ぱきり、と枝を踏む音に思考を中断する。命の恩人に礼を言うべく浮かべた笑顔は凍った。
「……は、なん、で」
白い髪に顔の傷。あいもかわらず憎悪を孕む瞳。
この手で殺した相手がどうして目前にいる。
「朧……」
「ようやく目が覚めたか」
ついには幻覚と幻聴まで……これは寝直したほうがいいな。あっけど布団汚れたし絶対あれで眠りたくないし。
もしかして幽霊? そういうの銀時のほうが面白いリアクションとってくれるからそっちへどうぞ。
つか透けてもいないし、昼間に出る幽霊なんて聞いたことがない。
「貴様に話がある」
じり、といつでも距離を離せるように足に力を込める。その動作を無言で見る朧に、どうしても違和感が拭えなかった。
あれだけ殺し合ったくせに無警戒とかありえない。神経を尖らせて気配を探るも連中がいると察知できず、頭の中で警報が鳴る。だって奈落って気配殺せるんだろ? こいつがやったみたいに。
朧は一見武装してないように思われるが油断ならない。
張り詰めた空気など構わずに淡々と口を開く。
「そう警戒するな。ここには私しかいない」
「そんなの信じられるわけないだろ」
即答するもたじろいだ。
キッと強く見据えられた視線が。
固く握られた震える拳が。
どこかで見たことのある光景で、わずかに弛緩する緊張。
「貴様も私も奈落に帰属し、同じ人に師事した者。であれば共有し得る目的があるはずだ」
「……同じ人って」
「吉田松陽だ。またの名を、虚」
虚。対峙した時に聞いた名前。
松陽の別名だったのか。
……信じるか信じないかは話を聞いてからにする。あれだけ殺し合ったんだ。腹を割って会話するのも斬新で面白い。
それよりも朧の話に興味が湧いた。
「人畜無害そうな松陽が、実は暗殺集団にいたってわけ?」
「それどころか歴代の首領だった。私はあの人の小姓となって忠を尽くそうとしていた……」
流れるように紡がれる物語は、とてもおとぎ話になれそうにない生々しさと残酷さがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
奈落の首領である虚……いや、その時は松陽だったらしい。松陽に救われた朧はその命を先生の為に使う事を決めた。
一度は共に組織から抜け出そうと尽力したそうだがあえなく失敗に終わる。しかし数名の命と朧の二度目の命を引き換えにして松陽は自由を手に入れた。
そして私を拾って松下村塾を開く。やがて三馬鹿も揃って明るくなる松陽の周りとは裏腹に、朧の人生は赤く赤く汚れていった。
教えに反してもその手を血に染め、裏切り者を許さない奈落の手が伸びないように奮闘していたのだ。
助けなんぞなくたって。側に居られずとも生きてさえいてくれればよかったと。志を護れるのならと。
そんな健気な思いも儚く散っていく。
「あの日、私は松下村塾を訪れた。先生を一目見て無事を確かめたかった。それだけだった……」
眼前の光景に目を疑った。
自分がいなくたって微笑む松陽に、形容しがたい胸の痛みが押し寄せてくる。苦しくって、辛かった。自分が何の為にこれまで生きてきたのか、どうして自分がそこにいないのかと。引き裂かれるような思いにぐっと奥歯を噛み締めた。
そして視線は揺らぎ、隣でバカどもを見てせせら笑う私を見つけたという。
一番弟子の存在など目にもくれず、幸せそうに楽しそうに歩くその姿。
その時に朧の心は憎悪で一杯になった。
自分と同じ、奈落であった私が。
怒り、嫉妬、悲しみ、絶望、己の情けなさ……色んな感情がごちゃ交ぜになって、やがて一つに収束される。
強く握りしめた拳からたらりと血が流れた。
低く絞り出された声が悲痛の叫びに聞こえる。
「許せなかった。何も知らずにのうのうと暮らす貴様が。そんなものの為に戦い続けた自分に……ッ」
そして朧は行動に出る。
裏切り者を粛清すると奈落を動かし私を殺そうとしたのだ。返り討ちにあって全員死んだけどな。
「……そ。じゃ、なんで私はあんな汚いとこで寝てたわけ。アンタが世話してくれたの?」
「貴様をここまで連れて来たのは私だ」
「……お前、私に殺されたはずだろ。それがどうして生きてんだよ。死んでんなら大人しく死んでおきなさいよ」
さっきの話でも岩石降ってきて死んだらしいよ?
