インスピレーションの為に森恒二先生の『ホーリーランド』を読み返したりドラマを見直したりしました。
三日間開催されるI-エキスポ最終日の早朝六時。メリッサに頼み、タワー内の実験室の一つを借りた出久はそのだだっ広く、何も無い部屋の壁に背を預けて座りこみ、スマートフォンからメッセージを送った。
待つことおよそ二十分、堅牢な合金製の自動ドアがスライドし、普段着の爆豪勝己が足を踏み入れた。
お互い用件は言わずとも分かっている。
「喧嘩にルールってのも変な話だけど、一応設定しとこうか」
「『個性』以外は何でもあり、だったな」
「うん。でも目潰し、金的、喉への攻撃はなし。あとは・・・・・・首折るの禁止。延髄、締め技ならあり」
徹底的に痛めつけるつもりはあっても流石に出久も殺すつもりはない。何よりこれは処刑ではなくけじめなのだ。さりとて手を抜くつもりも、泣いたところで殴るのをやめるわけでもないが。世間話でもするような調子で最低限のルール以外を排して出久は爆豪と向かい合った。
距離こそ『個性』を使わなければ届かない間合いだが、爆豪は出久の表情を見て思わず生唾を呑み込んだ。その表情は只々ひたすらに恐ろしかった。今まで見たことも無い、むしろ来世になっても見たくない、限界まで瞳孔が開き、口角を吊り上げ、歯を剥き出した面差しは、正に鬼面毒笑。どんな感情が混ざってその表情を形作ったにせよ、決して一介の高校生がしていい顔ではない。
そしてそれに触発され、今まで出久につけられた黒星の記憶が頭の中で再生される。拳と蹴り、肘に膝、一発一発当てられた所が警告するように疼いた。
やめろ、どうせ無駄だ。さっさと逃げろ、訓練や試合とはわけが違う。そんな心の声が足を後方ににじり寄せる。
試合とは読んで字の如く試し合い、つまりはリハーサルだ。百万回やったところでそれは変わらない。
だが退くわけにはいかない。敵前逃亡などプライドが許さない。今まで生きてきて負けた事はあっても、不戦による敗北だけは一度も無いのだ。四度も惨敗した相手の前では自慢にすらならないが、そこだけは死んでも譲れない。
互いの距離が縮まるにつれ、歩幅、速度、血圧、そしてアドレナリンも上がっていく。
片や己を奮い立たさんと上げる気合の叫び。
片や再び心を踏み砕き、敗者に相応しい
初手、爆豪。右足の横蹴り。
二手、出久。低い体勢を更に低め、擦れ違いざま軸足にラリアット。
文字通り足を掬われて爆豪は体勢を崩すも、すぐに受け身を取った。
だが立ち上がった時には既に出久の飛び上がりつつ振り下ろされる拳がこめかみを捉えた。骨と骨がぶつかる鈍い衝突音と共に視界が傾く。追い打ちに脇腹に鋭い蹴りが入り、体が宙に浮かされる。
その勢いを利用して転がって距離を取った爆豪は立ち上がった。
「右の大振りが読まれてるからって次は右足の蹴り?安直で暗弱だね」
構えすら取らず、自然体のまま大股で近づいて追撃を始めた。拙い防御と回避も時間稼ぎにすらならない。筋肉量と体格は劣るが、それだけだ。『個性』があろうとなかろうと、自分が負ける根拠にはならない。
「たまに思うよ。何で中学の時、君のヒーローへの道を永久に閉ざす算段を立てなかったのか。君が今まで僕にしてきたことを考えれば、退学と少年院送致は当然だった。法廷で学校その物を叩き潰す事だってできた」
繰り出される連打を片手で払い、苦し紛れの右の大振りの威力を踏み込んで封殺。膝裏に手を潜り込ませ、腰のひねりと同時に押し上げる相撲の外小股の応用で投げ飛ばす。
「でもそうしなかった。グラファイトに選ばれる前に僕が君を殴る事で手を打ったんだ」
立ち上がりながらも低空タックルで足を掴もうと迫ってくる爆豪の背面。飛び越えつつ、延髄に拳で鉄槌打ちを振り下ろす。
