色々捏造してるところあります、お気をつけて。
かつん、かつんと響いた足音が冷たい牢屋に
松陽は独り言を言う人じゃないよな、と思いながら近づくとそのわけを知る。
「なになに骸ちゃん、お勉強してんの?」
「───!」
よほど集中していたらしい。
足音も気配も察知できぬほどのめり込んでいた骸は何事か書かれた紙を抱きしめるように隠した。
かた、と筆が悲しげに転がっていく。
「へぇ〜教育係の指導だけじゃ物足りないと。随分と余裕あるんだー」
「……あなたに教わっているのは暗殺技術だけじゃない。それに雪子が学問を教えられるの? 無理でしょう?」
「こんにゃろ体術の時間増やしてやろうか」
ニタニタ顔から一変して本気で時間割変更を考え出す。神童と讃えられるほど素質に溢れた骸を育てるのが、奈落三羽に数えられる雪子の任務でもあった。
「言っときますけど、私だって松下村塾じゃ優等生だったからね?」
「そうでしたねぇ。それも立派な悪ガキの優等生でしたが」
格子の奥で松陽は微笑む。
「銀時達を引き連れてどこそこで遊び回り、喧嘩しては次の日ころっとしている。君は先生を困らせる達人でしたよ」
酷く懐かしむような優しい声色だった。
もう戻ってこないのだと諦めたのか、手にできやしないと悟ったのか。
ともかくそんな顔をしてほしくなかった。
「今もね、喧嘩中なんだよ。だから松陽は困ったように笑えばいい。うんと困って、しょうがないって帰りを待ってもらわないと。……悪ガキどもの帰るところ、なくなっちゃうよ」
「……ちゃんと仲直りしないと先生は許しませんからね」
その言葉に雪子は顔を逸らす。松陽の悲しげな表情をそれ以上見ていられなかったのだ。
気まずげな空気を一刀両断したのは、骸の逃すことを許さない厳しい視線だった。
「喧嘩? そんなに幼稚なものだったの」
骸はある程度のことを知っている。
教育係となったこの女が、何をして奈落に舞い戻ったぐらいは。この女が組織でどれほど重宝されているかを。
「お気楽なものね。その手で全てを壊しておいて、まだ帰れると思っているの? ……残念だけど無理よ。奈落があなたを手放すわけがない」
「確信したような言い方だな」
「当たり前。あなたはこの組織の真の恐ろしさを知らないのよ……」
雪子は夜兎の一族である。
夜兎といえば宇宙最強と名高い絶滅寸前の種族だ。それ故に生かされているのだろうと雪子も痛感していた。
奈落は宇宙中から恐れられ、そして喉から手が出るほど欲される種族を利用する。神をも地に引き摺り出す獣を鎖に付けて飼えるのだから。
数年前に母親から奪い大切に育てた道具を一度取り逃がした奈落は、二度と彼女が鎖を引き千切らないようにする。その一つが吉田松陽であった。
「ほー、心配してくれんだ」
「してない」
ぴしゃりと否定されても雪子はニヤニヤとした顔を崩さない。まただ、と骸は思う。
松陽も雪子も、絶望しかない状況において笑顔を絶やさなかった。たとえ種類は違えど闇に屈するまいとした強い魂の表れだ。
戦争孤児となり奈落に育てられた骸には到底理解できなかった。心を塞ぎ、いつしか目に光が宿らなくなった少女は、これまで積み上げてきた固定観念が揺れているのを感じている。
この先は絶望しかないという、確固たる未来が変わるような。
「雪子に勝手にされたら、教え子の私の地位も怪しいもの」
「いや……将来なんか幕府の組織に引き抜こうって話もあってるけど。てかその台詞、最近聞いたことあんだけど」
「何か言った?」
ぼそっと呟いた雪子は、なんでもないと首を振る。
「あ、そろそろ休憩の時間じゃん。骸ちゃんは休んできな」
「それもそうだけど、あなたと吉田松陽を二人きりにしないと命令が下っているわ」
「うん、だから代わりに朧が来ると思う」
頭だった頃の松陽が失踪した折、一時期姿を消した朧。戻ってきたと思えば憎しみを糧に任務を遂行しているようだった。
そして雪子の存在を知り組織を連れて襲撃するも反撃される。
その失敗も松陽と雪子を捕らえた結果から帳消し。
骸はなんとも怪しい男だと思っていたが、その実力は確かなものだった上に自身に何の力もなかったため行動もできない。
