その頃奈落に属する弟子達はとある任務を遂行していた。古来より時の権力者に取り入り、または利用され国の采配に関与してきた天照院、奈落。
現在は江戸幕府将軍、徳川定々と繋がりを持っている。
徳川定々。開国を推し進め売国奴と侮蔑されながらも国を立て直した名君と呼ばれている。
しかしその実、対抗勢力を奈落を利用して削ぎ落とし将軍の座についた男だった。それも傾城の美姫と名高い鈴蘭太夫を国崩しに使った上で。
将軍となった現在は頂の光景を唾液を垂らしながら眺めていることだろう。
ここ最近の仕事は、気に入らない者を粛清し邪魔な者を排除する定々のお手伝い。もとい、処理と後始末だった。
暗殺集団の奈落にはお手の物だ。それもしばらく定々と関係を持っていた為、やつの行動も思考も把握している。
組織でも上位の実力を誇る朧、そしてその監視対象の雪子は特に駆り出されていた。
「次の目的地が吉原って?」
暗躍すること数年。だいぶ暗殺技術が板に付いた雪子は、前会ったとき定々の野郎が私の尻触ったんだよ? キモくない? と同意を求めるが朧に無視された。
「よりにもよって吉原とはねー。数年前、地上の吉原は天人との争いで燃え尽きたはず。その後復活させたのはあのエロじじいの策略でしょ」
「吉原は常夜の街。幕府が密かに会合をするにもうってつけだが、現在その夜を統べるは夜王、鳳仙と聞く。暗殺もこれまで以上に慎重に動くべきだ」
地上の吉原を意のままにしていたのは徳川定々。
だが地上の吉原は今や姿形も失せてしまっている。
そして天人に利用価値を感づかれ定々が主導して創り上げられたのが、ここ地下遊郭の吉原桃源郷。
しかし再び定々が手中に収めるには相手が悪かった。
吉原に売られた女達の多くが宇宙海賊春雨の手によるものだったのだ。
そしてまんまと吉原を掌握し楼主となった。
地下の吉原を支配するのは夜王、鳳仙。
雪子と同じ夜兎の一族。そして夜兎の王とまで呼ばれた男である。
──────
暗闇を照らすは月光でも、ましては陽光でもない。塞がれた天蓋は吉原という大きな闇を映し出しているかのようだ。
ぼんやりとした提灯が赤く光る。朱色の建物が軒を連ね、
「ねぇ、これおかしくない? 私達暗殺に来たんだよね、仕事なんだよね」
「ああ。それも任務のうちだ、しっかり励め」
色鮮やかな着物で着飾った女達。どれもこれも別嬪揃い。情欲の街だ、男の天国だと称されるのも理解でき……いや無理だ。
雪子は重たい頭を横に振った。艶やかな髪には数本の簪が刺され頭が動くたびにゆらゆら揺れている。絢爛たる衣装に身を包んだ彼女はどこからどう見ても遊女だ。
「いや……いやいやいや。私、囮? つか遊女のフリする必要ある? 背後からブスリでいいじゃん」
「言っただろう、鳳仙が治める
だからって男を誘惑しろというのか。
雪子はむっと眉根を寄せた。
二人が向かうのは幕府中央と繋がりのある店である。
女が売られる街で一般客らしい女が自由に動き回るのは、どうにも目立つ。そのかわり遊女であればこの街に文字通り腐る程いる。
雪子はそれに変装し標的を殺さねばならないのだ。
松陽に黙ってこんな仕事をしているとなればお天道様に顔向けができないと思った。
とりあえずこの計画立てたやつあとで殺す、と殺意を滾らせた雪子。
ひとまず準備を終え、物珍しさからキョロキョロと視線を巡らせていると、一般人に変装した朧が騒ぐなと命令する。
「鳳仙を欺くためにここまでする? そもそもその鳳仙とやらはどこなのさ」
「おそらく、あの建物の最上階にいるだろう」
