ぽつんと聳え立った塔がどこかもの寂しい。
ターミナルと名付けられた巨塔の周りも高いビルがそこそこ建っているぐらいで、瓦屋根とコンクリートの頭が互いを否定するかのように並んでいた。
「江戸ってこんなとこなんだ……」
これまで旅行だったり任務だったりで遠出してそれなりに地方へと足を踏み入れた雪子は、初めて国の中枢を担う江戸にやって来た。
天人がもたらした文明の進歩はここ数年で着々と江戸に染み込んでいる。とはいえ未だに未知の領域であり、江戸の技師達が総力を挙げて普及させているところであった。
好奇心を剥き出しにしてキョロキョロする雪子に、江戸に何度も足を運んだ朧は疲れた吐息をこぼした。
「あまりうろちょろするな、みっともない」
「ただ観察してるだけだっつーの」
ケッと口を尖らせ、雪子は片足を軸にくるりと華麗に回る。そして荘厳な雰囲気を放つ巨城を見上げた。
「前々から思ってたんだけどさ。宇宙船もあの城も上から下界を眺めるだなんて腹立たしいと思わない? 一度あの天辺に登ってお城を見下ろしてみたいなぁ」
「……そうだな」
返事が意外で目をパチリとさせる。
朧はまっすぐな視線を遮るように、編笠を深く被り直す。
「天の遣いたる烏が地を這い、天に鳴くもまた一興」
「へぇ、なにそれ楽しそう」
雪子は爛々と目を輝かせた。
二人が江戸城を訪ねたのは江戸幕府将軍、徳川定々の命を聞き参じるためである。
地方へ向かう定々の護衛に駆り出され顔を覚えられた雪子は、いつあの野郎のアレをもごうかと真剣に考え───汚いからいやと結論は出た───ともかく、定々を毛虫のようにちっぽけな男だと軽蔑していた。
そんな彼女が平伏などやるわけがない。
城内警備の任務を言い渡され嬉々として自由に動き回る。まったく忠誠心のかけらも持たない雪子が、長時間も定々に猫被りを続けられるはずがない。しかして彼女を城内に放つは鎖の外れた獣を放り込むようなものである。
朧としても苦肉の策だった。雪子もその辺はしっかり理解する。故に動き回るのだ。
「……この匂い、さてはこっちは台所だな?」
食欲を誘うほわりとした匂いに誘われ雪子は歩いていた。無論味見とかつまみ食いとかは微塵も考えていない。彼女は毒味してやろうと意気込んでいるだけである。
そろりと戸口から顔を覗かせると、女中達がせっせと働いている。鮮やかな手捌きで料理をする光景に雪子が思わず息を止めた時だった。
「そちは一体誰だ?」
人の意識を惹きつけてやまない声にゆっくりと振り返る。凛々しい顔立ちの青年が立っていた。雪子は彼の上品な格好を見て確信に至る。
「怪しい者ではございません、ただのしがない役人ですから」
と作り笑顔で両手を上げて敵意がないことを示す。
彼は定々の甥、徳川茂々。順調にいけば次代徳川家将軍であり、引退した定々が傀儡にしようと企んでいる哀れな子。
そんな将軍様がなぜこんなところに?
