お家に帰ろう   作:睡眠人間

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運命

「おおおおお」

 

 遊屋の最上階に位置する部屋から、巨大な爆発と共に二人の人影が飛び出した。

 一人はこの吉原を取り締まる夜兎族の王・鳳仙。そしてもう一人は第七師団団長・神威だった。

 二人は常人には見えない速さで互いの攻撃を捌き、受け流し、蹴りを入れ、拳を振るう。見る者を圧倒する戦技の果てに、両者の重い拳が、ゴッとそれぞれの顔にめり込んだ。

 肉が抉れるような威力だというのに、夜兎である二人の顔には狂気的な笑顔が滲んでいる。

 この戦いに愉悦を感じているのだ。夜兎の本能のままに彼らは戦っていた。

 

「団長やめろ! 俺達の目的を忘れたか」

「よせ!! 云業」

 

 派手に穴が空いた鳳仙の部屋から屋根瓦へと云業が降りていく。二人の喧嘩を止めるためだ。しかし阿伏兎はその背中を追わず、その場で声をかけた。

 ここで水を差すような真似をすればどうなるか、想像するまでもない。

 

「団……」

 

 云業の声は途中で止んだ。神威のかかと落としによって、彼は全身丸ごと屋根に埋まったせいだ。

 パラパラと粉塵が巻き上がる視界で、神威が振り返る。

 

「ひっこんでてよ。今楽しいところなんだ。邪魔すると……殺しちゃうぞ」

 

 そうニッコリ笑顔で告げて、颯爽と駆け出していく。云業が非難の声を上げるも無視である。その様子に阿伏兎が頭を掻きながら言った。

 

「言わんこっちゃねェ。あーまた始まっちゃったよ。団長の悪いクセが。ああなるともう誰にも止められねェ」

 

 鳳仙の背後をとった神威が鋭い脚技を繰り出す。肉が潰れる感触と、その頬に返り血が飛び散った。

 しかしそれは己の血だった。鳳仙は神威の脚を受けるどころか、指で貫いたのである。不意打ちなど効かぬと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。

 神威の顔色にも動揺はない。痛みを無視した楽しそうな表情は相変わらずだった。

 

「!」

 

 鳳仙の首に両足をかけ、フリーになった両手が顔を狙う。勢いよく振り抜かれた指が目に届く寸前、鳳仙が神威の頭を掴み屋根に叩きつけた。

 ドン!! と激しい衝撃音が響く。その間隙にも、神威は鳳仙の顔を踏みつけ、鳳仙は神威の顔を掴んでいた。

 

「流石は夜王鳳仙。かつて夜兎の頂に立った男。おいそれと下克上ってわけにはいかないようだね」

「フン。下克上? 笑わせるな。神威、貴様には上も下もあるまい」

 

 互いの顔を殴りつける腕と足を、それぞれの手が止めている。物凄い力を込めているせいで、メキメキと骨が軋むようだった。

 

「あるのは強いか弱いか、ただそれだけ。弱き者は意にも介さんが、強き者はたとえそれが誰だろうと……師の儂であろうと牙をむく」

 

 鳳仙の記憶にあるのは、幼き頃の神威の姿だ。強くなるために阿伏兎に喧嘩を売り、それを当時の春雨第七師団長である鳳仙が買った。

 その頃の神威は今よりずっと幼く、荒削りで、しかし天性の戦闘技術を持ち合わせていた。夜兎の中でも選りすぐりの素質を秘めていると鳳仙にはすぐにわかった。

 

『強くなりたいか小僧。ならば己の弱さをしる事だ。強くなったと思ったらまた来い。何度でもまた地べたに叩き戻してやる』

 

 あの男の目に似ていた。鳳仙に唯一恭順せず、たった一人挑んできた男……星海坊主の眼に。

 そして神威は殴られ血反吐を吐きながら、何度も何度も鳳仙に戦いを挑んだ。それは周りの男達には無謀な戦いに見えた。蟻が象に挑戦しているようなものだと笑う者さえいた。

 しかし諦めずに食らいつく神威の姿を見て、男達はいつかこの少年はやるのでは、と期待せずにはいられなかった。

 そしてついには額に重い一撃を食らいながらも、神威は鳳仙に蹴りを入れたのである。

 

「それが夜兎の血というものですよ。古くからより強き者を……より強き力を求め戦場をさまよってきたのが我らが種族。こんな土の中に安住し酒と女に溺れるうち、その血まで渇いてしまいましたか」

