あれだけ大きな船が見えなくなってしまった。視界にあるのは、愛しい女の背中と、だだっ広い海だけだ。地平線が広がる世界は高杉には見慣れたものだというのに(鬼兵隊所有の船もあるため。まあ今にも墜落してしまいそうだが)、目の前にいる存在が非現実感を増幅させていた。
足が地につかないというか……実際空中にいるのだけど……とにかく、そんなフワフワしたことをこの男は考えていた。現実逃避しているともいう。
「気持ち悪ィ……」
「おぼろろろろろろろろろ」
早い話、フィーバーし過ぎた。コーヒーカップで調子乗って回しまくって自爆したやつだコレ、とキラキラしたものを吐きながら雪子は考えた。高杉は自分が嘔吐するのが許せないらしく何とか耐えている。もし雪子が元気だったらちょっかいを出して吐かせて笑ってやっているところだが、生憎彼女は絶賛吐いているので叶わなかった。
「はぁ、はぁ……うっぷ。ぜぇ……今までで一番きた。これ人が乗るモンじゃねーわ」
「オメーがありえねー速度で走らせるからだろうが……」
二人でぜえはあ吐き気が遠のくまで呼吸を整える。桂との潜入捜査でも具合が悪くなった雪子は、もしかしたら生身の自分以外の速い物体に揺られるのに弱いのかもしれないと気づいた。
吐いた分先に復活したので高杉が落ち着くまでだらだらと低速度で流すことにした。ハンドルを握るその背中にもたれかかって、高杉は片目で空を眺める。不釣り合いなほど穏やかな時間だった。
「あのクソヤローは一応生きてるよ。死んだようなもんだけど。ったくテメェの部下の手綱ぐらいちゃんと握っとけっての」
「あぁ、そうかィ」
「結局紅桜は全部燃えちゃった。クソッタレの中にまだ微かに残ってはいたけど……どうなるかは知らねー。つかどーでもいい」
言いながら、そういえば高杉を怒らせていたんだっけと思い出す。雪子が自ら紅桜に寄生されようとして、自分の身を大事にしないでいたから。だから桂と、ちゃんとお互いの体を大切にしようと約束までした。
「ね、高杉、落ち着いた?」
「あぁ。だいぶ楽になった」
「そ。ならね、聞いて。……私、気をつけるよ。アンタたちが悲しくならないように、余計な痛みは負わないって」
あまりにその言葉が意外だったので、高杉はまじまじと目の前の女を見つめた。短く切り揃えられた後ろ髪が風に靡く。手入れされているのはよくわかるが、洒落っ気のない髪型だ。昔は簪だの髪飾りだのに興味を示して松陽におねだりしていたのに。
不意に攘夷戦争時代、雪子と再会した時の記憶が浮かんでくる。大人びた顔立ちと体つきに、その手に握られた血染めの武器。狂気を孕んだ笑顔が、高杉は嫌いだった。
「だからお前も約束して。私の為に死なないって」
こちらを振り向いて寂しそうに笑う、この顔も。
「俺は死なねーよ。この世界を壊し尽くすまで、何度だって俺は進み続ける」
昔、彼女がくれた言葉だった。雪子はそのことを覚えていないだろうしその場にいた銀時もそうだろう。別にそれでよかった。高杉にとって、その言葉が力をくれるとわかっていることが大事だった。
「今更な話じゃねーか。テメェの無茶にずっと昔から振り回されてんだ、俺たちは。……それに、お前が助けてくれるんだ。死なせちゃくれねーだろ?」
高杉は絶対に死なない。何故なら雪子が助けるからだ。
攘夷戦争を終え、目的だった松陽と雪子を奪還することができた彼らだったが、平穏な日々はそう長く続かなかった。
『私は組織に戻る。お前たちはこのまま身を潜めていろ』
天導衆及び奈落の元に舞い戻る。そう朧が告げたのだ。誰よりも早く反発したのは雪子で、松陽は沈んだ顔で様子を見守っていた。
『なんでんなことしなきゃなんねーの。松陽は取り戻せたんだから、もう組織なんて私らに関係ないじゃん』
『奴らの目を逸らす為だ。このまま日常が続くとは、お前も思ってはいないだろう』
その声色は確信を含み、事実雪子も口を閉ざした。
今までの雪子だったら、きっとそれでも不敵に笑ってみせたはずだ。だからどうした、私の道に壁が現れるのなら踏み潰していくだけだと、歩みを止めることなどないだろう。
しかし雪子は知っている。組織の力はそれほどまでに大きい。朧、そして特に雪子は、天導衆にとっても大切な手駒だ。どんな犠牲を払おうと手放そうとしないだろう。
