スパーリングで適度に張り詰め、それでも和気藹々としていた空気が一瞬にして固まった。気まずい沈黙が辺りを支配した。折角上手く行っていたのに聞くべきではなかったと出久は後悔していたが、それでも確認せずにはいられなかった。
ヒーローとはどんな時でも駆けつけてくれる。悪い奴をやっつけてくれる。守ってくれる。
何故それが出来るのか?『個性』、勇気、自己犠牲の精神、義憤、技術、知識、そう言った『力』があるから。
ならば『力』とは何か?自分もそれが欲しいと憧れる物である。そして、それを持つ者には逆らわないでおこうと言う、畏怖の対象でもある。
金と権力が表裏一体と良く言われるのは、力のある者に金が集まり、また金がある者がその金で権力を手にするからだ。力に対する憧れと畏怖も例外ではない。
「沈黙はイエスと取るよ。特に砂藤君と八百万さん。二人は間違いなく恐怖していた。」
図星を突かれ、砂藤は目を逸らした。自分とのスパーリングの時、彼は動かなかった。動きたくなかった。出久がとった謎の構えは正中線上にある部位への守りががら空きだった。がら空きに見えるのだが、一歩でも動けば捻じ伏せられる。そんな予感が彼の足を止めてしまった。躊躇った一瞬で勝負がついた。
もしヴィランなら、あの場で首の骨をへし折られて死亡だ。
八百万も俯いた。あれには殺気を感じた。爆豪との試合を見ていたから分かる。大多数の観客はスクリーンを通して試合の運びを見ていたが、彼女は双眼鏡を使って観察していた。そして思った。あれは『戦う』や『倒す』などと血の気が通った形容が出来るような物ではない、と。
処理。そう、『処理』だ。あれは爆豪をただ処理していた。不要な書類をシュレッダーにかけ、ゴミを収集車に投げ入れるが如く淡々と、坦々と、無感動に。サンドバッグの縫い目が解れ、吊るす鎖が切れて地面に横たわるまで小さく、鋭く、細かく叩き続ける。人畜無害を絵に描いたような彼が、猛獣に人の皮を被せた爆豪をだ。しかもその彼が、笑っているように見えた。本当に微かだが、そう見えた。蹂躙のなんと楽しい事かと嗤っている気がした。
誰も何を言おうとしなかったが、出久が沈黙を破った。
「いや、良いよ。気にしないで。これで僕も、何をすべきか少しは分かった気がするから。」
嘘だ。今まで母親に『無個性』だからいじめられた日々を何でもないとついて来たのと全く同じ嘘だ。ワン・フォー・オールやグラファイトの事で既に隠し事と嘘を重ねている。更なる嘘を上塗りするのは心苦しかったが、彼らのばつが悪そうな表情を見続けるのはもっと嫌だった。
「とりあえず今日はこれで終わり。皆来てくれてありがとう。また学校でね。」
使い古した作り笑いを浮かべて手を振り、出久は去った。道の角を曲がった所ですぐさま仮面が劣化した漆喰の様に剥がれて崩れ落ちた。眩暈がする。吐き気もする。それらが本格的に悪化する前に振り払おうと出久は近くの電柱に頭をぶつける。
迷うな。恐れるな。退くな。しっかりしろ、緑谷出久。お前はヒーローになるんだろう。まだ何も始まってもいないのにまた足踏みする時の、弱い時の自分に戻るのか。
いやだ。いやだ。いやだ。それだけは、絶対に嫌だ。
十回以上頭突きを続けて額から生暖かい物が垂れ落ちたが、構わず続ける。二十回を超えた所で遂に立てなくなり、その場に座り込んだ。
「怖がられない方法・・・・いや、それよりまず自分自身を怖がらない方法。考えろ。考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ。得意なんだから考えろ。」
自分の成長は良く分かっているつもりだった。しかし爆豪との一戦で、改めて思い知らされた。自分自身の強さと、未だ同世代では見る事すらまだ出来ていないその高みを、重みを。
それがどうしようもなく怖い。他の人にどう思われようと気にしない癖をつけて来たが、そう簡単に根本的な性根は変わらない。性格は兎も角、承認欲求だけで言えばそれこそ爆豪並みに大きいかもしれない。近しい友人が出来たのだってグラファイトを除けばつい最近の出来事だ。訂正はしたものの一度はオールマイトですら自分の考えを否定したのだ。
未だ同年代じゃ指先すらかけていないこの自分のレベルの高さより上に行ってしまったらどうなるのか?自分の中にある力と、グラファイトから借りている力を恐れて友人も遠ざかってしまうのでは?自分はそのプレッシャーに押し潰されてしまうのでは?
