その夜、攘夷軍が潜む寺は喧騒と笑い声にあふれていた。どんちゃん騒ぎだった。出陣前のピリピリとした空気は大量の酒を前にして爆発したのだ。
「ありがとう長谷川さん! 俺は、俺はもう二度と飲めないかと……! うぅ……」
「泣くな泣くな、塩辛くなっちまうぜ!」
「ああ、いいってことよ。嫌なことは飲んで忘れちまいな」
攘夷志士に涙を流しながら感謝されて、長谷川はいやーと笑う。まさかこんなに歓迎されるとは思ってもみなかった。
しかし若い者達に感謝されるのは気分がいい。昔のブイブイ言わせていた時代が懐かしいなぁと想いを馳せる。そして意識してじっと見ないようにしていた男へと視線を少しだけやった。
ああ、ほんとに懐かしいなぁ。
「なんだぁ長谷川さん、泣いてんじゃん」
「おじさんちょっと歳なの。君らみたいに若くないの」
目頭を押さえてやり過ごしていると張本人がやってきた。この当時から酒好きだったらしい。酒瓶を片手に赤い顔してへらへら笑っている。
「よォ、長谷川さーん。飲んでるー?」
う、とまた涙腺が緩む。どうやら今日はどうしたって泣いてしまいそうだ。なんとか堪えて笑顔を浮かべると長谷川は明るい声で言った。
「ちょっとちょっと銀さん、明日出陣じゃないの? 大丈夫なのそんなに飲んで」
「でーじょうぶだって、俺意識はっきりしてるもん」
「言いながらふらっふらだよね。びっくりするぐらい千鳥足だよね」
これ吐くんじゃないのかと心配になるが、そんなものも吹き飛ばすほどの喜びを噛みしめる。
「こら銀時、長谷川さんに絡むんじゃない」
「ヅラっち………」
やっぱ無理、泣く。
おいおいと泣き出す中年男性に若者達は一斉に励ました。酒を持ってきてくれたすなわち恩人ぐらいの安直さで、口々に応援する。
「頑張って長谷川さん!」
「ほらほら飲んで忘れよ、な?」
「ありがとう……おじさんこんなに優しくされたの初めて……」
長谷川も酒は好きなのでガンガン飲んだ。
そうして気分も良くなっていく。自然と口も軽くなっていかんことを口走ったようだが、周りの者達は冗談だと流した。
「まったくもー、銀さんってばあんな人いるんなら言ってくれりゃいいのに」
攘夷志士の大半は潰れて眠り、桂や高杉は姿を消した。そして会話する二人もべろべろに酔っている。銀時はあんな人? と怪しくなった滑舌で鸚鵡返しに言った。
「俺をここまで案内してくれたお嬢さん、綺麗だったなぁ」
「ああ……え、案内したの? あいつが?」
「うん、その代わりに高級酒をありったけ持っていかれたけど……」
ああ、俺のバッカシュ! と悔しさに涙する。
銀時はフワフワの意識が急に覚めた気がした。
雪子がいることがバレれば攘夷軍の混乱は避けられないだろう。気持ちは親に隠れて犬を飼う子どものようだ。
なんであいつわざわざ目立つ行動を……と不満に思うが長谷川は特に気にしていないようだった。それにしても親切をして見返りにふんだくる行為とは、間違いなく彼女の仕業だ。
「名前は教えてくれなかったけどありゃ上玉だね。まったく銀さんも隅に置けないねぇ」
「いやいやいや、外見に惑わされたらダメだって。あれ中身ゴリラだから」
「えー、なにそれお妙さんみたい。もしくは神楽ちゃん」
「お妙? 神楽?」
「あっ、べべべ別に気にしないで!」
手をわちゃわちゃさせて全力で誤魔化す。
「どちらにせよいい女じゃん。付き合ったりしないの?」
長谷川はさっきの発言をなかったことにするべく昔のように軽口を叩いた。しかし返ってきたのはニヨニヨした助兵衛な笑顔でなく、しかめっ面だ。
「長谷川さんおじさん臭いんだけど………ていうかあいつとは腐れ縁だし、そんなんじゃ、ねェし」
真面目な声色におや、と長谷川は目をぱちくりさせる。逡巡しておじさん臭い結論に至ると顔をニヤつかせた。
「そっか〜〜銀さんにもそんな時期があったんだ〜〜」
「なんだよ、つか初対面だよね俺達」
背中を叩かれて痛がる銀時の隣で長谷川は喜んだ。
どうやらこれはチャンスなのでは? 本人は否定してるけど満更でもないようだし。爛れた恋愛経験をするよりはこちらがいいだろう。
友人が真っ当な交際をして真っ当な精神性を持ち、果ては自分の就職先も守られる。あれ? いいんじゃね? と瞬間的に浮かんだ作戦を絶賛した。
なお、どうして彼女が森の中にいたかなど長谷川は忘れてしまっている。
酔った長谷川はすっかり親戚のおじさんの気分で、野次馬根性丸出しだった。
「そうと決まれば会いにいかなきゃ! 酔わねェと伝えられない瞬間が! 男にはある!」
どんと胸を張って言われて銀時はめんどくさそうな顔をした。それに気づいた長谷川は拳を握って力説する。
