「君の名は。サヤチン」   作:高尾のり子

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第4話

 

 

 私は朝起きて、サヤチンの部屋じゃなくて自分の部屋にいたから、自分が自分なんだろうって、おっぱいの大きさで確かめた。

「……小さい……、お腹すいた……サヤチン、ありがとう、あんまり食べないで過ごしてくれたんだ……それに引き替え、私は焼肉食べ放題の後に、お寿司まで……ホント、ごめん。…あ! でも、私の身体で、おもらしなんかして……ぅうっ……テッシーに、どんな顔して会えばいいんだよぉ………テッシー、ちゃんと約束通りに黙っててくれるかなぁ……学校で笑い話なんかにされたら、もう学校いけなくなるよぉ……人前で漏らしたなんて、恥ずかしすぎ……」

 悩んでると、寝てる間も着けてたらしい腕時計に気づいた。

「これをプレゼントされたんだ………テッシーからサヤチンに……? ……私に? う~ん……複雑だなぁ……とにかく、これはサヤチンが私でいるときだけ使うものだから、片付けておこう」

 私は机の一番上の引き出しへ腕時計を入れて、そのことを忘れないうちにスマフォで送ってから、着替えて一階におりた。

「おはよう、四葉、お婆ちゃん」

「おはよう、お姉ちゃん」

「おはよう、三葉」

「………」

 四葉もお婆ちゃんも、この頃の私が、ときどきサヤチンになってることに気づいてない感じ。サヤチンとは小さい頃からの友達だから、うっかり呼び間違えない限り、けっこうお互いに成りきれるもんね。お腹すいた、朝ご飯、朝ご飯。

「「「いただきます」」」

「今朝のニュースをお伝えします。まず、海外から、アルゼンチンで起きた暴動では2500人以上の死傷者が出たとのことです」

「この卵焼き、美味しい。これ、四葉が作ったの?」

「そうだよ。隠し味にバターを入れてみたの」

「すごく美味しいよ。また作ってね」

「いいけど、微妙にお姉ちゃん、当番をサボるよねぇ」

「ごめん、ごめん」

「昨夜未明、長野県内の高速道路にてトラックと乗用車の事故があり、乗用車に乗っていた家族連れ4人が亡くなったとのことです。一家は東京のテーマパークを訪れた後、深夜に帰宅しているところを事故に遭ったとのことで、長野県警では事故の原因を詳しく調べ…」

 四葉が箸を置いてテレビを見た。

「遊園地に行った帰りかぁ……両親と姉弟……みんな死んじゃったんだ……かわいそう」

「うん、こういうのが一番、かわいそう。でも……せめて行きじゃなくて帰りだから……最期に遊べたんだねぇ」

 私もテレビを見て言うと、お婆ちゃんも箸を止めた。

「ほんにね。せめて、苦しまんと一瞬で済んでおったらねぇ……。三葉、四葉、はよう食べて、学校に行き。もう時間よ」

「「はーい」」

 お代わりしたいくらい、お腹がすいてたけど、せっかくサヤチンが食べないでいてくれたから、我慢する。きっと電車での移動が長かったから、夕飯が遅くなって遠慮してくれたんだと思うし。遊園地では何を食べたのかな、訊いてみよ。カバンを持って通学路に出たら、テッシーとサヤチンに会った。

「おはよう、三葉。…………」

「おはよう、三葉ちゃん。………」

 二人の視線が私の左手首に集まってくる。テッシーが残念そうな顔をして、サヤチンが安心した顔をしてくれた。

「うん、おはよう、サヤチン、……テッシー」

 テッシーに言っておかなくちゃ、絶対、昨日の出来事を学校で言わないように。今なら私たちしか近くにいないから、釘を刺しておける。

「テッシー、昨日のこと学校で誰かに言ったら、ヤダよ!」

「……。あ……ああ、……わかったよ……」

 返事の歯切れが悪いから、すごく不安になる。私は怖い顔をつくって真剣に言う。

「ホントに言わないでよ! 言ったら絶交だから! 超怒るから!!」

「ああ……言わないよ……昨日は、何もなかった……そう想っておくから……」

「三葉ちゃんとテッシー、昨日、何かあったの?」

 サヤチンが訊いてくる。知ってて訊いてくるなんて、ひどいよ、っていうか、サヤチンじゃん、お化け屋敷でおもらししたの。う~っ……この羞恥心とカロリーが相手持ちになる入れ替わり現象、なんとかならないのかな。

「ねぇ、ねぇ、何かあったの? ここは訊くタイミングだよね?」

 ぐぅぅ……、たしかに表面的な会話の流れだと、訊く方が自然だけど、知ってるくせにぃぃぃ、っていうか、自分が漏らしたくせにぃい。

「何もないから! そうだよね?! テッシー!」

「…ああ、……とくに何も無かった。……遊園地に行って帰ってきただけだ……。悪かったな、サヤチン。優待券が2枚しか無くてさ。ごめん」

 そんな悲しそうな顔して、よっぽど、昨日のことを学校で面白可笑しく言うつもりだったのかな、ホント、釘を刺しておいて良かったよ。

「いいよ、気にしないで。私の家はドライブに出かけたし」

「そうか。どこに行ったんだ?」

「えっと……焼肉と…お寿司…だったかな」

「おおっ、豪勢だな。美味かったか?」

「うん、美味しかったよ」

 たぶんね、って顔をされた。はい、美味しかったですよ、ごめんなさい。学校に着いて女子トイレに入ったタイミングで訊いてみる。

「私の身体は、昨日は何を食べたの?」

「朝は電車の中でオニギリと飲み物。お昼は克彦におごってもらってホットドックのランチで、夕食は帰ってから残り物を軽くだよ」

「そっか……ごめんね。……体重、増えてなかった?」

「怖いから、まだ計ってない」

「……ホントごめん」

「もういいよ。私も、とんでもないことしたし」

 サヤチンが思い出して恥ずかしくなったみたいに顔を赤くして口元を手で押さえた。

「克彦に学校で言わないよう釘を刺してくれて、ちょうど良かったよ」

「ぅぅ………言われたら私、学校に来れなくなるよ」

「クスっ…ごめんね。それはそうと、今日と明日、実力テストあるよね、それが終わったら修学旅行」

「うん、そうだね」

「入れ替わりが起こると、ややこしそうだね」

「……たしかに……」

 そう言ってるうちにチャイムが鳴って、私とサヤチンは教室へ戻って実力テストを受けた。実力テストは期末テストと違って、実力で受けるものだ、っていう考え方が糸守では一般的だから、とくに準備はしない。今日は3教科、明日は2教科で、その後は修学旅行への準備になる。今は自分の身体だから、いつも通りに3教科を受けて、放課後になって三人で帰りながら話す。

