三日続いた筆記試験後の束の間の小休止を噛み締められるゆとりと回答欄を全て埋めきった喜びは、長くは続かなかった。その翌日に演習試験が迫っているのだ。一年A組は、委員長、副委員長の飯田と八百万を筆頭に二列に並び、大声を上げながらキャンパスの外周を走っていた。その横を脱落などしようものなら地獄を見せてやるとグラファイトの厳しい視線が全員に注がれる。
「イチ、イチ、イチニー!」
「ソーレ!」
「イチ、イチ、イチニー!」
「ソーレ!」
「イチ、イチ、イチニー!」
「ソーレ!」
「イチニ、イチニ!」
「イチニ、イチニ!」
「連続歩調!歩調!歩調!歩調!数え!イチ!」
「ソーレ!」
「ニー!」
「ソーレ!」
「サン!」
「ソーレ!」
「シー!」
「ソーレ!」
「イチニサンシー、イチニサンシー!」
「イチニサンシー、イチニサンシー!」
最後尾の切島、出久が全力疾走しながらペースを保って走る十八人を追い抜き、再び列に加わって掛け声の先導を始めた。
「俺達!」
「俺達!」
「俺達!」
「俺達!」
「精鋭!」
「精鋭!」
「精鋭!」
「精鋭!」
「1- A!」
「1-A!」
「1-A!」
「1- A!」
「今日は!」
「今日は!」
「今日は!」
「今日は!」
「気合!」
「気合!」
「気合!」
「気合!」
「入れて―!」
「入れて―!」
「入れて―!」
「入れて―!」
「走るぞ!」
「走るぞ!」
「走るぞ!」
「走るぞ!」
腹の底から大声を上げながらキャンパスの外周を四周した所で走り込みは終わった。あくまで
「ちょ、これ・・・・・・」
「も、無理ッ・・・・!!」
「手足以外の部分が地面に触れたら貴様らの両隣にいる奴らが死ぬと思え。貴様らが勝たねば誰が勝つ?弱音で人を救う事など、守る事など出来ない。口をきける気力があるならば自力で上げろ。涙を流す暇があるならば血と汗を流せ。たかが筋肉痛で無理などと抜かす奴は俺がこの場で間引いてやる。」
繊維が引き千切れるような筋肉痛にほぼ全員が筋肉を代弁するように痛みに身を捩り、叫びながらも体を警笛の音と共に押し上げた。
「言っておくが、これは演習試験に向けての訓練ではない。味見だ。赤点を取った時に受ける補習という名の生き地獄のな。装備が無い故手ぶらで走ってもらったが、補習を受ける者は、約四十キロの砂袋を入れた背嚢を背負って手始めに一日十六キロ走って貰う。給水、休憩は、勿論無い。その日脱落して走れなかった分は翌日の十六キロに加算する。」
更に不規則なリズムの中三十回の腕立て伏せを終え、仰向けに寝転んで揃えた脚を真上に伸ばして警笛に合わせて左右に振る、「胴回し、用意」の号令がかかった。
「・・・・・・根津校長、いくら何でも筆記試験を終えて明日に演習試験を控えているのにこれはやり過ぎなのでは?少年少女にはベストのコンディションで挑んでもらわなければ・・・・・・」
オールマイトは校舎の窓から苦悶の表情を浮かべてトレーニングを続ける生徒を見てそう尋ねた。過去の自分のトレーニングを思い出していたのか、じっとり嫌な汗が背中に浮き出るのを感じる。
「具申して来たのは担任の相澤君だから問題は無いのさ! 」
「相澤君が?」
「勿論メニューの作成はグラファイトが、添削と修正、そしてどこまでやっていいかの譲歩は相澤君がしてこちらに立案書として回してくれたのさ。認可のハンコも押してあるし、機密文書って訳でもないから、見せてあげてもいいよ?」
「いえ、担任である彼が問題無いと判断したのであれば、同じく彼らを教える立場にいる人間としてそれを信じます。それに、この方が結果的に良いのかもしれません――演習試験の内容と、現状を鑑みれば。」
当初こそ入試同様の仮想市街地でロボ相手の模擬戦闘となっていたが、それに異を唱えたのはやはりグラファイトだった。
――ぬるい。それでは生身の人間相手に行使する『個性』の力加減を体で覚える事が出来ない。オールマイトという的が
「先の会見でヴィラン連合とステインの関係性の無さを立証し、増長を阻んでから、全くと言って良いほど動きが無い。叩いても叩いても出るのは払う埃程度の、目に見える違いは無い、三流、四流の小悪党ばかり。連合は必ず仕掛けてくる。」
「来るとするなら、合宿中だね。学校の生徒は学校の者が守り通すのはここの校長としての責任だ。けど、ヒーロー科の担任二人だけじゃ足りないのではと思わざるを得ないよ。連合を名乗っている以上、物量で押し切られたらどうしようもない。向こうにいるヴィランの名も『個性』も、脳無が何体いるのかも、全てが不明さ。」
