道中進んでいくとなぜかやたら魔物の死骸を目にする。ミシェル曰く、通常に比べて明らかに生きた魔物が少ないらしく「まあ戦闘目当てじゃないしいいけどさ」とぼやいていた。
時折ミシェルが何かに目を留めるがすぐに気落ちしたように視線を進行方向へと戻す。
「さっきからどうした」
「いや、やけに今日は何もないなって」
オルヴァーリオの湖底。ここは魔物を狩る以外に得られるものは結晶や水晶の欠片などだ。これらは魔法使いの触媒や魔法具の素材になるものでそんなに頻繁に見つかるものではないのだが、それにしてもまず数が少ないとミシェルは渋い顔をする。
「乱獲してるやつがいるかなぁ……他所から来た、しかもとびきりの下手くそ」
不自然にへし折られた水晶の根本をなぞりながらミシェルはますます不愉快そうに顔をしかめる。
「あそこは無事だといいんだけど――」
何か呟いたかと思えばはっとしたようにミシェルが振り向く。戦闘態勢、とこちらへ合図をすると同時に目の前に魔物が突如出現し、俺達を見て襲い掛かってくる。
たかがサファギン3体、と思って剣を抜くと同時にサファギンの1体が壁へと吹っ飛んだ。
魔物たちが突然現れることよりも一瞬の出来事で思わず目を丸くすると、次いで残りの2体を素手で攻撃する男が俺達の前に立ちはだかる。
「よーしこれで99! 案外100の大台乗るじゃねーか!」
得意げに絶命したサファギンを数えながらそのまま素材を剥ぎ取ろうとして不器用なのかミシェルよりも雑に、しかも失敗していくつか諦めて死体を打ち捨てる。
男は体格がよく、俺より背丈もある。全体的に戦い慣れているといった雰囲気をまとっており、それでいてこの素材の剥ぎ取りの下手さからして冒険者らしくはないと思われた。
「……おい……」
冒険者じゃないにしろあまりにもマナーが悪い。乱入してきた男に思わず声をかけるほどに。
「こっちの獲物だったんだが?」
「はあ? 獲物なんて殺したもんのものだろ」
独特の雰囲気からして恐らくこの国の人間ではない。価値観が違う相手と理解し合おうというのは難しい話で、一歩間違えたら戦闘なんてことはごめんだった。
これは会話しても無駄だ。ミシェルに視線を向けると同感、とでも言いたげに肩をすくめている。
「はあ、わかった。じゃあ俺たちは先に進ませてもらう」
関わってもろくなことにならない。ならばと先に進もうとすると解体用のナイフがつま先を掠める。投擲されたそれはこのマナーの悪そうな男のものだ。
「ま、ここで会ったのも何かの縁だ。有り金と素材置いてけや」
悪びれもしない笑顔。そうだ、こういうやつがいるから冒険者はロクでなししかいない。性根が腐ったクソ野郎どもめ。
ミシェルも鬱陶しそうに顔を歪めている。隙を伺っているのか視線だけが動いていた。
「いいのかなぁ? 喧嘩を売るってことはそういうことなんだけど、もしかして調子に乗った初心者クンだったかな?」
ミシェルの挑発に男は楽しげに笑う。得体の知れない不気味さは笑顔からくるものか。
「ま、俺たちはこっちじゃぺーぺーの新米だわな。暗黙の了解だかなんだか知らねぇけど察しろって空気はどうも苦手でさぁ」
「はっ、随分と残念なオツムをしているようだ」
音もなく、足元にあった小石を蹴り上げたかと思うと男がそれを回避した隙を狙ってミシェルはポーチから何やら煙幕を出して周囲に白い煙を撒き散らす。
ミシェルが煙の中走るのを感知して俺もそれに続く。せめて合図をしろとは思ったがこればかりは仕方がない。
「あの煙幕なんだ」
「あーあれね、普通の煙幕なかったから魔物除けのやつ」
「すごい嫌がらせだな」
獲物を探しているやつに魔物除けとかすごく意地が悪い。まあ本当にそれしかなかったのかもしれないが。このまま逃げおおせれば向こうも諦めてくれるだろう。
そう思ったのだがどうやらうまくいかないらしい。
「え――」
ミシェルが驚愕に目を見開いたかと思うと横で走っていたミシェルが吹っ飛んだ。驚異的な速さで近づいてきた男は躊躇なくミシェルを蹴り飛ばし、離れた壁に打ち付けられていた。
「てめぇ、いい加減に!」
「この国の魔物の弱さに飽き飽きしてたからさー、ちょっくら相手しろよ兄さん」
