お家に帰ろう   作:睡眠人間

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季節感は適当なのでスルーしてください。


アンタもいい年齢なんだからって枕詞の続きは大体アレ

「予想していたとはいえ、本当に連れてくるとはな」

 

 小刻みよく食材を切っていく桂がそんなことを言ってきて、銀時に自分の存在を忘れられたショックのあまり大胆な行動に出たことを今更自覚する。いや別にショックとかじゃないし約束が消えたのが悲しいとかじゃないしただの帰省with社員ってだけだし。

 雪子は動揺を隠すようにむくれた顔をする。

 

「そっちこそあの気持ち悪いアレはどうした。連れてこなかったの?」

「気持ち悪くないエリザベスだ!」

「気持ち悪いの特徴だけで言い当てるお前もお前だろーが」

 

 あれが何かも知らずにエリザベスと名前をつけてペットにしているのに呆れて、そして本当に桂が話したいことに触れる。

 

「なに、だめだったの」

「いや。ただ銀時には自分の思うタイミングがあったんじゃないかと」

「ああ……」

 

 たしかに銀時はどれだけ雪子が新八と神楽に会わせてくれと言っても決して連れてこなかった。痺れを切らした雪子が万事屋に依頼をして……といった具合にようやく顔を見れたのだ。

 松下村塾だって同じことで、銀時に二人を紹介する素振りは一度もなかった。まあわざわざ従業員に実家を紹介する社長なんて中々いるとは思えないが。

 

「ま、いーじゃん。記憶が戻るんならそれで。あの二人はついでみたいなもんよ」

「そういうものか。素直じゃない奴め。いだっ」

 

 足を踏まれて手元が狂うも雪子はお見通しだったようで、宙に舞った食材を箸でキャッチすると桂の手元にリリースする。

 

「つーかそれならてめーがここにいるのもびっくりしたし。攘夷はどうしたよ」

「かつては共に戦った銀時が自分を失い、彷徨っているとわかって放っておくわけがなかろう」

「ヅラ……」

 

 なんだかんだ言って桂は銀時や高杉のことを仲間や友と思っている節がある。というか弟子たちの中で一番そうした仲間意識といったものを表出させやすく、くだらないことで喧嘩する彼らを仲裁するのはほとんど桂の役割だった。

 今回も記憶喪失した銀時のことが心配でここまで来てくれたのだ。潤んだ瞳をまっすぐ見つめて桂は快活に言い放った。

 

「なんせ頭が空っぽの今なら銀時を攘夷派に引き込むことは簡単だからな! はーっはっはっはっ!」

「んなこったろうとは思ったわ……」

 

 すっと雪子の表情が無に戻る。しかし桂が笑いを引っ込めて真面目な顔をするので淀みなく進んでいた作業を一旦停止した。

 

「国をお前たちごと救うには、力がどれだけあっても足りないのだ。それこそ宇宙中の勢力を味方につけるくらいでないと」

 

 雪子と朧の所属する組織はあまりに巨大で、途方もない権力で満ち溢れている。奴らの爪の先程度の力が降り注ぐ江戸でさえこの有り様だ、特に大切に飼われている雪子の痛みは桂の想像を遥かに上回る。

 

「雪子。俺はお前にずっと護られてきた。だから今度は俺が救うと約束した」

 

 そうして誓いを立ててから十年。未だ目標達成には程遠い。全てが終わり雪子と松陽によって絶命寸前の命を繋がれた桂は、天人によって腐り落ちたこの国を救うため、そして彼らを護るために生きていた。それがこの男の全てだった。

 

「……うん。ちゃんと護ってよね」

 

 だから雪子は彼らが救ってくれる日を待っている。もういい、先生とお前たちが無事ならそれでいいと言ったのに、諦めの悪い男たちが、てんでバラバラの方角を見て育ってきた男たちが、口を揃えて「護る」と約束したのが、本当に嬉しかったから。だから、別にこのままでもいいのにと笑いながら、彼らの行動を見守っていた。

 それが十年だろうと二十年だろうといくらでも待ってやろう。そんな心づもりであることはそっと胸に秘めて微笑めば、桂は満足そうに頷いた。

 

