ドッペルゲンガーという単語が頭をかすめた。当然だが顔立ちはそっくりで若々しさの代わりに年相応な落ち着きが加わった将来の自分に、雪子は微妙な気持ちを抱く。まるで己の未来を決められているようでじっとしていられないのだ。
しかし三十を超えている雪子はそうでもなく、むしろ若いなぁぐらい変に感心している。
「……見たくなかった」
「あら。私は結構面白いわ。こんな体験ができるなんて滅多にないじゃない?」
コロコロと微笑んだ彼女に、雪子は口をへの字に曲げる。誰だこいつと正直な感想を心中でぶちまけた後は、冷静になれと念じつつ口を開く。
「未来から来たってヅラが言ってた。でもあなたは……お前は時期が違うんだよね? 長谷川っていう男が初めに送られたって話だったけど、お前はそれよりも早く
「ええ、そうよ。変に弄るのもよくないと思ってちょうど魘魅が襲来する頃を狙ったのだけど、ポンコツのせいでズレちゃったの」
そこはかつての自分と同じ命令が下されたばかり。来てしまったものはしょうがないと楽観した雪子は、いっそ全てを変えてしまったらどうだろうと行動する。
やめきれずにズルズルと書き続けた旅行記を松陽に託し、未来の出来事を知らせた。本来の道で引き起こされる宇宙規模の大戦も、雪子が生きた世界での痛いぐらい凪のような静けさも。
そして最後の頁に、そっと。
『───』
どうしても思い出せないがそれは朦朧とした頭で書いた、救いを求める浅ましい願いだったのかもしれない。苦しかった時に逃げ道を生んだ、希望的観測に満ちた祈りだったのかもしれない。
松陽は言葉を紡いで留魂録を書いた。
未来で明かされたありったけの魘魅の情報も同封して、雪子の教え子である骸は留魂録を戦場の彼女らに届けたのである。
そこからは驚きの連続だった。
「まさか和解するどころか、あいつまで引き込むとはね……。本当にお前は恵まれたんだわ」
「はぁ?」
「攘夷志士をたくさん殺したのに、一緒に逃げてしまうだなんて……鬼兵隊に至ってはお前のせいで壊滅してるじゃない? どうしてそばにいることが許されるのかしら」
艶かしい唇がとろける微笑を浮かべた。しかし底冷えするように冷たい眼差しが彼女を射抜く。
「お前はとっても愛されているのねぇ」
慈愛というにはあまりにそっけなく、嫉妬というには苛烈さがない。雪子は言葉を詰まらせて黙した後、唸るように不機嫌な声を出した。
「からかうなよ」
「ふふ、まあいいわ。今はそれで」
少女のように無垢に笑うと、腰にぶら下げた麻袋をそちらに放ってやる。受け取ってズシリとした重みを感じた。
革紐を解くと袋の口から神秘的な光が溢れてくる。一つをそっと手に取ると凝縮された輝きが掌を照らし、あまりの神々しさにため息をつく。
「これは?」
「アルタナの結晶石」
アルタナ……地球では龍脈と呼ばれる惑星の神秘の力。稀にそれが結晶石として形に成る。透き通った翠色が乳白色の太陽光を反射して虹色に魅せ、この世のものとは思えない荘厳かつ儚い造形美だった。
しかし手に収まるほどの小ぶりな結晶石と麻袋に詰められた他の結晶石の輝きとは裏腹に、雪子の心は嵐の前の静けさのようだ。
「不治の病をも治す泉が湧いた惑星……とかね。色々な惑星のアルタナの結晶石を掻き集めてきたの。他にも面白い道具を入れておいたから」
「……これを使って、私に何をしろと?」
「吉田松陽を殺せ」
バチッ───……
絶対零度の空気の中、青白い顔に愉快そうな色を刻むと手順を教えた。
「あの人は地球のアルタナに生かされている。そこへ他の惑星のアルタナをぶち込んでみれば完全なる不死身でいられない。だって不純物が混じり合うんだもの」
「………これと一緒に心臓でも握り潰せと言うの」
「あら。素敵な提案だわ。それともなぁに。他の人なら誰だって殺せてあの人は選べないと? 本当に自分勝手な女ね。私そっくり」
くすくす、と肩を揺らす。
「思い出してごらんなさい。私達が生きているのはどうして? あの人を終わらせてあげるためよ」
まだ松陽が虚であった時、雪子はその命を母親と共に狙われた。そして未来では彼を殺したりうる力を持つかもしれないと、一度逃されたのだ。悲しいことに雪子は誰よりもそれに近かった。
