ローソンの制服を着た変態お姉さんから命からがら逃げ出した僕はそのまま学校へと向かった。
小春を置いて家を抜け出した手前、彼女と会うのは少し気まずい。と言うより捕まればまず確実に何かしらの罰を受けるのは目に見えていたので僕は正門を迂回し裏門から校内へと入る。
そこまでは良かったのだが……今日が新学期初日というのが不味かった。他の県ではどうなのかしらないが僕達の住む地域では新学期初日は、クラス替えのリストを下駄箱へと張り出すのだ。つまり僕は下駄箱へと向かわなければ自分のクラスを知ることができないのだ。
当然、小春もそんなことは承知の上だったようで、下駄箱のクラス配置表前の人混みの前で腕を組み、般若の形相で仁王立ちしている。
やばいなぁ……めちゃくちゃ怒ってるじゃんあれ……。
捕まればナニをされるか想像するだに恐ろしい。どうにかして小春に見つからないようにクラス配置表を確認しなければならない。妖精さんを出そうかな?でも妖精さんの力を使うと母さんも小春も洒落にならないくらいに怒るから出来ればそれは最後の手段にしよう。
下駄箱の陰に隠れうーん、うーんと思案していると軽く肩を叩かれた。誰だろうと振り返るとそこにいたのは見たこともない女の子だった。
「提督?どう……したんですか?」
その声と表情にドキリとした。黒く、短く切り揃えられた髪にか細い声。さらに細いのは声だけでなく、その体も少し触れれば折れてしまいそうなくらいに華奢だった。
綺麗な子だなと思った。小春も美人だとは思うがまた系統が違う。花で例えると前向きでだけど少し棘のある小春は『曙草』、目の前の彼女は儚さを思わせる『ワスレナグサ』といった印象だ。
なるほど、僕はこういう娘がタイプなのかとこの時初めて理解した。何時も僕の周りにいた女子は気の強い子ばかりだったせいなのか、こういった大人しく、どこかミステリアスは雰囲気を持つ彼女のような女子を僕は好ましく思う傾向にあるらしい。その証拠にドクドクと今までに感じたことのない心臓の高鳴りと緊張を僕は感じていた。
ただ……彼女は僕の事を『提督』と呼んだ。つまりそれは彼女が『艦娘』であることと同時に小春が言うところの『変態』であることも示唆している。
『提督さんの包○おちん○んの皮を……剥かせてもらいたいなって』
先程遭遇した変態お姉さんの言葉がフラッシュバックした。あのお姉さんが艦娘ならこの子も同類ということになる。残念だな……こんなに綺麗な子なのに変態だなんて……。
「君も────変態なの?」
現代日本ではまず口にすることのないその現実感のないセリフに僕ははたと正気に戻った。
僕は一体何を言っているんだ。確かに目の前の少女は僕のことを提督と呼んだ。彼女が小春や父さんが言うところの『艦娘』であるのは間違いない。けど────逆に言ってしまえばそれだけでしかない。艦娘=変態であるというのは小春や父さんが僕に植え付けた先入観でしかない。先程のローソンのお姉さんといった例もあるがそれだってこの娘とは何の関係もない話だ。
つまり、僕の今の発言は人の尊厳を踏み躙る人種差別に他ならない。黒人だから、オタクだから、そんな発言が許されないのと同じように艦娘だから変態、等と言うことは決してないのだから。
「ごめん!僕は今、君にとても失礼なことを言った」
僕は直ぐに少女に頭を下げた。反応がない、怒っているのだろうか?恐る恐る顔を上げて少女の顔を覗き見た。
「どうして……謝るの?」
少女は軽く首を傾げ、そんなことを言った。あぁ、本当になんて優しい子なのだろう。僕が気を病まないように、そんな風に気を使ってくれるなんて。やっぱり父さんや小春の言うことは嘘だったんだ、こんな優しい子が変態でなんてあるはずがない。
「いや、僕は君に失礼なこと言ったから。初対面の君に変態だなんて絶対に言っちゃいけないことだった」
「なる……ほど。でも気にしなくていいです。間違いではありませんから」
「え?」
「それで……そんな所に隠れてどうかしたん……ですか?」
少し気になることを言っていたが直ぐに少女が話題を変えたのでそれ以上は聞けなかった。もとより僕の失礼が招いたのだ、態々墓穴を掘ることもない。
「いや、クラス表を見に行きたいんだけどね。あそこにいる地獄の門番、アケボロスが邪魔をするんだ」
「アケボロス?」
女の子はキョトンと首を傾げ僕の視線の先にいる小春を見た。すると直ぐに納得したように「ああ、曙さんのこと……」と、そう呟いた。
小春が『曙』であることを知っている。この学校でその事実を知るのは先生達とこの学校にいるもう一人の提督である所の今吉くんだけだ。なのにそれを彼女が知っているということはやっぱり彼女も艦娘だからなのだろう。
「私が見てきて……あげます」
「あっ、ちょっと」
僕の制止も聞かず女の子はテトテトとクラス表の方へと向かい、直ぐにこちらへ戻ってきた。
「F組でした」
「えっと、ありがとう……」
「いえ、それでは」
「あっ、待って!」
僕はクラスを告げ身を翻し去っていく少女を引き止めた。
「君の名前教えて貰えないかな?」
「伊号……いえ、ひとみ。そう呼んでください」
そう簡素に僕に告げると瞳は今度こそ僕に背を向けて去っていく。僕も名乗りたかったけど聞き返してくれなかったということはそういうことなのだろう。僕は鈍く痛む胸を押さえながら去っていくひとみの背中を見送った。
すると、ポトリとひとみのカバンの隙間から小さく薄い板のような物が零れ落ちた。しかし、新学期の喧騒もあってひとみはその事に気づいていない。僕は慌てて駆け寄ってそれを拾い上げた。
「これって……本?」
本だった。ブックカバーに覆われ表紙は見えないけれど側面から除く白い紙の層は間違いなく本だ。けれど、異様なまでに薄い。昔から読書が趣味だった僕はこれまで多くの本を読んできたけれどここまで薄い本には出会ったことがない。板チョコよりも薄いだなんて信じられない。
─────どんな本なのだろう
僕はその本の内容がとても気になった。元々、本好きでさらにそれが少し気になる女の子の物だというのだから尚更だ。
ダメだと分かっていても止められない。僕は手に持つそれをゆっくりと開いた。
「なっ─────なに、これ、」
余りに衝撃的な本の内容に僕は息を飲んだ。小説かと思っていたそれに描かれていたのは絵だった。それも只の絵ではない、所謂春画という物で紙いっぱい人の痴態が描かれている。
別にこういう本をひとみが読んでいるからといって僕はそれに対して何かを思ったりしない。つい先程、偏見は良くないということを身をもって実感したばかりだ。
けれど、けれどこれは─────
「なんで僕と今吉くんが……」
その本に描かれているのは裸の『裸の僕』と『もう一人の提督である今吉君』だった。男性同士の恋愛、所謂BLというものの存在を知識としては知っている。それが可笑しい事だとも思わない。しかし、そこに描かれているのが僕本人と友人となれば話は変わってくる。
いや、え?本当にこれはなんなの?なんでこんな物が?誰が何の為に?何故ひとみがこの本を?
分からない。理解できない。考えれば考える程に混乱する。
僕はそっと本を閉じてそれを鞄にしまい込んだ。
やっぱり艦娘には変態しかいないのかもしれない。
一年もお待たせしてごめんなさい。