雪子の疑問を感じ取ったわけではないだろうが、茂々はそうかと素直に頷いた。茂々もまた雪子が身につけている服装に見覚えがあったからだ。
「若くしてその地位を築いたそちはさぞ優秀なのだろう。これからも叔父上のことを頼む」
えっそんなに立派な役職ってことになってんのかよ。支給された肌触りのいい着物を撫でて、雪子は少し呆れる。
「それはそうと、どうしてあなたはここへいらっしゃったのですか」
「ああ。稽古の間に腹が減ってしまって……。少し腹に入れておきたいと思ったのだ」
取り寄せず、自ら台所へ行く茂々に感心の目を向けた。ついでにへぇと相槌を打つ。だいぶ失礼な態度にも茂々はまったく気にしなかった。さらにあろうことか友人になれそうな気がするとまで宣う。
「余の友人になってくれるか」
「付き合う友達は選んだほうがいいですよ」
「こうして一緒に料理をつまむそちは良い刺激となってくれそうだ」
「そりゃ刺激的ですとも。あらゆる意味で」
むしゃむしゃと出来上がった料理を片っ端から平らげ、雪子は刺激的ならしゃーないと了承した。
「純粋さもいいと思いますが、やっぱり世界を知ることは大事ですよ、しょーちゃん」
「……ふむ、それは余も常々思っていた。庶民の生活に触れることは大事だから片栗虎に連れて行ってほしいと頼んでいるのだが」
「あー、なんかタバコ咥えてるおっさんですよね。まぁ基本放置してくれていいよとか言ったらどうです?」
「そうだな。そう言ってみよう」
茂々はしょーちゃん呼びに嬉しそうな顔をした。
定々を失脚に追い込みたかったので茂々の力はあるに越したことはない。
そんな打算めいた考えをすっぽりと覆い隠して、雪子は笑う。彼女の知人関係がすごいことになってきていた。
暗殺者が次代将軍とちゃっかり仲良くなっている頃、朧は定々と密談を交わしていた。
今後の暗殺対象や天導衆の意向を伝えるのは彼の任務だ。現時点で首領の地位に最も近い朧は、天照院を配下にする天導衆とも連絡を取り合っておりさらに
「吉原での任務、ご苦労。どうだった? 地下の国は」
「あいにく遭遇しなかった故、殿の命を遂行することはできませんでした」
「……まぁよい。しばらく泳がせてやろう。夜王となれば安易に事は運ぶまい」
膝をつき忠誠を示す朧は押し殺した声で言葉を交わす。定々が眺めるガラス張りの窓の奥には、天人に介入され無様にいじくり回された江戸が広がっていた。
「ここの景色も随分と変わった。かつては我が国を見下ろせたものだがな……あの無粋な巨塔はそれよりも遥かに上にある」
機械まみれのターミナルは定々を見下ろすように冷たく聳え立っている。
「我が国に土足で踏み込む下賤な輩が憎い。国父の私の先を征く者は何人たりとも許さん」
「……我らは殿に従うのみです」
「よく言うわ、卑しい烏めが。天導衆も下等生物の集まりだ。攘夷戦争が長引くほど内政に干渉してきおって……」
爆発寸前の怒りはやがて虫ケラのように思う民へと向けられた。
「そうだ。攘夷戦争ではないか」
売国奴などと蔑まれる原因も、内政が荒れる理由も。定々はさも全ての元凶が戦争にあるかのように決めつけた。
「私を愚弄し喚く逆賊どもを討ち滅ぼせ。長きに渡った戦争に終止符を打つのだ。貴様らは幕軍に扮して手柄を上げろ。天人どもに遅れを取るな」
定々は醜く腐れきった中身が凝縮されたような顔をした。
くしゃりとシワを深くして笑うと命令を下す。
「攘夷志士どもの心臓を。───攘夷四天王の首をとれ」
空模様はがらりと変わってしとしと降り出した雨の中、雪子は感情を閉じた目で朧を見つめている。
「……何て言ったの」
「次は攘夷四天王を殺す任務だ、と」
いや、今は三人だったなと朧は淡々と付け加えた。
雪子は携えた刀に手を伸ばす。抜く直前に深呼吸をして不穏にさざめく心を落ち着けると、気迫のこもった声を出した。
「そう。それで、お前からの命令はなに?」
「貴様は来るな」
理由などいくらでも並べられるが、朧は何一つ言う事はなかった。悲しみよりも怒りが先立って、それをねじ伏せた雪子は高笑いした。
「気でも触れたか」
「ふふっ、いいや。そうじゃない」
目尻に浮かんだ涙を払うと、心底おかしそうに表情を歪める。
雨に濡れて艶かしい唇をニィと吊り上げた。
「また兄弟子ぶるの?」
嘲るような囁きが雨音をすり抜けて朧はかっと頭に血がのぼった。己を見透かし底の浅さをせせら笑う顔は母親譲りに美しい。
そして母親にはない無邪気な冷酷さがちろりと覗いては奥底に引っ込む。
