1
きらーん、
小さな星が現れて、瞬きながらくるくる回転し、青い画面内をあちこち跳ね回る。
ぽむ、と弾んで画面からはみ出て、消える。
イントロが流れ始めるのと同時に、画面全体に少女の顔が、すうっと浮かぶように現れる。
伏せるように、目を閉じている、赤い髪の少女。
顔を上げながら、すっと目を開ける。
先ほど消えた星が、くるくる回りながら戻ってくる。
カメラがぐーっと引いて、少女の姿は一瞬にして豆粒のように小さくなって、山と海とに囲まれた町が、そして青空が。
青空に、タイトルロゴが浮かび上がる。
魔法女子ほのか
カッチリした紺色の文字で「魔法女子」、その右下には、黄色を赤く縁取った大きな丸文字で「ほのか」。
画面内を跳ね回っていた星は、ほのかの「ほ」の字の右下、くるんとしたところで瞬きながらゆっくりと回転している。
2
歌が始まった。
赤毛の少女が学校の制服姿で、友達と笑いながら廊下を歩いている映像。
♪♪♪♪♪♪
ねえ 知ってた?
世界は綿菓子よりも甘いってことを
ねえ 知ってた?
見ているだけで幸せになれる
♪♪♪♪♪♪
場面切り替わり、
神社でアルバイトをしている赤毛の少女。
巫女服を着て、掃除をしたり、仲間と楽しそうにお喋りしたり。
♪♪♪♪♪♪
わたしって、天才音楽家
かもね
だってこんなにも
ほらね
ときめきのビートを刻んでる
こんなのはじめて YEAH! YEAH!
♪♪♪♪♪♪
画面全体が、ぼやけた縁に囲まれている。
ご馳走を食べてるところや、気球で空を飛んでいるところ、テストで百点とって羨望の眼差しを浴びたり。
男の子のシルエットと、赤毛の少女。
顔がぐーっと接近し、
あとちょっと、というところで、
夢から覚めた。
がっくり。
机の上のテストも、十点。
♪♪♪♪♪♪
もしもこの世が終わるなら
後悔なんか したくないから
♪♪♪♪♪♪
牛頭人馬の魔物が現れて、街を破壊して回っている。
立ちふさがる赤毛の少女。
腕を振り、呪文を唱え、学校の制服から赤い戦闘服へと変身。
攻撃を受けて吹き飛ばされるが、
超変身で、さらに真っ赤な姿になり、燃える炎のパンチで敵を倒す。
右手を上げて、勝利のポーズ。
♪♪♪♪♪♪
たどり着いた世界
それ本物だと思っている
偽物だって構わないでしょ
自分で見つけた宝なのだから
The world is full of treasure!!
♪♪♪♪♪♪
教室。
先生に怒られて、肩を縮めてしゅんとしている。
ひらひらと、画面の上から紙が落ちてくる。テストの答案だ。十点。
体育館。
低い跳び箱も飛べず、ガラガラ崩してしまう。
恥ずかしさに涙目、友達に慰められ、笑顔。
♪♪♪♪♪♪
君と一緒にいられるなら
どんなパワーだって出せそうだよ
なんにもない世界、上等
わたしと君で全部作れるから
偽物だって構わないでしょ
自分で見つけた宝なのだから
The world is full of treasure!!
♪♪♪♪♪♪
赤毛の少女、空を見上げる。
再び、青い空に「魔法女子ほのか」のタイトルロゴ。
曲、フェードアウト。
3
山と、海と、澄み渡る青空。
細い坂道、ガードレール越しに、きらきら光る海が広がっている。
のんびり緩やかな風景。
それをぶち壊すような、慌ただしい足音と、はあはあ苦しそうな息遣い。
「遅刻遅刻遅刻!」
寝癖のようなぼさぼさ赤毛の少女が制服姿で、通学カバン片手にその坂道を下っている。
はあはあと息を切らせながら、必死に走っている。
少女のモノローグ。
『私、
高校一年生。
なんの取り柄もない、普通の女の子です。
実は私、誰にも話せない、
ちょっとした秘密を持っているのだけど。
……って、それどころじゃないっ!。
急がないと。
今日、遅刻するわけにはいかないのだから。
でも、
でも……』
はあ、
はあ、
「もう、体力……限界ですう……」
4
学校の廊下。
水のたっぷり入った金属バケツを両手に持って。
「結局、間に合いませんでした」
バケツを持ったまま、がくりうなだれた。
頭の中の映像が、ぽわーんと画面一杯に広がる。
回想シーンだ。
先生が、丸めた本をパシパシ自分の手のひらに打ち付けながら、怒鳴っている。
「惚笛、お前はここのところ遅刻ばかりして、たるんでいる! いいか、明日も遅刻をしたら、バケツを持って廊下に立ってもらうからな!」
ぽよよよよ、と回想映像は消えて、残るは廊下に一人立つほのかの姿。
「はーあ」
うなだれたまま、大きなため息をついた。
「この学校、相変わらず宿題が多いというのに、
独り言で愚痴っていると、ほのかの眼前に、いきなり眩い光が。
ぼむ。
魔法使いのような黒のローブに、すっぽりフードを被った、ちょっと小太りのトラ猫、のようなものが宙に浮いていた。
妖精、ニャーケトルである。