 

 あれから時が経ち、神威は成長して鳳仙とも互角にやり合えるようになっていた。

 かつて師と仰いだ男の本質さえ見透かせるようになっていた。

 

「今のあなたに勝っても面白くないや。思い出してください。己が中に流れる修羅の血を。あなたの渇きは酒や女では癒えやしない」

 

 神威が淡々と言葉を重ねていく。そこに嘲りの色はなかった。滲むのは、興をそがれたことによる諦観だった。

 あの夜王と戦えるとワクワクしてはるばる地球にやってきたのに、当の本人は枯れていた。自分のつくった玩具に気を取られて、種族の本能さえ渇いてしまった老いぼれになっていたのだ。

 それがつまらなくて、呆れてしまって、水をやれば潤うのかと煽っている。

 

「───黙れ」

 

 息を呑むほど酷く重い一言が場に落ちる。鳳仙は片手で神威の顔を掴み、持ち上げた。宙に浮いた二本の足がブラブラと揺れている。

 このまま頭蓋骨を握りつぶされるか、そんなことは神威にはどうでもよかった。

 もっと鳳仙の本気を引き出すべく、挑発するように口を開く。

 

「あなたの居場所はこんな所じゃない」

「黙れといっているんだ」

「あなたの居場所は……」

 

 鳳仙はその先の言葉を拒むように、神威を建物へ叩きつけた。凄まじい速度と破壊音を生み出し、煙塵が立ち昇る。ガラガラと瓦礫が落下して、美しかった朱色の壁は見るも無惨な破片に成り果てた。

 常人ならば立ち上がることすらできまい。それほどのダメージを負ったというのに、神威にはまるで効かなかった。

 煙に混じってぼんやりと人影が揺れる。そこから一歩踏み出した脚は、汚れてはいるものの大した怪我もなかった。二歩、三歩と歩みを進めれば、やがて全身の姿が露わになる。

 神威だ。頭から壁に激突したというのに、出血さえしていない。余裕のある眼差しが鳳仙を射抜いていた。

 

「そう。俺達の居場所は戦場(ここ)ですよ」

 

 神威は床を蹴り鳳仙に襲いかかる。鳳仙も迎撃の構えをとった。

 きっとどちらも倒れる事はない。このまま戦わせても何も生むことはない。互いに傷をつけ、負傷し、吉原を破壊し尽くすだけだろう。

 それどころか夜王を怒らせたとして、自分たちが元老院に首を切られてしまいだ。

 そろそろ止めなければ我が身が危ない。本格的に阿伏兎が焦り出したその瞬間、

 

「!?」

「なんだッ」

 

 四人から少し離れた場所で、ガシャン! と大きな音が轟いた。全員の視線がそちらに向く。

 尖塔の屋根だ。彼らがいるところよりも高い位置にある塔から煙が立ち上っている。砲撃か、爆弾が爆ぜたか……そんなことが脳裏を過ぎるようだった。

 次第に煙が薄まると、塊だった影は人の形を成す。さっきの音はコイツが屋根に上から着地した時の音だったか、と阿伏兎は理解した。

 突然の乱入者に、ここはバラけるのは得策ではないと判断し、やっとのことで屋根瓦から脱出した云業のもとに駆けつける。

 

「入念に顔を隠しちゃってまァ。照れ屋なのかな?」

 

 招かれざる客を視界に入れて神威が言った。

 男だ。黒い僧兵服に身を包み、頭には天蓋を被っている。深く顔を隠す円筒状の編み笠なので、その顔までは見えない。

 鳳仙や阿伏兎、云業はその男に警戒心を強めた。

 しかし神威だけは違った。警戒よりも好奇心の方が上回っていた。強者とのケンカを邪魔されたというのに、苛立ちさえ生まれていない。その男のまとう気配を感じ取り、ピリピリと肌が粟立つ感覚に心を踊らせている。

 しかし同時に、何か……何かとても大事なことに触れているような、そんな曖昧な感覚もあった。

 それは神威にとっては未知なもので、ワクワクしつつも落ち着かない、不思議な心地だった。

 何だろう。あの男、顔も見えないしきっと初対面なのに。

 もう少しでピンと来るような───

 

「!」

 

 神威が笑顔の裏で思考する刹那、男が消えた。

 風がまろい頬を撫でる。神威が一瞬の間に感じ取ったのは、それだけだった。

 

