もう夏休みが終わってしまう、あっという間だった。私は克彦の部屋で昼寝から目覚めて、腕時計を見つめた。身につけているのは、この腕時計だけ、あとは裸。
「ねぇ、克彦」
「ん?」
いっしょに寝てた克彦も起きた。
「私と何回、エッチしたか、覚えてる?」
「………さ…さあ…」
「今日で13回目だよ」
「……そうか…」
「…………」
最初から3回目くらいまでは躊躇いと罪悪感があった。三葉ちゃんの身体なのにって。でも、ついつい克彦に求められると応じてしまっていた。夏休みの後半は、ただエッチするために会ってた。
「明日から二学期だね」
「ああ……」
「今、このまま、この時間が、ここで止まればいいのに」
「……そうだな…」
もう一度、抱き合っているうちに夕方になる。
「……帰りたくないなぁ……パズルも、あと少しだし」
「早耶香が頑張ってくれたからな」
一つだけ名取早耶香に、この夏の進展があるとしたら、ようやく克彦が早耶香って呼んでくれるようになったこと、それを繰り返し、私の口からも三葉ちゃんの口からも求めておいたから、やっと定着してきてる。私は嬉しくなってピースを一つ持つと、あと少しのパズルに向かった。
「う~……あと少しなのに…」
「……………そうやってると、お前と早耶香、そっくりだな」
「そう? そうかもね」
中身は同じですから。
「あ、ここかな。よし、ハマった。あと5つ、今日中に終わりそう!」
「………それさ、ラストは早耶香にやらせてやれよ」
「ん~? ……なんで?」
「ほとんど9割以上、あいつがつくったんだしさ。ラストを決めたいだろ」
「優しいんだね。ん~……でも、明日は始業式だしさ。……今すぐにでも……ほら、あと3つ」
夏休みの前半には進みが悪かったパズルも私がピースを見る目を養えたことと、だんだん進むにつれ、残りのピースの山からの選択肢が減る分、進む速度があがっていて、今にも終わりそう。克彦が譲ってやれっていうのは、わかるけど、その完成を今までつくってた私が、今、やりたいんだよ。あと1つ。
「あと1つになっちゃった。1つくらい残しておいても、しょうがないし。今日完成させてこそ、夏休み中に終わったって言えるから。はい、おしまい。完成! ヤッター!」
「………意外と残酷なことするなァ……」
「いいじゃん。終わらせたい気分だったの。きっと、そんなに残念がらないよ。いっしょに喜んでくれるはず」
今、私が嬉しいですから。夏休み最後になるキスをしてから克彦と別れて、宮水の家に帰った。
「お帰り、お姉ちゃん。今日は遅かったね。パズル完成した?」
「フフ、したよ。やっと完成!」
「よかったね。でも、夕ご飯の当番サボったから、明日やってよね」
「…はい…ごめんなさい」
ごめん、三葉ちゃん。
「あと、ゴミ出し」
「はーい」
しっかりした妹さんだこと。この子がいなかったら、両親不在で、どうなってたんだろう。お婆さんは頭はしっかりしてるけど、足腰にきてるし。四葉ちゃんと一葉お婆さんが用意してくれた夕食をいただきながらテレビを見る。うちの家は、あんまり食事中にテレビはかけない。この家は、やっぱり家族が欠けてて淋しいのかも。
「北朝鮮では食糧不足から、飢餓に苦しむ子供の数が毎年2万人から3万人…」
「お姉ちゃん、お魚の焼き方、まずかった?」
「ううん、そんなことないよ」
「ならいいけど。不味そうな顔してるから」
「四葉は、美味しい?」
「自分で焼いたからね。美味しいよ」
「ホント、えらいね」
夕食が終わると、四葉ちゃんがお風呂に呼んでくれる。
「お姉ちゃん、そろそろお風呂に入ろう」
「う~ん……今日も一人で入りたいかな」
エッチの後だから、しっかり身体を洗いたいし、そういうところを妹さんに見られるのは避けたい。あと洗濯物も。
