「さっきから……やかましいのよ。頭の中でワンワンと。ワタクシが何もしなかったから、あの女が旦那様を……」
「ゆ、雪子殿……?」
顔を片手で覆い、ぶつぶつ妄言を吐く雪子が恐ろしく、後退りをする近藤。いつ動き出すかわからない暗殺者に警戒を強める一同とは対照的に、パトカーに備えられた無線機に手を伸ばした男がいた。
「あーあー、ヤマトの諸君」
沖田に首を絞められ、雪子に狙われ、座席でブルブル震えていた土方である。
「我等が局長近藤勲は無事救出した。勝機は我等の手にあり。局長の顔に泥を塗り、受けた恩を仇で返す不逞の輩……あえて言おう。カスであると! 今こそ奴らを月に代わってお仕置きするのだ」
『オイ誰だ? 気のぬけた演説してる奴は!』
「誰だと? 真選組副長、土方十四郎ナリ!!」
ガシャン! トッシーならば考えられない乱暴な仕草で無線機を叩きつけ、懐からタバコを取り出し、火をつけて煙を揺らす。悔しいくらい渋いカッコ良さがあった。ジ、と静かに手元に視線を落とす男が醸し出す香りが濃くなっていく。
「近藤氏。僕らは君に命を預ける。その代わりに、君に課せられた義務がある。それは死なねー事だ。何が何でも生き残る。どんなに恥辱にまみれようが目の前でどれだけ隊士が死んでいこうが、君は生きにゃならねェ」
真選組局長近藤勲がいる限り、真選組は終わらないから。
「僕達はアンタにほれて真選組に入ったからだ。バカのくせに難しい事考えてんじゃねーよ。てめーはてめーらしく生きてりゃいいんだ。俺達は何者からもそいつを護るだけだ。……近藤さん」
カッ開いた瞳孔に、吊り上がった眉。
ぶっきらぼうに下がった口角が、僅かに上がる。
「あんたは真選組の魂だ。俺達はそれを護る剣なんだよ」
土方十四郎という男の魂が完全に戻ったのだ。確信した銀時は薄ぼんやりと開かれた双眸をそろりと隣に向けた。
「へェ。妖刀に魂食われた男がよく戻って来れたな」
「妖刀だと!? そんな……、いや!!」
伊東に指摘された、土方の不可解な行動の数々が思い起こされる。アレらを理由に近藤は伊東の言うがままこの男を処断した。しかし、全てが妖刀のせいだったとするならば。
近藤はこれまでの奇行から全てを察し、後悔の念に駆られた。強く唇を噛み締めてしまい鉄の味が口内に広がったが、構わなかった。
あんな状態でも最後まで真選組を護ろうと足掻いた男を、仲間を、信じきれずにいた己はなんと……。
「近藤さん」
名を呼ぶ仲間の声に頷いた。
「なぁに。もう逃げてくれなんて言いやしないさ。……ありがとう。ありがとうよ、お前達」
覚悟を決めた男の勇ましい面が誇らしかった。
状況は最悪だ。鬼兵隊に包囲され、局長の隣には命を狙う暗殺者がいる。
それでも生きてこの場を切り抜ける、否、切り抜けなければならないと目標が一つに定まり、身の内から力が湧いてきた。
「一度折れた剣に何が護れるというのだ。土方君、君とはどうあっても決着をつけねばならぬらしい」
たとえ伊東が万斉と共にこちらに攻撃を仕掛けようとしても、今の彼らには全てが超えるべき壁に見えていた。
「剣ならここにあるぜ。よく斬れる奴がよォ」
土方は自分を散々追い詰めてくれた刃を鞘から引き抜くべく、力を込める。しかし選ばれた者にしか抜けない勇者の剣並みに抜けない。
ふん! ふん! と気合いで何とかしようとする土方を尻目に、銀時は雪子を煽った。
「で、雪子は土方くんに先越されて恥ずかしくないのぉ?」
「雪子殿?」
「近藤さん、ぐっ! 横のソイツも、俺と同じように、妖刀に魂を食われちまって、んだよっ!」
「なっ……てことは俺を殺そうとしたのも妖刀のせい!?」
「違げーだろ」
「違うでしょ」
「違うに決まってんだろ」
「違います」
「違うアル」
満場一致だった。
列車の進路をしっている万斉はバイクの速度を上げて、パトカーとの距離を詰めていく。
万斉の背後に座る男の奏でる音色が、格調高いクラシックから凶暴なメタルになったのがわかって胸が躍った。
「あっ、んなことしてる場合じゃねェ! この先の鉄橋に爆弾が仕掛けられてる! さっさと脱出しろィ!」