「ところでお前も俺たちと攘夷する気はないか? 今なら愛玩動物も付いてくるぞ? かわいいぞ?」

「それエリザベスじゃん。絶対やだよ。お前だけで充分だわ」

 

 そのときの彼らは攘夷志士でも警察でもなく、くだらない世間話で笑うただの幼馴染だった。

 

 

 

「雪子! 一緒にお風呂入るアル!!」

「えっ」

 

 食事を終えて食器を洗うと、着替えとタオルを抱えてワクワクする神楽に捕まった。このまま帰るのではなく一泊してからかぶき町に戻ることが決まり、みんなでのんびりしていた頃のことだった。神楽の突然の誘いに、久しぶりに雪子の手料理が食べられて嬉しいとご機嫌の松陽につられていつもに増してニッコニコだった雪子の顔が固まる。

 

「嫌だったアルカ……?」

「う、いや、そうじゃないけど……あー……」

 

 そんな目で見ないで。ウンと頷きたくなっちゃう。ぐうと喉の奥で唸り声が鳴り口を閉じる雪子だったが、ダメ押しとばかりに神楽に袖を引かれて白旗を上げた。

 

「わかったよ、わかったから……」

 

 パアアッと神楽の顔が晴れた。その様子を後ろで見守っていた松陽がこっそりと新八に尋ねる。

 

「あの二人、もしかしていつもあんな感じなんですか?」

「え? うーん、そうですね……基本的にはちょっとだけ雪子さんが厳しいかもしれないですけど、最終的にはいつも折れてます」

「ほう。あの雪子が……」

 

 あのってどの? 新八からしたら神楽のおねだりに負けて仕方ないなあと流される雪子はわりとよく見る光景だったので、また始まったよなんて思っていたが、松陽にはとても珍しいもので。しげしげと興味津々に見つめられて、その視線から逃れるように先に雪子は脱衣所へと向かった。

 

「いやね。あの子があんな風に困惑したり流されたりすることって、滅多にありませんから、つい」

「そうなんですか!?」

「初耳ネ!」

 

 仰天する新八とびっくりする神楽。この子どもたちは自分がどれほど雪子に影響を与えているのか無自覚らしい。

 

 天上天下唯我独尊。横行闊歩にして傍若無人。昔から気の強さと自分の欲望に真っ直ぐなところが目立っていてかなり我の強い幼馴染たちを振り回してばかりだった雪子がああなるなんて。いつもあの子は新鮮な驚きをくれる、と口元に弧を描いた。

 

 ああ、ならば普段の銀時とこの子たちがどんな風に在るのかも知りたい。いつかアポ無しで万事屋に行ってみようかな。間違いなく怒ると思うけど最終的にはかぶき町を案内してくれるだろう。銀時は優しい子だから。

 

 その計画はあまりに楽しそうでワクワクして、後で雪子に相談しようと思う松陽だった。

 

 

 

 神楽が雪子を風呂に誘ったのはほとんど勢いのようなものだった。松下村塾という実家で手料理を振る舞い松陽の言動に心の底から嬉しそうに笑う雪子は、かぶき町の店で見る姿とは違って見えたのだ。

 それはまるで母のような。記憶にある神楽の母、江華の面影をそこに見た気がした。もちろん彼女の姿形が江華に似ているとかそんなんじゃない。母親という生き物の優しさを見出したのだ。

 

 衣服を脱いで全身を洗い、先に湯船に浸かる神楽はぼんやりとその後ろ姿を見ていた。大きく膨らんだ乳房にきゅっとくびれた腰、そして柔らかそうな尻は同性でありながら憧れを抱いてしまう理想そのもので、しなやかに伸びた脚と雪のように白い肌が火照っている。どこから見ても美しい女だった。こんな女性になれたらと願ってしまうほどだった。

 だからこそ、それが嫌に目についた。

 

「雪子、ソレ……」

「んー? ああ、背中のコレ?」

 

 泡だらけの背中をお湯で流せば、つるんとした陶器のような背中に彫られた紋章が露わになった。

 八咫鴉を形取ったそれは雪子が奈落に手駒として囚われた時に刻まれたものだった。その頃の記憶を無くした彼女が自分の正体を探るべく手がかりにした唯一の証。人に見せるのは気分が悪い。

