朝早く、静かな筈の牧場に甲高い音が鳴り響く。
それはカーンカーンとリズム良く何度も何度も繰り返し鳴っていた。
そんな不気味な音が何度も鳴れば気になって人は目を覚ますもの。
チトはそんな人間の一人だった。
「ユー、起きろ。 ユー」
「んー……どしたの?」
チトは起きた後に耳を澄まし、音を聴いて間違いでないこと確認すると横で寝ていたユーリの頬をぺちぺちと叩き起こす。
起きたユーリは音に気づいてないのか不思議そうに痛む頬を撫でながらチトに尋ねた。
「音が聞こえるだろ?」
「んーー……本当だ。 何の音だろう」
チトの言葉に従いユーリも耳をすます。
そうすれば先ほどから聞こえてくる音がまた鳴った。
「××××が何かしてるんじゃない?」
「それも考えられるけど、朝早くにこんな響く音を鳴らすとは思えない」
二人の脳裏に自分達の保護者をしてくれている青年が思い浮かぶ。
あの人の良い青年のことだ、極力迷惑の掛かるようなことをするような性格ではない。
たまに親切が行き過ぎて迷惑になることもあるが大抵は人畜無害な青年だ。
「でも××××が出してなくても注意しに行きそうだけど」
「確かに……」
二人の脳裏にこれまた青年が出てきて音をたてている何者かに注意してる光景が見える。
「音が止んでないってことは××××が何かしてるんでしょ。 心配ないよ、ちーちゃん」
ユーリは時計を見て五時であることを確認し欠伸をするとそのまま布団の中へと戻ろうとする。
それをチトが引っ張って引き止めた。
「んー! 待て待て、××××が注意した人物が悪者で酷い目にあってってこともあるかもしれない」
「……結局はこの音が怖いし、心配なんだね。 ちーちゃんは」
「なっ!」
ユーリの言葉にチトは図星で、恥ずかしくなって顔を赤らめる。
「そこまで気になるなら見に行こうか」
「私は別に……」
「なら……行かない?」
「……行く」
ユーリが聞けばチトが折れ結局二人で様子を見に行くこととなった。
そうと決まれば二人の行動は早い。
すぐに布団からでてタンスから着なれた軍服とヘルメットを被り、予備のカンテラを手に外へと出ていった。
「××××、動物小屋に居なかったね」
「そうだな、やっぱり……」
二人が念のために朝仕事をしていることの多い動物小屋に先に行ってみるもそこには青年の姿がなかった。
二人は確認すると互いに視線を合わせ頷き、音の鳴る方へと進む。
その際にチトは頭のなかで悪者にやられる青年を思い浮かべ、顔を真っ青にさせた。
「問題ないって心配性だねー」
「……お前は心配しなさすぎなんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
チトに対してユーリは恐怖など何処吹く風。
ユーリの腕にしがみ付きながら歩くチトと違い、足も軽快だ。
どんどんとチトを引きずりながらも音の鳴るほうへと歩いて行った。
「あっ……ゲートと看板」
「ちーちゃん、何て読むの?」
「んー……あっ、振り仮名振ってあるな。 か……じゅえんかな」
「かじゅえん……どんな畑なの?」
「畑は確定なのな」
「だって……ここも牧場の一角でしょ。 それなら××××の事だしそれ関係に決まってるって」
二人が歩いていれば、木で出来たゲートが目の前に姿を現す。
それを見て二人は相変わらず広い場所だなと思いつつ、看板を見る。
その際にユーリがチトになんて書いてあるのかを聞き、チトが答えた。
本来であれば文字が分からないチトは読めないのだが、数日前に解決をした。
『……あ、い、う、え、おっと読めるな』
『おぉー……おぉ?』
文字について聞いていたときだ。
自分達の使っている文字と此方の世界の平仮名とカタカナが同じ文字数である事にチトが気が付いた。
それから、言葉は通じているので五十音表で互いに纏め比べてみれば読めるのではとなった。
試しにチトが自分達の文字を五十音表で出し、こちらの世界の五十音表と合わせて本を読んでみる。
流石に漢字自体は読めないが、言葉の意味自体を知っている為、振り仮名さえ振ってあれば大抵理解出来た。
これにより、チトは本を遅いながらも読むことに成功したのであった。
正し、漢字以上に理解出来ないものもある。
それが横文字の類であった。
英語などの言語は少しの知識しか無い為、チトもそればかりは最初から学ばなければならなくなったのだ。
それ以来、時間があれば本を読み、青年から辞典とノートを貰い分からないことがあれば書いて覚えている。