その手が松陽や幼馴染たちに伸びないとは限らない。いや、組織なら間違いなく、文字通りどんな手段を選んででも、二人に首輪を着けたがる。
『なら、私も行く』
『雪子……』
『どの道私もいないと話にならないだろ。……一緒に地獄に堕ちるんだからこのぐらい屁でもないわ』
ハッと強気に笑う姿は、やはり昔の姿と重なって見える。僅かに口元を緩める朧と視線を絡める雪子の様子を高杉が静かに見つめていると、それまで沈黙を保っていた銀時が口を開いた。
『それで、また二人で何か護ったつもりになんのか。ざけんな、自己犠牲は救いじゃねェ。迷惑なんだよ』
ゆらりと二人の正面に立った銀時はその面持ちに憤怒を浮かべていた。声音にも心情がありありと込められていて、またもや自分勝手なことをしようとする雪子と朧に対する怒りをぶつけている。
『テメーの命くらいテメーで背負える。俺たちはもうお前ら兄弟子共に背負われるだけのガキじゃねーんだ』
元々銀時達は組織に連れて行かれた松陽と雪子を取り戻す為に戦場に身を投じていた。そうして数年後、ようやく目的を達成したのに今度は雪子と朧が自ら組織に降ろうとしているらしい。
そんなことをさせてたまるか。また失わせてたまるか。一度喪失の経験があるからこそ、その恐ろしさを身に沁みて理解している彼らが、許すはずがないのだ。
銀時の隣に立つ桂が真っ直ぐな目をして言葉を継ぐ。
『同意見だな。今度の敵がどんなに強大でも、俺たちなら負けるわけがない。それに、二人きりで地獄に堕ちられるとでも? 俺たちは揃いも揃ってお天道様に顔向けできないことをしているからな。二つの首では足りんだろう』
『なんだ、私たち全員
『ははははははははは』
『あはははははははは』
───トンッ。声を上げて笑う銀時と桂の意識を、二人は同時に手刀で落とした。アイコンタクトも何もない。それでも雪子と朧は息ぴったりに行動して見せた。
崩れる男の体をそっと床に倒して、雪子は高杉に視線を向ける。
『次は俺かァ』
『抵抗しないんなら別に。……けど、そういかないのが高杉だからなぁ 』
刀に手をかける動きを見て仕方がないと笑いながら近づく女が、本当に気に食わない。
『次は天人相手に戦争ふっかけるだけじゃ、足りねェみてーだな』
『そーだね。宇宙を相手にするつもりでいてもらわないと』
『……また護られんのか』
『そーだね。それしか道がないから』
この笑顔が、昔っから嫌いだ。自分たちと一線を画するような、大人になってしまったのだと否応なく理解させられる、この笑い方。また遠くに行ってしまうと頭でわかってしまった。
『俺は、俺たちは、てめーらを護るからな。だから待ってろ。……約束だ』
雪子はキョトンとした間抜けな顔を晒し、それヅラにも似たこと言われたなぁと破顔した。あ、その顔は悪くないと思いながら高杉は刀を抜こうとして。
ふわりと柔らかい四肢が密着して息が詰まった。抜刀される前にその武骨な手に白魚のような指を滑らせると、雪子は高杉にぎゅうと抱きついたまま耳元で囁いた。
『うん。……待ってるから。約束、ね』
そして高杉の意識は無くなった。
『あのバカが……ッ』
目を覚ますと銀時が酷く荒れていた。自暴自棄になっていた。その錯乱ぶりにかえって冷静になった桂が宥めようとしても、まるで効かなかった。松陽と何やら話をしてから、一番初めにそこを出て行ったのは銀時だった。
あれは凄かった、なんて十年も前のことを思い出しても仕方がない。ただ一つ言えるのは、あの雪子が『私傷つかないようにするからお前もね』なんて約束を掲げるようになったのは、間違いなく他の連中が彼女に影響を与えた結果である。
「あのガキ共のおかげかねェ……」
「ガキ共……あ。前から思ってたけど高杉なんでそこまで知ってるわけ? 銀時が話してるとは思えないし。ストーカーなの?」
「ストーカーじゃねぇ。調べただけだ」
「ストーカーじゃん。やだゴリラと同類? 真選組屯所前に置いてこようかな」
おまわりさーん! と叫ぶ雪子に、警察はお前もだろうがと心の中でツッコんだ。
「じゃ、逆に聞くけど」
「逆か?」
「うるせー。……鬼兵隊とはどんな感じなの」
「あ? どんなって言われてもなァ」
