「フェイントの極意は端的に言ってしまえば、『意』だ。」
「い?」
意味が分からず、出久は目を白黒させた。
「殺意、敵意、要するに特定の方法で攻撃する意思、という奴だ。お前は勤勉で呑み込みが早いことは認める。教えたことも全て反復する上器用でリズム感もある。が、どこが一本調子になる所がある。フェイントはそれを解消する為の技。一流の戦士は、駆け引きも一流でなければならない。フェイントの更に上には、『意』を消して攻撃する、感知されない技というのもある。だがこれは俺ですらまだ会得できていない。まあとりあえず構えてみろ。」
左は目の高さで三十センチほど突き出し気味に、右はこめかみの高さまで上げ、どちらも握り込まず軽く五指を曲げている。開手と拳、必要に応じてどちらも使えるようにする為に出久が考えついたのだ。トーントーンとリズムを刻む様に膝を曲げ伸ばしして尚且つ上体を上下左右に揺すり、的を絞らせない。
グラファイトは即座に出久の間合いに入り込み、右足を軽く上げた。蹴りが来ると思い咄嗟に左の手足でガードを固めたが、当たったのは右ではなく左の内腿を狙ったローキックだった。
次に腰から肩までを巻き込む左フックの構えに入る。次は読み違えないと再びガードを固めたが、右アッパーが顎を捉え、頭をガードから引っこ抜いた。耳鳴りを無視し、グラファイトに視線を戻す。今度は絞め技や投げ技に持っていくかのように開いた手で掴みかかろうと肉薄してきたが、首を挟み潰す両手の手刀を首筋に食らい、視界が一瞬暗転した。
「あ、あれ・・・?ったたた・・・」
「こう言うことだ。右の中段回し蹴りと、左フック、更に投げ技か何かが来ると思っただろう?それこそが『意』だ。」
「全っ然気づけなかったよ・・・・」
「あれでも多少動作を大袈裟にやったんだがな。読み合いという物は読めている内は安心できるがいざ読みが外れ始めると大抵の相手は余裕をなくし、付け入る隙を晒す。おまけに一対多になればそれだけ難易度が跳ね上がる。普段からパニックになりやすいお前には丁度良い試練だ。」
「でも大人数相手にしてる時はたしか弱い方から順番にKOしていって確実に数を減らせばいいんだよね?」
「ああ。一撃で確実に意識を刈り取れるだけの技術がいるが、理論上はそうだ。だが、お前はまだ俺にてこずっている。それに見るだけで実力を測れるほど場数を踏んでいない。細かい事は帰ってからだ。」
短いトンネルを抜けようとした所で出久は己の意に介さず前方に飛んで転がりながら何かを避けた。ベシャベシャと何か滑りけのある物が地面に大量にぶちまけられる音が反響する。
「惜しい惜しい。もうちょっとで当たる所だったのに・・・・」
声の主は気色の悪い生きたヘドロだった。大の大人の頭程もあるギョロリとした双眼に見据えられ、出久は全身が一瞬強張った。
「流動体・・・って事は物理攻撃全般が効かない、よね?」
『燃やすか凍らせるかぐらいしか思い付かんな。』
柄にもなくグラファイトはこの場に炎と氷の二つを使い分けられるブレイブの『ガシャコンソード』かレベルという概念すら超越した自分の究極奥義を使えればと心の中で無い物ねだりをしてしまった。
『しかたない、とりあえず適当にあしらってこいつの足を止める。』
「えっ、いやでもどうやって?今さっき攻撃が効かないって・・・」
『付かず離れずの距離を保って避け続ければいいだけだ。見た目がこれほど特徴的なら既に追っ手が向かっているだろうしな。要は時間稼ぎだ。』
構えは取りながらも出久はヘドロ男に注意しつつ、死角からの攻撃にも対応出来る様に周囲にも気を配った。
「逃げるなヨォ、折角の丁度いいMサイズの隠れ蓑だ。心配しなくてもすぐ済む。ほんの45秒間苦しいだけだからさ。」