「四葉、洗濯は私がするから、洗った方がいいもの。放り込んでおいて」
「はーい」
四葉ちゃんのお風呂が終わるのを待ってから交替で脱衣所に入って裸になる。脱いだショーツに貼りつけてあったナプキンを見た。
「…………月経、…まだ、来ないの……」
たしか、お盆の終わりくらいが月経予定日だったはずなのに、まだ月経が来てない。まあ、このくらいのズレは私だと、ときどきあるし、こんなものじゃないかな。ナプキンをしていたおかげでショーツのクロッチは汚れてないから、そのまま洗濯機に入れられるし。克彦とのエッチの痕跡で汚してしまったナプキンは、しっかり丸めて袋に入れて捨てる。
「これで、よし」
洗濯機を回してから、浴室に入ったときだった。
「ぅっ……」
お湯の匂いというか、水の匂いというか、その湯気の匂いが鼻に入った瞬間、猛烈に気持ち悪くなってきた。さらに小学生女子の匂いも残っていて、今まで一度も気持ち悪いと思ったことないはずなのに、吐き気がするほど臭い。
「…ぅっ……ぅっ……うえっ! うええええ!」
浴室の中で嘔吐してしまった。せめて手桶の中に吐こうとしたけど、その余裕もないくらい急激で強烈な吐き気が続く。
「うええ! うえええええ! ハァハァ! うえええ!」
「お姉ちゃん、大丈夫? どうかした?」
脱衣所の外から四葉ちゃんの声。
「…な…なんでもない! 平気! ぅっ…ぅえ…ぅえええ!」
「吐いてるの?」
「何でもないから!」
「……ふーん……」
「…ハァ……ハァ…」
まだ吐き気はするけど、もう胃に何もない。夕飯だった焼き魚と白米、お味噌汁、トマトとキュウリが浴室の床に拡がってる。
「……ハァ……お風呂場でよかった……」
風邪とか乗り物酔いで吐いたときに比べて、本当に一瞬で一気に来る吐き気で、しかも吐いてる間も次々と吐き気の波が来て、ものすごく苦しかった。周りを汚さないように手桶に吐こうとか、一カ所に吐こうってことができないくらい苦しくて、吐き散らかしてしまった。せめて、お風呂場だったのが幸いで後片付けはしやすい。自分が吐いた物の匂いにも苦しみつつ、洗い流して片付けた。
「…………焼き魚……古かったのかな………きっと、そうだよ……こんな山奥だし……海から運んでくるのに時間かかるから……」
違う、自分でわかってる、トラックなら富山湾で朝獲れた魚がお昼過ぎには糸守へも来る、古くないはず、四葉ちゃんも美味しそうに食べてた。でも、私はなんだか臭いなぁ、って思いながら食べた。お湯の匂いさえ、ムッときたし。四葉ちゃんの匂いが残り香だったのに臭かった。味覚と臭覚が、変わってる気がする。そして、まだ月経が来ない。三葉ちゃんの身体は28日で、しっかり来るはずなのに。
「……まさか……まさかね」
お湯に浸かったのに寒気がして身震いした。
「………そんなはずない……ちゃんと避妊だって……」
当たり前だけど避妊はしてる。そこは絶対、守ってる。でも、最初の1回、2回目、3回目までは、エッチするつもりじゃなかったのに、気がついたらエッチしてたから、避妊もしてない。
「…たった3回くらいで……」
どうしよう、どうしよう。お風呂の中なのに冷や汗が噴き出してくる。
「………お願い……来て……お願いだから来てよ。ね?」
三葉ちゃんの下腹部にお願いしてみたけれど、返事は無かった。
朝起きて、今日は自分自身だった。夏休みの宿題をカバンに入れて、通学路に出ると、克彦に出会う。
「おはよう、克彦」
「おう、おはよう、早耶香」
「暑いね」
「暑いな。……夕べ、パズルが完成したの、三葉から聞いたか?」
「ううん、完成したの?」
