お家に帰ろう   作:睡眠人間

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その日は曇天だった。びゅうびゅうと風が叩きつけ、土埃と硝煙が視界を悪くする。幾万もの軍勢に押しつぶされた大地は、とうに疲弊し枯れている。

攘夷戦争末期の中でも最期の戦いになることを攘夷軍は言葉にせずとも何となく理解していた。彼らの三人の将の顔つきはそれまでと段違いだったのだ。

 

見渡す限りの天人軍と幕軍。作戦通りに奇襲をかける銀時率いる部隊を見送って、彼らは雄叫びをあげて戦いを繰り広げた。

日常に飼い慣らした戦いの音色がいつもより酷い。それでも彼らは逃げない。天人という野蛮な種族から国を護るために刀を握っているのだ。この頃までしぶとく生き延びた彼らの執念強さは、どの部族よりもずっと逞しく勇ましい。

 

 

「偵察部隊の情報と戦況が少し違うな」

「堀田。やはりそう思うか?」

 

奈落はその素性を隠し中央より派遣された武装組織とだけ知られている。それ以前に攘夷軍にとっては立ちはだかる幕軍という一括りに過ぎない。だから奈落の数だけが少ないと聞いても、こちらが有利になるだけとしか捉えない。

しかし桂は奇妙な引っかかりを覚えていた。奈落は暗殺部隊だ。大量に派遣されたと聞いている。だがちらほらとしか見かけず、何か事件が起きたのだと判断した。当然、その渦の中心に雪子がいると確信する。

 

補給部隊の援護をする桂の部隊は比較的安全な地帯にいた。桂は周囲を注意深く観察したが雪子と朧の姿は見つからない。すると堀田が刀を鞘から抜き出しながら、戦場の遠くを見つめて言った。

 

「お前はこの部隊の将だ。また自由に動くことはできないだろう。特にこんな状況ではな」

 

侍は滅ぶ他に道はないと言うのか。

せっかく俺の定めた侍になろうと決めたのにな、と堀田は心の中で苦笑する。

 

「雪子を探してこよう。もし俺が戻って来なくとも、必ずやつをお前達の元へ連れて行く」

「それはだめだ」

 

まさか拒否されると思っておらず、振り返った堀田に桂は真剣な顔をしていた。

 

「お前も必ず戻ってこい。約束しろ」

「……はっ、いいぜ。約束だ」

 

嫌いだった奴らに命を預ける日が来ると、子どもの頃の自分は微塵も思っていないだろう。それが侍だと信じていた道をあっさり捨てて駆け出した自分を過去の俺はきっと許さない。

だが今の俺のほうが気分がいい。

 

堀田は桂と拳をコツンとぶつけ、戦場を走り抜ける。初対面は嫌なやつ。それから強い女で、憎い。会話と一方的な拳を重ねるうちに、いつしか憧憬に変わり、引っ越して全く会えなくなると不思議と寂しさを感じた。やがて好意になり、一人の女のために家を捨てることになるとは。

 

自嘲的な笑みを浮かべた。彼もまた、揃ってバカな幼馴染の端くれでもある。己が外野だとわかっている。けれど外野は外野なりの手の伸ばし方があるだろう。

 

「待っていろ、すぐに……!」

 

紫色の鮮血を散らして倒れる天人の屍を踏み越え、堀田は走った。やがて徒士組の格好をした者達が集っている光景が見える。戦場を見下ろせる崖だ。並々ならぬ雰囲気を放つ緑色の肌をした天人と堀田の目が合った。

 

天人は目線を誘導するようにちらりと後方へ顔を向ける。つられて堀田もそちらを見やり、瞠目した。

 

 

───吉田松陽が、

 

「背中がガラ空きだぜ!」

「ぐぁ!!」

 

油断した。いや、そんな言い訳など通用しない。背中をぱっくり裂かれて激痛と熱に叫び声をあげ、地面に倒れ伏す。痛みを堪えながら見上げると、ニタリといやらしく笑う天人が刃をかざしているところだった。

 

───悪いな。どうやら俺はここまでみたいだ。

 