「三葉とサヤチンは、どうだった?」

「私は、まあまあ」

「私も、まあまあ」

 サヤチンと私の成績は、あんまり変わらない。テッシーも似たようなもの。

「そうか。そう言われると、オレも、まあまあだ」

「「明日は…」」

 サヤチンと同時に言いかけたから、譲る。

「「どうぞ。…………いやいや、そっちが、どうぞ」」

「お前ら、面白いな。ははは!」

 テッシーが笑ってくれた、今日一日なんか暗い顔してたから、よかった。

 

 

 

 翌朝、また私はサヤチンになってた。もう半分、住んでる気になってくるサヤチンの部屋で起きて、朝シャンしてるお姉さんの横で顔を洗って、学校へ向かう。通学路で出会ったテッシーに挨拶した。

「おはよう、テッシー」

「おう、おはよう。今日も実力テストだな」

「そうだね。………」

 実力テスト、私が受けるのは名取早耶香の分になるんだよね、いいのかな、そんなことで、なるべく頑張ろう。あ、私が来た。やっぱり、お母さんに似てる。

「おはよう、三葉。……」

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、克彦、サヤチン」

 あの腕時計が私の左手首に巻かれてる。私の顔が、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。

「これ、ありがとうね。気に入ってるよ」

「お…おう! 気に入ってくれて、よかったぜ!」

 二人の想い出になってるみたいで、よかった、よかった。学校に着くと、サヤチンが話があるからって、二人で女子トイレの個室に入った。ここなら、呼び間違えを気にしないで、お互い話せる。もちろん、あんまり大きな声で、サヤチンの声なのにサヤチンって呼んだり、私の声が三葉ちゃんって呼んでると、個室の外まで響くと、聴いた人が違和感もつから、小声で話してる。

「サヤチン、何?」

「今日の実力テストなんだけどさ、さっき思いついたんだけど、氏名の欄にお互いの名前を書けば、それで自分の分は自分で評価されない?」

「あ! そっか! そうだよね!」

「まあ、似たような成績だけどさ、これでフェアだよね」

「うん、サヤチン、頭いい!」

 作戦会議を終了して個室から出ると、他の女子から言われる。

「この頃、よく二人で個室に入ってるよね。なんか怪しい関係?」

「別に、何もないよ」

 さらっとサヤチンが私の声で答えた。なのに、まだ、からかってくる。

「実は秘密でキスしてたりして」

「っ、まさか。そうだとしてもトイレじゃ雰囲気ないよね」

「おっぱい、吸ったり吸わせたりかな? 授乳室が無いから、トイレになるのかな?」

 ドキッとして、慌てて言っておく。

「そんなことしてないよ! あるわけないじゃん!!」

「「………」」

「もう高校生なんだから、おっぱい恋しいはずないよ!」

「……サヤチン、そんな力説しなくていいから。冗談だから」

「………ぅぅ……」

 力説したから逆に疑われたでしょ、って目で見られた。しかも自分の目に。からかった女子は、もう行ってしまったから、小声で釘を刺される。

「あんなカマかけにもなってない冗談にのって自白みたいに言ったら、変な噂を立てられるよ。そうでなくても克彦との距離感がビミョーに難しいんだしさ」

「う、うん。ごめん」

 あの夜以来、もちろん、おっぱいを吸いたいとは思ってない。あの夜は特別、お母さんが恋しくて気がついたら、そうなってた。なんて恥ずかしい記憶、いっそ消してほしい。

「ほら、そんな真っ赤にならないの」

「…ごめん……」

「クスっ、また吸いたいの?」

 サヤチンが私の唇で怪しく微笑んで、私のおっぱいを手で持ち上げて見せた。

「ぅぅ……からかわないで……もう、そんな気持ちないよ…」

「よかった。本気で吸いたいって言われたら、どうしようかと思うから」

 トイレを出て、いよいよ実力テストを受ける。作戦通り、私たちは氏名のところにお互いの名前を書いて2教科とも提出したけれど、お昼から修学旅行の準備で班ごとに別れての話し合い中にユキちゃん先生へ職員室へ呼ばれた。

「宮水さん、名取さん、ちょっと訊きたいことがあるの」

「「はい」」

「あなたたち、このテスト、何か不正をしてない?」

 ユキちゃん先生が午前中に受けた実力テストを机の上に出してる。私は怖くなって背中に汗が浮いたけど、サヤチンは落ち着いて答えてくれる。

「いえ、何も。どこか、おかしいですか?」

「筆跡は、どちらも似ているけれど……集めたときの席順と列から考えて、名取さんの用紙を宮水さんが書いて、宮水さんの用紙を名取さんが書いて出したように感じられるの。しかも、2教科とも」

 ぎくっ……しまった……そっか、回収するときの席の位置があったよ……どうしよう、素直に謝ったら許してくれるかな。筆跡は、もともと似てたし、さらにお互いの身体に入ってると、ほとんど私たちでも見分けがつかないけど、席順はナ行とマ行だから、けっこう遠い。列ごとに集めるから、束の中での位置で検討がつくんだ、どうしよう。謝ってしまう方がいいかな、でも入れ替わりなんて信じてくれないから余計にふざけてるって思われるかも、どうしよう、どうしよう。

「先生、それは偶然じゃないですか?」

「宮水さん、偶然というのは2度は生じにくいものですよ」

「一度あったことですし、二度もあるかもしれませんよ。集める人が何か寄り道して私や名取さんの分をテテコにしたか」

「……そういうことも……あるかもしれませんが……」

「それに、自己採点の結果で、私は87点と82点でしたけど。サヤチンは、何点だったっけ?」

「え、えっと……83点と85点かな」

「先生、二人の差は1点です。こんな不正をする意味があるんですか?」

 サヤチン、すごい、うまい。先生が考え込んでる。

「……そうですね……わかりました。もう、いいです。変な疑いをかけて、ごめんなさい。教室に戻ってください」

「はい」

「はいっ!」

 私たちは教室に戻る途中で女子トイレに入った。まわりに人がいないことを確認してから個室に入って抱き合う。

「サヤチンすごい! 嘘つきの天才!」

「はぁぁ、びっくりしたね! 席の位置は盲点だったよ!」

「うん! 私なんて、もう白状して謝ろうかって思ってたもん!」

「こういう嘘はつくなら、最期までつき通さないとね。ま、うちは役場勤めの家系だし、官僚的テクニックって感じかな」

「サヤチン、冷静ですごいよ。私なんて冷や汗かいたもん!」

「私も汗はかいたよ。ほら」

 言われてみると、私の身体も汗をかいて制服が少し濡れてる。匂いが、お母さんと同じ匂い。いい匂いがする。

「匂いまで嗅がなくていいから」

「テヘッ…」

「次からは、もうやめないとね。これから、入れ替わりが続くなら、同じくらいの成績になるよう、同じくらい勉強するか、だね」

「そうだねぇ、いつまで続くのかな……終わるのかな? 終わらなかったら困るような……淋しいような」

「そうだね。続くのも困るけど……終わるのも淋しいね……」

 サヤチンが手首の腕時計を見つめて言う。

「そろそろ出ようか、あんまり個室に入ってると、また変な疑いを受けるし」

「うん」

 たしかに、内緒話するときに個室に入るのは普通のことだけど、これだけ頻繁だと周りが変に思うのも当たり前かもしれない。私たちは教室に戻って班での打ち合わせを再開する。班は6人でテッシーもいて、他の3人は仲が悪くもないけど、良くもない普通のクラスメートだけど、その3人同士は仲がいい。だから、たぶん自由行動では班は二手に分かれて、いつもの3人って感じになるはず。しばらく話し合いが進めてたとき、サヤチンが席を立った。

