お家に帰ろう   作:睡眠人間

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紅桜編開始です


紅桜篇
一番目の約束


「ちょいと失礼。桂小太郎殿とお見受けする」

 

 夜の帳が下りた橋の上、くまなき満月の光が辺りを照らす二つの人影は足を止めた。少しの問答の果てに舞った大量の血飛沫が橋を濡らし、男はピクリとも動かなくなる。斬りつけた男が興奮気味に死体から髪を切り取り、姿を消すのを見送った遺体は静かに行動を開始した。

 傷口を押さえつつ移動の痕跡を残さないよう細心の注意を払い、やがて辿り着いたのは何度も通い詰めた小料理屋だ。暖簾は外され灯りも消えた出入り口の戸の前を通り抜け、裏口に回る。ただの一面の壁に見えるそこに崩れ落ちるようにして肩を押し当て、荒い息を吐いて全体重を預けると、くるりと仕掛け扉が作動して、室内に体が押し出された。

 目を開ける余裕さえ無くなった瞼に薄らと明るい光が近づいてくる。血の匂いに気づくとその速度が跳ね上がった。大量の失血と無茶な移動に体は限界を迎えようとしていた。いよいよ意識が遠のいていき、倒れ込む男の体を支えると雪子は悲痛な叫びをあげる。

 

「ヅラ!! 何があった! お前がそこまでの深手を負うなんて!!」

「……ヅ、ヅラじゃない、桂……だ」

 

 抱き抱えられ、もう大丈夫だという安心感に張り詰めた気を緩ませた桂は、身の内から湧き上がってくる温かなエネルギーを感じて気を失った。

 

 

 

 目を覚ますと見覚えのある天井が広がっていた。雪子の私室だ。彼女の店は半分が小料理屋、もう半分が家の役割を担っている。といっても天鴉の本拠地やセーフハウス、松下村塾の一室など、雪子が自分の家と見做している家屋はいくらでもあり、たとえここがお気に入りの自店だとしても完全なプライベートハウスというわけではなかった。だからこそ桂は何度かここを訪れて真選組や敵派閥の攘夷志士たちの追撃を逃れる為に匿ってもらうことがあった。

 今回もそのつもりで意識が朦朧としていながら自然と体は雪子の店へと向かっていたのだ。

 

 桂は天井を見上げ深呼吸を数回して、体に一切の痛みが残っていないことを確認する。ざっくり斬られたはずの腹に指を這わせるもなだらかな皮膚が臓器を覆っているだけだった。……傷が修復されている。歯痒い思いを感じながら、片腕しか動かせない状況に置かれている理由を探るべく室内に視線を巡らせた。

 質素な飾りつけが最低限されているだけの部屋だ。それもそのはず、この部屋は傷を受けた誰か……あるいは己を修復する為だけの部屋で、傷薬や包帯などの救急道具は豊富にあるものの、それ以外は何もない。視界の隅で真っ赤に染まった布巾が覗くゴミ箱があり、修復した後に体を綺麗にしてくれたのだとわかる。

 

「またあの力を使わせたのか……」

 

 布団に横たわる桂のすぐそばには、猫のように丸くなって眠る雪子がいる。この光景に見覚えがあった。十年前のあの戦いの後だ。

 

 

 

『生きている』

 

 古びたボロボロの天井を見上げて桂は呆然としていた。虚との戦いの最中、上半身を大きく切り裂かれた彼は意識を失い、その後どうなったのかわからずじまいだった。虚はどうなったのだろう。松陽を取り戻すことはできたのか。雪子と朧を救うことはできたのか。銀時と高杉は無事なのか。ぼんやりとした頭にさまざまな記憶が蘇って、カッと目を開いた桂が勢いよく上半身を起こすと、布団が何かに引っかかる感触がする。そちらを確認して桂は驚いた。猫のようにくるりと丸くなり、雪子が眠っていたのだ。

 

『目が覚めましたか、小太郎』

 

 静かに引かれた襖から穏やかな陽光を背負って松陽が部屋に入ってくる。あの頃の面影を霞むことなく携えて、固まる桂の元にしずしずと歩み寄ってくる。夢にまで見た光景だった。夢ではないかと疑った。実際の自分はまだあの戦いの中で刻々と命を削っていて、死の直前に願ってやまなかった夢を見せているのではないかと。

 しかし松陽が腰を下ろして桂の容体を確認すると、起き上がったままの上体をそっと布団に戻そうとしてきたところで、桂はようやく声を上げることができた。

 

『ま、待ってください先生! あの戦いはどうなったのですか! あいつらは無事ですか、朧殿は……』

『小太郎、落ち着きなさい。戦いは終わりました。銀時も晋助も朧も雪子も、私も……無事です。五体満足でピンピンしてます。君が一番最後に目覚めたんですよ』

『そうですか、よかった……。しかし、俺が気を失ってから何があったんですか。どうして俺は……生きているんですか』

 