ぐしゃりと視界は赤く染まり、堀田の意識はそこで途切れた。

 

 

 

「貴様が鬼兵隊総督、高杉晋助か」

 

こびりつくように耳障りな金属音を立てて迫ってきた奈落に、高杉は不快そうに眉根を寄せる。

雪子の手によってほぼ壊滅状態に追い詰められた鬼兵隊は、新たに編成しこの戦場に立っていた。故に隊の具合は順調とは言い難く、最も天人軍に攻められている。そんな状況に奈落が現れ、高杉の機嫌は急降下していく。

 

「ワラワラと群れてきやがって……化け烏どもが。俺の目玉でも啄みに来たか」

 

吐き捨てるように冷たい視線を浴びせ、天人の血に濡れた刃を向ける。足止めを食らう時間などない。姿の見えない雪子や朧を探さなければならないのに。邪魔する者は排除するだけだ。

 

「俺がテメェらを喰い殺すが先か、テメェらが俺をつつき殺すが先か。勝負といこうじゃねェか」

「そう長引くことはない。安心して死んでいくがいい───……」

 

 

「獅子喰いが地獄で待っていよう」

 

 

「───なんだと?」

 

平素と比べてずっと低い声だった。聞き間違いではない。確かに目の前の奈落の者がそう言ったのだ。

 

「戯言を。雪子が貴様らなんぞに殺されるタマか。あいつは誰にも負けない」

「真実かどうかはすぐにわかる。狂乱の貴公子、桂小太郎よ。神妙にお縄につけ」

「貴様らがくれるのは縄でなく絶望だろう。御免蒙る。貴様達を相手にする暇など持ち合わせていないんだ」

 

ここまで侵入を許すとは。敗北が色濃く滲んで、攘夷軍の士気の低下を感じる。空気を伝播するそれは何よりも侍の闘志を削ぐのだ。だからこそ将たる桂に負けることは許されない。

堀田が一向に帰ってこない。やる気に満ちた若者が気づけば屍に変わり果てることは日常だった。まさか奴がと信じられない気持ちを味わい、そうか、お疲れさんと別れを告げることも。

 

「どれだけの敵がやってこようと。何人もの仲間を見送ろうと。俺は、俺達は終わらない」

 

桂は怒りを腹に押し込めて奈落を睨み据える。

 

「侍の叫びをとくとその身に受けるがいい」

 

 

白銀と漆黒の輝きが交わり火花を散らした。銀時は迫るクナイを弾いて周囲の敵を斬り伏せると、獰猛に刀を振るう。

 

「よォ、また会ったな」

「…………」

 

敵は、朧は何も言わない。先に兄弟子に会うことになるとは思わなかったが、どちらも探していたから手間は同じだ。けれどこうも口を開かないのであれば、銀時が不審がるのも当たり前だった。

少し光を取り戻した瞳が再び闇に閉ざされている。固く噤んだ口から漏れるのは、堪えるような唸り声と押し殺した吐息だけ。

周囲に奈落がいるからだろうか。朧の立場を知る銀時の判断は半分正しい。それに加えて、朧は弟弟子にかける言葉が見つからなかった。

 

吉田松陽は今日処刑される。

自分の力不足のせいだ。朧は先生を護ることはできなかった。彼ならきっと松陽を逃すことも可能だっただろう。組織に属する雪子を見捨て、師匠を取り戻すために刀を握った弟子達を置き去りにして。

 

それでも朧は選ばなかった。護る相手はずっと前から定まっている。己が師、吉田松陽と大切に思う弟子達だ。

 

「あいつらはどこだ」

 

斬り合う二人しかわからないだろう。どちらも絶妙な加減で死闘を演じていることに。歯痒い間隙でもう一度銀時は問うた。やはり朧は答えない。

鍔迫り合いに移行しながら銀時は力強い声色で語る。少しでもやつの心に届けと。

 

「何があっても俺は二人を救ってみせる。護ってみせる」

 

ぴき、とひび割れた音色が微かに聞こえた。それでも銀時はしっかりと朧の目を見つめている。

 

