「まあまあ。遠慮せずに食べなさいよ」
ででん! と目の前に置かれた土方スペシャルを黙って見下ろした銀時の目はいつも以上に死んだ魚のようだった。
「……何コレ?」
「旦那すまねぇ。全部バレちゃいやした」
「イヤイヤそうじゃなくて。何コレ? マヨネーズに恨みでもあんの?」
「それならお前はあんこに積年の恨みでもあった? ……土方スペシャル。この人のお気に入り。別名犬のエサ」
「食いもんを提供する店主が言っちゃいけない台詞聞こえたんだけど気のせい?」
「やっぱどこで出されても犬のエサの味がしますねェ」
「おいチョコレートパフェひとつ! マヨネーズの臭いを掻き消す糖分を摂取させろ!」
小料理屋にやってきたのは銀時、土方、沖田の三人。珍しい組み合わせだと興味深く観察する間もなく寄越された注文は土方スペシャル3杯で、ヘナヘナになった空の容器を処分すると雪子はカウンター越しに行われる会話を白々しく聞いていた。
「天導衆って奴ら知ってるか? ……いや、俺以上に詳しいのがいたなァ。なァ天鴉の副長さん?」
「いやですねェ真選組の副長さん。私はただの店主です。そんな物騒なもん知りませんよ」
「警察相手にシラを切るつもりか? 無理やりしょっぴいてやってもいいんだぜ」
「好きにすればいいでしょう。その時はか弱い一般市民を冤罪にした責任を取ってもらうだけです」
天導衆は幕府を傀儡にして実権を握り、この国を好き勝手にしているまさに侍の敵だ。彼らは違法だろうが非人道的であろうがお構いなしに侍の国を貪っている。
今回沖田が万事屋に個人的に依頼したのもその一端で、真剣での殺し合いを賭けにしている悪趣味な闘技場、煉獄関は天導衆の遊び場の一つだった。
組織立って手を出せば間違いなく潰される。だからこそ自由に動ける銀時たちが調査に乗り出したが全て土方にはお見通しだったらしい。連れてこられたのは小料理屋。その女店主は天導衆と深い繋がりのある組織のNo.2だ。
「ねェ総一郎くん。前から思ってたけどなんであの二人あんな仲悪いの」
「総悟です旦那。……さぁ、とんとわかりやせんね。土方スペシャルの為に通い詰めてるくせして、仕事の話となるといつもアレで」
こそこそ話をする二人の耳障りな声は土方には届かなかった。
ここに来たのは情報収集の為だ。煉獄関を潰す手立てが得られるかもしれない……その可能性を持った人物が我関せずといった表情で対応するので、ついに土方の堪忍袋の緒が切れる。
「テメェいい加減にしろよ……いつもいつもガバッガバな守秘義務遂行しやがって。今まで実態を隠されていた天導衆の大切な手駒、天鴉が俺たち警察組織に明かされた目的は牽制だろ。天導衆にちょっかいを出せば鴉が目玉を啄むという。将軍護衛? 笑わせんな。アレは余計な外部の人間を排除して、テメェらに都合のいい傀儡人形を育てるための檻だ」
「土方さん……」
いつも金だ権力だにご執心の幕臣共を嫌ってはいたが、ここまで正面きって挑発するこの人を初めて見る。沖田が驚いて箸を止め目を開いて見る横顔は、女の声でさらに険悪なものになった。
「煉獄関。あそこは天導衆のイイ金ヅルなの。調査してるくらいだから行ったことあるんでしょ? あそこにいるのはどいつもこいつも真っ当な生き方なんてしちゃいない、ただの人殺し。そんなのが死のうと誰も悲しまない。金を集める道具になれるだけマシってものさ」
その発言で店内の空気が数度下がったような錯覚に陥る。作られた笑顔を貼り付けて雪子は彼らの護りたいものを嘲った。土方の眉間のシワがぐっと深くなり、沖田は無表情で丼を乱暴にカウンターに置いた。銀時は何も言わずにチョコレートアイスを口に入れて席を立つ二人を横目に見る。
「……見込み違いだな。帰るぞ総悟」
それは重い溜め息とともに吐き出された本意だった。三杯の土方スペシャルの代金を置いて外に出ようとする土方に待ったをかけたのは雪子だ。
「煉獄関に手を出す……なんて真選組を潰す口実を私に晒したのは何故? この情報を天導衆にリークすれば真選組は即解散。そこまでする価値はない」