勉強の成果が今回役に立った。
「果樹園は果樹が栽培されている場所だな」
「かじゅ?」
「果物の生る木のことだ」
「おぉー! くだもの!」
「……こんなものまで作ってるんだ」
ここのハーベストムーン牧場はかなり広い。
家のある区画には家と家の横に資材置き場、目の前には畑に動物小屋、鳥小屋に風車と放牧出来る広い場所がある。
そんな場所を維持するのにも大変なのに青年は同じ広さの区画を更に二つほど所持していた。
もっと言えば、家の地下でも作物を育てているらしく、一人で維持している青年にチトは呆れるしかない。
「ちーちゃん行こう!」
「言っておくけど……今は冬だから実ってないからな。 詳しくは、知らんけど」
「しゅん」
果物と聞いて張り切るユーリにチトは事実を告げる。
事実を知ったユーリと言えば、先ほどの軽快な足取りが嘘のように重くなった。
「ほら、歩け」
「ちーちゃん……本当に何もないね」
「木があるだろ」
「食べられないじゃん」
果樹園に入り、周りの木々よりも小さな木々、果樹の横を二人して歩く。
その際にユーリは横にある果樹を見ては『ない。 ここもない。 ない』と呟き続けた。
チトはそんなユーリを引っ張るようにしながら先に進む。
「なに……地震!?」
「あははは……揺れた!」
先に進んでいた時だった。
音を頼りに暗い夜道を歩いていれば、何か倒れたような大きな音と共に二人の足元を小さな地響きが通る。
チトはそれに驚き、カンテラで辺りを照らし探り、ユーリは楽しそうに笑った。
「あ……ちーちゃん、あそこ」
「え?」
「居たね。 元凶が」
「……」
地響きが収まった後、ユーリが先を指差し、チトもそちらを見る。
ユーリの指差した方向を見れば、先ほど目の前のほうにあった木が倒れこんでおり、その木の上に青年が座り込んでいるのがぼんやりと見えた。
青年の横には倒れた木の切り株があり、それには斧が刺さっていて誰が何をしていたのか丸分かりである。
「はぁ……」
「木に隠れてて見えなかったんだね。 そして木が倒れて見えるようになったと」
「何で深夜に木を倒してるかな」
「きっと体を動かしたくなったんだよ」
「そんなわけあるか、お前じゃないんだ」
ユーリの適当な言葉にチトは溜息をついた。
そして、二人一緒に音の元凶であった青年に近寄っていく。
「……」
青年は二人が近くによっても気付かないほど何かを考えている様子であった。
切り倒した木を椅子にして空を見上げ、真面目な表情をしている。
そんな青年を見てチトは『こんな顔も出来るんだ』と思い彼の横顔をじっと見つめた。
よく考えればチトが見たことのある青年の表情は大抵笑顔だった。
楽しくてしょうがないとか、二人のやり取りを見て苦笑したり、笑ったり。
一仕事を終え、真面目な表情をしている顔は初めてであった。
「おーい」
「あっ」
横顔を眺めていれば、ユーリがカンテラを揺らし声を掛けた。
声を掛ければ青年も流石に気付き、二人に視線を移すと何故此処に居るのかと不思議そうに首を傾げる。
チトはそれに対して思わず声を出した。
「どしたの、ちーちゃん」
「ごほん……何でもない。 ところで何でこんな時間に木を?」
ユーリが不思議そうに見つめるも、チトは手を握り口元に持っていき咳払いをして誤魔化す。
そして、青年に向かって少し赤い顔で何をしているのかと問いかけた。
「ちーちゃん……当たってたね」
「マジか」
青年の答えは先ほどユーリの言った通りの答えであった。
『考え事してたら眠れなくなって……それで体を動かそうかなと』である。
ついでに『広いから家まで音は届かないと思ってたけど、届くのか……ごめん』と謝罪をした。
一人で暮らしていれば音がどの位まで届くのか分からないのもしょうがない。
その事についてはチトとユーリは『いいよ』と答え許した。
「それで悩み事って?」
「私達に解決出来る?」
ユーリが切り株の斧を抜き取り、地面に置くと二人は切り株に座る。
既に眠気も飛んでしまい、どうせなら会話でもと言う事になった。
青年も眠気がないのだろう。
二人に付き合い、体を切り株のほうへと向けて喋りだす。
青年の悩みを纏めれば、どうやらこれからの牧場の方針で悩んでいたらしい。
その事を聞いて、実は金銭的に危ういのかとチトは体を強張らせた。
「え……違う?」
「はぁ……良かった」
その事をチトがおそるおそる聞けば、青年は笑って『違う。 金銭的には問題ないから安心してくれ』と答えた。
チトとユーリはそれを聞いてほっと息を吐き、同時に安心する。