 心臓が爆発しそうな喜びを抑え、傷跡一つない上半身を撫でて疑問を解消するべく桂は尋ねる。虚の一刀で桂の死は決定していた。だが今はあの時の身を裂いた傷口もそれまでの戦いで背負った古傷でさえ、何一つ残っていなかった。健康的な青年の皮膚がそこにはあった。しかも、すぐそこで眠る雪子の左足が存在している。あの戦いで虚に斬り落とされたはずなのに。……いや、意識を失う直前に登場した雪子には、足があった。あれは……。

 

 少しの沈黙の後、真相に辿り着いた桂は先程までの笑顔を凍りつかせて松陽を見つめる。微かな笑みに痛ましい色を浮かばせたその人は悲しげに真実を語り始める。全てを話し終えたその部屋には、差し込む明るい陽光や呑気に眠る彼女と真逆の雰囲気が重苦しく漂った。

 

『なるほど………俺たちは雪子の力によって命を繋がれたと』

『ええ。……つまり雪子は、私や朧に続いて……三人目の不死者となった』

 

 何故こんなに大きい人が存在するのか不思議に思う程に、吉田松陽というヒトは自分達を照らすひたすらに大きな光だった。彼が時折見せたあの底のない空虚な瞳、その影をもたらした理由が、今や雪子の血にも巡っているだなんて。しかもそれは彼らを助ける為だったとは。

 

『私や朧と違って、雪子には他者を修復する力がある。相手を不完全な不死身にするのではなく、怪我のみを修復する力が……。致命傷だろうが不死の病だろうが瞬く間に治してしまうことでしょう』

『雪子にそんな力が……』

『理由はわかりません。どうして不老不死の生命体として生を受けた私や、私の血を注がれて生まれた不死身の肉体を持つ朧ではなく、彼女がその力に目覚めたのか……夜兎の血がそうさせたのか、はたまた別の素質が眠っていたのか。いずれにせよ、雪子は地球のアルタナを操作する力がある』

『………。なんということだ……』

 

 理解を超えた現象に桂は眩暈がするようで目頭を抑える仕草をする。

 

『……先生、この事実が広く知れ渡れば大変なことになります』

『ええ。全宇宙の勢力が彼女を狙い、不死の力を利用しようとするでしょう』

 

 硬い声色で松陽は告げる。今のところ不死身の肉体を持つ彼女だが、不老不死の力を持たないとはわからない。何より雪子が「松陽がこの先何百年と生きるなら、私も生きる。絶対に一人にはさせない」と不老不死の道を見つけてしまうのも時間の問題に思われる。

 

『先生だってその危険があるのでは』

『……それでも、雪子に万人を救う力があるということに変わりはない。不老不死の存在を増やすことなく、後遺症も残さずに……そんな都合のいい生き物を奴らが放っておくはずがありません。……とにかく今の段階で私たち不死者の存在を知るのは君たちだけです。要らぬ心配かも知れませんね』

 

 厳しい表情で俯く桂に微苦笑して最後に言葉を付け足す松陽だったが、それでも浮かない顔が続くので、こほんと咳払いをして意識的に明るい声を出した。

 

『ところで、小太郎?』

 

 反射的に顔を上げた桂の頭にポンと硬い掌が乗る。大きな手が髪を撫でるように滑り、また元の位置に戻ると慈しむように何度も頭を撫でられた。

 

『私を助けてくれてありがとう』

 

 慈愛に満ちた微笑みと温度の通った掌があまりに懐かしくて、桂はぐっと奥歯を噛み締めてその動作に身を任せた。どれだけ堪えても漏れる嗚咽と涙を隠すこともできないまま、何度も頷き、この言葉を求めて戦ってきたのだと実感する。

 一番最後に意識を取り戻した為だろう、松陽からは自分のせいで戦争に身を投じる選択肢を取らせてしまったことへの謝罪はなかった。間違いなく松陽はそのことを謝って、先に目を覚ました銀時や高杉に叱られたはずだ。自分で選んだ道だから後悔はないと口酸っぱく言われた松陽は、謝罪ではなく感謝を、言葉と手の動きに込めて懸命に伝えようとしてくれる。

 暫くの間そうしていると、やがて眠りから目覚めた雪子が目の前の光景にぎょっとした。

 

『えっ松陽がヅラを泣かせてる!?』

『失礼な。泣かせてません』

『泣いてなどいない!! 俺は、断じて……』

 

 ぐいっと乱暴に涙を拭うと、桂は雪子の細い手首を力強く掴んだ。そのまま自分の方へと引っ張って、彼女は体勢を崩し至近距離に倒れ込みそうになる。慌てて掴まれていないもう片方の手で布団に手をつくと雪子は声を荒げた。

