竜王を倒した勇者ブライアンとその妻ローラの子は三人いた。その最後の子どもは
唯一の女の子であったが、生まれたとき既に父はこの世にいなかった。そのことが
関係しているのかもしれないが、彼女は成長すると未練もなくローレシアを去り
『ムーンブルク』国に嫁いでいき、その地に一生とどまった。もともと安定
していたその国は、祝福されたロトの血が入ったことでますます強固になった。
絶世の美女ローラの子孫だと誰もが疑わない少女、それがこの国の王女だ。
ムーンブルクもサマルトリアのように、『ムーンブルク王』が呼びやすいように
『ムーン王』として通っていたが、彼女の場合は『ムーン王女』であったり、
本名の『セリア』と呼ばれることも多かった。
また、彼女の愛称に『グリーングラスの乙女』というものがあった。
ムーンブルクはその国土や支配下の町村のみならず、城のなかまで
豊かな自然に満ちていた。草木や花は当然のこと、特に中庭の芝は
職人たちが細心の注意を払い毎日欠かさぬ管理を続けているので
青く生い茂っていた。そのグリーングラスの上で踊る彼女の姿は
老若男女問わず全てを忘れて魅入ってしまうほど美しかった。
また、彼女は魔法使いとしての素質もあった。剣だけではない、簡単な呪文も
体術も使ってよし、そんな大会に遊び半分で参加してしまうと、何と決勝で
サマルトリアの王子、『テンポイント』に勝って優勝したのだ。この日は
最有力候補、大本命であったローレシアの『トウショウ・ボーイ』こと
ローレル王子が腹痛のため早々に敗退した末の大波乱だった。悲願の優勝を
前にして敗れた流星の貴公子への慰めの言葉が飛び交う中、彼女は密かに
くすりと笑った。魔法さえ使えたらこの世代で自分が一番強いのだと。
『・・・いいえ、皆さまわたしを相手にきっと遠慮されてしまったのでしょう。
嬉しいというより申しわけない気分ですわ。しかし応援してくださった
多くの方々、特にお父様に、その感謝を踊りにして表したいと思います』
そしてグリーングラスの乙女は舞う。彼女はやはり戦うよりもこうやって
人々を魅了するのが向いている。ただでさえ平和な世、仮に何かが起きても
彼女はグリーングラスの上で美しい姿を見せ、皆を鼓舞してくれたらそれでよい。
セリアは愛を一身に注がれた一人娘。最も大切に扱われるべき存在なのだ。
では彼女が将来女王となるのか・・・おそらくそうはならないだろう。セリアには
婚約者がいた。とはいえ愛を育んだ末に婚約したわけではない。それどころか
これまで一度も会ったこともない相手だ。『ラダトーム』の第三王子とのことだが、
彼の評判すらセリアは知らない。そのような者との将来が約束されているのだ。
彼はラダトームではほぼ確実に王になれないので、間違いなく彼がムーンブルクへ
やってきて、セリアと結婚した後に王とされるのだろう。彼女はこのことに関して
別にいいとも悪いとも思っていなかった。その心にある感情といえば、
(・・・あーあ・・・退屈ね。こうしてわたしの一生は過ぎていくのだわ。
全てが定められたまま、わたしの意志など関係なく・・・・・・)
決して不幸だとは感じていない。ただ、つまらないのだ。本物の愛、
本物の感動、本物の悲しみ・・・それらと無縁の生涯が決まっていることは。
ローレルは自らの手で現状を変えたかった。サマルはそれが無理だと諦めて
いるので自分の境遇を変えようとした。彼女は違う。ただ漠然と、
どこかからやってくる何かが変えてくれたらなぁ、そう思うだけだった。
誰によるものでもいい。たとえ悪魔であっても、楽しませてくれるのなら。
ほんのちょっぴりでいい。せめて正式に結婚が決まる十七歳になるまでに
少しだけ何かが起きてくれれば・・・。どうせそんなことはないだろうけど、と
自分に言い聞かせて眠りについた。また明日も今日と同じ一日が始まる。
次の日も次の日も、その次もその次も次も次も・・・・・・・・・。
「・・・何かしら。騒がしいわね。これじゃあもう寝られないわ・・・」
城中のざわめきに目を覚ましたセリア。部屋を出て様子を見に行こうとすると、
父である国王がいた。国王は息を切らしていた。娘のもとへ休まずに駆けてきた
証だった。セリアの手を取ると、何も言わずに彼女を連れて再び走り始めた。
その向かう先は地下室だ。いまだ事情も分からぬ彼女は父に向かって叫んだ。
「お父様!これはいったい・・・何が起こっているのですか!?」
「・・・娘よ、ハーゴンの軍勢が、魔物たちが攻めてきたのだ。すでに
兵士たちを皆集めて戦っておる。お前はここに隠れているのだ!