「今思い返せば、あの時僕は・・・・・・まだ君に洗脳されたままだった。ヒーローになる夢を持つことに対して罪の意識を抱かせ、『個性』を持たない僕は何物にも成る事は許さない。憧憬の念を抱いて自分を見上げるだけならまだ許す、と言う風に」
未だに目を回して立ち上がれない彼の鳩尾に出久は助走の勢いを乗せた蹴りを入れる。蛙が潰れたような苦悶の声とともに吹っ飛ばされ。二度、三度と爆豪は体を引き攣らせ、やがて酸っぱい悪臭が鼻につく。
「だけど、もう違う。君の思い通りにはならないし、させない。僕は自由になった。君の精神的圧迫からも、暴力からも。そして君に奪われた物を僕も君と同じ方法で奪い返した。自分の生き方、自分の在り方、それをよしとする自信、そして人間としてのプライドを、暴力で。後はもう一つ。僕が溜飲を下げる理由を差し出してもらう」
「喧嘩でゴチャゴチャ・・・・・・駄弁ってんじゃねえよ!」
再び爆豪は飛び掛かる。が、やはり遅い。粗い。
「余裕をこくのは強者の特権だ」
爆豪勝己は幼馴染でもなんでもない。ただの敵。十年分の人生を無駄にさせた、クズで、カスで、目障りな敵だ。腹が立つ。だが彼にではなく、こんな弱者に踏みつけられる事を良しとし続けていた自分に。
「お前が僕の意思を捻じ曲げるな。僕に指図をするな。僕の矜持を奪うな。僕の如何を決めるな。決めるのは――僕だ」
膝蹴り、ローキック、掌底、拳、肘、頭突き、投げ技。身に付いたありとあらゆる戦闘技術を総動員した。受け止められようとガード越しに衝撃は通せる。ブロックされようと、反撃をいくらか食らおうと構わずその上から執念深く、非道に、苛烈に攻める。
気づいた時には壁際に迫っており、最後に放った前蹴りで彼を壁に叩きつけていた。
爆豪の顔は目尻、瞼、唇、鼻からは血を流し、防御の為に上げていた両腕も痛みと痺れで震え、だらりと下がっている。衣服に隠れて見えないが、全身くまなく打撲痕と皮下血腫が出来ているだろう。足も踏ん張りが利かず、壁に体重を預けて辛うじてつっかえ棒にしている状態だ。
「頭を垂れて蹲え。そして負けを認めて、僕に謝れ。僕の留飲を下げられるのは、それだけだ。それ以上はいらないし、それ以下は認めない。応じるならばよし。今後一切蒸し返すことはない」
無論、拒否するならば応じるまで時間をかけて心身を諸共に砕く用意があるが、それはその時だ。まずは自分が奪い取る物を明言する。
しかし返事を聞く前に、ドアの開閉音が出久の耳に届いた。
「お前ら何やってんだよ!?」
「緑谷君!今すぐにやめたまえ!」
声の主は飯田と切島だった。
「クソモブ、共が・・・・・・」
「ホンットに間が悪い時に来るなあ、もう」
ほぼ同時に溜息交じりの舌打ちが二人の口から洩れた。
遊び疲れて寝ているだろうと思い、人目のつかない場所と時間帯を選んだと言うのに。出久は声がした方向に顔を向けると、アイランドジャック事件で活躍したクラスメイトの面々が戸口に立っていた。ある者は驚き、ある者は困惑し、ある者は血にまみれた二人の姿に足を竦ませ、またある者は諦めにも達観にも見える、何とも言えない顔をしていた。更にその後ろではきまりが悪そうに目を伏せるメリッサの姿が見えた。大方彼女に居所を聞いたのだろう。
持ち前の『個性』と脚力で二人の間に飯田が割って入り、出久を爆豪から多少強引にでも遠ざけようと間合いの外へと半ば引きずり出し、切島も倒れ掛かった爆豪の肩を抱いて支えた。
「緑谷君、説明したまえ!これは立派な暴力事件だぞ!」
飯田自身も殴り掛からんばかりの剣幕で出久に詰め寄った。それに触発され、八百万を筆頭に全員が駆け寄る。
「説明も何も、事件の夜に植物園で言ってたじゃないか。ヴィランをカタに嵌めた後で僕と話をつけるって。それとも、アレをその場凌ぎの口約束だとでも思ってたの?飯田君も麗日さんも知ってる筈なのに?僕らの