先ほどと変わらない笑顔で男は言う。この国の人間ではない。粗野で常識も知らないこいつを見てくると苛立ちが増す。関わりたくないが向こうが絡んでくるというのなら話は別だ。
「てめぇみたいなロクでなしを相手にしてるほど俺たち暇じゃねぇんだよ!」
男は素手。恐らく先程のサファギンのときも素手だったことからそういう戦闘スタイルなんだろう。
ならば答えは簡単。
初撃は男の首を狙う。当然男はそれを回避するはずだ。読み通り動いたその男に次は回避できないよう避けてくる方へと剣を向ける。この一瞬で二撃目は回避できるはずがない――というのは甘い見通しだった。
男は一瞬のうちに視界から消えたかと思うと背後へと回っていた。やばい、と思ったときにはすでに首を掴まれ、地へと叩きつけられる。
男の力は凄まじく、地面がえぐれ、俺もそこそこの傷を負う。が、手加減しているのか致命的なダメージはない。
「チッ、加減ミスったか。動けなくなるくらいですまそうと思ったんだけど」
俺が動けるのが意外とでも言うように言う。恐らくミシェルが先程の一撃でまだ動けてないことから俺もそれくらいだと判断されていたのだろう。
「調子に――」
「そら一撃くらい寄越せよ。それで飯食ってるんだろ『冒険者』」
嘲笑うように、俺たち冒険者を揶揄する。こいつらは冒険者ではない。が、冒険者の真似事のようなことをしている意味がわからない。
「お前らみたいな冒険者ってやつら、要はまともな職につけないあぶれ者だろ? んでもって戦闘は本職以下。はぁー、つまんね」
「はっ――お生憎様、俺が冒険者やってる理由はお前なんかに理解できないだろうよ」
夢を見た。それは今思えばひどく滑稽で、まさに夢物語だった。
それでも、俺は心のどこかでまだ期待している。
「見たこともない景色を見るっていう、本当の意味で『冒険』してーんだよ!」
男の右腕への一閃。男の回避は少し遅れたのかかすり傷ではない程度に腕から血が流れる。
続く二撃。本来俺の双剣は連撃こそが真髄。二撃目は回避されるが続く三撃は肩のあたりを斬りつける。男は痛みで僅かに顔を歪め、俺との距離を取る。
「なんだそれ。あほらし」
それだけ言って俺へと拳が襲い掛かってくる。早い。頬を掠めると同時に腹部を剣で守り、剣を伝って衝撃が腕まで伝わってきた。
その瞬間、男の腕にナイフが突き刺さる。投擲されたそれはミシェルのもの。ようやく動けるようになったのか少し苦しそうにだがミシェルは立ち上がる。
「クソ野郎が……いい加減にしろよニュービー」
ドスの利いたミシェルの低音。片手にナイフを持ちながら完全に殺る気の雰囲気に思わず息を呑む。が、ミシェルにはこの男は倒せない。倒せるはずもない。
「ミシェル下がってろ! お前にこいつは無理だ!」
「馬鹿が! 君はその夢を否定されて悔しくないのか! 僕は殺してやりたいほどには腹が立つね!」
男は腕に刺さったナイフを乱暴に引き抜いて適当に投げ捨てる。服がどんどん赤く染まっていくが気にも留めずミシェルを見て笑う。
「やる気なら相手するぜー。まあ、どのみちお前ら二人のもの全部もらってくつもりだったしな」
男がミシェルへと襲いかかるが、ミシェルをかばうために剣で拳を受け止めもう一刀で男へと反撃する。
「あ――」
反撃は届かず、男のカウンターで俺は再び地面に倒れ伏す。先程よりダメージが大きい。
「レブルス!」
追撃がくるかと思われたその瞬間、ミシェルの声とほぼ同時にばしゃっと水が降り注ぐ音。
ぴちょん、と水滴が水たまりに落ちるだけで急に静かになりのろのろと起き上がると男は俺達を見ていなかった。前身ずぶ濡れでわなわなと震えながら誰かを睨んでいる。
「おい、なにやってんの脳筋馬鹿」
現れたのは小柄な少女。だが、俺たちが戦っている男はその人物を見るなり怒声をぶつけた。
「いいからお前も手伝えよ! 男のくせに遠巻きから見てんじゃねぇよ! つーかなんで水ぶっかけやがった!」
え、あれ男なのか。ミシェルには及ばずともかなりかわいい顔をしているのだがその外見にも関わらず男らしい。つまりは少年か。
「少し頭冷えるんじゃないかと思って。で、何。どういう状況」
「冒険者とちょっと遊んでただけだっつーの」
「……は? 冒険者に喧嘩売られたのか?」
