終わりの始まり
日がとっぷりと暮れた頃、幕軍の陣営に戻った雪子を迎えたのは天導衆の一角を担う天人と増援としてやって来た奈落の者達だった。そこには奈落三羽が一人、
朧の姿が見当たらない。雪子は疑問を持ちながら新たな指揮官となる天導衆の男を睨んだ。
「天導衆まで出張ってきたのか。私の領域に手を出さないでくれる?」
「貴様ほどの力がありながら任務を遂行できないというのだから、援軍を遣わしてやっただけだが?」
緑色の肌をもち編笠とマントを纏う天人は口元を歪めて続けた。
「良かったな。公開処刑だったか……貴様が提案した攘夷四天王の首の始末は決まった。ひとまず捕らえろと。やはり共に過ごしたかつての仲間は斬れなかったのだろう。是が非でも生かしたいらしい」
「さぁ。ただ私が言えることは、邪魔するやつはたたっ斬るだけさ。たとえ───」
目にも留まらぬ速さで抜刀し、天人の首元に突きつける。周囲の奈落が雪子に凶器を向けるが彼女は飄々とした表情を崩さない。
「この場にいる全員を敵に回してもな」
「くく。面白い。今の貴様ならばそれもできるやもしれん。どれだけ犠牲を払っても手駒にしておいたのは正解だった」
だが雪子にはできない理由があった。吉田松陽が連中の手にある限りこれ以上の目に余る行動は慎まなければならない。
舌打ちすると雪子は殺気を解いて刀を鞘に収め、陣幕の奥へと向かう。
「……貴様、何を隠している」
間違いなく麻袋の中身について言っている。まだ中身を確認していないとはいえ、アルタナの放つ特有の気配に目敏く気づいたらしい。しかし確信にまでは至っていない。
ならば無理矢理にでも誤魔化してやろう。雪子はわざとらしく顔をしかめて振り返った。
「てめーらへの反抗心とか殺意とか? ……気分悪くなった。寝る」
そうして闇へと姿を消す。
「ふむ……やはり逃れられぬか。奴を失くすのは惜しいがこれも天啓というもの」
夜兎という最高の肉体に従順な精神を灯らせ、人形に仕立て上げる予定は崩された。だが彼女は再び戻った。なんと愚かでかわいらしい娘だ。
それが母親の願いを踏み躙り、心を蹂躙することだとわかっているだろうに。
天人は禍々しい赤眼を細め、命令を下す。
「裏切り者の始末の時間だ。幕軍の英雄たる獅子喰いは、時代の最期に華々しく散ってもらわねば。その恩師であるあの男と本当の仲間達と共にな」
雪子は周囲に人の気配がないことを確認して、アルタナの結晶石を取り出して眺めていた。
松明の炎にかざしてみると翡翠はきらりと白く光る。なんとも不思議な結晶だ。だいたいが透き通った緑色をしているが、中には橙色や瑠璃色などもあって目を楽しませてくれる。
手にしているだけで力が漲ってきた。さすがは星の神秘の力。これが宇宙の文明を飛躍的に向上させたのだ。天導衆が永きに渡って支配し続けているのも頷ける。仕組みについてはよく知らないが、天導衆以外の者がアルタナを操作することは不可能だと聞いていた。未来に何が起きたか詳しくないが、雪子がこれほど大量の結晶石を所有していることはおかしいことになる。
「これで松陽を……できるわけない」
散々してきた自問自答は変わらないまま。
それにあの時はそこまで頭が働かなかったが、冷静になった今なら思考は巡る。
地球のアルタナの影響を受けて不老不死となった肉体が生命活動を停止したとして、その血を流す朧はどうなるのだろうか。
「わからん」
一気に二人を失うのかもしれない。
奇しくも松下村塾が燃えた日と同じように。
雪子はわからなくなっていた。
吉田松陽を終わらせるべきか、否か。
自由に生きて欲しい。ただそれだけを願って戦ってきた。敬愛する恩師で、父親だった松陽のことは言葉にできないほど大切で、大好きだった。この星が生んだバケモノだとしても、雪子にとっては枷にならない。だからどうした、松陽は松陽だと胸を張って言えるのだから。