「ちょっと買い出しにコンビニまで行ってくるよ。荷物持ちに男子一人、ついてきて」

 そう言ってテッシーの肩に私の手をおいた。

「おう、わかった」

「じゃあね、サヤチン。何か欲しいものあったら、メールして」

「あ、うん。私も行こうか?」

「二人で十分だよ。残って、打ち合わせの続きしておいて。私たち3人の全権代理として」

「そうだね。一人は残らないとね」

 二手に分かれるとしても、あんまりバラバラじゃダメだから、私たちの意見を反映する役割もいる。私は、その役割をこなして行きたいところを言っていく。一時間くらいして、だいたい決まった。

「テッシーと三葉ちゃん、遅いなァ……」

「「「…………」」」

 他の班員が私を見て、すぐに地図を見る。さらに一時間くらいして二人が帰ってきた。

「ただいま、遅くなって、ごめんね」

「遅いよ、コンビニだけじゃなかったの?」

 注文したジュースを受け取りながら言った。

「ごめんごめん。ついつい」

「悪いな、サヤチン。ちょっと立ち読みしたりしてさ」

「またムーでしょ?」

「いやいや、コンビニにムーは置いてないぞ。あれは某サイトから注文してるんだ。そしてオレはムーを立ち読みしない。必ず買う」

「はぁぁ……もういいよ。だいたい行き先、決めたけど、これでいい?」

 二人に見せた行程表に頷いてくれたから、今日の仕事は、だいたい終わりだった。

 

 

 

 朝、私は自分の部屋の天井を見上げて理解した。

「今日は名取早耶香というわけ……」

 本来の自分なのに、なんだか淋しい。とくに手首に巻く腕時計が無いのが、淋しい。その想いは克彦も別の意味で感じてくれるみたいで、通学路で三人が出会ったとき、三葉ちゃんの手首を見て、淋しそうな顔を一瞬だけした。

「…。おはよう、三葉」

「うん、おはよう、テッシー」

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、サヤチン」

 いよいよ明日から修学旅行。最終的な準備をする日。一応は学習の機会なので、行き先のことを図書館で調べたりとか、そんな準備の日だけど、結局はみんな遊び気分だから教室で話したり、コンビニへ行ったりと、のんびりになる。

「オレ、買い出しに行くけど、三葉、いっしょに来ないか?」

「う~ん……また、立ち読みで遅くならない?」

「……。いや、……そうは……ならないようにするけど…」

 昨日、別に立ち読みなんかしてない。二人で公園で話していただけ。ついつい楽しくて二時間も経ってしまったから、とっさに克彦が思いついた言い訳が立ち読みだっただけ。だから、三葉ちゃんの質問は克彦には変に思えるかもしれない。

「…そうか。……まあ、今日は、そんな気分じゃないのか……そうだよな……」

「立ち読みは、お店の人に迷惑だよ」

「……そうだな……」

 あんまりにも淋しそうだから、私が言う。

「今日は私が、いっしょに行きたい」

「……ただの買い出しだぞ?」

「昨日、留守番させられたもん。だから、行きたい」

 ごめん、三葉ちゃん、今日も留守番してください、って視線を三葉ちゃんは受け取ってくれた。

「二人で行ってきたら。私は、ちょっと身体がダルいし、動くのヤダ」

「そうか。………じゃあ、行こうか、サヤチン。三葉、注文あったら送れよ」

「うん、よろしく」

「ごめんね、行ってくる」

「ゆっくりでいいよ」

 気をつかってくれた三葉ちゃんに目線でも謝ってから、克彦とコンビニへ向かった。けど、昨日、二人で話し込んだ公園へ誘ってみる。

「ちょっと寄り道しようよ」

「……まあ、いいか…急ぎの用はないし…」

 克彦と公園に入って、昨日と同じブランコに座ったら、克彦が目を擦った。

「うわっ……既視感……デジャヴ……」

「どうしたの?」

「いや、昨日と、そっくり同じように見えて……ちょうど、三葉が、そんな風にブランコに座ったから」

「……そうなんだ。二人で寄り道してたんだ?」

「ぅっ……ちょっとだけな」

「克彦は嘘が下手だねぇ。あ…」

 うっかり、呼び方を間違えてしまった。克彦も違和感をもって、こっちを見る。

「ん?」

「………ってね! そろそろ高校生だしテッシーって呼び方、微妙に子供っぽくない?」

「まあ……そうだな……ネッシーに似てて気に入ってるけどな」

「………」

 違うよ、三葉ちゃんが考えたから気に入ってるんだよ。

「私はね、自分のアダ名、あんまり気に入ってないよ」

「そうなのか?」

「だって、女の子にチンはないと思わない?」

「……それは、……そうかもな……」

「できれば、そろそろ卒業したい。どうせ、呼ぶなら、早耶香って名前か、それがダメなら、君とか、お前とかの方がいいよ。サヤチンは、卒業したい。考えておいて」

「……ぉ…おう……わかった。そろそろ行こうぜ。いつまでも公園にいたって、しょうがない」

「そうだね」

 昨日は二時間も、いっしょにいてくれたのに。それでも、いっしょにコンビニに行けるだけで嬉しい。でも、手をつないだら、もっと嬉しいんだろうな、私の手で。

「なあ。サヤチ……」

「変なところで止めなくていいよ。気をつかってくれて、ありがとう。どうしたの?」

「三葉のことなんだけどさ」

「…うん、三葉ちゃんが、どうしたの?」

「あいつ、あそこまで気分屋だったか? 前から」

「…………どうなのかな………」

 ごめんなさい、克彦、それは、あなたを好きでいる人格と、友達としか思ってない人格の違いだよ、とてもとても大きな違いだよ。困惑させて、ごめん。

「いらっしゃいませ」

 コンビニ店員のおばちゃんが挨拶してくれる。そして余計なことを言う。

「あら、昨日と今日で彼女が違うのね。さすが、御曹司」

「おばちゃん、御曹司はやめてくれって」

 糸守町のコンビニで働いてる人は、みんな顔見知りだったりするから、おばちゃんたちも遠慮がない。オーナーのおじさんまで話に乗ってくる。

「いつも両手に花で羨ましいね」

「もう、いいから、仕事しててくれよ」

 あんまり色々言われるのは私もイヤだから、ささっと商品を買って店を出た。学校に戻ると、三葉ちゃんがダルそうに机で寝てた。

 

 