よいか、何があっても出てきてはならぬ!」
「ハ・・・ハーゴンの・・・!あの邪教の・・・・・・!」
戦闘は激しさを増しているようだ。そして脅威は近づきつつある。
「うおお―――――っ!!死ね―――――!!」
「怪物めが―――っ、倒れるのは貴様らのほうだ――――!!」
魔物や兵士の絶叫だけではない。だんだんと剣や槍の音、呪文の詠唱、
そして空を飛ぶ魔物の羽音がしっかりと聞こえるようになってきた。
「・・・お父様!ならばわたしも!ムーンブルクの危機に王女として・・・」
「ならぬ!王女であるからこそ・・・お前は地下から決して動いてはならん!
むっ、もうここまで・・・!」
隠れ場である地下室の入口まで娘を送り届けると、兵士たちの壁を突破してきた
魔物相手に剣を持って王は突進していった。爪を振り上げた魔物よりも
僅かに王の動きが速かった。見事に魔物の右腕を斬り落とすと、すぐに
炎の呪文を唱えて相手は燃え尽きた。流れるような動きでまずは一体屠った。
「お父様!上から魔物が飛び降りてきます!ああっ・・・あちらからも!」
「セリア!まだそんなところにいたのか!早く階段を・・・・・・」
王は娘を思いながらも振り返らずに徐々に増えていく敵たちを倒していく。
いかに下級の魔物であっても、数に物を言わせて押し切ろうとする作戦は
このたびも有効だった。王は後のない壁に追いやられ、それでも国を、
娘を守ろうと高齢であることを感じさせない脅威の粘りを見せるが・・・。
「ふふふ・・・これでほぼ勝敗は決した・・・。しかしせっかくだ。
どうせなら派手にやるとするか!魔物ども、そこをどけい!」
突如現れた邪教の服を着た謎の男の声に、魔物の群れが空に、地中に、
あっという間に消えていった。まるで巻き添えを食らうのを恐れて
いるかのように。その男の大物ぶり、実力の高さを示していた。
「・・・きさま~~~っ・・・」
「さあ国王、これは見せしめだ!偉大なる神々、そしてあのお方に逆らった
罪人はどうなるか全世界の人々が思い知ることになる!いくぞ、とどめ!」
「や・・・やめて―――――――――っ!!」
セリアの叫びもむなしく、その男がムーンブルクで最も呪文に長けた王ですら
聞いたこともない、複雑で意味も理解できないような高度の詠唱を始めた。
そして・・・眩しい光と共に空気中のあらゆる元素が集まっていき、
それが王に着弾した瞬間、男は邪悪な笑みを見せた。男が指をパチンと
鳴らすと激しい轟音と共に大爆発が始まった。セリアの目の前でそれは起こった。
「・・・・・・ぎょえ―――――――――――っ・・・・・・・・・」
身体の中心から飛び散り、腕が、頭部が、内臓が・・・・・・ぼとぼとと
地に落ちてきた。それまで父親だったものの残骸が散乱するその光景に、
セリアの意識と視界は闇に支配され、そこから全く動けなくなった。
先ほどまで声を出していたせいで父を殺した男にもすぐに見つかってしまった。
「あああ・・・・・・ああああ・・・・・・ああ」
「・・・む!こんなところにも生き残りが・・・しかし何もできそうにもないな。
本来であればいろいろと楽しませてもらいたいところだが・・・あのお方は
そのような行為を忌み嫌われるので致し方ない。今すぐ死んでもらうぞ。
ムーンブルクの者たちは大なる者も小なる者も一人残らずにあのお方によって
有罪とされたのだからな。私はそれを果たすだけだ!」
男が国王を物言わぬ肉片とした呪文を再び唱えようとしたところで、セリアの
意識は完全に失われた。緊張、恐怖、悲痛・・・それらが限界を超えたのだ。
彼女がどうなっていようが残酷な処刑は構わず執行されようとしていたが、
セリアが倒れた後、彼女の知らないやり取りがあった。