虚は自らの終焉と復讐を望んでいる。彼が全てを壊すことを防ぐために、虚という悲しき存在を止めるために吉田松陽は生まれた。それこそが彼の存在意義なのかもしれないと雪子は思っている。だからすぐに否定することは難しかった。なるほど、確かにそれならば吉田松陽の肉体を完全に葬ることはできるかもしれない。けれど。
「断る」
「理由を聞いてもいいかしら」
「わかりきったこと言わせないでよ。私もあいつらも松陽を護るためにはなんだってする覚悟がある。それにもう、止まれないから」
「たとえあの人が死を望んでいたとしても?」
「───ああ」
これから雪子は感じることになる。未来の自分は過去の自分よりも老獪でたちが悪く厄介だと。十五年も多く人生を積み重ねてきた自分自身に勝てるわけがない。
「ほんとうに自分勝手。あの人を死なせたくないのも全部、お前の都合でしょう」
考えていることなんて手に取るようにわかるのだろう。元々どこかソリの合わない二人の会話は次第に暗雲がたちこめていた。
「都合ってなに? 大切な人を死なせたくないだけじゃん。それのどこが悪いわけ?」
「無限の苦しみから解放してあげてって言っているのよ。あの人は自分から終わることができない。お前がやるしかないの」
「私は松陽を護るために奈落に戻って人を殺した。あいつらだって攘夷志士になって天人を殺し、仲間を死なせた。そこまでして今更引き返せないよ」
「ほら、やっぱり。戻れないのはお前の都合よね」
「……だったら何?」
開き直ったわね、とめんどくさそうな顔になると雪子は悩ましげな表情を浮かべた。
「じゃあ、少しだけ未来を教えてあげる。いずれ虚が体を乗っ取り、宇宙中を巻き込んだ大戦を引き起こすわ。そこでたくさんの悲劇が生まれる。多くの人間が死ぬ」
「で? 他人の命を大切にしろなんて私に言っても無駄だってこと、わかるでしょ」
「ええ。本当に清々しいくらいクズね」
「うるせぇお前もクズだろーが」
雪子は若い自分を見つめて、やはり一筋縄ではいかないかと確信する。もちろん彼女の発言が真実かどうかなんてわかりきったことだ。
ここで虚がしでかす悪行を並べたところで揺らぎもしないだろう。世界が滅ぶと言っても鼻で笑うだろう。この世には吉田松陽が生きているからだ。自分本位な彼女が唯一優先する存在が。
それにどうやら雪子はふっきれてしまったらしい。ならば。
髪をくしゃりとして、もう一つの過去を伝えるべく口を開いた。
「まだ何かあんの? 何を言われても動かないよ」
「それはどうかしら」
そして囁く。
「近い未来、銀時はお前とあの人を殺すことになる」
「………はっ?」
今、この女はなんて言った。
「あいつはね、選択を迫られたの。私達とあいつら、どちらを護るのか。どうしてあいつらを残してくれたかはついに聞けなかったけど、たぶん私達の想いを護ってくれたんでしょうね」
私って結構あいつらのこと好きだったでしょ?
照れくさそうに笑う雪子は、ふっと表情を引き締めた。
「雪子。お前は大切な人を死なせたくないと言ったわね。このままいけば
「それは………」
「お前はあいつに全てを背負わせることになるのよ?」
たたみかけるようにして狡い言い方をする。
雪子はギリ、と歯を噛み締めて瞼を閉じた。
「そんなこと、絶対にさせない。……もうやめたんだよ。一人で背負うのも、誰かに背負わせるのも。見てて、お互いがしんどくなるだけだ」
拳を強く握る。酷く心が痛かった。
庇うことは、自己満足の一種かもしれない。そんなものは願い下げだ。目の前で傷つく姿を見たくなかった。雪子はようやくわかったのだ。今にも思い出せる、喪失の恐怖を。
「じゃあ……」
「だからこそ、私は松陽を終わらせない。きっとあるはずなんだ。みんなで家に帰る方法が」
顔を上げ、雪子は誇らしそうに笑んだ。
「からっぽだった私に名前と居場所をくれたのが松陽だから。あいつらに出会わせてくれたのが松陽だから。……私のすべてが、松陽なの。何百年も生きたおじいさんだろうと、世界を憎んでいようと、私は松陽と共に生きる」
まるで純粋無垢な少女のように。それが正しいと信じて疑わない堂々とした笑顔に言葉を失った。