 素早く泡を流し終えると雪子は神楽の隣に腰を下ろした。ちゃぷんと新しい波紋が揺れる。

 

「組織に所属している身分証みたいなもんよ」

「普通は背中見えないアル。身分証の意味ないネ」

「そう、普通はね」

 

 縁に腕をかけて背中を預けた雪子の目が光を閉ざす。忌々しい過去を死んだ顔で見ているような、そんな暗い目をしていて、神楽が口を挟む前に瞬きすると元に戻っていた。

 

「ま、昔の話だから」

 

 話題をぶつ切りする雪子はふと結局松陽に拾われる前の記憶は戻らなかったなと思った。組織にいた頃を思い出しても特に利益はないので別に構わない。でも、もしかしたら母親のことを知れるかもしれないのだ。夜兎でありながら夜兎に抗った蓬麗を、知人から聞いた知識ではなく、娘の思い出として知れたなら。……ま、もう二度と戻りはしないだろうが。

 

 医者によれば人間の記憶は木の枝のように複雑に絡み合ってできていて、その枝の一本でもざわめかせれば他の枝も徐々に動き始めるらしい。ならば雪子にあった木はとっくの昔に枯れてしまったのだろう。枝という枝のないただの人形だったのだから。

 

 でも銀時は違う。知らない間にかぶき町中に顔が知れ渡っていて、その木には数えきれない枝が自由気ままにくっついている。根っこの近くには松陽や雪子がいて、他の弟子たちもいて、そして何より新八と神楽がいる。

 

「それにしても、まだ記憶は戻らないしご飯食べ終わったら寝ちゃうし。アイツ記憶取り戻す気あんの?」

「完全に気が抜けてるアル。実家に帰ってグータラするダメ息子ネ」

「言えてる。あとで叩き起こして子どもの頃の話でも聞かせてやろう」

 

 話のネタならいくらでもある。あれでしょこれでしょ、と指折りで数えていく雪子は、神楽が俯いているのに気づいてそっと優しく声をかけた。

 

「今日は疲れたでしょ。もう上がったら?」

「……ウウン。疲れてないモン」

 

 だからもう少しお話ししよう。白い湯気に輪郭を透かすまるい膝小僧を見つめる。

 松下村塾を訪れてから、共に幼少時代を過ごしていたという松陽や桂とのやり取りを見てから、ずっと心に浮かんでいた泣きたくなるような感情を、神楽は恐る恐る口にした。

 

「雪子にとってアイツらって何アルカ」

「アイツら?」

「しょーよー先生と銀ちゃんとヅラ」

「あー」

 

 改めて聞かれると何だろう。雪子は首を傾げた。幼少期に拾われて同じ家で育ったから昔は家族だと思っていた。しかし大人になってみるとその考えに素直に頷くことができない自分がいる。

 特に銀時と桂(と高杉)だ。コイツら私にとっての何だろう。相弟子? それだと軽いような。じゃあ腐れ縁? うん、そんなもんか。だがそこに松陽を加えるとなると話は別だ。アイツらが同列に並ぶはずがない。けどまあ、松下村塾は大切な帰るべき居場所だと断言できるから結局のところは。

 

「私の家族かなあ」

「かぞく」

 

 家族。それは神楽にとって複雑な意味を持つ存在である。

 

「じゃあ、家族は、好き?」

 

 それは普段の活発な口調とは違う純真無垢な響きを持っていた。ぴちゃりと神楽の前髪から雫が落ちて肌を濡らす。そこにいるのは家族に焦がれる一人の少女だった。

 

 松下村塾にやって来て神楽が一番に感じたのは彼らの絆だ。松陽と雪子と桂の全身から互いを信頼し大切に想う気持ちがよく伝わってきて、決して除け者にされているわけでもないのに、寂しいと思ったのだ。それは間違いなく家族の絆だった。神楽が必死に手を伸ばしているものだった。

 

 雪子はぱちりと大きくまばたきをしてから神楽の唇に人差し指を当てた。ぱしゃんと水面にさざ波を立てて近づくと貧相な体に豊かな双丘が当たってふにゅりと形を変える。赤面するほどに柔らかかった。純情な反応にかわいらしいと微笑んで、アイツらには秘密だからねと前置きして。