ヤバイ、月経が無いことに動揺して、三葉ちゃんに、そのことを伝えてない。今からメールしても読まずに通学路に出てくる確率の方が大きい。
「いや、まあ、一応、三葉が完成させたんだけど、その後、オレが、うっかり引っかけて一部を壊してしまったんだ。そこそこ直したけど、まだ完璧じゃない。始業式が終わったら手伝ってくれないか?」
「うん、いいよ!」
これはウソなのかな、わざと壊してくれたのかな、それとも、うっかり本当に壊したのかな、どっちにしても嬉しい。もう完成してしまったから克彦の部屋へ行く口実が無いから。
「三葉のやつ、遅いな」
「そうだね……」
通学路で待ってるけど、まだ三葉ちゃんは来ない。そろそろギリギリ。
「夏休みボケか……お、来た」
三葉ちゃんが眠そうに四葉ちゃんに手を引かれて来た。まだ、目が半分、寝てる。
「おはよう、三葉、四葉ちゃん」
「おはよう、三葉ちゃん、四葉ちゃん」
「おはようございます。じゃ、これ、よろしく」
「四葉、ありがとう……ん~……眠い……この頃、やたら眠くてさ……ううっ……もっと夏休みが続けばいいのに……」
フラフラと、まだ眠たそうな三葉ちゃんを支えるように克彦が抱いた。
「ん~……ありがとう……っ?!」
お礼を言ってから、男子に抱かれたことに気づいて三葉ちゃんが弾け飛ぶみたいに離れた。
「やめてよ! いきなり!」
「「………」」
「あ、そっか。これ」
三葉ちゃんが腕時計を私へ渡してくれる。
「…三葉………」
「今日は気分じゃない日だから私に近づかないで」
「……わかったよ……」
「「…………」」
あまり会話なく、学校まで行った。おかげでパズルのことを克彦に気づかれずメールで伝えたけど、問題は始業式の最中に起こった。蒸し暑い体育館に全校生徒が整列して、校長先生からの話を聴いているとき、列の後ろの方で誰かが吐いた。
「ぅっ…ぅえええ! うえええ!」
「宮水さん、どうしたの?」
「うっ…うええ! うえええ!」
体育館の床に朝食だった嘔吐物が拡がって、三葉ちゃんが苦しんでる。ユキちゃん先生が駆け寄って介抱する。
「誰か宮水さんを保健室へ! 保健委員の人は?!」
「私が行きます!」
私は手を挙げて言った。
「じゃあ、名取さん、お願いね。他のみんなは列に戻りなさい。後片付けは先生がします」
「三葉ちゃん、歩ける?」
「…うん……ハァ…ぅっ…ぅえ……ハァ…」
まだ吐き気が続いてる三葉ちゃんを連れて保健室へ行こうとしたとき、男子の誰かが言った。
「妊娠してたりしてな」
「「っ……」」
それは冗談だったけれど、私も三葉ちゃんも過剰に反応してしまってビクッとなった。女性としてユキちゃん先生が怒ってくれる。
「冗談でも、そんなことを言うのは非礼ですよ!! 体調の悪い女子に向かって、なんてことを言うんですかっ!!」
「ぃ、行こう、三葉ちゃん」
「…うん…」
とにかく体育館を離れて、保健室へ二人で行った。保健室に着く頃には吐き気も治まってくれた様子で汚れた口元を濡れタオルで拭いただけで処置は終わる。
「……………」
「……………」
「……ねぇ……サヤチン……」
「………うん……」
「…………」
「……どこかで……二人で話す?」
「…………うん…」
保健室だと、先生と他に数人、寝てる人がいたから私たちは学校内で二人きりになれそうなところを探して結局、女子トイレの個室に入った。
「………………」
「………………」
「………私……生理……来てないんだよ……」
「…み……みたい……だね…」
「……もう2週間………こんなに遅れたこと……ないのに…」
そこまで言った三葉ちゃんが涙を零した。両目から、はらはらと涙の粒を零すから、つられて私まで泣けてくる。泣いてしまったら、もう隠し通せないのに、泣けてきて止まらない。