これで『金銭的にやばいので別の所に……』とか言われたら絶望しかない。
青年は思い出したからか憂鬱そうなため息をついて語りだす。
こと始まりはチトとユーリが働くことが決定した時だと言う。
従業員が増えたことで他の手を付けていない箇所に手をいれようと考えたらしい。
「まだ牧場広げるつもりなんだ……」
「あははは、凄すぎて逆に笑える」
「私は軽く引いてる」
二人はそんな会話をした後、青年に続きを促す。
土地は余っているので広げるのは問題なかった。
しかし、広げるにあたって問題が出てくる。
『その一つがそれだ』と言って青年はチトとユーリのお尻の下の切り株を指差した。
「切り株?」
「これが問題……あー、引っこ抜くのに時間と手間が掛かるのか」
試しにチトが言えば青年は頷いた。
切り株もそうだが切った後の木もまた手間が掛かる。
倒した後に幹に沿って邪魔な枝を全て切り落とし一本の丸太にする。
その後、丸太を持ち運びやすい大きさに切り揃え運ぶ。
この広い牧場を一人で経営している青年でもこればかりは労力も時間も取られる。
「まぁ、流石の××××でも苦労するよね」
「人間だったんだねー」
その話を聞いて青年は人間扱いされてなかったことにすこし落ち込んだのか肩を落す。
「機械を使ったりとかで効率良くすること出来るんじゃない?」
「流石に使ってるだろ。 丸太とか車以外でどうやって運ぶんだ」
青年にユーリがそう聞いた。
そんなユーリに大してチトが機械を使わないとかないないと目の前で手を振った。
しかし、そんなチトを青年は視界に入れないように明後日の方向を向き、何やら汗をかき始める。
それを見てチトはまさかと思うけどないよね? 的な視線を青年にぶつけてみる。
「斧一つで今までの工程をやってたんだ」
「……マジか」
チトがじと目でそう言うと青年は息を吐いてから観念したように頷く。
それに対して横で呑気に聞いていたユーリですら頬を引きつらせる。
「いやいや、何で使わないの? お金がやっぱりなかったり……」
ユーリが不思議そうに聞いてみると青年は首を横に振る。
そして一言恥ずかしそうに呟く「実は……機械音痴なんだよね」と。
その言葉を聞いた二人は視線を合わせ信じられないと驚いた。
しかし、青年は真面目に答えているようで冗談ですとか言わずに苦笑で二人に返す。
そして、どれだけ自分が機械音痴なのかを二人に話していく。
この牧場を少し進むと広場があり、そこの広場から三つの里に行ける様になっている。
三つの里はそれぞれ特徴があり、観光地としても人気が高い場所であった。
そんな三つの里の一つに青年の叔父にあたる人物が牧場を開いている。
青年は自分の牧場を持つ前に、その人の所で一ヶ月の間、牧場のノウハウを学んだ。
その時にあった出来事だ。
ノウハウの中には勿論、農業機械等の道具の扱いもあり教わった。
しかし……学び始めて一週間後、青年は叔父に肩を叩かれこんな事を言われる。
『××××……お前には牧場主としての才能がある。 三年……いや、二年もすればオレを簡単に超える牧場主になるだろう。 しかし……お前は機械は扱うな。 本当に使うな……絶対に事故が起きる。 なに、農具でも十分やっているさ』
と優しく気の良い叔父に言われてしまう。
それ以来、ずっと斧や鍬、鎌に如雨露といった道具と腕っ節一つで経営をしてきたのであった。
「……どうりで機械の一つもないと思った」
「テレビとかだと農業で機械使ってたもんね」
其処まで聞いて、二人は農業関係のテレビを思い出す。
青年は農業や牧場関係のテレビになると絶対と言っていいほどテレビを見る。
そんな青年に付き合い、二人もまたテレビを見ていた。
その中では農業でトラクターや田植え機にコンバインなどの機械が多く紹介される。
しかし、チトとユーリはそんな機械を一度も牧場内で見ていない。
チトは『自分の手で作るのが拘りなのか』と思っていたがどうやら違ったようだ。
ちなみに毛刈り機や搾乳機は小さく、シンプルな物を使用してなんとかなっている。
「でもさ……ほら、何度も使ってれば上達することも」
ユーリがそういえば青年は更に落ち込みこんな事を言う。
あれは青年もそれなりに成長し、お金にも余裕が出来てきた頃。
その頃になればもっと効率良く牧場を経営したいと思い始める。
流石に人の手だけでは大きな牧場を維持出来ないとも思ったのだ。
「……人の手だけで?」
「十分にしてると思うよ」