「あの時だって同じだった。お前は護ってくれてたんだよね。私も弟弟子達も」
気づいた時には遅かったのだろう。
奈落に舞い戻った雪子は集めた情報からそう結論を出した。既に奈落内には元首領の松陽が先生となって寺子屋にいると知られており、もはや強襲は避けられない状況だったのだ。
そこで朧は先駆けて捕らえることにした。それならばあの狂犬が自分の意図に気づき反発すると思ったからである。
しかし事は順調には運ばない。
奈落はここぞとばかりに人員を割き、さらには雪子は朧の意思を知った上でめちゃくちゃに掻き回してくれたのだ。
おかげで弟子達の命を護るため、松下村塾を燃やせと命令することになった。
「一人で背負おうなんてバカじゃねーの。そうやって護って何になんだよ。悪者ぶって憎まれればあっちは容赦なく刃を振れるから? 自分が正しいと盲信しながら生きろって? ふざけんな、そんなのただの……自己満足さ」
ざあざあと大粒の涙を落っことし、世界と切り離されたような感覚に陥った。
雪子は痛いほど知っている。こいつも自分もあの人にもらったモノを抱えた。だから同じ道を歩み、裏切り合ったのだと。
すべては責を一人で背負うため。
「それを台無しにしたのは私の意思で、これからだってそうだ。背負う罪は一人分じゃ足りないよ。あいつらの敵はお前だけじゃない。あいつらと喧嘩してんのは、私ら兄弟子達だろ」
「…………」
「だから私も行く。約束しちまってるし」
自分の肩をトントンと鞘に納まった刀で叩く。
にっと強気な笑顔を浮かべ、雪子はいつもと同じようにしていた。
「それにね、甘い事言うなよ。この私が戦えないとでも思ってる? だとしたらそりゃ勘違いだ」
眼光を鋭くし、凶悪な微笑みが愉しげに浮かぶ。
「あいつらの首は私のもんだ。誰にも渡さねぇ」
──────
「今回はいつもに増して酷いな……」
攘夷四天王の一角を担う将、狂乱の貴公子こと桂小太郎は掠れた声で独り言ちる。
宿舎として利用している建物の、古びた板張りの床に伏せる同胞達。命からがら桂の指揮のもと逃げ出した攘夷志士どもが苦しげに息をした。
「すみません、桂さん……」
「謝るな。むしろよくぞ帰ってきてくれた。お前達はうんと休むといい」
血に濡れた包帯を取り替え、患部を手当てする。比較的軽傷だった桂が率先して行動し、攘夷志士達の尊敬をさらに集めた。
痛みに呻く声がだんだんと静まっていき、沼に足を取られるようにどっぷりと考え込んでしまう。ふと血と狼煙の匂いが香った気がして桂は我に返った。
時折怖くなることがあった。
いつもは頑固な臆病者の皮にしまった壮絶な怒りが湧いて出る。その時自分は大切な部下達を護ることができるか。
桂が予想した通りに戦局は不利になる一方であった。幕軍が引き連れた───いや、乗り込んだ天人どもの強さも比にならなくなり、逃げの小太郎の異名を持つ彼でさえ仲間を数人残してしまった。そうでなければ全滅だったのだ。
あとの世を頼みます、と遺して彼らは逝った。
そうして冷たくなっていく亡骸を今にも思い出すことができる。戻ってきた桂が鬼の形相で敵を屠ったのは言うまでもない。
「……わかっているさ。いずれ限界が来ることは」
だと言うのに、なぜ消えた二人の跡が追えない。
消息はぷつりと途切れたまま、数年だ。
桂はぽっかり浮かんだ月を見上げ、手を強く握る。悲壮な覚悟を秘めた心の蓋はガタついて外れそうだった。
ぎゅっと目を閉じてやり過ごしていると、突如悲鳴が上がって心臓は跳ねた。
「いっ、ひぃっ、うわあぁぁ! あああああああああああ!!」
「落ち着け! お前は夢を見ているんだ!」
暴れる体を抑え、言い聞かせる。
その男は特に被害の大きかった部隊に所属した生き残りだった。悪夢に魘されるほどの恐怖を味わったのだろう。
桂は己の力量不足に歯噛みした。
喉が張り裂けそうなほど叫んだ男が眠りから覚め、安静にしていろと気遣いながらその訳を聞く。
曰く、死神がいたと。
目に留まらぬ速さで仲間を斬っていった影は二つ。
一人は顔に傷を負った白髪の男。
もう一人は若く綺麗な女だったという。
女は斬る前に銀時、高杉、桂の居場所を問うた。知らないと答え、直後に鋭い痛みが走り───……
「……聞いたか。銀時、高杉。よかったな。あちらも俺達を探しているらしい」
二人はいやに静かだった。ただ頷いて何事か考えているのだろう。桂もまた口を閉じて静かに夜を過ごした。
だいぶ引っ張ってますね、すみません。
次は戦いますので!