朧が指差したのは吉原でも一際目立つ大きな屋敷だ。チントンシャンと街を賑やかす音色と、酒を呷り豪快に笑う男達の声。女達は男を虜にしようと誘い、濃密な色欲に溢れた気配がする。
……ああ、なんかいそうだ。知りもしないのに雪子は思った。
それからしばらく、雪子は源氏名を使い吉原で商品になった。張見世で商品として並べられる。
母親譲りの美貌を遺憾なく発揮し、気高い遊女として少し有名になったのは誤算だったが、その分仕事も比較的普通になる。お酌をする、芸を披露するといったものだ。
それぐらいならと雪子もやったのだが、体を触ってくる男に何度もぐぞと思ったかわからない。
朧は一般客として雪子のもとを訪れ、情報を交換した。標的については計画通りに仕事ができそうだ。
「しっかし吉原ってのは恐ろしいとこだな。奈落じゃ知って当然だけど、そこそこの機密事項もぽんぽん出てくる」
「ああ。だから幕府としても管理下を離れるのは許しがたいのだろう」
それは真の目的を仄めかす。
定々は未だ吉原を我が手にする夢を諦めたわけではなかった。可能ならばまた、と大人しく手を
しかしそれには途方も無い力が必要そうだ。
「そういえば、見覚えのある幕臣が客として来たんだけど。たぶん謁見したときにいた奴」
「道理で貴様を買うのに金がかかったわけだ。高官が買いに来るような遊女は高額だからな」
「嬉しくねぇ……っと、それなら」
行灯が申し分程度に仄めかす室内。華やかな騒ぎ声が襖の奥でして、ぴったりくっついた二組の布団の上にしどけなく足を伸ばす。袖口で紅を引いた唇を隠し、蠱惑的な瞳をすぅっと細めた。
「お客さん、今晩はわっちと楽しいコトを───」
「気持ち悪いことを言うな。毛ほどもする気がないだろう」
「まぁね、つかアンタが了承するわけねぇし。もしそういう気になったらもぐしな」
でも最後で言ってみたかったな、と雪子は残念そうな顔をする。楽しむとか気を抜くとか、そういう概念がないのかと思うほど朧は仕事人間だった。
有り体に言えば遊びがない。
奈落であればそれも仕方がないというものか。
「標的は明日この店を訪れる。仕留めたらすぐに退却するぞ」
「了解。あーやっと終われる」
脱出の手筈を念入りにチェックすると朧は退室した。一人しかいない部屋、ぽつんと残された二組の布団。気持ち悪いと片っぽ片付け、装飾を外し着物を数枚脱ぐと雪子はでーんと寝っ転がった。
やがて静かに襖を開けて、しずしずと音もなく現れる女性。
「あらあら。太陽はまだ昇っちゃいないんだけどねぇ。今日の仕事は終わりかい」
「そうですそうです。私の営業は終了したよ。それに常夜の街に太陽たァ、アンタも粋なことをおっしゃる」
遊女達の間で太陽と崇められる存在。女神のような神々しい美しさを持つ花魁、
瑞々しい玉貌と穢れることのない凛とした瞳はまさに絶世の美女。
立ち振る舞いからして最高位の太夫であると認識せざるを得ない。雪子は少し自分の動作に気をつけようと思った。
「あれ、日輪さんや。月詠ちゃんはどうした?」
「今日はお師匠さんのとこに行ってるよ。強くなりたいって、私を護りたいんだって」
「別にいいんじゃね? 誰かを護りたいって思うのは悪いことじゃないし」
「けど……百華頭領に弟子入りして、見る見る傷を増やしてってるのよ、あの子」
「修行なら傷つくのも当たり前だ。吉原の
吉原の自警団、百華頭領のあの男のことを雪子は心良く思っていない。
奈落の暗殺リストに載れば嬉々として殺しに行くのに、とここ数日思っていた。
叶うかどうかは別として。
「つーかわざわざここに来るなんて。なんかあったの?」
「ああ、その。少し……アンタの顔が見たいって人がいて」
日輪は躊躇うような表情を浮かべた。