「お、予想してた通り遅刻して立たされたか。ニャハハ」
低く野太い笑い声。
「
「まあ、お前の頭じゃあ大変だろうな。せめて、他の女子の半分のオツムもありゃよかったのにな」
という妖精の言葉が矢になって、ほのかの胸にぐさっ! と突き刺さり、背中に突き抜け、がくりよろける。
なんとかこらえ、矢を引き抜いて捨てたほのかは、ちょっとむっとした表情で、
「じゃ、最初からそういう人に頼めばよかったじゃないですか」
「そうしたかったよ。でも、お前にしかやれねえんだから、仕方ねえだろ。だったらせめて、普段から少しでも勉強頑張って、宿題ごときで寝坊しないようにしとけよ」
「他人の成績のことなんだから、ほっといてください」
「あんな程度の宿題に必死になって、肝心な時に『ほのかなんだか眠いですー』じゃ、こっちの命がいくつあっても足りねーんだよ!」
「だ、だからって、だからって、いまそういう嫌味をいう必要ありますかあ!」
涙目になって抗議の声を張り上げるほのか。
教室内でのドスドスという足音に、ニャーケトルのフードの下にある耳がピンと立って、フードを押し上げた。
「あぶね。じゃ、またな」
ぼむ。
猫の妖精は、一瞬にして光の中に溶け消えた。
と、ほとんど同時に、ドアがガラリ激しく開いた。
そこには、普通にしていても怖そうに見える
「うるさいぞ、惚笛! 一人で騒いで、バカか? 全然反省しとらんじゃないか! 次の
「えーーーーーっ」
大きな口を開け、おもわずバケツを落としそうになり、とと、っと慌てて持ち直す。
『確か今日の占いは総合運絶好調のはずなのに。
嘘もいいとこじゃないですかあ』
はあ、がっくり。
などとため息を吐いていると、校内にチャイムの音が鳴り響いた。
教室の中で号令の声が聞こえ、静かだったのが一転どっと賑やかになって、生徒たちがわらわら廊下へと飛び出してきた。
ほのかは相変わらず廊下で、バケツ両手に立ちっぱなしである。
面白くなさそうにしている彼女へと、二人の男子が近寄っていく。
なんだか運動も勉強も得意そうな、そんな見た目というかオーラの
背の低い、悪ガキ小学生みたいなのが
「おい惚笛、手、大丈夫か? 重いだろ」
心配そうな表情で、高木雄也が声を掛ける。
「ありがとうございます。なんとか、まだ、耐えられそうです」
誰にでも敬語の、ほのかである。
「しかしお前なあ、ほんと最近遅刻が多いぞ。そりゃあ先生に怒られるって」
「はあ。そういわれましても」
ほのかは、困ったように視線を泳がせる。
『
「つうか、バケツ持って立たされるやつなんて、おれ初めて見たよ。漫画かよ」
島田悟はネチョネチョ声でそういうと、ギャハハと笑った。
小馬鹿にされたほのかは、ちょっとむっとした表情になった。
「親の仕事を手伝わなきゃいけないとか、なんか事情があるんなら、おれでよければ相談に乗るからさ」
雄也の優しい言葉に、ほのかの表情がほわんとやわらぐ。
「無駄無駄あ。遅刻癖のあるやつはなにしても治らねえって。そもそもの常識感が欠落してんだから」
下品なネチョネチョ声に、またむっとした表情に。
「いまの時間も、ノート取れなかったろ。よければ、あとで写させてやるからさ」
ほのかの顔、ほわわん。
「バカはなにやってもバカ。一たす一はなーんだ?」
「あのお、交互に喋るのやめてもらえませんかあ! 感情が端から端で疲れるんですけどお」
確かに、ほのかの表情筋はピクピクひきつけ起こしそうになっていた。
「ああ、ごめんな」
などとやっているうちに、少し遅れて隣のクラスも授業が終わったようで、教室から、ほのかの友人である
出てくるなり、ほのかたちがいることに気付いて、
「こらあ、島田悟っ、またほのかをからかってやがんのかっ!」
怒鳴りながらささっと素早く近寄った。
「散れっ! この男どもが!」
追い払おうとぶんぶんと手を振り、二人はトイレ行こうぜっと立ち去ってしまった。
「あーーーー! 雄也君まで散らさなくてもっ」
つい本音の漏れてしまうほのかに、ないきは、ははーんとニンマリ顔になって、
「連れ戻してきてやろうか?」
「結構です!」
ヒマワリぎっちり詰め込んだハムスターのように、ほっぺたを膨らませるほのかであった。
5
輝く太陽。
青空の、遥か遥か下には、
山と海とに囲まれた町。
学校。
校舎、校庭。
体育館。
その、体育館の中で、男女生徒たちが大声を出している。
男女とも白いシャツに紺の短パン、体操服姿だ。
女子たちは体育館の真ん中に集まって、マット運動と跳び箱を。
男子たちは壁際で、跳躍力や反復横飛びなどの体力測定だ。
「
ほのかは右手を高く上げると、マットへとゆっくり走り出す。
飛び込み前転、
をしようと、マットへ手をつきごろんと回転しようとするが、腕力がなくて頭をごっちん。うぎゅっ、と詰まったような悲鳴をあげて、背中を硬いマットに思いきり打ち付けてしまった。
