ベラヌールの酒場では、町の人々が見慣れない三人の男女が次から次へと瓶を
空にしてはまたさらに別の瓶の中身を減らしていく。そのうちの一人は昨日
別の男女と共に来てやはりかなりの量の酒を飲んでいたが、残りの二人の
少女に関しては初めて見る顔だった。彼と同じペースで飲んでいる。
「あれはどういう人たちなのだろう。酒を飲む速さも確かに凄いが」
「あの酒はこの町で一番の大男ですら薄めて飲むか少量しか飲めないほどの、
人をとても酔わせる酒だったはず。それをあんなひ弱そうな少年少女が」
人々はすっかり驚いたまま彼らを見ていた。その正体など知る由もない。
少年とその隣にべったりとくっついている少女はサマルトリア国の王子と
王女であることだけでも衝撃的だが、彼らより一回り幼く見える少女こそ
世界を震撼させる邪教の大神官とされるハーゴンだとは夢にも思わないだろう。
三人はどれだけ飲んでも僅かに顔が赤くなるだけで少しも酔ってはいないのだ。
「ははは・・・確かに精霊ルビスもかつては善良な存在だった。アレフガルドの
創造者でもありその後更に世界を広げていっていま君たちの住む地をも造った。
しかし今やわたしから見ればただの老害!怨念の塊に過ぎないのだよ」
「ろうがい・・・?おんねんのかたまり・・・?どういう意味?」
「そうだね、要するにもうこの世には不要だということだ。もはや血が薄まり
力も弱まっているロトの子孫たちをいまだに特別視し、それ以外の者を
一切勇者として認めない。わたしだってその血統は特別なものだと思っている。
しかしあの者の固執は異常だ。ロトの血のなかでも彼によく似た己の認める
男と己に生き写しともいえる女以外への扱いはそれは残酷で忌むべきものだ!
アーサー、君だけを頑なに祝福しなかったりサマンサに至っては殺害しようと
していたのだ。もはや愛に富んだ精霊などではなくなってしまったのだ・・・」
ハーゴンがたびたびルビスのことを悪く言うのは敵対関係であるという私情が
入っているからだとアーサーは話の全てを信じようとはしなかった。だが、
今ルビスについて語るハーゴンの表情は決して憎き相手の醜態を広めようと
しているものではなく、昔からよく知る者の豹変を哀しんでいるようだった。
「・・・ルビスが狂った原因は・・・『愛』!それも男女間の愛だ。勇者ロトに
恋をしてからだった、目に見えて変わってしまったのは。まさかあれほど
までになってしまうとは・・・。だからわたしはその感情をずっと避けて
今日まで生きてきた。しかし・・・ついにわたしにもそれが初めて芽生えた」
にこりと笑うハーゴンとは対照的に、サマンサは不安そうな顔になり、これまでより
ますます兄に身体をすり寄せた。そして力強く抱きついた。
「そんな・・・やだ!ウオッカ、おにいちゃんをとっちゃやだ!」
「ふふ、とらないさ。なぜならわたしの恋は・・・君たち二人に抱いたものだからだ。
君たちのその悲しい愛そのものにわたしは恋をした。どうにか成就させてやりたい!
そういう意味だから心配しなくていい。むしろ邪魔するどんな障害をも
わたしは排除する!それをいまここで誓おう。君はサマルトリアで安心して
待っていればいい。その間に花嫁修業も忘れずにな・・・・・・」
サマンサはすぐに笑顔に戻った。国に帰ったらまずは料理を覚えようと思った。
「おにいちゃん、おにいちゃんが一番好きな食べ物って・・・お魚?お肉?」
「・・・そうだなぁ。ぼくは週に一度か二度夕食に出される・・・」
兄妹の会話を酒を片手に微笑みながら見守るハーゴン。その彼女に対しアーサーは、
「・・・きみはどうしてここまでぼくたちに思いやりを示してくれるんだ。
ぼくたちが祝福を受けていないとはいえロトの血統だからか?きみはルビス様を
非難したがきみもずっと昔のロトのことを忘れられないから・・・」
ハーゴンを追及した。お前も本質は同じではないのかと。ハーゴンがルビスよりも
自分を高めるような語り方をしていたのが気に入らずに彼はそう言ったが、実のところ
アーサーは知らずのうちにハーゴンとルビスが『同じ』であると自ら言ってしまって
いたのだ。その二人を並べることなど本来ならば不敬極まりないことだった。
ハーゴンはそれを逆にアーサーに指摘することもできたがそうはせず、自分と
ルビスの違いを話すことにした。
「・・・わたしは違う。わたしはかつて約束したからだ。後にロトの妻となる女に、
いつか君たちの子孫と酒を飲みながら語り合いたいと。彼女はぜひ頼む、と
言ってくれた。わたしが彼らの血統に注目しているのはそのためだった」
「ロトの妻・・・きみの書いた本には詳しく記されていないな。一部の伝説では
ルビス様がロトと結ばれたなんていうものもあったけれどやはり偽りだったか。
その妻はロトの旅の仲間だった者?それともラダトームの女の人の誰か?」
「それは内緒にしてくれって本人から言われているから秘密にしておくよ。
しかしいま、わたしの数百年以上前からの誓いは果たされた!こうして
君たちと陽気に楽しい時間を過ごせたんだ。一つの夢が叶ったよ」
ハーゴンはその手に持つグラスに残っていた酒を飲み干した。すると新たな
酒を再びそのなかに注いだ。それをアーサーとサマンサに見せて言う。
「だがこれでわたしは満足してはいない。新たな夢がいま生まれた!