自分を捕らえんと迫る無数のヘドロを軽やかに躱していく。躱しながら、出久は驚いた。人型の形態を保ったグラファイトとの組手で役に立つ回避術が、まさか異形型の『個性』を持った相手に通用している事と、初めての実戦で思いの外上手く立ち回れていることだ。
「TEXAS SMAAAAAASH!!」
野太い男の声と共に唸りを上げる空気の砲弾が出久の横を通り過ぎ、ヘドロ男をトンネルの壁面に叩き付けた。衝撃を受け流す事には成功したものの、風圧が生み出す凄まじいGは対処のしようもなく、ほぼ一瞬で失神してしまった。
あの声には聞き覚えがあった。力強く、畏怖を感じさせると同時に安心感も与えてくれる、雄々しい声。振り向いた先に、彼がいた。Vの字の様に伸びる前髪と、二メートルを悠々と超える巌の如き重厚な肉体、そして太陽の光に勝るとも劣らない恐れ知らずの笑みを浮かべた男が。No.1ヒーローにして、存在そのものが犯罪の抑止力となっている『平和の象徴』――
オールマイト。
動画で崩落し、燃え盛るビル群の中から数百人の救助を彼が行うのを幼少の頃から何万回と見てきた。画面からでも伝わるその圧倒的な存在感を直に肌で感じた出久はオールマイトの姿をその目に焼き付けた瞬間気絶しそうになった。
「やあ少年、大丈夫かい?『個性』も使わずにいい動きをしていたね。」
「オ、オ、オオオオオ、オールマイマイオールマイ、マイト!?!?」
早回しされる壊れた録音機の様に出久はオールマイトの名を絞り出した。
「あ、そ、そうだ、サインサイン!!ってしてあるーーーーーー!!!!」
慌ててポケットを探り、焼け焦げた自分のノートが落ちているのが目に留まる。手にして空いたページを見たところ、既にオールマイト直筆のサインがでかでかと極太のマジックで書かれていた。
「うわぁぁ~~~~!!!あ、ありがとうございます!!家宝に!!家の宝にーーーー!!」
「それじゃあ私はこいつを警察に引き渡さなきゃいけないんで、液晶越しにまた会おう!それじゃあ今後とも、応援よろしくねーーー!」
ヘドロ男を詰め込んだペットボトルをポケットに押し込み、飛び去ろうとするオールマイトの足に出久は考えるよりも先に組み付いていた。
「ってこらこらこらこらこらーーー!!放しなさい!熱狂が過ぎるぞ!」
「いいいい、今放したら、死んじゃいますぅぅぅぅ~~~!!」
風圧で瞼や唇が大きくめくれ上がりながらも自分を引き剥がそうとするオールマイトに抗議すると、「確かに。」とそのまま出久を肩に担いで近くのビルに着地した。
「こ・・・・怖かった・・・・」
グラファイトの扱きで度胸がついたとはいえ、怖いものは怖い。必死に呼吸を整えようとしたが、その間にまたもやオールマイトは去ろうとしていた。出久には聞きたいことがあった。グラファイトという心強い味方を得ても聞きたい、ただ一つの疑問が。
「あの!『無個性』の人間でも、ヒーローの道を行く事は出来ますか?貴方みたいに、なれますか!?」
「プロはいつだって命懸けだ・・・・残念ながら、力が無くとも成り立つとは、とてもじゃないが口にできないね。人を助けることに憧れるなら警察官って道もある。ヴィランの受け取り係なんて揶揄されちゃいるが、あれも立派な――」
仕事だ。そう言おうとした瞬間、オールマイトが膝を折り、全身から蒸気のような物が噴き出し始めた。蒸気が消えると、見慣れた筋骨隆々のオールマイトは、しぼんでいた。隆起していた筈の筋肉が空気の抜けた風船のようになり、不健康なまでに痩せぎすの骸骨の様になっていた。
「え?ええええええええええ!?さっきまで・・・・あれ?!えええええええ!?」
