世界が彼らを攻めようとまるで負ける気がしなかった。たった五人、されど五人。その身に受けた傷は何処吹く風で、襲いくる天人を斬り伏せ、蹴り上げ、叩き潰す。
彼らの心に浮かぶのは希望だ。
眼に映るのは互いを護る仲間の背中だ。
自分が戦い続ける限り誰も倒れない。
生きて帰るのだという決心が彼らを奮い立たせる。
「たった五人だぞ! なんでさっさと殺せねェ!!」
遠くの指揮官の一人らしい天人に向かって雪子は笑いかけた。内側の狂喜を孕む妖しい微笑みは歪で、捕食者のそれと一致する。
天人はカッと頭に血が上った。雪子は己を雑兵以下に捉えたのだと理解したからだ。
獅子喰いの名の通りすべてを喰い殺す勢いの彼女を消すことが最優先。そう判断した天人は腕を水平に伸ばして命令を下した。
「先に女を潰せ!!」
雪子に対する殺意がぞくっとするほどに膨れ上がる。見渡す限りの敵の視線を一身に浴び、雪子は震えた。あまりの感動に。
「こいつら全員殺していいんでしょ。ゾクゾクしちゃう」
「てめーいつからそんなキャラになった!!」
「しょーがないよ。夜兎だもの」
さらっと正体を明かした雪子は微妙な顔になる。
「……なに、そのふーんって顔。もっとびっくりするもんじゃねぇの」
「いや、正直お前が人間じゃないって聞いて、あ、やっぱり? としか思えないわ」
「失礼だな」
ひらりひらりと宙を舞う。彼女が着地し跳躍するたびに鮮血が迸り、視界に赤い花が咲く。
敵ならば戦慄するほどの腕前は、味方ならば圧倒的な安心感と畏怖を与える。
護られるどころか飛び込んでいく雪子に呆れると、銀時は彼女の背中を狙う敵を斬りつけた。
「足手まといには死んでもならねェ!! オラてめェら、この怪力女に遅れを取るんじゃねェぞ!」
「事実だけどその言い方ムカつく!」
銀時は敵を斬り伏せると刀を放り捨てる。刃毀れして使い物にならなくなったのだ。それに気づいた雪子は敵を血祭りにすると腰に佩いたままだった松陽の刀を鞘ごと放った。
地面に落ちる寸前で手に掴む。
懐かしい感触が手のひらに広がった。
「返す! 私は預かってただけだし、手入れしてるだけで使ってないよ」
さて、こいつはどうするのかな。
試すように口角が上げられた。ところが銀時は帯刀して薙刀を拾った。大型天人が上から鉄槌を叩きつけてくるが、するっと躱して下半身を薙ぐ。
「なんだ。そいつで斬らないんだ?」
「たりめーだろ。お前がそうだったんだからな」
幼い頃に銀時はもう人を斬らないと誓い、松陽に授かった刀を鞘に収めて持っていた。その意思を雪子は繋げてくれたのだ。ならば今度はそれを松陽に繋げる役目を果たすまで。
彼女がずっと護ってくれたのだと思うと、どうにもムズムズする。ぶちまけるためにも銀時が果敢に攻撃すると桂が大声で言った。
「銀時、攻めすぎだ! 俺達はこの窮地を誰一人として欠けずに脱しなければならないのだぞ!」
斬っても斬っても無限に思えるほど湧き出る天人。遠くで発砲音が響き、野郎どもの雄叫びが一つの巨大な鳴き声になって世界を覆った。
囲われていたので飛び込むと、さらに危険度が高くなっている。はっきり言って彼らにこの場を切り抜ける考えはまったく浮かんでいなかった。
「ねぇこれ大丈夫!? どうやって撤退すればいいの、このままだと死ぬんだけど!」
「泣き言言うな! んなことわかってらぁ!」
「じゃあどうすればいいのかわかるの高杉くん! いやお願いわかって!」
「わかった、お前が一人で囮役になれば万事解決するんじゃない? ぜひやってみろよ」
「遠回しに死ねって言ってるよこの人! いや人じゃなかった!」
だめだ、こいつらに頼ろうとした俺がバカだった。銀時はうんざりしつつ、真剣にこの場が死地になるんじゃなかろうかと思う。
すると血溜まりに滑って体勢を崩し、銀時の頭上を鋭い刃が通過した。すれすれのところで斬られずに済んだが、すぐさま二撃が振り抜かれる。
やべ、と硬直する。次の瞬間、銀時は体を後ろに引っ張られた。
「うおっ!!」
「気を抜くな」
そして入れ替わるように前進した朧がクナイを放った。すぐ近くに着地し、華麗な回し蹴りで天人の胴体をぶちまける雪子が楽しそうに口元を緩めた。
「なになに、もう堂々と護っちゃうんだ? 兄弟子だってバレちゃったものねぇ」
「だからそれは誰のせいだ」
