事務室のような場所から景色が一変する。目の前に広がったのは、中世ヨーロッパ風の街並みだった。
「ここは……」
澄んだ空気が肺を満たし、体の隅々にまでスーッと行き渡る。頭上には雲ひとつない青空。まるで田舎に来たような、空の近さを感じる。
深く息を吸ってから、改めて周囲を見渡す。そこにはエルフ、重厚な鎧をまとった戦士、軽装の剣士など、ファンタジー世界の住人たちが行き交っていた。
「す、すげぇ……! 本物の異世界じゃん!」
見るものすべてがゲームや小説の中でしか見たことがない光景。久しぶりに、走る以外で心が踊った気がする。ふと、視線が看板に止まった。
《始まりの街 アクセル ──別名、駆け出し冒険者の街》
なるほど、これはお決まりのRPGの導入パートらしい。それにしても、さすがは女神様。こっちの言葉も知識もちゃんと頭に入れてくれている。
……それはそうと、少し肌寒い。
「ん?」
ポケットに手を入れると、一枚のコインが出てきた。この世界のお金だろうか。裏側には、美しい女性の肖像が刻まれている。
「サツキさんもそうだけど、このコインの女性も……この世界、顔面偏差値高すぎるだろ」
とはいえ、正直前の世界の女性たちの顔なんてほとんど覚えてない。毎日走って、男の汗にまみれて──そんなことを考える余裕もなかった。でも不思議と、それも悪くなかった気がする。
――と、それはさておき、腹が減った。朝から何も食べてない。物価はよくわからないが、何か食えるだろうか。
「はい、毎度あり!」
というわけで、異世界に来て最初に食べたのは──焼き芋だった。意外にも物価は日本と大差ない。この世界の通貨「エリス」は、日本円と同じ感覚らしい。
ありがたい、ありがたいんだけど……。
「初期資金100エリスって、マジかよ。ハードモードすぎるだろ……」
某ポケットのモンスターですら最初は3000円もらえるのに。これじゃモンスターと戦う前に餓死するわ。初日から宿なし、飯なしはさすがにキツい。
そんな風に、剣も魔法も夢も希望もどこへやら。リアルすぎる現実に押しつぶされそうになっていたその時──。
目の端に、泣いている女性が映った。あの事務室にいた場所に、ぽつんと座り込んでいる。
「……なんで! どうして、天界に帰れないの!?」
その女性は、まさに“神”としか言えないほどの絶世の美女だった。
「あ、あの……大丈夫っすか?」
気づいたら声をかけていた。どこかで見た顔──そうだ、さっきのコインの裏に描かれていた女性に似ている。そして、「天界」というワード。
「えっと……女神様? ですよね」
「そうですが……って、じゃなくて! 私は通りすがりの修道女でして!」
「いやいや、“天界”って言っちゃってたし。てか、サツキさん以外にも女神っているの?」
「サツキ先輩をご存知なんですか!?」
「さっきまで目の前で話してました」
「……」
女神様(仮)は、じっとこちらを見つめてくる。なんか、ちょっと恥ずかしい。それにしても本当に綺麗だ。銀髪に透き通る蒼眼。控えめ……いや、慎ましい胸元。これが“本物の美人”ってやつか。
「黒髪に黒目……この世界では珍しい外見ですね。なるほど、あなたは“転生者”ですね?」
さすが女神様。お見通しだ。
「まぁ、そんなとこです。それより女神様はなんでここに?」
「あの……その“女神様”って呼び方、ちょっと照れるのでやめてもらえますか。私はこの国の“国教”に属する者でして」
「国教? じゃあ、エリス様って──」
「それも、あまり変わってません! もっとフランクに呼んでください!」
「じゃあ……エリスさん?」
「それは……ちょっと恥ずかしいです……」
なんだろう、めちゃくちゃ可愛い。こういうのに慣れてないんだろうな。顔を伏せて前髪で表情は隠れてるけど、赤くなってるのはバレバレだ。
「なんか、おもしろいですね」
「からかわないでください!」
「すみません」
「もう! いいです、許します。それで、あなたのお名前は?」
「えっと、工藤悠真です」
「クドウさんですね」
「“クドウ”って呼ばれるの、ちょっと慣れてないんで、“ユウマ”でお願いします」
「な、なるほど。ではユウマさんで」
「よし、それじゃあよろしく、エリス」
お互い名前の呼び方に納得して、自然と笑い合った。
「それでエリスはなんでここに?」
「それが……私にも分からなくて。気がついたらここにいて、戻ろうにも戻れなくて。……そういえば、ユウマさんは“特典”は何をもらったんですか? 見たところ、特別な物は持ってないようですが」
「いやー、物はもらってなくてさ。なんというか、“一人じゃ無理だから最強の剣士とか、なんでも治すプリーストとか、多彩な魔法使いとか仲間ください!”ってお願いしたら──」
「業が深い……。ちなみに、私は“なんでも”とまではいきませんが、それなりに治癒魔法が使えます! これでも女神ですから!」
「さすが女神様! ヒーラー属性持ちとは頼もしい!」
「そうですか?」
…………あれ?