「バッキャロー、現実なんてあっという間だぞ! やれ長官になっただやれ失業しただ! 若いうちからしっかりしてなきゃあれよあれよと四十路! ハツ……お前、なんで………!」
「長谷川さんめんどくさっ」
また咽び泣く長谷川のせいでだんだん飲む気も失せた銀時は退散することにした。酔いも覚めたし、酒を奪ったという雪子も気になったからだ。
夜に消えていく白い後ろ姿を見送り、長谷川はすっかり一仕事終えた心地いい充足感を感じる。
「あれ、銀時さんはどこに……というか長谷川さんて、何者なんすか?」
一応意識のある攘夷志士が尋ねた。
未来からやってきた救世主さ。
そんな言葉を酒とともに飲み込んで、長谷川は一服する。紫煙がくゆり、グラサンが光を反射して大人びた瞳を覆い隠した。
「……キューピット、かな」
──────
「なにこの光景……」
「やーね、飲み比べしてただけだよ。こいつら弱くてちっとも相手にもならなかった」
銀時は入り口に立って酒瓶の転がる小屋を眺め呆れる。飲み比べ相手は高杉と桂。
彼らは飲み潰れて眠っていた。
いつの間に、と銀時は疑問に思う。とりあえず二人を外に放り投げた。音に反応して雪子は顔を出したがすぐに引っ込める。敗者に興味はないらしい。
罰霞酒とラベルの貼られた酒瓶をきゅっと抱きしめて雪子はご機嫌な様子。んふふと口元を緩めて陽気に笑っていた。開かれた戸から覗く月が赤みを帯びた頰を照らしている。
「酔ってる?」
「酔ってないよ」
酔ってんじゃん、とは言わないでおいた。
来たはいいものの何を話せばいいのやら。
入り口で立ったままの銀時に、雪子は座ればと促した。だが改めると距離感に悩む。長谷川が勝手なことを言ってくれたから尚更のこと。
銀時はひとまず上がり框に座り雪子がお酌をした。
ちなみにお気に入りの酒ではなく、長谷川から献上された中で一番価値の低いものだ。といっても高級酒に変わりはないのだけど。
「大人になったねぇ」
フワフワした声がした。
「なんだか不思議。ちっさな頃から知っててさ、一緒にいて、喧嘩して、決別して、斬り合って……そんでこうして酒を飲んでるなんて」
「……そーだな。わかんねェもんだな」
「ね、ほんと」
敵だと憎んだ相手が兄弟子だとか。
恩師が数百年も生きる化け物だったとか。
あとは、こいつのこととか。
酒のせいかふにゃりと笑い、白い足をしどけなく伸ばす雪子から視線を外して酒をあおる。銀時の頭の中を長谷川の言葉がぐるぐる巡っていた。
酔わなきゃ伝えられないこともある。
「あの、さ」
「んー?」
うっすらとした傷跡を残す手のひらを見つめて、銀時は何度も口を開閉させる。
雪子は辛抱強く待っていた。やっぱり酔っている。普段なら流すのに、どうしてこんな時だけ。
自分達は知っている。
平和な生活なんて簡単に消えることを。
明日も生きていられる確証なんてないことを。
背負った命の数が物語っているのだ。
お互いに話はした。だからある程度はわかる。
こういうことがあってそうしなければいけなかったことを。でも知りたいのはそれじゃない。
自分達は護ることができたのか。彼女を、彼を救うことはできたのか。勝手に消えないことを知りたかったのだ。
だってあまりに寂しいから。
幼馴染、腐れ縁。
それぐらいじゃ雪子は止まらないのか。
だったらその先の、
「えーと………」
「うん」
艶然として雪子は待つ。
長い髪がさらりと流れ、ほっそりとした指が酒瓶を撫で上げる。唇に弧を描いて銀時だけを見つめた。
なんだよその色気、と声にならない文句を心中でぶちまける。実際に口から出たのはとてもか細い声だった。
「お、ぁ………、お前そういうのやめたほうがいいと思う……」
「は?」
さっきまで優しい声だったのに一気に低くなった。とろけるような微笑みは真顔になりそんな状態で、は? と。
銀時は己の心が折れそうなのをかろうじて耐えながら続ける。ともかく薄っぺらい言葉を並べて心を平安に保つことにしたのだ。
「いくら大きくなったからって調子に乗らないほうがいいよ? 若さにもの言わせて色仕掛けとか将来死にたくなるからね」
「ねぇどこの部位を見て言ったの? ねぇ」
つか色仕掛けって。雪子は嫌悪感を全面に出した。しかし即座に否定できないのが辛い。
ぐぬぬと押し黙る彼女に、銀時はえ? と素っ頓狂な声を上げる。
「冗談のつもりだったんだけど……え!? なにお前まさか───」
「ないない、絶対ない。言いがかりはよしてよ」
軽く抱きつくくらいはセー……いやアウトだな。
今度から気をつけよう。たぶん。