「ッ、」

 

 カッと青い瞳を開く。神威の笑顔が引き剥がされる。

 信じられない光景が眼下に広がっていた。

 

「挨拶もなしか。無礼なッ」

「……はっ!? 鳳仙に、一撃っ……」

 

 遅れて阿伏兎が叫んだ。

 なんとまばたきする間に、乱入者が鳳仙の手のひらを錫杖で刺し貫いたのである。

 正確には、顔を狙った突きを鳳仙が手で受け止めたという感じだった。無礼を咎める鳳仙は、痛みを上回る怒りを放出する。ブワッと髪が逆立ちしていた。

 鳳仙の体を貫くということは、大木を穿つようなもの。とんでもない負荷が男にもかかっている。その証拠に、乱入者が錫杖を握る手が腕ごと震えていた。恐らく肩までイカれただろう。

 しかし、あの鳳仙の巨岩が如き肉体を貫いたことに変わりはない。

 あり得ない事態だ。

 

「失礼。挨拶などとうの昔にしていたもので。ご老人には覚えがなくて当然でしょう」

「ハッ。顔も見せぬ不調法者が。夜兎の戦いに横槍を入れるか。……貴様、何者だ」

 

 さらに男の足元には踏み砕かれた瓦が散乱している。鳳仙と力比べをし、引き分けにまで持ち込んでいる。

 夜兎を相手にそんなことができる生き物は、たった一種類しかいない。

 鳳仙の問いに男は答えた。

 

「我は天鴉。吉原の王・鳳仙よ。その命、貰い受ける」

 

 厳かな口調で言い終えると、男は負荷のかかっていないもう片方の手で錫杖を引き抜いた。ずる、と肉を引きずるようにして赤黒く染まった杖が彼の手に戻る。

 その隙を見逃さず、鳳仙が唸りをあげて腕を振り落とした。男が横に跳躍し、距離を取ろうとする。

 

「!」

「遅いわッ」

 

 しかし鳳仙の猛撃が彼を襲う。ガードは辛うじて間に合っているが、衝撃を緩和しきれていない様子で男はズルズルと後退した。その余波で瓦が粉々になっている。

 組み手のように絡む二人が通り過ぎた後は、災害に見舞われたように無惨だった。

 

「化け鴉め。天導衆直属の暗殺組織だな。お上すらも夜王を恐れて刺客を差し向けたか!」

 

 鳳仙が吼える。目の前の怪物の攻撃をいなすので精一杯なのか、男は何も答えなかった。

 その代わりに鳳仙の言葉に反応したのは阿伏兎だ。きゅっと眉を吊り上げたのは、状況があまりに理解できないからだった。

 

「天導衆〜? 幕府中央暗部にも夜兎が紛れ込んでたってのか? ……まあ天人が支配してる星だ、そうなっててもおかしかねェ。が……」

 

 顎を撫でて目を細める。のらりくらりとした眼差しが、男に鋭く向けられた。

 

「なんで同族がこんな辺境の星に。政府の秘蔵っ子だろ? 雇われたか?」

「いや、聞いたことがある。……三十年ほど前、天人はこの星とドンパチやる前に遠征部隊を送り込んだ。本隊が乗り込む前の下調べとしてな。その中に、なんでも夜兎が紛れ込んでいたとか」

「……じゃ、あれがそうだと?」

 

 云業の話に阿伏兎が首を傾げる。僧兵服の男を指さしながらそう言えば、云業は曖昧に頷いた。

 男の顔は編み笠で隠れていて、肌の露出はほとんどない。年齢感はわからないが十分あり得る話だ。阿伏兎や云業よりずっと年上なのかもしれない。

 そうか。つまりあれが哀れにも群れから引き剥がされた老兎か、と阿伏兎は息を吐く。

 夜兎は一人一人が一騎当千の戦力を誇る。それなのに暗殺部隊に所属し命を捧げているということは、独りぼっちだった彼は天導衆に見つかり、政府に飼い殺しにされているのだ。

 ここは地球。同族なんていやしない。男は今この瞬間まで、ずっと孤独だったのだ。

 血を愛で、同族に仲間意識を持つ阿伏兎にとって、それは想像を絶する寂寥だった。

 

「傭兵代わりに暗殺家業かい。俺達はどこに行っても血に濡れる宿命なのね」

 