心配と不安でその顔が曇る。
「明日の晩、
「……………え」
──────
暗殺計画は滞りなく終了した。
しかし予想外の予定がこの後に入っている。
「放っておけ。もう吉原に用はない」
「うーん、そうだけどさぁ……。もし私が行かなかったら、あの人タダじゃ済まされないと思う」
「それと貴様に何の関係がある。まさか数日過ごす内、情でも芽生えたか」
朧に指摘され、雪子はぐっと押し黙った。
情が芽生えたか。それは肯定も否定もできやしない。雪子は日輪が大事かと問われれば首を傾げてしまうからだ。とても優しい人だと思う。だが己を危険に晒してまで護りたいかと言えばそうでもない。
ただ彼女の周囲の人間が可哀想だと思った。彼女の芯の強さに触れれば心から笑顔になる。雪子も実感していた。
日輪は吉原を照らす太陽。もはや彼女がいなくては吉原は壊れてしまうだろう。それほどの人だ。
それが重なってみえたのだ。
これは自己満足に過ぎないと雪子は自覚する。
「朧。悪いけど先に戻ってて」
まっすぐに見据えた先は夜王、鳳仙のおわす城。
「……貴様は私の監視対象。勝手な行動をされてはかなわん」
「だーから秘密にしてくれって」
「であれば、貴様が下手をしないか監視するのも私の任務だ」
どこから取ってきたのか、長柄の傘をばさりと広げる。そして雪子の斜め後ろに立ち、従って歩む。
朧ははぁ、とため息を一つ吐いてそれからは口元を引き締めた。
しゃなり、しゃなりと女は往く。
その唇に嫋やかな笑みを浮かべて。
「あんた……来てくれたの」
「日輪太夫に頼まれちゃ断れないからな。ところでコレ特別給与でるよね? そこらの額じゃ動きませんよ」
「ふふっ。ああ、任せな」
ぱちんと可愛らしいウインクをして見せた日輪。
ほんの少しの元気をもらって雪子は笑った。
畳が敷き詰められただだっ広い一室に通される。料理や酒瓶が並び、想像していた空間と違って一安心した。
雪子は吉原を一望できる縁側に出て、そっと手すりに触れた。世界がとても窮屈に見える。
大きな配管が張り巡らされ何重にも封鎖された国。地面から仰ぐしかできない重い天蓋。
「息が詰まりそう」
接待する気などサラサラない雪子が、頬杖をついて女の国を見下ろす。そしてぞくっと心臓を焦がすような気配に、身体中が沸き立った。
得体の知れぬ、巨大な気配。来る、と雪子は反射的に身構える。やがて襖が開かれて。
「…………ほう、これはこれは」
滲み出る歴戦の猛者の匂い。
一瞬、瞠目した鳳仙はすぐに王者の風格を纏わせる。
「まさか夜王を迎えるのに、跪き頭を地になすりつけぬ者がいようとは。噂に違わぬ不遜な女だ」
「……私を呼んだ理由はなんでございましょうか」
「なに、いきのいい小娘が
鳳仙は泰然とした態度である。
それもそうだろう。夜兎の王とまで呼ばれたこの男が小兎ごときに落ち着きを失うわけがないのだ。
「しかして夜兎の血を引く者とは思わなんだ」
「よく、わかりましたね……」
「同族は何よりもそれに敏感だ。夜兎の本能を忠実に受け継ぎ、それでもなお保つ人間としての矜持……。わかる、わかるぞ。その体から匂う血。わしの弟子と似通うものがある」
酒をぐいっと呑み、鳳仙は笑う。
どこかの誰かと似た、好戦的で嘲るような口端の吊り上げ方だ。
「そして、ぬしの母親とはまったくもって似ていない」
鳳仙の口から飛び出た言葉に雪子は目を見開いた。
捩じ伏せる圧倒的な気配はぴたりと止む。
「顔立ちはまるで生き写しのようだ。特に闇に覆われぬ穢れなき
鳳仙は静かに、静かに問う。
彼女の口から何も言葉がでないとなると、ある程度察した。瞼を伏せてしばらく黙し、やや覇気のない表情になる。