その上奈落のために動こうなど毛ほども思っちゃいないけれど。
ともかくきっちり時間まで牢番の仕事を務めると、やがて朧がやってきた。
「交代だ、骸」
「……わかった」
朧は冷めた目で骸を見下ろす。
勉強道具を直し、少しずつ白紙が埋まってきた和綴じの本を閉じる。そして骸は自分の膝を見つめながら小さな声を出した。
「……あの。………」
「ええ、また明日」
松陽が笑顔で手を振れば、骸は胸元まで手を上げると脱兎の如く走っていってしまう。
「……私、また明日とか言われたことない」
「そうなんですか? 私にはいつも言いますけど」
「…………」
雪子の心情を表すように、備え付けられた蝋燭が寂しげに揺れた。
「おい。話をしろ」
「あ。うん、そうだね」
朧に促されて、雪子は松陽に向き直った。
そうやって話をすることが現時点での雪子の生き甲斐と言っても過言ではない。
当然聞かれても構わない情報を伝えたりもする。
『そ、それで……ふふ。狂乱の、きこ、ふっ。貴公子……ははっ、狂乱の貴公子だって……ひー』
『雪子? 笑いながら言われてもわかりません』
『白、白夜叉て……ぶふっ。ついに夜叉になったし。マシなのが総督て……ぶぷぷ』
『……君そんなに笑いの沸点低かったですかね』
とまぁこんな感じで、雪子も松陽も銀時達が何をやっているかは知っていた。
そして今回は母親のことを伝える。
「それで、鳳仙に聞いたんだ。私の母……
松陽は静かに目を閉じている。
その瞼に思い描くのはいったい何か。格子に背を預けて立つ朧もまた、何も言わずに耳を傾けていた。
「……松陽はさ、私の過去を知ってるんだよね。そして蓬麗のことも」
蓬麗が捕らえられたのは松陽が首領だった頃だ。
鳳仙さえもが認める力を持つ夜兎だ。知らないはずがない。もしかしたら、奈落は彼女を利用しようとしたのかもしれない。現在の雪子のように。だが彼女は処刑されたという。それも護りたいものがあったからだと。
雪子はある仮説を立てていた。だがそれは最悪のシナリオであり違ってほしいとも思う。
いい加減、自分のせいで大切な人が不幸になるのは堪えるものがあった。
「知ってること教えて、松陽」
覚悟を秘めた瞳で射抜く。
松陽はその視線を受け止め、黙している。他の牢人たちの気配も遠のくほど深い牢屋。あたりはぞくりとする静謐な雰囲気が揺蕩った。
「───私も全てを知っているわけではないよ。それでもいいのなら……」
雪子は他人のような母親のことを。
朧は母親のような他人のことを、知る。
──────
蓬麗と出会ったのは、ここ地球でだ。
平常通り仕事をしていた松陽……いや、その時はまだ虚というべきか。
別人格だった虚は強い気配を感じた。
『先に戻っておきなさい。たった今用事が出来た』
『どちらへ……頭!』
部下の制止の声も聞かぬ内、虚は駆け出す。
久しい感覚に胸が踊ったのだ。自分の待ち望んだモノが待っている───確かな期待を抱き、辿り着いたそこに少なからず驚いた。
突然現れた虚にぎょっとして体を固めた女。その腕に抱かれた小さな命。
『女……と、赤子か』
赤子を抱きしめた女……蓬麗は刀を
『何の用か知らないけれど……あなたに背を向けて逃げるのは骨が折れそうね』
『おや。逃すつもりはありませんよ。どうやら君は私が欲していたものに近いようだ』
死んでも死んでも蘇る体を徹底的に潰し、自分を殺せるかもしれないと。
到底は抱かない希望を、しかし常軌を逸した存在の虚は心中に燻らせていた。
『あなた……一体何者なの』
蓬麗は無尽蔵の恐怖へ引きずり込まれるような錯覚を覚えた。勝手に体が震えて、赤子を抱く手が弱々しい。
すぐにでも斬りかかろうと殺気を飛ばす虚。彼の心は歓喜でいっぱいだった。
対峙してはっきりとわかる。
この女は限りなく理想に近い、と。
『どうして君は赤ん坊を連れている? そんなものは邪魔だ、早く捨ててしまいなさい』
途端、蓬麗の気配ががらりと変わる。
幾度となく死線を越えてきた猛者の目に。
凍えるような殺意が這い寄り、虚はかちりと刀に手をかける。
しかし鋭利な刃が振り抜かれる前に、ぱちんと弾けるように蓬麗の気配は萎む。