「・・・待て!その者を殺してはならない!」
「あ・・・あなたは!まさかあなた様がこのようなところへ!ですが・・・。
いや、私はいかなるご命令にも従います。あなた様がそう仰るのであれば・・・」
「そう、それでいい・・・助かる。もうほとんど終わったようだ。きみはもう
戻りなさい。後のことはわたしに任せるといい」
「はっ・・・!!」
男は膝をついたまま姿を消した。そこに残されたのは涙を流しながら倒れている少女と、
彼女をじっと見ている、あの底知れぬ力を持つ男すら言葉一つで退かせてしまった
大物が一人。その者はセリアに向かって手を伸ばすと、右腕に力を入れた。
「・・・『やつら』の手前・・・このままというわけにもいかないが・・・・・・
ふむ、きみもわたしも・・・僅かなチャンスに賭けてみるのもいいだろう。
きみにその気があり、きみを救う者たちがやってくるならば・・・・・・」
その日、たった一日のうちにムーンブルクは滅ぼされた。唯一生き残った
兵がサマルトリアへ、そしてローレシアへこれを知らせに向かったのを
魔物たちは気がつかなかった。ただ一人、セリアと共にいたその者以外は。
あえて見逃したのだ。理由はその者しか知る由もないだろう。
(・・・・・・・・・わたしは・・・・・・それにここは・・・)
目を覚ますと、そこは慣れ親しんだ城ではない。景色が全く違う。
(・・・!?声が出せない!しかも・・・あれは人の足!?)
起き上がろうとしたが、その感覚も異常だ。いや、身体の全てが。
その様々な疑問の答えは、近くの池に自らの姿が映しだされることで
明らかになった。
(・・・犬・・・!!これは・・・わたしだわ。間違いなく。
ああ・・・思い出した。お城は・・・お父様は・・・・・・)
セリアは人間ではなくなった自分を見て全てを直感的に理解した。
これは呪いだ。どのような目的かは知らないが、邪教の者たちは自分を
殺さずに犬の姿に変えてきたのだ。屈辱と怒りに身が震える。
やがて近くを通りかかった親子が犬となった彼女をしばらく見ていた。
「・・・母さん、あの犬・・・全然吠えないね。病気なのかな?」
「お腹が空いているのかもしれないわ。確か朝のお客の残飯がまだ
残っていたから持ってきましょう。でも・・・あんな犬昨日までは
いなかったような・・・?誰かが置いていったのかしらね」
しばらくしてから戻ってきた中年の女性が、子犬のもとへ皿を置いた。
その女性は宿屋の経営者であったので、捨てる直前だった食べ残しを
適当に寄せ集めた。仕事が残っていたため子どもを連れてその場を去っていった。
昨日までであれば目にすることもなかったであろう粗悪な食事。しかし
生きるために彼女は食べた。人目を気にせず食べ続けるなか、彼女は
心から自分の考えを悔やんでいた。平凡で退屈な日々がいかに大切で、
かけがえのないものだったのか。気がついたときにはもう帰れない。
(・・・必ず・・・お父様の、打ち倒された全ての人たちの無念を
わたしの手で晴らしてみせる!そのためならいまはどんな仕打ちにも
耐えてやるわ!むしろ強くなり・・・邪教の者たちも魔物たちも
根絶やしにするまでは死ねない。絶対に・・・・・・!!)
人通りの少ない、緑の芝生が生い茂る町の外れで一人彼女は復讐を誓った。
グリーングラスの乙女、最悪の状況に身を置かれながらも決して絶望せずに
ただそのときを待っていた。暗闇からの救出をもたらす何かがやってくることを。
苦難に満ちた歩みにも孤独にも負けずに戦ったからこそ、彼女はやがて
誰よりも祝福されることになる。
人々よ、彼女の華麗なる容姿ではなく、その不屈の闘志を、華奢な身でありながら
怪物たちに食らいついた意地を、戦い抜いた勇姿を褒めたたえ、後の世代に語り継げ。