雪子はある程度船の中を自由に歩き回り、それなりに高杉の仲間と親交を深めているようだった。「高杉の女」というステータスを存分に活かしていたらしい。
「まー高杉の仲間だからね、気の良い奴らばっかだったなー、一部例外もいるけど。春雨相手に協定取り付けた河上って男はどんな奴なの?」
「テメーの目で見てみな」
「いやいや今から江戸を離れる連中をどうやって……」
言ってから雪子はピンと来たらしく、バイクをジワジワ上昇させながら首を傾げた。
「……それ私に船に乗れって言ってる?」
「そう聞こえたか?」
静かに笑った高杉に意識しすぎだと指摘されてしまった気がした。実際はそんなことないのだけど、急に後ろに座る存在の体温を感じてしまって、ジワリと首筋が熱くなっていく。いや、これは、そういうんじゃないだろと雪子は深呼吸をした。攻撃に転じることとする。
「私に乗って欲しいの? そっかぁ、晋ちゃんは寂しがり屋だなァ」
「誰が晋ちゃんだ、寂しがり屋じゃねーよ」
いや前者は否定しないんかい。船に乗って欲しいんかい。そんなことを言われるとは露ほども思っておらず、雪子はうーんと悩むふりをした。
答えは決まっている。船には乗らない。何故なら新八と神楽と約束したからだ。後で万事屋に顔を出すと。
だから断ろうと思ったが、高杉がこんなことを言い出すのは非常に本当に珍しいので、すぐに言うのは勿体無い気がした。
「自分の……女、……が、離れるの、寂しいって?」
「なんで細切れになってんだ」
「よくこんな気持ち悪いこと言えたなって……。つーか私お前の女になった覚えないし」
自分で言ってダメージを受けた雪子だったが、そもそもそんな事実は存在しなかった。好きに利用しておいてなんだけど。
「ま、残念だけど今回は見送ろうかな。約束があるから」
「そーかィ。………その約束ってのは、………その女になった覚えがないっつーのは、ヅラのことか」
「…………?」
突然桂が話題に上がって意味がわからないという顔をする。しかし高杉にはその表情を見ることができないので、黙ったままの雪子にさらに言葉を重ねた。
「俺ァ知らなかったよ。お前、ヅラと婚約してたのか」
「は?」
「先生にも話を通したそうだな。寂しいじゃねぇか、俺にも教えてくれたっていいだろうが」
「えっ寂しいえっ」
「いつからデキてた。いつから関係を隠してた」
「待て。……待って……」
「待てるかよ。アイツ、俺らを散々煽っておいてよくもまあ掻っ攫っていけたもんだ」
「うん? え、なに? どういうこと?」
「俺はな」
落ちないように腹に回していた腕に力を込め、高杉は薄い肩口に額を当てる。その際に雪子の肩が震えたから、余計な勘違いが深まっていく。
「俺は、オメーが選んだ奴なら、腐れ天パ野郎でも自己犠牲上等野郎でも、どっちでもいいと思ってた。オメーが言うんなら、それが一番良いんだろうと。……だが」
この女のことだから、自分が納得した男を連れてくることだろう。たとえ男側が了承していなくとも、引きずって隣に立たせてくる。そんな最悪な雪子を、最悪なことに高杉は一等好きになってしまったのだ。
同時に、昔から銀時が雪子を好いているのを知っている。戦争時代に朧と雪子が一心同体へと意志を重ねているのを知っている。
だからって、それが諦めていい理由にはならないのだ。
「なんでよりによってヅラなんだ。……俺じゃ、」
「なあそれ何の話??」
俺じゃダメか、という言葉を雪子によって遮られて、高杉は面を上げた。
「私ヅラと結婚する予定ないけど……」
「あ? 嘘言ってんじゃねーだろーな」
「ちょ待て待て力込めんな折れないけど折れる! 嘘じゃねーわ、どっから湧いてきたその話!!」
「ヅラが言ってた。二年経って雪子が独身だったら自分が娶って妻にするんだと」
「なん、そっ、にっ、め、つっ、えっ!!?」
全部の単語に驚きを示されて、本当に何も知らなかったらしいとわかった高杉は、ぎゅううと締めていた力を抜く。
「先生からの許可は得たらしいが?」
「あのアホまずは私に言え!! 先生にって……えっ私ヅラと結婚するの!?」
「しねーよ。俺が絶対にさせねー」
強く断言する高杉。つい勢いで言ってしまって、あっという顔をこぼしてしまったが、前に座る雪子は気にする様子もない。
「そうだわな。ヅラって一瞬常識人に見えるけど私たちの中で一番トチ狂ってるから。本当にびっくりしたわ……」
