コトコトと蓋が震えてきたので火を弱めて味見をする。おだしが芯まで染み込んだ大根が口の中で形を崩しお袋の味とも言うべき旨味に雪子は自画自賛する。さすが私、昔から料理がうまい。
食べ盛りの子どもが満足するにはどうしても量が優先されてしまうがそれでも味のクオリティを落とさないのは彼女の腕前のおかげだ。前菜から始まってデザートまできっちり作り上げ、彼らが到着する時間ちょうどに釜めしが蒸しあがるように準備してあった。
煉獄関での騒動があったあの日以来、雪子はこうして手間をかけて支度をし、万事屋一行が飯を食べにやって来るのを楽しみにしている。前までは銀時とバカになつく子ども2人という印象が強かったが、今では新八と神楽をすっかり気に入っていた。
何より万事屋に舞い込んでくる依頼と解決するまでの道筋がはちゃめちゃで意味が分からなくて面白い。ああだったこうだった、あそこでお前が失敗したから、それならそっちこそ足を引っ張ったと、ぎゃいぎゃい騒ぐのを横で見るのが習慣の一つになってしまったのだ。
天鴉としての仕事をこなさなければならないので雪子が店にいる時間はそう多くはなく、こうして貴重な稼ぎ時をたった三人のために貸し切りにしてしまう。それくらい雪子は万事屋と過ごす時間を大切にしていた。
今日も仕込みを終えて依頼をこなしてきた万事屋がやってくるのを待っていたのだが。
「遅い」
待てど暮らせど一向に戸が引かれることはなかった。おかしい。予定ならとっくに来ているはずなのに。ふっくら艶やかに炊き上がった白米はふやけてべしょべしょになってしまったし、温かかったおかずたちはすっかり冷めてしまった。
雪子はまず万事屋の番号にかけてみるがツーツーと電子音が返ってくるだけで何の手がかりにもならず、しょうがないのでカウンターに書き置きの手紙を置いて外に出た。万事屋に向かうことにしたのである。
そうしてすっかり見慣れた景色がオレンジ色に照らされているのをつまらなさそうに眺めながら万事屋へと辿り着いたら、なんとまあ派手に破壊された万事屋だったものを発見して唖然とした。小型の宇宙船が突っ込んできたらしくもうもうと煙を上げているそれは屋根と壁に大きな穴を空けていた。人だかりから離れた場所でもわかる大事故に一瞬で雪子の肝が冷える。
「通して、……あ銀時!」
良かった、無事だったのか。左腕を包帯でぐるぐる巻きにしているので怪我はしたようだがそんなものすぐに治るだろう。こちらに向かってゆらゆら歩く銀時に雪子が駆け寄ると、相手も自分の名前を呼ばれて顔を上げた。ジャスタウェイの目をしていた。なんで? と思うまま雪子はツンとおとがいを軽く反らす。
「連絡くらい寄こしなさいよ。どんだけ待たせるつもり?」
「え……あの、もしかして僕の知り合いですか?」
うるせェなとかそういう言葉が飛んでくると思ったのに普段よりも高くておどおどした声色が雪子の耳に届いて首を傾げた。
「は? 何その喋り方。知り合いも何も……」
「すみません、僕は記憶喪失なんです。帰る家も失って、この世に生きてきた証はなくなってしまった……だからもう一度やり直そうと思います。どなたか存じませんが、さようなら」
「……え」
ぺこりと頭を下げられて顔を見ることなく横切った銀時に呆気にとられた。記憶喪失って何。さようならって何。私を助けるって、必ず護るって約束したのに。動揺が最初にやって来て次に怒りが込み上げてきた。そういう約束を違える男ではないことは知っている。じゃあなんで。雪子が銀時の右腕を掴むと同時に、二人に近づいた新八と神楽が縋るような声を絞り出した。
「雪子さん! 銀さん記憶喪失になっちゃったんです!」
「万事屋を解散するって! 私やだヨ! お願い、銀ちゃんを止めて!」
「……なるほど。そういうこと……」
それは厄介だ。病気ならまだしも記憶喪失なんて雪子が扱える範疇を超えている。とりあえず雪子から解放されようともがく銀時を絶対に離すものかとそれなりに力を込めておいて、二人の話を聞くことにした。