『私は傷つけない。もう、誰も……』
『───なるほど、見上げた精神力だ。だが……』
キィンと欠けた刃が飛ぶ。
ほう、と虚はより笑みを深めた。
すべては一瞬のことだ。
赤子を真上に放り投げ、寸前に迫った刀を蹴り折ると赤子を抱きしめ距離をとる。
それらの動作を虚を前にしてやってのけたのだ。
これで心が沸き立たないわけがない。
『素晴らしい、もっと魅せてください』
『お断りです。あなた正気?』
『正気でないのかもしれませんね。ですが今はどうでもいい』
切っ先の欠けた己の刀を愉快そうに一瞥すると、虚は狂気的に微笑む。ぞっとした。蓬麗は赤子を庇うように覆う。
『……せめて。せめてこの子を安全な場所へ』
『構いませんよ』
虚としても足手まといがいては興醒めだった。
蓬麗は一瞬逃げることも考える。だが先ほど自身が予想したように、死の追撃を振り切るにはどうにも力不足だ。大人しくするしかない。
蓬麗は長い睫毛を伏せて静かに了承する。
戻ってきた蓬麗に虚は笑いかけた。
不気味な人形を思わせる、不自然な角度に首を曲げると口角をキュウと吊り上げて。
『では、始めよう』
『……ひとつ言っておきましょうか。私はあなたの期待には応えられない』
『それはこれからわかることッ!』
斬り込んだ虚は蓬麗の言葉の意味を理解した。
蓬麗は防御してばかりで全く反撃してこないのだ。
欠けた刀に身を貫かれ、斬られ、血を滴らせながらも彼女は拳を握ろうとしない。地面に叩きつけられ潰されそうになっても、ただ悲しそうな目で虚を見つめるのみ。
『あなたのその目、その器。からからの虚無……そのすべてが、かわいそう』
『戯言を』
『ぅ……ぐっ!?』
ずしゃ、と血溜まりに滑り蓬麗は体勢を崩す。
虚は追い討ちをかけるべく跳び、振り上げた刀を突き立てた。肉を貫通する感触がして、勝利を確信してほくそ笑む。
しかし虚は急速に心が乾いていくのを感じた。
ぱさりと広がった髪。至近距離で見上げる静かな瞳は澄んでいる。己の奥底を見透かすような目だ。
脳裏にこびりつく、まっすぐな目。
『あなたは虚。何もない、ただの空っぽの入れ物』
『……虚か。それはまた、随分と私に打ってつけの名だ』
その時に名前もなかった怪物を呼ぶ名ができた。
蓬麗は苦しげに呼吸をすると、虚を見上げる。
『さっきから上からの物言い……少し腹立たしいわ』
心臓部に突き刺さった刃を掴み、手のひらから鮮血が散る。力づくで抜くと、虚と再び向き合う。
全くの無傷である虚と違って蓬麗は血だらけだ。
それでもさすが夜兎と言うべきか、瀕死に至ってはいない。
『ここまで殺されかけても反撃しないとは。君は死にたいのですか。ならば楽にしてあげましょう』
虚を前にしてこれほど死なない者は一人たりともいなかった。初めて感じる新鮮な気持ちに、虚は多少なりとも動揺に似た揺らぎを悟る。
『私はあなたのように、誰かを傷つけたりなんてしない』
きっぱりと言ってのけた蓬麗。
屈することのない凛とした魂の在り方に、痺れるような衝撃が頭を駆ける。
『……本気を出さないのであれば、そう仕向けるまでだ』
ぐるん、と眼球が回り標的を定める。
蓬麗はわかりやすく顔色を変えた。
だめ、待ってと声を荒げたのも遅く、次の瞬間には虚は刃を構えている。
そして赤子に向かって凶器を───
『………』
しかし虚は刀を鞘に収め背を向けた。
蓬麗は駆け寄ると、血に触れさせないようにして慎重に赤子の無事を確かめる。すると赤子は思い出したように、わんわんと泣き出した。
『その子はいずれ私を殺すに足るまで成長するかもしれません。それに重りがあるようでは本気の君と殺し合えない』
感謝する、と掠れた声で蓬麗は言った。
赤子を抱きしめようとするも血で汚れた手ではできそうにない。蓬麗はその場から移動し、虚が振り向いた時には血が飛び散った跡だけがあった。
『……次に会った時は殺せるといいが』
虚は歪な笑みを浮かべた。
かくして時は経ち、地球に夜兎が紛れ込んでいるとの情報を元に奈落は奔走していた。居場所を突き止めた時に虚は言いようもない歓喜に包まれた。
早く、早くあの女と殺し合いを。