「俺をあいつらのところへ連れてってくれ」

 

やはり、この弟弟子は……。朧は希望を抱いた。雁字搦めで動けない己と違って、この男ならばもしかしたら───……そんな願望を。

 

いいや、何を迷う必要がある。

ようやくここまでのし上がってきたのだ。

 

先生も仲間もいない、全てが空っぽの場所に立ち止まっていた。憎しみを胸に大勢を殺した。弟弟子達に刃を向けた。彼らの居場所を壊した。

けれど今はどうだ。隣に並ぶ者がいる。死ぬなと手を伸ばす者がいる。それだけで朧は救われたのだ。

 

「……ああ。いいだろう」

 

銀時は目を開いたが、口元を引き締めてすぐに頷いた。

 

今日で全てが終わる。言い換えれば、今日で全てが変わる。吉田松陽が処刑される? それはつまり彼を自由にする最後の機会だということだ。地下深くに幽閉されていた松陽を阻むのは、手錠と縄だけ。そんなものは断ち切ってしまえ。

 

「黄泉路へ案内してやろう。……白夜叉」

 

 

 

しかし現実はそう甘くなかった。

崖の上に膝をつき、戦場を見つめる松陽の心は誰にも理解できないだろう。自分を救うために愛する弟子達が目の前で死んでいく様を、まざまざと見せつけられていた。

 

「哀れなものだ。吉田松陽、お前の教え子達はお前の教え通りに犬死していったぞ」

 

人間の絶望の顔はいつ見たって心が踊る。天導衆の男は、この時を待ち望んでいたかのように愉しげな声音で残酷に続けた。

 

「そんな教えを説いた覚えはないとでも言うか? では試してみるとしよう」

 

武器を取り上げられ、両手を頑丈な手錠で、上半身を縄で拘束された弟子達。高杉と桂は呆然とした表情で松陽の背中を見つめた。煩わしい音を立てて拘束を解こうと試みるが、鍵がない限り手錠を外すことはできない。

 

「お前と共に犬死する道を選ぶか。それとも、その手で師を殺めてでも生き残る道を選ぶか」

 

ざっ、と大地を擦って立ったのは銀時だ。その手には吉田松陽に授かった刀を握っている。人を斬らないと誓った刀は、一滴の血にも汚されていない。気高く美しい刀身が光芒を反射して冷たく輝いた。

 

「師か仲間か。どちらでも好きな方を選べ」

 

銀時はゆっくりと歩き出した。地面に転がされた高杉と桂の間を通り過ぎ、背中を向けた松陽のもとへ。

 

天導衆の男はその光景を眺め、口を開く。

 

「もう十数年前のことになる。一人の女は子どもを護ろうとその命を散らした。今の貴様のように首を刎ねられてな。……お前も覚えていよう、松陽」

 

松陽のそばに立つ朧は、心が冷えていく様を感じていた。なぜならその女は朧にとって母親のような存在であり、死の真相を初めて聞いたからだった。

 

「蓬麗といったか……あの女を処刑したのは、当時奈落の首領だったお前だったのだから」

 

錫杖を握る手に力がこもる。

 

「愚かな女にふさわしい無様な最期だった。夜兎の中でも特に優れた素質を持ちながら、それを捨てて平凡な暮らしを送れるはずがない。未練がましく縋っていたよ。娘と息子に手を出すなとな」

 

動くな。暴れるな。

朧は必死に感情を制御しようとする。慣れているはずだった。心を殺して任務をこなしてきた。だが、これだけは我慢できそうにない。

激昂が弾ける寸前、静かな声がした。

 

「ええ。覚えていますよ」

 

松陽は初めて顔を上げた。

あの日も同じ、曇天だった。

 

「彼女はとても素晴らしい母親だった。誰よりも清らかな心を持った生き物でした。彼女に出会えたから私は吉田松陽になれた……」

 

だから、と。静謐な声音のまま。

吉田松陽は憤怒を露わにする。

 

「蓬麗を侮辱することは誰だって許さない」

「………そうか」

 