それはあの弟子達だって同じだろう。彼らも戦争に身を投げ打ち、たくさんの命を殺して護ってきた。己が師を救うために。
そんな弟子達の努力が、苦しみが間違っていると雪子は思えなかった。報われたっていいじゃないかと心が叫ぶ。
だが、頭の中の冷静な自分が囁く。
吉田松陽を永劫の苦しみから解放するべきだ、と。
何度か松陽に自身について話を聞いていた雪子は知っていた。彼の意識の底に眠る虚が目を覚ましつつあると。松陽が抗い続けていられるのも、いつまで保つかわからないとも。
『もし私が眠ってしまえば……誰も
内なる本物のバケモノが目を覚ましたならば、この世界は宇宙中に蝕まれるらしい。そこは未来からの情報であるため素直に信じられないが、可能性はある。
虚の目的は自分の存在を消すこと。
雪子の母親である蓬麗のように、自分を殺せるかもしれない生物と出会うよりも確実な方法がある。
地球を破壊することだ。
雪子が今、足を踏みしめて立っているこの星そのものを、アルタナごと壊すのだと。復讐も兼ねて間違いなくそうするだろうと松陽は言っていた。
そうなる前に、
「私は───……」
雪子はしばらく瞼を閉じて黙考すると、やがて覚悟を決めた面持ちで支度を始める。きちっとぎゅうぎゅうの麻袋を腰にくくりつけ、武器を仕込んで外に出た。
辺りは闇に染め上げられている。気配を頼りに歩き出した雪子は目的の人物がいないことを悟った。
どうしようもないか、と肩を落として戻ろうとすると目の前の垂れ幕が持ち上げられ、燈に照らされた男が姿を現す。
「美女が夜這いに来てくれるたァ、俺も男冥利に尽きるってもんだぜ。まさか獅子喰い様もケダモノだったとは」
「気持ち悪い勘違いをすんな。お前に用はない。朧に会いたいんだけど、どこに行った?」
冷たくあしらわれたにも関わらず、柩は片眉を愉快そうに上げて答えた。
「やつなら明日に到着するってよ。吉田松陽つったか? そいつを引き連れてな」
雪子の表情が凍りついた。
どうしてとは思わない。然るべき時がやってきた、ただそれだけのこと。けれど現実として目に見えてしまえばそらすことすらできなくなってしまう。
いよいよ吉田松陽の処刑が執行されるのだ。
さらに雪子の心を揺るがしたことがあった。それは朧が松陽を連れてくるということ。恩師を処刑へ導く役目を負わされた朧の心中を考えてしまった。なんて残酷なのだろう、と。
瞳が悲しげに光を閉ざしたのは一瞬。だが柩が雪子の動揺を見抜くには十分すぎる。
「上も何考えてんのかわかんねーな。普通お前を縛りつける人質を殺すか? やんならボロボロになるまで使い潰した後だろうに」
「……ああ、まったくだよ。理解しがたいね」
「お、こんな夜更けに出かけんのかよ。なんなら伝言でも頼まれようか」
「いらない」
いっそ朧が松陽を連れて逃げてくれればいいものを。この希望なき道筋でそう考えてしまう。しかし当然やつは命令に従うだろう。そこが評価される面でもあるのだから。
雪子は地図を頭に思い描きながら歩いていく。どうにか合流しなければなるまい。森に差し掛かり、後ろから聞こえてくる足音に怪訝そうな顔をして振り返った。
「なんでついてくんの?」
「監視してるのさ」
「なら、どうしてこんなに人がいないの?」
雪子はにこりと笑って柩に尋ねた。幕軍の陣地からやや離れたとはいえ奈落の者達の気配が消えている。不思議だな、とわざとらしく首を傾げれば柩の殺気が放たれた。
今や奈落最強といえば雪子に決まるだろうが、柩は奈落三羽に数えられる傑物。ヒリヒリと肌を突き刺す空気を察知して雪子の口角は知らず識らずのうちに吊り上がる。
「吉田松陽を処刑するってことは、私はもう使用済みの道具ってわけ? 一応まだ組織の一員のつもりだったのに、酷い話じゃない。私ほど優秀な逸材は二度と現れないよ」