「何ィ!?」
「そこの女が言ってたんで、信憑性は甚だ疑問ですがね」
沖田の発言にその場にいる全員の視線が雪子に集まり、状況を把握した伊東は怒りを爆発させた。
「爆弾だと!? 僕に何も知らせずに……貴様、裏切ったのか!!」
「疑うのなら列車に乗り込むといい。その身で我等の信頼を味わえるでござる」
「世迷言を……!」
加速したバイクが、パトカーの割れたフロントガラスから身を乗り出す男を狙う。
「新八ィ! とっとと離れるぞ!」
「ハンドルが言うことをー!」
「近藤さんっ早くこっちに!」
「もう遅ェよバカ」
土方が呟くと同時に、景色が自然に変わる。鉄橋に差し掛かったのだ。
先頭車両と後方車両に挟まれたパトカー。そこを跳んで横断する一台のバイク。まばたきをする間もなくそれらは起きた。
万斉が銀時を轢き、後ろに乗っていた伊東が振り落とされ。
空間を突き抜けた二人を置き去りに、レールの上では、雪子、近藤、土方、沖田、新八、神楽、そして伊東が、走行する列車に沿って鉄橋へと運び込まれ。
死を悟った彼らを、雪子が容赦なく後方へと蹴り飛ばした。
「ゆき─────」
ドォォォン!!!!
熱が爆ぜ、大気を焦がし、世界を震わせる大爆発が辺りを包んだ。
意識が覚醒する。暗くなった視界がガシャンという音と共に明るくなって瞼を持ち上げると、雪子が瓦礫をどかしているところで、身動ぎをして気づいた近藤と目が合った。
「お、気づいたか」
「雪子殿、戻って……はっ! みんなは!」
「ん」
顎をくいと動かして雪子が指し示す方を見てみれば、座席にもたれかかるようにして土方と沖田が横になっていた。向かい合う形で神楽と新八も脱力している。みんな気絶しているようだが、大怪我は負っていないようだ。
「爆発に巻き込まれるなんてな……しかし、大した怪我はしていないか! よかったよかった」
「よくないでしょ」
近藤の記憶では、雪子に蹴られて吹き飛んだのが最後だ。しかし蹴られた箇所の痛みは残っていない。狙って爆発箇所から遠ざけたのだろう。
「さっきの話聞いてた? 私は爆弾がこの先にしかけられてるの知ってて、その上でお前らをこの列車から引き剥がさないようにしてたわけ」
「じゃあ、どうして総悟にそのことを告げた? 言わなければ俺たちは確実に死んでいた」
「こうして全員巻き込んでる時点で、作戦失敗もいいとこだっての」
気になったのは、左の二の腕から下の制服が不自然に千切れていることだった。白い柔肌が剥き出しになって、そこだけ血に濡れていないものだから、妙に目に焼きつく。
どちらにせよ、一番の重傷者は雪子であり、近藤から見れば自分達を庇って負った傷なのは明白だった。
右手で瓦礫をのかし、残りの一人を探している。
「真選組反乱を企てた謀反人、伊東鴨太郎。この男の企みは随分前からしっていた。伊東を利用し、鬼兵隊を釣り、敵を斬る。それが私の本当の任務」
「……、そうかぃ。そりゃ俺達真選組にも知らされないわけだ」
「紅桜の一件で私は鬼兵隊とも繋がっているから、奴らから情報を得ることは容易かった。真選組に仇する者を炙り出したら、もうこの男は用済みのはずだった」
雪子はまるで最初からそこにいるのがわかっていたかのように、最小限の労力で伊東を見つけた。
眼鏡は何処かに紛失してしまったらしい。床に倒れ伏しているが、わずかに上半身が上下しているので生きているとわかる。
近藤も伊東のもとへ歩み寄った。
「欲が出たか?」
「伊東を処分するよりも沖田と戦いたくなった。近藤の首は、その為に必要だった。それに……このままだと真選組を潰しかねないなって」
「ははは! 言ってくれる! 雪子殿、確かにアンタの実力ならできるかもしれねェ。けど、俺の仲間はそんなヤワじゃないんでね」
鯉口を切ると、伊東を庇うように近藤が雪子の前に立ちはだかった。背後の仲間を守るように両手を広げている。
「私は天鴉副長。天に仇なす罪人をこの手で殺すのが仕事なの。さあ、そこを退いて」
「退かねーよ。先生は死ななきゃならねー罪人じゃねェ」
