ここに蔦はない。
広がっているのは金色の平原だ。
この金色の平原を、ケチャワチャの、貴様の血で染め上げてくれる。
「くたばれぃ!」
左手の剣をしっかりと握り、ケチャワチャに詰め寄る。
相も変わらず、こちらをまるで敵として認識していないような表情だ。馬鹿にしたような表情にも感じるのは今までの積み重ねの結果か。
一瞬やつの鼻が膨らんだ。鼻の穴ではなく鼻が、だ。
また鼻水か―――!
「当たらなければ! どうということはない!」
「今こそ我が槍さばきを受けてみよニャー!」
躱しながらさらに距離を詰める。ネコ太郎と俺の同時攻撃だ。ネコ太郎の突撃、そしてすぐさま俺による斬撃がケチャワチャを襲う。隙を生じぬ二段構えだ。蔦がない以上、上に避けるなど不可能。仮にネコ太郎の一撃目を避けても、すぐさま俺の攻撃が襲う。
「ニャ! 避けられたニャ!」
ネコ太郎の突撃をジャンプして上に回避した。蔦はなくてもジャンプできますってか。
だが、そのあとは着地するしかない。貴様はチェスや将棋で言う、詰みに入ったのだ―――
「あ?」
降りてこない。確実に入る、っというタイミングで振った剣は虚空をむなしく斬るのみだった。
皮膜を広がせて、降りるタイミングをずらし、やや後ろに下がっている猿の顔が見える。
「敵ながら天晴。だが俺のフットワぶべぇ!?」
「また鼻水まみれになってるニャ……」
ぶっかけ趣味とかサイテー!
「だ、旦那さん、あんまりこういうこと言いたくニャいけど……」
「な、なんだ!」
探し回ってる間に落ち着いてきていた怒りも今ので再び燃え上がっている。今の俺は阿修羅をも凌駕する存在だ。この俺をここまで追い詰めるとは、もはや油断はしない。敵として認めようこの猿め。
「完全にボクら、遊ばれてる気がするニャ……」
「何を馬鹿な―――」
ここは狩場なるぞ。そんな一方的な力関係などあるはずなかろう。
そう抗議しようとしたら目の前までケチャワチャが迫ってきていた。
そして少し力をこめるような動作をしたあと―――
至近距離で咆哮をあげた。
「―――っ!」
耳痛っ。うるさすぎて耳が痛い。
だがどうやら、ようやくこいつも戦う気になったようだな。遊ばれているというのはやはりネコ太郎の気のせいだ。今のが戦いの合図よ。
「なんてなぁ―――!」
横に全力で跳ぶ。
俺がいつまでもやられっぱなしだと思うなよ。どうせあのままいたらまた顔に鼻水つけられるオチだろう。
だが俺は学習するのだ。学習こそ人の武器なのだ。
「……」
「……」
「―――あれ?」
俺が先ほどまでいた位置に鼻水は飛んでこなかった。
というか何もしてこなかった。
突然横に跳びながら『なんてなぁ!』とか言いだした人間を、なんだこいつと言わんばかりの目で見てる二人の目線と沈黙。
そんな奇行を行った俺が愉快だったのか、手を叩いて笑っているケチャワチャ。
立ち上がりながら、覚悟を決める。
もういい。優雅に勝とうなどとはもう、思わない。
鼻水弾など、所詮は液体。気持ち悪さこそあれど、もはや俺の怒りの前では無意味だ。
鼻水なんて無視してボッコボコにしてやる。
「絶対に許さんぞむビッィ!? ケラども!」
またも口上の途中でぶっかけられた。だがそのまま前へ走る。もはや我が歩みを止めるものはいない。
止められるものなら止めてみろ!