何が何だか分からない。もしや偽者なのではと再三辺りを見回したが、自分達以外は誰もいない。彼が紛れも無くオールマイトなのだ。
「私はオールマイゴフッ!!」
更に喋ろうとした直後に喀血までする有様は、虚弱を通り越して病弱の域に達している。平和のシンボルたる威風堂々とした風体は見る影もなかった。
「嘘だぁ~~~~~!!!!」
「プールでよく腹筋力み続けてる人いるだろ?アレさ。見られたついでだから教えておくが、間違ってもネットに書き込まないでくれよ?」
オールマイトはシャツをめくりあげ、左脇腹の痛々しい古傷を見せた。
「五年前、敵の襲撃で負った傷だ。呼吸器官半壊、胃袋全摘。度重なる受傷と手術ですっかり憔悴しきってしまった。今の私のヒーローとしての活動時間は約三時間しかない。」
「そんな・・・・五年前って、確か毒々チェーンソーの事件・・・!?」
「詳しいな。だが、違う。あんなチンピラになどやられはしないさ。別の、私が世間に公表しないでくれと頼んだ事件での負傷だ。人々を笑顔で救い出す。平和の象徴は決して悪に屈してはいけないんだ。ヒーローの重圧と恐怖心をごまかす為さ。時間切れになってこの姿の説明をしたが、君の質問への端的な答えは、ノーだ。」
――夢を見るのは悪い事じゃない。だが、相応に現実も見ろ。
つまりはそういう事だ。
予想はしていたにせよ、出久はヒーローの頂点である男から直接聞いた否定的な答えにショックを隠せなかった。屋上のドアを開けてオールマイトが去っていく音も耳に入らない。
「期待外れな答えだったか?」
出久から分離して欄干に腰掛けたグラファイトが尋ねた。
「いや・・・・・予想はしてたけど、やっぱり本人から直接聞くとっ・・・・辛いなぁ。」
熱くなる目頭を押さえ、拳をきつく握り込んだ。
「ヒーロー向けの『個性』を優遇する社会の弊害だな。それに、奴はお前の質問の本質を理解していなかった。奴が言わないのならば、俺が言おう。『個性』を持つ持たざるに拘わらず人は誰でもヒーローになれる。勿論、お前もな。」
「何で、そう言えるの?グラファイトがいなければ、僕は『無個性』だ。ただ単に力を借りているだけに過ぎないんだよ?そんな僕がヒーローになって誰かを救うなんて・・・」
「それはつまり、『救い』に決まった形があるという事か?」
その質問に出久は言葉を詰まらせた。実際自分は今日グラファイトに弱い己に打ち勝ち、更には爆豪にも一矢報いるだけの度胸を身に着けるという形で救われた。どれもグラファイトの戦闘能力は一切関与しない形で。命こそ救われてはいないが、心は間違いなく救われた。
「お前はオールマイトを神か何かと同一視しているようだが、もう分かっただろう?奴は人間だ。たとえトップヒーローであったとしても、救えぬ者もいる。心臓の移植や癌細胞の切除が必要な患者を手術して命を救うなど、奴にはできまい?精々見舞いで励ましの言葉をかけるのが関の山だ。」
「でもその励ましの言葉で誰かを・・・・あ・・・・・!!」
「気づいたか。励ましや会話に、『個性』など必要ない。やろうと思えば誰でも出来る。だから言っている。誰でもヒーローになれる、とな。三度は言わんぞ。ところでだが、試してみてはどうだ?」
「え?」
グラファイトは前方を指さした。数百メートルほど離れた所から黒煙が立ち上っている。事故か事件か、いずれにせよヒーローが出動するような状況になっていることは間違いない。
「事態が収束に向かってからでなければ意味は無いが、俺の能力を使わずに人を救えるか試してみろ。」
SEE YOU NEXT GAME.....
次回:The Saviour、糞ナード