「…ぅっ……ひっく…」
「ぅぅ……うっ…」
「……サヤチン……テッシーと……ぅっ……私の身体で……何して……」
「ごめんなさい!! ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい!!」
謝って何度も頭を下げてるうちに、私はトイレの床に両手をついて土下座していた。
「…………ウソだよね? ……サヤチン……ねぇ……」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさいいい!」
泣きながら謝ってると、三葉ちゃんは腰が抜けたみたいに、床へ座り込む。
「……私………の………身体…………、……妊娠して………。………私……バージン……じゃ……ウソ…………ウソだよ…ね………ねぇ……ウソだって……ぅっ…ぅっ、ううっ、うわあああん! うわああああん!」
ショックが大きすぎて三葉ちゃんが大声をあげて泣き出したから、その口を手で塞いだ。
「大きな声を出さないで! みんなにバレちゃうよ!」
「ぅぅうっ……ぅう……ぐすっ……ひっく…」
今は女子トイレ内に誰もいない気配だけど、大声で泣かれると、誰かに聴かれるかもしれない。それをわかってくれた三葉ちゃんは声を殺して泣く。
「…ぅぅ……ぅううぅ……」
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」
「…ひぅぅ……ひどぃぃ……ひどい…」
「三葉ちゃん、ごめん、ごめんなさい。本当に、ごめん」
「…ぅうう……ぅううぅ…」
声を殺して泣き続ける三葉ちゃんを抱きしめて、私は謝り続けた。なんとか落ち着いてくれるまで、どのくらい時間がかかったのか、何度か、他の女子がトイレを出入りする気配もあったけど、声をあげずに泣いてくれたおかげで誰にも気づかれずに済んでる。始業式が終われば、部活の無い生徒は帰ってしまう。校舎全体が静かになってきた。
「…ぐすっ……ひっく……」
それでも三葉ちゃんの涙は止まらないし、身体は震えてる。
「…三葉ちゃん………」
「ぅぅうぅ…ひぅぅ……」
「…………」
本当に悪いことしたって、思う。本人の知らないうちに男子とエッチして、妊娠までさせてしまった。なんで、こんなことになったんだろう、なんて、うかつなんだろう、私は。この責任………この責任を取る方法なんて………。
「落ち着いて聴いて。三葉ちゃんは何も考えなくていいから。これから、どうするかは、私が私の責任で決めるから、だから、三葉ちゃんは……どうか、落ち着いて」
「ぅぅっ……責任……どうする……気なの?」
「…………、方法は一つしかないよ。でも、三葉ちゃんは落ち着いて………私が三葉ちゃんになってる日に……ぜんぶ、終わらせるから」
「……終わらせるって?」
「…………言わないと……わからない? ……妊娠を終わらせるコトだよ」
「……それって……」
「悪いのは全部、私、三葉ちゃんは罪悪感なんて感じなくていい……悪いのは私。決めたのも私」
「……………赤ちゃん……」
三葉ちゃんが下腹部を撫でた。
「……三葉ちゃんは、なにもしなくていいから……考えなくていいから。全部、私が責任を取るよ」
「…………………」
「立てる?」
三葉ちゃんを支えてトイレの床から立ち上がらせた。
「………ぐすっ………ひっく……ぅううっ! うあああああん!」
「…………」
また泣き出した三葉ちゃんを抱きしめて、なんとか落ち着ける。今度は5分くらいで泣きやんでくれた。
「よく聴いて。さっき、三葉ちゃんが体育館で吐いたのは、夏バテ、ただの夏バテだから」
「…ぐすっ……」
「だから、今日は家に帰って、ゆっくり休もう。あとは私が考えるから。ね?」