そう考えると、たまらなく怖い。
解決策は?分からない。駄目だ、脳味噌が上手く働かない。頭を抱えて蹲る。ああでもない、こうでもないと、漠然として全く使えない考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「場所が、悪いのか・・・・」
やはり街中のコンクリートジャングルでは駄目だ。深く考えるには喧騒が多すぎる。
「海浜公園・・・!」
そうだ。あそこに行こう。波の音も規則正しく、呼吸を合わせる事が出来る。そこまで行ってから考えよう。血も海水で洗い流せばいい。少し痛むだろうが、これぐらいどうという事は無い。もっと痛い目を見ているのだ。
立ち上がり、出久は駆け出した。思考が纏まらずとも、涙で視界が霞み頭部からの出血で僅かに意識が朦朧としても、フットワークは体がしっかり覚えていてくれる。その為人込みで誰かにぶつかる訳でもこける訳でも無く、スピードを殺さず海浜公園を目指した。
見えて来た所で階段すら使わず、欄干に飛び乗って砂浜目掛けて一気に飛び降りる。湿った砂が迫る中、出久は目を閉じた。爪先が地面に触れた所で倒れ、続けて脛の外側、尻、背中、肩の順に着地し、衝撃を五等分に分割して立ち上がった。
基本のワンツー。そこから始めよう。壁に向かって立つと、拳を振るった。ゴゴン、ゴゴン、とリズミカルに拳が壁を打ち抜く。訓練している時、痛みを感じている時だけは、どんな嫌な事も忘れられる。
グラファイトは丁度出久がいる場所とは真逆の方向から歩いて来た所で額と両手に血を滴らせる出久の姿を見た。握りしめた大振りになった右の手首を掴み、膝裏を蹴って地面に引き倒す。
「グラ、ファイト・・・・・・」
「貴様、何をしている?いや、言う必要は無い。目を見れば分かる。泣くなとは言わん。喜怒哀楽揃ってこその人間だ。しかし、逃げる為に己を傷付けるなどと言う愚行は貴様であろうと許さん。」
「なら僕はどうすればいいの!?こんな・・・・・僕はこんな・・・・・!あぁ・・・・・・・あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
頭を抱え、掻き毟りながら出久は吠えた。言いようのない精神を蝕む苦しみに、手負いの獣の様に打ち震えながら。
「お前は弱さを十分過ぎる程に知っている。惰性で生きるだけの人生を知っている。自分を見限る事が何を意味するのかを知っている。だが、それだけでは真の力を手にする事は出来ん。これより先、お前が学ぶべき事は『強さ』だ。そして今お前が感じているそれは、他者を圧倒し、淘汰し得る力を持つ者に死ぬまで付きまとう強さへの恐怖とそれを持ち、振るう責任の重圧と言う物だ。」
グラファイトはただ出久を見下ろし、淡々と、静かに語る。
「狂う程に苦しかろうが、逃げるな。踏ん張って耐えて見せろ。今の貴様ならば出来る筈だ。その器で全てを受け切れ。そしてもし一人で勝てぬのならば、分かち合える者を探せ。過去に戦った戦士の言葉を借りるならば、超協力プレイで、クリアすればいい。頼る事を恥と思うな。」
言いつつ、グラファイトは出久に手を差し伸べるでも無く、背を向けた。
「耐え抜いた暁には、笑え。傲岸に、不遜に、笑え。俺の心は折れなかった。俺はまた一つ強くなったぞ、ざまあみろ、と。」
力を振るう事に些少の躊躇いも無い自分に出来る事はこれ以上無いとばかりに、グラファイトは歩き去った。
「恐怖か。」
感じた事が無い訳ではない。強さに対する恐怖は、己の物に対してではないが、感じた経験はある。忘れもしない仮面ライダークロノスこと檀正宗が、同胞であるバグスター、ラヴリカを停止した時空の中で滅却したあの瞬間だ。