不幸自慢に聞こえるのもあり、出久は正直話したくなかったが、話さなければ理解はされないどころか納得する努力すら放棄されてしまう。だから全てその場で話した。十年以上続くいじめっ子といじめられっ子の関係、その関係を破壊する為の一歩、そのくびきから逃れる為の大金星の数々、そして全てに決着をつける為のけじめの喧嘩。
改めて聞いた者も、初めて事情を耳にした者も、何も言えなかった。出久の胸ぐらを掴んでいた飯田の手も緩んだ。
「これを聞いた後、何を思ってこれから僕と接するかは皆に任せるよ。友達のままでいたいならそれでもいいし、距離を取りたいって言うなら、勿論一向にかまわない。でもこれだけははっきりさせとく。僕は自分が何一つ恥じる事をしたつもりはない。僕達の間で始まった事の始末をつけてるだけだ。たとえそれが何を意味しようと、お互いどんな代償を払う事になろうと。これは僕と彼の問題だ。邪魔だけはしないで欲しい」
「なら!もういいだろ!?爆豪ボロボロだぞ!もう勝負はついたんだから終わりでいいじゃねえか!」
「良く、ねえよ。クソ髪が」
支える切島の腕を振り払い、爆豪は出久をまだ腫れていない目で睨む。
「彼の言う通り、よくないよ。何一つよくない」
中学、入試、屋内対人戦闘訓練、そして体育祭。どれもルールはあった。公式だろうと暗黙だろうと、何かしらの制約はいつもあった。敗北と勝利の判定を定めたルールがあった。だが出久ははっきり覚えている。爆豪勝己は、一度たりとも自分の口から負けを認めていない。つまり、真の決着は未だついていないのだ。たとえ足を折られ、腕を引き千切られ、ぼろ雑巾になっても、敗れた本人が認めなければ決着とは言えない。
「敗北宣言と僕への謝罪。その条件が満たされていない以上、何一つ終わっていないんだよ。切島君がどれだけ説き伏せようとも、彼は頭を縦に振る事は無い。心の底から負けなければ、ね。だから、そこをどいて」
切島は一言「嫌だ」と返し、爆豪を背なに庇った。
「切島君――」
「断る!!お前らでけじめつけなきゃいけねえってのは、分かる。筋を通さなきゃ終われねえってのも分かる。部外者の俺が出る幕じゃねえってのも、分かる。分かるけど!それでも俺は・・・・・訓練でもねえのにクラスの仲間同士が殴り合うとこなんて見たくねえんだ・・・・・・ッ!」
「だったら黙ってさっさと帰れや、カスが」
爆豪は切島を押しのけ、口を手で無造作に拭うと、乾いた血を舐め取った。
「俺はこの場にいる奴の手なんざ借りねえ。借りるぐらいなら今すぐ舌噛み切って死んでやらぁ。見物すんなら勝手にしやがれ。だが邪魔すんなら、ぶっ殺す。それだけだ」
「だね。僕も引くつもりはない。これは今この場で出来るからこそやらなきゃ意味がないんだ。水差されちゃったけど、今ここで止めるなんてだらしない真似は出来ない。全部、無駄になる。今までの訓練も、戦いも、勝ち星も――全部パァだ!この件に限って『浪費』、『無駄』の類は、一切許さない。止めると言うなら、諸共に君を踏み潰す。」
二人に挟まれ、睨まれた切島は身を固くしたが、不意に肩に手を置かれた。
「轟・・・・・」
「お前の言い分は分かるが、俺は続行する事には賛成だ。切島、首突っ込む場所を間違えてるぞ。状況こそ体育祭って違いはあったが、俺は緑谷と徹底的にぶつかり合って蟠りを消して、その結果として友達になった。二人がそうなるかどうかは分からねえが、俺には関係ない。当人同士で決める事だ。だから俺やお前が二人の取り決めをどう思おうと、どっちが正しかろうと、その結果を出す為の喧嘩の邪魔は助けでもなんでもねえ。侮辱だ。クラスの仲間って繋がりが大事なら、不干渉のまま意思を尊重して、信じて待つのが部外者なりの筋の通し方じゃねえのか?」
それだけ言い残すと、轟は皆を置いて一人実験室の出入り口を目指したが、一度足を止めて振り向いた。