男はさらに愉快な心地になった。

ならばと大切に残していたとっておきを披露する。

 

どさ、と人が倒れる音がした。

 

銀時は振り返って刀を落とす。

高杉と桂の間に新たに転がされたのは、

 

 

「   ゆ、きこ 」

 

 

白い肌のほとんどは黒く変色した血で濡れている。長い睫毛で縁取られた瞼はぴくりともしない。乱れた髪が額や頬にへばりつき、顔色を失った死に顔は驚くほど安らかだった。

 

『ほら、勝手にどっか行かないで。家に帰るよ』

 

「ぁ、………あぁ」

 

『え? 優しくてこれ以上なく素晴らしいって? ありがとう銀時』

 

「ぁぁあああ………」

 

『おまえ、ほんとにばかだね』

 

記憶にいる雪子は、いつだって楽しそうな笑顔を浮かべコロコロと表情を変えては、自分達の密かな心配を吹き飛ばして平然としていた。

 

 

掠れた声が自分から絞り出されたものだと、銀時は意識できずにいた。心が死んでいくようだった。音も視覚も何もかもが失われていく。これ以上見てはいけないと叫ぶのに、目をそらせなかった。

 

護れなかった。その事実が銀時の心を引き裂く。

 

「冗談はよせ……、いつもみたいに、起き上がるんだろう。お前は」

 

桂は震える体を突き動かして、なんとか雪子を揺さぶる。呼吸していない。触れてわかった。とても冷たい。その体温を桂はよく知っていた。腕の中で逝った者達と同じ───……

 

頼むから目を覚ませ。無駄だと理解しながらも、祈ることしかできない無力な自分が憎かった。ぼろぼろと大粒の雫を落とし、桂は亡骸を揺する。

その瞳が自分達を映すことがないとしても、二度と笑うことがないとしても。必死に。何度も何度も。

 

「……てめェ、何勝手に死んでんだ。なァ。ふざけるなッ! 死んでんじゃねェ!! ………おい、雪子ッ……、ゆき、こ」

 

これは夢だ。そう願うのに、いつまで経っても変わらない現実を高杉は突き放した。

まだ何も伝えていないというのに。ようやく追いついたと思ったのに。今度は手の届かないところに消えていった。

 

雪子の死は心を折るのに充分過ぎるほどだった。

 

「おやおや。どうしたことか。幕府の英雄、獅子喰いの死を攘夷四天王が悲しむとは……はてさて、どんな奇縁があったことやら」

 

その悲痛な叫びが男の心を酷く満ち足りたものにしていく。もっとだ。もっと絶望を与えてやれ。

 

「絶滅寸前の希少種、夜兎の死骸だ。傷も少ない上に形もいい。ああ、生きてさえいればこれ以上に使い道はあったというのに。教育し直して今度こそ本物の道具になれたものを。心を持った人形ほど厄介なものはないからな。始末するしかなかったのだ。………なぁ、朧」

 

名を呼ばれ、それでも動かない……否、動くことのできない朧に天人は試すような口ぶりで尋ねる。

 

「どうした。監視対象が簡単に死んで悲しいのか?」

「……いえ。私は………」

 

どうにかそれだけを言葉にして、朧は口を閉ざす。

吉田松陽は何も言わなかった。

 

「さて、中断してしまったな。再開しよう。さらに仲間を死なせたくなかろう」

 

はっとして高杉と桂は銀時に視線を戻す。

ゆらりと不穏に揺れた後ろ姿は、覇気が全くなく今にも倒れそうだった。いっそそうしてしまえば楽だろうに。

 

「やめろ、銀時………頼む」

 

すぅっ、と。

天を穿つように真っ直ぐ伸ばされた刀が、横に薙ぐように、首を刎ねるように、動き出した。

 

その時、脳内に蘇る記憶。

 

『仲間を。みんなを護ってあげてくださいね』

『もし俺がおっ死んだら、先生を頼む』

『じゃあ俺もろくでなしに頼む。──死ぬな』

 

「やめてくれェェェェ!!!」

 

 

銀時は白銀の刃を振るい、その首を刎ねた。




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