「だろうな。だがお前はそれを過信した。好き勝手暴れたその代償をくれてやれって話だ。よく言うだろ? オイタが過ぎたってな」
しゃらん、と金属音が深夜の森に響く。雪子を取り囲むようにして舞い降りた烏達。その中央で柩は好戦的に笑む。
まるで数年前のやり直しをしているみたいだ、と雪子は平然とした心境だった。いつかこうなることを知っていたからである。負ける気はしなかった。奈落が全力で潰しにかかろうと跳ね返してやる自信しかなかったのだ。
クナイを構えた臨戦態勢の雪子は、数十に及ぶ敵を見据えている。
「裏切り者は粛清対象。命をもって償うがいい!」
「出ろ、時間だ」
朧は感情を押し殺した声で松陽に命令した。松陽は牢屋からその足を踏み出し、歩く。
「朧。君は君の魂に赴いて生きなさい」
たった一言。穏やかな微笑みを浮かべ口にして、松陽は何も恐れはないと歩を進める。朧は唇を噛み締めると、錫杖を強く握って無理やり足を運んだ。
月が輝かしく地上を照らす光の道を、死の道を往く。
「せあああぁぁッ!」
雄叫びをあげて雪子は刀を振り抜いた。敵の胴体を深々と貫き、臓物をぐちゃりと掻き回す。後ろから迫る奈落の喉を潰すと、クナイを投擲して周囲を威嚇。毒針を正確無比に投げて絶命させる。
はぁ、とやや乱れた呼吸を整えつつ自分の状態を確認する。裂傷が目立つが致命傷は負っていない。予想よりもずっと怪我は少なかった。敵はまだまだたくさんいるとは言え順調に頭数を減らしていっている。この調子なら、と雪子は刀を握り直した。
「裏切り者を裁くだけだっつーのに、なんだこの体たらくは? やつを殺す被害のほうが甚大じゃねーか」
鋭い刃を両腕に備え、柩はその光景を観察していた。明らかに数ヶ月前のやつと戦い方が違う。負けるはずがないと自惚れ、傷つくことも厭わない破茶滅茶なものが、勝利を引きずり出すべく全手段を操り、冷静に負傷を避けている。
「天照院奈落。お前達は私に戦い方を教えてしまった。それがお前達の過失だ」
宇宙最強と名高い種族に技術を詰め込んだ。
クナイの投げ方、毒針の扱い方、暗殺術、体術、あらゆる戦闘手段に加えて宇宙でも限られた天人しか知らない知識までも。単体で数えれば、今や雪子を倒せる相手など片手に足るだろう。
そう。奈落は失敗した。
奈落はその手で命令に忠順なる傀儡を作るどころか、最強最悪の暴れ兎を生み出してしまったのだ。
「貴様ァ!」
「邪魔だな。その命で私の踏み台になってくれ」
一気に三人を肉塊に変えた雪子は次なる標的を求めて愉しげに微笑み、この場にいる全員を殺そうと爛々と瞳を輝かせる。興奮と狂気を感じながらも冷静さを失わず、淡々と殺していく。
夜兎の本能に飲まれず、その本能を最大限に引き出して戦う彼女を、誰が止められるのか。
さらに増援した奈落の者共だったが、彼らの心は恐怖でいっぱいになりつつある。だが怯えて後退りすることは許されない。裏切り者と判断されるからだ。
哀れだ、と雪子は思う。どちらにせよ彼らは死ぬ運命。たとえ奈落に身を拾われたとしても、望んで入ったわけでないにしろ、等しく彼らは雪子と同じ人殺しの罪人なのだから。
痛みを感じさせないよう、一太刀で魂を狩る雪子は白い歯を見せて笑った。
「黙って殺されていろ。人間風情が」
「銀時、やつらに動きがあった」
「何っ」
静かな夜更けを過ごしていたら、桂から情報を報告される。言うまでもなく奈落だろう。雪子が姿を消して数日経つが、まさか先にそちらが動き出すと思わなかった。
身を起こした銀時と同じく、高杉も起き上がり桂に着いて行く。攘夷軍が潜む古びた家屋から離れ、石段に腰掛けて話を聞いた。
綺麗な満月が彼らを照らす。重々しくため息をついた銀時は、じゃあ、なにか。と心を整理するように前置きをする。
「明日が最後の戦いになるかもしれねーんだな」
「ああ。幕府はさらに増援を送った。大量の奈落の者達がいたとも聞いている。ケリをつける腹づもりらしい」