『止まった時の中で死を迎えた者にコンティニューの道は無い。死という瞬間のまま、永遠に止まり続ける。』
完全体であるが故に何度倒されようと時間さえあれば培養し、再び万全の状態で戦える。仮面ライダーには無いその鉄壁のアドバンテージはあっという間に濡れた紙の楯と化した瞬間だった。あの時、グラファイトは間違いなくクロノスを恐れた。恐れたが、ゲムデウスウィルスという諸刃の剣を以て乗り越えた。
出久も必ず乗り越えるきっかけを手にする筈だ。それが何かは分からないが、今はとにかく彼を信じるしか無い。自分が出しゃばって答えを教えた所で進歩とは呼べないのだから。
砂浜に取り残された出久は、寄せては返す海水に拳を突っ込み、痛みも気にせずハンカチで手を拭いた。更に四つん這いになり、顔を突っ込んだ。十秒ほどその体制を維持し、目を見開き、頭を上げた。
「弱さを知ってても強さを知らない、か・・・・・」
思い返せば、確かにその通りだ。自分は調子に乗っていたのかもしれない。舞い上がっていたのかもしれない。ようやく自分もヒーローになると言う夢を叶える事が出来る。今までの努力が全て実ったのだと。だがそれを実現する力を手にする意味を、その重みを、今の今まで一度でも本気で考えた事があっただろうか?
「ないよなあ。」
これじゃあ彼と変わらないじゃないか。偉そうに説教を垂れておいて、知らぬ間に安い陶酔に浸って、何がヒーローだ。
「とりあえず頭は冷えたみたいだね。」
「え?」
海浜公園の欄干に座って足をぶらぶらさせている芦戸三奈の姿があった。元々気配を探していなかったどころか探せるような精神状態ではなかった為、出久はさりげなく両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「芦戸さん、何でここに・・・・」
「最後に一人で走ってったのが気になったから。他の皆は帰ったけど、適当に理由つけて探してた。どう見つけたかは、まあ、女の勘て奴。」
そう言えば自分の母親もクイズ番組や刑事ドラマの犯人などのを言い当てる事が上手くなった。本人も女の勘と言い張っている場面があったな、とぼんやり思い出した。やはり馬鹿には出来ない。
「あたしもさ、本音で話すタイプなんだ。梅雨ちゃんほどじゃないけど。昔もずっとあたし変だって言われてたんだよね。『個性』が出るまでずっとピンクの肌で角が生えてただけだったから。『個性』が発現しても調整間違えて服やら物やらを溶かしまくっちゃうそんな自分が嫌いだったけど、音楽とダンスで好きになったんだ。こんな見た目だから派手なダンスが更に派手に見えるし。」
「でも、芦戸さんは『無個性』でもなければ遅咲きでもない。僕とは違うよ。」
「違わない。緑谷だって、大概自分の事嫌いでしょ?昔はアタシもそうだったから分かっちゃうんだな。」
「自分が、嫌い・・・・・?」
「爆豪と何かあったのは分かるけど深くは聞かないでおく。話してくれるって言うなら別だけど。あんな勝ち方して納得いかないって感じだったけど、でもだからって自分を嫌いになるのは違うんじゃないかなって思う。人ってさ、自分の良いとこも悪いとこもぜーんぶ好きにならなきゃ他の誰かを好きになるって事は出来ないと思うんだ。」
「自分を好きになる・・・・どうやって?」
「それは自分で見つけなきゃ。緑谷ならできるよ、きっと。」
指を絡ませて手を取られ、一度だけ軽く握られ、芦戸は去った。
今回はちょっと短めになってしまいました、すいません。アルバイトが忙しいもので・・・
次回、File 40: いざ往かん、己を辿るQuest
SEE YOU NEXT GAME.......