一番は雪子なのでは……という反論は胸にしまっておく。
「つーかヅラと結婚すること自体嫌じゃないのかよ」
「うん、まあね」
「……それはヅラだからか?」
「ううん。アンタら四人となら、家族になれたらって、そう思っ……」
そこで、口を閉ざした。なんだか自分が恥ずかしいことを言っている気持ちになってきたからだ。意識しまいとしていた高杉の体温がやけに熱くて、カアアと耳が赤くなる。あれは松陽が相手だから言えたことで、他の奴に素面で言えるようなことではない。
「だー!! 今のなし、忘れろ!」
「忘れられるか!」
「無理、テメーの頭ぶん殴って記憶を無くしてやる!」
「肘鉄すんな! 落ちるだろうが!」
「落ちろ! そんで綺麗な高杉晋助として生まれ変われ!」
そう広くもないバイクの上でそんな攻防戦を繰り広げていると、ゴオオオオと重厚感のある轟音が近づいてくる。見れば高杉を迎えに来た宇宙船がこちらを捉え進軍していた。
「お迎えだって」
「はっ、逃げられて良かったな」
「逃げてねーし。そもそも約束は別件のやつ! 後で万事屋の方に顔出さなきゃなんないの」
銀時か、と口を動かした高杉に何を思ったのか。戦艦の音がうるさかったので、精悍な輪郭に手を添えて雪子は命令する。
「目、閉じて」
「あ?」
「いーから。落としたりしないって」
疑わしそうな顔を見せた後、静かに目を閉じた高杉の頭に巻かれた包帯を、雪子は丁寧に解いていく。数日前に修復を終えたのでもちろん血はついていない。真っ白なそれを空に放つと、風に吹かれてすぐに見えなくなってしまった。
すぅと細めた目が船から高杉に移り、雪子が指先で頬を撫でる。その指が目尻に辿り着くと、睫毛がピクリと動いて、くすりと笑みがこぼれた。
「ん、」
閉じられた左目を覆う瞼に口づけをした。ちゅ、と軽いリップ音がなって顔を離すと、惚けた面にはめ込まれた丸い翠玉の双眸には、はにかんだ笑顔が写っていた。
「ご褒美。今までの分の」
「………、……それにしちゃ、随分……」
「なぁに、足りないって?」
それ以上は言葉にならなかった。頭が真っ白になった高杉に、雪子は相変わらず照れた微笑みを向けている。
音がどんどんうるさくなっていく。それが船の音なのか、心臓の音なのか、高杉にはわかりやしなかった。雪子が顔を近づけてくる。こつん、とおでこをくっつけられた。
「じゃ、もっと頑張ってくれたら、もっと良いものあげる」
「もっと良いもの」
「うんとすごいの」
「すごいの」
蠱惑的な美しい顔から目が離せない。互いの吐息さえ触れてしまえる距離の中、体が硬直したように動かなくなってしまった。
視線が絡み合う。心臓がドクドク鳴っている。雪子に触れられた頬が、額が、熱い。くっついた肌が溶けてしまうと本気で思った。全身がカッと熱くなって、緊張しているらしいと手に取るように理解した女がフッと笑って、
「っ、」
「んぁ」
男の唇を舐めた。
『あーーーーーーっ!! 何してんスかアンタァ!!!』
その瞬間、高杉は空を舞った。文字通り雪子によってぶん投げられたのである。あれだけ熱かった全身が一気に冷え切って、浮遊感に包まれた高杉はくるりと一回転して船の甲板に着地する。
後ろを見ればメガホンを片手にしたまた子がハアハア肩で息をしている。武市はおやまあと目を開き、万斉は高杉から顔ごと目を逸らしていた。他の面々も似たような感じで、気まずそうにしている。
「じゃあな高杉! 次は誰もいないところで続きしよーね♡」
でっかい声で叫んでから投げキッスを披露すると、ニヤリと笑った雪子は手を振って去っていく。ブイイイィィィンと暴走族並みにうるさい騒音を撒き散らしていく姿を見つめ、高杉は色んな感情に頭を悩ませながら一言こぼすので精一杯だった。
「最悪だ……」
揶揄われたのだと気づくのが遅過ぎた。
雪子に舐められた瞬間、ゲロの味がした。
ゲロイン昇格おめでとう^^
銀魂ヒロインなのでゲロの味がしました。可哀想。いつもゲロの味がするわけじゃないんです。けどさっき吐いちゃったので仕方がないんです。ええ。
紅桜編終わりませんでした……。後一話で終わります多分。すごく長い話になってしまいましたが幼馴染たちの恋愛模様をたくさん描くことができてとても楽しいです。