 

 翌朝、また私は三葉ちゃんになってた。今まで以上に慣れ親しんだ三葉ちゃんの部屋で起きる。

「修学旅行の初日に三葉ちゃんで行くのか……幸運なのか、そうじゃないのか……」

 私は机の引き出しから腕時計を出して、それを三葉ちゃんの左手首に巻いた。そして、目まい、腹痛、軽い頭痛、下腹部の気持ち悪さを覚えて、机に手をついた。

「ううっ……この感じ……二日目かな……」

 同じ女子なので、わかる。月経だよ、この感じ、しかも三葉ちゃんは正確に28日周期でくるけど、症状が重い方で、つらい。

「ついてないなぁ……旅行初日が二日目なんて……」

 三葉ちゃんが不運なのか、私が不運なのか、とりあえず枕元にあった鎮痛剤を飲んで、ナプキンも枕元に置いていてくれたから、それをトイレで交換してから着替えた。この入れ替わり現象、女同士で起こってるからいいようなものの、もしも男と入れ替わってたら、破滅的に最悪なんじゃないかな、ホント。

「うう~……」

「あ、お姉ちゃん。あの日?」

 一目でわかりますか、小学4年生。

「……う~……四葉って、もう来てたっけ?」

「まだだよ。大変そうだね、毎月毎月」

「あぁぁ……痛い……ダルい……」

 私の月経の3倍、ううん、5倍くらい症状がきついかな。いつも三葉ちゃんが苦しそうにしてたのが、わかるよ。結局、痛みって、その本人にならないと、わかんないよね。男には絶対、わからないよ。

「はぁぁ……」

「今日から修学旅行なのに、ついてないね」

「ホント最悪。温泉も入れないし」

 私は三葉ちゃんの身体を引きずって大きなバックを持って外に出た。ちょっと遅かったから、すでに克彦と三葉ちゃんが私の身体で待っててくれた。二人とも修学旅行のための大きなバックを持ってる。

「おはよう、三葉。………」

「おはよう、三葉ちゃん。バック持ってあげるよ」

 元気そうな私の身体で三葉ちゃんがバックを持ってくれた。それでも私がフラつくと克彦が支えてくれた。

「大丈夫か? ……君、顔色悪いぞ」

 ちゃんと、約束通りに君って呼んでくれて嬉しいけど、今はそれどころじゃないくらい、しんどい。

「…うう~……痛い……」

「どうしたんだ? 修学旅行、大丈夫か?」

「うん、ただの、あの日だから心配しないで」

「うわわっ?! そういうこと男の子に言わないでよ!」

 私の顔が真っ赤になって恥じらってる。三葉ちゃんはホント恥ずかしがり。

「…ハァ…ハァ…どうせ、すぐバレるし……言わないと心配かけるでしょ…。それに、いつも、だいたいバレてるよ…ハァ…」

「お前、ホントに今回、とくにつらそうだな」

「…ハァ……ハァ…」

 うん、ある意味で初体験、初潮ですから。

「チャリに乗せてやるからさ。おい、サヤチン、悪いけど、二人分の荷物をもって歩けるか?」

「うん、頑張る! カロリー燃やすよォ!」

 三葉ちゃんが気合いを入れて、左右の私の肩へ、修学旅行用の大きなバックを二つ、担いでくれる。宮水三葉と名取早耶香の荷物を三葉ちゃんが持ってくれて、克彦の荷物はチャリの前に載ってる。こういうとき、たいてい男子の方が荷物が少ない。私は月経による体調の悪さで、どうにも歩くのもつらいから、二人の好意に甘えた。

「よし、じゃ、オレら先に行くぞ」

 克彦が私を乗せてくれて、学校に向かってくれる。私はフラつかないように克彦の腰へ腕を回した。ああ、ここに抱きつくの、お化け屋敷以来だよ、つらいけど、幸せ。でも、幸せな時間って、すぐに終わってしまう。克彦が頑張ってくれたおかげで、学校に到着して、本当は校庭に整列して点呼しなきゃいけないけど、私は事情をユキちゃん先生に話して、バスに乗せてもらって座ることができた。

「……ハァ……ちょっと薬が効いてきたかな……」

 やっと鎮痛剤が効いてくれたかもしれない。症状が半分くらいになった。しばらくして、点呼が終わったクラスメートたちが乗り込んでくる。

「お前、調子は、どうだ?」

「三葉ちゃん、大丈夫?」

 克彦と三葉ちゃんが心配してくれる。とくに、三葉ちゃんは自分の月経の重さを知ってるから、とても申し訳なさそうに目で謝ってくれた。

「うん、なんとか。……克彦、隣に座って。バスが揺れたら支えてほしい」

「わかった」

 バスの座席数には、全体的に余裕があるから左右2列ずつに一人か、二人が座るんだけど、私が窓際に座っていて、その隣に克彦が座ってくれて、通路の向こうに三葉ちゃんが3人分の手荷物といっしょに座ってくれた。おかげで糸守町から京都まで克彦と過ごすことができる。バスが岐阜県を出る頃には、克彦が上着をかけてくれたから、その下で克彦と手をつないだ。旅行用のバスだから背もたれが高くて前後の席からは私たちの様子が見えないし、通路の向こうに座ってる三葉ちゃんも気づいてない。だんだん眠くなったみたいで私の目が閉じていく。私は鎮痛剤のおかげで眠気を覚えるけど、手をつないでることが嬉しくて寝るどころじゃないし、それは克彦も同じ気持ちでいてくれてるみたい。

「………」

「………」

 三葉ちゃんが完全に寝てしまったことを確認して、それから前後の席にいるクラスメートからも見られてないことを確認してから、克彦を見つめてから目を閉じた。

「「………」」

 キスしてくれた。すごくドキドキする。嬉しい、嬉しい。身体は、つらいけど、気持ちは天国。

「………」

「………」

 まだ三葉ちゃんは私の身体で寝たまま、周りも私たちに気づいてない。もう一度、キスしてほしい、そう想って目を閉じたのにユキちゃん先生がマイクで言った。

「サービスエリアに入ります。お手洗いを済ませた人は、すぐに戻ってきてください」

「「………」」

 克彦も残念そうな顔をしてくれる。三葉ちゃんが起きた。

「ん~っ……お腹すいた。先生! サービスエリアで何か食べてもいいですか?」

「名取さん、ちゃんと話を聴いていませんでしたね。お手洗いだけです!」

「は~い。………三葉ちゃん、おりる?」

「どうしようかな?」

 もしも、みんながおりたら克彦と二人っきりになれるかもしれない。

「おりないの?」

「う~ん……でも、おりないで、おもらししたら大変かな?」

「絶対おりよう!」

 私の手が三葉ちゃんの手を強く引いた。まあ、ここは、おりるしかないよね、二重の意味で生理現象的に。私は手荷物からポーチを出してからおりた。月経の二日目なんだから、ちゃんと交換しておかないと大変なことになるし。女子トイレで必要なことをしてから個室を出ると、三葉ちゃんが小声で謝ってくれる。