じゃあこいつ誰よ?
「私の体には不死の血が流れている。それが枯れるまで何度も蘇るという事だ」
つまりあの夜死んだ朧は生き返り、倒れた私をここまで……。え? それってすごくない?
枯れるって言い方は気になるけれど、不死とはなんとも興味深い。死なないなんてスリルなくってくそつまんねェが。
まるで信憑性のない不死の力だが、現に殺した男がここにいるんだから疑う余地がない。ということはそれまでの話も信用するってわけで。
「悔しいけど……信じるしかなさそうだな。あ、ちょいと質問させて」
断られても構うものかと思っていたが、視線で促されたのでよしとする。
「お互い本気で殺し合ってあんたは死んだ。話を聞いても私への憎しみをうんざりするほど感じてる。ならどうして助けたんだ? お前の過去を話したのは何故?」
「私には目的があった。それに貴様が邪魔で始末しようとしていたんだが……やめておこう。その強さは捩じ伏せるにはもったいない」
「はっ、戯言を」
へぇ、目的ね……聞いてやろうか。
「私は先生を救いたい。力を貸せ」
その言葉は多少なりとも私を動揺させるに足る。自然と鋭くなった目で朧をひたと射抜く。
「……ふぅん? この前散々松陽を殺すだのなんだと言ってくれてたけど。綺麗な手のひら返し、さっすが一番弟子だね」
理由なんて聞かなくたってわかった。
松陽が本当に過去、奈落の首領だったとすれば脱退した
これまでは朧が必死に遠ざけていたようだが、それも時間の問題かもしれない。つーか仲間を率いて私を襲撃した時点で情報が漏れてたっておかしくないしな。
この時の私は気づかなかった。
朧が救いたかったのは奈落の追っ手からでなく松陽の器の内に蠢く巨大な闇から護りたかったのだと。
世界を変えてしまうほどの力を持った闇───虚。それこそ朧が戦うべきと理解する敵の名だった。
しかしそこまでに思考は至らず、私は真の敵を認識できなかった。
「いっそ奈落に襲わせちまえば? そして返り討ちにあって死ね」
「あの人には護るべきものがある。それを引き合いに出されれば、先生でも大人しくならざるを得ないだろう」
「チッ、そりゃそーだ」
バカみたいに優しくて大きな人だ。
だからその可能性は否定できない。
そして何より松陽が護りたいものを私は知っていたから。
「あんた、私を頼らなかったら一人で護りきるつもりだったの? ……バカなやつ」
「弱き者の助けなど要らん。それに貴様を頼るつもりはない。これは同盟に等しいからだ」
「同盟……なるほど、そういうこと」
あくまで弱かったら本当に捨てるつもりだったんだろう。けどその強さが役に立つと評価し、利用するべく助けた。
朧は松陽を護る為だけに協力するのか、しないのか。それを問うている。
強さを認められているのは正直気分が良い。
そして私も朧の強さを認めていた。
覚醒状態ならいざ知らず、通常であれば技術や死地をくぐり抜けてきた経験の差で朧のほうが強い。
それだけは素直に認めてやろう。
「いくら自分で殺せなかったからって、よく申し出ようと思ったな。今だって殺意あるんだろ?」
「……昔、貴様によく似た女に会った。それを思い出したまでよ」
誰よそれ。そいつに何か言われたのがきっかけ? その女は他人の空似か、あるいは……。
深く沈み込むような思考に、風はびゅううと吼えて我に返る。気を取られていたのを知られたくなくて、髪をくしゃりとするとため息ひとつ吐いた。
どうしたらいいんだろう。何が正解なんだろう。
私独断で動いたほうがいいのか?