 

「そりゃあもう。大好きだよ。アイツらがいなきゃ幸せじゃないもの」

 

 素直な気持ちを吐露したのだ。

 

「いつもくだらないことでバカ騒ぎして楽しかった。……幸せだった」

 

 もちろん今も幸せよ、と今度は神楽を抱き寄せる。とくんとくんと鼓動の音がした。雪子に見出した優しさは間違ってなかったんだと神楽は確信する。こんなにも温かく包み込んでくれるのは、どうしてだろうと不思議に思う。

 

「いいなぁ……」

 

 無意識のうちにそんな言葉をこぼしていた。神楽の囁きに雪子は以前の発言を思い出す。

 

『……アンタ、家族は? 故郷に帰んないの、子兎ちゃん』

『故郷には誰もいないヨ。マミーはいない。パピーも兄ちゃんも帰ってこない。……もう一人ぼっちの食卓はいやアル。…………私、』

 

 雪子や銀時の家族を知ってますます寂しくなったのだろう。縋るように体を預けてくる華奢な体を優しく抱き留めて、次あのハゲ親父に会ったらぶん殴ろうと固く心に誓った。

 

 

 

 

 すっと意識が浮上する。見慣れた天井がそこにはあった。夜の帳が下りて襖をきっちり閉めた寝室は真っ暗だったが夜目がきく雪子には関係ない。一緒に寝たいと駄々をこねた神楽が隣で大きな鼻提灯を膨らませていて、くすりと笑ってから起こさないよう慎重に部屋から抜け出した。

 

 ぺたぺたと素足で廊下を歩くと男子部屋の方からZ〜Z〜とわかりやすい寝息が聞こえてくる。結局アイツらは同じ部屋に放り込んだんだっけと思いながら台所に行くと目的のものを入手し、今度は縁側へと足を進めた。

 

 青白い月明かりが差し込むそこに松陽はいた。懐手をして真っ直ぐに空を見上げている。やがて近づいてくる足音の方に顔を向けて、ことさら表情を和らげた。

 

「それ、どこから見つけてきたんです」

「台所は私の庭だもん。実は前から隠してたんだよね」

 

 隣に腰掛けた雪子が酒瓶の蓋を取り、松陽はお猪口を持っていくととぷとぷ注がれた日本酒を呷った。口に広がる甘い香りが鼻を抜けてすっきりした後味を残していく。雪子が自ら持ってくるだけのことはある、いい酒だ。

 お酌をした雪子は次に自分の分を喉に流し込んで、またとぷとぷ注ぎぐいっと飲む。松陽が空にするまでに同じ動作を数回繰り返し、ようやく松陽に二度目のお酌をする頃には雪子の口が軽快に回るようになっていた。

 

「こっちの様子はどう?」

「平和そのものですよ。明日はね、課外授業として山に行こうかと。木々が見事に紅葉していて近くで見たら美しいでしょう? そんな秋の風物詩を教えてあげたくて」

「うわ懐かしい、昔もやったよね。銀時はドングリ拾いまくってて高杉が風情を大事にしろってうるさくて、最後にヅラが野生のクマに襲われてなかった?」

「そしてそのクマを返り討ちにしてクマ鍋にしたのが君でしたね」

 

 そうだったそうだったとケラケラ笑う。普段は松下村塾の部屋で机に引っ付いて手習いを受けていたが、時々そうやって外に出て授業を受けるのが雪子は好きだった。

 

「ああいうトラブルを起こして自分たちで解決するの何なんですか、先生の立つ瀬がないでしょう」

「それだけ逞しいってことだよ。ホラ、おかげで今は特別講師できるくらいだし」

「子どもたちに悪影響しか及ぼさない講師を先生とは呼びません、ダメな大人といいます」

 

 帰ってきた彼らに時間がある時、特別講師として教鞭をとることがしばしばあった。だが全員がそれぞれの方向に一直線であるために上手くいくはずがなく。

 

 銀時は思春期真っ盛りのガキと下ネタでぎゃいぎゃい盛り上がるし、雪子はこれも料理の一環だからと素材集めと称してクマ狩りだの鹿狩りだのに向かわせようとするし、高杉は剣を学びたいという男子たちに本気で向き合って結果泣かせるし、桂は特製の教本を片手に幕政批判・国家転覆を説いて攘夷志士の卵を育てようとする。