「うん、私!」
にっと歯を見せて笑った。そして一瞬のアイコンタクトを交えながら二人は敵を一刀で葬る。鮮やかな共闘に、どれほど共に戦ってきたのだろうと弟弟子達は思った。
朧は左腕の欠陥が痛々しいが、それすらハンデにならないほどに素早く敵を天人を排除する。
銀時は目を逸らしそうになる。
なぜならその腕を奪ったのは自分だからで……ん? 疑惑に目を細めた。
彼の見間違いでなければ朧の左腕が修復されつつあるような。付け根ほどまでしかなかったものが、今や肘が見え出してきているような。あ、見間違いじゃなかったやよかったよかった。
「いやいやお前なんなの!? 腕生えてんじゃん!」
「俺は先生と同じ不死者だ。完全でないから治癒は遅いが、いずれ治る」
先生と同じ……桂は聞き耳を立てて考え事をする。
そうとはしらない朧は淡々としているが、銀時は場所が場所じゃなければ倒れていたと思う。彼の苦手とする幽霊の類に似ているからである。
しかしここは戦場。気を失うことすなわち死。
「へ、へぇ……そりゃあ、また」
「……何も言わなくていい」
雪子がたまにこぼす弟子達の話に、そういうものが苦手になったやつがいるとあったので、朧は少しの気遣いと共に言った。ちなみにそうさせた張本人は笑えない化け物となって殺戮し、桂に注意されている。
朧がそのまま戦闘に意識を集中させると傷が治りかけの背中が見えた。
銀時は強く刀を握ると隣に立つ。
「お前……」
「負けたくないだけだ!」
こいつにもたくさんのことを聞かねば。
銀時が決心していると、戦いの間隙を縫って一羽の烏が舞い降りた。黒い俊敏な生物が空間を滑空して朧の腕へ着地すると、何事か動いてみせてまた飛び立った。
高杉が、そういえば雪子が烏に監視されていると言っていたなと記憶を巡らす。話を聞いた当初はそんなまさか、と信じられなかったが事実らしい。
朧は無表情のまま朗報だと言った。
「喜べ、道はあるぞ」
「へ? どこに」
次の瞬間、激しい破壊音と共に世界を揺るがす大きな地割れが起きた。ドガアアアアッッ!! 鼓膜が破裂する寸前の大音量が地上を飲み込む。
木霊して完全に消えると世界に静寂が訪れた。
パァン───! 音に反応して、攘夷軍の三人は空を仰いだ。烏も消え去った青空に一筋の赤が立ち上っている。撤退準備完了の合図。
しかし、攘夷軍は撤退したはずだ。なぜに……その疑問はすぐに解決する。
先ほどの世界を破壊する音に混乱した、天人どもの包囲網の一部が綻び、穴が空き、道を成したのだ。そこから現れたのは。
「待たせたな! 貴様ら!」
「堀田! お前ってやつは!」
三人は出しうる最大限の速度でそこへ向かう。雪子は戦いに没頭していたので通りがけに高杉が襟首を掴んで引っ張った。朧は、と桂が視線を動かす。
朧は未だに死地に残っていた。
「朧殿! 撤退するぞ!」
「お前達は先に行け」
そうこうしている間にも、堀田が精鋭を掻き集めて作り出した撤退経路が塞がれそうになる。焦る心臓が耳障りなほど音を立てて、桂は声を張り上げた。
「バカなことを言うな! 貴様が一番弟子というのなら、帰り道を先導するのが役目じゃないのか!!」
「それは雪子の役目だ。俺は違う」
ほとんど指の形を作る左腕も使って朧は戦った。
撤退の道を潰えさせないためには誰かが果たさねばならない役目。効率がいいのは不死の自分だ。
「つまらない感情でお前達の居場所を壊してしまった。それを償わせてくれ」
「っだめだ!!」
そして追っ手の天人どもによって視界は塞がれた。完全に朧の姿は見えなくなり、強い殺気を滾らせて桂は抜刀する。戻ろうとするその肩をがっしりと掴んだのは雪子だった。
「行くよ」
「………っ」
「あいつなりのけじめなんだ。侍だったら黙して受け入れろ」
強く手を引かれて走り出す。
誰もが無言だった。生きるために必死で話すことも意識できないものが多数。それ以外は残してしまった朧が気にかかったのだ。
銀時、高杉、桂、そして雪子。四人が揃った。
なのにどうして胸が苦しい。
苦しげに、喘ぐように息をする。
「俺は……わからない。もはやあの人を恨むことなどできはしない」
「うん、私も」
雪子ははにかんだ。
照れたような微笑み方だった。
「それでいいの。朧にとって、それは報われたも同然なんだよ」
え、と声にならない吐息をついて、桂は振り返る。