「ちょっと大丈夫、ほのかっ」
「ごっちんだけでなく、首がグキってなってたけど」
心配そうな表情の女子たちに取り囲まれているほのかであるが、突然がばっと跳ね起きて、
「なんともありません。痛かったけど。とにかく、次は跳び箱で挽回です」
と、跳び箱へと走り出すが、てっぺんどころか真ん中あたりにドカンと頭からぶつかって、ガラガラ崩してしまった。
「い、い、いまのはウォーミングアップ!」
崩れた跳び箱の中から起き上がり、素早く組み立て直し、特別にお願いっと再度チャレンジするほのかであるが、今度は踏み切り板に蹴つまづいて、アゴをガッチン、結局またガラガラと崩してしまった。
これはさすがに猛烈に痛かったようで、ごろごろ転がり悶絶している。
「いやあ、ひさびさの合同授業だけど、相っ変わらず酷えなあ、ほのかは」
はっはっ、と笑っている青髪少女の
の眼前に、ほのかドアップ。
「そんなに、おかしいですかあ?」
さらに顔面ズーーーム。
「あ、いやあ、その」
「私だって、落ち込んでいるんですからあ」
「悪い悪い」
ないきはごまかすように、ほのかの背中をばんばん叩いた。
面白くなさそうに叩かれているほのかであったが、
『あれ?』
不意に、心の中で疑問の声を発した。
自分に対しての視線ではない。まったく別の方向だ。
ぴぴぴぴぴ、と見ている先を目で追うと、そこに立っているのは、ないきと同じクラスの
長い黒髪が印象的な女子生徒である。
彼女の周囲には、他に誰もいない。
つまり島田悟は、早川香織を見ていると考えて間違いないだろう。
「うーむ。惚れてんな、あの表情は、間違いなく」
ないきも気が付いたようで、腕を組んでニヤニヤと笑っている。
「そうですねえ」
「おー、鈍感なほのか君もさすがに感じますか」
「いまなんか聞き捨てならないことを、さらりといわれたんですがあ」
などとふざけたような真面目なようなやりとりをしながらも、そのまま島田悟の様子を遠目から観察し続ける二人。
「おっ、なんか早川さんに話しかけてっぞ」
「ほんとだ」
「告白したりなんかして」
「なんかドキドキしちゃう。って、こんな場所で告白するわけないゃないですかあ」
「分かってるよ。いってみただけだよ。……つうかさあ、告白、どころか……」
「なんだか、喧嘩しているような…‥」
「ほのかもそう思う?」
「はい」
声ははっきりとは聞こえないが、
おそらく、
悟の言葉にカチンときたのか、香織がいい返して、
香織の言葉に、悟がムキになってからかいはじめて、
悟のからかいに、香織が怒って、
怒った香織に、悟が、
「ばーかばーか!」
はじめてはっきり聞こえた声は、そんな子供じみた捨て台詞。肩を怒らせながら、男子たちの群れの中に戻ってしまった。
「うーむ。惚れてると思ったのは、あたしらの気のせいだったのだろうか」
ないきは、鼻の頭をかいた。
6
暗闇がどろどろと渦をまいているような不気味な空間に、うっすらと浮かぶ黒い人影が二つ。
「なぜ、あの町にこだわる」
大きい方の人影から、言葉が発せられた。筋骨隆々を思わせるシルエットから想像出来ないほどに、ネチョネチョと粘液質な声である。
「愚問だな。魔道スポットが多く存在するからに決まっている」
もう一つの影。
なにをいまさら、とでもいいたげにフンを鼻を鳴らした。
「それがために守護者も配置されており、迂闊にも覚醒させてしまったわけだが。そうなること分かっていただろうに、毎回ぶざまにやられていては世話はないな」
ネチョネチョ声が、ふっと呼気のような笑い声を漏らす。
「世話にはならんさ。少なくとも、お前の世話にはな。そもそも、なにもないところを征服してなんの意味がある?」
「こんなところでぺらぺら舌を動かしていても状況は変わらんぞ。守護者一人に手こずっているお前だが、感じないか? あらたな波動を」
「とっくに。いくら増えようとも、倒せばいいだけのこと。守護者の肉体魂魄から流れされた血の分だけ、それは我が極悪帝ヤマーダさまにとって極上の甘露となるであろう」
「お前は喜劇役者の才能があるな。たった一人にいつも破れて……」
「黙れ! こちらに有利な状況は着々と整いつつあるのだ。ヴェルフ、ヴェルフはいるか?」
「はっ!」
どろどろとした暗闇の中、まるで獣のような人影がすっと降り立ち、そして跪いた。
7
住宅街の、ごく普通の一軒家。
二階の窓から
悪戯好きな小学生、といった見た目の彼であるが、なんだか現在の彼は非常におとなしく、なんだか寂しそうな表情であった。
「お兄ちゃん」
幼い声を背中に受けて、ゆっくりと振り向いた。
部屋の入り口に、小学一年生くらいの小さな女の子が立っている。
「ん?」
「もう、お姉ちゃんこないのかなあ」
「さあ」
悟はさびしそうな声で返事をすると、また窓の外へとうつろな視線を戻した。