余裕のある微笑みが崩れ、ぽかんとする大人の自分に雪子は尋ねる。
「今度は聞かせて。どうしててめーは松陽を殺せなんて言うの? ……大切なんだろ」
「……ッ、わかったような口をきかないで。大切だからに決まってる! みんなで帰る方法? そんなのあるわけないじゃない!」
大声を張り上げた自分にはっとして、雪子は一呼吸入れると静かに口を開いた。
「どうすることもできないのよ……、何もかもが手遅れなんだわ。せめてあの人の自我が眠り、虚が目を覚ます前に終わらせてあげないとだめなの。それしか、もう……」
説得はほぼ不可能だろう。さすが、昔の自分だ。まったく言うことを聞かない。
だんだん苛立ちが募ってきて雪子はやり方を変えることにする。
「お前のそれは、依存じゃないの」
「…………」
「生きる理由はすべてあの人がいるからよね。行動原理もそう。敬愛する師匠を大事にするのもいいけれど、そろそろ自立したらどうなの? それとも対象が変わりつつあるのかしら」
ちらりと地上に視線をやった。
自分のことだからよくわかる。雪子は自分の意思に従っているようでその根本は別の誰かだ。無意識に、誰も気づかないぐらいにうっすらとしたものだけれど。
雪子の眼差しが鋭くなる。外套の内に隠された松陽の刀を凍りついたような目で見つめていた。
「なら、お前もそうだな。拳銃なんかも持ってるくせにどうして松陽の刀を腰にぶら下げているの? 理由も私と同じだろ?」
───松陽に授かった
よく似た顔に同種の笑みが浮かんだ。
狂気的で、矜持を貫かんとする強い意志。
「さっきから神経逆撫ですることばっか言ってくんだね。ものすごくうざったいや」
「あら、だってそのつもりで言ったんですもの」
抜刀したのは同時だった。
「ねじ伏せてやる」
「力尽くで言うこと聞かせてあげる」
構えをとった雪子の視界に、フードが揺れたと思った刹那、彼女の姿は消えていた。まばたきする間もなく届く、途轍もなく重い衝撃。
「カハッ!」
「どう? 久しぶりに吹っ飛ばされる感触は」
土埃を巻き上げた瓦礫の山に埋もれた雪子は、まさか過去の自分がどうなってもいいのかと思わずにいられない。容赦のない蹴りはあと少しで体に風穴が開くほどだった。情けをかけられるの大嫌いだが、それにしたって殺す気がありすぎる。
「ふふ、楽しいわねぇ。自分とはいえ夜兎を相手にする機会なんて滅多にないもの」
「あ、そう。……お前みたいになりたくねーな」
「諦めたほうがいいわ。私というお前はそう変わらないわよ」
激しい戦闘の合間に会話するが、はっきり言って経験値の違いすぎる雪子には拳と蹴り、刃と銃弾を躱すだけで手一杯だった。だというのに余裕綽々そうでムカつく。
「未来の情報ついでに教えてあげるわ、小さな兎さん。夜兎らしい体の使い方を」
パァン───と乾いた発砲音がして、雪子は半身をそらす。そうやって動く向きを予測して確実な一撃を食らわせる。
頭に直撃してしまいふらついた。視界がぼやけていつのまにか切れた口内には鉄の味が広がる。ぺっ、と血を吐き捨てると雪子はそれでもなお挑発的な笑みを貼り付ける。
「てめーにできなかったことをてめーでやれってか。はっ、そんなのごめんだね。こんな未来は誰も望んじゃいない。お前にお膳立てされた未来なんて欲しくない」
血を滴らせ、濡れた手で刀を握る。
「お前は私でも、私はお前じゃない! 自分の理想を押し付けてんじゃねぇよ」
ゾワ、と身体中が震え上がった。心臓に触れられているような奇妙な殺気は雪子の強気な心を征服しようとする。対峙する女の笑みに余裕ありげな色は消え去った。そこにあるのはただ支配欲を満たさんとする冷酷な感情だけだ。
「ここまで痛い目に遭ってまだそんなことを言うの。聞き分けの悪い子は嫌いだわ」
「私は好きだよ。思い通りに動かしてもくそつまんないし」
あ、やべ死ぬかも。
雪子は遅まきながら事態の深刻性を理解した。殺しはしないだろうと思ったが、死ぬ寸前まではいくかもしれない。
女は構えると鋼鉄の地面を踏み砕き雪子に迫った。対抗してボロボロの拳を握って迎え撃つ───
