お家に帰ろう   作:睡眠人間

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幕切れ

「朧……? 生きて、いたんですか」

 

その時の双方の心情は計り知れない。松陽はただただ驚いた顔をして、とっくに死んだと思っていた一番弟子の存在を噛み締めた。

ほんの少し先で足を止めた奈落。その中央を堂々たる佇まいで立つ朧は戸惑う松陽の視線を受けて、呻くような息遣いをする。

 

先生、と。

そう囁いた気がした。

 

憎悪で満たされた表情は剥がれその下から弟子の顔が覗く。まるで親を見失った心細い幼子のような、不安と寂寥を込めたもの。

けれど固く目を瞑り、次に開いた時には後影もなく消え去っていた。

 

「天下の大罪人、吉田松陽よ。貴様を捕縛いたす」

 

やれ、と命令が下りゾロゾロと近づいてくる奈落。

私は松陽を庇うように立った。足元に這う恐れなど吹き飛ばすかのように声を張り上げる。

 

「そんなことさせない。それよりも……朧、オメー裏切りやがったな!」

「はて、何のことやら。私は貴様に気を許した事など一度もない」

「んなもん私だって……っ」

 

まずい、まずい!

警報がガンガンと喚く。軋むように心臓が跳ね、時間を稼ごうと思考を巡らせた。

なんで朧は松陽を捕らえることにしたんだろうか。手段を選ばず師を取り戻さんとした? 確実性がなくさまざまさな危険が含まれた幸せな道を切り捨ててまでも。

いや、今は朧が裏切った理由など些細な事だ。松陽をどうやったら護れるか。それだけを考えないと。

冷静になれと何度も念じる。けれど混乱寸前の頭じゃ良い策は浮かんでこなかった。

耳にこびりついたしゃらんと鳴る音が鬱陶しい。

小刻みに震える指先を意識して力を抜かせる。

敵に全神経を集中させていると、朧が懐から取り出した和綴じの本に目を奪われた。

……どうしてお前がそれを持っている?

 

「貴様が先に裏切ったのであろう。おかげて始末する(むしけら)が増えた」

 

くたびれ端っこがぺらぺらに捲られた古びた冊子。私が数年をかけて書き続けた旅行記であった。それもただの日記じゃなくてありとあらゆるものを記したもの。

人を殺した事も、奈落の情報も、松陽の秘密も、見知らぬ母親の話も。

飛脚に届けさせるつもりで厳重に包装し別の荷物に紛らわせたのである。つーことは、殺されたのは快く了承してくれた飛脚の人か。

 

「……てめーらほんと趣味悪い。私に関わった人皆殺しじゃん」

 

なんで、ことごとく駄目になっちゃうのかな。

絶対いつか殺してやると睨む。ぷちん、と殺意が膨らむその背中を優しく叩き、松陽は下がるように指示をした。それでも動かない私にしょうがないと言わんばかりの微笑みを見せると、一歩前へ進んだ。

 

「私を捕える? ええ、どうぞ。お好きになさい」

「松陽! どうして……」

「私はどうなっても構いません。しかし子ども達に危害を加えるとなればこの場にいる全員の……いえ、組織の首を刎ねることも厭わない」

 

───!

刹那、跳んだ殺気は己の首から下の感覚を搔き消す。本能的な死を直感するも反応できない速さで、呼吸が止まった。

まさに死神の鎌と言える。何も考えることができぬまま暴虐的な終を突きつけられるのだ。

そばにいたから、あるいは気配に敏感だからか、私に向けられたわけではないというのに心臓は早鐘を打つ。

時折感じていた何かと似て非なるナニカ。

松陽と一線を画する酷薄な雰囲気を漂わせ、今回ばかりは私の震えも止まらない。

 

「しょ、うよう……?」

 

途切れ途切れの確かめるような声を出せば、一変する気配。いつもの吉田松陽に戻る。

松陽は苦しむような面持ちで眉をひそめるが、静かに息を吐くと真っ直ぐに朧を見つめた。

 

「この条件を呑むのなら、私はどこへなりとも行きましょう」

「……ああ。いいだろう。やつらが仕掛けてこない限り、此方も手は出すまい」

「それはよかった」

 