それだけの権力を持つ敵とも呼べる相手を前にして、よく全てを話してくれたものだ。もしかして煉獄関のような命をコケにした見世物を許せないといった正義感でも期待したのだろうか。見込み違いも甚だしい。
雪子の中に命を尊ぶなんて正義は存在しない。罪人は罪人だ。理由がどうであれ出場する彼らは全員殺されて文句が言える立場ではないだろう。
しかし雪子もまた見当違いだった。土方が期待、あるいは予感していたのは正義感などではなく。
「それはてめーが組織の枠に収まるようには見えなかったからだ。……ああいう利権が絡む案件に媚びへつらうなんて、反吐が出るほど嫌いだと思ったんだがなァ。俺の目も曇ったもんだ」
雪子は他人の命よりも彼女自身の信念を尊ぶ。その性質を土方は見抜いていた。腐敗した上層部に頭を垂れて、命令されれば何でもやるようなワンコロ。そんな矮小な器なんかじゃないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
ピシャリと戸が閉められて二人がいなくなった店内で、雪子は面白そうに言った。
「これで情報をリークしたら、私は権力に媚びる下賤な女ってわけね」
よくもまあこの短期間で雪子という生き物の扱い方を理解したものだ。近くに同種がいたからか……あるいは彼自身もまた権力を忌み嫌う同族だからか……どちらにしても土方の煽りは成功した。
厨房から出るとカウンターに腰掛け、頬杖をつく。あらかたチョコレートパフェは食べ進められていて、最下層のコーンフレークをスプーンで遊ぶ銀時の方を見た。
「んで、何か知りたいことでもある? 今なら何でも教えてあげるよ」
不機嫌そうな眼差しに気づくと、雪子はうっそりと笑って赤い舌を覗かせる。何かを企む悪魔の微笑みだった。
「先生! 何をそんなに急いでいるの?」
「先生ってば! ……あれ?」
「先生、なんで泣いてるの?」
加速する馬車の中で子どもたちがその背中に声をかける。しかし煉獄関きっての目玉、鬼道丸こと道信は口を開かなかった。
己の大切なものを、彼らにとっては赤の他人でしかない己の家族を、護ってくれた。人を殺めた汚い金で子を育てる己を、立派な人の親だと認めてくれた。
もっと早くにあんな奴らと出会いたかった。感謝の念で胸がいっぱいになり声もなく涙を流す道信の耳に、おぞましい声が届く。
「甘いわ。ワシらから逃げられるとでも思うたか?」
鬼獅子。宇宙傭兵部族が一角の茶吉尼が、馬車の上から道信を見下ろしていた。振り向く間もなかった。鬼獅子の刃が道信の心臓を貫くその刹那、どこからともなく現れた木刀が槍を折り、驚く鬼獅子に猛烈な蹴りを食らわせた。
「ぐっ……!?」
「貴様、何者だ!?」
煉獄関の支配人が声を荒げると、地面に転がった木刀を拾ってゆらりと立ち上がった銀時は、当たりの感触を確かめるように鬼獅子を睥睨する。
「ギャーギャーギャーギャー……やかましいんだよ。発情期ですかコノヤロー」
雪子の情報通りだ。煉獄関に顔を出さなくなった道信を処分するつもりだったらしい。突然の乱入者に動揺する連中はそれでもしつこく馬車を追いかけ、新八と神楽に打ちのめされている。
「おい立てよ。このくらいでやられるようじゃ舞台の花形は務まらねェ。俺が教えてやろうか」
残党は二人に任せることにして銀時は主役と対峙する。人間の倍以上の巨躯を持つ茶吉尼が憤怒の形相で向かってきても彼は微塵も恐ろしくなかった。
なぜならそれ以上に恐ろしいものを知っているので。
その日、かつて白夜叉と呼ばれた男は鬼を護る為に鬼を斬った。
それで全てが解決したと思っていた。
道信は無事に子どもたちと江戸を出て。それ以上煉獄関の連中が彼を狙う様子はなく。不気味なほど静かに時が流れていって、日常になりつつあったそれがぽっかり欠けた。
「また雪子いなかったネ」
「これで一週間目……雪子さんどうしちゃったんでしょう。銀さん、何か知りません?」
長い付き合いとは言えないが、それでも雪子が何の言伝もなく消えるような人物には思えなかった。明日は空いてる。その次は閉めてるから来ても意味ないよ。些細なやりとりが思い出される。