「ごめんね、こんなタイミングで……つらいのも、サヤチンに体験させて。来ないといいなって思ってたのに、きっちり昨日の夕方から始まったの」

「気にしないで。仕方ないことだよ。私だって来週くらいには、来る予定だし。あ、私、むしろ軽いから予兆がないの。うっかり服を汚したり、脚に垂れるまで気づかないっての、やめてね」

「うん、気をつけるよ。予定日、スマフォに入れとく。あと、もう、おもらしは絶対にしないでね。お互い、サービスエリアでは、きっちり済ませよう」

 おもらしを絶対に回避したいって三葉ちゃんが拘るのには理由がある。中学の時、古事記を習った課程で、イザナミが産んだ神さまにミヅハノメカミという名があって、それが三葉ちゃんと音韻がかぶる。それだけなら、いい偶然だね、で済むんだけど、その神さまは火之神カグツチを産んだときの火傷で苦しむイザナミが漏らしてしまった尿から産まれてる。おかげで、おもらしの化身みたいな話になって、ちょうど中学で思春期に入ってきた頃で、唾液から口噛み酒を造るだけでも恥ずかしがってた三葉ちゃんは気にしてたりもするから。唾液からお酒を造ったり、おもらしの化身と名前かぶったり、涙ぐむことが多かったり、けっこう三葉ちゃんは水に関わることが多い。何より、男子や女子の一部から、からかわれるのを気にしている。でもね、からかわれるのには理由があるんだよ、町長の娘で、巫女で、おまけに美人とくれば、そりゃァ、やっかみも受けるよ。

「ねぇ、聴いてる?」

「うん。それより、この身体って今日は食欲もないんだけど、食べた方がいいの? 食べない方がいいの? 食べたらバスで吐いたりする?」

「う~ん……乗り物酔いはしないけど、控え目の方がいいかも」

「そうだね、吐いたら、また口噛み酒にかぶせて何か言われそうだしね」

「ううっ……巫女なんか、やめたいよ……せめて、普通の御守りを販売したり、境内の掃き掃除するだけくらいの巫女がよかった」

 二人で話しながらバスに戻ったら、男子の方が早く戻っていて、克彦がムーを読んでた。

「「修学旅行にまで、持ってきたんだ、それ」」

「まあな」

 誇らしげに答えてくれたけど、なぜ、誇らしいのか、男子の考えることは、わからない部分も多い。けど、また隣りに座って上着の下で手をつなぐと、もうムーは片付けてくれた。

「…………」

「…………」

 また、キスしたいなァ。

「あ、見てみて! あれ琵琶湖じゃない?! ほら、テッシー! サヤ…三葉ちゃん!」

 三葉ちゃんが呼び間違えかけながら、車窓から見える大きな湖を指してる。三葉ちゃんは、けっこう、うっかり屋さんだったりもする。とくに日付への注意力が低くて、よく夏服と冬服の入れ替え期日を間違えたり、ひどい時なんか年を気にしなくて四月に下級生の教室へ登校しようとしたりするし。今も自分が名取早耶香であって、こっちのことを三葉ちゃんと呼ばなきゃいけないことを、うっかり忘れてるし。

「おお、大きいな。あれで湖か」

 克彦が車窓を見たから、私も見る。

「わぁ…海みたいだね」

「すっごいね! 糸守にある湖より、ずっと大きい!」

 その大きな湖が見えなくなると、いよいよ京都に着いて、バスは二条城に駐まった。克彦が心配して訊いてくれる。

「君は歩けそう?」

「う~………どうかなぁ…」

「君が行けないなら、オレも待機していようか。一人にはさせられないし」

「それなら、私が待ってるよ」

 三葉ちゃんが気をつかってくれたけど、私は首を横に振った。

「ううん、サヤチンは行ってきて。そうだ、いろいろ写真を撮ってきてよ。それで見た気分になるから」

「わかった。そうする」

 三葉ちゃんとクラスメートたちが出て行って、私は克彦と二人っきりになった。静かな車内はエンジンとエアコンの音だけ。運転手さんも、外でタバコを吸ってる。

「体調は、どう?」

「だんだんマシになっては、いるよ……けど、今日は、ずっと、こんな感じかも」

「そうか、かわいそうにな」

「ありがとう……克彦……ねぇ、キスして」

「……ああ」

 もう誰もいないから、何回もキスした。

「……嬉しい……。大好きだよ、克彦」

「ああ、オレも君が好きだ」

 またキスする。だんだん深いキスをして、腕でも抱き合って、そのことに夢中になっていたから、私も克彦も近づいてくる足音と気配に気づかなかった。

「なにしてるの?!」

「「っ?!」」

 心臓が飛び出るほど、驚いた。

「心配で来てみれば!!」

「「す…すいません…」」

 私と克彦は叱ってくるユキちゃん先生に謝った。

「修学旅行は遊びではありません!」

「「はい」」

「宮水さんは体調が悪いのでしょう?!」

「はい」

「なら、おとなしくしていなさい!」

「はい」

「勅使河原くんはバスを出なさい! 宮水さんは私が看ています!」

「はい」

 立ち上がって出て行く克彦の背中へ、ユキちゃん先生は念を押す。

「修学旅行中は消灯後、客室から出てはいけませんよ!」

「はい」

「消灯前でも女子の部屋へ男子が入ること、男子の部屋へ女子が入ることも禁止されています。いいですね?!」

「「はい」」

 克彦が出ていて、先生と二人になる。なんて気まずい空気。

「………」

「………」

 でも、先生へ言っておかないといけないことがある。

「先生」

「何ですか?」

「……さっき、私と克彦がしていたこと、誰にも言わないでください。絶対」

「え? ……ええ、……それは、……もともと言うつもりはないけれど……ひょっとして、宮水さん、彼に強引にされたの?」

「いえ! 違います!」

「そう……それなら、いいけれど……いえ、良くありませんが。と、ともかく、もしも、不本意な行為を迫られているのなら、ちゃんと助けを求めなさいね」

「…はい……ありがとうございます」

「……キスまではいいと、女の子が思っていても、男の人が止まらなくなることもありますからね」

「…はい…」

「あと、修学旅行中は、キスでもダメですよ」

「…は~い」

 しばらくして全員が戻ってきた。できるだけ何事もなかった顔で克彦を迎える。

「克彦も少しは二条城、見られた?」

「まあ、ちょっと」

「三葉ちゃん、ちゃんと写真を撮ってきたよ。見てみて」

「ありがとう」

 写真を見せてもらっているうちにバスは出発して、今度は清水寺に着いた。

「今度は、どうする? 歩けそうか?」

「う~ん……」

「宮水さん、無理でなければ、ここでは集合写真を撮りますので、おりた方がいいですよ」

 ユキちゃん先生が様子を見に来てくれた。たしかに、集合写真に私だけ写れないのは淋しい。そして、私じゃなくて宮水三葉だけ写らないことになってしまうのは、かわいそう。だから、ダルい身体で立ち上がってみた。