近づいてきた少年は軽装だが武器の類は見当たらず魔法具などの装飾が目立つ。先程水を降らせたのが少年の仕業なら魔法使いか。
「せっかくだから冒険者の持ち物を貰おうと思っただけだ」
ひどい暴論である。少年もみるみるうちに顔を呆れから怒りに変えて男に詰め寄った。
「馬鹿野郎! この脳味噌にクソの詰まった馬鹿犬! 私がいない間にふざけやがって! そんなだからお前とバディを組むのは嫌だったんだ! たかが冒険者に喧嘩を売ってるんじゃない!」
「うっせーな! 人を馬鹿馬鹿言うならお前はチビだ! チビ、小人、ガキ!」
「貧相な語彙力で人を罵倒する暇があったらさっさと本命を――」
「お前らちょっと黙って」
口喧嘩をしてお互いの顔を引っ張ったり肩を殴ったりしている二人組の後頭部を同時に剣の柄で殴ると額がぶつかり合い、二人揃ってその場に倒れ伏す。自滅してくれて助かった。
まあそんなに長々と気絶はしていないだろう。魔物除けの煙もあるし死にはしないはずだ。
「マナーの悪いやつもいたもんだ」
ポーションを飲みながらある程度回復を行い、伸びている二人を見下ろした。冒険者じゃないにしろある程度マナーというものはある。それすら理解できない者はダンジョンでも淘汰されるというのに。
「でもまあ、そういうのが大半だよ。特に冒険者を見下すタイプの人種はね。この辺は腑抜けたやつ多いから比較的マシだけど」
ミシェルの嘲るような言い方にどこか含みを感じる。お前だって冒険者の中じゃ人に奢る余裕のある金持ちの部類だろうに。それとも腑抜けた冒険者に対して何か思うところがあるのだろうか。
俺もその腑抜けの一人であるが故に深くは聞かない。
「にしても本当にお前、戦闘駄目なんだな」
話題を変えようと先程の話を持ち出す。速さはあるがさっきの男にすぐさま吹き飛ばされたシェル。スカウトとはいえあそこまで弱いとは思わなかった。
「いやー、本気でやれば少しはなんとかなるよ? この前のあの暴漢みたいに集団で来るとちょっと厳しいけど」
「よく今まで一人でやってきたな」
「王都とか別の場所はもっと治安ひどいからね。慣れだよ」
女の冒険者はかなり危ない。それこそ無法のダンジョンで一人でふらついていたら襲ってくださいと言っているようなものだ。
実際に、ダンジョンで冒険者の女を捕まえて売り飛ばす売人もいると聞いた。それでも一定数存在する理由は至極簡単。女が金を稼げるのは冒険者くらいしか手段がないのだ。
だがもちろん戦う術も、役立つ手段もなければ一生細々と暮らしていくしかない。ミシェルにも思うところがあって冒険者の道を選んだのだろう。あの技能の数値は異常だ。どれだけ長い年月をかけて身につけるものか、想像できない。あれほどの熟練に到達する人間はそう多くない。もともと才能があったにしても苦労しているのは容易にわかる。
それに比べて俺は単に子供の憧れを拗らせただけの馬鹿だ。
いくらでも稼ぐ手段はある。それでも冒険者を惰性で続けていたのは逃げだ。
あの時から、俺は冒険者は憧れたものではなく、ただの言い訳になった。まだ冒険者として生活できるから。今更普通の仕事に就くなんてみっともない。冒険者として活動できるうちはまだチャンスがあるかもしれないと。
馬鹿馬鹿しい。本来の目的はどこにいった。
ミシェルの女神の施しに釣られてしまったことすら恥ずべきことだ。たしかに金は大事だ。もう誰かと組むつもりはないと思っていたのにあっさりとそれを覆した。
「――僕の能力に釣られたの、後悔してるかい?」
哀れみが混じった目を向けられる。まるで心を読んでいるかのようなタイミングに思わず息を吐く。
「ああ、俺は所詮利益に目の眩むロクでなしの冒険者だよ」
「でも君はそれを悔やんでる」
まるで俺をかばうような発言。こいつの考えは相変わらず読めない。
「僕はそんな君だから気に入ったよ。ていうか、目の眩んだ豚なら悩んだりお試し期間なんてしないですぐに飛びつくさ」
「……俺にも色々あるんだよ」
「だからさ! 僕はそれがいい! 君ならきっとわかってくれるさ。さあ、先に進もう」
差し伸べられた手をまだ俺は取れない。
躊躇いは毒のように俺を戒める。あの頃の記憶が俺の手を阻む。