「その男はオメーを暗殺しようとしたんだよ? 実行犯の私が言えることじゃないけど」
近藤は首を横に振る。
「謀反を起こされるのは大将の罪だ。無能な大将につけば兵は命を失う。これを斬るは罪じゃねェ……。俺ァ先生の上に立つには足らねェ大将だった」
「………近藤は、無能とは思わない。だけどソレを庇うというのなら、オメーを殺さないといけなくなる」
「それも困るなァ。俺は生きにゃならんのだ。そして先生も、生きて罪を償わねばならん。アンタもわかるだろう。もうここには、敵はいない」
恐ろしくまっすぐな想いを込めた瞳が、雪子の双眸を射る。女が敬愛して止まない先生と似た温度がそこにはあった。
一癖も二癖もある男たちが、この人についていきたいと思わせる、漢の器を雪子は見出した。
「ク、何を甘いことを……」
「先生! 大丈夫か!」
荒く呼吸をする伊東は、気遣って背中をさすろうとする近藤の手を振り払う。
「僕に構うな!」
悲痛な叫びだった。中途半端に開かれた五指を丸め、近藤が動きを止める。伊東は咄嗟に出た言葉を悔いるように、暫く唇を噛み締めた後、ぽつりぽつりと低く呟く。
母にも、友とも呼べない同級生たちにも、誰にも、見てもらえなかった過去。認めてほしくて努力した勉学も、剣の腕も、全て伊東を孤独にする材料にしかならなかった。
増幅するプライドと反比例して霞んでいく本心。
本当は誰かに見て欲しかった。
本当は誰かに隣にいて欲しかった。
「もうこれ以上、僕を惨めにさせないでくれ……」
男の魂にこびりついた全てをぶちまけ終えると、肩を激しく上下させて息をし、やがて完全に沈黙した。
まるで餓鬼の駄々じゃないかと己自身で気づいたからである。
己が真に欲しかったものを理解し、もう手遅れだと突きつけられて……どうしようもなくて、叫んで、喚いて。赤っ恥もいい所だ。
それなのに。
「先生。俺ァ……兵隊なんかじゃねェ、ただ肩つき合わせて酒をくみかわす友達として、アンタにいてほしかったんだ。まだまだアンタにたくさん色んな事教えてほしかったんだ。先生……」
この男は、そんな愚かな己に手を伸ばし、隣にいることを求めてくれるのか。
曇天の眼差しに一筋の光が差し込み、晴れる。
「この事態にケリをつけるんだ。そうすりゃ、俺達は肩を叩いて笑い合えるさ」
肩に手を置いて太陽のように笑う近藤と、口元を震わせて俯く伊東。そこにノイズが走った。
「そこまで言うなら、最後まで守り通して見せろ!」
「! イカンっ、先生!」
伊東の方に右腕を伸ばし、雪子が狙ったのは爆弾で吹き飛ばされた扉だったものだ。歪み、接続部が丸見えなボロボロのそれを掴むと、盾にする。
ハッとなって夜空に顔を上げた近藤の目に、ヘリコプターが映る。銃口がこちらに向いていた。
背筋をゾッとした冷たい感覚が襲う。近藤が何事か叫ぶと同時に、耳を塞ぎたくなる騒音をがなり立ててガトリング砲が火を吹いた。
ガガガガガガガ!! 断続的に撃ち込まれる砲弾の雨を薄い扉で防ぐには限度がある。
近藤が伊東を遠くへ連れて行ったのを確認すると、雪子も素早くその場から離れた。
弾切れになり、攻撃が止んだ数秒間。黒煙が立ち昇る不明瞭な視界の中、雪子は人の頭程度の大きさの破片を掴み、ヘリコプターの浮かぶ方向に向けて振りかぶる。
「ぉりゃあああァァァ!」
ビンゴである。狙いは的中し、小さな爆発と共に空中での自由を失ったヘリコプターがこちらに向かって落下しようとした。
「動くなよ」
「土方───だっ!?」
女の背中と肩を踏み台にして跳躍すると、土方は鞘に収められた刀を振り上げる。
「何してやがる! さっさと逃げやがれェェェ!!」
鞘ごと突き立てると、強度に耐えられなかった入れ物に亀裂が入り、恐ろしく鋭い刀身が露わになった。
ギュガッ!! 奇妙な機械音を鳴らして遠くへ墜落していく機体を蹴り、土方は仲間たちのもとに戻ろうとし。
「おぐっ」
雪子に足を掴まれてそのまま床に叩きつけられた。
「土方ァ……てめェェふざけんな。誰のおかげで命拾いしたと思ってやがる」
「そうだぞ土方ー。恩人への態度がなってないぞコノヤロー。雪子サンのせいで爆発に巻き込まれたけどなー」