「先生、集合写真だけ撮って戻るって、できますか?」

「バスに一人でいるのは……私も、ここでは引率があって……集合写真があるから、すべての先生方も……」

「じゃあ今度は、私が三葉ちゃんと、いっしょに留守番します」

 三葉ちゃんが提案してくれたけど遠慮する。

「ううん、悪いよ。せっかくの清水の舞台だから、清水の舞台から飛び降りるつもりで見てきて」

「「死ぬじゃん!!」」

 克彦と三葉ちゃんがボケに反応して、つっこみをくれた。こういうところは幼馴染みって気がする。

「冗談だよ。でも、もったいないよ。見てきて。そうだ、克彦とサヤチン、二人で写真を撮ってきてよ。そんな写真を見たいな。清水の舞台の奥にね、地主神社ってところがあるの。その鳥居の前で二人で写った写真を撮ってきて。なるべく笑顔で」

「ふ~ん、そんな神社があるのか。寺なのに」

「「………」」

 三葉ちゃんとユキちゃん先生から複雑な視線が来る。克彦は知らないみたいだけど、この二人は地主神社が縁結びの神さまだって知ってるみたい。とくに、ユキちゃん先生からは、あなたは、それでいいの、どういうこと? っていう視線。でも、あんまり生徒の恋愛関係には立ち入らないでくれたし、時間もないので私たちはバスをおりて、ゆるい坂道だったけど、今の身体にはキツイ坂道を登って、清水寺の正面で集合写真を撮ると、私は近くに座った。

「じゃ、いってらっしゃい」

「おう。達者でな」

「行ってくるよ。気分が悪くなったら、電話して、すぐ戻ってくるから」

 そう言った三葉ちゃんは小声で付け足す。

「できるだけ、いい写真を撮ってくるよ」

「ありがとう」

 二人を見送ってから一時間ほどで全員が戻ってきた。そして、三葉ちゃんは小声で言ってくれた。

「ちゃんと撮れたよ。あと、これ、宮水三葉から、名取早耶香にプレゼントね。だから、この財布から抜いておくよ。で、今は、このまま身につけてるから」

 縁結びの御守りを見せてくれて、それを名取早耶香のスマフォに着けて、その代金を宮水三葉の手荷物にある財布から抜いて、名取早耶香の財布に補給してくれたから、すごく感動して泣きそうになった。

「っ…本当に、ありがとう。大事にするよ」

「御利益があるといいね」

 バスが動き出して本能寺の近くにあるホテルに到着した。

「やっと、落ち着ける」

 まだまだダルい身体で客室に入ると、ベッドに倒れ込んだ。

「う~…ダルい……つらい…」

「宮水さん、あの日?」

「うん、そう」

 他の女子も気づいてくれる。三葉ちゃんが恥ずかしそうにしてるけど、この部屋には女子しかいない。四人一部屋で、普通なら夜中まで恋話で盛り上がるところだけど、そんな気分じゃないし、うっかり話すとややこしくなるから、夕飯を軽く食べて、温泉にも入らずに寝た。明日の朝、私の身体に戻ってたら、出発前に露天風呂には行きたいなぁ、と思いながら。

 

 

 

 修学旅行2日目の朝、私は私に戻ってた。一番つらい月経2日目はサヤチンが過ごしてくれたけど3日目も、まだまだダルいし痛い。そして気持ち悪い。起きたくないくらい重い身体で、仕方なく起きて客室のトイレに入ってナプキンを交換した。

「ぅぅ……痛い……薬も飲もう……あ、この腕時計も外しておかないと」

 外した腕時計を手荷物にしてるリュックの紐に巻きつけて、いつも通りの盛大な寝癖を直す。

「う~……お風呂も入れなかったから……髪がベタついて……身体も気持ち悪いし」

 夕べは、サヤチンに悪いと思いつつも温泉に入って、さっぱりして寝たのに、今は自分の身体が気持ち悪い。

「はぁぁ……」

 タメ息をついてたら、サヤチンがサヤチンの身体で浴衣を着て、客室に入ってきた。

「おはよう。サヤチン、どこか行ってたの?」

「うん、露天風呂! 超気持ちよかったよ」

 気持ちよさそうにピースしてくれた。それで、他の女子が気の毒そうにしてくれる。

「宮水さん、かわいそうにね。名取さん、意外と残酷」

「……。あはは、ごめん、ごめん」

 入れ替わりをわかってないと、生理中の私へ、今のサヤチンの言葉はひどいけど、私たちはわかり合ってる。昨日は私が温泉を楽しめたし、今はサヤチンが温泉に入れた。むしろ、入れ替わりがなかったら、私の修学旅行はダークに終わったかもしれないので、そこはサヤチンに感謝しつつ、悪いとも思う。

「いいよ、いいよ、気にしないで。ここの露天風呂、寝湯があっていいよね」

「「「……………」」」

 あ、しまった、みんなが入浴してないはずの私が、なぜ、それを知ってるって顔になってる。

「え、えっと! ずっと前に来たことがあるの! うん! だから、今回は入れなくても、ぜんぜん平気だよ!」

「そうなんだ。宮水さん、体調は、どう?」

「まあまあかな。私、重いから3日目でも、しんどいよ」

 このまま寝ていたいけど、そうもいかないから着替えて、広間で朝食を全員で食べる。テッシーに会った。

「おはよう。………三葉」

「うん……おはよう…」

「ダルそうだな」

「まあね」

「そんなに、つらいものなのか、……あれって」

「……………そういうこと男の子に話したくない」

 生理のせいでイラつきやすいからかな、けっこう怒った声で返事してしまった。

「……すまん……気をつける……」

 謝ったテッシーが離れていった。

「ごちそうさま」

 私は卵焼きと梅干し、ご飯を半分だけ食べて部屋に戻って少し寝る。

「三葉ちゃん、あと15分で集合時刻だよ」

「…うん……ギリギリに、起こして」

「はいはい」

 サヤチンは元気そうでいいなぁ。あっという間に15分が過ぎたみたいで起こされる。

「三葉ちゃん、起きて。荷物はもってあげるから、身体は自分で持ってきて」

「は~い……」

 起き上がってバスに向かう。もう他のクラスメートは座ってて、空いてる席は昨日と同じ位置だけ。テッシーも昨日と同じところに座ってて、その流れだと、横に座るのが自然だけど、私は通路の反対側に座った。すぐに大きな荷物をバスの下部に入れてくれたサヤチンが二人分の手荷物をもって乗ってくる。

「はい、これ」

「ありがとう」

 リュックを受け取った。それを、隣の席に置くと、もともと置かれてたテッシーの荷物と並んだ。さらにサヤチンの手荷物もあるから、私のリュックの上に置いてもらう。そうしてから、思いついた。