取引が成立する。ううん、これはそんなもんじゃない。松陽の魂の在り方を否定しかねない脅迫だ。

なんて連中だ、なんてやつだ。私は壮絶な怒りを込めて朧を睨む。

そうこうしているうちに松陽が奈落の元へ下ってしまう。

その手に縄がかけられた。ぐるりと回って両手を拘束すると連れられる。

待って。いかないで。一人にしないで。

 

「私は松陽がいなきゃやだよッ!」

 

今、戦わなきゃ。こいつらを殺さなければ、手の届かない所に消えてしまう。

あの時の覚醒状態。あれに入ればこの人数をどうにか相手できるかもしれない。私は人間じゃないんだ。血を求め、戦場に生きる野蛮な種族、夜兎。

殺す力をくれ。

呼吸を浅くする私に奈落は警戒態勢を強化する。

ふいに、ザッと草履で地を擦る音がした。

 

「おい、これァ一体どうなってんだ」

 

くるんと緩やかな曲線を描く銀髪。鞘に納められている、松陽に授けられた刀を握り現れた銀時は見たことのない真剣な顔をしている。

ああ、と思った。死んだような目をしたこいつに希望を押し付けてしまったことに。

 

「松陽が捕まって、連れてかれちゃった……」

 

掠れた声に銀時は黒い集団を見据え、そこに光る一点の白を見つけると駆け出そうとした。

慌てて掴んだ。乱暴に振り払われそうになって、それでも強く強く掴んで離さない。

 

「離せッ、松陽が───」

「わかってる! でも、お前が行ったって死ぬだけだ!」

「このまま指咥えて見てろってか⁉︎」

「松陽の思いを無駄にしないでって言ってるの!」

 

瞬時に状況を把握した銀時。斬れやしないその刀で師を取り戻そうとしたのだ。まだ間に合う。己の手は届くのだと、燃えるように赤い瞳が阻む私を映した。けれどそれは無駄死にするのと同じ。松陽の護りたいものを手放すことと同等であった。

荒くなる語調、鋭くなっていく目つき。

互いに本気で意思をぶつける。お前の気持ちは痛いほどわかった。

それでも私は止めなければならなかったのだ。

 

「───雪子。銀時」

 

ぴたっと言い争いが止む。

喧嘩両成敗だと振り下ろされるゲンコツはなく、手の届かない所に松陽はいる。

振り向いたその顔はいつもと変わらない優しい優しい微笑みで。

 

「心配はいらないよ。私はきっとスグにみんなの元へ帰りますから。……だから、それまで」

 

憎々しいほど美しい満月を背負った、儚く溶け消えそうな先生は小指をそっと動かす。ふわりと記憶が蘇る。昔、約束ですよと教えてくれたもの。

 

「仲間を。みんなを護ってあげてくださいね」

 

最後まで先生を貫き通した恩師の背中がだんだん遠ざかっていく。

松陽の残していった言葉が重く重く心に沈んだ。

無情で冷たい現実をまざまざと見せつけるように、ゆっくりと動く世界。

松陽が離れていく。銀時は低く獣のような唸りを上げて暴れる。騒ぎを聞きつけ出てきた高杉とヅラが上手く状況を飲み込めずにいた。

 

「先生……?」

「何があった!」

 

松陽の姿を隠すように数の減った奈落は蠢く。

目的を達成したというのに、未だに引かない連中。いいや、まだ残っていた。(裏切り者)が。

 

しゃらん、と錫杖を鳴らし朧は言った。

 

「松下村塾の弟子達よ。師はもう貴様らの元へ戻ってこられない。それから、その女もな」

 

……ああ、そういう、こと。

その時に理解した。朧がこの行動をとったわけを。次に私が取るべき選択も。

じとり、と背中に汗が伝う。一生消えない刻印がとある一筋の道を指し示す。松陽の教えを護るのか、それとも先生を救うのか。答えは最初から決まっている。

なら、それに従うまで。

 

