お家に帰ろう   作:睡眠人間

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朧と手を組む事にした私はしばらくやつと行動を共にした。目的地を松下村塾に設定しそれまでの道のりをひたすら走った。

 

各地を転々と回り限界が来るまで遠くを行脚していたから、あいつらに会ったのはかれこれ半年以上前の事になる。

近況報告を(したた)めた手紙を送ってはいたから───もちろん暴れ回っている、なんて内容は伏せて───生きて元気にやっているのはわかっているだろう。

 

朧は奈落でも高い地位にいるらしいのだがあの日私を助けて以来仲間と会っていなかった。そのかわり此方も文書でやり取りをしていて私も読ませてもらっている。

拒否しなかったのは見せかけの信頼を得る為か、読まれても計画に支障がないからかはしらない。

 

現在の朧は、捕える手筈だったが反逆し追手を殺害して逃亡している私を探すという任務らしい。加えて姿を消した松陽の行方も追っている。

だからこのまま捜索のフリしてくれたらよくね? と思わなくもないが、そう長くも誤魔化しは利いてくれないだろう。本部が重たい腰を上げる前になんらかの対策を考えねば。

 

さて。着々と松下村塾への帰路を辿る私達だったがその間に信頼関係が芽生えたかと言えばまったくそんな事はなかった。

一応話は信じるけど安心して背中を預けれるほど命知らずじゃない。あっちもそうだろうが此方が軽く仕掛けてもなされるがまま。これじゃ朧が尻尾を出す前に私が我慢ならないかもしれなかった。

 

「なぁ、その針の投げ方教えて。それから古武術ってやつも」

 

どうせいつか裏切るのだから使えるだけ使ってやろうと頼むとあっさり了承される。肩透かしを食らった気分になりながらも朧の動きを倣った。

 

 

数年間旅をしてきた為こういった不慮の事態には慣れていた。書物で得た知識や経験で、サバイバル生活を生き延びる。満腹にはならなかったが飢えるほど空腹になることもなかった。

 

困ったのは就寝である。最短距離を駆け抜けていたので旅籠屋に泊まる時間も金も到底使えず、野宿だのそこらへんの空き家を利用したのだが、問題はそこじゃない。

年の近い男女が気配を察知できる程度には離れて、布にくるまって眠るのもまぁ、問題じゃなかった。

 

問題は朧の殺気が安眠を妨げるのだ。

ピリピリと相手を捩じ伏せるような問答無用の圧が飛ぶ。やつのは暗殺集団で息を潜めていたが故の習慣だろう。暗殺者が気配を読めないなんてクソの役にも立たない。

 

「ああもう今日も熟睡できない……」

 

眠れる時に眠ったれ精神の私であるから舌打ちし身動ぎする。

寝首を掻かれるかビクビクしたって明日の不調へ繋がったらどうしようもない。豪胆というべきか危機感が足りないのか、私はどどんと肝の据わった女であるから、浅い眠りに不満だった。

というのは半分冗談で。安眠を妨害され機嫌が急降下だったけれど実は朧のおかげで、今日も眠る姿勢に入れるのだ。

 

これだけ離れていてもチリリ…ッと肌を突き刺す殺気。それだけの警戒状態ならば、曲者が近づいてくる前にやつは対処できる。

朧のそういった点は本心から信頼していた。

しかしそれとこれとは話が別である。

 

「オメーちょっと話あんだけど」

 

案の定はっきりとした声音で何故だと問われた。

 

古びた家屋に立ち入る物好きはおらず静かな夜。私がこの中で、朧が高台に建つ家に続く石段で腰を下ろして眠る姿勢だった。

昆虫の鳴き声や足音だけが響き、灯りもつけていない暗闇を照らす星の光が美しかった。

 

「あのさァ、ずっとあんなに殺気飛ばされちゃ寝れないんだけど」

 

さすがに中に入れる気は毛頭ない。

ならば私からそちらに向かうしかないじゃんか。

そんなわけで上から見下ろすように腕を組んで文句を言った。

 

「貴様には関係ないだろう」

「あるよ。寝不足で肌荒れしたらどうしてくれるの、責任取ってくれる?」

 

まぁロクな生活送ってないし手遅れな気がするが。いいや、希望は捨てるな。まだ大丈夫だきっと。

朧は眉を顰めわけがわからんとでも言いたげ。冗談なんだから流すなりなんなりしとけって。

 

はぁ、とため息を大きく吐いて私は石段に降りる、その時。ぱっと弾かれたように朧は立ち上がり木々で遮られた視界を睨む。ただならぬ様子に声をかけようとし、私も理解した。

この気配。この殺気。身に覚えがありすぎる。

 

「まさか、もう奈落の手が……」

「移動するぞ」

 