「はっ、怖気付く必要もねェな。来るべき日が来た。それだけだろ」
高杉は月を仰ぎつつそう言い聞かせる。
どちらにせよ、彼らの覚悟はとっくに決まっていた。桂は不安げに目を伏せる。
「はっきり言って、こちらの軍隊の戦力と比にならない軍勢が押し寄せてくるだろう。犠牲者も格段に増える。もう、この戦いは……」
「それ以上言うんじゃねェ」
銀時はまっすぐ前を見ていた。
「俺達の戦いは終わってねェ。あいつらを救うまでは、終わっちゃならねェ」
「ようやくここまで来たんだ。あとは突き進むんだろ」
「お前達……」
そして桂は、そうだなと確かな声音で相槌を打つ。
「雪子と朧殿に言っておけばよかったな。俺達と攘夷しないかと」
「お前、バカかよ」
「紛うことなきバカだな」
クナイと毒針を使い果たした雪子は、いよいよどうするべきかと考える。ここで全員を殺して逃亡生活でもするか。それとも───ある決意をすると、つい満月を視界に入れておきたくなった。
「余所見とは随分と余裕があるんだな」
「っ、しまっ……!」
ちくりと小さな刺激が首元にして、雪子は素早く細針を抜いた。その隙に肩と足にも太い毒針が飛来する。かくん、と力の抜けた雪子はついに膝をついた。
「ゲホッ、手こずらせんじゃねーよ」
びちゃり、と貫通した穴から夥しい血を流す柩は、ようやく雪子の強さの底に辿り着いたのだと確信する。そこに至るまでにまさか己の片腕を失うことになるとは思っていなかったが。
本当にたった一人でこれだけの奈落を屠りやがった。柩は悲惨な周囲を見渡す。血と肉片で足の踏み場もない。鼻がもげそうなほどの異臭は、慣れてきたとはいえ吐き気を催す。
獅子喰い……容赦なく攘夷志士を殺すことから由来したと聞く。冗談じゃない。こいつはそんな甘っちょろい生き物じゃない。誰にも制御できないバケモノだ。
死闘を繰り広げた柩は、頼むから二度と起き上がってくるなと願った。けれど月光に照らされた赤い指がぴくりと動く。
「不死身かよ……、はは。荼吉尼族すら数秒で絶命させる毒だぞ。イカレてやがる」
立ち上がった雪子の表情に、先程のような笑みは浮かんでいない。殺意に満ち溢れ、ギラギラと眼光を放っている。かろうじて動ける柩などすぐに殺せるだろう。まさにその通りだった。
「うおおおお、 ぉ、あ?」
ひゅ、と。
風を斬った刃が柩の首を刎ねる。
筋骨隆々な肉体がぼとりといくつもの肉片に斬り刻まれ、崩れ落ちた。奈落の残党達はカタカタと体を震わせ、がむしゃらに雪子に挑んでは散っていく。
そこに傍観していた天導衆の一人が拍手をしながら登場する。
「素晴らしい。あれだけの奈落の者達を一人で片すとは! 母親に勝るとも劣らぬバケモノよ」
は、は、と呼吸すらままならないらしい。焦点の定まらない目は、未だに殺意に滾っている。ごふっと吐血し、命が消えかかっているのだとわかった。
ますます笑みを深くした天人に向かって、雪子は足を踏み出して。
「あぁ……?」
不意に雪子の体勢が崩れた。血濡れた地面に倒れ伏せ、少しの間だけもがくように動く。そうして僅かな抵抗を見せた後、彼女の動きは完全に止まった。
「ようやく死んだか、バケモノめ」
雪子が動かなくなって数秒経ち、天人は屍に近づいた。全身血塗れだがさほど大きな傷はない。麻酔針で動きを抑え毒針でとどめを刺したのだ。
天人は物言わぬ肉体にくくりつけられた麻袋に手を伸ばす。ころころと小さな物体が転がった。そんなものには気にも留めず美しい光を放つアルタナの結晶石を取り出した。
「何故これをこやつが………」
死んでしまっては問い詰めることもできない。天人は麻袋を取り上げると生き残った奈落に命令する。
「夜兎の死骸だ、まだ使い道はある。連れて行け。天に抗った末路を吉田松陽に見せてやらねばな」
そうして、吉田松陽の処刑執行日は怒涛のように始まった。