「私なら、護衛を引き受けてくれる人物に一人心当たりがあります。」
「グラントリノかい。彼は確かに強い。けど、
「さて、補習の味見が終わった所で、お前達にやって貰う事がもう一つだけある。」
「もう、一つ?」
「俺を相手にした肉弾戦、だ。二十対一のシバき合いをしてもらう。噛みつき、目潰し、何でもあり。首にかけたこのストップウォッチを奪って止めるか、俺の背を地に付ける事が出来れば、その時点で終了とする。制限時間は一時間・・・・・・と言いたいところだが、明日の為に必要な休息と貴様らの担任との約定もある。まけにまけて十五分で手を打つ。スタートだ。」
身構えるよりも先にグラファイトの手刀が瀬呂の眉間を打ち抜き、声すら上げさせずに意識を刈り取った。
『MUTATION! LET’S CHANGE! LOTS CHANGE! BIG CHANGE! WHATCHA NAME!? THE BUGSTER!』
変身した所で全員の肌がぶわりと泡立った。気絶した瀬呂を踏み越え、次々に突っ込んでくる生徒達を片手で捻じ伏せて行く。多少の手加減こそしているものの、ぶつけている圧は本来の敵キャラとしての物だ。
「これで、もう一人死んだぞ?俺を止めぬ限り、俺は贄を獲り続ける。」
しかし六分二十七秒が経過した所で、すでに半数以上の生徒が意識を刈り取られているか、脳震盪を起こして足元が覚束ない状態にまで追い込まれていた。対するグラファイトはほぼ無傷。
「惰弱、惰弱。貴様らはその程度の力で戦うつもりか?意志だけでは、人は救えんぞ?俺は殺しこそしないが、ヴィラン連合はそうは行かん。脳無はそうは行かん。分かったら、貴様らの弱さを認識しろ。意識の甘さを受け入れろ。勝ちを求めろ。脳細胞を回せ。でなければ無間地獄の苦しみを、滴る血と汗が砂になるまでじっくり味わわせてやる。さあ、残るは十分弱。補習を受けたくない奴から掛かって来い。」
何度目か分からない溜息をついた黒霧は、バーの奥にある部屋を覗いた。一等地にあるワンルームマンションの様な部屋の中は、まるで小さな嵐が空き巣にでも入った様に荒れていた。壁紙ははげ落ち、天井も所々欠片が落ちてフローリングを汚していた。調度品も野生の肉食動物に引き裂かれたように粉々になっている。
唯一無傷なのは液晶テレビと、それに繋がれたゲーム機である。現在ゲームはポーズされており、丁度ボスキャラとの戦闘に入る直前、扉の手前に作成したキャラクターが止まっている。
罅の入ったコントローラーを握り締め、ギリギリ家具として機能するソファーの上に膝を抱えて血が滲むほどに首を掻きむしっているのは、志村転弧――死柄木弔である。
「死柄木弔、いい加減調度品を破壊するのはご遠慮願いたいと何度も申した筈ですが。先生のご厚意とは言え、タダではないのですよ?」
「黙ってろ黒霧。俺は今機嫌が悪いんだよ・・・・・ステインもオールマイトも、あの子供もグラファイトとかいう奴もっ!何なんだよあの無理ゲー糞ゲーの権化は一体さあ!!」
『苦戦しているようだね、弔。』
ゲームのポーズ画面に割り込み、男の声がスピーカーから発された。低く、しかし良く通る紳士然として落ち着き払ったもので、まるでお茶に誘った友人に話しかけているが如き柔らかさがあった。しかし黒霧には分かる。その柔らかさの裏には障害となっている者に対する興味、どう料理してやろうかという蜘蛛の足を引き千切ってそれを観察する、子供染みた嗜虐心が僅かに見え隠れしている。
「先生・・・・・・っ!」
『いやいや、あの会見の運び方は見事だった。音声データも揃えているとは、完封だよ。敵ながら天晴としか言えないね。』
「申し訳ありません、私も気付く事が出来ず・・・・・・」
「感心してる場合じゃないだろ!これじゃ何時まで経ってもオールマイトを殺せない!」
いきり立つ死柄木に、男は問題が解けずに苛立ちを募らせる生徒を諭すように言葉をかけた。
『弔、こう言うのには順序があるんだ。オールマイトはやろうと思えばいつでも倒せる。しかし、あの少年・・・・・・緑谷出久とその「個性」グラファイトは、彼とは違う意味で中々厄介だ。だから、段階的に、分けて考えればいい。』
「分け、て・・・・・?」
『そう、君が今していたゲームのボスキャラ。無策で突っ込んでも負けただけだろう?命は一つきり。ゲームと違って命あってこそ
次回から演習試験の話に入ります。組み合わせは基本同じにするつもりですが、少しだけ変更する部分があります。当然林間合宿も大幅修正です。
次回、File 50: MADな教育課程
SEE YOU NEXT GAME........