それともか細い糸を信じるべき?
不安にさせる曇天の影が大地を覆う。髪を靡かせながら、深呼吸を何度もした。手の甲を撫でて消えた跡を無意識に探る。
そんな仕草を見届けて、朧は静かに尋ねた。
私の選択を。
「───わかった。オメーに協力するよ」
朧は反応を示さずにそうか、と平然としている。
「協力するならば教えよう。虚と貴様の正体を」
「あー……待って。それはいい。アンタの口から聞きたくない。松陽に聞くからいいよ」
言外にウチに帰らせてと伝える。
加えてさっきからどうしても気になっていた事を口にした。
「あとさ。さっきからなんなの貴様って。ちゃんと名前で呼んでくんない。私には雪子って名前があるの」
「善処しよう」
いや頑張れよ。貴様呼ばわりは腹立つが、よくよく考えたら名前を呼ばれるのもムカつく。
難しいよね、年頃の女の子の気持ちって。
まぁ一応運命共同体みたいな感じでしょうし、そのくらいは我慢してあげるよ。
手を差し出すと意を酌んだ朧は少し血の滲んだ包帯で巻かれた腕を伸ばす。
それを流れるような体捌きで躱すと距離を詰めた。
首に白く透き通った指を這わす。爪で引っ掻くように人差し指でするんと脈をなぞる。
僅かにでも不審な動きを見せればこのまま絞め殺すつもりだった。けれど朧は抵抗を示さない。なされるがままに、控えめな呼吸をするだけ。
「ね。どうして信じる気になったのか教えてあげよっか」
くすっと無邪気な笑みを唇に描き耳打ちするように囁く。
「いつどっちが裏切るかわからない関係なんて、とっても面白いでしょ?」
とんっと胸元を押して私は不敵に笑う。
いつもの調子を取り戻し暗雲を睨むと山道を歩き出した。
後に続く静かな足音を聞きながらふと考える。
朧は言った。
松陽は自分が死んだと思っていると。そりゃ、なんか血を分け与えてあいつも不死者になったらしいが正常に機能するかわからないから、そういう結論に至ると考えるのも妥当だろう。
けれど私の知る吉田松陽は、そんな薄情な人間……人間? じゃない。
もしかしたら信じてるんじゃないかな。
朧がまだ生きてるって。
『あれ。どっか出かけるの?』
『探し物をしてきます。……鬼を見つけに』
数年前の記憶だが、たしかあの時の松陽の目は憂いを秘めていた。そして夕方頃、銀髪の小さな鬼を背負って帰ってきた。
あの頃の噂は屍を食らう鬼というふざけたものばかりだった。くすんだ白髪とか子どもらしからぬ強さだとか、それは当時の朧にも当てはまっていたと思う。
もし二度目の命を散らした時に救われていたら。
もし銀時とは出会わずに松陽が探し続けていたら。
……考えてもどうしようもない、か。
真意はどうあれ松陽は銀時を見つけた。そしてあいつは救われた。それで終わりだ。思うだけ無駄だと言い聞かせる。
やがて目的もなくふらふら歩くだけだと気づき、朧が前に出た。
一番弟子の背中を追うは妹弟子。いずれそこに弟弟子達も加わったりするんだろうか。
なんだか想像がつかないや。
それにこの男がそうとは決まってないし……、だいたいあの話信じたら松陽とんでもない化物になっちゃうからね。
龍脈がどうとか、何百年も生きてるとか。
絶対に問いただしてやる。それから、やとが何なのかも含めてな。
雲の隙間から太陽が覗き、差し込む光のせいで黒い背中はまだらになる。
ああ、と思う。傘があればなぁ。
この先どうなるのかわからない。
ただそれが血塗られたものだとしても間違いじゃないことを祈るしかなかった。
それだけが、二人に残された道だった。