「うおおおおお、そぉい!」
やはりフットワークが軽い。今度は上でなく、バックジャンプで躱される。
だがこれでやつもわかったろう。もう水弾などでは俺を止めることはできぬ、と。
「もう一発! そぉ―――いったぁ!?」
「クライ大丈夫!?」
足を引っ掻かれた。なにあいつ腕なっが。あと爪なっが。爪切れよ。
突然の物理反撃で足をやられ、転倒してしまう。
またあいつ、手を叩いて笑ってやがる。
深く引っ掻かれたわけではない。我慢できないレベルではない。すぐさま立ち上がり挑発を投げる。
「この! 来いよケチャワチャ! 爪なんて捨ててかかってこい!」
鼻水が飛んできた。
知ってた―――
だが俺は日々進化し続けるのだ。今度は右手で鼻水を凌ぐ。正確には右手の盾だ。
片手剣なのに盾のこと忘れるってどうよ。今思いだしたよ。
盾を前にしながら一気に間合いを詰め寄る。
この盾は徹甲虫の素材から作られた盾だ。お前の爪など容易くはじいてくれる。
今度は斬撃ではない。このまま盾でぶん殴る。シールドバッシュだ。
ジャンプして躱される。今度は上か。皮膜で落下のタイミングがずれることはさっき学習した。
タイミングを計らず、やつの姿から目を離さず対応すればいい。
やつは空中でやはり皮膜を広げ―――
くるんとその場で前転し、回転の勢いのまま腕を振り下ろしてきた。
「うおおぅ!?」
慌ててその場から離れる。猿の腕は爪が地面に食い込んでいる。
あんなの当たったらひっかき傷ができたってレベルじゃすまない。
「おっそろしい……が、今が!」
「チャンスニャー!」
まさにさっきの一撃は強烈な一撃だった。だが当たらなければ意味がないのだ。
そして外れた時に自分の動きが制限される一撃など、悪手以外の何物でもない。
猿の腕が片方、地面から抜けた。
そしてその腕で引っ掻いてきた。が、盾を構え防ぐ。
あ、痛い。
爪が長すぎて、もう関節が1つ多い生き物みたいな感じになってるわこいつ。前からの攻撃なのに真横から爪で引っかかれた感じだわ。
だが腕をしっかり使った攻撃じゃないし、ひっかき傷で終わる程度だ。痛いけど余裕だ。
俺との攻防の間に、ネコ太郎は顔面へ向かってジャンプした。やつの腕はまだ地面に刺さってるか、今俺が盾で受け止めてる状態だ。決まった―――!
「ぶニャァ!?」
鼻水弾――――!
「ね、ネコ太郎ー!!」
ネコ太郎がもろに鼻水弾を食らってしまった。あいつのサイズ的にあの鼻水弾は大きいから衝撃も辛かったのだろう。錐揉み回転しながら飛ばされた。
「ネコ太郎大丈夫?」
アカリだけ余裕な感じである。全く焦っていない。まぁそりゃ鼻水アタックは気持ち悪いだけだろうけどさ。でも錐揉み回転なんだしもっと焦ってよくない?
「ニャ、ニャア……ボクの名前は……ネコ太郎に、あら、ず……」
「ネ、ネコ太郎ー!!!」
ちくしょう。ちくしょう!
角笛とネコ太郎の弔い合戦、負けるわけにはいかねぇ!
剣を振り
躱されて
引っ掻かれて
鼻水ぶっかけられた。
「ぐわああああああ!」
「だ、旦那さーん!」
だがすぐに立ち向かう。攻撃は躱されるが、少しずつ慣れてきたのか、奴の攻撃にも対応できるようになってきた。
やば、と思って少し後ろに下がる。目の前を爪が通り過ぎる。横へ移動し飛んできた鼻水を躱す。
時々引っかかれるが、問題ない。少しずつ、楽しく感じてきた。なんだろう、もうこいつ好敵手だわ。お互いを高め合う関係だわ。
隙を見ては攻撃をする。だが躱される。そしてこちらも躱す。この繰り返しである。
「クライ、そろそろ手伝おうか?」
アカリから声が掛かった。
有難い言葉だが、今ちょっと楽しいし断ろう。
「いや、大丈―――」
「ケチャワチャを狩る気、なくなってない?」
アカリの言葉に一瞬止まる。その隙に鼻水をぶっかけられる。その姿を見て楽しそうにしているケチャワチャがいる。
「まぁ、ちょっぴり」
こいつ敵意とかないんだもん。
それに大怪我をさせないよう気を遣ってる気がする。さっきから引っ掻かれても大きな怪我にはなってない。そして隙だらけの時は鼻水をかけてくるだけだ。
