お家に帰ろう   作:睡眠人間

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シリアス長篇で25話以上使うと思ってませんでした……。今回ちょい短めです。


奇跡

足元から這い寄る冷気。全身を啄むような圧倒的な殺意。指先から凍えるように動かなくなっていく。指、腕、肩、心の臓へと絶望に染められていく。

しかし心は温かいままだった。彼らの手のひらの温もりが、命の熱が血を介してやがて全身に広がっていく。彼らの想いと信頼が松陽の魂に芯を通していた。

 

まったく頼もしく育ったものだ。ついこの間までは小さくひ弱な子どもだったというのに。今はその逞しい表情が眩しく思える。停滞という終焉に留まり続けた己には。

 

吉田松陽によって袂を分かった弟子達は、吉田松陽によって再び道が交わった。刹那のような関係をここで断つわけにはいかない。悲しみを背負わせたくない。五人の教え子達を愛していたから。

彼らは充分頑張った。次は先生の番だ。

 

意識の底に沈むまでもない。すぐそこに巨大な存在感を放つそれに呑み込まれていく。抵抗せず、それの奥底へ意識を繋げていく。

 

 

───私に勝とうというのか。

 

ええ。外で帰りを待つ弟子達がいますから。

 

───無駄な足掻きを。敵わないことを君が一番に理解しているでしょうに。

 

……ええ。とても理解していますよ。

 

吹けば消えてしまう風前の灯を吉田松陽だとすれば、荒れ狂う業火が虚と言える。それほどの大きな差をよく知っていた。

 

───では、なぜ私に立ち向かう。

 

理由など。私が吉田松陽であるために、彼らの信じた己を貫くまで。

 

───人間に感化された愚かな自分の考えは理解不能ですね。

 

 

松陽は虚にいっそ憐憫すら覚えた。そして、蓬麗のあの慈しみの横顔が過った。今になって知ったのだ。愛を知らぬ哀れな童。蓬麗はおそらく虚をそう感じたのだと。

 

この魂は吉田松陽だけのもの。弟子達と共に成長したこの心を他の虚には決して明け渡さない。消えるものか。奪えるものか。いつまでも在るように執念深く肉体に刻む。

全てを破壊する気でいる危険な虚を倒す。それならば今の人格を再形成するのに時間はかからない。戻れる可能性を残せる。

 

吉田松陽という人格が共に掻き消されても。

 

 

待っていて。必ず帰ってくるから。

私の帰るべき居場所に。

松下村塾に帰るから。

 

 

吉田松陽は長い長い戦いへと一歩を踏み出す。

 

 

 

眩い光が収まり、次第に色を取り戻す世界は相変わらず地獄絵図だ。朧の手の中にあったアルタナの結晶石は握りつぶされ、松陽と己の血によってぬるんでいる。赤く染まった手に急速に呼吸が荒くなるが、雪子に力強く握られて正気を保つ。

 

「松陽は……どうなった」

「わからない。ただ、待つしかないよ」

 

すぐに修復が始まらないということは他の惑星のアルタナが効いた証拠。朧の手も皮膚が溶けていた。 体内で生じる変化に朧は気づいていたが口には出さない。雪子が怪訝そうに尋ねる。

 

「それ……やっぱり朧にも効くんだ」

「ああ。触れているだけで嫌な気配がした」

「そうか。俺は何も感じなかったが……」

 

桂がそう言うと、雪子は難しい顔をして俯いた。再生力を狂わせると聞いたが、エネルギーを供給する地球にいる限り松陽も朧も肉体が終わることはないだろう。しかし不完全体である朧のほうが効果が大きいことは容易に想像できる。

本当に大丈夫なの? そう確認しようとした時だった。微動だにしなかった高杉が眉をひそめる。

 

「……先生?」

 

急速に生命活動が停止されている。呼吸が止まり心臓付近から溢れ出るように出血し、誰の目にもその肉体が終わりを迎えていることは明らかだった。

 

「松陽! くそっ、何が起きてんだよ!」

「銀時。落ち着いて」

 

修復されていない。松陽の言ったように、新しい肉体を生み出すから古い肉体は不要になったのだろうか。ではその新しい肉体はどこから生まれる。一体、どこから……

 

───腕。

 

 

雪子と朧は同時に戦場のある一点を見つめた。暗殺組織である奈落で鍛錬を重ねて気配に鋭敏な二人は、それに一番早く気づく。

近づいてくる人影。……懐かしい気配。雪子は腹をおさえ左足を引きずりながらも寄りついた。歩みはやがて駆け足になり、後ろからも複数の足音がする。

 

「待たせやがって……!」

「ようやく、終わるのか……」

 

死体のどれかから剥ぎ取った外套をまとったその人物は、微笑んでいた。どこまでも優しくて穏やかな微笑みに雪子の視界が滲む。

帰ってきた。帰ってきた! 弾けるような喜びを笑顔に代えて雪子は名を呼ぶ。

 

「しょうよ、」

 