8
神社の境内に、七、八人ほどの参拝客。
ぎらぎらと、暑いくらいの陽光が空から降り注いでいるが、この境内は木々の枝葉にほどよく覆い隠されて気持ちよさそうである。
その枝葉の向こう、遥か遠く眼下には青く広がる海が陽光を受けてキラキラと輝いている。
巫女さんの服装だ。
参拝客とすれ違うたびに、丁寧に頭を下げている。
少し離れたところから、若い女性の声。
「五百八十円、お納めください」
社務所で、
らせんは、大きな眼鏡をかけた黄色髪の少女である。ほのかとは、同じ中学出身の友人だ。
掃除しているほのかの前を、お守りを授かった女性が通る。
「ありがとうございました」
軽く頭を下げるほのか。
その女性の、お腹が大きいことに気付き、
『ふえ、赤ちゃん、いるんだあ』
『どうか元気な子が、無事に産まれますように』
などと、頭の中で安産祈願などをしていると、いきなり風が強く吹いた。
巫女装束がばたばたなびいた次の瞬間、
「あああああ!」
ほのかは大きな悲鳴を上げていた。
せっかくかき集めた葉っぱが、くるくる巻き上げられて境内中に散らばってしまったのだ。
ショックにがくりうなだれていると、
「今日もよい天気じゃな」
宮司の
ほのかは会釈しながら、
「いい天気ですけど、そう素直に褒めたくないほどに風が意地悪なんですがあ」
散らばった木の葉を、指差した。
『というか小暮さんがくると、いつも風とか雨とか自然に意地悪をされる気がするんですけどお。小暮さんというか、かるんちゃんがくると、かな。……ということは、近くにいるのかなあ』
と、キョロキョロ見回していると、
「お疲れさん。いやあ秋も近いねえ」
幼い顔、幼い声、の割に妙に落ち着いた口調の、橙髪の少女。
小暮かるん、歳三の孫娘である。
この近くにある中学校の、女子制服を着ている。
境内脇にある自宅に入り巫女装束への着替えを済ませたかるんは、箒を手に取って、ほのかと一緒に掃除を始める。
が、すぐに手を動かすのを休めて、境内をぐるり見回して、ため息を吐いた。
不満そうな顔で、ほのかに向かってボソリ、
「ねえ、ほのかさん、ひょっとしていまきたばかり? 落ち葉が酷すぎなんだけど」
「えーーっ! もう完璧ってくらいだったのに、かるんちゃんのせいで突風が起きて全部飛んじゃったんじゃないですかあ! この前は大雨を降らせてたから、今度も濡れるのかなって覚悟していたら、意表ついて風で飛ばすだなんて酷い!」
苦労の報われなさにか、少し涙目になって抗議をするほのか。
「はあ? わけの分からないことを。人を天候操るモノノケみたいに」
「そっちの方がマシですよ。倒せばいいだけですもん」
「小ネズミくらいのモノノケなら、ほのかさんにも倒せるかもね。無理か」
「も、もう少しくらい大きいのだって倒せますう!」
そんな軽口というか何というかを叩き合って落ち葉かきを続けているうちに、日も暮れかけて参拝客の姿も見えなくなっていた。
二人は、ちょっと休憩とばかり社務所の中へと入った。
社務所とは、要するにお守りを参拝客へ受け渡すところである。
ほのか、かるん、もともと中にいた須内らせん、三人は横座りになった。
となると当然のごとく始まるのが、いつもの雑談タイムである。
「宇宙とはなんだろうか」
小暮かるんが難しそうな顔で、そんな一言を発した。
これが今日の議題のようである。
「う、うちゅう、ですか?」
非日常的なことをいわれて、思わずたじろぐほのか。
隣の須内らせんは、なんともおかしそうに笑顔で、
「昨日は、シロクマはなんで白いのか。で、本日は宇宙とはなんぞや、か。それで、今日はどうしてまたそんなことを」
外した眼鏡のレンズを布で拭き拭き尋ねた。
「べっつに、さしたる意味などはないよ。宇宙という言葉ってさ、量子力学とか光子力とか相対性理論とか、そんな感じの言葉が合ういわゆるSF的なもののようでもあり、しかし哲学そのものでもあるよね。宇宙なんかの存在を知り得るはずのない古代インド人も、独自に宇宙の概念は思い描いていたわけで。日本の、かぐや姫なんかもそうだよね。また、単に言葉として、表現手法として、よく使われるものでもある。恋愛小説や漫画なんかでもさ。そんな宇宙という存在を、ひっくるめて一言でいうとなんなのだろうか。と、ふと思っただけ」
「じゃあ恋愛ってことでいいです」
「ほのかさん、あたしの言葉から適当に抜き出して答えただけでしょ。しかも『じゃあ』とか『ことでいい』とか投げやりだな」
「だあってえ。宇宙があ、とか考えたことないですし」
「かるん、ほのかに難しいこと振るのが間違いだよ。ほんのちょこっとでも難しいと、すーぐキャパオーバーで、頭が爆発しちゃうからなあ。シロクマとか、その前のマカロニの穴の話とかには、妙に食いついていたけど、それらは知識なくても空想だけで適当に語れるものだからね」