まとめてあった荷物を背負う朧。大事になる前に逃げようってことね。ふぅん……。

 

「おい、あれは私達の追跡してんじゃねーの?」

「いいや。やつらに場所は割れていないはず。となれば各地で集めた情報をもとに探索しているに過ぎないだろう。気づかれる前に行くぞ」

「まーまーまー、ここでまいても行く先々で遭遇しかかるのもやだ。潰そうよ」

 

にこっと笑顔で提案する。

いいじゃない、最近は戦闘無しで逃げてばっかだったし。

そもそも肉体的・精神的にズタボロにしてくれたやつらに何の復讐もできてないなんておかしい。

この私をコケにしてくれたんだ。

百倍にして返してやる。

またとないチャンスに燻っていた焚火がボウボウと燃え盛った。

 

以前の私であればトラウマ級の爆弾をフルスイングでぶっ放してくれた奈落に対し、殺したい半分関わりたくない半分って感じだった。しかもその大部分を占めるクソ野郎は隣にいる。

しかし古武術とかその他諸々を習い格段に強くなっていた。発揮したくてウズウズしてたもの。誰か毒針に刺されたい人いない? 確実に痛い場所に投げられると思うんだが。

どうよ隣のクソ白髪。今なら出血大サービスしちゃうよ。

 

そんな強気に満ち溢れた思考の持ち主とは違い朧は影に潜む敵を見据える。

 

「馬鹿を言うな。こんなところで無駄な時間は使えん」

「でーじょうぶだってすぐ終わるって」

「貴様はあんな目に遭って何も学ばんのか。……理解しがたい」

「いや? ちゃんと学んだよ。あいつらを殺す方法をな」

「……我々だけで奈落を迎え撃つなど愚の骨頂」

「別にアンタの手助けなんていらないけど。どうでもいいから先行けば。……つーか」

 

ガサガサッと茂みを震わせるそこめがけて投擲した。

 

「うるせえええええ‼︎」

 

一直線を描くクナイが突き刺さったのは地面。そこから跳んだのはお馴染みの徒士組の格好をした者共───奈落。

 

「今回の私は一味違うからね」

 

さて、戦闘開始だ。

意識を切り替えると自然と口角が上がり、楽しくて楽しくて心が踊った。

 

前回の強襲はまったくもって楽しくなかった。死にかけたし町人皆殺しだったし最後は意識乗っ取られるわで最悪だった。

マジで絶望しかなかったからね。

今は振り返ってるから明るいけれど当時は結構本気でダメだと思ってた。

だが今回はどうだ。

降ってくる岩石さえものともしない剛力に松陽に教えてもらった剣。

加えて朧を倣った古武術と経路を犯す毒針。

味方はいない、護る存在もない、目前に迫る敵を屠るのみだ。

取れる選択肢が大幅に広がりワクワクする。

 

「何故ここにいる! 貴様……謀ったな!」

 

ふむ、ほんとに探索してただけなんだ。

奈落は朧を目に留め瞠目するが、次の瞬間には強烈な殺意の篭った蹴りで数メートル吹っ飛んだ。

 

「じゃ、私はこいつら殲滅するから。アンタ邪魔だから離れてろよ」

 

ざわっと風がうねって暗闇は混沌を引きずり出す。遠くでぼうっと灯る松明の火がゆらゆら揺れた。

とんっとんっと跳ねて心音の程よい高鳴りを聞く。すぅ、はぁーと深呼吸をし、ぐんっと体躯を低くして足に力を込めると駆けた。

 

 

「……なんてやつだ」

 

数十分後、血に濡れすっきりした笑顔を浮かべて戻ってきた私。

掴む髪を手放すとまん丸な頭がごろりと転がる。

 

「ほら。これで文句ないでしょ。用も済んだしさっさと行こう」

「……待て」

 

朧は目にも留まらぬ速さで針を飛ばす。聞こえたのは背後で人が倒れ、凶器が地面に転がる音。

 

「少し気配が鋭くなったからといって慢心するな。この程度で背後を取られるようではこの先危ういぞ」

 

注意してたのに気づかなかった。

今更ながらどっと冷や汗が肌に浮き出る。

 

「あ、ああ……」

 

慢心、傲慢、自惚れ。

いくつもの単語が浮かんで頭の中をぐるぐる回る。

ああだめだめ、これはダメなやつ。

頭を冷やせ、少し調子に乗りすぎた。

 

森の空気を吸って、混じる血の匂いに包まれると不思議と落ち着いた。

 

 

それからまた暫く経ち。

今夜も私の熟睡を阻止する殺気は留まるところをしらない。

 

最近は気配を読む事にも神経を注ぐようにしていた。それと慢心しないこと。

 