「美女が刃と拳を交えるなんて刺激的な光景だな。ただ、そんなに余裕のない顔をしてちゃせっかくの美人が台無しだぜ?」
片手は女の刃を、片手は雪子の拳を受け止めてみせた金髪の男に瞠目する。戦いに集中していたからか全く気づかなかった。さらにいくら弱ったとはいえ夜兎の攻撃を止めるだなんて。
しかし女は静かに刀を下ろし、遅いと呟いた。
「おおかた本当に破壊されては困ると思って待ち構えていたのね。これ以上遅かったら本気でそうしてやろうかと思ったわ」
「おっかねぇなァ。しょうがないだろ。地上のあいつらの援護しながら来てたんだから」
「そ。まぁお前の出番はないわ。時間切れだもの」
そう言った雪子の体は薄く透け始めていた。非現実的な光景に目をぱちくりさせた雪子は、すっかり闘志を削がされて二人の顔を交互に見る。
「どうなってんの? つーかこいつ誰」
「魘魅を倒したからタイムマシンを作った事実が無くなったの。私と銀時が過去を改変したから時空が歪んでいたんでしょうけれど、ようやく正される時が来た」
「俺は……まぁ、坂田銀時の義兄弟とでも言っておこうか。あいつが救えなかった世界を救う。それも俺の復讐なんでね」
にかっと太陽のような笑みを見せた男に、雪子はしらっとした目を向ける。
「たまさんの映像のおかげで俺も本来の存在意義がわかったのさ。俺は時間泥棒の試作品なんかじゃない。坂田銀時という不完全体主人公を超える、完全なる主人公なんだよ」
「何言ってるのバカなの?」
「坂田金時よ。覚えておきなさい。その大馬鹿が助けてくれたってね」
え、と雪子と金時は驚いた。
そんな二人に茶目っ気たっぷりのウインクをすれば、金時は顔を手で隠して大笑いをする。
「ははは、やってくれたな」
「十年経っても覚えているかはわからないけれど、頭に入れて損はないでしょう」
「そうか……そうだな。よし」
すると金時は雪子に近づくとおでこに手をかざす。バチっと電流が走ったように脳内がスパークして視界が白く染まり、意識が強制的に落とされて雪子は倒れた。
「乱暴にしないでくれる?」
「悪りぃ悪りぃ、多分最初に言っても警戒されてたんでね」
「何をしたの?」
「脳にちょっと仕掛けをさせてもらった。もし俺が未来に生まれてまたバカなことをやったんなら、やつを覚えている連中がもう一人増えてもいいだろうと思ってな」
ふぅんと興味なさげに相槌を打つ。
雪子は空を仰ぎ退却の素振りを見せる宇宙船を一瞥すると、最後に甲板から身を乗り出して地上を見下ろす。
三人と一匹が円陣を組んでいた。どこか微笑ましい光景に自然と頰が緩み、雪子はこれでよかったのだと納得させる。
やれることはやった。あとの行動は彼女がどうするかだが、この調子だと難しそうだ。
……まぁ、せいぜい後悔しない道を作ることね。
「じゃあ、私もそろそろ帰るわ。お前はまだ残っていてね。もしかしたらメガネだけ行っちゃ───」
「途中で連れていかれやがった……。わかったよ、そいつを連れて未来に帰る」
そして金時は人間かけてるメガネの付属品である新八を回収していく。時は修正され、しかし残されたものは確かにそこに在った。
「ん………」
ぱちりと目を覚ました雪子は、我に返って起き上がる。鈍痛がして頭をやられたことを思い出す。徐々に鮮明になっていく記憶はどれも現実離れしている。けれど体中が痛いし甲板は穴だらけだしで、現実だと受け入れるしかない。
麻袋と、翡翠色の結晶。
そういえば他にも道具を入れていると言っていた。ごそごそと探ると変なものが見つかる。
「なにこれ……」
その時、一羽の烏が天より舞い降り、雪子の腕に留まると指示を伝えた。
「ちっ。遊んでないで戻れってことか。そろそろ本腰入れて動かないとだしな……」
やれやれとため息をつく。決断する時は近い。雪子はしばらく悩んだ後、麻袋を腰にくくりつけると歩き出した。攘夷軍が潜伏している方向とは真反対に。幕軍の陣営に戻るために。
その同時刻。広い戦場を見渡せる丘に三人の攘夷志士は立っていた。赤い墜落船を見つめ、不思議な出会いを胸に秘めつつ彼らは悟っていた。きっと雪子が帰ってくることはないだろうと。
それでも彼らは信じていた。
「行くぞ、銀時」
「ああ」
そして、彼らは再び敵に成る。