そこで耕うん機を試しに買って使ってみることにした。
「耕うん機って何? ちーちゃん」
「畑とかを耕してくれる機械だったはず。 大きさ的にはトラクターとかよりも小さく手で押していける」
「……聞いといてあれだけど、ちーちゃん何でそんな事知ってるの?」
「テレビに出てきてたし予習はするだろ。 むしろ何で一緒にテレビ見てて分からない」
青年も最初は使い方に困ったが慣れてしまえばいける筈と使い始める。
一日目は説明書を読んで終わった。
二日目は実際に使ってみた。
三日目から、耕うん機の調子が悪くなった。
四日目が過ぎた。
五日目には青年は鍬を肩に担いだ。
「……」
「……」
青年が語り終えれば、両手で顔を覆い『夢だった……トラクターとかを自由自在に動かす牧場主』と嘆いた。
そこまで聞いたチトとユーリと言えば、なんて言えば分からず二人して沈黙する。
笑えばいいのか、一緒に嘆げばいいのか分からない。
「……あっ」
「今度はどしたの?」
そんな何とも奇妙な雰囲気の中、チトはあることを閃いた。
「……××××が使うんじゃなくて、私達が使うならどうだろ?」
「おー……チェーンソーデビュー!」
「お前には絶対触らせない」
「……なんで」
チトの閃いたことは自分達二人が機械を扱うという事だ。
チトとユーリだと青年の力、体力の足元にも及ばず、知識なども圧倒的に足りていない。
しかし、機械を扱えればそれも少しはましになる。
そもそも青年が機械を扱えないのだ。
チトとユーリが使えるようになってくれれば、青年としても出来る事が増え楽になる。
「……一応、前の世界でずっと乗り物を運転してたし、最初はてこずると思うけど慣れればいけると思う」
青年がチトの言葉で顔を上げる。
そして『サイロとかも作れるようになる? 切り株も簡単に引っこ抜ける?』とチトに聞く。
「う゛……が、頑張ってみる」
「私も手伝うし、イケるイケる!」
チトは青年の期待の篭った目を見て少し怯むも何とか言い切る。
それを聞けば青年の顔がどんどんと真面目になっていき『……どの機械から買い揃えようかな。 あれか、いや……あっちのも』と仕事の顔となった。
そして直ぐにカンテラを持ち『家に帰ろう。 カタログを見て買う物を決めないと』と青年は家に向かって歩いていく。
「カタログもいいけど、ご飯もー」
「はぁ……早まったかも」
先を歩いていく青年の背中を見て二人もカンテラを持ち追いかける。
その際にチトは大きく溜息をつき、この後の展開に大きな不安を感じた。
「でも」
「うん?」
「ちーちゃん、嬉しそうだよね?」
「……」
二人で背中を追いながら話していれば、ユーリがチトの顔を見てそんな事を言った。
それに対してチトは少し考え込み、自分の頬を触る。
「嬉しそう……かな?」
「うん……恩が返せるのが嬉しい?」
「そっか……うん、それもあった」
「それも?」
チトはユーリの言葉に納得しつつも、別の理由もあると答えた。
その事に隣を歩いていたユーリは首を傾げる。
「理由が出来たのが一番嬉しいかなって」
「理由……ってなんの?」
「ここに居てもいいって言う理由」
「そんなのとっくにあるでしょ。 一年の内に野菜を作らないといけないし」
チトの言葉にユーリは女神ちゃまとの契約を忘れたのかと口にした。
しかし、チトは違うと首を横に振って話を続ける。
「そうじゃない……そっちじゃなくて、一年が終わってもここに居ていい理由」
「……そっか、ちーちゃん」
「なに?」
チトが思っていた事を珍しく素直に告げる。
ずっとチトが心の中で思っていたことだ。
一年が終わって契約を終えても、ここに居ていいよと言って貰えるような理由がほしかった。
もちろん、青年の事だ。
二人が願えば叶えてくれるだろう。
しかし、チトは同情で置いて欲しいわけではない。
必要があって、君達が必要だと言って欲しいのだ。
チトが言えばユーリは視線をチトから前に向ける。
其方にチトも釣られて見れば、青年がカンテラを上に掲げ待ってくれているのが見えた。
「たぶん……いっぱい迷惑かけると思う」
「うん……ユーは運転も下手だしな」
「でも頑張ってみるから」
「……しょうがない。 ユーの面倒を見るのも私の仕事だ」
青年を見てユーリが真面目に告げる。
それに対してチトは口元を緩め答えた。
「ちーちゃんは仕事ばっかりだねー」
「少しは手伝えよ。 洗濯とか特に」
「それは嫌だ」
チトとユーリは笑い合うと手を繋ぎ、先の方で二人を待っているカンテラの明かりの元へと走り出した。