「………うん……」
女子トイレの手洗いで二人とも顔を洗って、静かになった校舎から出る。昇降口の下駄箱のところで克彦が待っていた。
「三葉、体調、悪いのか?」
「………」
「たいしたことないよ、ただの夏バテだって」
「そうか。それなら、よかった」
「っ、よくない!! ぜんぜん、よくない!!」
三葉ちゃんが叫んだから、克彦が目を丸くして驚いてる。
「三葉……」
「二度と私に触らないで!! 私に近づかないで!!」
叫んだ三葉ちゃんが私の手首にある腕時計を指した。
「これも二度としない!! もう絶対!! テッシーは私に近づかないで!! ずっと大嫌いな気分だから!! こんな時計!! サヤチンにあげる!!! だから絶対っ、私に触らないで!!」
「三葉……」
「三葉ちゃん……」
「大っ嫌い!!!」
叫んだ三葉ちゃんが走っていく。克彦が茫然としてる。
「……三葉………なんで………」
「克彦………」
「…………オレ……あいつに嫌われるようなこと……したか?」
「………………」
「……三葉………あいつ……何を考えてるんだよ………チクショー……」
克彦が泣きそうになってるから、その背中を撫でた。
「……わけ、わかんねぇよ……三葉…」
「………………」
「…ぐすっ………」
泣きそうになったけど、克彦は泣かなかった。こういうところは男子なんだなって想う。
「…………」
「…………」
無言で克彦が帰り始めるから、私もついていく。ずっと、何も話さなかったけど、お互いの家への別れ道で、私は克彦の家へ向かう方へ脚を進めた。
「なんで、ついてくんだよ?」
「………パズル、完成させたいから……ダメ?」
「……そうだったな。いいよ、完成させてくれ」
克彦の部屋にあがると、少しだけ壊れたパズルがあった。うっかり引っかけたのか、わざと壊してくれたのか、よくわからないけど、すぐに直せる程度にしか、壊れてないし、もう絵柄は完成してるから、あっという間に直せた。たぶん、克彦が直そうとしても、すぐに直ったと思うから、私のために完成をとっておいてくれたんだって感じた。
「……完成。……ヤッタ……できたよ……」
「そうか、よかったな」
「……………」
「……………」
「………ねぇ……」
「なんだ?」
「次のパズルを買って挑戦してもいい? この部屋で」
「………いいけど……自分の部屋でしないのかよ?」
「ごめん、一人だと淋しい」
「……………まあ、いいぞ……」
克彦はOKをくれた。
朝、私はサヤチンの部屋で目が覚めて、つわりの気持ち悪さからは解放されたけど、気持ちの重さは同じだった。
「…………」
あの腕時計は、手首には巻かれて無くて、大切そうに机の上にあった。
「……………」
もう二度と、巻きたくない。この入れ替わり現象は最悪だよ。スマフォが鳴ってる。私のスマフォからの着信。
「…もしもし」
「もしもし、…私です」
「………サヤチン、その私の身体で、もう絶対にテッシーに近づかないで」
「わかってる。本当に、ごめん」
「…………」
「体調は、どう?」
「……この身体は平気。……そっちこそ、どうなの?」
「うん……それなりに……匂いが、こたえる。いろんな物の匂いが……きつい…」
「そう……」
「学校、どうする? 気持ちが落ち着かないなら、休んでくれていいよ」
「………そうさせてもらっていい?」
「うん」
「…………サヤチンは、どうするの? 私として出席できるの?」
「そうしておく方がいいと思うの。あとで何日か欠席しないといけないかもしれないし。ただの夏バテだって、みんなに思ってもらえるよう、頑張るよ」
「……そう……じゃあ、そうして……でも、絶対にテッシーに近づかないでよ」