最後の一音を刻む寸前、足が止まった。先頭を行く雪子の動きが止まり振り返ったので追いかける彼らは疑念を抱く。それを声にする前に彼女の顔を、凍りついた表情を見てしまった。

 

「走れ!!」

 

びゅうっ。風を断つような音がして、許容範囲外の衝撃が身体を裂き、鮮血が迸った。痛いとかのレベルを超えた感覚が押し寄せ、それなのに引きずっていた足の感覚がない。倒れた雪子は下半身のほうへ視線をやる。

 

左足が、太ももの半ばから下が、無い。

 

「──────!!!」

 

喪失、熱い熱い痛い、激痛激痛苦しい!! 感覚の大波が絶叫に代わり吐き出された。立てない。走れない。戦えない。逃れる術を失った雪子はそれを初めて認識する。

放つ圧迫感は呼吸すら忘れさせるほどに強烈だった。その手に握るのはかつて吉田松陽や銀時が佩いていた刀。どうして、なんて考えるまでもない。雪子が放り投げたのだから。

 

ただ、対峙するだけで震えるような恐怖も、腕から身体を再生させた無尽蔵のエネルギーも、彼らを真に恐れさせるまでには至らなかった。

 

彼らが真に心を折られそうになったのは、強さの象徴だった吉田松陽()の敗北を示すそれが、強さの象徴そのものだったこと。不屈の象徴だった雪子が、地に伏していること。

 

「おやおや……久しぶりで腕が鈍ってしまいましたか。一太刀で殺すつもりだったのですが」

 

吉田松陽と同じ微笑みを浮かべ、絶望は嘲笑う。

 

「まぁいいでしょう。どうせ全員死ぬのだから」

「……っざ、けんな」

 

左足が痛い。けれどそれ以上に心がつらい。

松陽は負けたのか。あの人は帰ってこないのか。

 

「虚! てめぇが松陽を!!」

「左足を斬り落とされてもまだ吠えますか。威勢があってよろしい。ですが、負け犬の遠吠えなど耳障りなだけです」

 

キィイイイン───と激しい金属音が響く。虚が振りかぶった刃を受けたのは咄嗟に動いた朧だった。数秒保てただけでも奇跡。鍔迫り合いを制した虚は斜めに斬り上げ、朧の身体から大量の血が飛び散る。

 

「ほう……君の身体に巡るのは私の血か。不死の血はさぞ人間だった君には毒でしょうね」

 

興味深く、あるいは淡々と呟いて、崩れ落ちる朧を見下ろした。修復が遅い。やはりアルタナの影響を受けて朧の身体に変調が起きている。

しかし朧はそんな己を蔑ろにして、歩くことすらできない雪子を担ぎ距離を取ろうとした。その背中はガラ空きで虚は悠々と刀を構える。振り抜かれる前に突撃するように駆けた侍。

 

「てっめええぇぇぇぇ!!」

「よくも二人を……先生を!」

「やってくれたなッ!!」

 

銀時、高杉、桂はほとんど本能で動いていた。こいつを野放しにしておくことはできない。先生の皮を被ったバケモノだ。目の前で仲間をやられた瞬間、震えて硬直していた身体は憤怒で滾っていた。

 

「だめだお前ら! 逃げろッ!! 朧、離せ!」

「大人しくしていろ!! 足を失ったお前は戦力外だ、邪魔になる!!」

 

朧に怒鳴られたが雪子も声を張り上げる。

 

「わかってる! けどッ、このままじゃあいつら殺される!!」

「俺が加勢する!」

「アンタの身体ボロボロでしょ! 負傷と修復を繰り返せばその分身体はぐずぐずになって腐り落ちる! そうだろ!?」

 

吉田松陽だった死体のもとに着くと雪子を降ろし、即刻戻ろうとする背中に叫ぶ。

 

「ッいつまで自分を大切にしないわけ!?」

「俺よりも大事だからだ」

 

朧は駆けた。死闘を繰り広げるそこへ、振り返りもせず。共に戦えない。走れない。隣に立つことすらできない。激痛に歯を食いしばって耐える雪子は握った拳を力強く大地へ振り下ろす。

 

「なんも……変わってねぇじゃねぇか……!」

 

 

「怒りのあまり勝算がなくても挑む。やはり人間とは愚かで臆病な生き物ですね。……震えが止まりませんか」

 

カタカタと刀を掴んだ手の震えが止まらない。数度刃が交わっただけでこのザマだ。

 

「黙れ。先生の皮を被った亡霊め。貴様が虚か」

「ええ。そして君達が(松陽)の弟子達。なんと哀れなんでしょう。君達は松陽を救えなかった」

「……ッ!!」

 

銀時が突っ込んだのに合わせて残りの三人は一斉に動く。同時に刀で貫き、確かに傷をつけたのにすぐに穴は塞がれる。驚愕する暇も与えられずに反撃を食らう。

 

「恥じることはありません。充分に戦った。彼に変わって褒めてあげましょう」

 

虚は心臓に突き刺さった刀を引き抜く。

 

「無駄な足掻きだと」

「黙れと言っている!!」

 

桂は止まりそうになる足を叱咤し感情的に動いていた。他の者たちもそうだ。呑まれるな。這い寄る絶望に足をとられたら一巻の終わりだ。怒りを放出しろ、殺気に威圧されるな。隙を与えるな。修復されるのなら、それ以上の速さで、戦え!!