「私さ、この手荷物を肘枕にして体重かけてもいい?」

「あ、うん。いいよ」

「いいぜ。……三葉、そっちに座るのか、一人で」

「うん、広く使いたい。ごめん」

 これでサヤチンがテッシーと並んで座れるよね。そして、ダルい私は、のんびり座れる。昨日と身体の位置を入れ替わって座ったけど、それは身体だけの話で、主観的には同じ位置だったりもする。ややこしい話だよ、今は生理の方がダルくてイヤだけど。

「……ダルい……寝るから、着いたら起こして」

「三葉ちゃん、今日は歩けそう?」

「……着いてから考えるよ…」

 そう答えて、もうダルいから手荷物にもたれて、目を閉じた。隣からはサヤチンがテッシーへ話しかけて何か盛り上がってる気配がするから作戦成功みたいで良かった。

「三葉ちゃん、金閣寺に着いたよ。歩けそう?」

「ぅぅ………どうしようかな……でも…」

 トイレには行きたい、おしっこよりもナプキンの交換はできるときにしておかないと、次は奈良県の東大寺に行く予定だから、途中の休憩場所が少ないって先生が言ってた気もするし。仕方なく私は立った。

「行ってみるよ」

「リュックを持ってあげるね」

「オレが持ってやるよ」

「「………」」

 いえ、その中にナプキンが入ってるので、持たないでください。

「ごめん、サヤチンが持っていて」

「うん」

 バスをおりてサヤチンと女子トイレに入った。用を済ませてサヤチンに言う。

「ここも無理そう。マップを見たら、けっこう歩くよね。金閣寺の周囲を」

「そうだね」

「お昼からの奈良での自由行動に体力を残しておきたいから、私は駐車場のベンチにいるよ。売店でアイスでも食べてるから、テッシーと行ってきて」

「ありがとう……でも、私と克彦のことに気を回して遠慮してるなら……そこまで気をつかってくれなくていいよ。せっかくの修学旅行なんだし、金閣寺、見てみたいなら、いっしょに行こうよ?」

「う~ん……気を回してないわけじゃないけど、歩くのがつらいのも本当なんだよ。金閣寺も写真でいいよ。二人で行ってきて」

「ありがとう。じゃあ、行ってくるね」

 私はリュックを受け取ってベンチに座って、ぼんやりとする。そうしてる間にも、次々と観光バスが入ってきて、ものすごい数の人が流れていく。

「……人間って、こんなにいるんだ……」

 人口1500人の糸守から出てくると、人の多さにびっくりするし、疲れる。今ここに駐まってるバスに乗ってた人の数だけで糸守町を超えそう。

「やっぱり修学旅行が多いなぁ」

 金閣寺が定番中の定番だから、学生が多い。あと、外国人。

「それぞれの学校に、それぞれの恋愛があって、いろいろあるんだろうな………私も、いつか誰かを好きになるのかなぁ……」

 座って他校生を見てると、やっぱりカップルはカップルってわかるし、女同士、男同士のグループも仲の良さとか、だいたい見てわかる。

「スカート丈も学校によって、いろいろだなぁ……うわっ、あそこまで短くても、先生に注意されないんだ……、もうパンツ見えてるじゃん。恥ずかしくないのかな」

 私の視線を感じたのか、睨まれたから、目をそらしてアイスを囓る。

「退屈だなぁ……行けば良かったかな……あ、戻ってきた」

 サヤチンとテッシーが早めに戻ってきてくれた。二人が歩いてる姿はカップルに見えなくもないけど、やっぱり距離があるかな。もう少し縮められるといいのに。

「おかえり、どうだった? やっぱり金色だった?」

「おう。金ピカだったぞ」

「でも、いい写真が撮れる場所、すごく少なくて大混雑で大変だったよ。三葉ちゃん、来なくて正解だったかも。しかも、その場所が終わったら、ほとんど金閣寺が見えなくなって、ただの庭だったもん」

「そっか」

「まだ時間あるから、お土産屋さんを見て回ろうよ」

「そうだね。ちょっと淋しかったし」

 三人で金閣寺周辺のお店を見て回って、それからバスに戻った。バスが動き出すと、お弁当が配られる。次の奈良県までに食べて、東大寺の駐車場でおりた。鹿がいっぱいいる。

「ここの鹿は愛されてるんだね」

「糸守だと嫌われ者なのにな」

 テッシーが猟銃を撃つ構えを取った。男の子って鉄砲とか爆弾が好きだよね、なぜか。そして、糸守だと鹿は愛される者でも神獣でもなくて、憎まれ殺される者だったりする。畑を荒らすから。私も、たまにお肉を猟に行った人からいただいて、新鮮だとお刺身にするし、焼肉とか、お鍋とかにもする。あの赤身肉は、けっこう美味しい。って、こんな感覚はド田舎の女子高生だけで、きっと都会の学生に話したらドン引きされるのかも。

「勅使河原くん、宮水さん、名取さん。班行動だけど、二手に分かれて回って、ここに集合しないか?」

 班員の一人が予定通りの提案をしてくるから、私たちは頷いた。原則は班行動だけど、二手に分かれるくらいなら先生を誤魔化せるし、問題ないから。結局、いつもの三人で行動して、お寺を見て回るより、鹿と遊ぶのを優先した。しばらくエサをやったりして楽しんでたら、テッシーが言う。

「オレ、鹿を捕まえられないか、本気で追いかけてみるぜ」

「「無理だと思うよ」」

 他のグループの男子も挑戦してるけど、いよいよ人間が捕まえようとすると、鹿たちは走るスピードをあげて逃げちゃうから。

「フフフ、短距離で勝負を決めず、じっくり追い続けてやるんだ。集合時刻までには戻るから、オレが見えなくなっても心配しないでくれ」

「「見えなくなるほど遠くまで追うつもりなんだ……頑張ってね」」

 奈良公園は広いから、本気で鹿を追いかけて走っていくテッシーは、だんだん見えなくなった。

「男の子ってバカなことするよね。サヤチンはテッシーのああいうところも好き? あとムーとか読んだりするところも」

「別に、すべてが好きってわけじゃないから。いいところが好きだし、そうじゃないところは、まあ、そのままでいいんじゃないかな、って」

「なるほど……恋は奥深いなぁ…」

「そうなるときがくれば、三葉ちゃんも、そうなるよ」

「う~ん……なるかなぁ……それはそうと、テッシーは鹿に勝てると思う?」

「無理だと思うよ。相手は馬に近い、走るのが専門の動物だし」

「だよね」

「馬鹿より、バカかもね」

「意外と言うね。好きな人なのに」

「ムー読んでるところも、そんな感じだよ。逆に私が、そこも好きって言い出したら、それは、それで怖くない?」

「たしかに。二人して、どっぷりムーにハマってたら、このカップルは大丈夫なのか、って思うし……、そろそろ時間…え?!」

 スマフォを出すのが面倒でリュックへ着けたはずの腕時計を見ようとして、それが無かったから、私は声をあげて驚いた。

「どうしたの?」

「ないの! あの腕時計が!」

「それって克彦から、もらった?」

「うん! そう! リュックの紐に巻きつけたはずなのに、ないの!」

「そ……そんな……どこで落としたの?!」

「わかんない!」

「……いつから無いの?!」

「えっと………」

 思い出そうとするけれど、時刻を確認するのにスマフォを使ったのか、腕時計を見たのか、ほとんど覚えてない。もともと私って日付や時刻への認識が、いい加減でテキトーだから、下手すると年がわかってることさえ気づかないで一学期の初日に前年度の教室に行っちゃうくらい。