ただ楽しんでいるだけだ。ただの悪戯好きなのだ。
「こいつ、こっちに大怪我とかさせないよう気を遣ってるし、悪い奴じゃないし、狩るまでしなくても―――」
「狩らないとダメだよ?」
アカリが当然のように言った。
「いや、でも―――」
「その子が気を遣ってようと、狩猟クエストとして私たちは任されてるんだよ?」
まぁそうだけども。
でも狩猟してほしいって理由は悪戯がひどいからって理由だったし、痛めつけるとかで済ますとか……
「どんな理由であろうと、どんな事情であろうと、クエストとして任されたら達成する。私情で見逃すとかしちゃダメだよ?」
「……結構冷たいな。まるで頭でっかちな機械みたいだ」
つい皮肉を言ってしまった。
「たくさん狩るとこうなるのかもねぇ……。だけど狩猟対象に情を寄せるのはよくないよ。見逃せばまた悪さを繰り返す。狩れば情を寄せた分だけ気分が落ちる。だからハンターは、頼まれたことをただこなすだけのシステム、って割り切ったほうがいいよ?」
普段の頭悪そうな雰囲気からかけ離れた思想を言われた。
たくさん狩るとこうなる、はゲーム中での行動の影響だろうか。素材のため、楽しみのため、とりあえず狩りしてた行動がこうして反映されたのだろうか。
しかし、システム、か。
そう割り切ったほうが、確かに楽になれるかもしれない。
アカリに対して思っていることも、システムだと割り切―――
「ぶぺぇ!?」
大人しいなーって思ってたけど、シリアスにものを考えてる最中に鼻水ぶつけんのやめろ。
「ま、あくまで私個人の考えだし、なんでもいいんだけどね! けどなんにせよ、その子は狩るよ。だから手伝うからね!」
そう言ってアカリはハンマーを構える。
「ネコ太郎、離れてて」
「わかったニャ……。あとボクの名前は暮れなずむ―――」
「さぁかかってこーい!」
ネコ太郎に指示を出し、アカリは大声をあげた。体育会系だなやっぱあいつ。
次の遊び相手? とばかりにアカリに目を向けるケチャワチャ。
敵意は相変わらずない。ただ面白いことを求めてるだけなのだろう。
アカリのもとへ走っていくケチャワチャ。
そして突然立ち止まり、安定の鼻水である。が、余裕を持って躱されていく。
まぁ上位ハンターだしなぁ。それに、ほとんどのモンスターを2桁、ひどい場合は4桁の数狩ってるであろうやつだ。
アカリもケチャワチャのもとへ走っていく。
ケチャは跳び、空中で一回転―――俺にやった大技だ。
上から襲ってくる腕を身体をひねりながら躱し、地面に突き刺さった爪を、姿勢を戻しながらハンマーで叩き付けた。
爪が折れた音がする。爪だけじゃなく、骨も一緒に折れてそうだ。
激しい痛みに悶えるケチャワチャをしり目に、ハンマーを振りかぶり、横に回転させ、遠心力の勢いのまま顔面へ横殴りに叩き付けた。
地面に刺さっていた爪が引っこ抜けるほどの衝撃だったのだろう。吹き飛ばされ転がるケチャワチャが痛々しい。
「ん。さ、あとはクライがやってね!」
武器を背中に戻しながらアカリが告げる。とどめを刺せとな? 養殖か。高レベルが弱らせて、とどめを低レベルに刺させてレベルアップを狙う養殖、パワーレベリングか。MMOじゃねぇんだぞこれ。
ケチャワチャの姿はもう無残なものである。
両腕は恐らく折れてるであろう、ひどい腫れで爪もボロボロ。
顔も片目と鼻から血が流れている状態だ。
これはもう引っ掻きや水弾も、皮膜による飛翔も出来ない。
システムとして割り切るのだ。
システムだ。システムなのだ。
ゲームで何度も狩ったのだ。ゲームと同じクエストなのだ。
だからこのケチャワチャも、システムなのだ―――
星紋の剣を振りかぶり、まともに動けないケチャワチャの脳天へ突き刺した――――――
「おつかれさまー!」
「ん……。正直風邪気味なのに俺頑張り過ぎじゃない? 寒気ひどいんだけど」
「鼻水まみれだからそう感じるだけじゃない?」
気分が優れないのは風邪だからなのか、それともシステムだと割り切れていないだけなのか。
帰ったらとにかく眠りたい。