「なんか決心しなかった?」
「別に」
すっかり平素の声で吐き捨てた。
やめやめ、と雪子は立ち上がった。本当に酔ってなかったらしい。さきほどのどれもこれも、全ては演技に過ぎなかったと知って恐ろしく思った。
「酔ったフリかよ怖……勘違いするやつがいても知らねーぞ」
「勘違いすればいいのに」
「………だからそういうとこ!」
雪子はケラケラ笑って外に出る。
掌で転がされるのはずっと変わらないようだ。
月光を一身に浴びて儚げな後ろ姿にいっそ消えてしまいそうだと思った。彼女は気ままに竹林を歩き、記憶の断片をこぼす。
「松陽がね、仲直りしないと許さないんだって」
足を止める。雪子は振り返らずにまっすぐ先を見ていた。昔と同じように、こちらに目もくれない。
思わず手を伸ばす。けれど何も掴むことは出来ずに虚しく空振った。
「私達、大丈夫だよね」
「ああ」
ゆっくりと。そして力を込めて銀時は肯定した。
憚られた。華奢な背中を引き寄せることに。責を共有していたあいつや、昔からずっと想っていたあいつのことを思い出して、雪子の手は掴めない。
だから代わりに言葉で。
きっとこれなら伝えられるから。
「俺達ならやれるさ。雪子がいるんだからな」
そして雪子は銀時を見る。
驚いた。追いついたことも、振り向いたことも、雪子が涙を流していたことも。
滑らかな頰を伝い落ちる雫は月光を凝縮させたように輝いていた。ぽろぽろと溢れるそれに気づいて、手の甲で払う。
「なんで泣いてんだろ………なんで、かなぁ」
くしゃりと顔を歪ませて静かに泣く。記憶にある限り自分の前で泣いたことは初めてだったので、銀時は動揺した。だってしょうがないじゃないか。雪子は決して心が弱くなっているところを見せようとしてこなかったのだ。
「ちょ、待ってなんだよいきなり……ドキドキするからやめろよ……」
頼りない声でオロオロする。
「……ずっと」
「え?」
「ずっと、苦しかった」
袖で雪子の涙を拭こうとする銀時の動きが止まった。深夜の森は静謐な雰囲気で、雪子の独白だけが響く。
「怖かったし、つらかった。私のせいで巻き込んだ。私の意思が多くの人を傷つけた。でも、本当の自分はそんなこと気にも留めないの。私はそれがたまらなく嫌だ」
だから母は夜兎でいることを拒絶したのだろう。
命を奪って喜ぶなんて可哀想だと。
娘の自分が選んだ道は、どうだっただろう。
弟子達は戦場で刃を交え、傷つけあって互いを救った。次は先生を取り戻せばいい。地球を護るなんて寄り道に過ぎないのだ。
そこまでのし上がってきた。辿り着いた。
途中に困難はたくさんあったけれど。
「ようやく私、数年間の戦いは無駄じゃなかったんだって。……そう思えた」
静かで綺麗な微笑みに、銀時はようやく声を絞り出せた。
「……お前、酔ってんじゃん」
「そうかも」
震えた声で本音を言うなんて考えられなかった。雪子の涙はとめどなく溢れてくる。蓄積された全てを洗い流そうとしているのだ。
「どうしよ、止まんない。これで帰ったら狸寝入りしてるあいつらに見つかっちゃうな」
「泣き上戸なんじゃねェの」
「後から涙が出てくるタイプなの? 私って」
実行するかどうか躊躇った。
もう雪子は大丈夫なのだろう。明日の決戦も乗り切れるだろうし、本人も誰かを必要にしていなかった。どちらかというなら、必要なのは。
銀時は一歩踏み込んだ。
雪子が抵抗したのはわかったし、自分の心臓が早鐘を打っているのもうんざりなほど聞こえる。それでも抱きしめて、もう大丈夫なのだと伝える。
強く掌で押しても揺らがない腕に諦めた雪子は大人しくなった。己の腕も銀時の背中に回して、密着すると大人になった体つきがはっきり感触として意識される。
雪子はすんと鼻を啜った。戦場に立っていたからいい匂いなんてしなかったけれど、懐かしくて安心する匂いに包まれる。
細いな、と思った。そんなことは当然ないが力を込めてしまえば折れてしまいそうに、細い。そこにどれだけのものを抱えていたんだろう。
何も言わなかった。ただお互いの鼓動の音を聞いて生きていることを実感する。護ったし、護られた。だからここにいる。
潤んだ瞳が銀時を見上げた。やっぱり綺麗な顔が悲しそうにくしゃりとしている。
「おまえ、ほんとにばかだね」
「てめェもな」
……銀さんやればできるじゃん! ごめんね原始人の口説き方しかできないとか言って!
木陰に隠れた長谷川が未来は救われたと感涙していたことに気づいているのは雪子だけで、当の本人にまったくその気はない、のかもしれない。
いやぁマダオはいい仕事するなぁと思いました。