私は三人に、松陽を連れて行った連中が幕府の一部隊であることを伝える。そして朧が松陽を捕えた公的な目的と思われるものも。

それを説明する為に少しばかり寄り道をする。

開国し侍による反乱によって、発達した科学文明と強力な兵器を有する天人との関係悪化を懸念した幕府が侍を弾圧した。

攘夷戦争が過激化、長期化してきたことによって天人までもが干渉する。やがて幕府が執行したのが、攘夷を教唆煽動する活動家や不穏分子を厳しく取り締まる───

 

「寛政の大獄……」

「だから先生が連れて行かれたって言うのかよ⁉︎」

 

高杉は激昂を露わにする。おのれ幕府め、とでも言い出しそうな表情であった。そして怒りの形相を私達に見せた。

 

「どうしてしがみついてまで止めなかった!」

「それは雪子がッ……!」

 

ぎり、と銀時が歯噛みした。口を開閉させるも声がこぼれる様子はない。まったくもって甘いやつだ。素直にこう言えばいいのに。

私が邪魔して動けなかったって。

 

ヅラは動揺こそしたものの、高杉や銀時ほど取り乱してはいないようだった。泣き出しそうな顔が垣間見えたが、それも塗り替えられる。

自分は臆病者であると前に聞いた。それは亡くなったお婆に教えを説かれたことがあったし、将たるものは誰よりも生き延びねばならないという信念を持っているからだと。

それ故にヅラは鋼の精神で己を律する。やつは臆病者の皮を被った勇敢な少年だった。

 

「吉田松陽が弟子、雪子。貴様も師と同じ道を辿るがいい」

 

奈落の目的が私に定まったことを悟り、三人は立ち塞がった。あまりに急いできたからか、ヅラも高杉も武装していない。

銀時が持つ刀は何も斬ることは叶わない。それは師の教えを護る姿勢の表れだったろうし、過去との決別でもある。

私はそう知っていた。

 

「こいつまで奪われてたまるか! まだ決着は着いてねーんだよ」

「貴様らの思い通りにはさせぬぞ!」

「松陽の護りてェもんは俺達弟子が護ってみせる……!」

 

構える三人の背中に、ぐっと言葉が詰まった。

きりきりと締め付ける胸の痛みを押し殺す。溢れ出ようとする声を、感情を必死の思いで留めた。決心が鈍る。何度もこれでいいのかと問いかけた。

 

固く目を瞑って心を潰す。

瞼を持ち上げると私は努めて明るい声を出した。

 

「その必要はないよ」

 

真後ろから渾身の回し蹴りを放つ。全衝撃を食らった三人が仲良く団子になって地面に転がった。場が不理解で包まれる中、朧は静かな瞳をしていた。

 

「雪子! さっきから何やってんだ!」

「……あのさぁ。言い忘れてたことがあんだけど」

 

銀時を見下ろすように屈んでにっこり笑う。まるで悪戯に成功した幼子のように楽しげな表情で。

 

「私はこいつらの仲間なの。その昔に裏切って追われてたんだけど、あることを条件に許してもらえるんだって」

 

さて、その条件とはいったい何でしょう?

くすくす、くすくすと笑い声が漏れた。銀時の顔が凍りつく。脳が受け入れるのを拒否しているのか、ぴくりとも動かないものだから夜を喚く哄笑をあげた。

 

その隣で地を這う低温が鼓膜を劈く。

 

「ふざけたことぬかしてんじゃねェ! 先生の首を売ったのか⁉︎」

「正解! よくわかったね、さすが晋助ちゃん」

 

小馬鹿にする態度丸出しでパチパチと手を叩けば、高杉は顔を歪めて何かを堪える。

拳を握って振り上げてきたので軽くいなし足を払った。また地面にうつ伏せ状態で倒れた高杉の背中に跨る。もちろん抵抗されぬよう、やつの腕を伸ばして、白い手を添えた。

 

「下手に動いたらこの腕折る」

「……冗談きついぜオイ」

「あら。そのお耳は飾りかな?」

 

まるで手合わせの結末と同じ構図だったが、格段に違うのは私に決意があること。やると言ったらやると経験則でしる三人は瞠目した。

突然の行動に驚いたのはこいつらだけじゃない。

 