「……それで一日中かぶき町を回って色んな人に会ってきたんですけど、思い出せそうなところで毎回記憶を飛ばされちゃって」
「しまいには私たちが知ってる銀ちゃんはどこにもいないって……。ねえ、どうしたらいいアルか」
もう打つ手はないと諦めていた。しかし雪子なら。銀時と深い関係にあるらしい雪子なら、絶対になんとかしてくれる。期待の眼差しを二人分向けられて、雪子は安心させるように自信に満ちた笑みを浮かべた。自由な片手で携帯を取り出すと車を手配させて、やがてテレビでしか見たことがないような黒塗りの車が雪子の目の前で止まった。
「ごくろう。私が運転するから帰っていいよ」
そう言って銀時を後部座席に無理やり座らせて両脇を固めるように新八と神楽を乗せる。ふかふかの座り心地に新八は「雪子さんってガチモンの権力者だったのか……」と感心し神楽ははしゃぐ。真ん中の銀時がどうしてと俯くのを鏡で見ると、雪子はアクセルを踏んだ。
「雪子さん、どこに向かうんですか?」
「実家」
「え」
てっきり雪子の店に行くのかと思っていたので驚く顔をする新八に、雪子はちらと視線を寄越して続ける。
「その男が生きた証ってのを見せてやる。家に帰ってそれでも記憶が戻んないなら私が殺す。約束を破る男は嫌いなの。顔も見たくない」
過激な台詞だというのに雪子がまるで拗ねているように見えて、神楽は大きな瞳をぱちくりさせた後、殺されるぅ!! と暴れる銀時を力づくで抑え込んだ。
「……ん」
どのくらい車に揺られていたことだろう。今日一日でたくさんのことがあり過ぎた。疲れて眠ってしまった新八は車が停車する振動で目が覚める。窓を見れば薄闇が広がる田園風景と、新八の隣で同じく寝ている銀時と神楽の寝顔が反射して映っていた。生まれてずっと江戸という栄えた町に住んでいた新八にとって珍しい田舎の風景に意識が冴える。
「着いたよ。ここが私たちの実家」
そう言って雪子が先に降りるので、新八は二人を起こしてドアを開き目の前の建物に言葉もなく視線を向けた。
そこにはどこにでもあるような寺子屋がぽつんと寂しく建っていた。すぐそばに高級車が留まっているのがあまりに不自然で仕方がないほどいたって普通の家屋があって、心の内に何とも言えない感慨が広がる。ああ、実家っていうから構えていたけれど実際に目にすると安心してしまった。詳しいことはまだわからないがこの人たちはこの寺子屋に住んでいたのだ。それがふわふわとしていて掴みどころのない男に根を生やした。
神楽も同じように感じたのだろう。初めは眠たそうに両目をこすっていたのが、寺子屋をぐるりと囲む柵や縁側、そして明かりを漏らす襖を見て目をキラキラさせた。
「………松下村塾?」
銀時は正門に掲げられた看板を読み上げる。不思議と口によく馴染んだ。体が覚えている。
「そう。ここがお前が育った家」
「僕が育った……?」
まじまじと寺子屋を見つめていると静かに玄関の戸が開き一人の男がこちらに向かってくる。ザッザッと草履が地面を擦る音がして、しゃんと伸びた背筋が暗がりでもよくわかり銀時は緊張した。この人にはちゃんとしなければと心が言ったような気がする。そうでなくとも対峙すると身を包む巨大な気配に飲み込まれてしまいそうだった。大きくて、深い、人ならざる何かを銀時の体は感じ取っていた。訳が分からなかった。だって近づいてはっきり見えたその人は、誰もが心を開きたくなる温かな微笑みを浮かべていたから。
「おや、てっきり雪子だけかと思っていましたが。今晩はお客さんが多くて嬉しいですよ」
「ふふ、連れてきちゃった。多分知らないよね? この二人が……」
「……あ。万事屋の志村新八です」
「同じく神楽アル」