 

 これのどこが良い先生なのだろうか。各々好き勝手し過ぎじゃないだろうか。いや、高杉や桂は真面目にやった結果がアレだけども。

 しかしまあ、それぞれが松下村塾を大切にしてくれているからこそ、そうやって帰ってきてくれるのだ。嬉しい、本当に幸せなことだと松陽は温かい気持ちになる。

 

「君たち以外にもたくさんの同門の弟子たちが遊びに来てくれるんです。小さかった彼らが立派に成長してくれて、憧れた自分になった姿をしることができて、師匠としてこんなにも嬉しいことはない」

 

 先の未来で何者になろうとも、それぞれの武士道に沿い精進する彼等を見届ける。松陽が掲げた武士道を貫いた結果だった。

 

 およそ二十年前に始まった松下村塾はたくさんの子どもたちが卒業していった学び舎で、それだけ松陽の想いを受け取り成長した大人たちがたくさんいるのだ。ついこの前も勉学に励んで真っ当な人間になり、妻を娶って子どもに恵まれた元生徒が松下村塾を訪れたのだった。

 

 可愛らしい赤ん坊でしたねえとその時の記憶を再生する松陽は、ふと以前から気になっていた質問をぶつけてみることにした。

 

「前からずっと言いたかったのですが」

「うん?」

「いつになったら孫の顔を見せてくれるんですか?」

「ぶっっっっっ」

 

 雪子は咽せた。げほげほ苦しそうに咳をして憎らしげに見上げられた父親はそんな娘の反応を楽しそうに見守っている。

 

「まっ、しょうよ、いきなり、なんっ」

「そろそろ誰か動き出したかなと思ってましたけど、その様子だとまだ膠着状態なんですね。君たちよくそのままでいられますよね。先生びっくりです」

「びっくりしたのはコッチなんだけど!? 君たちって何! 私と誰って!?」

 

 雪子は赤面したり恥ずかしがったりするわけではなく、単純に驚いているようだった。マジですか、君たち本当にそれでいいんですか、と松陽は弟子たちに思念を送る。

 

 松陽は彼らが小さい時からの弟子たちの甘酸っぱい青春模様を知っている。日常生活の中に溶け込んで時折形となる少年たちの淡い恋心は、しかし微塵もその気がない少女に届くことはなかった。

 だからこそ大人になった今、誰かが動き出しても不思議じゃない、というかむしろいい加減誰か動けと思うが、彼らの関係性に変化はないようで。

 

 これには温厚を地で行く松陽もマジかコイツらと思わずにはいられない。だって全員もういい歳なのである。これを口にすると本人にたいそう怒られるが雪子なんて結婚適齢期を過ぎてアラサーなのである。身を固めたいとか思わないのだろうか。えっまだ誰も告白とかしてないの? 正気ですかね?? 松陽は首を捻った。

 

「君たちがそれでいいなら……いや私はやっぱり孫の顔が見たいのでいずれはと思いますが……雪子はどう思ってるんですか?」

「……何を」

「結婚してみたいと思いますか?」

 

 前半は声が小さくてよく聞き取れなかったけれど松陽は雪子の女としての道を案じているらしい。そんなものとっくの昔に捨て去ったわ、なんて言ったら根掘り葉掘り聞かれそうなので、なんとか松陽が納得してくれる答えを出したい。

 

 雪子は腕を組んでむむっと難しそうな顔をして考えた。リアルな現状を真面目に考えるほどシラフではないので酒に酔ったフリをして明るく未来を描いてみる。

 

「………。わかんない。想像つかない」

 

 だけど答えになったのは無回答だった。恋愛的な意味での好きとか愛情とか、いまいちピンと来ないのだ。

 だって自分には松下村塾という大切な居場所があって、吉田松陽という死んでも護りたい存在がいてくれて、ほかに何を望もうと言うのだろう。

 

「そうですか……」

「でっ、でも! 孫の顔見たいってんなら他の連中がいるし、ほらっ銀時とかヅラとか高杉とか…………あっ朧も……。………アイツら結婚できる人間性してねーなぁ……」

 