それは君たちの遠い将来の子孫ともこうして共に酒を飲むことだ―――っ!
だからアーサー、君は死なせない。君たち二人の仲を何にも邪魔させない。
宿屋でも言ったがロトの血はすでに限界まで薄まっている。よってもう
ロトは関係ない。そこがいつまでも過去に拘るルビスとは違うところだ!」
「わたしたちの・・・子孫・・・!何百年もあとの?」
「そう。今日、わたしは君たち兄妹と真の友情を築けたと思っている。
この友情を永遠のものとするために、君たちがいなくなった後にその
子どもたちに危機が訪れたときわたしはそれを必ず助ける。
わたしはこれまで約束や誓いを全て果たしてきた。ゆえにこの先、
未来に関しても決して偽りはないと宣言させてもらおう!」
ハーゴンの語った予言的な言葉。サマンサは目を輝かせながら心に刻み込んでいた。
夕食が終わり宿屋へ戻る道。サマンサは眠ってしまいアーサーが彼女をおぶっている。
「・・・さすがに限界だったか。今日が初めてのお酒だったからね」
「なんと・・・最初でここまでいけるのか。やっぱり彼女は化物だな。しかし
この大酒飲みぶりはさすが兄妹・・・おっと、実の兄妹ではなかったか」
ハーゴンは言葉を続ける。サマンサが完全に眠っているのを確認してからこう尋ねた。
「君もまた彼女のことを愛しているというのはわかっていた。しかしそのきっかけは
どこにあるのか・・・もしよかったら聞かせてほしい」
「・・・大して面白い話でもないさ。ぼくもサマンサと同じだよ。ぼくそのものを
見つめて、ぼくを好きでいてくれたから・・・かな。余計なものがなかった」
勇者ロトの末裔であるサマルトリアの次期国王であり、しかもすでに父を超えて
いるという声も聞かれるほどの知恵の持ち主。更には『流星の貴公子』と
呼ばれるほどの美しい顔。彼を評価し、近づき、愛する者たちは数多くいたが
アーサーからすれば、ほんとうの自分を誰も見ていないように思えたのだ。
サマンサだけだった。純粋なる愛を示してくれたのは。そこに彼は惹かれた。
「では君に改めて言おう。君は世界樹の葉を手に入れた残る二人とあと三日も
しないうちに合流し、ロンダルキアにて待つわたしのもとにやってくるだろう。
そこでどのような結末を迎えるとしても、君は必ずサマンサのもとに
帰らなければならない。その後は自由にしてよいが、サマンサを捨てて一人で
旅に出るなどというもともと抱いていた考えを変えなければならない」
「そうだね・・・サマンサの幸せのためとか言っていたけれど・・・ぼくは
逃げていたのかもしれない。しかしそうするとサマルトリアの国が・・・」
「君が心配することはない。すでにわたしがもともと君が国と妹を託そうとしていた
男が王となるようにしてある。そう、カブラヤの愛する女ガビーをわたしが
祝福したので彼らは子を得ることになる。君の父や国の高貴な人々も必ずや
彼らが新たな王家となることを喜んで認めるようになるだろう。わたしが彼らの
心を動かすからだ。後のことはカブラヤオーたちに任せ君たちは旅立ちなさい」
こんなにうまくハーゴンの思い通りに事は運ぶのかとアーサーは疑ったが、それも
ハーゴンには見透かされているような気がした。そして自分の懸念を結局は
この『神の子』は振り払い、その言葉が果たされずに終わることを許さないだろう。
今日ハーゴンと出会い、はじめは世界を脅かす魔王のくせに何と弱そうなことかと
侮った。現に彼女は体調は本調子ではなく、『悪霊の神々』たちに裏切られその立場を
危うくされても抵抗できずにどうにもならない状況だ。しかしその一方で不思議な
人を惹きつける魅力がある。アーサーもいけないと思いながらも、ハーゴンの支配する
世界はどのようなものになるのか見てみたいという気持ちが頭をよぎったほどだ。
「・・・宿に着いたが・・・ぼくは元通り自分の部屋で寝る。きみはサマンサと
二人で部屋を取ってくれ。きみたちは親友なんだ、信頼している証だよ」
邪教の総帥に愛する妹を任せるなどとはこの日の朝には思いもよらなかったことだった。
