轟焦凍は、迷っていた。
緑谷出久を期末試験の予習復習に誘った。誘ってしまった。そして向こうも了承してくれた。
だが一つ重要なファクターを失念していた。
「友達のもてなし方って・・・・・・分からねえ。」
この世に生を受けてこの方出来た物は心身の傷と知人どまりの人間関係だけだ。出久との関係は、正直どう形容すればいいのか分からない。
自分の心を救ってくれた恩人である。これは確定だ。しかし自分が一方的にそう思っているだけで、迷惑に思われるかもしれない。だが知人と言う程浅い仲では決してない。雄英体育祭という公の場であったとは言え、お互い腹の中をぶちまけ合ったのだ。
だが、彼がどう思っているのかが分からない。彼は嘘をつけるような人間ではない。ついたとしても悪意を持ってする様な性根の腐った人間ではない。分かっていたとしても、どうしようもなく、たまらなく恐ろしかった。
無線の充電パッドに置いてあるスマートフォンを取り、電話をかけた。轟家には、人間関係の知恵袋が存在するのだ。彼女ならば知恵を貸してくれる。
「姉さん、ちょっと話したい。明日人を家に呼ぶんだけど・・・・・・どうすればいいか全く分かんねえ。」
出久は正門のインターホンを押した。ポーン、と鉄琴を叩いた時に出る様な小気味のいい音が鳴り、赤いランプと共にカメラが起動した。
『はーい?』
「あ、ああああのあの!轟君の友達の緑谷でひゅ!」
応対したのが女性の声だった事に意表を突かれた出久は、思い切り舌を噛んだ。
『ああ、貴方があの緑谷君?入って入って!』
正門の扉が開き、出久はそっと轟家の敷居を跨いだ。玄関に到着するまでの道のりは、竹と白砂、そして石灯篭で石庭となっており、戸建ての家にすら住んでいない出久はあまりのスケールの違いに思わず眩暈がした。流石は高額納税者である。
母に失礼の無い様にせかせかと菓子折りを持たされ、更に着る服にまで世話を焼かれた出久は、はっきり言って心配だった。体育祭で轟焦凍とある程度分かり合えたのは自分にとっても彼にとってもプラスになった事はまず間違いない。彼は、彼として道を歩み始めた。十年越しの溝と受けた傷はとにかく根深いが、今の彼は一人ではない。
考えながら歩いている内に、玄関先に到着した。
「うぉぉ・・・・・・・・だ、大名屋敷っ!!!」
勉強会を催している八百万邸の正門に続いて母屋の写真がグループメッセージでどんな物か見せられたが、今出久の目の前にある轟家の自宅はその真逆で、木造の老舗旅館を思わせる立派な日本家屋だった。既に竹箒を持ったエプロン姿の若い女性と作務衣姿の轟焦凍が立っている。
「こんにちは、緑谷君。焦凍が友達を家に連れて来るなんて初めてだから、今日来るって聞いた時耳がおかしくなったのかと思ったわ。私は轟冬美。よろしくね。」
冬美と名乗った彼女の髪の毛は弟とは違い、白髪に赤が少しばかり混じっている所があり、眼鏡越しに見える彼女の眼にはどこか人を引き付けるきらめきがあった。
「ご、ご丁寧にどうも。あ、これつまらない物ですが、どうぞ。」
「あらあら、珍しい。蕎麦ぼうろじゃない!」
蕎麦、という言葉に反応した轟の眼が一瞬冬美の受け取った包みの方へ逸れた。
「良かったわね、焦凍。じゃあこれは一息入れた時のおやつにって事で。二人とも期末試験、頑張ってね。」
「轟君、お姉さんいたんだ・・・・・」
「ああ。近くの小学校で教師やってる。まだなったばっかりの新人だけど。」
「へー。人気ありそう。」
「結構あるらしいぞ。とりあえず上がれよ。遠いとこ悪いな。」
木製の廊下を渡りながらどこからか鹿威しの音が聞こえた。進むうちに盆栽やら一本松などの園芸品も多々目に入る。出合え出合えと叫べば藩士が刀を押っ取り、今にも飛び出して来そうだ。
「良いよそれは。ヒーローのライセンス取得者の私有地でしか『個性』が使えないって縛りがある以上は仕方ないし。少なくともライセンス取得するまではさ。もしくは轟君が自費で演習場を建設したりとか。」
「まあ、それはその内にって奴だ。ここだ、俺の部屋。」
ドアには『焦凍の部屋』と小さな掛け軸に書かれていた。紙の色が若干変色してこそいるが、それ以外に傷んでいる様子は無い。
「・・・・・・何で掛け軸?」
「俺が欲しいって言ったら、お母さんが書いてくれた。字、綺麗だろ。」
筆ペンで書かれたその字は、書道が芸術たる所以を見事に表していた。書き方からすでに気品を感じ取れる。
「うん、これは確かに凄い。バランスからして違うもん。僕は書初めとか下手だったからなあ。」