 少しの同情心を抱いた阿伏兎は、男に少しだけ柔らかくなった目を向ける。

 と、そこでようやく団長の異変に気づいた。

 神威はさっきから微動だにしなかった。同じ夜兎、しかも鳳仙に一撃を与えたかなりの上物が飛び込んできたのに、二人の戦いに乱入していない。

 阿伏兎の位置からは神威の横顔が見えるだけだったが、何を思っているかまるでわからなかった。

 

「団長、あんた……、!」

 

 思わず阿伏兎が声をかけたその時、神威がようやく動いた。

 屋根を踏み砕くほどの力を込めて駆けると、乱入者の背後に姿を現す。

 

「っ!」

「お。反応速いね」

 

 鳳仙を相手しながら躱せるはずのない一撃を、しかし男は回避した。片足で器用に鳳仙の体を踏み台にし、くるりと一回転して見せる。

 だが挟み撃ちの状態だった男が、次の一手を逃れることはできなかった。

 地に足をつける前に男の胴に両足を巻きつけ、神威は両手で男の顔を編み笠ごと貫こうとした。

 

「視界悪いでしょそれ。外してあげる」

「ブッ」

 

 体を拘束されているために回避は不可能。首を曲げることで貫通は防いだが、編み笠は弾き飛ばされ、瓦屋根をコロコロ転がっていった。

 隠すものがなくなったことで、男の髪が風にさらわれる。神威の手が頬に当たったので、口内の血をプッと吐き出してから男がゆるりと神威を見上げた。

 どれどれと神威も乱入者の顔を覗き込む。

 両者の視線が絡み合った。

 

「───」

「───」

 

 ───その瞬間、世界が色を失った。

 意識も呼吸もすべて奪われ、ただ魂だけが叫んでいた。

 ……この男が自分の運命だと。

 その衝撃が互いの胸に広がった。

 

 男は存外中性的な顔立ちをしていた。中性的というか、女っぽい。切れ長の目が涼しげで、顔を殴ってきた相手を睨めつける表情はキリリと鋭い。まんまるな目をした愛嬌のある顔つきの神威とは対照的である。

 しかしそんなことはどうでも良かった。顔の造形なんて興味もない。相手が男っぽいか女っぽいかなんて、神威にとっては関心外だ。

 ただ彼の心を引いたのは───本能。それが答えだった。

 

「あっ」

「?」

 

 突然神威が無防備な声をあげたので、男が不可解そうに眉根を寄せる。

 ───おっ勃った。

 神威の本能が叫んだのだ。この男はとんでもなく強い。自分はこの男に殺される。お前は死ぬ。さっさと子どもを作れと遺伝子が判断した。だから勃った。相手の顔を見ただけなのに。

 同時に混乱もした。この男が運命の相手だと本能が告げている。番うべきだと叫んでいる。

 性別・男をそういう目で見たことがなかったから、処理に時間がかかった。

 ともかく混乱をしたので……神威は「えっと、とにかく何か喋らなきゃ」と思って、にこやかに人差し指を立てて言った。

 

「お姉さん……いや、お兄さん? ありゃ、てっきり女の人かと思ったんだけど。棒は生えてるのかな?」

「そんなに棒が見たきゃくれてやるよ!!」

 

 男も運命の相手と出逢って混乱しているはずなのに、神威の発言を受けて乱暴な口調で錫杖を投擲した。

 わ、と神威が小さくジャンプすると、股の間を神速の棒が通り抜ける。危うくドーナツになるところだった。玉がヒュンとなったので、おかげで萎えたけど。

 

「あはは! いいね、君は地球の暗殺者なのか!」

 

 混乱はしたが、もう治った。正確に状況を判断できるようになると、神威の調子は完全に戻る。

 男が鳳仙に一撃食らわせたのを目の前で見た。そして本能で彼の強さを悟ったから、今やその強さに夢中だった。

 男を初めて見た時に覚えた、あの不可解な感覚。あれは運命の相手だと確信するまでの、ほんのわずかな猶予に過ぎなかったのだ。

 そして今、本能が告げている。自分はこの男と結ばれていると。

 自覚した途端、胸の奥が晴れ渡った。今生で一番澄み切った気分だった。

 

「君すごく強いよね。この星で生まれ育ったの? それとも血を求めて彷徨って辿り着いたの? 一人で強くなった? 仲間はいる? 暗殺者ってどんな技を使うのかな、すごく見たいなぁ」

 