「ちゃんと思い出してよぉ!」

 サヤチンが悲しそうな声で言ってくる。

「えっと……えっと……リュックに巻きつけたのがホテル………そこからは、よく……わからない。ごめん……」

「……それじゃあ……京都から奈良までの………」

「………ホントに、ごめん……」

 無くしたのが糸守町なら、見つかる可能性は、すごく高い。行動範囲も人の数もしれてるから、誰かが拾ってくれても、すぐに話がつく。けど、今は絶望的なくらい行動範囲が広くて人が多い。財布ならともかく腕時計くらいだと拾っても警察へ届けてくれないかもしれない。

「「とにかく探そう!」」

 二人で探し始める。あるとしたら、私の行動した道程だから、覚えてる限り奈良公園の中を今までとは逆に歩いて足元を探す。サヤチンは探しながら泊まったホテルと金閣寺へ電話をかけてくれてる。けど、ホテルにも金閣寺の事務所にも届いて無くて、交番と警察署も検索して電話をかけてるけど、見つからないみたい。私は探しながら、お土産屋の店員さんなんかにも訊いてみたけど、見つからない。そのうちに集合時刻になってしまって、もうバスに戻らないといけなくなった。

「サヤチン、もうバスに戻らないと………ホントに、ごめん。ごめんなさい」

「………ぅっ……くっ……うわあああん!」

 サヤチンが声をあげて泣き出したから、周りの人が驚いて見てる。こんなに泣くなんて、すごく罪悪感を覚える。

「ごめん、サヤチン。落ち着いて」

「なんでよぉ! なんで、無くすのよぉ!」

「ごめんなさい。落ちると思わなくて……ごめん……私が悪かった…」

 本当に私が悪い。腕時計はベルトを腕に巻く設計だから、リュックの紐なんかに巻きつけたら、何かの拍子に金具がゆるんで外れてしまうかもしれない。そのくらいのこと、考えるべきだった。うかつにも、ほどがある。

「ごめん、ごめんなさい。……明日、また電話すれば、届いてるかもしれないから…」

「…ひっく…ぐすっ…ぅっ…うぐっ…」

「本当に、ごめんなさい。……もう、バスに戻らないと……」

 泣きじゃくるサヤチンを連れて、私はバスに戻った。もう遅刻していて、ユキちゃん先生が怒った顔でバスの前にいる。

「遅いですよ。……なにか、あったのですか? 名取さん」

「…ぐすっ…、…………」

 答えに困ってるから私が代返する。

「大事な物を無くしてしまったんです」

「そうですか。それは、気の毒に。……警察には届け出ましたか?」

「はい」

「では、朗報を待ちましょう。もうバスに乗って。あなた達のために5分、遅れているのよ」

「「すみません」」

 謝ってバスに乗ったら、すぐに朗報が迎えてくれた。先にバスに戻って座ってたテッシーが腕時計を私に向けてくる。

「これ、バスの中に落ちてたって」

「あったんだ! よかった! テッシー、ナイス!」

「お…おう……もう落とさないでくれよ」

「うん、気をつけるよ。ごめん」

 受け取った腕時計を見て、また私は罪悪感を覚えた。バスの中で、何度か踏まれたり蹴られてしまったのかもしれない、壊れてはいないけど傷だらけになってる。

「……………」

「……ぐすっ………」

 サヤチンが一瞬だけ、こっちを見て座席に座った。まだ目が赤いから、テッシーが心配する。

「どうしたんだ? 何か、あったのか?」

「「………」」

 答えに困る。この腕時計を無くして泣くのは私の立場なはず、けど想い入れがあるのはサヤチンだから。説明に困って沈黙してるうちにバスが動き出した。明日の目的地が大阪のUSJだから、宿泊地も大阪府内になってる。暗くなっていく道路をバスが走る。私は気分が悪くなってきた。生理中だったのに、腕時計を探して動き回ったからかもしれないし、サヤチンへの罪悪感からかもしれない。

「………」

 一応、吐いたときのために目の前にあるビニール袋を触って、いざというとき、すぐに開けるようにしたら、テッシーが心配してくる。

「吐きそうなのか?」

「……たぶん……大丈夫……」

 身体がダルいから、三人の手荷物を、また肘枕にして気づいた。そっか、こうやって私が体重をかけたりしたから、腕時計のベルトがゆるんで落ちたのかもしれない。私ってバカだなぁ。

「……………」

 今は手に持ってる腕時計を見つめた。

「………」

 重い。

「…………」

 これを持ってるのが、重い。

「………………」

 他人の大切なものを持ってるのが、とても重いよ。もしも、また無くしたりしたら、なんて謝ればいいのか。たまたまバスの中で落ちたから、よかったようなものの、駐車場だったら他のバスに轢かれて粉微塵だったかもしれないし、他の人に拾われて、そのまま返ってこないかもしれない。リュックの底にでも入れれば大丈夫かもしれないけど、それだって100%じゃない。リュックごと忘れたり無くしたりするかもしれない。スカートのポケットだって、何かの拍子に落とすかもしれない。

「…………」

 結局、腕時計は腕に巻いてないと、無くしやすいよ。巻いてるべきだよ、これは。私は腕時計を手首に巻くことにした。

「サヤチン、ちょっと左手を出して」

「え? ………」

「今は、あんまり、この時計をする気分じゃないけど、また無くすと困るから、ちょっと使ってて」

「……でも……それは……」

 サヤチンがテッシーの顔を見る。サヤチンは窓際にいて、テッシーは隣、私は通路の反対だから、ちょうどテッシーを間に挟んでる。私は目的のために演技をして不機嫌な声で言っておく。

「今日は気分じゃないから、サヤチンが持ってて」

「………けど……」

「三葉……それは……オレが、……お前に…」

「気分じゃないから」

「「……………」」

「サヤチン、手を貸して。早く」

「…………」

 サヤチンが迷いながら、左手を出してくれた。それをテッシーの目の前でサヤチンに巻いておく。そうだよ、本来、こうするべきなんだよ、これは。

「じゃ、そういうことだから」

「「…………」」

「………」

 二人から視線を感じるけど、もう私は座り直して気分が悪いから、目を閉じた。バスの中は静かで、他のクラスメートたちも疲れてる感じで、そのまま大阪に着いたし、宿泊先は狭いビジネスホテルだったから、あまり誰とも話す機会が無いまま、寝た。

 


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