彼女の身に何かあったのではと、沈んだ顔の新八と神楽は僅かな希望を込めて銀時に訊くが、すぐに返事はやってこなかった。
タダ飯食いに。なんて言っていたが結局それは無事かどうかの確認と同じで。でもそれは人の理から離れた存在の彼女には無意味でしかなかった。どれほど血に濡れその身を傷つけようと忽ち治らせてしまうのだから。
ならば、せめてその笑顔が修復可能な領域に行くことがないように。心まで幾度となく擦り減らし治すことがないように。銀時はへらりと笑ってバカを二人連れて通っていたのだ。呆れるくらい、何度も。
「知らねーよ。またどっか宇宙旅行にでも行ってんじゃねーの?」
いや、それは朧の方だったか。と口から出任せで転がり落ちた嘘は裏返すと真実になる。
しみったれた空気が室内に澱む中、万事屋に足を踏み入れたのは沖田だ。
来客なら新八がお茶でもどうぞと接客するが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
「何。もう依頼を受ける気はねーぞ」
「お構いなく。ただ噂話をしに来ただけなんで」
「お前友達いねーからって他所ん家に上がり込むんじゃねェよ。今そんな気分じゃ……」
「旦那。アンタたしか鬼獅子っつー化け物を退治したって言ってましたよね」
かぶせてきた沖田の声にふざけるような色はなく、あくまで冷静に確認作業を済ませるための機械的な言葉を口にされ、銀時はくるっと椅子を回転させて話を聞く姿勢を作った。
「そうだけど」
「そうでしたか。なんとまあ。世の中には不思議なことがあるもんですねィ」
今度はするりと話の核から離れていく。話を聞こうとしたらこのザマだ。背中を椅子に預ければキィと軋む音がして、面倒くさい心情を余すことなく乗せた銀時の顔は、次の瞬間には変貌した。
「煉獄関で話題沸騰中の化け物も、奇遇なことに同じく鬼獅子と名乗ってやがるんでさァ」
「へェ」
「見目は鬼道丸と同じ仮面をつけた女で、実力は……格が違うとでも言えばいいんでしょうかね。心当たりはありませんか? 例えば表で小料理屋の店主やってる奴とか」
まるで豆腐でも切っているような感触だ。手のひらに乗せた四角い豆腐を包丁で切り込めば吸い込まれるように落ちていき、感覚という感覚もないまま豆腐は切れている。それと同じ。
「く、来るなァ化け物め!!」
ひゅうっと風を斬った音に続いてボトボトと肉塊が落ちていく。腕を斬り落とされた浪士たちの悲鳴は暴力的なまでに興奮した観客たちの雄叫びで掻き消された。
太刀筋が違う。生き物としての構造が違う。全てにおいて上回った生物に蹂躙される侍は、どこまでも哀れでかわいらしい人形だった。
「鬼獅子と言いましたか。よくあんなバケモンを手駒にしましたねェ……おっかねェったらありゃしない」
「我を誰だと思っておる。アレは誰にでも噛みつく獣だが、扱い方がわかれば容易に従わせられる……我らの優秀な奴隷よ」
今まで何十という浪士を投入したが生き残った者は一人としていなかった。あの獣の刃に斬り伏せられ惨たらしく死んでいった。それ自体には何の悲観もない。見たいものは過激な殺し合いで、それ以外はどうだってよかった。
しかし彼女のそれは常識の範疇を超えている。常人が推し量れる強さの次元に留まらない強さの片鱗に、武者震いが止まらない。そんな奴を従わせられる天導衆の強さたるや。
闘技場を高みから見下ろす支配人は改めて天導衆の恐ろしさをその身に感じていると、何やら客席が不穏に騒ついていることに気づく。
「あっ……あれは!」
「鬼道丸……!? いや、奴の仮面をつけた別人か!」
赤鬼の面をつけて登場した男に会場のボルテージは最高潮に達する。しかし対峙する二人には雑音さえ耳に入らない。仮面越しに睨み合って数秒、先に口を開いたのは女だった。
「ちょっと、なに人の仮面パクってんの。お前はお呼びじゃないでしょーが」
「そっちこそペアルックにすんのやめてもらえる。全身痒くていけねェや」
軽薄な言葉の割に声色は低く、怒りをじんわりと溶かしている。それは女に対するもどかしい焦燥と、考えが浅はかだった自分の無能さを憤るものだった。