 

一瞬の合図で彼らは一心になる。

疲弊した心身を奮い立たせ、猛撃する。

 

銀時と高杉が虚に接近。すぐに攻撃を止められる。背後から迫る朧を当然のように察知すると高杉を掴んでそちらにぶん投げた。すかさず桂が足を斬るが咄嗟に動かれたため傷は浅い。

だが小さなズレは大きく影響される。銀時は雄叫びをあげて右手を斬り裂き振り払おうとする腕を掴む。しかし地面に叩きつけられ頭に深手を負った。一人とはいえ致命的な欠陥に、すぐ連携攻撃は崩される。

 

「良い戦いっぷりだ。絆、信頼……そういった積み重ねが連携を生み出していたんでしょうね。決定打が足らないが」

 

刹那の輝きしか捉えられなかった。次の瞬間、四人はそれぞれ肩を、腹を、斬り裂かれていた。

 

「ここは地球。どれほど君達が粘ろうと私が終わることはありませんよ」

 

にこり。吉田松陽と同じように笑う。

遠くから戦闘を見つめていた雪子の目に涙が滲む。

 

「やめて……。お願いだから、もう……」

 

血を撒き散らして倒れ、それでも起き上がる彼らの姿を目に焼き付ける。

 

「私から奪わないで………」

 

どちらが追い詰められているかなんて、見なくたってわかった。無限の再生力を誇る虚と、有限で頼りない命を持つ彼らとは生物として決定的な差がある。覆すことのできない、手を伸ばすことすら許されない差が。

 

「やめてえええぇぇ!!」

 

ばしゃん!! 弾ける音がして左の目玉を潰された。痛みに呻き視界を半分失った高杉を軸に、彼らはゆっくりと戦う術を潰される。

 

 

手の届かないところで仲間が傷ついていく姿を見るのは、もうごめんだ。なのに。雪子は戦うことができない。夜兎として暴れ回る脚力もない。

 

散らばった美しい結晶石が目に入った。こんなもの、何の役にも立たない! ひっ掴み地面に叩きつけようとするが、力が漲ってくる気がしてぴくりと動きを止める。

気がする、じゃない。間違いなくそうだ。念の為にほかのものに触れてみると確かに奇妙な感覚が伝わってくる。

 

『触れているだけで嫌な気配がした』

『俺は何も感じなかったが……』

 

今、雪子の手の内にあるそれは、湧き出る泉のように永遠と続く力を示している。もしかすれば。失敗したらとか、この後のことだとか、そんなことを考える余裕はなかった。

雪子は本能に従って、アルタナの結晶石を砕くと何の躊躇もなく口に放り込んだ。白い喉がこくりと動き異物を体内に取り込む。

 

どくんっ、どくんっ。

 

まるで身体の中が爆発するんじゃないかと思うほど熱くなる。血液の循環がやけに意識できた。肉体の奥底に眠る力が解放されたみたいにしっくりくる。異物感が溶けて体に馴染んだ。成功したのだろうか。しかしそこで弾けるような痛みが駆け抜けた。

 

「げぼっ、はッ……」

 

体内の血をすべて排している。そう錯覚してしまえるぐらい大量に喀血し、全身を蝕む痛覚に襲われる。死ぬ、死ぬ───蹲って堪えていると何かが激突してきた。体で受け止めてその正体を知る。

 

「すまぬ……」

 

吹き飛ばされた朧の身体は修復が間に合っていなかった。口の内を切った、あるいは変調のせいか血を吐く。

 

『不死の力は不死の身体にあってその真価を発揮する』

『君の身体に巡るのは私の血か』

 

瞬間的に悪魔的発想を得た雪子は朧の胸倉を掴み、引き寄せて唇を覆った。数秒何が起きたかわからなかったが、強引に舌をねじ込んで貪り尽くすように血を飲む暴挙に朧の頭の中が白くなる。互いの血が交わって濃い血の匂いに意識が不確かになる。雪子は顔を離して舌舐めずりをした。

 

「ごちそうさま」

「ッ!!」

 

出血の酷かった腹部と左足の肉面からしゅうう、と蒸気を発して修復が始まっていく。

衝撃的な光景に言葉を失った朧は己の身体の変調に気づく。……再生力が完全に戻った。不死身であるため弟弟子達を庇ってより傷ついていた身体が、ぱっくりと裂かれた腹や、骨の見えかけていた腕が治癒されていく。

 

「腹と左足が治ったらすぐそっちに参戦する。だから───」

「ああ。頼まれた」

 

この時の二人の身に起こった現象を正しく理解できた者はいなかった。けれどその瞬間、絶望に彩られた彼らの人生は決定的に変化したのだった。

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