しかしそこで予想外の問題が発生する。吉田松陽という人格が生まれつつあったのだ。まさに虚にとっては悲劇に他ならなかった。
虚の蓬麗に対する執着を知った松陽は、彼女とその子どもを護ることを決心する。松陽もまた蓬麗の考え方や思いに共感を持っていたからだ。
『虚様、どこへ行かれるのですか!』
そして数年前と同じく、松陽は走った。
今度は殺すためじゃない。護るために駆ける。
虚の人格に無理やり松陽は割り込むと、蠢く黒い感情に気づいた。それは虚の叫びにも近い。殺させろ、あの女こそ自分を殺せるかもしれない、と。
押さえつけて正気を保ち蓬麗の前に飛び出る。
『なっ、あなた……っ!』
『大丈夫。私は君を殺しに来たのではない。話をしに来ました』
『……なにか、違う……というか、記憶にある顔と全く違わないのだけど』
赤子がすっかり元気な女の子になるぐらい時は経っている。蓬麗も若々しい可憐な美しさから、落ち着いた清楚な美しさに変わるほど。だと言うのにこの男、見た目がまったく変わっていなかった。
それに殺意が微塵も感じられず蓬麗は首を傾げる。
『……? どういうことですか』
『説明させてもらえますか?』
蓬麗に案内された古びた家屋。食材や日用品の類はある。あの日の赤子は育ちあどけない顔をした女の子が眠っていて、ひとまず普通の生活はしていけていると知り松陽は安心した。
危害を加える気はないと理解しても、さすがに子どもに近づくことは許されず蓬麗に話を促される。
『初めにすまなかった。迷惑をかけたようで……』
『……その口ぶりはわけがありそうね』
あの時と変わらない静かな瞳に、松陽は心が思うままに話した。
自身が不老不死であること。終わりのない苦痛に耐えるために無数の人格を生み出したこと。終わりを願う人格───虚と、無数の虚を止めようと抗う人格───吉田松陽がいること。
蓬麗は無言だった。
白皙の横顔には哀憫が浮かび、虚という存在を悲しんでいる。
『……そう。だから、自分を殺せるかもしれない力を持った私を追っていたのね』
『ええ。彼は、彼らは一刻も早く自らの終焉を望んでいる。永劫に続くような苦しみや痛みから解放されたいと』
すやすやと眠る我が子の頰をするりと撫でて蓬麗は問うた。
『吉田松陽。あなたはどうしてそれを話したの。不老不死なんて宇宙中を探したって見つからない禁忌そのものよ』
『……私なりの誠意のつもり、だったのですが』
蓬麗はため息を吐くと、艶やかな髪を耳にかける。
そして穏和な声を保ちながらとても冷たい言葉を投げかけた。
『抗う、と言っていたわね。それは奪ってきた命への贖罪? ……それはただの自己満足に過ぎない』
自分がそうであるように。
蓬麗が求めたのは同意か、否定か。おそらくそのどれでもなかった。抱え込んでいた何を吐露したかったのだと思う。
その弱さを、浅ましさを自覚して蓬麗は拳を握る。
『ごめんなさい。忘れていいわ』
『───贖罪か。そうかもしれません』
蓬麗は弾かれるように松陽を見つめた。
『ですが、その行為に無理に名前をつけなくていいと思います。ただ己の魂の在り方を定めるのは己しかいません。だから……自分が自分であるために。私が吉田松陽であるためには、きっとそうしなければならないと、そう……』
ゆっくり、ゆっくりと紡がれる言葉に息を飲む。
魂を揺さぶられた気がした。
『……上手く言い表せませんね、申し訳ない』
松陽は困ったように微笑んだ。
いえ、と蓬麗が弱々しく言う。やがて顎に手をやって真面目くさった顔をした。
『あなた、先生に向いているんじゃないかしら。寺子屋でもやってくれたらこの子を預けようと思うけれど』
きょとんと松陽が不思議そうな表情を浮かべた時だった。
無数の足音、錫杖が戦慄き、強い殺気が飛ぶ。
奈落がやって来る。
間に合わなかった。それはもうどうにもできない。問題はこれからどうするかだ。
『君は逃げなさい』
松陽はやや特殊な柄の形をした刀を握る。
彼女達がここにいれば奈落に捕らえられるのは必定だ。であれば首領の自分が逃げられたとでもでっち上げれば、多少の時間は稼げるはず。
しかし蓬麗は笑った。