「なら君の言う通りにしよう。まあ君たちを二人にしてしまったらどうなるか
わからないし今日の夜はそうさせてもらおう。サマンサは君と子どもをたくさん
つくりたいと言っていた。やり方がわからなくても本能的に動くかもしれない。
しかしそのような行為は正式に結婚した男女のみが・・・・・・」
「もういいだろう、わかっているのなら。ほら、サマンサを連れていってくれ」
翌日、ハーゴンはサマンサに失われていた十年を少しでも取り戻させるために
多くのことを教え始めた。その教え方は完璧で、サマンサはそれをみるみると
吸収していった。アーサーが幼き頃の帝王学や呪文の教師たちは皆その知識の
深さを誇り、高ぶったり見下すような態度が見え隠れしていたがハーゴンは
そうではなかった。もし彼女が自分の教え手であったならば、もっと呪文の
素質を伸ばせたかもしれない。あのアレンすら魔法を使えるようになりえた、
アーサーはそばで見ていてそう思ってしまった。
また、昼になると町の外れに向かい、その病ゆえに町の中心には入れてもらえない
貧しい人々の身体を癒し始めた。回復呪文とはまた違うその特殊な力によって。
富んだ人々や影響力のある人々のもとへは向かわず、誰からも見捨てられた者たちを
ハーゴンは癒し、その病を取り除いたが、騒ぎになることを望まなかったので
自分の名前を告げず、このことに関しても黙っているようにとその人々に告げた。
「なぜそのようなことを・・・?目立つ行為をしたほうがきみにとっていいのでは?」
「ふふ・・・あまり派手にやると必ずわたしの偽物が現れて変な商売を始めるだろう」
「この町の大富豪や町長を癒すことだってできた。それをしないのは・・・」
「彼らには医者がいる。痛みや寒さを和らげる女たちもいるそうだ。しかし町の外に
捨てられていた人々には慰める者がいなかった。だからわたしは彼らを助けた。
アーサー、君たち兄妹のことも同じだよ。アレンやセリアは今後もルビスが勝手に
祝福を与えていくだろうが君たちは・・・余計なお世話だったかもしれないがね」
それから二日が過ぎ、ついにハーゴンはその気配を察知した。この日も昨日までと
同じようにするものと思われたが、サマンサに荷物をまとめるようにと告げた。
「・・・アーサー、どうやらあと数時間で君が自分の体の一部だとする者たちが
帰ってくる。わたしたちはここで失礼しなければならなくなった。サマンサは
無事に送り届ける。君はひとまず病人のように振る舞っておいたほうがいいだろう。
君ならまずしないだろうが彼らにわたしと出会ったことは言ってはならない」
「アレンたちが・・・!よかった。無事に世界樹の葉を手に入れたんだ」
アーサーがハーゴンとの数日の出来事をアレンたちに話したとしても彼らは
信じないだろう。邪教の呪いがまだ残っていると思われるかもしれない。
どうあれ和睦は難しいのであれば、アーサーは黙っているのが一番だった。
「おにいちゃん・・・ぜったいに生きて帰ってきてね。これ・・・」
サマンサは一冊の本を差し出した。アーサーが中身を確認すると、以前に
彼女がくれた古代呪文の解読書だった。いまアーサーが戦闘で使用している
呪文よりも遥かに魔力を消費する、レベルの高い呪文の数々の唱え方が書かれていた。
サマンサはやはり呪文に関してはこの数百年で一番の素材だとハーゴンが認めただけ
あるが、それでもアーサーがサマンサを旅に同行させずサマルトリアに帰すのは、彼女に
血を流してほしくないから、そして血を流させたくないというアーサーの思いだった。
アーサーはかつてアレンの弟プレス・トウコウがサマンサを襲ったとき何者かに
よって全身大やけど、また剣の一撃が彼を死の淵にまで追いやったことを
まるで自分がやったかのように匂わせたが、実は全てサマンサがその犯人だった。
強姦されそうになっているということまでは気がついていなかったが自分に
危害を加えてくる相手を無意識のうちに撃退していた。