「ああ、それとこれは俺の勝手な希望だが・・・・・・できれば緑谷に勝って欲しい」
数十秒の沈黙を破り、遠ざかる轟の背を悔しそうに「・・・・・・っかぁ~~~~・・・・・・・何だよあれ!?」と叫んだが、声音とは裏腹に切島は感服したように角を曲がって姿を消した戸口を見て、顔を顰めつつも笑顔だった。
「よっ!轟焦凍、男伊達ぇ~~!!」冗談交じりに耳郎が声を張り上げた。
「切島君、あそこまで漢らしい事言われて更にゴネたら、完全に恥の上塗りやよ?」
「だよなぁ・・・・・」麗日の後押しもあり、切島はため息をついて両手を上げて降参のポーズをとる。「分―かった。俺の負けだわ。ちなみに俺は爆豪の勝利に一票な」
「分かったからさっさとどけや、アホ髪。」
「けどなあ・・・・・緊張感とかアドレナリン無くなったよ?全部。どうすんの?色々台無しだよ?」
「あ?んなモンこうすりゃいいんだよ」
近づきつつ、爆豪の頭突きが出久の鼻頭を捉えた。完全な不意打ちに仰け反り、鉄の匂いが鼻腔を満たす。ダメージが足に来ているお陰で幸い鼻骨は折れていないが、重力の力もあってかなり痛い。
「さっきのお礼参りじゃ、糞ボケ」
相変わらずの凶悪な笑みを浮かべ、爆豪はかかって来いと手招きする。
「・・・・・・私、趣味や嗜みは数多くありますが、午前の早い時間に殿方同士の殴り合い見物は含まれていませんので、これでお暇させていただきますわ。救急キットは創っておくので、必要とあらばお使いくださいまし」
「あー・・・・・・同感。ウチも別にいいかな。折角だから二度寝したいし」
「俺らもパスだわ。実は昨日朝飯一緒に食いたいって誘われてんだよ。な~、峰田!」
「おう!行こうぜ!」
「ならば、僕は残ろう。因縁を最初に打ち明けてくれた者の一人として、決着には立ち会って然るべきだからな」
「そうやね、なら私も飯田君と残って最後まで見届ける」
「そういう事なら、俺も残るぜ。どっちかが歩けなくなるぐらいボロボロになるかもしれねえし」
「んじゃ、以下同文であたしも残ろーっと」
喧嘩を再開した二人を見て残る者と決着を待たずに退散する者に分かれ、鈍い打撃音と少年二人分の唸り声が響く。残った男女四人は、それを只々注視していた。見入ってしまうのだ。
クラスメイトの闖入があってから時間の感覚がない。二十分経ったのか、三十分か、はたまた一時間か。何にせよ、決着は今日つける。
殴り合いの興奮を冷まさぬ為にも、出久は攻撃の手こそ緩めなかったが、防御を捨てた。着ている服が暗色で統一したのは幸いだった。血まみれのシャツで歩き回っていたら何が起きるか分かった物ではない。
拳の頭の皮が捲れ、膝や足首が軋む程の打撃。
打撃の都度跳ね上がる頭と、折れ曲がる胴体。
疼く痣、腫れ、そして舌に広がる鉄の味。
それらが全てを二人の頭の中から消していく。怒りも、責任も、しがらみも、葛藤も、目的すらも。快、不快のみが行動の源であり、目的である。
しかしそれも長くは続かなかった。
天井を見上げる爆豪勝己の胸に、見慣れた赤いハイトップのスニーカーが申し訳程度の体重をかけている。踏ん張りを利かせようと重心がぶれまくっているのを靴裏越しに感じる。
「わーったよ、言やぁいいんだろ?一回しか言わねえからな。俺の負けだ。それと・・・・・・今まで、ごめん」
胸の重圧が消え、隣に小学生のガキ大将顔負けの勝ち誇った笑みを浮かべた幼馴染が隣に倒れた。外野が駆け寄ってきて何か言っているが、聞こえない。何故なら彼の目に映った自分も、おかしなことなど何も無い筈なのに口元を大きくほころばせていたのだ。
これで一応出久・爆豪のけじめの喧嘩は終わりました。長かったな・・・・・・
お次はいよいよ林間合宿!
次回、File 54: 『個性』を伸ばして、Everybody Jump!
SEE YOU NEXT GAME......