「朧様。これはどういうことですか」

 

奈落の連中が聞くも、朧は何の返答も寄越さなかった。彼の中でもこれは予想外だったのだろう。どう処理すればいいのか計算中らしい。

 

「アンタとの取引は達成した。これで裏切りはチャラでしょ。ねぇ朧?」

 

密約を交わしていたという印象を付け、にたりと微笑んだ。真っ赤な嘘だがそれを確定させるのは朧が肯定するか否か。

私が朧の思惑を察していることは伝わっただろう。そして何をしようとしているのかも。

朧は感情を悟らせない塞ぎ込んだ目をしていた。そこに僅かな揺らぎが生じる。

 

「……ああ。任務、ご苦労だった。戻れ」

「りょーかい」

 

結果、朧は私と共に地獄に堕ちることを選んだ。

かさりと乾いた紙の感触に、ひとまずは関門を通過したと思う。立ち上がると奈落の方へ向かった。

 

「待て」

 

冷たく心臓を握り潰すような声に足を止めた。部隊の一人が睥睨(へいげい)する。

 

「その娘は追手を殺し逃亡した。朧様と手を組み、生きる為に己が師を踏み台にせんと身内さえ騙したのだ。信用ならん」

「ありゃりゃ。当然だけど信頼ないかー。じゃ、どうすれば信じてくれるのかな」

「そうだな……」

 

ちろ、と反撃の機会を窺う三人に視線を送った。

狂気じみた色をのせた顔が嫌らしくなる。まさかと肝を冷やす。その男が息を吸った瞬間、滑り込むような声が聞こえた。

 

「ならば、松下村塾に火をつけてみろ。己の帰る場所をその手で壊せ」

「───っ、そう。そんなこと」

 

手近な者が持っていた松明をひったくるように手にした。松下村塾と札の下げられた門をくぐり、躊躇いもなく家屋へ火を投げつける。

 

「あ……」

 

誰かの吐息が、静かに静かに溶けていった。

履物が乱雑に並んだ玄関、追いかけっこをして回った廊下とみんなでくつろいだ居間だとか。つまみ食いを阻止する攻防が繰り広げられた台所に、雑魚寝をすることもあったお座敷。

想い出の詰まった家が私の手で壊れていく。

 

「雪子おおぉぉぉ‼︎」

 

高杉が叫び声を上げながら走った。炎が燃え移る家屋から目を逸らした私は、突進してくる体を受け止め襟を掴む。ぐるんと勢いをつけ体を木の幹へと放り投げた。

叩きつけられ、高杉はずるりと地面に落ちる。打ち所が悪かったのか、すぐに動けそうにないようだ。

奈落に悟られぬよう慎重に隠しながら、懐から紙を取り出す。迷いない足取りでヅラに近づいた。

 

「動くなよ」

「ぐっ⁉︎ おい、雪っ……!」

 

発勁だったか、くしゃりと握ったものを託すようにヅラへ掌を押し出す。見えない力で引っ張られるようにして吹っ飛んでいった。

 

「さっ。これでいいんでしょ? ……疑うなんて酷いなぁ」

 

信用ならないと吐き捨てた野郎に、首を傾けて人形のように口角だけを器用にあげた。クソ野郎は物足りなさそうにフンと息を吐くのみである。腹が立ったので腰に差した刀を奪う。

 

「どうしたの? 抜き身の刀じゃないと止められないよ」

 

銀時は立ち上がった。パチパチと火の粉の迸る松下村塾を背後に、鞘に納められた棒切れを構えている。ふー、ふー、と荒い呼吸を抑えつけ手元は震えていた。

 

「オメーみたいな大馬鹿野郎には何言ったって無駄だ。俺達ァいつだって、こいつ()で聞かせてきた。そーだろ?」

「ふっ。そーだね。暴れん坊ども言い聞かせんのに苦労したものよ」

「女王様の間違いじゃねーの?」

 

挑発的な笑みを滲ませると、私は。

 

「……、…」

 

銀時は息を飲んだ。ついにその瞳が今にも涙をこぼしそうに潤む。けれど負けじと口元に弧を描いた。

 