須内らせんが、眼鏡をかけ直しながら、ほんわか顔でズバリ痛烈な一言を吐いた。
「ほんのちょこっと難しい程度じゃ爆発なんかしませんよ、分かりませんけどお! ……じゃあ、じゃあ、らせんちゃんは、宇宙ってなんだと思ってるんですかあ。バカな私にも分かるように、説明して下さあい」
「巨大なタコ焼き、かな」
「タコ焼きい?」
脱力したような表情の、かるんとほのか。
「どんどん膨張を続ける大きな風船のようなもの、って聞いたことない? だからって風船とか答えても、まんますぎでしょ? だからちょっとアレンジを加えてみたんだよ」
「ああ、タコ焼きといえばあ、最近駅前に、お店が出来たらしいですねえ」
食べてみたーい、といった、いまにもよだれ垂らしそうな、ほのかの顔。
「ほのかさん、すぐ脱線する」
かるんが、不満そうに腕を組んだ。
「ほのか以前に、かるんの振る話題が、いつも最初から脱線しているんだって。それよりさあ、そのタコ焼き屋さん、美味しかったよね」
「雑談に脱線はないと思うけどなあ。でもまあ、確かにあのタコ焼きはかなり美味しかった」
「えーーーっ! らせんちゃんも、かるんちゃんも、もう行ってるんですかあ? ずるいなあ」
「だって、こんな田舎だもん。新しいお店がオープンしたってだけで、イベントじゃん」
「そうですけどお。……誘ってくれればよかったのにい」
「宿題たっぶり出されちゃったからダメですーとかいってたの、ほのかでしょ。半額セールが最後の日だったから、仕方なくあたしとかるんで行っちゃったよ。行く道で、ないきと出会ったから、三人で食べた」
「は、半額……」
ほのかがショックに呆けた表情で頭をふらふらとさせていると、
「ちわっす!」
元気のよい大声とともに、青髪ポニーテールの少女がやってきた。
家の仕事の手伝いで雑貨配達に訪れた、
華奢そうな身体と裏腹に怪力なのか、重そうな木の箱を楽々と肩に担いでいる。
「なんだあ、また食べ物の話かあ? 昨日は確か、シロクマの肉って食べたら美味しいのかなとか、そんな話していたよな」
「してないよ! 純粋に北極の王者のロマンを語っていただけだよ」
かるんが、ムキになって否定した。
「いや、途中からそんな話になってた気がする。シロクマの肉の味の話に。確か脱線させたのは、ほのか」
「ほのかあ、またお前かあ!」
かるんは、二学年上のほのかを呼び捨てお前呼ばわりしながら、さらにはぎゅうっと首を締め上げた。
「ぐるじ。またっ、て、さっきのわたし犯人じゃなかったじゃないですかあ!」
ほのかは、かるんの首を締め返した。
「なぜ反撃する?」
「こっちの台詞ですう」
本気顔で、ぐいぐい締め合う二人。
「なあ、お前たちって、なんでそう三人集まると、どうでもいい話しかしないの?」
ないきが、あまりのバカなやりとりに、ちょっと引いてしまっている。
「どうでもよくない話って、なんですかあ」
ほのか、首を締めつ締められつつなんとか言葉を絞り出す。
「例えばさあ、進路のこととかあ。恋愛の話とかあ。ええと、あとなんだ、あっそうそう、学校で
「誰それ? ないきさんやほのかさんの通ってる学校の男子?」
かるんの言葉に、ないきは「そ」と頷いた。
「まあ、そりゃあ元気がなくて心配といえば心配ですけどお」
ほのか、ようやく首の締め合いが終わり、げほげほむせながら言葉を発する。
「なんかあったら、高木雄也との仲を取り持ってもらう作戦が台無しになるもんな」
「か、かか、考えたことないですよ! 私はただっ、純粋にクラスメイトとして心配しているだけでえ」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
ないきは苦笑した。
9
ほのかが、学校の制服姿で歩いている。
巫女さんバイトの帰り道である。
「タコ焼きタコ焼きタッコタコタコタッコ焼き♪」
即興タコ焼きソングを口ずさみながら、木々に囲まれた緩い坂道を下り終えて、街へと出た。
タコ焼き屋に行くわけではない。
別の坂道を、今度は登って、自宅へと帰るだけである。
「あれ?」
ほのかは、足をとめた。
前方に、制服姿の
ゆっくりと歩いている悟。
ほのかは、背後からそーっとそーっと近づいていく。
脅かすような手つきをしながら前へと回り込もうとしたほのかは、悟の表情がおかしいことに気づき、顔に疑問符を浮かべた。
なんだか、ぽわんとしているのだ。
悟の、表情が。
その理由は、すぐ分かった。
さらに前方に、同じく制服姿の
どうやら、彼女が気になって仕方ないのだろう。
「悟くん」
ほのかは声をかけるが、反応なし。
「悟くんってばあ。どうしたんですかあ?」
顔の前で手のひらをふるふる振るが、反応なし。
「わっ!」
耳元に口を近づけ、大声で脅かした。
「うわああああ!」
ガチン!