新八と神楽は想像していた人物とは違った人に迎えられて面食らう。銀時が感じたような雰囲気を二人は感じなかった。ただびっくりしていたのである。雪子に促されるまま自己紹介をするとその人は丸い瞳をことさらまあるくして銀時と二人を交互に見やった。
「そうですか。君たちが……」
そしてにっこり笑った。初対面のはずなのに安心する笑みだった。
「初めまして。私は吉田松陽といいます。……さあ、お上がんなさい。ようこそ、松下村塾へ」
そうして銀時たちは松下村塾へと足を踏み入れ、招かれた先は居間だった。現在の状況を説明し銀時の記憶を取り戻すべく何かできないかと言えば、松陽はそれなら昔話でもと語ってくれる。
「えええええええ銀さんと雪子さんの育ての親ああぁぁ!?」
「そ。孤児だった私たちを拾ってくれたの」
「だっ、そんな、えっ、嘘でしょ……」
新八はキョロキョロと三人の顔を見比べた。直接年齢を聞いたことはないが銀時と雪子は二十代後半くらいだと勝手に思っている。そして育ての親と紹介された松陽もどう見積ったって同じくらいの年齢にしか見えなかった。
驚く新八を松陽はニコニコ邪気のない笑みで見守っている。髪の色素は薄いが元来のもののようだし(というか銀時が白髪の時点で関係ない)、澄み渡った鶯色の瞳は理知的な眼差しを含んでいる。シワというシワも見当たらない張りのある肌といい、目を見張るほどしっかり伸びた背筋に柔らかく穏やかな声といい、若々しさに溢れているように思える。
「パピーよりも若く見えるネ」
「嬉しいことを言ってくれますね。こう見えてものすごいおじいちゃんなんですよ?」
松陽は雪子が淹れたお茶を啜る。久しぶりの懐かしい味にほっと一息ついて、テーブルに視線を落とす銀時に労るような目線を送った。
「だから私より先にボケられては困ります。うーん、まだ何も思い出せそうにありませんか?」
「………はい。すみません」
ぽそぽそと力なく項垂れるので、松陽は雪子とアイコンタクトした。
これ本当に銀時ですか? こんなにも萎れているところは初めて見ます。
わかる。キモイでしょ? でも残念ながら現実なのよね。
「あーあ、そんなシケた面させるために連れてきたんじゃないっての」
「ツラじゃない桂だ!」
「うおっ!?」
雪子の背後から襖をスパーンッ!! と勢いよく開いて登場したのは桂だった。なんでこの人がここに!? とビックリする新八をさらに驚かせる事実があった。
「びっくりした……ヅラも帰って来てたんだ。あ、だからお客さんが多いって言ってたわけね」
「ヅラじゃない桂だ! ふん、昼間に記憶を無くした銀時らに遭遇してな。必ずここへ帰ってくると思いスタンバってました」
知り合いだというのは知っていたが銀時と雪子の実家であるここにいてもおかしいそぶりを見せない二人に、ちょっと待ってくださいと新八は声をかける。
「えと……うん? お二人はどういったご関係で……」
「いや、ヅラの実家もここだから」
「はい??」
「実家と言えど本当に育った場所ではないがな。松下村塾は俺たちの家だ」
ねー。と仲良く首を傾ける仕草をする二人に、再び新八の大声が炸裂するのだった。
「つまり……松陽先生はここ松下村塾の先生で。銀さんや雪子さん、桂さんはかつて松下村塾に通っていた生徒で同門出身。ついでに一緒に住んでいた、と」
「ええ。大まかにはそんな感じです」
「もう一人いるがな」
「そんなヤツいたっけ?」
説明された新八がまとめると松陽は肯定し桂が訂正して雪子は知らないフリをした。なるほど、わからん。でも僕が勘違いをしてたというのはわかった。ていうか銀さんたちが紛らわしいこと言うから片想い相手だとか勘繰っちゃうんだよ。なんだよ下僕って。新八が難しい顔をしていると、隣から盛大なお腹が鳴る音が響いた。
「お腹空いたアル……」
さっきから大人しいと思っていればずっと我慢していたらしい。とうとう限界を迎えた神楽が湯呑みをガジガジ噛んで言うので、雪子は立ち上がった。
「そういや晩ご飯食べてなかったね。松陽、台所借りるよ」