ごろんと寝返りを打つ。

仰向けになると落ちてきそうな星が光っていた。

ざああ、と木々は揺れて遠くでは小波が心地よい音を掻き立てる。

 

二度もあいつに助けられた。

これは由々しき事態である。三度目がない事を切に願うが、二度あることは三度あるという言葉もあるぐらいだ。油断ならない。

 

ぎゅっと目を瞑る。

深く深く沈む意識。冴え渡る脳内。

数ヶ月を共に過ごしているからかやつがどこにいるかも把握できた。うえぇ。

うん、ぐっすり寝れないわ。

いつだかと同じように私は近づいた。

 

「また、文句でも言いに来たか」

「……もういいよ、それは。役に立ってはいるから」

 

それで一応救われてはいるのだ。

ムカつくけど。ものすごくムカつくけど。

 

返答が意外だったのか朧は視線を向ける。そこに常の感情を殺した冷酷な色は見られず、代わりにほんの少しだけ覇気のない瞳があった。

ずっと気を張っているからだろう。朧が気を抜いたところなど私は見たことがない。

どれだけタフだろうと限界があるってもんだ。肉体は癒せても精神は悲鳴を上げている。それすらも覆い隠す憎悪で保っているだけ、かな。

 

「だからさ、眠たくなるような話聞かせてよ」

 

朧は何も答えない。

 

穏やかな夜には昔話を聞きたいものだ。

拾われたばかりの頃、よく松陽に話してもらっていたのを思い出す。

 

私も正直疲れてきていた。

縹渺(ひょうびょう)たる道のりに終わりの見えない逃亡生活。

 

もしかして松下村塾に魔の手が伸びているんじゃないかと。

こうして走っていてももう手遅れかもしれないと。

そんな悪い思考がぐるぐるしてばっかで、信用を置くまい、決して弱味を見せまいと意地を張るのがバカバカしく思えてきた。

 

心が弱くなっていると自覚する。けれど立て直すには元気が出ない。

……しょうがないでしょ、もうずっと会ってないんだから。

 

「会いてェな……」

 

満点の星空を見上げてこぼした本音。どんだけ好きなんだって自嘲じみた笑みを貼り付けた。そんな顔をジロジロ見られて居心地の悪さを感じてしまい、飄々とした表情に切り替える。

 

「まっ、ずっと奈落にいたアンタにはわかんないでしょーけど?」

「……いいや、私もいた。ずっと会いたい人が」

「松陽だろ。しってるよ」

「先生だけではない。もう一人だけ、いたのだ」

 

繰り返される。

 

いた、と。

過去形で語られたそれに口元を引き締める。

 

朧もようやく肩の力を抜いた。

高台で腰を下ろし、真っ黒な海が星の光をキラキラと反射するのを見る。私も倣い、横に座った。

 

 

「先生の小姓に成り立ての頃、私は牢番だった」

 

なんでも奈落に所属したての普通の子どもはそういった仕事を振り分けられるのだと。

例に漏れず朧もそうだった。

さすがに子どもを連れて殺戮して回るほど腐った連中じゃなかったらしい。そう思ったが紡がれてゆく思い出にそんな考えは消える。

 

本来暗殺を基本とする奈落が生かしておくほどの罪人が、イカれてないわけがなかったのだ。

それまでどんな人生を辿ったのか、はたまた奈落にどれほどの恐怖を味わされたのか。

ある者は精神が狂い壊れた人形に成り果て、ある者は自傷行為を繰り返した。声にならない呻き声に牢を叩く音。がりがりと地で指を削り、笑い声のような奇声をあげる。

 

醜悪を極めた牢屋。

その中に、女はいた。

 

最低限の食事を運んだ朧に当初は目を丸くしたのだという。こんなに小さな子どもが組織に属していることに驚いたと。

 

他の者は一日に一度あれば良いほうだったが、その女には一日三度食事を運ぶように命令が下った。外界からの接触はそれだけ。女にとって顔を合わせるのは朧しかいなかったのだ。

 

『ありがとう。小さな烏さん』

 

運びに行く度に、ふわりと微笑んで礼を言う女。

囚われてから日に日に身をやつしていったが、それでも清楚な美しさは失われていないようだった。

少し思うところがあって朧は口を開く。

 

『あなたは一体何をしたのですか。どうしてここにいるのですか』

『なんにもしてないわ。護りたい者がいて、私はその為に捕まった。それだけのことよ』

 

その女は絶望のみに彩られた世界で、ただ一人光を失っていなかった。この先に待つのは死だけだというのに、気高く儚げな瞳に一片の穢れはなく。

 

優しげな瞳が己の師と重なって見え、朧はさらに言葉を重ねた。

 

『では、ここから解放されたらどうしたいですか』

 