「あいたっ!」
ほのかの悲鳴。
驚いた悟が、何故かほのかの方へ飛び退こうとして、頭と頭が衝突したのだ。
「あいてて。
「こっちの台詞ですう! 驚いたなら普通は反対方向に飛ぶんじゃないですかあ?」
「うるせえっ! どこに飛ぼうがおれの勝手だ」
「それで頭がゴッチンしたんじゃないですかあ」
「お前が驚かすからだろ!」
「だって声かけても無視するんだもの! ……早川さんのこと、見ていたんですよね?」
「ば、ばかいうな! あんなの!」
「好き、なんですか?」
ほのかは、尋ねた。
あまりの直球質問に調子が狂ったか、悟は視線を落としながら、素直に頷いていた。
10
野犬だかなんだか、とにかく犬に襲われて。
といっても、大きな犬じゃなかったらしいけど。ま、妹には大きく見えたのかな。まだ五歳だからな。
襲われたといっても、別に噛まれたわけじゃない。
うーと唸られ、勝手に怖がって泣き叫んで逃げ出しただけ。
一緒にいた友達の話では、そういうことらしい。
犬は別に追ってこなかったらしいけど、妹にそんな冷静な判断力はなく、喚きながらひたすら全力で走って、坂で転んで、右足を捻ってしまった。
今度はその痛みにわんわん泣く朋美。
そこに通りかかって、家まで運んで、手当てしてくれたのが、早川だったんだ。
妹と遊んでくれているうちに、おれが帰ってきて。
あれ、確か隣のクラスの早川だよな、ってびっくりしたよ。
おれん家、たまたま数日間、両親が不在で。うち貧乏だし食材を買い込んでなんとか自分で作るしかないかなあ、なんて思っていたんだけど、早川が買い物に付き合ってくれて、それどころか作ってもくれてさ。
朋美のためなんだろうけど。怪我したその日、おれが帰ってきた時には、もう妹はすっかりなついていたから、だから放っておけなかったんだろうな。
理由はともかく、そんな事情から、両親が帰るまでの数日間、早川がおれたち兄妹の面倒を見てくれてさ。
気が付いたら、
すっかり、おれ、あいつのこと、
好きになってた。
11
「告白しちゃえば、いいんじゃないですか?」
「んな正直にいえるわけないだろ」
「普段ひねくれているんだから、こんな時くらい素直にならなきゃあ。あ、だったら、私が気持ちを伝えてあげますから」
「バカ! 余計なことすんな! バカ! 分かったな!」
悟は走り出し、街の中へ姿を消した。
一人残ったほのかは、しばらく無言で立っていたが、やがて、
「なんか、いつも私だけが、バカバカいわれてるんですけどお」
と、ぼそり。
『でも、確かに、いまのはちょっとデリカシーがなかったかもなあ』
こつん、と自分の頭に拳をぶつけた。
12
夜空に浮かぶ薄黒い雲の隙間から、三日月が見え隠れしている。
その遥か下、木々茂る坂道の途中に、ぽつりと建っている一軒家がある。
二階の、道路に面している洋室が、ほのかの部屋だ。
「と、いうことがありましてえ」
ほのかは、パジャマ姿でベッドに腰掛けている。
ローブをすっぽりかぶった小太り猫である妖精ニャーケトルが、宙にふわふわ浮いて、
「へー」
ろくに聞いておらず、ほのかの漫画本を読んでいる。
カバーの絵からして恋愛もの少女漫画のようであるが、どこにそのようなシーンがあるのかニャーケトルは突然「ぎゃはははは!」と大笑い。
ほのかは無言で、すっと立ち上がった。
机の上に置いてあるペットの毛づくろい用ブラシを手に取ると、宙に浮くニャーケトルの身体を片手で押さえて、
バリッザリザリッ!
肉も裂けよとばかりの力でブラッシング。
「ニャギャーーーーーッ! なにすんだてめえええ!」
「そっちが話をまったく聞いていないからじゃないですかあ!」
「だからって、普通こういうことするかあ? お前、ちょっと性格悪くなったぞ」
ドタドタドタドタ、階段を慌しく駆け上がってくる音。
「なんかあったんかっ! ほのかあっ!」
ドアがバンと開いて、ぼさぼさ髪に無精髭の中年男、ほのかの父である
「やべっ!」
ニャーケトルは、光の中に溶けるように一瞬にして消えた。
「な、なんでもないですよー」
手をひらひら、ごまかし笑いをするほのか。
「いや、なんか気色の悪い叫び声が聞こえたぞ。野郎の声だった」
「きき、気のせい気のせい」
冷や汗たらたら、手のひらぱたぱた。
「そっかあ?」
「それよりもお、いきなり入ってくるのやめて下さあい。着替えているかも知れないじゃないですかあ」
「ガキが着替えてるからなんだってんだよ。まあいいや。もう遅いから、とっとと寝ろや」
「はあい。おやすみなさあい」
バタン。
ボン。
ドアが閉まるのと同時に、ニャーケトルがまた宙に姿を現した。
ぐっと堪えているように、身体をぷるぷる震わせている。
「あ、あの男ーっ、俺様の声を気持ち悪いだの抜かしやがってえ」
「そんなどうでもいいことより、大きな声を出すのやめて下さい。家族に知られちゃうとこだったじゃないですかあ!」
「大きな声を出させたのは誰だよ! つうか、どうでもいいってなんだ、てめえええ!」
ドタドタドタドタ、ドタドタドタドタ、
バタン!