部屋は青畳と窓辺に置かれた植物によって清涼感が出ており、唯一ちぐはぐ感を出しているのはパソコンやランプなどの文明の利器と本棚に置かれた現代の書籍、そしてアブソリュートカリバーを収めたケースだけである。
「さてと、じゃあ早速始めようか。」
「その前に一つだけ教えて欲しい。」
「ん?」
「お前は何故そこまでする?何故誰かの為にそこまで出来る?クラス全員分のこのノートだってそうだ。勿論ヒーローとして大事だって事なのは分かってる。体育祭とヒーロー殺しの事件以降、ずっと考えてたが、やっぱり分からねえ。ヒーローになりたい夢を叶えるって以外で、何の為に戦ってるんだ?何がお前をそこまで強く支えてる?」
「・・・・・・僕を信じてくれる人がいたから、かな?」
「信じてくれる人?」
「僕の力は――」
そこまで言うと、出久は迷い、口を噤んだ。普段無口な轟焦凍がこれほどまでに心を開いて尋ねているのだ。せめてグラファイトの事については、彼の生体データを元にガシャットを既に一本作ってしまっている手前本当の事を話すべきだ。表情にこそ出さないものの、いつ誤って口を滑らせてしまうか気が気でない。
「轟君、これから僕が言う事は誰にも言わないで欲しい。知っているのはオールマイトだけなんだ。僕の『個性』というか、グラファイトについて。」
「あいつの?」
「うん。実は――」
轟は時折質問を挟む以外の事は一言も喋る事は無かったが、出久が話し終えると大きく息をついた。
「バグスター・・・・・・すげえ事になってんだな、お前の人生。」
「うん、でもそれだけ劇的な出会いがあったからこそ、僕は夢を追いかけて全てが変わった。僕は変われた。強くなれた。僕自身を好きになる事が出来た。好きになっても良いんだって思えた。それが分かって、安心できた。轟君も、僕とは違う人生を歩んでここにいるけど、それでも僕が今言った事を、君も少なからず経験してきたんじゃないかな?」
だからこそ、左の炎を使わせられた。だからこそ、出久は放っておけなかった。確信にも似た何かが、そう言い切らせた。
「そう、なのかもしれねえ。俺は一度お母さんにお前の事を話した。その二日後に手紙が来たんだ。お前と・・・・・・友達になって欲しい。そしていつか息子とやり直すチャンスを与えてくれた恩人に会わせて欲しい、と。」
「お、恩人てそんな大げさな・・・・・!!でも、僕はもう轟君とは友達でいたつもりなんだけど、違ったの?」
失言に気付いた轟は何とか取り繕う言葉を探して何度も小さく口を開けては噤んだ。
「あ、いや・・・・・・」
「飯田君と一緒にヒーロー殺しを倒したのに?」
「その・・・・・・・」
「体育祭であんなにボロボロになるまで殴り合ったのに?」
「ん・・・・・・」
遂に言葉に詰まった轟は表情を曇らせて俯いた。流石にやり過ぎたと今更ながら後悔した出久は、そっと彼の肩に手を置いた。
「ごめん、ちょっと意地悪し過ぎたね。でも友達って言うのはさ、今日から成るとか決めるんじゃなくていつの間にかなってるものだと思うんだ。少なくとも、僕は君の事を体育祭から友達のつもりでいたよ。君にありがとうって言われた時から。」
「そう、か。緑谷は、そう思うのか。なら・・・・・・改めて聞いとく。」
一瞬にして喉がカラカラに乾き、舌が上手く回らない。心なしか心拍数も上がった。声の上ずりを必死に抑えながら声を絞り出した。
「俺と、友達に・・・・・・・なって欲しい。」
「うん、いいよ。改めてよろしくね、轟君。」
熱湯を浴びせられたわけでもないのに、眼が熱い。視界がぼやける。だと言うのに、口角が自然と持ち上がっていく。
――お母さん。俺にも、手紙じゃ書き切れないぐらい自慢したい友達がやっと出来た。
「じゃ、やるか。復習。」
「うん。」
「苦手科目ってあるか?俺より良い点とったらしいが。」
「僕にも苦手な物はあるよ。強いて言うなら古文の解釈と、化学の応用問題とかかな?頭で理解出来れば身につくって訳でもないし。轟君は?」
「数学と歴史だな。覚えるモンが多過ぎる。人名とか年号とか。姉さんは語呂合わせで覚えた方が楽だったらしいが、いまいちピンと来ねえんだ。」
「あー確かにね。あれは回数こなすしか無いから。歴史も、変な問題たまに出たでしょ、小テストで。ほら、千利休の本名を答えよ、とか。」
「あれは俺も全く分からなかった。茶聖とか呼ばれた割には地味だった覚えはある。ググってみたら田中与四郎だった。」
「わ~、地味!」
「豊臣秀吉のあだ名が禿鼠ってのもあったな。」
「ただの蔑称!?」