「うん、本当に、ごめん。………腕時計も巻かないから、克彦とは会話もしないようにするよ」
「約束だからね」
「はい」
電話を切って、サヤチンのお母さんに気分が悪いから欠席するって言って、またベッドに戻った。
「………………」
何も考えたくない。
「……………ぐすっ……ぅぅ…」
泣いたって、何も解決しないけど、泣けてくる。
「……ひどい………ひどいよ………サヤチン……」
声をあげて泣くと、サヤチンのお母さんに心配かけるから、ずっと静かに泣いてたら、放課後になって私の身体が訪ねてきた。心配そうに訊いてくれる。
「……調子は、どう? 気分は?」
「………よくないよ……。身体は元気だけど………そっちこそ、学校で吐いたりしなかった?」
「食べる物に気をつけてみたら、なんとか」
「そう……それより、テッシーと何もしてないよね?」
「それは誓って」
「信用してるからね」
「本当に、何もしてないよ。目も合わせないようにしてたから」
「……ありがとう」
「お礼なんて言わないで……悪いのは私だから」
「…………」
「あと、これから、お姉ちゃんが仕事から帰ってきたら、お金を貸してくれるの。それを借りておいて」
「お金? なんで?」
「………必要だからだよ。私の貯金もあるけど、お姉ちゃんから10万円、借りるの」
「10万円も?」
「そのくらい要るんだよ。堕ろすのに」
「………………」
「本当に、ごめんなさい」
「…………。サヤチンのお姉ちゃんには、話したの?」
「話してはない。お姉ちゃんへは、何も言わずに10万円貸してください。パパとママにも言わないで、このことは誰にも言わないで、必ず返しますって」
「…………いい……お姉さんなんだ……」
私は四葉に、そう言われて貸せるかな………っていうか、そのとき、それだけの貯金があるかな、そんなことが四葉に起こらなければいいけど、万が一に備えておこうかな。
「じゃあ、もう帰るね。自分の家の匂いなのに、きつい。新築のせいかな、吐きそう」
「………ゆっくり休んで……四葉やお婆ちゃんに心配かけないようにしてよ」
「うん、じゃあ」
サヤチンが私の身体で帰っていった。
「…………いくら、いるんだろう」
サヤチンのスマフォで調べてみたら12万円前後だった。
「………………私の身体………」
もう、あんまり考えたくない。何も考えたくない。このサヤチンの身体なのに食欲もない。また涙を流してると、7時過ぎに、お姉ちゃんが部屋に来た。
「はい、これ」
糸守信用金庫の封筒を差し出してくれる。
「向こう3年間、無利子だけど、4年目から17%の利息をつけるよ」
「……はい、ありがとうございます…」
「ここにサインして」
封筒とは別に借用証書って紙があった。なるべくサヤチンの筆跡になるよう署名した。しっかりもののお姉さんだ。きっと、四葉から私が借りても書類と利息はありそう。
「早耶香、泣いてたの?」
「なんでもないです」
「………そのお金、まさか、あんたが妊娠してるわけじゃないよね?」
「っ、違う! 違うから!! 妊娠なんて言った?!」
「言わなくても、わかるよ。何も言わずに10万円って、女子高生の妹が切実な顔で言ってきたら、それしかないから」
「…………」
「本当に、早耶香が妊娠してるわけじゃないのね?」
「はい、私じゃないです」
信じてもらえるよう、お姉ちゃんの目を見て言った。
「そう、ならいいけど。………宮水さんなの?」
「っ、なんでわかるの?!」
「………あんたの交友関係で、お金出してまでって彼女しかいないし」
「お願い! 誰にも言わないでください!」