「ほのかあっ!」
ボンッ。
13
青い空。
山に、
海に、
そして学校。
廊下。
教室。
授業を受けている生徒たち。
いつも落ち着かず騒がしい島田悟であるが、今日は自席でおとなしい。
なんだか寂しそうな、なんだか落ち込んでいるような、彼の表情である。
そんな彼の顔を、惚笛ほのかは胸の詰まるような心配そうな顔で見つめていた。
両手にバケツを持ちながら、廊下の窓から。
今日もまた遅刻してしまい、廊下に立たされているのだ。
授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り、号令の声。
教室からぞろぞろがやがやと、男女生徒たちが出てきた。
高木雄也と、それにくっついて島田悟も。
悟は先ほどと変わらず、元気のなさそうな表情である。
雄也は、ほのかの前に立つと、苦笑しながら、
「惚笛え、お前はまあた遅刻してえ。こう続くと、さすがに俺も擁護出来ないぞ。昨日は、宿題だってそんなに出なかったんだし」
「そうなんですけどお、色々と考えることがありましてえ」
えへへと、ごまかし笑いするほのか。
「ふーん。悟が元気ないなー、とかかあ?」
という雄也の言葉に、びくりと肩を震わせたのは悟である。
震わせ、続いてほのかの顔をキッと睨みつけた。
「え、え、違う、私、誰にもなんにもいってませんよ!」
バケツ両手に、言葉と表情で必死に弁解するほのか。
雄也は、ははっと笑って、悟の顔を見る。
「早川さんが好き、ってことだろ。誰にいわれなくたって、気付くに決まっている。俺とお前と、知り合って何年経つと思ってんだ」
その台詞に、疑いの晴れたほのかはほっと胸をなでおろしながら、
「はあ、それじゃあ雄也くんには隠しても仕方ないですね。実はその通りで、昨日、告白しちゃえば、っていったんですけど、私」
「こらあ、惚笛っ! 雄也はああいったけど、俺、まだ認めてなかったじゃんかよ。でもいまのお前の台詞で、なんだか事実確定みたいになっちゃったじゃねーかよ!」
「でも、好きなんだろ」
「でも、好きなんですよね」
ハモるように、雄也とほのかの口が動く。
「うん」
つられてしまったのか、開き直ったのか、悟は素直に頷いた。
「惚笛のいう通り、告白しちまえばあ?」
「いや、そ、そ、そ、そんなっ。この前、喧嘩しちゃったし」
「好きだからつい、とかいやいいじゃん」
「でも、あのっ、そのっ、しかしっ、おお、俺なんかっ、チビで不細工で性格悪いし、だから、ふつ不釣り合いでっ」
「そんなことないですよ。悟くんは、ちょっと口は悪いけど、でも本当は純情で、いい人です」
ほのかはニコリ笑った。
「惚笛。いいやつだな。俺いつもお前のことバカバカいったり、足をかけて転ばせたり、スカートめくったりしてるのに。こっそり宿題のノートを隠したりとか」
「あれ悟くんだったんですかああ!」
「ああっ、最後のは嘘。ノリでいっちゃっただけだ」
「ほんとかなあ」
ほのか、疑惑の眼差し。
「そんなことより、悟のその話だろ。告白するなら早くしないと、モタモタしてっと誰かに取られちゃうかも知れないぜ」
「そうですよ」
という二人の言葉に、悟はしばし俯いて考えていたが、やがて、意を決したか、拳をぎゅっと握り、顔を上げた。
「よおし、告白だあっ!」
握った拳を、高く突き上げた。
「おーーーーっ!」
雄也とほのかの二人が続く。……いや、三人だ、輪の中に青髪の女子生徒
「都賀、お、お前え、いつの間にいいい!」
「さっきからいたじゃんかよ」
ないきは、両手を頭の後ろで組むと、ははっと笑った。
「まあいいや、ここまできたら関係ねえ。お前も『悟くん告白応援隊』に入れ。今なら年会費は無料だあ」
『うん。やっぱり悟くんは元気じゃなきゃあ』
ほのかは嬉しそうに、ニコリ微笑んだ。
「よおっし、今日の放課後に決行だぜーーーーっ!」
再び腕をぶうんと振り上げる悟。
「おーーっ」
全力で応援だあ。と、ほのかも元気よく右腕を振り上げた。
バシャア!
バケツを持っていることをすっかり忘れていたほのか。
滝のような水を浴びて、全身水浸しになるのだった。
14
晴れた空。
のどかな町の中。
商業地と住宅地との間に大きな公園があり、入り口近くに高校制服姿の惚笛ほのかが立っている。
電信柱に隠れるように半分顔を出して、公園内にある噴水の方へと視線を向けている。
噴水そばのベンチ前では、島田悟と早川香織が立ったまま向かい合っている。
ごくり。
ほのかは唾を飲んだ。
『たまたま。そう、これはたまたまなんです』
ほのかは公園の様子から目をそらすことなく、しかし気まずそうな顔で、心の中でいいわけを始めた。
『どやどや付いて行ったりとか、こそこそ付いて行ったりとかせずに、ただ遠くから成功を祈るだけにしよう。雄也くんたちとそういう話をしたというのに、まさか神社へアルバイトに向かう途中にたまたま見かけてしまうとは』
『……これから、告白するのかな。それとも、もう告白したのかな。……見ちゃいけないのは分かるけど、つい、つい……。ごめんなさい、悟くん』
謝りながらもじーっと様子を見ているほのか。
ずっと見つめ合っているだけの二人であったが、不意に状況が進展、悟が顔を真っ赤にしたまま、早川香織へと一歩踏み出したのである。
「お、お、おっ、おっ」