 神威の口は楽しそうに回る。その顔には輝くような笑顔が舞い戻っていた。

 一方的に言葉を投げかける合間にも、必殺の技を繰り出している。しかし男はいなし、躱して、着実にやり返していた。神威もまたそれを受け流す。凄まじい戦闘だ。

 拳と蹴りを交えるたびに思考回路がすっきりしていく感覚だった。雑兵を蹴散らしていく時とは比べ物にならない高揚感が、神威の全身を包み込む。

 ───愉しい。この男との手合わせだけをずっとしていたい。この男とやり合うために今まで生きていたんだ。

 そう思うほどの多幸感、恍惚、歓喜。それらが神威の脳味噌を支配している。

 鳳仙と戦った時と同じ……いや、それ以上のハイテンションで戦闘に没入していく。

 あーあ、と阿伏兎が呆れるように言った。

 

「鳳仙の旦那が期待外れだった分、奴さんに期待が集中するな。こりゃ」

 

 神威は第七師団では敵なしだった。いや、春雨ももう神威にとって脅威ではない。一個人では途方もない強さを持つ神威と対等にやり合えるのは、きっと鳳仙と星海坊主くらいだった。

 だから神威は鳳仙とやり合えることに期待し、地球までやってきた。

 しかし鳳仙は枯れていた。神威の求める強さは既に朽ちていたのだ。神威はそれに失望し、興味も失せた。そのはずだった。

 

「俺の居場所はここだったんだ!」

「ごちゃごちゃうっせーぞ、集中しろッ」

 

 有頂天に叫び、ボルテージを上げていく神威。誰もついていけるはずのない領域に、しかし男はぶつかっていく。

 鋭い四肢が互いを傷つけてもなお、攻撃の意思が止むことはなかった。

 普通の人は痛みを感じると弱くなる。痛みから自分を守るためにガードを選択する。しかしどんなに痛みを感じても加害心が高まったままなのが、夜兎の特性だ。耳を噛みちぎられ、腕をへし折られても、魂が叫ぶまま血を流す。

 そしてこの二人の素質は別格だった。

 

「はああああッ」

「うおおおお!」

 

 神威の蹴りが男の腹に直撃し、血が噴き出る。そして男の拳は神威の胸元を抉っていた。すぐに二撃目を繰り出し、また新たな血風が巻き起こる。

 両者共にダメージは蓄積されているのに、勢いが弱まるどころか苛烈になっていく。

 死ぬまでこの二人は互いだけを見て戦っていくんだろう。阿伏兎にはそう思えるほど、彼らは二人だけの世界に没入している。

 だが、このまま戦わせると相打ちになってしまう。それは困る。しかしこの戦いを止めるには、自身の命を天秤にかけても釣り合わない。

 どうする、どうする……と阿伏兎が懸命に思考を巡らしていると。

 

「!」

「ッ、」

「目の前の相手に溺れるとは。若いのう、ぬしら」

 

 突如、二人の攻防に割り込んだ鳳仙の一撃が、神威と男を吹き飛ばした。モロに食らった二人の体が瓦を削り滑っていく。立ち上がるには時間がかかるはずの負傷に、しかし二人はすぐさま姿勢を整え反撃に出た。

 

「最高だよ! 役者は一人欠けてるけど、ここいらで一旦決めようか。───真の夜王を」

「くたびれた玉座に用はねェよ。誰が強ぇかわからせてやるッ」

「小童どもがいきがるな! 王とは奪うものではない。恐れられ、ひれ伏され、気づけば頂に座しているものよ。貴様らがそれに成ると? ───笑止千万!」

 

 鳳仙か、神威か、男か……誰が誰を狙うかもわからない極限状態で、戦いはさらに混沌を極めていく。

 夜兎としても最上位のランクに君臨する男たちの戦いには、この一帯はあまり狭い。次第に戦場は屋根から別の屋根へと移り変わり、戦闘もより立体的になっていく。

 あちらこちらで足蹴にされた瓦が飛び散り、落下し、はるか下から人々の悲鳴が聞こえてくるほどだった。

 それでも三人は止まらない。狂気的な笑みを浮かべて、血を浴びることに狂喜する。

 

「こりゃあ……ぶっ壊れるな、この国」

 

 元老院になんて言い訳しよう。

 阿伏兎は大きなため息を吐いた。








星海坊主がマミーを見つけた時におっ勃ったように、神威もそうなりました。遺伝ですね。
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