「わかってるよ。逆に忠告してあげる、秘密にするつもりなら、まず産婦人科も遠くに行きなさい。うっかり麓の市にある病院なんか行ったら即バレだから。糸守には産婦人科がないから、みんな町外に受診してるのよ。誰に見られるか、わかったもんじゃないし。あと、制服で行くようなバカ真似もやめなさい。顔も隠して、服装も気をつけて、できれば岐阜県外の産婦人科に。けど、富山と金沢市は微妙に近いから、そこへ受診してる妊婦も多いから避けた方がいいよ。あと未成年は保護者の同意が要るから、それも考えなさい」
「……保護者の……同意……」
「…………。偽造するケースも多いけど、厳密には有印私文書偽造って罪になるから、たとえ宮水さんに頼まれても早耶香が宮水俊樹とか、宮水一葉ってサインをしちゃダメだよ。あとあと、問題になったとき、あんたまでヤバくなるから」
「……はい…」
「普通、母親のいる家庭なら、父親に黙って堕ろすこともあるかもしれないけど、宮水さんとこは……、町長……機嫌悪くなるだろうなぁ……私たちにまで、とばっちり来るかなぁ……あのオッサン、イライラすると職員に……」
「お父さん……、………保護者の同意……」
「くれぐれも、早耶香が書類にサインするのは、やめてよね。うちまで巻き込まれるから!」
「……はい…」
「あと、心配だから付き添うってのも、危険だよ。さっき言った変装だって、二人そろって移動してると目立つし、最悪、噂されるとき勘違いされて早耶香が堕ろしたって話が拡がるかもしれないから、あの子、一人で行かせなさい」
「…はい…」
「だいたい、うちの妹に頼るって……まあ、あんたが友達想いなのは、いいことかもしれないけど、限度ってものがあるしね。お金を貸してあげたら、あとは自分で、ちゃんとしなって突き放すくらいでいいから、わかった?!」
「…はいっ…」
「借用書もちゃんと取るんだよ! この私がつくった借用書を参考に利息は5%にして。踏み倒されないように。ちゃんと避妊もしないようなダラしない子は、うかうかしてると秘密なのをいいことに借金まで踏み倒してくるから。だいたい、あの家系は他人から、お金をもらって当たり前くらいに思って生きてるよ。神社と寺の連中なんて、そんなもん。お金にも下半身にも汚いんだから! とくに、あのオッサンなんか娘を放り出して選挙に出るようなヤツなんだから、まともに子育てしようって意識がないのよ。そんな親なら、子も子だから、子供を捨てるってことが平気でできるの。早耶香も付き合う友達は選びなさい。欠陥ある家庭の子は、だいたい本人も欠陥あるから」
「はい…ぅっ…ぅっく…ひっく……ぅぅうう…」
「……早耶香が泣くことないでしょ。悪いのは、あの子なんだから」
そう言ったお姉ちゃんが抱きしめてくれて、頭が変になりそうなくらい切ないのに、抱きしめてくれる温かさが、肉親として本当に妹を心配してくれてるお姉ちゃんの温かさだったから、心のどこかが引き裂かれるくらい痛いのに、心の別のところは慰められて、甘えて泣いた。
つわりのある私の身体で目が覚めた。
「…………」
吐き気がする。気持ち悪い。何も考えたくない。
「三葉ちゃん、水分だけは、摂ろう。脱水症状になると病院に行くことになるし、そうなるとバレるから」
「……ありがとう……」
今が何時で、学校があるのか、ないのか、休むのか、行くのか、それも考えたくない。でも、サヤチンのお姉ちゃんにもらったアドバイスは伝えておかないと。私は教えてもらったことをサヤチンに話した。
「……遠方で………あとは同意か……わかった、なんとかする」
「………サヤチンがサインしちゃダメだよ……迷惑かかるから…」
「ありがとう。……迷惑かけたのは、私だよ、本当に、ごめん」
謝ってくれたサヤチンがスマフォで色々調べながら、背中を撫でてくれたから、ちょっとだけ吐き気がマシになった。