 

『ちょっと、いきなり何ッ』

『雪子。今度は俺がお前を護る番だ。約束してくれ、危険な時は助けを求めると。………必ず』

 

 きっと雪子はまだ自分の力の真の恐ろしさに気づいていない。あるいは気づいたところで、それがどうしたと言い放って終わりだろう。だから自分だけでも彼女を護らなくてはならない。今まで護られてきた桂が、今度は。

 揺れる瞳を真っ直ぐに見つめて告げる桂に何を言うべきか口を開閉させた後、雪子はこくりと首を縦に振った。安心した桂が手の力を抜くとそこから逃れた雪子が口早に捲し立てる。

 

『じゃ、ご飯持ってくるから! あいつらにもヅラが目を覚ましたって報告してくる!!』

 

 びゅんと風を残して消えていった雪子の大声が古びた家屋に響き渡り、桂は数秒後ダッシュで部屋に駆け込んできた銀時、高杉、朧にもみくちゃにされ、食事を持ってくるも即座にその輪に加わった雪子にボロボロにされ、松陽に微笑ましい目で見られたのも、十年前の話である。

 

 

 

 あの力は誰にも知られてはならない。ただでさえ雪子は宇宙最強民族である夜兎の血を引く一人であり、天鴉副長として天導衆とも未だに繋がりのある非常に面倒くさい立場にある。いつ嗅ぎ付けられてもおかしくない状況なのだ。この女が十年も秘密にできている時点で奇跡的である。

 彼女を救うと約束していながら救われている現状に項垂れたくなるが、それよりも今はやるべきことがあった。桂は雪子の肩をそっと揺らす。

 

「起きてくれ、雪子」

「ん……ヅラ? ……傷は」

「おかげで傷跡一つ残っていない。助かった。ありがとう」

「うん」

 

 桂の容体を確認すると雪子は目つきを鋭くした。幼少期からのトレードマークだった長髪はすっぱり切られ、短くなった毛先を手で遊ぶ。

 

「で、誰にやられた」

「近頃巷で辻斬りが横行しているだろう?」

「真選組が探ってるヤツ? 天鴉(ウチ)の仕事じゃないからそこまで詳しくないけど」

「そうだ。下手人は岡田似蔵。……高杉率いる鬼兵隊の一員だ」

「ふぅん……私が昔ぶっ潰した隊を復活させようとしてんのは知ってたけど、あんなのにお前がやられるわけなくない? 何があったの」

 

 確かにただの人斬りに桂が負けることは有り得ない。しかし今の岡田はただの人斬りではなかった。その手に煌めく怪しい紅色の光を思い出す。あれは普通の刀ではなかった。あの刀は……。

 

「刀ぁ? お前刀にやられたって?」

「ただの刀ではない。正体はわからないが、嫌な気配を感じた」

 

 片眉を吊り上げて疑問を露わにする雪子だが次第に桂の話す不気味な刀の方に関心がいく。以前からずっと頑丈で切れ味抜群の刀が欲しいと思っていたのだ。もしかしたら使えるかもしれない。

 彼女が興味を抱く一方で桂の胸には嫌な疑惑が広がって止まなかった。敵は自分個人を標的に動いているのだろうか。一体何の目的で襲ったのだろうか。攘夷志士の中でも穏健派として過激な攘夷グループを粛清していたのが気に食わなかったのか? だとするならば奴らの内情を探るには自分が死んでいることにしていた方が動きやすい。消息を絶つのは仲間達に申し訳ないが高杉を止める為だ。致し方なしと方針を固める。

 

「俺はこれから奴らの本拠地に乗り込んで調べてみようと思う。もしかするとエリザベスが俺を探しに来るかも知れないが、何も告げないで欲しい」

「それは無理」

「なんだと?」

「だって私もヅラと一緒に高杉んとこに殴り込みに行くからね」

 

 私のもんに手ェ出しといて生かしておくわけないでしょ? なんて不敵に笑う雪子に嬉しいやら呆れるやらで何も言えなくなってしまった桂は、ひとまず雪子の額をツンとつついた。突き指したので修復してもらった。




最終回()はこの本編に全く関係ない、ただ記念に残している話だったので、あの最終決戦の後に何があったのかを直接描写するのは今回が初めてになります。そこら辺がわかりにくいかなと思ったので最終回(仮)の話に注意書きを入れています。
桂はこのタイミングで「助ける」と約束しました。三人の中では一番乗りです。
ちなみに原作で桂の傷を肩代わりしてくれた教本は虚に斬りつけられた時に一緒に散ってしまいました。しかしその代わりに現在の桂は留魂録を持っていたので原作同様命拾いしました。血染めの留魂録はもう読めなくなってしまったのでこの戦いの後、松陽に新しいのをもらいに行くことでしょう。
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