自由気ままな後ろ姿が小さくなっていった。
「ここまでだなァ、獅子喰いのお目付役さんよ」
修復した体は再び致命傷を負っている。そもそも五人で反撃できたことが奇跡だった。たった一人では、もう。天人が浅ましい欲望をぎらつかせて蛮刀を振りかざす。万事休すか、と朧の覚悟はより強固なものになった。
そこで、ぴくっと反応する。
もの凄い勢いで迫り来る強い気配に、覚悟が揺らぎ出した。かちりと転がった刀を掴む。
「ぉあああああッ!!」
下された刃を流して朧が首を刎ねるのと、雪子が背後の敵を蹴り殺したのは同時だった。
視線が交わり、すぐに逸らされた。
雪子は眼中にないといった様子だ。刀やクナイを駆使するよりも単に巨大な力で戦ったほうが楽だと判断し、ふらついた体を懸命に立たせていた。その口元は弧を描いている。
「どうして笑う」
「ふ、いや。今度は違うんだなって。……言ったでしょ。アンタを死なすわけにいかないの」
「だから自ら死に飛び込むか。まったく理解できない女だ」
「理解なんてされたくないね」
べっと舌を出して挑発的に言ってのけた。
「けどま、さすがに今回は私も死ぬかもな」
「死ぬかもしれないと思うやつは、そんな顔はしないだろう」
「違げーねェ」
肩を震わせて笑う。朧が初めて見る表情だった。
背中は預けた。道はこの手で切り開くまでだ。
「潰せええぇぇぇ!!!」
巨大な掛け声の後、無数の雄叫びと共に駆け出す天人ども。しかしやつらが二人の攻撃範囲に入ることはなかった。
ぷしゃ、と血を撒き散らして肉片になったから。
ひゅ、と息が止まった。
ぞくぞくと背筋を凍らせた巨悪な気迫。死を錯覚させる凝縮された殺気。
松陽や鳳仙の時と同じ、強さの果てに在る者達の気配だ。何より恐ろしいのは微塵も気配を感じさせなかったこと。
数十もの天人を一発で肉塊に変えたそれは、外套を纏いフードで顔を隠していた。背は高くすらりとしていていまいち性別の区別はつかない。
ただ、心の臓を握り潰すような冷たい圧迫感を放っている。
「…………」
それは何も言葉を発さない。
あまりに異質な存在だというのに、不思議と戦場に立つ姿は溶け込んでいるほどに似合っていた。
外套が血に染まり、黒く変色していたからか。
それとも青白い手が掴む刀が禍々しかったからか。
遠目からで確信できなかったが見覚えのある鍔の形に雪子は瞠目する。
ごくりと唾を飲み込んで、朧は雪子を庇うようにして立ちはだかった。それも雪子が横に並んだために崩されてしまったけれど。
外套を纏う者は歩き出した。近づく天人を容赦なく殺し、やがて走る。向かう先はただ一つ。
「は? 何あれこっち来て、ちょ、こわっ」
なんて軽口を叩いている頭は混乱寸前だ。
どうすればいい、怖い、得体の知れない恐怖が嫌だ。素直にそんな感情を抱くぐらいに相手は恐ろしかった。
戦わなきゃ……雪子はとうに皮膚の潰れた掌を握った。感覚は失って久しい。だが相手は予想外の行動に出る。
高く高く跳躍し、一際強い風を受けて外套が揺れた。フードが外れてその顔を陽光が照らす。
二人は目を疑った。だって、それは。
「あなた────」
刹那、凄まじい破壊を伴って地上に降り立った。雷鳴の轟くような衝撃音に耳を塞ぐ。
ああ、さっきの地割れはこいつが引き起こしたのだと感覚的にわかった。
びきびき、と地面が割れる。巻き込まれた天人どもは木っ端微塵に跡形もなく潰されていた。
天人軍に動揺と混乱が走り、二人への注目が薄らいだ。フードを被り直したそいつを排除対象と見なしたのだ。
行くなら、今。
「行くぞ! これが最後の機会だ、絶対に逃せない!」
「──────っ、ああ」
──────
「さて………ちゃんと逃げ出せたんでしょうね」
はためくフードを煩わしそうに取ると艶やかな髪が現れた。腰に取り付けた身長ほどもある巨大な番傘を差すと、彼女はゆっくりと進む。
空を一羽の烏が飛んでいた。くるりくるりと円を描いて彼女を監察している。ふふ、と口元に笑みを浮かべると拳銃を取り出す。
乾いた発砲音が静まり返った世界で響いた。そこに息をする者はただ一人以外にいない。たった今撃たれた烏は地に落ちて、何も報告することもできず臭い死骸になった。
「この世界なら、きっと………」
晴れやかな空をひと睨みして、女は死体だらけの道を行く。