なんでも治せるプリースト……ほぼそれに近い女神。
「……」
「……ごめんなさい」
俺は即座に土下座した。エリスが「顔を上げてください」と何度も言ってくれたけど、ひたすら謝り倒した。
そのあとも、俺はひたすら頭を下げ続けた。さすがに額が痛くなってきたけど──まぁ、大丈夫だ、問題ない。
「本当に……申し訳ありませんでした」
「そんな、気にしないでください。勝手なことをしたのはサツキ先輩のほうなので……」
本来なら立場は逆のはずなのに、なぜかエリスのほうがバツの悪そうな顔をしていた。
「とはいえ、帰れないってわけでもないんですよ。魔王を倒せば、きっと元の場所に戻れると思います」
「魔王を……。なるほど、分かりやすい」
「それに、目的が同じ方が色々と都合もいいじゃないですか?」
「確かに」
エリスの笑顔が眩しい。不思議だ、さっきまで腹が減って絶望していたはずなのに、彼女と話していると、どこか安心できる。
「よし、じゃあ決めた。俺が魔王を倒して、エリスを天界に帰してみせるよ」
「……はい、お願いします」
「って言っても、今のところ俺、一文無しだけどな」
「ふふっ。なら、まずは冒険者ギルドに行きましょう。魔王退治も、まずは登録からです」
「おお、それっぽくなってきた!」
「じゃあ、行きましょうか」
青空の下、街を歩き始めた俺とエリス。
──異世界での物語が、ようやく始まろうとしていた。
---
というわけで、冒険者ギルドにやってきた――のはいいが。
「冒険者登録には、お一人様千エリスの登録料が必要となります」
受付嬢の丁寧な口調に、俺とエリスは顔を見合わせる。
「お金、必要だったんですね……」
エリスが苦笑いを浮かべた。
くそ、さっそく金の壁にぶち当たるとは。登録できないとクエストも受けられないし、稼ぐ手段がない。つまり、晩飯も風呂も寝床も――全部アウト。
「……ちょっと誰かに借りてくるわ」
エリスにはカウンターで待っててもらい、ギルド内をざっと見渡す。酔っ払いたちと、いかにも冒険者って感じの数人。さて、誰に声をかけるべきか。
視線の先には、壁際の席でトランプをしてる少女と、緑色のジャージらしき服を着た黒髪の青年。
(……あれ、ジャージ? って、日本人か?)
そっちに決めた。
「すみません。俺、工藤悠真っていいます。ちょっと、いいですか?」
「ああ、別にいいけど。……あれ、あんたも日本人か?」
「うん、そうだけど」
「よかったー! ここで同郷に会えるとはな。俺は佐藤和真。カズマって呼んでくれ」
ビンゴ。まさかの日本人転生者だ。今日の俺、運良すぎる。
「カズマ、よろしくな。……で、いきなりで悪いんだけど、二千エリス貸してもらえないかな。転生時に金をもらえなくて、登録料が払えなくてさ」
「いいぜ。困ってる仲間は助けるもんだろ?」
「マジで!? ありがとう! 今度、飯でも奢らせてくれ」
「おうよ。楽しみにしてるぜ」
本当にいいやつだ、カズマ。今度必ず恩返ししよう。
---
「はい、確かにお預かりしました。では、この魔道具に手をかざしてください」
どうやら、手をかざすだけで情報を読み取って冒険者カードを作ってくれるらしい。便利すぎる。
「クドウ・ユウマさんですね。俊敏と幸運が非常に高いです。魔力・知力も平均以上ですが、筋力がやや低めですね。このステータスなら、盗賊職が向いていますよ」
「……筋力、低いのか。まあ、知ってた」
筋トレをさぼってたツケがこんな形で返ってくるとは。でも、せっかく魔法が使える世界に来たんだし、魔法職も捨てがたい。
「あの、魔法使いは無理なんですか?」
「一応、適性はありますが……ステータス的には盗賊のほうが」
「大丈夫です。魔法使い、憧れてたんで」
「そ、そうですか……。では、ウィザードで登録しますね」
---
そして、エリスの番。まさか人間用の測定器で女神のステータスが読めるとは思わなかったが――。
「す、すごい……! 前の方も優秀でしたが、それと同レベルです! 筋力、俊敏、知力、魔力、すべてがバランスよく高水準。どの職にも適性があります!」
「そ、そんな……。幸運が平均って……私、一応、幸運の女神なのに……」
エリスが肩を落とす。いや、そこかよ!