ぱちり。

長い睫毛を伏せると寂しげな吐息をこぼす。それも一瞬のことで顔を上げた時には落ち着いた微笑みを浮かべる。

 

『お家に帰りたい。……でも、きっと無理だから。せめて最悪最強の敵を転ばせたいわね』

『転ばせ……?』

『あなたのお師匠様よ』

『先生は悪い人ではありません。私を救ってくれたんですから』

『あら。冗談よ。本気にしなくていいのに』

 

くすくすと楽しげに笑われる。照れや恥ずかしさは感じたが、不思議と怒りは湧いてこなかった。

 

『そう。先生はいい人なの。けれど器に眠る人格はそうじゃない』

『何を言って……』

『……そうね。まだわからなくていいの。知らないほうが幸せよ』

 

ごめんなさい、と寂しげに笑った。

 

二人は会う度に言葉を交えた。一日に三度。食事を運ぶだけだった仕事はやがて、女が食べ終わってごちそうさまと言うまで待つことに増えた。

 

朧が来ればぱっと花を咲かせて笑い、離れる時には寂しげに微笑む。女との会話は先生とも違った安心を与えてくれ、廃れた心を癒してくれた。

 

一度先生に、牢番をしていて楽しそうだと指摘された事があった。

朧は迷った挙句、仕事に身を捧げるのは当然のことだと言った。

 

女はたくさんの秘密があり、その一部を特別よ、と教えてくれた。その事実に朧は驚愕する。

 

『どうしてあなたが先生の不死をしっているのです』

『昔、少しね。私は伝えたわ。あとはどうするか自分で決めなさいな』

 

心の器を食い荒らさんとする敵、虚の存在を聞かされる。不殺を掲げ穏やかになっていく首領の秘密に触れ、朧は困惑した。

 

『けれど忘れないで。護るということは、傷つけることと違うのよ』

 

鉄格子の隙間からぞっとするほど白くて細い腕が伸びる。

するりと髪を梳くように頭を撫でられ、硬直した。

仄かな温かみはその手を通して朧に伝わる。何度も何度も慈しむように撫でられた。

 

『ごめんなさい。こんなことしかできなくて』

『どうして謝るのですか』

『……ごめんなさい』

 

月光のベールを纏った泡沫の女はくしゃりと笑う。

 

『あなたに押し付けてしまってごめんなさい。あの子の代わりにしてしまって、ごめんなさい。ちっとも母親らしいことをしてあげられなくて、……私は……何もっ』

 

その先は嗚咽に隠されてしまう。

 

『謝る必要などありません。私は嬉しかったです』

『え……?』

 

濡れた瞳が儚げに揺れる。

つぅっとこけた頰を伝い、透明な雫はきらきらと光って地に落ちた。

 

朧は手を伸ばしてぎこちない動作で抱き寄せた。冷たい鉄棒越しでも感じる体温。小刻みに震えた体は見るからに衰弱していた。

 

重ねられていることには薄々感じていた。

けれどそれは、自分も同じこと。

 

『あなたに会えてよかった』

 

名前もしらない。

それでもその時の二人は、限りなく家族に近かったのだ。

 

翌日、女は跡形もなく消えた。

がらんどうの鳥籠の前で、朧はその女が処刑されたことをしった。

 

 

闇に光の小粒を散りばめた天蓋は一点の曇りもない。

黙り込んだ私は思考を巡らせ、言うか言うまいかたっぷり考えた末に聞いた。

 

「……ねえ、あのさ。その女ってのは……」

「ああ。間違いなく貴様の母親だろう」

 

空と海の溶け合った地平線を見つめ、朧は肯定した。

 

「そういうの、もっと早く聞きたかったよ……」

「私の口から聞きたくないのだろう?」

「……どんくらい似てんの」

「瓜二つだ。母親の顔を見たければ鏡を探せ。そこに映っている」

 

性格は似なかったようだが。

そんな余計な一言をくれた朧はいつのまにか覇気が復活していた。

 

どうやら過去を吐き出すことで調子を取り戻せたみたい。母のように思っていた人の娘に最期を話せて、肩の荷が下りた感じにも近しい。

 

と、そこで気づいたことがあった。

殺気がわずかに柔くなっている。いや、蜘蛛の巣のように張り巡らされた気配は健在だが、私に降りかかる圧が軽くなっていた。

 

「……よし、アンタが腹割って話してくれたわけだし? 私もなんか話してやろっか」

「……勝手にしろ」

「言ったな? 気が済むまで付き合ってもらうからね」

 

ぴくっと朧が歪めた顔にはわかりにくいけれどしまった、とでも言いたげだ。

にししっと笑うと遠くを見やれば、きらりと星は瞬いた。

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