サマンサはその一連の出来事をすっかり忘れてしまっている。『マルゼンスキー』にとって
プレス・トウコウなどその程度の存在に過ぎなかった。しかしこの調子で彼女に
人や魔物を次々と躊躇いなく殺害させたくないというのがアーサーの考えだった。
アレンやセリアのようにこれは正義なのだからと気にしなければよいのだが、
後々になって命を奪った重みに押しつぶされるようなことは何としても避けたかった。
「ありがとうサマンサ。このおかげでぼくが生還できる可能性は段違いに増した。
今度こそ次に会うのは全てが終わってから、ということになるけれど
いい子で待っているんだぞ・・・おっと、もうこんな言い方はふさわしくなかった」
サマンサの病気はなくなったうえ、二人の関係はもはやただの兄妹ではない。
別れの際にいつもはサマンサから迫っている口づけも、今日はアーサーから
彼女を抱き寄せ、そのまま唇を奪った。それに応じるサマンサはいつものように
情熱的だったが、彼女にとっても今までとは違う意味を持っていた。
「・・・こ、これは・・・・・・」
二人は固く抱き合いながら舌を絡ませる。酸欠になるのではないかと思うほど互いを
激しく求める。やがてアーサーがサマンサを抱いていた手が彼女の腰や臀部のあたりを
掴むと、サマンサの体がびくっと震えたが、それを拒絶するどころかもっと欲しいと
兄を抱く力を強めた。その光景はハーゴンにとってあまりにも刺激的だったので、
その顔が耳までみるみる真っ赤になり沸騰したかのようになった。
「・・・これは・・・・・・・これ以上は~~~っ・・・!!」
気がつくと鼻から血が流れていた。腰砕けになり、その場にへたり込んでしまう。
「・・・ぷは・・・・・・おにいちゃん・・・・・・」
「ん、サマンサ・・・・・・むっ、ハーゴン!まさかまた例の持病の発作か!」
「いや・・・これは違う・・・。それとはまた別なんだが・・・」
二人がハーゴンの異変に気がついたのはかなり経ってからだった。アーサーたちに
愛や恋について説いてはいたが自分ではその経験がなく、しかも免疫もなかった。
これこそハーゴンの弱点の一つだったが、ならばどう攻撃に生かせばいいのかは謎だ。
(・・・ぼくの願い通りアレンとセリアの距離が縮まっていたら彼女の前で
いろいろやってもらえばあっさり倒せちゃうかもなぁ。まああの二人は
嫌がるだろうから現実的にはそんな作戦はありえないんだけどね・・・)
「まあさておき・・・しばしの別れの挨拶は終わったようだし、わたしたちはこれで」
「・・・ああ。サマンサのこと、頼む」
ハーゴンはいまだ顔を赤くして、興奮した様子でサマンサを連れて去っていった。
ところがその去り際に彼女が呟いた言葉がアーサーにはよく聞こえてしまった。
「しかしわたしの術もあんなに簡単に解除されるとは。使わないうちにずいぶん
錆びついていたものだ。寝床から一歩も動けなくなる金縛り・・・。まあいいか。
サマンサ、どうする?すぐにサマルトリアに帰るか?それともどこかでもう少し
外の空気を満喫するか?」
「わたしはウオッカともっと遊んでから帰りたいな~・・・」
なんと、ハーゴンが仕掛けていたのは身体が麻痺して身動きがとれなくなる金縛りの
呪いだった。そんな症状はなかったので彼女の呪いは最初から失敗していたのだ。
となると、あの朝の激しい吐血は何だったというのか・・・。
「ゴホッ・・・ゴホッ」
遠くから手を振っていたハーゴンとサマンサが完全に見えなくなったころ、
アーサーは嫌な咳をした。口元にあてていた手を見ると、赤い血がべったりと
ついていた。この原因は果たしてどこにあるというのか。
「・・・とにかく寝よう。きっと一時的なものだ。これは・・・」
彼自身もわかっていた。この出血は深刻な事態であると。いかに自分を騙し
平常心でいようとしたところでよからぬことが己のなかで進行しているのを
止められはしないということも。ハーゴンの鼻出血やサマンサがすでに癒された
心の病とは異なり、命を蝕むものであった。