視界いっぱいに広がるのは、女の周りに転がる肉塊と血溜まりという地獄のような光景で、本当に嫌になる。
かつてはうんざりするほど見てきた景色だ。これ以上に悲惨な戦場をいくつも潜り抜けてきた。それでも今、この瞬間に相対している現状が気に食わなかった。
なぜなら銀時が導いた結果そのものだったからだ。
銀時が道信を救ったことで天導衆は標的を変えた。言うことを聞かない鬼よりも従順な獣を檻に囲い見世物にすることにしたのだ。
「どの道こうなってた。勝手に責任感じてるんなら迷惑だから消えて。今すぐに」
雪子が結果を背負おうとした、ように銀時は感じた。昔の記憶が刺激される。あの運命の日。松下村塾が燃えた日。銀時たちの弱さを雪子自身の強さに置き換えて、全てを掻っ攫って自分勝手に消えたあの日。
銀時は木刀を掴む手に力を込める。ミシリ、と悲鳴を上げた音を心の痛みと共に無視をした。
「消えんのは一度で充分だ。もう二度と背負わせねー」
「そ。だったらどうする。私を斬る?」
「あァ。その空っぽの頭に叩き込んでやる。どれだけテメーが勝手なことしてんのか」
昔届かなかった剣は今度こそ届く。あの日叶わなかった願いとずっと抱えてきた後悔をその手に込めて銀時が構えると、雪子は片足を一歩前に出して腰を低くし後ろにやった手で刀を握り直す。
何度も何度も、繰り返し。ずっと見てきた構え。
始まりは小さい片田舎の古びた道場。終わりが今この瞬間であればいいと、弱気な自分を振り切るように、銀時は地面を力一杯蹴った。
「……神楽ちゃん。銀さんと戦ってるのって……」
新八と神楽は呆然と鬼同士の戦いを見ていた。
───速い。そして強い。両者ともそれまでの浪士たちとは比べものにならない太刀捌きで相手をねじ伏せようとしている。
大きく薙ぎ払った雪子の真剣を上半身を逸らして躱すと、銀時は勢いのまま右手を蹴り上げて刀を飛ばし、下から顎めがけて木刀を振り上げた。しかし最小限の動きで避けた雪子の手刀が落とされ、右手首に重い痺れが来ると木刀を落としてしまう。
咄嗟に左手に持ち替えた銀時の目前に白銀が迫る。反射的に鍔迫り合いで防ぐその刀には鮮血が滴り、先程の一方的な虐殺の事実を物語った。
その女は強かった。かつて攘夷戦争に参加し白夜叉と恐れられた男に並ぶほど……銀時を圧倒するほど雪子は強かった。
「……じゃあ、雪子さんがあの人たちを……」
この目で見た殺し合いを演じたのは間違いなく雪子なのだと知って、全身の力が抜けた新八はペタンと腰を下ろす。何となく予感がしていた神楽と違って新八には寝耳に水だ。
その隣で神楽は膝を抱え、額を膝小僧にくっつけた。神楽が知りたかった彼女の秘密はあまりにも残酷だった。
どうしてそこにいるのか。なぜ躊躇なく人を殺せたのか。湧き出てくる疑問は尽きることなく、二人の頭を埋め尽くした。雪子の流れるような太刀捌きは明らかに戦い慣れている人のもので、彼女にとっては日常的なそれと変わりないのだとわかる。
「これがお前らの言う"優しい雪子さん"って奴の正体だ」
二人の後ろで、沖田は同じ人斬りの雪子との格の違いを痛感していた。どれだけの業を積めばあの領域に立てるのだろう。全力を出していないくせに、殺気なんてまるでないくせに、戦う前から肉体が負けを認めてしまいそうになる。
「沖田さん。雪子さんは一体………」
「今ここで秘密をバラしたら許さないネ」
神楽が力強い口調で二人の口を塞ぐ。雪子の正体が何であろうと彼女から打ち明けてくれるまで強くなると神楽は誓った。その誓いを他人に破られるのは我慢ならなかった。
「へェ。あの光景を見てまだ信じるってのか?」
「ここで人を斬ったのも事実。おいしいご飯を食べさせてくれたのも事実。だったら私は信じたい方を信じるアル。きっと何か事情があったんだって、信じるアル」
「神楽ちゃん……。そうだね、僕も信じるよ」
新八の言葉に神楽は顔を上げた。眼鏡に反射してきらりと光り、真摯な眼差しは神楽に次いで闘技場で戦う銀時に向けられる。
「僕たちの知る銀さんと雪子さんを信じよう」
「! そうアルな!」
二人はその瞳に覚悟を湛え、強い笑みで見守ることにした。