「松下村塾、吉田松陽が弟子……坂田銀時。

───参る!」

 

……先生。ごめんなさい。

私はあなたに背き続けます。

そしたらいつか、喧嘩するんじゃありませんってゲンコツくれに来てくれると願うから。

間違い続ける私を、ふざけんなって止めてくれる家族がいるから。

 

「やっぱりお前は優しいね」

 

牙のない獣などどこにいる。

刃を持たない刀などどこにある。

 

「……だから誰も護れない」

 

交えた刃は鞘にぴしりと亀裂を入れ、ついにその刀身の姿を現す。剥き出しの銀色が赤を反射して妖しく煌めき、ぞくりとした。する、と銀時の手から離れていく刀。

地面に落ちる前に回収すると手に馴染むような感触がした。

 

「この刀は私が預かっておくよ。いつか取り返しに来い」

 

小指を胸元の前で掲げ、私は笑う。

 

「約束、ね」

 

 

──────

 

 

少し時は経ち、世界は三人と燃え続ける家しかなくなった。

その身を業火に晒す松下村塾だったもの。

もうもうと黒煙は立ち上り、弾け飛んだ火花は泡沫に消える。生き物のように唸る炎は家を飲み込み、赤く染まった木造家屋は脆くいとも簡単に崩れていった。

 

そこでの日常を跡形もなく奪っていく。

騒がしくも幸せだった日々の記憶を焦がしていく。

 

ボロボロになった和綴じの教本にぽつんとシミが滲み出る。やがてぽつぽつと増えていったそれは、頰を流れ落ちる大粒の涙であった。

 

「泣くなッ‼︎」

 

吠えるような叱咤はどうしたって悲しみに濡れている。

 

「雪子は先生を護る為に孤独の道を選んだ。……なのに、俺達が先に泣いてどうする……っ」

 

桂の手に握りしめられたくしゃくしゃの紙。それは数枚に折り重なった文だった。師匠譲りの美しい形の文字が連なった文には情報不足は否定できないが、最低限のものは記されている。

 

先生が消え、彼女が去った理由。

それからたっぷりの、愛すべきバカ達への感謝を。

 

「……あいつ、ごめんねって言ったんだ」

 

好戦的な笑みを覆った深い感情。彼女のあんなにも優しい声を初めて聞いた。

 

吉田松陽は弟子を護ろうとした。雪子は師匠を護ろうとした。特に後者は誰であろうと、(こうべ)を垂れるようなことは決してしない。

 

「あのバカ野郎……俺が、俺達が何もわからねェと思ってやがったのか」

 

三人はあの時、心底激怒していた。

己の師を売ったなど嘘だとすぐに理解した。雪子が松陽を一番大事に思っていたのは空が青いのと同じぐらい当然のこと。天地がひっくり返ってもあり得ない、と。

 

では何故か。それは自分達を頼ろうとせず一人で場を切り抜けようとしていたからだ。

誰にも責を与えず、全てを背負って去った。

どれほど自分勝手だろうか。

 

俺達はそんな自分勝手なやつに護られたのだ。

 

彼等が怒ったのはそんな彼女に、そして何もできなかった己自身だ。

二人がいなくなってしまったのは自分達が無力だったからだと。自分達のせいで二人を追いやったのだと、後悔に苛まれた。

夜の天蓋まで届きそうなほどの炎。それに比例して大きくなっていく音を搔き消すように、弟子達は声を上げて泣いた。

 

家族を二人、失って。

夜が明け、喉が潰れてしまうまで哭いた。




雪子が奈落の元に下るまでの話を丁寧に書きたかったので、こうして長めになってしまいました。
描写が拙く表現しきれていない部分もあるとは思いますが、できる限りそれぞれの思いの変化や、相容れない考え方を伝えたかったんです。

この話で一応攘夷志士になるきっかけと言いますか、それっぽいのも作りました。

松陽先生から授かった刀は消息不明になっていますよね。
松下村塾が燃える時と一緒に朽ちていったのか、
戦時中に折れてしまったのか、
ひっそりと持っているのか、
それは明らかになっていないのでわからないことですが、この話では雪子が預かることになります。
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