「そこは言わんでよろしい」
そんな会話は土方の耳には届いていなかった。
叩きつけられた先、近藤に支えられるようにして伊東がこちらに手を伸ばしているからである。
本人的には優雅に差し伸べているつもりなのかもしれないが、メガネも吹き飛ばされ、血で汚れた面は思いの外必死だった。
「……土方君。君に言いたい事が一つあったんだ」
「奇遇だな、俺もだ」
「僕は君が嫌いだ」
「俺はお前が嫌いだ」
剣を握り続けた硬い掌の感覚が、お互いの掌に伝う。
「いずれ殺してやる。だから……こんな所で死ぬな」
真選組副長と真選組参謀。
初対面から一年。
決定的な軋轢がマヨネーズで上書きされ、世界線の軸がまたしてもずれた瞬間である。
「一度裏切った奴は何度でも裏切るぞ」
「お前が言うと説得力増すな」
土方は伊東の手を取り立ち上がり、妖刀村麻紗を構える。雪子もまた赤黒く塗れた白銀の妖刀をぷらぷらさせた。
視線の先は伊東であり、女のターゲットリストから外れていないのは明白だった。
「真選組の内部分裂……上になんて報告しようか。お前達が力をつけるのはなァ……」
もうこの女がここにいる理由が、天鴉副長としてか、ただの人斬りとしてか、鬼兵隊の間者としてか、御上の遣いとしてか、わからなかった。
女と対峙するようにして沖田がゆるりと首を巡らせる。
「ここまで掻き回して満足ですか? あっちこっちに尻尾を振る尻軽ビッチが」
思い切り舐めた口調だったが雪子は鼻で笑った。
今更なのだ、尻軽だのビッチだの。そんな罵詈雑言を山ほど浴びせられたし、事実その通りだから、口にするべき言葉はない。
「これ以上の犠牲は虚しいだけだ。天鴉副長、雪子殿……あなたには引いていただきたい」
遠くで野郎どもの鬨の声が聞こえる。金属音と爆発音が交互に発生しているようで、こうしている時間も惜しかった。
腹の底から出される声は力強い音になる。近藤は大将としての重みを背負い、堂々と言い放つ。
「ここから先は、俺達真選組の戦いだ」
伊東は頭をフル回転して今自分のすべきことを考える。
もうこの男の中に迷いは存在しなかった。本当の気持ちに気付かされたからだ。
正面から受け止めてくれる仲間が、正面から己を見、ぶつかってくる仲間が、己が真に欲しかった絆が、ずっと前から心の内にあったのだとわかった。
そして近藤に生きて罪を償えと言われたのだから、何がなんでも生き延びなければならない。
「……雪子、もう終わりにするアル」
「僕たちには雪子さんの事情はわかりません、でも……あなたは本当にこの人を殺したいんですか」
雪子の背中に語りかけるように、神楽と新八が不安そうな顔で言葉を紡ぐ。
女は目を細めて何事か考える仕草をする。
やがて、ふうと何かを押し殺したため息を吐いた。
そこへ黒い塊が疾風を生みながら出現する。一羽の鴉である。ぽっかり開いた通路を滑空し、雪子の肩にとまって忙しなく動き、すぐに飛び立った。
周囲は「カラス? なんで?」と疑問に思ったが、苛烈を極めた厳しい顔つきになる雪子に、そんな呑気なことは言えなかった。
「あの男……!」
駆け出す動作に入る。何か緊急事態が起きたらしい。
目の前から消える間際、土方がやけっぱちになって早口で捲し立てる。
「てめー帰ったら覚えてろよ。今回迷惑をかけられた分、きっちり支払ってもらうからな」
「やってみな」
雪子は床を踏み砕いて加速した。
風圧にぎゅと目をつむった新八が慌てて後を見れば、雪子は道すがら鬼兵隊をバタバタ倒しつつ一直線にどこかへ向かっていく。
「雪子さん、……あっ」
そういえば、バイクに吹っ飛ばされた銀さんはどこに行ったんだろう。
雪子の妖刀は、大和撫子な奥さんがグータラする夫に浮気されてブチギレした時に使われたヤツです。そんな奥さんの怨念が宿ってるらしいって、ワイドショーで見たことのある鉄子が言ってました。
あと今回で伊東が負うはずだった左腕欠損は雪子が食らってます。周りに知られないうちに腕を修復して何もなかったフリをしていますが。また片腕失ってますねこの女。