『……私は逃げないわ。この子が大事ですもの』
『ですが……』
『私の事はいいの。その代わり、この子をいつか自由にしてあげて』
蓬麗一人ならば逃げる事は可能だ。しかし幼い子どもを連れて行くのは無理だと悟った。それに傷つけないと誓ったから。逃げることを許さなかった。
そうして捕らえられた蓬麗は奈落に幽閉されることになる。夜兎なのだから戦場に送ろうという話もあったが、強いるのは酷だと思った松陽は良しとしなかったのだ。
子どもは取り上げられ奈落の一員として育てられることとなった。背中に一生消えることのない八咫烏の刻印を刻み、のちの主力となるように学問にも力を入れて教育が施された。
そして松陽にも小姓ができ、虚の人格が意識の底に沈み込んだ頃。松陽は蓬麗の元へ向かう。
『……すまなかった』
『あなたのせいじゃないわ。あの子が無事でいてくれるのなら、それだけで……』
『……ひとつだけ。ひとつだけ、願いを叶えられると言ったらどうしますか』
可哀想だと思った。
抗った未来が、我が子を奪われ自分は牢屋で死を待つしかできないなんて。
魂を美しく在り続けた結果には、あまりに惨い。
しかしそれでも蓬麗は強く在った。
『自惚れないで。私に救いの手でも差し伸べているつもり? 罪滅ぼしにもなりゃしないわ』
拒絶の言葉を吐き捨て、蓬麗は俯く。
後悔はあった。我が子のこと。ただこの世に生まれてくれただけなのに、どうして何も悪くない娘が人を殺さねばならないと。
母親失格だ、と蓬麗は自分を責めた。
『私は母親になり損なった。恨まれても仕方がないと思うわ。勝手に巻き込んで、あの子の自由を奪ったのは私の責。小さな烏さんだって、本当の家族がいたはずよ。……でも、それでも』
ぽた、と涙をこぼす。
まだ抗っていたかった。母親でありたかった。
我が子の未来を奪いたくなかった。
我が子の代わりにしてしまった自分が悲しかった。
だが二人に抱いた愛情は紛れも無い本物であり、複雑な思いがさらにつらくさせる。
『……あの子達を助けてあげて』
食いしばった歯から漏れた、願い。
蓬麗は恥じた。否定しておいて誰かに乞い救いを求めるなど、厚顔無恥にも程がある。
そんな甘ったれた考えで欲するなんて、浅ましい。
だが涙は溢れてくるばかりで。
蓬麗は泣きながら我が子達を想った。それでも抗い続けたのは母親としての意地だ。
そして、最期は───………
──────
「私は蓬麗が残した命を、想いを、魂を護ると決めました。……それが君達だよ。雪子。朧」
静かに静かに松陽は物語を紡ぐ。
今は亡き母親の奮闘を。
最期まで清く美しく在り続けた魂を。
松陽は確かに引き継いだ。
朧を救おうにも、手の届かぬところで死んでしまった時は後悔の念に苛まれた。しかしもう一人の子は既に解放していた。
「襲撃中、行方をくらませる事は大変でしたが、その後なんとか雪子を見つけることができた。まさか記憶喪失になっていたとは知りませんでしたよ」
それも幸運だったのかもしれない。
拾われた雪子は奈落で培った教育は憶えていたが、暗殺技術などは忘れてしまっていたようだった。
松陽はそれを蓬麗の贈り物だと思うことにした。
親の思いは子の思いよりも、ずっとずっと深く大きいのである。
もし自由になれたら普通の女の子として暮らしてほしい。血濡れた種族、夜兎であることを忘れるほど平穏な日々を過ごしてほしいと。
ようやく掴んだ幸せだ。
それぐらい松下村塾での生活は奇跡だった。
「君の母親は最期まで抗った。とても立派な母親でした。彼女の魂はしっかりと私の中で生き続ける。私が吉田松陽でいられるのも、彼女の生き様があったからです」
だから、と松陽は酷く優しい目をする。
「君も抗いなさい。己を縛る鎖から。傷ついたっていい、泣いたっていい。困難や壁にぶつかって悩み苦しみ、それでも最後に笑えたらそれでいいじゃないですか」
雪子は頷いた。何度も何度も。
肩は震え嗚咽を必死に抑えながら。
朧もまた、蓬麗の想いを受け継ぐ道を選ぶ。
二人の弟子の心には、二人の
蓬麗の過去編はひとまず閉幕です。
次回からようやく、弟子達の大喧嘩が勃発します。
お楽しみに!