「あっ、すみません、せっかく準備して頂いたのに……」
「いいよ。事情が事情だもん」
気にしなくていいと微笑みかけてくれるこの人のどこが女王様だと言うのだろう。新八がそう考えていると。
「おめーは手伝え」
「えっなんで」
「なんで?? 私が命令したから以外の理由なんている? ……ああ、そういえば結局お店の修理費もらってなかったね」
「喜んで手伝わせていただきます」
……なるほど、わかった気がする。優しいがたまに強引な面を持つお妙という姉がいる新八はなんとなく理解した。無理難題をふっかけて出来なかったらぶん殴ってくるタイプだあの人。姉上と同じ感じの人だ。
そのまま二人は台所で晩ご飯の準備を始める。雪子に心配はいらないが桂が料理をしているところなんて想像がつかず、新八はこっそり耳を澄ませた。
「それ切っといて………って終わってるし。相変わらず手際いいね。さすが」
「体に染み付いているからな。……む、鍋が吹きこぼれそうだぞ雪子」
「え? ぁ、わー!! っぶな! セーフ……」
「全く……お前も相当疲れているようだな。俺に指摘されるほどに溜め込むとは、らしくないんじゃないか?」
「うっさい。こちとら仕事ギッチリ詰めて定時で帰れるようにしてんの。お前で発散してやろうか」
それ以降は聞こえなくなってしまったが、そんなことを言っていて本当に幼馴染なのだと妙な実感が湧いた。
「変わりませんねぇあの二人も」
「昔からああなんですか?」
「ええ。みんな仲良しで口喧嘩ばかりで。見ていて飽きません」
「それ仲がいいって言えるんですか……」
というかどんな人生を歩めば同門出身の片方が攘夷志士に、片方が幕府上層部の役人になるのだろう。一応敵対関係なのでは? 桂さん逮捕とかされないのかな。まあどっちでもいいけど。
なんてことを新八が考えていれば所在なさげに縮こまっていた銀時が控えめな声を出す。
「昔の僕ってどんな感じだったんですか」
さてなんと答えようか。眼差しを遠くにやる松陽の口元が和らぎ、興味のある神楽は上体を起こしてテーブルから身を乗り出した。
「子どもの頃の君は……頻繁に授業をサボり夜遊びに出かけ、いつも部屋でぐーたらジャンプばっかり読んでましたね」
「銀さんだ……紛うことなき銀さんだ……」
「今と何一つ変わってないアル。何一つ成長してないアル」
じとっとした目をする二人だったが質問した本人が何のリアクションもしないことを不思議に思い様子を窺うと、情けなく眉を下げた顔が下を向いていた。
「そうですか……やっぱり僕は昔からダメな奴だったんですね」
「おや。私はダメだなんて一言も言ってませんよ。まあ半端者だと説教はしましたが」
変わったか変わってないかで言えば銀時は昔から何一つ変わってなどいなかった。体の中心を貫く気高い魂は一片の曇りもなく永久不滅に存在する。だからこうして松陽は片田舎で私塾を開き先生をしている。弟子たちもまた五体満足で生きていられる。何もかも忘れてしまったのは寂しいが銀時が残したものが無かったことには決してならないのだ。
「だから自暴自棄になるのはやめなさい。今の君が考える昔の銀時は、君が思うほど悪い奴じゃありません。許してあげなさい」
その大きな瞳に見つめられると自分の本心が曝け出されてしまう。戸惑いと諦めを孕んだ迷いだったものを流し去り一つの本音だけが残される。銀時は力なく頷いてゆっくり仰向けになった。独特な畳の匂いとレトロな照明の光を感じて目を閉じる。うっすらと頭に浮かぶ記憶が手を伸ばせば遠のいた。
記憶が戻る気配はまだない。それでもかつての自分は愛されていたんだろうということはわかって銀時は安堵した。
松陽先生をどのタイミングで登場させようか悩みましたがしれっと出てきてもらうことにしました。この作品での彼らにとって松陽先生はいて当然な存在なのでこのくらい普通な人になっているんです。よかったね。