受付嬢も「え?」という顔で固まっている。
「えっと……職業のおすすめはありますか?」
「そうですね。シスターのような服装ですし、アークプリーストはいかがでしょう? 治癒と支援魔法に優れた、人気の高い上級職です」
「……はい、それでお願いします」
---
「エリス、せっかくだしクエストやってみようぜ。初心者向けの、軽いやつとかないですか?」
「でしたら、ジャイアントトード討伐が定番ですね。武器のレンタルも可能です」
カエル退治か……まあ、最初はそんなもんか。魔法もまだ使いこなせてないし、エリスの支援でなんとかなるだろ。
「じゃあ、それで。武器はダガーでお願いします」
「はい。では、健闘をお祈りします」
---
---
クエストの現場に着いた俺たちは、すぐに状況のヤバさを思い知った。
「でかっ……」
目の前にいるのは、ジャイアントトード――でっっっかいカエルだ。名前に偽りなし。余裕で車一台分はある。
それが、ぬるぬると地面を這いながらこちらを睨んでいる。ヤバい。思ったよりヤバい。
「ユウマさん、眉間です! 眉間を狙ってください!」
「届くかーッ!」
ダガー片手に突っ込むが、相手は余裕の踏み潰しモーション。ジャンプ力が足りないんだよ。誰だよ、支援魔法でなんとかなるとか言ったやつ。――俺だよ!!
(くそっ、魔法の詠唱もまだ慣れてないし……!)
ダガーを投げつけても、皮膚が分厚くてまったく刺さらない。そもそも目を狙うにも跳躍力が足りない。なんでこんなに現実的なんだよこのゲーム世界!
「ちょ、なんですか!? 私はおいしくないですよ!!」
「エリス!?」
いつの間にか、別のトードが横から接近。うわ、マジで食おうとしてる!?
「このクソガエルがあああああッ!!」
半ばヤケクソで突っ込み、思い切り眉間を殴る――じゃなくて、刺す。手応えあり! 目に直撃したのか、カエルが暴れながらのたうった。
「いける……! もうちょいで倒せる!!」
その後も必死に逃げて、回避して、刺しての繰り返しで、なんとかカエル3匹を撃破。
---
【クエスト完了】 ・ジャイアントトード×3 討伐成功
・報酬:15,000エリス
---
「……カエルって、鶏肉の味がするんだな」
ギルドの食堂で出された討伐報酬の“現物支給”。つまり、ジャイアントトードの肉。まさか自分を食おうとした相手を自分で食べることになるとは思わなかった。
しかも、うまい。臭みがなくて淡白で、ムカつくくらいにうまい。
「これしか稼げないとなると、ちょっとキツいですね。毎日こなすのは体力的にも……」
「まあ、明日からバイトする予定だしな。エリスは?」
「明日は教会の手伝いをしようと思ってます。その次の日から一緒に働けますよ」
「そっか。じゃあ、明日は別行動か」
ギルドを出て、向かった先は――川の近くの馬小屋。
宿なんて贅沢は言えない。今の俺たちにとっては、雨風がしのげるだけで充分だ。
---
「それでは、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ――」
……ん?
あれ、なんか違和感が――
(……え、ちょっと待て。俺、今……エリスと一枚の毛布で寝てる!?)
しかもめっちゃ近い。女神様と、距離ゼロの密着睡眠中。これやばい、いろんな意味で。
(……クールになれ、工藤悠真。今は無心。何も考えるな……無……)
結果、緊張とドキドキと気まずさで、その夜、眠れたのは――たったの3時間だった。
……まあ、それもまた、異世界生活の一部ってことで。
---
ほんの少しの手直しが、気がつけば大規模工事になってました(笑)
改稿前とはユウマの話し方が少し変わってたり、エリスの設定、二人の出会いが少し変更になってますが、このあとの話には支障がないのでご安心を。
それと、見直してはいるのですが誤字がやっぱり多いので、もしよかったら感想欄に書いてもらえると助かります。
今後ともよろしくお願いします!