 すると松陽が悲しげに眉を下げるので慌ててちょっと思い浮かんだことを口走る。だが松陽が顔を俯かせたのは雪子の回答が不満だったからとかではなく、弟子たちの想いが全く届いていないことを嘆いているからだった。

 

 しみじみと付け足された一言に全てが詰まっていた。全く相手にされていない。可哀想な弟子たちよ……。

 

「や、でも、そんな連中だったら、私みたいなロクデナシとも上手くやれるでしょ。今までやってこれたんだから」

「それじゃあ、雪子はあの四人の誰かとなら結婚できますか?」

 

 なんか話が変な方向に転がっていってない?? 松陽もしかして酔ってる?? 平素と変わらない穏やかな瞳に真剣な色を混ぜた視線に、それはないかと否定して、言われた言葉をちゃんと考えてみる。考えて、考えて……あ、と気づいた。

 

「しょ、松陽」

「はい」

「……私、多分───」

 

 しかしその先は音にならなかった。

 

「すみません、厠ってどこでしたっけ」

 

 いきなり雪子の背後に現れたのは銀時だった。夜中に目が覚めて尿意を感じたもののトイレの場所がわからず彷徨っていたところを、話し声が聞こえて近づいたのだ。

 ぎょっと肩を揺らして振り向いた雪子はその気配に気づかないほど集中していたようで、これは期待できるぞと思った松陽がひとまず銀時の質問に答えようとして、えっと目を見開いた。

 

 銀時を見上げるその顔が青白い月光に照らされてもなお、ほんのり赤く見えたのである。ぐっと何かを耐えるように歪む目元と唇が、握り締められた力強い拳が、かなり珍しい感情に揺り動かされているとわかった。

 

 尋常ではない雪子の様子に疑問を抱いた銀時がよく見えないからと距離を縮めて顔を覗いてくるので、それはますます加速する。

 

「雪子さん……どうしたんですか?」

 

 ちょっと目と眉が近づいただけ。ちょっと黒目がデカくなっただけ。中身が別人だろうとコイツは銀時であってそんなのにど、動揺してるとか思われるのは一生の恥!!

 雪子は心の中で叫ぶと強気に視線を合わせる。……なんで目を逸らさないの、なんで見つめ合ってるの。なんで顔近づけてくるの!?

 

「あ………ぅ、ぅぉおおおりゃああ!!」

「ふんぐぉ!!?」

 

 耐えられなくなった雪子は咄嗟に銀時の片腕を掴むと思いっきり地面に叩きつけた。頭が地中に埋められ、外に出た首から足先まで綺麗な直線を描くのは天を穿つが如き堂々とした様。久しぶりの投げ技に松陽が隣で拍手してくれるが、雪子はそれどころではなかった。

 

「んっ、がっ!? ぷはっ、いきなりなんてことするんですか!」

「そっちが変なことするからでしょ!?」

「してませんよ! ってあれ、そういや昔……こういうことがあった気がする……」

「えっほんとっ!?」

 

 雪子の声に喜色が滲み出て、はは〜んなるほどなるほどと人知れず頷く松陽は、次の雪子の行動を止めることはできなかった。痛みに悶える銀時に迫ると再び地面に突き立てたのである。抵抗する間も無く頭部を地面に叩きつけられた銀時は動かなくなった。しかし松陽にはそれよりも優先するべき事態がある。

 

「それで、答えは出ましたか?」

「言わなきゃだめ?」

 

 にっこり笑顔が返されて、雪子はため息をつくとポソポソ言った。

 

「………あの四人なら、うん。別の形の家族にもなれたら、って思う」

 

 松陽が優しく目を細めて生暖かい視線を送ってくるのが恥ずかしくて、雪子は一向に地面から抜け出そうとしない銀時の足を引っ掴んで無理やり抜く。

 

「おい。記憶戻ったか」

 

 そのままゆらゆら横揺れさせると、ゆっくり瞼を開いた銀時の目は夕方と同じジャスタウェイそのものになっていた。完全に振り出しに戻ったのである。

 

「君達は……誰だ?」




ちょっと投げやりですみません。このあと原作同様工場でなんやかんやあって無事に記憶は戻ります。おめでとう。
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