なにかいおうとしているようだが、言葉にならずつっかえつっかえになってしまっている。
『きっとこれから告白するんだ。俺はっ、とか、お前がっ、とかいおうとしているんだ。頑張れ、頑張れっ!』
などとほのかがドキドキしながらも両拳を握って応援している中、ついに悟が言葉を吐き出した。
「おっぱいっ!」
ゴッ、とほのかは電信柱に顔面を強打し、「あいたっ!」と悲鳴を上げた。
涙目で鼻をすりすりしながら、心の中で文句をいう。
『なんでですかあ? 私がいよいよ告白するんだとか思ったからですかあ? いつもいつも、いちいちヒネクレたことをしないでいいから、早く告白しちゃってくださあい!』
なおも鼻をすりすりさせて、見守っていると、島田悟はうろたえるように後ろ頭を掻きながら、
「すまん、いまのは心を落ち着かせるためのギャグだっ。……つうか全然落ち着いてねえけど、まあいいや。そ、それじゃあ、いい、いうぞ、俺の気持ち。お、俺っ、おおおお俺はっ! ……お前のことをっ!」
悟は真っ赤な顔で、早川香織を見つめた。
数秒の、沈黙。
なんとか再び口を開こうとした、その瞬間であった。
「その感情、美味なりっ!」
穏やかであった公園に、突然吹き荒れる黒い旋風。
ドロドロしたようなその渦の中から、狼のような、人のような、怪物があらわれた。
電信柱に隠れて見ていたほのかは、
「マーカイ獣!」
驚き、叫んでいた。
悟と香織も、未知の生物の出現に、悲鳴をあげていた。
特に悟など腰を抜かしているのではないかというほどの狼狽ぶりであったが、
だが、
ちらり、と香織の顔を見ると、拳をぎゅっと握り、
そして、
「早川っ、逃げろっ!」
叫びながら、香織の身体をどんと突き飛ばしていた。
悟は身体をぶるぶる震わせながらも彼女を守るように立ち、マーカイ獣と向き合い、睨み付けた。
「騎士気取りか知らんが、俺の狙いは最初からお前だ」
マーカイ獣の鼻から、ふふっと息が漏れた。
「な、なにをいって……」
「いただくぞ!」
しゅん、とマーカイ獣は風のような速さで、悟の脇を擦り抜けていた。
その右手には、青く輝くエネルギーの球体が握られていた。
ぐ、と悟は苦痛に呻き、よろめいた。
「島田くん!」
香織が、悟へと駆け寄り心配そうに顔を覗き込んだ。
彼女の顔が、はっと驚きに変化した。
悟が、焦点の定まらない、うつろな表情をしていたのである。焦点定まらないどころか、その顔からはどんどん生気が失われ、やがて、
「邪魔」
ちらり香織を見た瞬間、鬱陶しそうにどんと胸を突き飛ばした。
「はあ。もうすべてがどうでもいいや。バカバカしい。もう、恋なんかしねえ。つうか生きているのも面倒くせえ」
ぶつぶつ呟きながら、光の消えた目で、ふらふらした足取りで、歩き始めた。
「島田くん、島田くん!」
香織が前に立ちふさがり、呼び止めようとするが、またどんと突き飛ばされて、よろけ尻もちをついた。
悟はつまらなそうな顔でふんと鼻を鳴らすと、ふらふらと歩き続ける。
「ぐふふふ。こいつの『純』は、すべてこの中よ」
マーカイ獣は、手の中にある青い球状のものを、目の前にかざしてみせた。
突然、黒い風が吹いた。
黒装束の男が、マーカイ獣の横に立っていた。
「どうだ? マーカイ獣ヴェルフよ」
「は。極上、とまではいきませんが、まずはそこそこのを一つ」
マーカイ獣ヴェルフ、と呼ばれた怪物は、牙をむき出し笑い、手の中のものを黒装束の男に見せた。
「な、なんなの、あなたたちっ」
早川香織、恐怖に怯えた表情であったが、悟がさらに何かをされると思ったか、庇うようにマーカイ獣と黒装束の男の前に立った。
「畏怖に満ちた、気持ちのよい視線だ。だが、安心するがいい。今日起こったことはすぐに忘れるだろう。安心して普段の生活に戻り、この小僧のように純な心をその胸に育てるがいい。我らが魔王への、供物とするためにな」
「なにわけの分からないこといってるの。コスプレ変態っ!」
香織は怯えつつも毅然とした表情を作り、黒装束の男を睨んだ。
「へ、変態ではないっ! 我は極悪帝ヤマーダの副将軍コスゾーノ。貴様、我を愚弄するつもりかあ!」
怒気満面、香織へと詰め寄る黒装束の男、副将軍コスゾーノ。
離れたところから、電信柱の陰でその様子を見ていたほのかが、
「たたっ、大変ですう!」
と、おろおろしていると、
ぼむ。
ローブのフードをすっぽりかぶった小太りトラ猫、ニャーケトルがあらわれた。
ほのかの頭上にふわふわ浮きながら、
「おい、マーカイ獣が出現しそうな気配を感じるぜ!」
「とっくに出現しちゃってますよお! 五分遅いんですよ、いつもいつも! なんの役にも立たない!」
「ち、遅刻ばっかりしてるお前にいわれたかねえよ! 何様だあ!」
「私の遅刻とマーカイ獣とお、なにか関係あるんですかああ!」
「そのすっとろい喋り方やめろ、バーカ!」
「ど、どこっ、どど、どこがとろいんですかああ!」
聞き捨てならんと涙目で詰め寄るほのか。
「全部だあ。つうかバカか、こんなことやってる場合かよ。逃げられちまうだろ!」
「あ、そそ、そうでしたっ!」
ほのかは通学カバンを投げ捨てて、公園の中に入り、噴水の方へと全力で走り出した。
アイキャッチ パターンA
ほのか、ないき、かるん、らせん、
制服姿の四人が、押し合うようにカメラへ寄って、みんなで楽しそうに笑う。