「そうか。あやつはいないのだな……」
雪子には、そう言って酒を口にする鳳仙がただのおじいちゃんに見えた。さっきまでは周囲を破壊し尽くさんとする暴力的な気配を纏っていたが、今は亡き者へ思いを馳せる、普通の人に。
「……私に母親の記憶はない。だから聞かせてほしい。なぜ夜王と恐れられるあなたが母を知っているのか」
「……わしだけではない。夜兎族であれば誰でも知っておろう。夜兎でありながら夜兎に抗った者。荒くれどもの中で咲く一輪の花。それがぬしの母親だ」
赤く塗られた盃。そこに注いだ酒をゆるりと回し、揺らいだ水面を見つめる鳳仙。
「戦場で出会った時からあやつの強さは一級品だった。一目でわしは知ったのだ。己と同等の力を持つ者がやつの他にもいたのだと。……だがあの女は戦おうとしなかった。その身が潰されそうになっても泣くこともなく、怒りもせず、夜兎であることに誇りを持つ儂をどんな目で見たか。何を言ったか……」
ひゅ、と息が止まる。
あの時と一緒だ。己の死を錯覚させるほど本物に肉薄する気。これほどまでの境地に達する者がどれだけいるだろうか。
遠く、遠くに在るのだと雪子は痛感した。
「───可哀想だと言いおった。夜兎という血に染まった種族を哀れんでいたのだ。あろうことか夜王を前にして憐憫の目を向けたのだ。あれほど腹立たしく、そして悲しいこともなかった」
鳳仙はその目に焼き付ける。
まんまとこの手から逃げ
それもそうだ、と自嘲的に笑う。
追い求めたものはいつだってすり抜けた。遠くから嘲るように見下ろすばかりだ。今だって。
「ぬしの母の名は
最後に一口で飲み干す。
強く面影を残す娘に触発され、かつての渇きが疼いたのだ。酒でも代わりの女でも癒されない渇きが。
「わしからぬしに伝える事はもうない。あとは星海坊主に聞け」
からん、と空の盃を置くと鳳仙は立ち上がる。
「お待ちください、私は……」
「ぬしがあやつの娘であることに感謝しろ。でなければその首、とっくに飛んでいる」
ぴりり、と気配が鋭くなった。
再び死を濃縮した空気が流れ出し、雪子も警戒を厳重にする。
「二度はない。気配を断っていても匂いは嗅ぎとれるぞ」
出て行った鳳仙と入れ替わるようにして、朧は姿を現した。雪子はその時、自身がどんな表情をしていたのか全く自覚することはできなかった。
朧の、少しだけ気遣うような視線ではっとする。
取り繕うように笑顔を貼り付けた雪子は、呆れたような声を出した。
「ちょっとォ、バレバレじゃん。私の母親……蓬麗があのジイさんと知り合いでよかったね。じゃねーとお前死んでたよ」
「……さすがは夜王と言ったところか」
「誤魔化すなって」
雪子は笑う。
朧は仕込んでいたクナイにそっと触れた。微塵も気配は漏れていないはずだった。それすらも超越する嗅ぎ取る力が鳳仙にはあったのだ。
「さてさて、朧。これ報告書に書くの勘弁してほしいな」
「……私としても、任務に失敗したとは報告しづらいのだが」
二人が吉原へやって来たのは暗殺任務のためだ。そこに加わっていた項目が、ひとつ。
鳳仙と接触した場合、そやつを始末すること───
今思えばなんと無茶な命令だ、と雪子は嘆息する。そして己の保身しか頭にない将軍を可哀想だと思った。
「松陽に聞かなきゃいけないこと、増えた」
吉原炎上篇と一国傾城篇がごっちゃになってこんがらがりました。ええいと思って改変してるところあります。
時系列は確認したのですが、もし間違っていたら教えていただけると助かります。
劇場版の話も入れたいのですが、タイミングが見つかりませんね……。なんかいい感じのところに入れます。書き上げ次第。